2014年10月31日金曜日

「心優しき派遣さんたち」

「心優しき派遣さんたち」

昨日もブログに書きましたが、僕はちょうど、派遣の形態の勤務が日本の社会問題になっている時に、かなりきつい職場で働いていました。
僕の職場にも多くの派遣の人たちが働いていました。
職場には、会社の社員の人もいましたが、社員の人は管理職。
現場の仕事を担うのはアルバイトであり、派遣さんでした。
僕も現場で働いていましたが、現場の仕事は8時間立ちぱなっし。
重い荷物を運んだり、異常に細かい商品の分類など、かなりきつい仕事が多かったです。
長く働いている人は、現場での、仕事のやり方が分かっているので、力の入れどころ、力の抜きどころが分かっています。
派遣さんも、様々な職場を経験しているので、現場での仕事のやり方は分かっているようでした。
給料も安く、いくら頑張っても、社員にはなれない負け組の人たちですが、現場では、心優しい人が多かったです。
出世競争もなく、皆で仲良く働いていました。
大きな会社などに社員として、入社してしまうと、出世競争などに巻き込まれて、他人の出世のために利用される人も沢山いると思います。
お気楽な負け組の派遣の人たちは、そもそも、出世競争とは無縁なので、現場でのきつい仕事もなるべく楽しく(そもそも、仕事がきついので、なるべく楽しいことを考えて仕事をするのが良いのです)やっていました。

仕事のやり方もなるべく楽になるように楽になるように工夫してやってました。

どこの職場でも当てはまることだと思いますが、そもそも給料をいただく仕事はなんでもきついと思います。

少しでも楽になるように工夫するのは、自然なことだと僕は思っています。

派遣の人たちは、様々な意味で、良い効果を与えていてくれていたと思ってます。

以上、「心優しき派遣さんたち」

ブログに載せます。













2014年10月30日木曜日

「文化的多様性と社会(=会社)的閉塞性」 Twitterの良いところ

文化的多様性と社会(=会社)的閉塞性

日本は多くの国から多様な文化を取り入れています。
欧米文化は勿論、アジア文化、アフリカ文化、南米文化。
日本に生まれた子供たちは子供の頃から多くの文化に触れて育ちます。
特に巨大都市東京では、文化的には多様な文化が至るところにあります。
料理屋ひとつとっても、日本料理屋、フランス料理屋、イタリア料理屋、中華料理屋、インド料理屋、ネパール料理屋、タイ料理屋、ミャンマー料理屋、エジプト料理屋、モロッコ料理屋、メキシコ料理屋、アルゼンチン料理屋、etc.

多くの文化に親しんで育ちます。

しかし、いざ、学校を卒業して、会社に入社してみると、社会人としての常識が強要され、学生時代まで親しんできた多様な文化はなかなか、認められません。

服装一つとっても、スーツの着用が奨励されます。

政治的にも宗教的にも、かなり、堅苦しい論理で、仕事が行われる職場が多いと思います。

僕はTwitterを始めてから、実に様々な価値観の人がいて、自分の意見、主張を持っていると分かりました。

Twitterを緊急時の伝達手段に使う人もいるでしょうし、政治的に利用する人もいるでしょう。また、会社のビジネスの宣伝のために利用する人も多くいると思います。

個人のレベルでは、アフィリエイトなどの小遣い稼ぎのために使う人もいると思います。

僕は、Twitterやネットのことはかなり詳しくなったので、実に様々な価値観の人がいて自分から自分の好きなことしている人が多くいることが分かりました。

生活する上では、安月給のアルバイトや派遣労働者か、もっとひどい収入かもしれませんが、かなり面白いことをやっている人が多くいると思いました。

僕はちょうど、派遣労働者が社会的問題になっていた時に、かなりきつい職場で働いていました。

僕が働いていた職場にも、派遣労働者の方が多く働いていました。

仕事上のスキルは、会社に所属している、社員やアルバイトの方とほとんど遜色ないのに、派遣ということで、いいようにこき使われる人が沢山いることが分かりました。

僕はその光景を目の当たりにして、大きな矛盾を感じました。

派遣の方たちは、服装や、趣味など、実に多彩で、文化的には、非常にレベルが高かったですが、会社という組織の中では、経済効率優先の論理、縦社会の論理で、派遣社員として、こき使われる人(使い捨てにされる人)も多くいました。

