「水のことを書く危険性」
僕は昔、インドブラマブトラ川川下りに参加し、日本ヒマラヤ協会の報告書、「神の河 ブラマブトラの激流を下る」の中で、「ブラマの水の味」という文章を書いています。
僕は本当にインドブラマブトラ川川下りの際に、大きな波に突っ込んでいきブラマブトラ川に投げ出され、ブラマブトラ川の水を大量に飲んだので、そのときのことが一番記憶に残っていたので、水のこと、「ブラマの水の味」という文章を書きました。
僕の書いた文章を読んで、「水に味なんてあるの?」とか思う人も多いと僕は思っています。
水は化学的にはH₂Oという化学式で説明できるものだと考えている人も多いと僕は思っています。
確かに水は化学的には、H₂Oという化学式で説明できて、世界共通でH₂Oという化学式で説明できるものだと考えている人も多いと僕は思っています。
ただ人間には化学だけでは説明できない五感があり、ある人間にとっては川の水を飲んで、そこから何かを感じ取る力があると僕は思っています。
学校で勉強した水の化学式、H₂Oだけでしか、水を捉えられない人間は、僕は想像力が貧困で、イマジネーションが無いと思っています。
早稲田大学探検部関係者の中には、水のことを考えると、「水商売」とかを想起し、飲み屋とかバーとかクラブとか酒類を提供する「水商売」のことを想起する方々もいるようです。
水から「水商売」を想起する方々も僕は発想が貧困だと思っています。
僕の書いたインドブラマブトラ川川下りの日本ヒマラヤ協会の報告書、「神の河 ブラマブトラの激流を下る」の中の「ブラマの水の味」を読んで何を想起するかで、その人の人となりが分かってくると僕は思っています。
僕が「ブラマの水の味」を書いたときは、水のことを書く危険性をよく考えないで、水のことを書いていたと思います。
僕も自分が30年前に書いた「ブラマの水の味」という文章を自分で読み返していて、僕の書いた文章から、様々なことを想起する人がいるだろうと思っています。
僕は良く考えずに、水のこと、「ブラマの水の味」という文章を書きましたが、水のことを書くのは危険を伴うものであることも今では感じています。
以上、「水のことを書く危険性」
ブログに載せます。
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