2016年6月30日木曜日

「茗荷谷のジンジャーエールの味」

「茗荷谷のジンジャーエールの味」

 先日、最近、僕が活動をしている地域である茗荷谷でジンジャーエールを飲みました。

 茗荷谷というくらいですから、もう少し早くジンジャーエールを飲んでいていても良かったのかなと思いますが、先日、初めて飲みました。

 茗荷谷界隈でジンジャーエールを飲める店は少ないようで、カフェにも置いてないし、ファミレスにも置いていないし、僕が入るような店にはジンジャーエールは置いていなかったです。

先日、思い切ってMOSバーガーに入ったら、メニューにジンジャーエールがあったので、注文して、ジンジャーエールを飲んでみました。

飲み心地は、炭酸飲料でありながら、炭酸が強くなくて、ジンジャー(しょうが)の風味が効いていて飲みごたえのある飲み物でした。

MOSバーガーでジンジャーエールを飲んでから、ネットでジンジャーエールについて調べてみました。

ジンジャーエールとは、カナダ人が作った飲料のようです。

僕も学生時代にカナダに行ったことがあり、カナダのバンクーバーとか、エドモントン、バンフなどの街にも行きました。

カナダは、森が多くてまるでカナダの人々は森の中に住んでいるようでした。

カナダの人々はナチュラリストの方が多くて自然と共生して生活している方も多くおおらかな感じの人が多かったような気がします。

探検・冒険活動をするにはうってつけの国で、ユーコン川、マッケンジー川など、大きな川もあるし、カナディアンロッキーもあります。

僕が学生時代にカナダに行ったときは、カナダでカナダドライジンジャーエールは飲まなかったと思いますが(ユーコン川川下り中にはハイネケンビールとか飲んでいたと思います)、ようやく、最近になって、地元の茗荷谷のMOSバーガーでジンジャーエールを飲みました。

僕は、インドのプラマプトラ川に川下りに行ったときに、川下り隊員報告として、「プラマの水の味」という感想のような報告を書いていて、自分が飲んだものの味について書くことはその後の人生でも多々ありました。

地元の茗荷谷で飲んだジンジャーエールの味は、炭酸とジンジャーの風味が効いていて、ハンバーガーをもう少し食べてみようかと言うような味がしました。

プラマプトラ川川下りの際に、プラマプトラ川に落ちた際に飲んだ、プラマプトラ川の川の水の味は何か恐怖感を感じさせる味でしたが、先日、地元、茗荷谷のMOSバーガーで飲んだジンジャーエールの味は、ジンジャー(しょうが)の風味が効いていて、なおかつ炭酸飲料で、水ではなく、ジンジャーの風味を効かせた炭酸飲料を良く考えて作っていて、食がすすむような味でした。

茗荷谷というくらいですから、みょうがをベースにした飲み物もあっても良いとは思いますが、茗荷谷のMOSバーガーにはしょうがをベースにした飲み物があったので、ジンジャーエールを飲みました。

みょうがとしょうがの見分け方はこちら→http://nanisore-club.com/myouga-syouga-6455

ミョウガが妹香で、しょうがが兄香というくらいですから、兄と妹の関係の例えになっているようです。

妹香(みょうが)の地、茗荷谷で兄香(しょうが)ベースの飲料を飲んだので、これからは僕も綺麗で美しいミョウガのような女性から頼りにされる偉い兄貴のような男になれることを目指して、奮闘していきたいと思いました。

以上、「茗荷谷のジンジャーエールの味」

ブログに載せます。



















2016年6月29日水曜日

「横浜中華街の行事の思い出 チャイナドレス」

「横浜中華街の行事の思い出 チャイナドレス」

 僕が、文京区の障害者福祉施設、銀杏企画セカンドに在籍していた頃に、横浜中華街を散策する行事がありました。

 横浜で、シーバスに乗ったり、中華街で中華料理を食べたりする行事でした。

 横浜の中華街は僕も行ったことはありましたが、福祉施設での横浜中華街散策も楽しかったです。

 中華街で、中華料理を食べることが一番の目的ですが、中華料理を食べる以外にも楽しいことが多くありました。

行事の中にあった、シーバスに乗っている時の、川からの眺めが良くて、さわやかな風を感じて、とても気分が良かったことを覚えています。

 心の病気の方々に社会復帰を促すのも良いことかと思いますが、心の病気が重い方には、社会復帰だけでなく、まずは、良い風景を見たり、さわやかな風を感じたりする経験も大事かと思います。

