2026年5月9日土曜日

「能登半島地震を想う」

 「能登半島地震を想う」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。そこで今日もAIを利用してブログを書きます。今日は母が能登半島地震の直後に10万円も義援金を日本赤十字に寄付したので、能登半島地震のことについてブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で、能登半島地震被災地を支援するブログを母が10万円も義援金を日本赤十字に寄付したことも絡めて

『能登半島地震あのとき見た星空の下で』  復興へ向かう5つの物語

『能登半島記<未完>』被災記者が記録した300日の肉声と景色

「能登のムラは死なない」 

『令和6年能登半島地震  特別報道写真集』

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

今日は、能登半島地震の被災地を思う気持ちを、どうしても書かずにはいられませんでした。実は、僕の母が、能登半島地震が起きた直後に10万円もの義援金を日本赤十字社に寄付してくれました。
 母はもう高齢(89歳)で、脊柱管狭窄症の手術をして、関節リウマチも抱えていて、要支援2で、年金暮らしです。僕自身も介護の現実を日々感じながら、地道にブログを更新している身ですが、母が「能登の皆さんが大変だって。少しでも役に立てば」と、静かに振り込んでくれたんです。

正直、胸が熱くなりました。10万円なんて、大きな額です。でも母は「みんなで少しずつ支え合えば、きっと復興できる」と、穏やかに言っていました。

僕はその姿を見て、改めて「Don't give up」の大切さを、家族から教えられた気がします。能登半島地震から、もう2年近くが経ちました。

震度7の激震、津波、火災、そして隆起した大地。過疎と高齢化が進むムラが、突然の試練にさらされた。

そんな被災地の「今」を、僕は4冊の本で追いかけました。これらを参考文献にしながら、今日の文章を綴っています。

まずは上田真由美さんの『能登半島地震 あのとき見た星空の下で 復興へ向かう5つの物語』。あの夜、避難した高台で見た星空は、氷点下の寒さの中で、まるで希望の光のように美しかったそうです。小さなまちの50世帯100人が、「復興会議」を開き、二重被災の苦しみの中から再起の道を探る話。スーパーを守る人、住民同士で支え合う人たち。5つの物語は、どれも胸を打つんです。星空の下で、誰もが「生きて、生き抜く」ことを選んだんですよね。

次に、前口憲幸さんの『能登半島記〈未完〉 被災記者が記録した300日の肉声と景色』。被災者であり取材者である記者が、300日間、掌編コラムで綴った生の声。
「みんなで一緒に揺れ、泣き、耐え、生きてきた」——その一文が、今も耳に残ります。未完とあるように、復興はまだ道半ば。肉声と景色が、写真以上にリアルに迫ってくる本です。

そして藤井満さんの『能登のムラは死なない』。元朝日新聞輪島支局記者が、地震前から丹念に取材していた農山漁村を、震災後も再取材。「ムラは死なない」——このタイトル自体が、力強いメッセージです。高齢化と過疎化が進む中でも、根を張って生きる人々の強さ。農村再生の実地レポートを読んで、僕も「村は、人がいる限り死なない」と、深く頷きました。

最後に、北國新聞社の『令和6年能登半島地震 特別報道写真集』。倒壊した家屋、津波の爪痕、避難所の様子、全国から駆けつけた支援の姿。写真一枚一枚が、言葉では言い尽くせない現実を突きつけてきます。でも同時に、復興へ向かう人々の表情にも、確かに光が見えます。

これらの本を読みながら、僕は思いました。被災地は、まだまだ大変です。道路、住宅、暮らしの基盤……すべてが「未完」のまま。でも、星空を見上げ、肉声を紡ぎ、ムラを守り、写真に刻まれたあの瞬間から、確かに前へ進んでいる。

母の10万円も、そんな小さな光の一つだと思います。

日本赤十字社を通じて届いた義援金は、きっと現地で誰かの支えになっているはずです。

僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして書くことだけです。でも、書くことで、誰か一人でも「能登のことを忘れない」と思ってくれれば、それでいい。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

母に、ありがとう。能登の皆さんに、心からエールを送ります。
能登のムラは、絶対に死なない。

復興へ向かう5つの物語は、まだ続いていくんです。毎回、毎回、同じことを書きますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。
これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

以上、「能登半島地震を想う」

Don't give up 上原和明 東京にて

以上のような文章がGrokから返ってきました。

概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを更新していきます。

 

 

 

 

 

2026年5月8日金曜日

「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。そこで、今日もAIを使ってブログを書きます。今日は大規模な山林火災があった岩手県大槌町のことについてブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で大規模な山林火災があった岩手県大槌町を支援するブログを、311、東日本大震災で甚大な被害があった岩手県大槌町と絡めて、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』、『生存者  3.11大槌町、津波てんでんこ 』、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』、『理念なき復興』  岩手県大槌町の現場から見た日本、『被災の町の学校再開』 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言、『被災後を生きる 』 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記 、『ぼくらがつくった学校』 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

