2016年12月31日土曜日

「266のブログを書いた」

266のブログを書いた」

 今日、「大晦日」「除夜の鐘」というブログを書きました。

 このブログで、今年書いたブログの数が、266になりました。

 266という数字には特別な意味はありませんが、頑張って、266のブログを書いてきた自分をほめてあげたいと思っています。

 ブログを書くのが辛い日もありましたし、自分の心も荒れて、ブログも荒れることもあったかと思います。

 パソコンに向かって、ブログを書いていると、患っている逆流性食道炎の胃の辺りをさすりながらパソコンに向かってブログを書いていることもありました。

 文章は書いてみて、ようやく文章を書くとは、大変なものだということが分かりました。

 ブログを書くのが楽しいうちは、初心者だと思います。

 ブログを書くのが辛くなって、ようやく、「一介のブロガー」を名乗れるようになるのだと思います。

 この辛い状態を、辛くないと思える状態まで持っていければ、真のブロガー(書き手)になれるような気がしています。

今年、書いたブログの数が266になったので、今年一年266の数のブログを書いていて来た僕の心境をブログに書いてみました。

 以上、「266のブログを書いた」

ブログに載せます。



 




「除夜の鐘」

除夜の鐘」 

 今日、茗荷谷界隈を歩いていたら、「除夜の鐘」のポスターが貼ってありました。お寺で除夜の鐘が聞けるようです。

 今年一年のことを忘れるためにも、「除夜の鐘」の音を聞くことは良いことだと思います。

ウィキペディアによると除夜の鐘とは、

 除夜の鐘(じょやのかね)は、日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。1231日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。

 とあります。

 この「108」という数の由来については、次のような複数の説がある。格別にどれが正しいということはないが、一般には煩悩説が有名である。

 とあります。

 煩悩の数が108あるのだと思います。

  眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す

 ともあります。

  煩悩を忘れるためにも、今年一年の辛かったことも忘れるためにも、「除夜の鐘」を聞くことは良いことだと思います。

 人間、長く生きていれば、多くの「煩悩」が生じると思います。

「除夜の鐘」を聞いて、「煩悩」を忘れる、辛いことも忘れることが出来れば良いのだと思います。

   NHKでも大晦日の深夜12時を挟んで、「ゆく年来る年」という番組も放送されているし、「除夜の鐘」を聞いて、「煩悩」を忘れることも大事だと思っています。

以上、「除夜の鐘」

ブログに載せます。










「大晦日」

「大晦日」

 今日は1231日、大晦日です。

 今朝は9時まで寝ていました。

 今年、1年、東日本大震災関連書籍を紹介し続けて、締めになる句、

「震災本を 集めて早し 神田川」も詠み続けて、ブログも書き続けたので、

 頭脳と体の疲労も溜まっています。

   朝の9時まで寝たところで、疲れは取れませんが、少しでも体と脳を休めて、体と脳をリフレッシュしたいと思います。

  大晦日に仕事がないだけ幸せですが、パソコンを開いて、メールをチェックしたり、Twitterをチェックしたり、ブログを書いているということは、大晦日も脳が働いていることになります。

  大晦日くらい、パソコンを開かずに、ゆったりと紅白を見ながら年越しそばを食べるとかのんびり出来れば良いのだがなと内心思っていますが、早速、パソコンを開いてブログを書いてしまいました。