 横浜中華街の散策の行事は、心の病気の方々を癒してくださる行事だったと思います。

 横華中華街の行事の際に今でも覚えていることに、以前もブログに書いた、O職員さんの行動がありました。

僕が何故、O職員さんの行動を覚えているかと言うと、O職員さんが、横浜の中華街で、チャイナドレスを試着している様子を目撃してしまったからです。

 当時からO職員さんは、綺麗な美しい方で、施設利用者の僕から見てもとても魅力的な女性に見えていました。

 その、気になっていた、O職員さんが、横浜中華街で、チャイナドレスを試着している光景を目撃してしまったので、その光景は僕の記憶に残りました。

 現在でも、そのことを覚えているとは、強烈で印象的な光景だったのだと思います。

 心の状態が悪い時に見る、良い風景とか、さわやかな風とか、綺麗な美しい女性のチャイナドレスの姿とか、本当に心の病気を癒すには良いと思います。

 先日もブログに書きましたが、施設を利用するメンバーさんも良い時の職員さんの記憶を持ち続けたいものです。(現在でも良いと思いますが)

 僕が横浜中華街散策の際に目撃したO職員さんのチャイナドレスを試着している光景は僕の記憶の中に残り続けているのでその時の記憶で、綺麗で美しいO職員さんの記憶とさせていただきたいと思っています。

 僕の勘ですが、O職員さんは多分、男性女性を含めて多くのからかなりモテる方だと思います。

 僕が、障害者福祉施設に在籍していた頃の行事、横浜中華街散策で目撃したO職員さんのチャイナドレスの姿が強烈な印象として思い出に残っているので、ブログに書いておこうと思いました。

 以上、「横浜中華街の行事の思い出 チャイナドレス」

ブログに載せます。











2016年6月28日火曜日

「青春の影」

「青春の影」

 昨日、Facebookを見ていたら急にチューリップの「青春の影」という曲を思い出しました。

 「青春の影」は僕が早稲田大学探検部に所属していた頃に、仲間とカラオケに行き、仲間が歌っていた曲です。

 仲間の歌っている「青春の影」を聴いて以来、良い歌だなと思い、僕の心に残りました。

 昨日、チューリップの歌う、「青春の影」をYou tubeで検索して聴いてみましたが、今一つ、財津和夫さんの歌う「青春の影」がしっくりこずに福山雅治さんの歌う「青春の影」が今日、見つかったので聴いてみたところ、良い感じがしたので、Twitterにアップしてみました。

福山雅治さんの歌う「青春の影」は以下です。





財津和夫さんの歌う「青春の影」とは少し違うかもしれませんが、良い歌だと思いました。

♪君の心へ続く長い一本道は いつも僕を勇気づけた

 とてもとても険しく 細い道だったけど

 今君を迎えに行こう


という歌詞がとても良かったです。

 この曲を初めてカラオケ屋さんで聴いたときは、僕は学生で、将来はジャーナリストになるとか、息まいていた頃でした。

 カラオケ屋さんで、仲間の歌う「青春の影」を聴いて、良い歌だなと思うとともに、自分が行っていたサークル活動(早稲田大学探検部の活動)がすごくだらないものにも感じました。

僕は早稲田大学探検部で活動していても、登山中とか川下り中に仲間を助けることとか仲間に迷惑をかけないことばかり考えていました。

 早稲田大学探検部の活動が、ジャーナリスティックな活動にもなり、人の行かないところに行き、写真を撮ったり、文章にしてまとめたりするのも確かに多くのスキルが必要で、普通の人ではなかなか出来ない活動だと思いますが、早稲田大学探検部では、普通の人でも出来る活動も提示してみるとか出来ないのかなと感じてしまいます。

 まだ学生のうちは、変わったことをして、大人を驚かす、喜ばすとかいうのも分かりますが、ある程度年齢を経れば、早稲田大学探検部員だった方々も、普通の人生経験を積むものと思います。

 普通の人たちにも大変お世話になるはずですから、お世話になった恩返しで、普通の人たちにも出来るような探検・冒険活動を提示するとか出来ないのでしょうか?

