「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」
自然は美しい!私はそのたぐいなき美と力を私の写真で万人が共感するものにしたいと努めてきた。人工の色や奇を衒ったひとりよがりの写真は、それを創った神への冒涜である。私はいつもその神への感謝と、歓びを以って大自然に対している。
「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」
自然は美しい!私はそのたぐいなき美と力を私の写真で万人が共感するものにしたいと努めてきた。人工の色や奇を衒ったひとりよがりの写真は、それを創った神への冒涜である。私はいつもその神への感謝と、歓びを以って大自然に対している。
「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」
僕がインドブラマプトラ川川下りに行って、取材クルーを出していたフジテレビの番組が出来上がって、フジテレビに行った際に土屋健に偶然会いました。
土屋健とは、僕が早稲田大学探検部1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島に行って、帰国してから急性肝炎を発症して(ウィルス性の肝炎です、A型肝炎です、経口感染です。ミクロネシアで慣れないものを食べたので、ウィルス性の肝炎に罹りました)東京厚生年金病院に2ヶ月半くらい入院した際に、お見舞いに来てくれた本当に心優しい人間です。(その他にも、早稲田大学探検部の一つ上の先輩、吉澤基勝さん、僕と同期の後藤健介もお見舞いに来てくれました。)
土屋健にインドブラマプトラ川川下りに同行して取材したフジテレビの番組が出来上がった際に、当時、新宿区河田町にあったフジテレビで偶然会ったことをブログに書いておきます。
以上、「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」
「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」
八嶋さん(八嶋寛さん)については、八嶋さんは長く銀行に勤めていて仕事を辞めてヒマラヤ登山をしていた人で、八嶋さんは、仕事を辞めないと一人前と言えないと言っていたとか話しました。
「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」
僕も白山さんの、褒め言葉、
「面白い、面白い」という言葉にうれしくなり、
白山さんを僕が若い頃に住んでいたアパート、新宿区戸山にあるワカサ荘に案内したことがありました。
白山さんは、僕の住んでいたアパートを見て、
「こんなアパートに住んでいたの?」
と言って、ますます、面白がっていました。
僕が銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがあることをブログに書いておきます。
以上、「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」
「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」
「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」
「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」
という病気のことらしいです。
伊東謙治が当時、「仮面うつ病」だったのか分かりませんが、心の病気の人は僕だけでなく世の中には多くいるということを言いたかったのだと思います。
僕が統合失調症になってから、早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治から
「仮面うつ病の人もたくさんいるんですよ」と言われていたことをブログに書いておきます。
以上、「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」
ブログに載せます。
「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」
僕は、早稲田大学探検部時代は、様々なバイトをしていました。
焼き肉屋さんのバイトとか、高原野菜の収穫のバイトとか、貯水槽の清掃のバイトとか、早稲田大学の近所の喫茶店でのバイトとか、焼鳥屋さんでのバイトとか、サトウキビの収穫のバイトとか、築地の寿司屋さんでのバイトとか、上野の同伴喫茶でのバイトとか、川崎駅前での道路清掃のバイトとか、ビルの建築現場でのバイトとか、様々なアルバイトをしていました。
そのような僕のことを戸崎さんが知っていたのか分かりませんが、
「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われました。
僕が早稲田大学を卒業してからも、会社勤めも長く続かずに、会社を辞めては転職し、様々な職を転々としていることを考えると、戸崎さんの仰っていたことも今となっては僕の悪い部分を言い当てていたのだと思います。
大学時代からきちんと腰を据えて、一つのバイトをしているのが良いのだと思います。
大学時代だからあれもしてみたいこれもしてみたいという気持ちで、様々なアルバイトをしましたが、先輩から見ると、
「バイトするなら一つのバイトをしろ」という言葉が出たのだと思います。
大学時代から一つのバイトを長く続けることによって、大学卒業後も一つの仕事を長く続けられるようになるのだと思います。
僕が早稲田大学探検部時代の4つ上の先輩、戸崎さんから、
「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われていたことをブログに書いておきます。
以上、「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」
「早稲田大学探検部時代に探検部員の前で歌っていた歌、BOW!」
歌詞もネットにありました。
以下のような歌詞です。
否が応でも社会にのみ込まれてしまうものさ
若さにまかせ挑んでいくドンキホーテたちは
世の中のモラルをひとつ飲み込んだだけで
ひとつ崩れひとつ崩れすべて壊れてしまうものなのさ
あいつは言っていたね サラリーマンにはなりたかねえ
朝夕のラッシュアワー 酒びたりの中年たち
ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃNONO
救われないこれが俺たちの明日ならば
午後4時の工場のサイレンが鳴る
心の中の狼が叫ぶよ
鉄を喰え飢えた狼よ
死んでもブタには喰いつくな
夢を語って過ごした夜が明けると
逃げ出せない渦が日の出とともにやってくる
中卒・高卒・中退 学歴がやけに目につく
愛よりも夢よりも金で買える自由が欲しいのかい
午後4時の工場のサイレンが鳴る心の中の狼が叫ぶよ
鉄を喰え飢えた狼よ
死んでもブタには喰いつくな
鉄を喰え飢えた狼よ
死んでもブタには喰いつくな
以上のような尾崎豊の歌詞です。
僕もこの尾崎豊の作った歌を探検部員の前で歌っていました。
僕も当時は早稲田大学探検部に在籍していて、夢もあったし、自分の人生を賭けるような夢があったのだと思います。
しかしながら、早稲田大学を卒業して、社会に出ると、尾崎豊の作った歌詞の通り、社会に飲み込まれてしまい、仕事仕事で夢を語ることもなく、ただ、日々の生活の糧を得るための仕事のために時間を費やし、気晴らしは酒を飲んだり、タバコを吸ったりすることだけです。
僕も現在の若者たちからすれば、酒びたりの中年たち(僕は酒はほとんど飲みませんが、タバコは吸っています)と同列の人間になるのだと思います。
今の若者たちが尾崎豊の「BOW!」を歌えるか分かりませんが、若いからこそ出来ることがあると僕は思っています。
自分たちの若さを生かして、若さにまかせ挑んでいくドンキホーテのような人間が早稲田大学探検部にもいることを僕は祈っています。
以上、「早稲田大学探検部時代に探検部の飲み会で歌っていた歌、BOW!」
ブログに載せます。
「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」
「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」
三菱製紙に就職された方が研修のために来ることはないのかなと言って、盛んに話をしていました。
三菱製紙に就職された方とは、東京外語大学の文化祭を一緒に見に行ったこともありました。
もう何十年も会っていませんが、中学校時代の同期生のことを思い出したのでブログを書いておきます。
以上、「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」
「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」
一方で僕は2011年の3月11日に起きた東日本大震災を経験して、福島原発事故のことについて東電の刑事的法的責任を問う、「刑法刑事訴訟法と福島原発事故」というブログも書いています。
僕が法学部卒を名乗る限り、水は去ることになるのだと思います。
このまま、僕が早稲田大学法学部時代に勉強した刑法の知識を生かして、福島原発事故のことを考えていくのか、僕が早稲田大学探検部時代に経験したインドブラマプトラ川川下りのことを思い出して早稲田大学探検部のことを考えていくのか僕の残り少ない人生の分かれ道だと思っています。