当時、大きな話題になった事件に秋葉原の通り魔事件がありました。派遣で働いていた労働者が、犯罪に走ったのです。

満たされない、若者が犯罪に走る背景には大きな社会的病理が潜んでいることが良くあります。

その社会的病理の一つとして、「文化的多様性」と「社会的閉塞性」=(会社的閉塞性)が存在しているような気がしています。

この「社会的病理」をいくらか、和らげてくれるものの一つとして、Twitterは貢献していると僕は思っています。

くだらない内容ですがブログに載せます。






2014年10月29日水曜日

「貢ぎ始めました」

「貢ぎ始めました」

僕に盛んにGoogleを勧めていた、障害者福祉に携わっているTwitterのアカウントをフォロー(貢ぎ)始めました。

僕のGoogle好きは物凄いものがあります。
メールは「Gmail
インプットメソッドも「Google日本語入力」
ブログも「Google Blogger」。
ブログの統計調査も「Google アナリスティク」 
情報収集も「Google NEWS」。
ニュース配信も「Google Alert」。
携帯電話のOSも「GoogleAndroid

Google社の不正を許さない姿勢に凛としたものを感じてます。
僕の頭のなかは常にGoogleで一杯です。
まるで、北米の優秀な女性と会話するようにGoogleには驚くばかりです。
毎日、毎日、Googleのアプリと顔を合わせて、その機能の優秀さに驚く毎日です。
普段は文京区の障害者福祉関係の女性と接しているので、マイクロソフト系の話ばかりです。

でも、障害者福祉に携わる日本の女性も多分、Google系のアプリが好きな方が多いのではないかと思います。

先日はついにGoogleに広告を出すためGoogle AdWordsに登録してしまいました。年配らしき女性が電話に出て、GoogleAdWordsについて説明してくれました。

僕のサイトはアフィリエイトプログラムに参加しているので、GoogleAdWordsのポリシーに反するとのことです。

そういう姿勢にもGoogleの「凛」としたものを感じました。

僕もついに貢ぎ始めました。

以上、「貢ぎ始めました」

くだらない内容ですがブログに載せます。

2014年10月28日火曜日

どんぐりころころ不忍池

どんぐりころころ不忍池」

有名な童謡に「 どんぐりころころ」があります。

Wikipediaで調べたら、歌詞は以下です。

 どんぐりころころ ドンブリコ
    お池にはまって さあ大変
    どじょうが出て来て 今日は
    坊ちゃん一緒に 遊びましょう

    どんぐりころころ よろこんで
    しばらく一緒に 遊んだが
    やっぱりお山が 恋しいと
    泣いてはどじょうを 困らせた

昨日も、文京区の湯島にある就労移行支援事業所に行って来ました。
昼休みに、上野公園に一服しに行きます。

上野公園に行くと目の前に不忍池があります。座って、一服しているときに急に、「どんぐりころころ」を思い出しました。

僕も、池にはまってしまったのかなと少し思いました。

池之端の不忍池、悪くない池だと思いますが、池を見ていて、急に「どんぐりころころ」を思い出しました。

500文字にも満たない、くだらない内容ですがブログに書きます。








2014年10月27日月曜日

「自信」「かみさん」、「家事」、「おやじ」

「自信、かみさん、家事、おやじ」

僕の恐いものを列挙してみます。
以下です。

1.    自分のことを過大評価している人間の「自信」。
2.    昔の友達の「かみさん」。
3.    家での「家事」。
4.    パソコンやスマートフォンのIT系の会話についていけない「おやじ」。

