「5月は1日平均8216歩歩いていたようだ」
2023年5月31日水曜日
「5月は1日平均8216歩歩いていたようだ」
2023年5月29日月曜日
「早稲田大学探検部アマゾン川川下り事故に関する吉澤基勝先輩とのメールでのやり取り」
「早稲田大学探検部アマゾン川川下り事故に関する吉澤基勝先輩とのメールでのやり取り」
早稲田大学探検部OBの皆様
吉澤さん、東京に戻られたとのこと確認致しました。
神戸の地での貴重な経験を生かされ、今後のお仕事の糧にされていかれることを期待致します。
実は、僕らが30年前に遠征したインドブラマプトラ川川下りのことが昨年取材されまして記事になりました。
是非、早稲田大学探検部OBの皆様にも記事を読んでいただきたいと思います。
記事は以下のURLで読めます。
「インドブラマプトラ川川下り記事のきちんと翻訳されたものが出来上がったようなので、ブログに載せます」
https://www.ueharakazuaki.net/2021/02/blog-post_26.html?spref=tw
早稲田大学探検部関係者の皆様がインドブラマブトラ川川下りの記事をきちんと読んで下されば、
アマゾン川川下り事故のような凄惨な事故は起きないような気がします。
是非、早稲田大学探検部OBの皆様に記事をきちんと読んでいただき、
今後も早稲田大学探検部で取り返しのつかない事故が起きないように活動されていかれればと祈っています。
早稲田大学探検部OBとして早稲田大学探検部をしっかり見守っていくことが僕らに出来ることだと思っています。
きちんと仕事もしていない僕に対する反感の念もあるとは思いますが、
早稲田大学探検部OBの皆様には是非読んでいただきたい記事なので、URLを載せて皆様への返信とさせていただきます。
早稲田大学探検部OBの皆様
吉澤さん、記事をきちんと読んで下さりありがとうございます。
僕も良く出来た記事だと思っています。
早稲田大学探検部で活動する際にもとても参考になる記事だと僕は思っています。
エベレスト登頂経験のある八木原圀明さんが日本側隊長として率いられた隊の記事なので、
記事の説得力も増すと僕は思っています。
八木原さんは早稲田大学探検部ではありませんが、信用できる方だと僕は思っています。
早稲田大学探検部の後輩になる角幡唯介氏も八木原さんと一緒に活動をされていたようです。
早稲田大学探検部も日本ヒマラヤ協会に多くのことを学び、
今後の早稲田大学探検部の活動の糧にされていかかれば良いと思っています。
僕の方こそ、今後も早稲田大学探検部関係者の皆様方と懲りずにお付き合いしていただければ幸いと思っております。
吉澤さん以外にも早稲田大学探検部関係者の皆様の記事を読んでの感想などをいただければ僕も
メールに返信している甲斐があります。
早稲田大学探検部関係者の皆様からの記事を読んでの感想などをいただければ幸いです。
上原
2023年5月25日木曜日
「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」
「ヤップ島で出会ったデービスという若者へのインタビュー」
本名 David Chineg(25才)
1982年 ハイスクール卒業
2年間 ポナペの大学で教育学専攻
小学校の教師を志すが、教師過剰のため失業中
A:ハッキリと一般化することは出来ない。
私の意見は外国の影響のもと、伝統文化にしがみついている訳にはいかないだろう。
(質問を理解できなかったらしい)
A:15年後に完全にアメリカから独立するが、果たして本当に独立できるかは分からない。
A:それは分からない。しかし、独立することは素晴らしい
A:自然資源を利用するのも、アメリカの援助が必要だ。
A:イエス。勉強のため。
A:それしかないだろう。だが、好きなのは政治学だ。
A:知っているが、きらいだ。なぜなら、社会主義に民主主義は無いからだ。
A:知らない。
A:外国の影響のもと、生活様式は変わっていく。
おそらく近いうちに伝統文化は形骸化するであろう。
もう一歩、進んだ見地から見ると、アメリカの一部となるのではないだろうか。
例えば、1970年代には机も椅子も服も伝統的なものだった。
