「紫藤クリニック カウンセリング ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」
以下のようなことが書かれていました。
サークルは何か面白いことをしたいと思っていましたし、又、子供の頃、「十五少年漂流記」という小説が大好きで、小学校の時の卒業時の夢が探検家になることだったので、小さな夢でも叶えようと探検部というサークルに入りました。部室に行ってみると外国に行った先輩が多くいて、話を聞いていてすごいところだなと思いました。
探検部の私たちの代は15人ぐらいいました。全員、男子でした。
山での合宿や、川下りの練習など初めての体験も多く、かなりきついサークルでした。
一般教養で取っていた人類学の先生(板橋作美先生)に紹介状を書いてもらい、島の酋長さんの家にお金を払って住み込ませてもらい、フィールドワークもどきを行いました。
しかし、言葉があまり通じず、きちんとした人類学的バックボーンも身に付けておらず、1ヶ月の滞在できちんとした報告書を書けるような活動は出来ませんでした。
海のきれいな島でしたが、太平洋上のアメリカ軍の軍事的要衝の一つであって、アメリカ人が支配階層で島の人たちはコップレックスがあるのかアメリカ人は嫌いだという人たちが多くいました
第二次大戦までは日本軍が占領した島ということで、日本人は嫌われているかなとも思い行きましたが、年輩の人は、「サクラサクラ」など覚えていて、外交辞令かもしれませんが、顔つきが似ていると言うことで、アメリカ人より日本人の方が好きだという人が多くいました。
本を読んで調べてみると、若者の自殺が多いということで、こんなのんびりした島でなぜかなとも思いました。
この時の単独行で学問的基礎の無さと一人で何かをやることに限界を感じ、以後、探検部の活動は一人で行うことはなくなりました。
ヤップでの写真はこちら
『長野、野辺山で農業のアルバイト』
農業には、高校の頃から興味があり、屋根裏部屋に寝かされ、暑くてあまり眠れずかなりきつかったですが、1ヶ月バイトをしました。
僕が早稲田大学に進み、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。
ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」が大好きだったこと、小学校の頃の夢が探検家になることだったので、早稲田大学探検部に入部したことが書かれています。
探検部に入部した動機としてはまともな動機だと思いました。
早稲田大学探検部1年生の時にミクロネシアのヤップ島に行ったことも書かれています。
現地でフィールドワークのようなことをして、報告書のようなものを書きたかったことが分かります。
探検部1年生としては、真面目に探検しようとしていたことが分かりました。
真面目に探検部の活動に取り組もうとしていたことが分かる文書だと思いました。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング ミクロネシア・ヤップ島・農業のアルバイト」
ブログに載せます。
僕がミクロネシア、ヤップ島について書いているブログはこちらです
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