  大晦日にもブログを書いているようでは、脳も休まないと思います。

  来年は、脳の負担を少しでも減らせるようにしていければ良いと内心思っています。

 以上、「大晦日」

ブログに載せます。




2016年12月30日金曜日

「大掃除」

「大掃除」

 いよいよ年末になりました。

 僕の仕事納めは、1228日でした。

 一年の仕事が終わったと思い、ゆったりしていたら、夜に茨城県で地震が起きました。

僕はすぐにTwitterを開いて、NHK生活・防災などのツイートをツイートしました。

僕が作成している、「東日本大震災」関連書籍の本もすぐに紹介しました。

1228日の夜に、「東日本大震災」関連書籍を紹介したので、仕事でない日も、神田川沿いに赴き、製本屋さんが仕事の準備をしている風景を自分の目で確認して、

「震災本を 集めて早し 神田川」

を詠みました。

昨晩は地震は起こらなかったので、「東日本大震災」関連書籍は紹介しませんでした。

というわけで、今日は、

「震災本を 集めて早し 神田川」

は詠みません。

いつの間にか年末になっているので、自分の部屋の掃除をしようと思いましたが、掃除するものは、窓ガラスでも、畳でもなく、書類だったり、本だったりします。

書類と本を処分できれば、僕の部屋もかなりすっきりすると思います。

部屋に書類や本があると、目を覚ましている間、部屋にいると、書類とか本の文字を見ていることになります。

目から活字情報が入って来ると、頭脳もいろいろと思考が働き出します。

目を覚ましている間、部屋にいると、頭脳が働いてしまうので、部屋の書類、本を処分したいとも思っています。

先日、本を20冊ぐらい選んで、ブックオフに売りに行きました。

20冊で200円か300円位でした。

買い取り価格の安さに、ばかばかしくなりましたが、部屋の本が減って良かったです。

年末の大掃除も部屋の書類、本を処分すればかなりすっきりすると思います。

書類、本を処分することは、自分の頭脳も少しクリアにしてれると思います。

大掃除をすれば、僕の頭の中の大掃除をすることにもなるのだと思います。

年末の大掃除にあたって、大掃除について考えてみました。

以上、「大掃除」

ブログに載せます。

                                                                                                                        






2016年12月29日木曜日

「昨晩の地震に思う」

「昨晩の地震に思う」

 昨晩、茨城県で大きな地震があったようです。

 高萩市では、震度6弱の揺れを観測したようで、テレビでも高萩市の様子が放映されていました。

 高萩市は僕の母の出身地です。

 僕の母も昨晩はNHKをすぐにつけて、テレビを見ていました。

 今日になって、僕の母は、実家に電話をしたようです。

 母の実家では大きな被害はなかったようですが、高萩市ではガラスが割れるなどの被害があったみたいです。

 2011年に起きた東日本大震災の際の東京の震度は5でしたが、大きな揺れを感じました。

 震度6とはとても大きな揺れだと思います。

怖かったと思います。

きちんと高萩市の実家に電話をした母の気丈さを感じました。

大きな地震が起きてもきちんと高萩市の実家に連絡をした母は立派だと思います。

昨晩に起きた、高萩の地震に際しての所感を書いてみました。

以上、「昨晩の地震に思う」


ブログに載せます。

2016年12月28日水曜日

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

 先日、ネットを見ていたら、おもしろい、ウィキペディアのようなものがありました。
 
ウィキペディアのようなサイトの名前は、アンサイクロペディアです。

 この、アンサイクロペディアの文京区に関する記述がおもしろかったので、URLを貼っておきます。

 URLは以下です。


このサイトでは、東京都の区の一つである文京区を冷やかし半分に書いていて、読む人によっては怒り出すかも知れませんが、読む人によっては、吹き出してしまう方もいるかと思うような記述がなされています。

おもしろおかしく、文京区を表現しています。

「(文京)区内にはJRの駅が一つも無く、繁華街が無い」

という部分だけでも、文京区が東京都の中でも、田舎のような街だと分かります。

「文京」という名の由来についても、

「文京」なる地名はもともとこの地には存在せず、「本郷区」と「小石川区」が合体して誕生した時に、「文化と教育が盛んである」という意味の「文教」と、「みやこ」を意味する「東京」の「京」の部分を無理やりくっつけた、親父ギャグ真っ青の駄洒落から生まれたものである。

と述べていて、「文京」を冷やかしています。

そもそも「文京区」の名称を通過させた役人たちはさしずめウィキペディアンみたいなもので、学校のお勉強はできるが、いわゆる「ユーモア」に大いに欠けていたがためにこのような悲劇が生まれたという説もある。

と「文京」の名称の由来を茶化していています。

かねてより東京大学などを始めとする文教施設が多すぎる嫌いがあったこの地域だが、「文京区」の誕生によりお勉強はできるがその他の点でちょっと・・・・という人々が激増することになったらしい

と、文京区民は、お勉強は出来るがその他のことはちょっとという方が多いと述べられて、
文京区民のことをバカにしています。

文京区にある茗荷谷地区に関しては、

茗荷谷
受験戦争その他で頭脳に普段から負荷がかかりすぎている文京区民の脳が、暴発してバーンアウトを起こさないように設けられた癒しと憩いの楽園。この地には敷き詰められたように茗荷(ミョウガ)が植えられており、これがリタイア寸前のストレスフルな文京区民の脳を穏やかなものにしている。お釈迦様の偉大な弟子周利槃特(しゅうりはんとく)の故事で知られるようにここのミョウガは強烈なもので、口に入れただけで瞬間的に「忘却力」を最大限に拡張し、ありとあらゆる記憶が吹き飛び、イヤなことをほとんど無痛で忘れ去ることができるので、癒しには最適である。しかし効能が強すぎて「ここはどこ?私は誰?」という状況に追い込まれてしまうらしい。

