「早稲田大学探検部の先輩になる萩尾信也さんからメールが来た」
昨日、毎日新聞に勤務されていた萩尾信也さんからメールが届きました。
メールには良いことが書かれているのでブログに載せたいと思います。
萩尾さんからのメールは以下のようなメールでした。
前略。3月末日をもちまして、毎日新聞社を退社いたしました。
知識も筆力も至らぬ私が、記者を続けられたことは、毎日新聞というおおらかな会社と、個性豊かな先輩や同僚諸氏、取材等で知己を得た方々のおかげです。この場を借りて、御礼申し上げます。
今後も、客員編集委員として記事を書く機会があるかもしれません。これまで同様のお付き合いを願います。
思い起こせば、入社試験の面接で、「君は何をテーマにしていきたいのか」と問われ、臆面もなく、「人間を探求したい」と答えました。
40余年の記者生活で、迷宮は深まるばかりです。とはいえ、それが私の原点であり、探求の旅は、生の際まで続くと思います。
やりたいこと、行きたいところ、会いたい方々は、数え切れません。体力の続く限り、神出鬼没で歩き回ります。姿を見かけたら、声をかけてください。
萩尾信也
今後は、夏場は、少年時代を過ごした岩手県釜石市で、シーカヤックの店「MESA」を経営する友人の手伝いながら、イワナ釣りや登山を満喫するつもりです。また、地元の仲間たちと忘れ去られつつある三陸の人々の営みや歴史の掘り起こしもしたいと思います。
MESAは、海辺にある小さな店で、震災で流され、昨春、再建されました。2段ベッドに宿泊も出来ます。ぜひ、遊びに来てください。
5月は、黒姫のアファンの森にこもり、故CWニコルさんの著書や資料と格闘します。アファン財団から「ニックの人生を書き残せないか」と、声をかけていただき、少しでも大兄に恩返しができればと考えています。
以上のようなメールをいただきました。
毎日新聞の敏腕記者として多くの良い仕事をされ、毎日新聞を定年の65歳まで勤め上げられたようです。
僕は早稲田大学探検部の偉大な先輩になる萩尾さんのことは尊敬していますが、僕と萩尾さんとの会話の思い出は、萩尾さんのご自宅に早稲田大学探検部の僕の二つ上の先輩の高野秀行さんと遊びに行き、萩尾さん宅でお酒を飲み、僕の恥ずかしい話を萩尾さんに探り出されたことです。萩尾さんはプロの新聞記者だけあって、他人の恥ずかしい話を探り出すのはお手の物です。僕は記事を書いたり、本を書いたりする萩尾さんのことは尊敬していますが、職業病というか、早稲田大学探検部の後輩になる僕の恥ずかしい話まで探り出されたことが僕の萩尾さんの思い出です。萩尾さんの「人間の探求」の姿勢が、僕の恥ずかしい話まで探り出したようです。
僕は記事なり本なりの文章を書くことについても個人的には、文章を書いて生きていくなら、新聞社という枠に囚われずに、フリーになるなりして自分の主張を書いていけば良いと思っています。
毎日新聞も朝日新聞とともに日本の言論界では左を気取っていますが、東京オリンピックの協力企業になっています。
僕は毎日新聞も支持してしないし、萩尾さんのことも支持していません。
僕は会社組織とか関係なくブログを書いているので、毎日新聞社の方々のことも萩尾さんのことも支持していません。
僕は萩尾さんのメールに対する返信のメールで、
「今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
と返信しましたが、僕は個人的にブログを書いている人間で、僕は萩尾さんの下でブログを書いていこうとは思っていません。
萩尾さんと僕では意見も違えば、学んできたものも大きく違います。
僕と萩尾さんが合わないことが分かります。
僕は萩尾さんと一緒に何かしようとも思っていないし、萩尾さんの下でブログを書こうとも思っていません。
昨日は毎日新聞の敏腕記者だった萩尾信也さんからメールが届いたので、萩尾さんからのメールをブログに掲載するとともに、僕の萩尾さんに対する思いも書いておきます。
以上、「早稲田大学探検部の先輩になる萩尾信也さんからメールが来た」
ブログに載せます。
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