「早稲田大学探検部関係者に気づいて欲しいこと」
僕は僕の3月31日のツイート、インドブラマブトラ川川下りの記事で僕のTwitterを固定しています。
僕は是非、インドブラマブトラ川川下りの記事を早稲田大学探検部関係者に読んでいただきたいと思い、Twitterを僕の早稲田大学探検部OB番号、33-01をイメージして、3月31日のツイートで僕のTwitterを固定しています。
インドブラマブトラ川川下りの記事をきちんと読んで下さった方は分かると思いますが、インドブラマブトラ川川下りは、インド人の二人の若いガイドの舵取りにその命運は任されていました。今は亡きクマールと今でも存命中のマイラという二人の若いインド人ラフティングガイドに僕らインドブラマブトラ川川下り隊の命運は任されていました。
若いラフティングガイドの一人であったクマール氏は、2020年9月に予期せぬ心停止で亡くなってしまったとのことです。僕も心よりご冥福をお祈り致します。僕の亡くなってしまったクマール氏の思い出は、僕がインドブラマプトラ川下りをしていて、僕がインドブラマブトラ川沿いの人々たちと交流し僕が考え事をしていて、目の下に大きなクマが出来ていたときに、僕の目の下の大きなクマを見つけて、そのことを指摘して、「サッカーでもやらないか」と誘われ、インド側隊員とサッカーをしたことが僕の思い出になっています。僕は早稲田大学探検部では、外国に行ったらどのような視点で物事を見るかを考えていたので、目の下に大きなクマが出来るほど、何かを考えていたのだと思います。
僕らが下ったインドブラマブトラ川川下りとは、当時は世界中で誰も下ったことのない箇所の川下りで僕らが下った後には、誰も川下りを行っていない箇所の川下りでした。参考になる文献などもほとんどなかったようです。
若いインド人ラフティングガイドである、マイラ氏の、日記だけが頼りになる文献で、若いインド人ラフティングガイドのマイラ氏の日記をもとにインドブラマブトラ川川下りが行われたと言っても過言ではないと僕は思っています。
僕もマイラ氏のことはよく覚えていて、当時から紳士で、とても冷静で、ブラマブトラ川川下りの際も、僕らパドラーにきつく何かを言うこともなかったし、冷静で的確な指示を僕らパドラーに出していました。
若いインド人ラフティングガイド、クマール氏とマイラ氏がいなかったら、インドブラマブトラ川下りなど出来なかったと今では僕は思っています。
僕は早稲田大学探検部では海外の活動は、1年生の時にミクロネシアに行き、外国に行ってどう現地の人たちに溶け込んでいくか、どのような視点で物事を見るかの目が養われました。
2年生の時には、チベットのカイラス山に行き、チベットの聖地、聖山であるカイラス山の周りの巡礼路約52キロを歩いて、チベットの方々の厚い信仰心を感じ取りました。
3年生の時にはカナダのユーコン川川下りを行い、外国の大河である、ユーコン川を漕ぎ下って外国での大河のラフティングを経験しました。
4年生の時に、僕にとっての早稲田大学探検部での活動の集大成になるとも思われる、インドブラマブトラ川川下りに参加しました。
僕が早稲田大学探検部関係者の方々に気づいて欲しいことは、早稲田大学探検部在籍中に出来ることは限られていて自分の経験、自分の能力の範囲で出来ることを考えるのが良いということです。
僕は早稲田大学探検部の活動は自分の経験、自分の持っている能力の範囲内で自分の出来る活動を行うのが良いと思っています。
誰かがものすごい活動をしているから、自分もすごい活動をしたいとか考えずに、自分たちの能力を見極め、自分の出来る活動をしていくのが良いと思っています。
自分の背丈以上の身の丈に合わない活動をしょうとすると僕は、早稲田探検部は失敗してしまうと思っています。
自分の身の丈に合った活動を地道に重ね、自分の身の丈に合った地道な活動の集大成の活動が他人から見ると、すごい活動のように見えることになるのだと思います。
僕が早稲田大学探検部関係者に気づいて欲しいことは、自分の背丈以上の身の丈に合わない活動をすることなく、自分の身の丈に合った自分の出来る活動を地道にしていって欲しいということです。
僕が早稲田大学探検部関係者に気づいて欲しいことをブログに書いておきます。
以上、「早稲田大学探検部関係者に気づいて欲しいこと」
ブログに載せます。
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