この4つが非常に恐いです。

1番目の「自信」ですが、きちんと勉強してない人間が、他人におだてられて、異常に自分に自信を持ってしまうことは良くあります。特定の組織に所属していて、その組織の中で、間違った育てられ方をされてしまうと、いびつな「自信家」が生まれ易いです。

2番目の友達の「かみさん」。これも恐い。僕の昔の友達は裕福な家庭の友達が多いので、「かみさん」も裕福な家庭の子女が多い。私立中学とかに通っていた子女も多い。そもそも、僕のような公立中学公立高校私立文系大学型とは育った環境が大きく違うので、会話が合わないし、向こうの意見を押し付けてくる子女が多い。こういう子女が「かみさん」にいると恐い。

3番目の「家事」。自分の家での掃除、洗濯、料理、買い物、洗い物などです。昔、主婦の家事労働に労働費をという標語を聞いたことがありますが、「家事」は重労働だと思います。「家事」も恐いです。

4番目の「おやじ」。テレビや新聞ばかり見ていて、その情報を鵜呑みにしてしまう「おやじ」。パソコンやスマートフォンは使えないので、ITに異様に弱い。話が全くかみ合いません。ITについていけない「おやじ」さんも恐いです。

以上、僕の恐いもの 「自信」「かみさん」「家事」「おやじ」でした。

くだらない内容ですが、ブログに載せます。

2014年10月26日日曜日

「神田古本まつり」

「神田古本まつり」

昨日から、本の街、神田神保町で、古本まつりが始まりました。
昨日は土曜日で休日だったので、さっそく見物に行きました。
自宅から、春日通りに出て、春日通りを歩き、春日町交差点に出ます。
右折して、白山通りを歩き、神田神保町の交差点にたどり着きました。
神田神保町の交差点には、「古本まつり」の大きな、看板が出ていました。

靖国通り沿いの、受付で、神保町のパンフレットをもらい、古本まつりを見物しました。
永井荷風の著作を少し探してみました。
全集がありましたが、永井荷風はほとんど読んだことがないので、入門書として全集はふさわしくないと思い、手に取らず、棚を素通り。
その後、すずらん通りを歩いてみましたが、東京堂ブックカフェというしゃれた書店があり、中に入ってみました。

雰囲気の良い、書店でした。
二階に上る階段に、東日本大震災被災地の石巻の写真が展示してありました。
神田神保町の書店でも、きちんと東日本大震災のことは展示しているのだなと感心しました。

その後、もう一度、靖国通りに出て、古本まつりの棚を覗いてみます。
学術書、映画の本、音楽の本、法律書、ノンフィクションもの、様々なジャンルの本が多数展示されていました。

僕は今年の3月から地元の文京区立図書館の東日本大震災関連の書籍を片っ端から調べて、一冊一冊紹介して、毎日毎日、多くの本と向き合い、かなり、くたびれていたので、古本まつりの棚を見ても、お腹が痛くなってしまいました。

