「8月は1日平均7950歩歩いていたようだ」
2022年8月31日水曜日
「8月は1日平均7950歩歩いていたようだ」
2022年8月29日月曜日
「母が入院した」
「母が入院した」
「救急車は何番だっけ」と僕に尋ねてきたので、
僕は「119番」と答えました。
すぐに父は119番に電話をしました。
しばくして家に電話がかかってきて、僕が電話を取りました。電話は救急車からでした。
「お母さんは何歳ですか?」と尋ねてきたので、
僕は
「85歳です」と答えました。
「脊柱管狭窄症で新宿メディカルセンターに通院しています」とも言いました。
そのようなやり取りをして電話を切り、しばらくすると救急車のサイレンの音が聞こえたので、僕は外に出て、救急車を待っていると、担架を抱えた救急救命士の方3人がやってきました。
救急救命士の方は、
僕は母の新宿メディカルセンターの診察券、保険証、お薬手帳を探して、すぐに見つかり、救急救命士の方に渡しました。
次に救急救命士の方3人は、2階に上がって母の様子を見ました。
血圧、体温を測っていました。
血圧は、上は140くらいあったようです。
体温は37度3分あったようです。
救急救命士の方は、
「新型コロナウィルスのワクチン4回目の接種はいつしましたか?」
と尋ねてきました。
正確な月日は分からなかったので、父が8月中に接種しましたと答えていました。
次に救急救命士の方は、新宿メディカルセンターに電話をして急患の医師と話をして医師に診察券IDを伝えたようです。
電話口からは、
医師の「主訴は何ですか?」という声も聞こえました。
電話で医師の承諾を得たようです。
そのようなやり取りをしてすぐに救急救命士の方は3人で、担架に母を乗せて、3カ所を固定して、担架から落ちないようにして、階段を降り、担架を乗せる台に担架を乗せて、救急車に乗り込みました。
付添人は父でした。
救急救命士の方の手際の良さに驚きました。
付添人の父が家に帰ってきたのは朝の5時頃でした。
僕は一睡もせずに父の帰宅を待っていました。
母は新宿メディカルセンターに入院することになりました。
母はコロナの検査もしたようですが、コロナは陰性だったようです。
入院して、様々な検査をしてみるらしいです。
現在は新型コロナウィルスが流行しているので、面会は禁止で、僕も父もお見舞いに行けません。
母が新宿メディカルセンターに入院したのでブログを書いておきます。
以上、「母が入院した」
ブログに載せます。
2022年8月27日土曜日
「4回目のワクチン接種をしてきた」
「4回目のワクチン接種をしてきた」
2022年8月22日月曜日
「訪問看護が家に来ることになった」
「訪問看護が家に来ることになった」
2022年8月20日土曜日
「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」
「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」
度々、上原です。早速、田村から河合にメールしたと報告がありました。
皆様で河合のことを思い出せない人間がいると思いますので、
みみづくにUFO探査に行った時の集合写真をスキャンしたので、JPEGファイルで添付して、
お送りします。
右から、2人目が河合です。
先程は河合圭介と書いてしまいしたが、正確には「河合圭祐」です。
訂正します。
20年前の写真ですが、河合のこと思い出して下さい。
上原
写真ありがとう。覚えてました。どこの合宿でだったか思い出せないですが、鉈か何かをうまくつかって、童顔なのに、えらく野性的な人という印象をもってます。愛知の山育ちの彼ですよね。
うえどんから書留で送っていただいたお金は、なんとなく手をつけずにそのままにしてあったので、その中からいくらかをカンパしようと思ってます。
斉藤
2022年8月13日土曜日
「ブログのページビュー数が70万ページビューを超えていた」
「ブログのページビュー数が70万ページビューを超えていた」
2022年8月8日月曜日
「銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから届いたメール」
「銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから届いたメール」
とても良く書かれているメールなのでブログに載せたいと思います。
加藤竜一さんからのメールは以下のようなものでした。
上原さん、こんばんは。加藤です。お疲れさまです。今日は午前中に散髪に行って午後はジュンク堂書店に行って来ました。新刊を2冊読みました。1つはホリエモンの「ネットがつながらなかったので仕方なく本を100冊読んで考えた」です。ホリエモンが刑務所に入って読んだ本等を紹介する本でネットが出来ない事で読書をして自分の頭の中はこんなに自由である事に気付いたそうです。もう1冊は稲盛和夫の「燃える闘魂」です。日本航空を建て直した話等最高経営者の魂に触れた様な気がします。闘魂注入の1冊です。ここで私が何故統合失調症になったか話します。大学を卒業して明光商会に入社しました。社名よりMSシュレッターの方が有名な会社でした。配属は人事部でした。普通メーカーに就職すると営業職ですが研修等を経て人事部に配属されました。仕事も覚える事等も多く営業職より大変でした。人事部に20代の女子社員はいましたが男性社員で20代は私だけで皆30代以上でした。皆営業畑を経てから人事等に移動するからです。営業ではないのでノルマは無いものの激務を極めました。20時頃に「今日会議」等と言われて日付が変わる事もざらでした。電車がなくなるとタクシー代が支給されるので良くタクシー帰りになりました。私の頃はノミニケーション等と言って上司との酒の付き合いもざらでした。勤めているうちに「ストレス」がたまり当時は付き合っている彼女が心の支えでした。そういった生活が数年続き私の限界に来ました。幻聴が聞こえ始め不眠に陥りました。