しかし、現在、1987年では、村の中でも西洋風のものはかなり目に付くようになった。
10年後にはとても多くの家で、そのような生活用品を使うようになるだろう。
A:腕時計。とにかく仕事が欲しい。
2023年5月14日日曜日
「ブログのページビュー数が76万ページビューを超えていた」
「ブログのページビュー数が76万ページビューを超えていた」
2023年5月12日金曜日
「ヤップ島の子供たち」
「ヤップ島の子供たち」
俺がヤップ島に行った時はちょうど夏休みだったので、子供たちは一日中家にいた。
彼らはアメリカ軍人にかなりあこがれているようだった。
又、彼らはとてもよく家の仕事をする。
親は子供に対しては厳しいようだった。
(例 7才の少年が海(リーフ)で泳ぎ出してしまったとき、ボートから降ろして、そのまま先に行ってしまった。もう夕暮れであった。その後どうなったかは分からない)
以上のような短い文書でしたが、ヤップ島の子供たちという文書がありました。
2023年5月9日火曜日
「2023年1月24日の浅井美香さんとのメールのやり取り」
「2023年1月24日の浅井美香さんとのメールのやり取り」
本日、郵便局で記帳してきたら、浅井さんからのカンパ1万円を確認しました。
1万円もカンパしていただき本当にありがとうございます。
浅井さんからの善意のカンパ1万円で、
早稲田大学探検部6期OBの故岩崎雅典さんの作品、
「福島 生きものの記録」のDVDを購入して鑑賞するつもりです。
DVDを鑑賞したら感想を書いて、ネットに公開するつもりです。
本当に本当に1万円もカンパしていただきありがとうございます。
浅井さんもコロナ禍で大変だと思いますが、
お身体に気をつけてお過ごし下さい。
学生時代にお世話になったお礼とお考えいただければと
思います。今、考えれば生意気なことばかり言っていました。
あの時代のことを誰かがまとめなければ、消えてしまうことを
上原さんがすべて記録してくださっているのです。
2023年5月8日月曜日
「2023年1月9日の浅井美香さんからのメール」
「2023年1月9日の浅井美香さんからのメール」
ブログを読んでいます。こんなにたくさん書いていらしたとは知りませんでした。大変な労力と思います。いろいろ思い出すこともたくさんあります。懐かしい写真も見つけました。今から思い出すと学生時代は良い日々だったなと思うことしきりです。もうあの頃に戻れないと思うとちょっと感情的になりそうです。
浅井さん、メールをくださりありがとうございます。
カンパに賛同してくださりありがとうございます。
実はブログだけではなく、
東日本大震災にあたって早稲田大学探検部関係者の書かれた著作や
その他、早稲田大学探検部関係者に勧められて読んだ東日本大震災、原発関連の本を
読むのがとても大変でした。
早稲田大学探検部関係者が原発に反対しているので、
僕も福島第一原発事故について法的視点からブログを書いていて、
そのブログを書くのにとても苦労しました。
経費が400万円以上というのは本当です。
浅井さんもコロナ禍で大変なようですが、可能な範囲でカンパしてくだされば幸いです。
もし、カンパをいただければ、大切に使わせていただきます。
ダメな先輩を持ち、後輩の方も苦労させてしまいますが、可能な範囲でカンパしてくだされば幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
2023年5月7日日曜日
「ヤップ島の女たち」
「ヤップ島の女たち」
ヤップの女たちのことを書いている文書には以下のようなことが書かれていました。
ヤップの女たち
女たちは、ふだんは何をしているかというと、日本同様家事である
家のそうじ、食事の用意、ハンドバックを編んだりしている。
ヤップ島の女性の編んだハンドバックはこちら
それが一段落すると、昼間でも昼寝をして、おしゃべりをしたりしている。
何かたわいもないことで、笑っているようである。
又、若い女は、恋にあこがれており、日本同様、いい男を探すことが一番の目的らしい。
彼女たちは、外国人に対してシャイであり、あまり話をしたがらなかった。
やはり、思春期というものは万国共通のものだろうか?