と述べて、文京区における茗荷谷の効用について説明しています。

僕も長く、文京区に住んでいますが、住むのには良いのですが、真面目に政治の話とか社会問題の話とかを語り始める方も多くて、疲れてしまうことの多い区でもあります。

癒しの楽園が、茗荷谷地域のようですが、僕が良く利用している茗荷谷のカフェでは、パソコンとにらめっこして、勉強されている方も多くて、茗荷谷が癒しの楽園とは思えません。

先日、小石川図書館で、「東京23区 教育格差案内」という本を読みましたが、僕が通っていた茗台中学校は、現在では文京区の名門中学校、文京六中と双璧の人気のある中学校だそうです。

文京六中が受け入れ人数120名に対して希望校最終調査提出者212名、茗台中は受け入れ人数105名に対して195名の希望者がいると書かれていています。

現在では、文京区では中学校は選択制で、どの中学校に通うかは選べるようで、選択制にした際に、僕が通っていた茗台中学校は、受け入れ人員に対して希望者が約2倍の倍率の人気のある中学校になっているようです。

文京六中と言えば東京大学の前にある中学校で、僕らの頃から、文京区では一番の名門中学校でしたが、僕の通っていた茗台中学校がこんなに人気があるとは思いもしませんでした。

人気のある中学校に僕も通っていたようです。

僕は茗台中学校に通っていた頃に、生徒会長をしたことがあり、(推薦で立候補して、生徒の選挙で選ばれました)中学校をまとめる立場になったこともあります。

中学生の頃ですから、いじめも起きます。

僕は中学校の頃はバスケットボール部に所属していて、体育の成績は5で、50メートル走は6秒台、垂直跳びは70センチ台、1500メートル走も5分台くらいだったと思います。

中学生の頃ですから、運動が出来る人間がいじめを止めることも出来るし、上に立つことが良くあります。

僕も茗台中学校で体育の成績が良かったら、生徒会長になったのだと思います。

僕は茗台中学校の発行する雑誌に、生徒会長として文章を書いたことがありました。

タイトルは、「諸行無常の世の中のために」

というようなタイトルの文章だったと思います。

中学校の頃の国語の授業で、「平家物語」が出てきて、

「平家物語」の冒頭の、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。


という部分が中学生の僕にとても印象が残ったので、

「諸行無常の世の中のために」

という文章を書いたと思います。

中学生の頃から、無常観を感じていると、ポジティブな人間にならないかもしれませんが、平家物語の冒頭は、とても心に残る文章でした。

中学生の頃から、新聞とか本は読んでいたし、政治家の不祥事とかは、見聞していました。

総理大臣になっても、汚職をしたり、法に触れる行為を行っていたりして、世の中で成功している人間の多くが、成功してからの驕りの気持ちも出てきて、身を落としていくと思っていました。

お金持ちになったところで、自分の妻だけでは満足せずに、愛人を作ったりする人間もバブルの頃はいました。

社会的成功をおさめても、経済的な成功をおさめても、成功したという驕りの気持ちを持った途端に、多くの人間が身を落としていくのだと思っていました。

中学校の頃から、そのような気持ちがあったので、平家物語の冒頭を引用して文章を書いていたのだと思います。

ただ現在の茗台中学校の人気ぶりを見てみると、僕が通っていた頃の茗台中学校とはかなり違うようです。

文京区の一番の名門中学校、文京六中と双璧の人気にある中学校になっているようです。

多分、勉強も良く出来るのだと思います。

どんどんレベルが上がっていて、勉強も出来る人が多いのかなと思います。

文京六中と双璧の人気のある中学校ということは、かなりレベルも上がっているのだと思います。

僕らの頃から越境通学している人もいたし、人気のある中学校になったのかなと思います。

中学校の頃は、学校の授業を真面目に受けていれば、良い成績は取れたし、(ちなみに僕は中学校の頃は主要5教科はほとんど5でした)進学校の都立高校(都立高校の入学試験の成績も500点満点中480点で、数学と理科は100点でした)にも入学出来ました。