気分転換に、神田神保町から、白山通りを北上して、水道橋に出ました。

水道橋から、読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームの周りを散歩しました。

東京ドームの周りには、王選手や、長島選手、などのモニュメントがありスポーツ選手の偉大さを感じさせてくれました。

毎日、毎日、難しい本と向き合っている人は時には気分転換に、スポーツ観戦とかをするのは精神衛生上、とても大事だと感じました。

一つのことを突き詰めて考えることも大事ですが、良いものを作るためには、気分転換はとても大事だと思います。

学生時代は、月曜日~金曜日は、勉強、アルバイト、週末は、東京近郊の山にハイキングなどに行って自然に触れ合っていたので、健全な精神状態を保てていたのだと思います。

社会に出て働き始めると、月曜から金曜まで、仕事仕事で、土日は家で休養というパターンが多くなります。

しかし、良い、仕事をするためには、土日の過ごし方も大事だと思います。

土日に気分転換して、月曜からの仕事に向き合うことが出来れば、良いのかなと思います。

以上、昨日の神田神保町の古本まつりを見物しての感想でした。

くだらない内容ですが、ブログに載せます。














2014年10月25日土曜日

「早稲田大学~横浜の港の見える丘公園までの歩荷」

「早稲田大学~横浜の港の見える丘公園までの歩荷」

 僕は早稲田大学在学中に名門サークル「探検部」に所属していていました。

 「探検部」では20キロ近い、ザックを背負って、3000m級の山の登山をすることがあるので、東京にいるときも、山行を想定してトレーニングをしていました。
 
 僕らの学生時代も重い荷物を背負ってのウォーキングの練習(歩荷)がありました。

 僕が大学2年生の時の秋合宿で南アルプスの名峰群、荒川岳山行の合宿があり、僕もその合宿に参加することになり、歩荷の練習を東京で行いました。

 早稲田大学の近所にはなかなか、歩荷の練習が出来る場所がありませんでしたが、荒川岳山行の際にリーダーになった先輩、早稲田大学探検部32期の船越通暁さんは、プレ合宿として、東京都新宿区にある早稲田大学から、横浜の港の見える丘公園までを、重さ20キロのザックを背負っての歩荷を言い出しました。

 当時はグーグルマップなどなかったので、どのくらいの距離があるのかも分かりませんでした。

 現在ではグーグルマップで調べられるので、調べてみましたが、約35kmほどあるみたいです。

 人間の歩く速さは時速4kmくらいと言われていますから、単純計算で、新宿区の早稲田大学から神奈川県横浜市の港の見える丘公園までの35kmを歩くのに、約9時間かかるということになります。

 僕たちは土曜日の夜の9時ころに早稲田大学の大隈講堂の前を出発して、横浜の港の見える丘公園を目指して歩き始めました。

 途中までは、参加者全員、仲良く歩いていましたが、歩く距離が増えるにつれ、参加者の疲労度も変化してきます。

 そもそも、体力には個人差があり、35kmの行程を、皆で同じスピードで歩くことは無理がありました。

 途中から、参加者はそれぞれの体力に合わせて歩くことになり、34kmのウォーキングは個人行となりました。

 僕も個人行になりましたが、途中で眠くなったので、公園で野宿。

 翌朝、起きて、国道1号線をとぼとぼと歩き始めました。

 神奈川県に入ると、京浜東北線の駅が目に入り、歩くのを止めて電車に乗りたいという思いに駆られましたが、なんとか、歩き通して、横浜の港の見える丘公園に到達。

 横浜の港の見える丘公園に到着したのは、午前11時頃だったと思います。

 港の見える丘公園に到達しても、探検部員は見当たりません。

 そのまま、京浜東北線に乗り、帰京しました。

 山行のためには、やはり、きちんとしたトレーニングは大事なのだなと思いました。

 山は地形も複雑で、地形図を読む技術も必要ですし、天気も変わりやすく、天気図を読む技術も必要です。様々な技術があってこその山行が多いと思います。

 山行をしたい人は多いとは思いますが、やはり、きちんと準備しての山行でないとトラブルに巻き込まれる可能性はあると思います。

 ひ弱な東京人が南アルプスの3000m級の名峰、荒川岳のような山行をする際には、東京都内での山行の準備は、必要でした。

 以上、「早稲田大学~横浜の港の見える丘公園までの歩荷」

 ブログに載せます。














2014年10月24日金曜日

「ブログ職人を目指す」

「ブログ職人を目指す」


今年の7月から、自分のブログを頻繁に更新してます。
500文字~1000文字くらいのブログを書き、Twitterのアカウントを通じて公開すると、1ブログにつき、100ビュー(閲覧数)くらいあります。
僕がブログを書くインスピレーションは夜、寝ている時に見た夢からインスピレーションを得ることが結構あります。
僕が寝ている時、見る夢は、昔の学校時代の友だちが頻繁に登場し、様々なシチューエーションで面白いことをしてくれます。
先日見た夢では学生時代の友人が原宿に美味しいコーヒーの店があるとつぶやいていました。
こういう夢をインスピレーションにしてブログを書くアイデアにすることがよくあります。