2023年5月5日金曜日
「ヤップでの生活 ある1日 漁」
「ヤップでの生活 ある1日 漁」
漁に行ったことを書いている文書でした。
ヤップでの生活 ある1日 漁
朝7時半起床。タロイモとバナナとココナッツの朝食を摂る。
9時にビットマップとともに漁に出かける。
船は長さ3~4mくらいの船で日本製のエンジンをつけている。
ゆっくりと20分ぐらい、進んだあと、深さ50㎝ぐらいのところで降りる。
そこに網を100メートル以上にわたって仕掛ける。
潮の満ち干きを利用して魚を捕るそうである。
網をかけ終わったのが、だいたい10時30分頃。
とにかく、仕事をするのが遅い。
これから何をするのかと思うと、網の長さが足りないところから魚が逃げないように、何度も往復している。
人間が泳ぐことによって魚が近づかないそうである。
俺は何もすることがないので、海に入り泳ぐ。
12時頃、家から持ってきたパンを食べさせてもらう。
陸から捕ってきたココナッツを飲む。
潮がかなり干き始め、魚が少しかかり始めた。
一匹、一匹、やすでさして、捕っている。
魚は30㎝~50㎝ぐらいで、大して大きくない。
太陽がSUN SUNと照りつけ、まことに暑い。
午後3時頃、暑さに耐えきれずに陸に上がり、木陰で昼寝をする。
彼らは、まだ飽きずに魚を捕っている。
午後4時半頃、完全に潮が干き、網をとる。
今日の魚の収穫は50匹程度だ。
午後5時半頃、ピットマックの家へ帰り、今捕ってきた魚を油で揚げて食べる。
なかなかうまい。
その後、ドラム缶の水で体を洗い、寝床に入ったのが午後9時半頃である。
蚊に攻め立てられ、眠れない。
暑くて汗が出てきて、眠れない。
とても地上の楽園とは思えない。
以上のような文書がありました。
ヤップ島での漁について行ったことを書いていたようです。
日本から見ると、ミクロネシアなどの南洋諸島とかは地上の楽園のように言われることあるようですが、実際に現地に行った人間(僕)からすると、とにかく暑くて、蚊も多く出て、寝苦しい地だったようです。
ヤップ島に関して書いていた文書が見つかったのでブログに載せます。
以上、「ヤップでの生活 ある1日 漁」
ブログに載せます。
2023年5月4日木曜日
「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」
3,4日前には受け取りました。
チベットに行ったきり、どうしていたかと心配していました。
まあ、カナダの川下りを楽しんでいたのだから安心しました。
私は、昨年、ヤップに行き、今年3月末にシンガポールとジョホールに行って来ました。
この方はさっぱり成果なし。
ただ、シンガポールは東洋では珍しく、多民族の国で驚きました。
此処も、じっくりと良いガイドと一緒に歩いたら面白いと思います。
7月20日から8日間、ミクロネシアのポナペ(ポンペイ)に行ってきました。
日本のエージェントの人もポナペのことは良く知らない人ですし、一般の旅行者相手の知識くらいですので、事前の準備がゼロで行ったものですから見事に失敗しました。
終わり頃に偶然のことから、日本にいて自動車の修理を習ったことのある青年と知り合い、(彼は兄貴と村で自動車の修理工場をしていた)、彼に案内してもらい、島を1周しました。
これでポナペの概要はつかめました。
エージェントのすすめてくれたホテル、ザヴィレッジ(米人経営)に泊まりました。
ポナペはミクロネシアのキャピタルですが、長い間、外国人支配者の根拠地でもあったので、ホテルは何軒もあり、米人経営のコテージ風の立派なホテルにもあります。
ザヴィレッジには殆ど日本人は泊まりません。
主に米国人です。
ポナペには日本人の経営するホテルもあります。(日本人は皆、此処に泊まる)
私は、日本人と会うのが嫌だったので、ザヴィレッジに3泊。
3泊はコロニアルのレインボーホテルに泊まりました。
レインボーホテルは2流くらいで日本のビジネスホテル級、此処は米国人、中国人、マレー人など、多彩でした。日本人は私のみ。
本で勉強した英語はさっぱり通用せず苦労しました。
ポナペはヤップよりは文明度は進んでいました。
それだけ貧富の差が大きく、これから問題が起きると思います。
島の人口は23000人、島の表と裏では文明度に格段の差がありました。
人口は表側に集中しており、裏側の人たちはなんらかの形でコロニアルと関係があるようです。
表側は自動車が多くびっくりしました。
コロニアルには流しのタクシーもあれば、タクシーは皆、無線でやっています。
市内は1ドルくらい。
ヤップのコロニアルとは大違いで、一応街並みの形はしています。
それと驚くべきことに洋品店の多いことです。
立派な店があります。
ポナペはナマンドールがありますので、観光客も来ています。