例えば、「青春の影」に出てくる歌詞のように、普通に人を好きになって、その恋愛の道が登山の道や川下りの道と同じように、長い一本道でとても険しい道だとか提示するとか出来ないのかと思いました。

 福山雅治さんの「青春の影」を聴いていて、学生時代のカラオケ屋さんの光景が思い浮かび、歌っていた方も早稲田大学探検部員の方だったので、早稲田大学探検部の活動のことも考えてみました。

以上、「青春の影」

ブログに載せます。




















2016年6月26日日曜日

「僕が自分の名前を冠したブログを作ったわけ」

「僕が自分の名前を冠したブログを作ったわけ」

 僕は2014年から、自分の名前を冠したブログを作って、ブログを更新し続けています。

 自分の名前を冠したブログを作る契機(きっかけ)になったのは、学生時代のサークルの友人家族との、目白、池袋界隈の七福神巡りでした。

 確か、七福神巡りをしたのは、2014年だったと思います。

 JR目白駅で待ち合わせして、七福神巡りを始めました。

目白、池袋界隈で大きな寺社は、鬼子母神です。

鬼子母神を中心とする七福神巡りを、友人家族と行い、七福神巡りをしてから、池袋で皆さんで食事をしました。

食事後、池袋から有楽町線に乗り、護国寺まで電車に乗ったと思います。

友人家族と別れる際に、友人の奥様から

「ブロガーになるんです。」

とのお言葉を頂きました。

この七福神巡りが契機(きっかけ)になり、僕は自分の名前を冠したブログを作り、地道に更新してきました。

ブログのレイアウトも、七福神巡りをした際に乗った有楽町線をイメージしたレイアウトにしました。

HOMEが江戸川橋で、右に進むと、護国寺、東池袋、池袋、要町、千川、小竹向原の順番をイメージしています。

友人家族と食事をした池袋にあたる位置に僕の早稲田大学時代の活動であるWORKS(早稲田大学探検部計画書作成、日本ヒマラヤ協会冊子への寄稿、藤尾潔さんとの共同作業である一冊の本の制作)を置いています。

僕は様々な方にお世話になっているのですが、毎年、毎年、七福神巡りに誘ってくださる友人ならびに、そのご家族の方々には心から感謝しています。

WORKSを池袋の位置に置いたのも、友人家族と食事を一緒にした場所だったからです。

池袋から先の駅には行っていませんが、七福神巡りから、七つの駅をイメージしてみました。

その後、僕がブログを更新し始めてからの活動地域も、江戸川橋、護国寺、池袋、茗荷谷界隈で、最終的に詠むことになった、

「震災本を 集めてはやし 神田川」

の句も、ホームである江戸川橋から歩いて行ける関口芭蕉庵まで歩いて行き、詠んだ句です。

関口芭蕉庵から、胸突坂を登り、永青文庫を通り過ぎ、目白通りに出て左折して歩いて行くと、僕が七福神巡りをした際に待ち合わせをした駅、JR目白駅に出ます。

3年くらい、僕の活動範囲は、江戸川橋、護国寺、池袋、茗荷谷辺りで、近所を散策しながら、いろいろと考えてブログを書いてきました。

3年は長いようで、あっという間の3年間でした。

東日本大震災に際してのTwitterでの活動が一番きつかったですが、死に物狂いでツイートをし続けました。

Twitterが物凄い負担になり、一時はアカウントを削除しようかとも思いましたが、なんとかあきらめずにTwitterを運営してきました。

もし、負担になるからとあきらめていたら、2000人以上フォロワーさんがいるTwitterアカウントを削除する可能性もあったので、あきらめずに、運営してきて良かったと思っています。