墨東病院の神経科を受診しました。医者と1時間くらい話すと入院してくれと言われました。幻聴と不眠が続いたからです。手続きをして入院して薬物治療となりました。担当医の処方してくれた薬を飲むと眠れる様になり次第に幻聴も聞こえなくなりました。それでも神経科に3ヶ月入院しました。仕事は勿論退職しました。薬は服用していたものの元気を取り戻したので墨東病院のDC(デイケア)に出ました。スポーツをしたり映画を観たり軽作業などをしていました。私の担当医もDCに出ていたので私の様子を見てお寺の掃除か玉の肌石鹸か作業所で働かないかといわれました。玉の肌石鹸というのは精神障害者にとても理解のある会社で多くの精神障害者が働いていて担当医がそこなら紹介出来るとの事でした。当時はお寺て働くのも嫌で企業に属するのも嫌で作業所を選びました。作業所と返答すると銀杏企画を紹介されました。結局4年間お世話になる事になりましたが4年間を無駄に過ごさない様にしようと思いました。銀杏企画は工賃は安いものの様々なアルバイトをさせてくれました。年に3回区役所のバイトをさせてくれました。リアライズのバイトもさせてくれました。私が入所する前は職員の丸山さんがしているものもありました。用賀のバイトは夏冬共に高村さんと皆勤しました。本郷にある新山社と言う書店でも毎週バイトがありました。他にも私が在籍していた頃には色々なバイトがあり職員の丸山さんと豊田さんが私を指名してくれました。工賃は月1万5千円程でしたが財布は大分潤っていました。銀杏企画に入り鈴木さんと早川さんがとても人格者に見えて小池君と共に仲良くなりました。鈴木さんと仲良くなるとサードの菊池さんや東城さんとも仲良くなりました。4人で金曜会を結成しました。金曜の夜に菊池さんがサラリーマン時代から通っている飲み屋があるとの事で毎週7時から11時まで飲んでいました。飲み屋に通っていると色々な人と親しくなりました。ゴルフを始めるきっかけもこの飲み屋でやりたいと言い始めてゴルフをし始めました。演劇などをしている女性もいたので芝居を観にいったり野球観戦にいったりもしました。一方小池君とも親しくなり毎週上野のカラオケBOXに通ってカラオケに腕を磨きました。日曜でしたが移動手段は自転車でした。お台場辺りまでは良く自転車で行きました。サードの高橋さんや根本さんとも仲良くなり家に泊まりに行く仲になりました。高橋さんの趣味がキャンプと分かりファーストの泉谷君と東城さんと4人でゴールデンウイークにキャンプに行く様になりました。これで銀杏の旅行と高橋さん達と行くキャンプと小池君とお盆休みに行く旅行で年3回旅行に行く様になりました。工賃とアルバイトのお金で十分、銀杏企画の4年間は過ごす事は出来ました。サードの嶋田さんとも仲が良かったので嶋田さんがコンビニで働いた経験がある事を知りました。私も銀杏に別れを告げてコンビニで働く様になりました。まさかこんなに長くコンビニで働くとは思いませんでしたが今も続いています。その間にお酒の席やゴルフ等で友達も増えて趣味も広がりました。コンビニで働く様になってからも鈴木さんや新井さんや東城さんともキャバクラに行ったりしていました。話は元に戻りますが私が発病したのも「ストレス」によるものです。銀杏ではストレスも無く過ごす事が出来て今の基盤を作りました。今は話してはいませんが銀杏の4年間も色々ありました。コンビニでも時給1000円貰っていますからストレスもたまりますが趣味や楽しみで発散してしまいます。今はコンビニもマスターしたのでスーパーに移ろうと考えています。コンビニ業務は全部出来るのでいい店長を見付けてコンビニのオーナーになる事も考えましたが直接コンビニのオーナーに話を聞いてみると細かいお金の計算やバイトの面接等細かい事も沢山あって大変と知りました。ただドンと構えていればいいものではありません。読書は学生時代からの趣味ですが健康おたくになったのも病気になったので健康に気遣う様になりました。元々タバコは吸わないのでストレスをためない事に気を付ければ検診を受けても何処にも異常の無い身体になれます。ここ15年くらいを簡単に話ましたが一度も調子を崩さず健康でいられたのも「ストレス」をためなかったからだと思います。趣味も多かった事も良かったと思っています。友人が増えたのもお酒やゴルフのおかげだと思っています。人生何が幸いするか分かりません。あのまま無理して仕事を続けていたらもっと病気が重くなり働けなかったかもしれません。ハートネットTV等を観ても分かりますが企業に勤めてもうつ病になったり統合失調症になったり過労死したり体調を崩す人がいますが早くに病院に通い薬を服用すればまた働く事も出来ますし趣味をたのしむ事も出来ます。ストレスと関係の無い生活が出来ます。100人いれば100通りの生き方があります。あまりにも生きづらい生き方をしている人が多すぎます。もっと良い意味で賢く生きるべきだと思います。私達が生きている間は高度経済成長もバブルも来ないでしょう。出世や社会的立場にとらわれずストレスの無い快適な生活をするべきだと思います。人により価値観が違うので考え方は人それぞれです。長くなりましたが私の経験や考え方を話してみました。ではまたです。
以上が僕が銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから僕のメールアドレスに届いたメールです。
自分が何故、発病したのかも分かり易く書かれています。
銀杏企画でのエピソードなども良く書かれていると思います。
心の病気(うつ病や統合失調症)の方々に是非読んでいただきたい文章です。
これだけまとまった内容の文章を書いてメールを送ってくる能力があれば、精神障害者作業所の外に出ても働けると思います。
2022年8月4日木曜日
「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」
「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」