私は1日、村の中心人物(酋長ではない)の家で朝から夕方まで過ごし、彼らの生活ぶりを見てきました。
彼はマヌエルと言い、教会の牧師も兼ねています。
その村では上流の上の方ですので、一般の人の生活とは言えないようです。
主食はパンの実です。
朝は勤めに行く人以外は食べないようでした。
昼食かどうか判らないが、昼中には焼きバナナ、油揚げバナナなどを食べていました。
夜はパンの実と豚肉の石焼きでした。
それとシヤカオ。シヤカオ(ビンロウジュのこと 上原註)は木の根を石でたたきつぶし、その汁を水で薄めて飲むもので、アルコール分はなし、にごったどろどろしたものです。
決してうまいものではない。
これには神経を麻痺させる作用があり、それを楽しんでいるようです。
55歳以上の人は日本語を話しますが、話すと言うだけで、こみいったことは駄目。
ヤップの老人の方が日本語は上手い。
今回はそんな訳で、写真の方は失敗。
こちらの欲しい写真は殆どありません。
結局、ホテルの外人さんと一緒のツアーで踊りを見に行ったり、ナマンドールの巨石を見に行ったり、サンゴ礁を見に行ったりで終わってしまいました。
来年はヤップの方に行きたいし、今度は20日間位休んでウルシーに行ってきたいと計画しています。
ミクロネシア一本でとりついているとますます面白くなっていくようです。
とにかく元気で何よりです。
遊びに来て下さい。(土日で一泊で来ること)
今年はヤップから九州の博覧会にピットマップやガチヤパルの人達が来ましたし、ガアヤンも8月の初めごろ来ていたようです。
私の方には連絡が無く、会えませんでした。
そんなわけで、君のチベットの話を聞きたいと思っています。
ご両親によろしく。
釈さんには会っていません。
彼の事務所は大森の海岸通りの方のようです。
殆ど、ホームステイの専門になってしまったようです。
9月13日 清水正巳
以上のような文面の手紙をいただきました。
僕が早稲田大学探検部でミクロネシアヤップ島に行ってから、大学2年の時にチベットに行き、大学3年の時にカナダユーコン川川下りをしてカナダから清水さんに絵葉書を送った返事にいただいた手紙のようです。
僕もこの手紙を下さった清水さんとは話が合い、何度も連絡を取り合い、世田谷区深沢にある清水さんの家で、いろいろと語り合いました。
僕にとっては懐かしい思い出の手紙なのでブログに載せます。
以上、「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙 その2」
ブログに載せます。
2023年5月3日水曜日
「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」
「ヤップ島で出会った清水正巳さんからの手紙」
病気になってもおかしくない若者がうようよいるのに、君のように清潔な青年が病気になるなんて。
神様も信じられなくなった。
日本のこれからは大変な時代を迎えるので、君のような青年が必要なんだ。
元気になってください。
お見舞いに行きたいのだが、お母さんに病院を聞き損なってしまった。
(それ程、お母さんは気落ちしておられるようだった)
ヤップの話もしたいし、又、日本のことも話したい。
早く元気になってほしい。
ピットマップ氏が私に世田谷に住む大橋さんに渡してくれと頼まれたフィルムが1本あって、私のとついでに処理したら、あっと驚いた。
君が一番目に出てきた。
どのようないきさつのフィルムか判りませんが、踊りも出てきた。
一部、
同封しました。
私は南部のギリマン地区、西部海岸、マップ島、タマウ氏、ガギルビットマブ氏、ガヤン氏を訪れています。
ヤップの写真は200枚以上あります。
1枚1枚について君と語りたい。
三日間、ガイドはギリさんでした。
彼はアルコールの臭いはいけませんが、良いガイドでした。
日本語も通り一辺ではなく、心情を話すことも出来ましたので、三日間でヤップの認識は深まりました。
(19~25日まで7日間、島にいました)
もう一度行きたいのは、南部のギリマン地区、ファブ村長の村です。
ここでは何人かの主婦と顔なじみになっています。
とにかく早く元気になって下さい。
すべてはそれから。
女嫁からは早く見舞いに行けと叱られています。
大橋さんはまだ訪れていません。
大橋さんに会っていませんが、お父さんが昔、ヤップ島の先生をしていて、大橋さんはヤップで生まれ育った人とのこと。
君が元気なら、一緒に2人で訪問しようと思っていました。
とにかく元気になってよ。
何か必要な物があったら、電話してください。
届けます。
2023年5月1日月曜日
「4月は5万2936字入力していたようだ」
「4月は5万2936字入力していたようだ」