もう、年齢も年齢なので、仕事に就いたとしても、待遇の良い仕事、やりがいのある仕事はないと思います。
今までは、仕事に生きがいを見つけてきましたが、これからはブログに生きがいを見出そうかと思っています。
ネット上でのブログを書く仕事もありますが、著作権を奪われるし、賃金も安くアホらしいので仕事にする気になりません。
自分の書きたいようにブログを書き続けていれば、いつの日か洗練された「ブログ職人」になれる日があるかもしれません。
道具も良いものを揃えて、ブログを書けば、質の高い良いブログが出来るかもしれません。
昨年の12月からパナソニックのレッツノートを使い始めましたが、友人からは盛んにMacbookを勧められています。
学生時代に知り合った写真家の方も道具には惜しみなくお金を使っていました。
良いものを生み出すためには、道具も良いものが必要なのかもしれません。

1ヶ月毎日1ブログ、30日だったら、30ブログを書けば3000ビューくらいが見込めます。
収益はほとんどありませんが、趣味として、「ブログ職人」を目指すのも悪くないなと最近考えています。

以上、「ブログ職人を目指す」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。



2014年10月23日木曜日

 久しぶりの冒険行 「1年ぶりの新宿散歩」

「久しぶりの冒険行 1年ぶりの新宿散歩」

先日、久しぶりに、2時間くらいの散歩をしてきました。
普段の散歩は、地元の文京区界隈を散歩するのですが、先日は足を伸ばして新宿まで散歩してきました。
僕の母校のある早稲田・高田馬場界隈を散歩することは良くあるのですが、新宿まで行くのは昨年の11月以来、約1年ぶり。

自宅から、新目白通りを、歩き、早稲田大学まで到達。
その後、早稲田通りを高田馬場方面に歩き、明治通りとの交差点に出て、渋谷方面に向かいます。
そのまま、原宿を経由して、渋谷まで散歩しようかと思い、明治通りを歩きました。
明治通りを歩いていると、道が坂になっていることに気づきました。
明治通りを散歩している時に僕が昔、アルバイトをしていた書店があるかなと思い、覗いてみましたが、現在ではコンビニエンスストアのローソンになっていました。
残念ですが、時代の流れなのでしょうか?
そのまま、渋谷方面に向かい歩いていきます。
明治通り沿いには、日清食品の大きなビルや、東日本大震災の復興支援活動をしている、日本赤十字社の立派なビルなどがありました。
新宿三丁目に出て、新宿通りを新宿方面に向かい、紀伊國屋書店に立ち寄りました。
一階の、フロアを見て回り、最近、出ている本を調べました。
紀伊國屋書店の一階のフロアでは、あまり、震災本は見つかりませんでした。
その後、新宿の家電量販店を覗いてみました。
腕時計売り場には、3000円くらいで購入できる電波時計が沢山陳列されていました。
外国人の買い物客が沢山見物していました。

そのまま、新宿から渋谷まで歩こうかと思いましたが、地下鉄に乗ることにして、新宿三丁目から副都心線に乗ります。

渋谷に到着しましたが、あまりの人の多さにうんざりして、地下街から出ることをやめ、そのまま半蔵門線に乗り換え、帰宅。

もう、年齢も年齢なので、若者の街、渋谷まで行くのはきつくなってしまいました。

新宿の街に行くのは昨年の11月以来でした。

以上、僕の久しぶりの冒険行、「新宿散歩」でした。

くだらない内容ですが、ブログに載せます。