「神田川生活後の、皆川さん、有村の来訪」
僕が、神田川生活(一人暮らし)をしていて、幻覚妄想状態になり、実家に戻ってから、僕の早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行の知り合いの、皆川さん、有村が、僕の住んでいる文京区の実家の近所に車で来たことがありました。
皆川さん、有村は、近所まで車で来ると、僕の家に電話をしてきて、
「今、近所まで来ているから、出てこないか?」
との旨の連絡をくれました。
僕は、当時はとても状態が悪くて、誰かと話がしたかったので、近所まで出て行き、皆川さん、有村の乗っている車に乗車して、3人で、新宿まで行きました。
新宿区の「まねき通り」という通りを通ったことを覚えています。
有村の住んでいるマンションに入り、皆川さん、有村、有村の彼女、僕の4人で、飲み会をしました。
有村は、何か引きこもりぽっくって、髪の毛が伸び放題でした。
皆川さんと有村は、二人で何か議論をし出して、酒を飲みながら、言い合いをしていました。
僕は、あまり、酒を飲むこともなく、二人の議論を聞いていました。
二人は、必死に議論していたのだと思いますが、僕から見ると、おもしろかったです。
その後、皆川さんが、吐いてしまって、議論は終了しました。
有村の彼女が、二人の飲みを嫌がっていたのが印象に残っています。
有村さんは、当時、僕に、
「オレも幻覚を見たことがある」
と言っていたことを今でも覚えています。
僕は、当時は、幻覚妄想状態のショックで、精神的に落ち込んでいたので、有村には親近感が悠きました。
所謂、「幻覚」を見る人は思いのほか多くて、僕だけが、特別に、「幻覚」を見ているわけではないと思い、少し安心しました。
有村には、僕が神田川生活をしていた頃に仕事を紹介してもらったことがあり、お世話になった方でした。
有村も、神楽坂近辺で一人暮らしをしたことがあり、貧乏な一人暮らしのことはどのような生活になるか分かっていたのだと思います。
飲み会の後に、一緒に飲んだ、皆川さんから、皆川さんの住んでいる、田舎(群馬県嬬恋村)に遊びに来ないかとの誘いもあり、僕は浅間山山登りも兼ねて、皆川さんの家に遊びに行きました。
皆川さんも、東京での生活が嫌いだった方のようで、雄大な山の見える、田舎の生活を楽しんでいらしたようでした。
皆川さんの家では、すき焼きをごちそうになり、登山も出来て、本当に楽しい時が過ごせました。
皆川さんは篤志家で、心の病気の方々が集まる施設でも活動をしていたようで、この人は人間が違うなと正直に思いました。
僕が、その後、文京区の精神障害者の作業所、本郷の森、銀杏企画に入所し、作業所を退所し、外で働くようになってからも、本郷の森、銀杏企画運営のネット掲示板、「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込みをすることになったのも、皆川さんの影響が大きかったのだと思います。
僕の人生に大きな影響を与えている、皆川さん、有村とはもう、何年も会っていませんが、元気で生活していると良いなと思っています。
急に、僕の発病後に、僕の住んでいる近所に、皆川さん、有村がやって来たことを思い出したので、ブログを書いてみました。
以上、「神田川生活後の、Mさん、Aさんの来訪」
ブログに載せます。
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