現在でも、友人ご家族との七福神巡りをした際に頂いたお言葉を忘れずに、ブログを運営していて、開設しているTwitterから公開しています。

僕のブログの内容がTwitterのフォローワーさんにとって良い内容かどうかは分かりませんが、かなり頑張って更新してきたブログです。

ブログを書くと、精神的にも落ち着くし、自分の気持ちを整理することにもなります。

言葉にして口に出すことが苦手な僕なので、自分の考えていることをブログに書くと心も落ち着きます。

友人の奥様から本当に良いお言葉を頂き、現在では心から感謝しています。

以上、「僕が自分の名前を冠したブログを作ったわけ」

ブログに載せます。















「障害者福祉施設に見た すごい本」

「障害者福祉施設に見た すごい本」

 僕が2010年に、勤務していた会社を退職し、本郷の森、銀杏企画に入所した際に、僕が障害者福祉施設で見たものに、銀杏企画制作の本がありました。

 その本は、東京都の障害者向けの就労移行支援事業所を詳細に調べ上げ、一つ一つ掲載している本でした。

 僕が施設に入所すると、銀杏企画の方から、本を手渡されたので、最初から最後まできちんと読ませていただきました。

 その本には、113の障害者就労移行支援事業所が紹介されていて、一つ一つの事業所のURLアドレスなども、きちんと掲載されていました。

 読後感は、とても良く、詳しく調べていてすごいなということでした。

 113という数字にも何か気を引きつけられました。

市販されていないと思いますが、とても良く出来た本で、銀杏企画の実力を感じました。

本の制作に携わった二人の職員の方々のとても良い仕事の成果だと思いました。

障害者の就労に関しては、マスメディアで悪い部分ばかりが取り上げられ、問題点ばかりが指摘されることが多いですが、マスメディアで悪く取り上げられている会社でも内実はきちんと雇用していることもあるようです。

以前、僕の勤務しいていた会社も、朝日新聞に、

「通勤バス 派遣村行き、生活保護のシナリオ」

と一面にデカデカと書かれましたが、その会社に勤務していた僕のTwitterアカウントのフォロワーさんは2000人以上いて、フォローワーさんの中には朝日新聞社の記者の方もいらっしゃいます。

僕も朝日新聞を購読しているし、毎朝、朝日新聞を、読むので、朝日新聞が嫌いなわけではありませんが、時に朝日新聞の記事で、取材が甘いなと思ってしまう、記事もあります。

朝日新聞社の方々にも、銀杏企画制作のすごい本を読んでいただければ、少しは障害者雇用に対する認識も変わってくるかと思います。

最近、朝日新聞を読んでいて、障害者雇用に関する良い認識をしている記事が見受けられないので、銀杏企画制作のすごい本をご一読されれば少しは障害者雇用に対する認識も変わってくると思い、ブログに書いてみました。

以上、「障害者福祉施設に見た すごい本」

ブログに載せます。



                                                                                                                                             


2016年6月25日土曜日

「高田馬場ニューヨーカーズカフェに見た いいとこ住んでるわね」

「高田馬場ニューヨーカーズカフェに見た いいとこ住んでるわね」

 以前、早稲田大学探検部34期の後輩の浅井美香とFacebookの友達だった時に、Facebookを通じて、お茶でもしましょうとのことで、高田馬場でお茶をしました。

 高田馬場のニューヨーカーズカフェというカフェでお茶をしました。

 その時の早稲田大学探検部34期の後輩の浅井美香の発言が噴き出しものだったのでブログに書きます。

 浅井美香は僕とお茶をしているときに、スマホ片手に、

Facebookに上原さんとお茶をしていること載せますよ」

 とか、お茶をしている時に脅迫してきます。

 僕は特に深い意味もなく早稲田大学探検部34期の後輩の浅井美香とお茶をしていたのですが、後輩からすると、異性とお茶をすることは、Facebookに投稿するようなことだったのでしょうか?

 僕には妻子もいないし、別段、異性とお茶をしても全く問題のないフリーな人間なのですが、後輩の女性からは、なにか僕が悪いことをしているような感じで、

Facebookに上原さんとお茶をしていること載せますよ」

 と責めてきます。

 その後も、

「いいところに住んでるわね!!」

 とか、

Facebookに上原さんとお茶をしていること載せますよ!!」

 とか、何か責められました。

 立場的には、僕が精神障害者で、一方、後輩の浅井美香は健常者で、元気はつらつとした女性なので、どうみても僕が後輩を、

「あなたは健常者で羨ましいな!!」

とか

「僕は障害者で、仕事も無くて、困っているんだ!!」

とかいって、後輩を攻撃するのが普通の人間関係かと思うのですが、

「いいところに住んでるわね!!」

 とか責められて僕も逆流性食道炎が悪くなりました。

 住んでいるところだけで判断されて、一方的に責められるのは不本意でしたが、僕も後輩の女性の方とは、カナダのユーコン川に川下りに行ったりした仲間であり、可愛い後輩だったので、一方的に責められるのにまかされていました。

 僕は高校が都立小石川高校という共学の高校で、頭の良い女性に責められるのには免疫があります。

 高校が進学校の共学だったので、頭の良い女性の責めに対する受け身の術を身に付けていました。

 受け身の術、

「絶対に上から目線で接しない」

対面で会話する時は、

「自分の頭の位置を相手の顔より下の位置に置く」

 この二つを意識するだけで、女性の責めに対する受け身が出来ます。

 僕は身長が低いこともあり、女性の責めに対しての受け身をしやすい人間ですが、女性の恐ろしさは高校生の頃から分かっていたので、恐い女性からの受け身の術を誰から学ぶこともなく、体得していました。