現在では、僕の通っていた茗台中学校は多分、僕らの頃以上に勉強も出来るのだと思います。

今、もし、僕が現在の茗台中学校に通っていたらとても生徒会長など務まらないと思います。

現在の、文京区の教育レベル、茗台中学校の人気を考えると、僕らの頃より断然、学力もアップしていると思うし、多分、難しい勉強も出来るのだと思います。

子供の学力が上がるのは良いことだと思いますが、大人たちが子供たちの考えている難しいことについていけないこともあるのかなと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる仕事、職場があれば良いのだと思いますが、多くの職場では、ご自分の仕事で精一杯で、名門高校、名門大学出身の方々の考えている難しいことに対処出来ない職場も多いと思います。

多くの職場では日々の決まったルーティンワーク(決まった仕事)をこなしている職場が多いと思います。

日々のルーティンワークをきちんとこなしてくれる方が職場では重宝されるのだと思います。

学校で学んだ、難しいことを生かせる職場とはあるのかなと最近、思っています。

学校で、数学とか理科とか英語とか出来ても、職場ではあまり使わないし、大学まで行って法律を勉強しても職場ではあまり使わないし、一体学校に行くとは何のために学校に行くのかなと最近思っています。

僕が、2014年から長く詠み続けている句も、中学校の頃の国語の授業で学んだ松尾芭蕉の、

「奥の細道」に出てくる、

「五月雨を 集めて早し 最上川」

を真似て詠んでいる、

「震災本を 集めて早し 神田川」

です。

進学校の高校にも行きましたが、高校で学んだことは漢文の授業で、松尾芭蕉が傾倒していた、杜甫の漢詩だったりします。

文京区を冷やかし半分に書いているアンサイクロペディアというサイトから現在の文京区の学力と、僕が生徒会長をしていた頃のことも思い出して現在の勉強が出来る子どもたちと自分の仕事で精一杯の大人の関係についても考えてみました。

以上、「アンサイクロペディア 文京区 僕の通っていた中学校は人気があるようだ 生徒会長」

ブログに載せます。




2016年12月27日火曜日

「団平の 坂を登りて 見るテニス」

「団平の 坂を登りて 見るテニス」

 先日、文京区の名門図書館、小石川図書館に入館しました。

 小石川図書館には音楽資料が多くあり、文京区の隠れた秘境です。

 その小石川図書館に入館し、開架の本を読んだり、置いてある新聞を読んでから、小石川図書館を出て、小石川図書館の前の坂、団平坂を登って、竹早公園に赴きました。

 竹早公園の喫煙コーナーで一服していると、テニスコートでテニスをしている方々の風景がありました。

 毎日のように、文京区立図書館所蔵の「東日本大震災」関連書籍を紹介していて、僕も自分で紹介している震災本を読んでいるので、僕の頭の中も「東日本大震災」「原発」のことで一杯になっています。

 そんな僕の頭の状態のクリアにしてくれるような風景が、竹早公園のテニスコートでテニスをしている方々の風景でした。

 本を読み過ぎると、頭もパンクしてしまうと思います。

 時には散歩とかして、スポーツをしている方々の風景を見ることも大事だと思います。

 僕が、竹早公園でテニスコートでテニスをしている方々の風景を見た際に、心に浮かんだ句が、

 「団平の 坂を登りて 見るテニス」

という句です。

小石川図書館の前の坂は団平坂という坂だそうです。

こんな感じの坂でした。





     


団平坂の案内はこんな感じです。




文人、石川啄木の終焉の地がこの辺りだそうです。

小石川図書館はこんな感じです。





 
団平坂を登ったところに竹早公園があり、竹早公園にテニスコートがあり、きちんと、図書館で本を読んでからも、テニスをしている方々の風景が見えるようになっています。

竹早公園はこんな感じです。





喫煙所です。




テニスをしている風景はこんな感じです。



 



本を読み過ぎると、頭もパンクしておかしくなってしまう方もいるかと思います。

 活字でぎゅうぎゅう詰めになった頭の中を少しでもクリアにするためにも、スポーツをすること、スポーツを見ることは大切だと思います。

 文京区の名門図書館、小石川図書館の前の団平坂を登って、竹早公園の喫煙コーナーで一服している時に目にしたテニスをしている方々の風景が、活字でぎゅうぎゅうになっている僕の頭を少しクリアにしてくれたので、

「団平の 坂を登りて 見るテニス」

を詠んでみました。

以上、「団平の 坂を登りて 見るテニス」

ブログ載せます。