「紫藤クリニック カウンセリング カナダ・ユーコン川川下り」
昨年、自分の部屋の大掃除をしていたら、僕が統合失調症と診断されてから、僕が通院し始めた紫藤クリニックでのカウンセリングの際の書類が見つかりました。
僕が31歳の頃に書いていた文書です。
書類には紫藤クリニックでのカウンセリングの際に、女性の心理士の先生にカウンセリングの際の参考になるように僕が書いた書類がありました。
僕の書いた書類を女性の心理士の先生に読んでいただき、カウンセリングを受けたようです。
かなり、恥ずかしいことも書かれていますが、心の病気の診療に参考になると思うのでブログに載せていきたいと思います。
紫藤クリ二ックでのカウンセリングの際書類、その10、書類のタイトルは「大学1~3年(19才~22才)(サークル・バイト編)4」というタイトルでした。
以下のようなことが書かれていました。
『カナダ・ユーコン川川下り』
大学3年の時には同期の4人と一つ下の女子と5人で夏にカナダの北西部あるユーコン川の川下りをゴムボートで行いました。
このときも副隊長でした。私、上原和明は、
「ユーコン川の流域には先住民のインディアンが一定の居住区に住まわされていて、鮭を捕ったり、民芸品を売ったりして生活していました。」
「私たちに捕った鮭を分けてくれたりしてくれて親切でしたが、うつろな目をした人が多く、又、自殺も多いらしく、白人の価値観に疑問を持ちました。」
私たちも白人の方に
河下り自体は激流部もなく、佐野元春さんのアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されている「約束の橋」の音楽をラジカセで流して(中谷敏夫さん)
ルアーで釣り(ルアーフィッシング)をしたり(松田泰さん)、 ムニエルの料理を作っていたり(浅井美香さん)していました。
ユーコン川川下りではビーバーに出くわしたり、遠い岸を闊歩する大きなグリズリーという熊を見られたりの楽しい旅でした。リバーサーフィンをしたりしていました。 (桜井誠人さん)
夜になるとオーロラが現れ、又、白夜に近い状態も経験し、これも楽しい思い出になりました。
私自身は探検部では楽しませてもらいましたが、きちんとした視点に立った報告書を出せるような活動は結局出来ず、又、特別な役職に就くこともありませんでした。
2年からは飲み会の幹事を任されるようになり、有能でちょっと自分勝手な人間が多い個性派集団のまとめ役のような存在になり、又、良くバイトばかりしていたので、
“形而下の幹事長”
“影の幹事長”
“探検部三軍(落ちこぼれ軍団)幹事長”
などとも言われていました。
この他、探検部では日本各地の山登りや、川下りなどさまざまな活動をし、又、バイトや旅をしていろんな体験をしたり、様々な人々に出会えたりしましたが、大学の成績は悪かったです。
女性と交際することは出来ず、彼女は出来ませんでしたが、自分では大学3年までは好きなことが出来た楽しい学生生活だったと思っています。
親からも
「和明は好きなことが出来て幸せだ。いつ死んでもいいだろう」
と嫌味半分、冗談半分に言われていました。
以上が、紫藤クリニックでのカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた書類です。
この文書を読んでみると、僕が早稲田大学探検部3年生の時にカナダのユーコン川川下りに行ったことが書かれています。
オーロラが見られたり、白夜を体験したりすることの出来た川下りで、この文書を読んでみるとカナダユーコン川川下りは楽しい活動だったようです。
ただ、僕は早大探検部の伝統を持っていて、カナダユーコン川流域の一定の居留区に住む先住民のインディアンのことが書かれています。
うつろな目をした人が多く、自殺が多く、白人の価値観に疑問を持っていることも書かれています。
僕が真面目に何かを考え、何かを見ようとしていたことが分かる文書だと思います。
この文書を読む限りでは、僕は探検部の活動中も真面目に物事を考え、真面目に物事を見ようとしていたことが分かる文書だと思いました。
以上、「紫藤クリニック カウンセリング カナダ・ユーコン川川下り」
ブログに載せます。
僕がカナダ・ユーコン川川下りについて書いているブログはこちら
「カナダ、イヌビックでバーテンをしている方からいただいた絵葉書」
「高田馬場ニューヨーカーズカフェに見た いいとこ住んでるわね」
ブリティシュコロンビア大学( The University of British Columbia UBC)の思い出。
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