 要は、

「負けるが勝ち」です。

 恐い女性は、自分に自信を持っている方も多いので、自信を持っている部分に対して男が勝ってはいけないのです。

 相手の土俵に上がったら、勝ってはいけないのです。

 もし、相手が自信を持っている土俵で勝ってしまったら、恐い女性は、更に責めを強めてきます。

 恐い女性からの受け身の術は、負けることです。

 僕の経験則の一つなので、参考になる方がいらしたら幸いです。

以上、「高田馬場ニューヨーカーズカフェに見た いいとこ住んでるわね」

 ブログに載せます。


















2016年6月24日金曜日

「君が思い出になる前に」

「君が思い出になる前に」

 昨日、ブログに書きましたが、ようやく自分の中で、福祉施設の職員さんを自分の中の思い出にすることが出来始めたようです。

 ブログに書くということは、覚悟のいるのもので、執着とかがあると、ブログなどには書けないものです。

 自分の中で、ある程度、心の整理が出来るときちんとブログに書けるものです。

 昨日、障害者福祉施設でお世話になったM職員さんのことをブログに書いて、ブログを公開してから、スピッツの「君が思い出になる前に」

という曲を急に思い出しました。

You Tubeで検索していたら、「君が思い出になる前に」がありました。

以下です。




 1993年のスピッツの曲ですが、スローテンポで、穏やかな気持ちになれる曲です。

 この曲は音楽もいいですが歌詞もなかなか良いです。

  ♪君が思い出になる前に 

もう一度笑って見せて 

優しいふりだっていいから 

子供の目で僕を困らせて


という歌詞が良かったです。

 この曲は、僕が千葉県の新浦安まで仕事に行っていた時に仕事帰りの電車の中でi Podで聴いていた曲です。

8時間働いて、ヘトヘトになって、京葉線に乗り込み、座って、i Podで音楽を聴き始めると、言い知れぬ幸せな気分になりました。

その僕の聴いていたスピッツのアルバムの中にあったのが、この「君が思い出になる前に」でした。

昨日、書いたブログに僕を困らせるようなことをする銀杏企画関係者の方もいらしたと書いていますが、障害者でも、働き始めると、障害者福祉施設の関係者に困らせられる人もいるようです。

いつもは厳しい職員の方々の、優しい子供のような目で笑っている笑顔を見ると、就労だけを目指している僕も困り始めたのだと思います。

僕は、とても現実的な思考回路を持っている人間です。

障害者福祉施設との関係もあくまで、就労に結び付けるために施設を利用させて頂いているという気持ちで関係を保ち続けようとしていたようです。

施設関係者の方々からの

「子供の目」で

僕が困るような日が来ることは予想もしていませんでした。

僕がTwitterを開設していて、フォローワーさんも2000人以上いることも大きいかとは思いますが、僕の開設しているTwitterは本気で運営しているTwitterです。

Twitterのウェブサイトのブログも本気で運営しているブログです。

遊びではなく本気で運営しています。

本気で運営していると、働いている頃のような精神状態になります。

きちんと就労はしていませんが、本気でTwitter、ブログを運営しているので、時に出くわす、

「子供の目」

に困らせられることもあるのかと思います。

昨日、ブログを公開して、執着から離れようやく、心の整理が出来たのかと思います。

何度も書きますが、ブログに書くということは覚悟のいるものです。

千葉県の浦安で仕事をしていた頃は、まだ、「君が思い出になる前に」という精神状態だったのだと思いますが、ようやく、障害者福祉施設で出会った方々を自分の中で「思い出」にし始めることが出来るようになったようです。

「思い出」に出来るようにするためには長い時間もかかりましたが、ようやくここまで辿り着いたようです。

昨日、僕もブログの中で、職員さんの方々に僕の良かった頃の記憶で思い出にしていただきたいと書いたように、僕も施設の職員さんの方々は良かった頃の記憶で思い出にさせていただきます。

職員さん、メンバーさん、お互い良い「思い出」に出来るような関係が持てれば施設も上手く運営出来るのかと思います。


以上、「君が思い出になる前に」

ブログに載せます。