大槌町の皆さん、 Don't give up ― 3.11の記憶を胸に、今また山火事の傷から立ち上がろう。今日は、どうしても書かずにはいられませんでした。岩手県大槌町で起きた大規模山林火災のことです。2026422日、小鎚地区と吉里吉里地区を中心に火が上がり、強い風に煽られて一気に広がりました。最終的に1633ヘクタール――町の面積の8%が焼失。平成以降では大船渡市の火災に次ぐ2番目の大規模災害となりました。3257人もの方が避難指示を受け、消防団の皆さんが不眠不休で消火に当たり、自衛隊や全国の緊急消防援助隊が駆けつけてくれました。52日、ようやく町は「鎮圧」を宣言しましたが、現場にはまだ熱源が残り、クマの親子も出没する山は、焼け野原の爪痕を残しています。僕自身、3.11東日本大震災の記憶が今も鮮明です。あのとき大槌町は津波で壊滅的な被害を受けました。死者・行方不明者1254人。人口の1割近くを失い、町はがれきの山になりました。でも、あの町の皆さんは「津波てんでんこ」の教えを胸に、必死に生き延び、復興の道を歩み始めました。僕のブログ「Don't give up」では、ずっと被災地のことを書いてきましたが、大槌町ほど「逆境から発想する」強さを持った町を、他に知りません。今回、山火事という新たな試練が訪れました。特に吉里吉里地区は、3.11でも大きな被害を受けた場所です。あの津波の記憶がよみがえる中、火災がまた山を焼き尽くした。住宅地ギリギリで食い止められたと聞き、町長さんが安堵の涙を流していたそうです。津波で失った命と家、今度は火で失った山。でも、根っこは残っています。春が来れば新しい芽が出るように、町もきっと甦ります。このブログを書くにあたり、僕が何度も読み返した参考文献があります。どれも大槌町の「被災後を生きる」姿を克明に描いたものです。

まず、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』(鈴木るり子さんほか)。震災直後の201145月、141人の保健師さんが黄色いベストを着て、全戸を回りました。誰が生きていて、誰が亡くなったか。家族構成、健康状態、暮らしぶり。血圧を測り、話を聞き、仮設住宅での地域づくりまで支えました。そのデータが復興計画の基盤になったと書かれています。あの全戸訪問の精神こそ、今の山火事後の心のケアにそのまま活きるはずです。被災者の声に耳を傾け、行政だけに頼らず、住民同士で支え合う。保健師さんの「ポピュレーション・アプローチ」は、被災地復興の教科書です。

次に、『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』(根岸康雄さん)。ここには、津波の濁流の中で必死に生き延びた人たちの生々しい証言が詰まっています。「てんでんこ」――家族を待たず、てんでんばらばらに高台へ逃げろ、という先人の教え。保育園の子どもたちを背負って逃げた人、途中でお年寄りを置いてでも自分だけでも生き延びた人。1400人を超える犠牲の中で、生き残った人たちが語る「自分の命に責任を持つ」覚悟。今回、山火事で避難した3257人の皆さんにも、この「てんでんこ」の精神が、きっと心の支えになると思います。

『希望の大槌 逆境から発想する町』(碇川豊町長)。震災後に就任した町長さんが書いた本です。人口16000人が13000人に減り、1割の命を失った町を、「世界に誇れる町」に変えるビジョン。逆境をバネに、新たなまちづくりを住民とともに描く。防潮堤、病院、学校、雇用。課題だらけの東北の小さな町が、日本全体の未来を示すモデルになる――その発想力に、僕は何度も励まされました。山火事で失った山も、希望の種に変えられる。碇川さんの言葉は、今まさに必要です。

『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』(東野真和さん)と、『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』(同)も、僕の机の上に置いて何度も読みました。東野さんは震災直後から大槌町に居を構え、荒涼とした風景の中で人々が仮設住宅で暮らす日常、町を去る人、心の傷を抱える人たちを克明に記録しています。2年目の365日、そして5年間の取材。「理念なき復興」と題するほど、復興が形だけ進む危うさを、現場の目で突きつけます。民主主義の生々しい格闘。予算や事業が先行し、住民の声が置き去りにならないか。今回も、火災後の復興が「理念なき」ものにならないよう、僕たち遠くから見守る者が声を上げ続けなければ。

『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』では、武藤美由紀さんが教育現場の苦闘を語っています。学校が再開するまでの子どもたちの不安、先生たちの献身。学びの場が失われた町で、教育がどれだけ希望の灯だったか。

『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』は、まさに吉里吉里地区を含む三陸の奮闘記。津波後の日常を、ただ「生きる」ために歩み続けた人たちの記録です。

そして『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』。子どもたちが自ら夢見た学校を、みんなで建て上げた話。焼け野原になった山を見上げながら、きっと今の子どもたちも「ぼくらがつくる未来」を描いているはずです。これらの本を読み返すたび、大槌町の強さが胸に迫ります。津波で失った命と家。山火事で失った山。でも、保健師さんの訪問のように、生存者の「てんでんこ」のように、町長さんの「希望の大槌」のように、記者の現場の目のように、子どもたちの夢のように――皆さんはいつも、逆境から発想して前へ進んできました。僕のような一介のブロガーにできることは、ほんの少しです。毎日、両親の介護をしながら、パソコンに向かいます。右手のマウス腱鞘炎が痛む中、キーボードをカチカチ打っています。でも、そんな中でも書かずにはいられませんでした。大槌町の皆さんの姿に、僕自身が「Don't give up」の力をもらっているからです。大槌町の皆さん、どうかあきらめないでください。3.11のときと同じように、消防団、自衛隊、近隣の皆さん、そして遠くから応援する僕たちのような人間がいます。山は焼けても、根は残っています。吉里吉里の新しい芽が、きっと美しい森を取り 戻します。寄付やボランティアを考えている方がいらっしゃったら、ぜひ行動を。地元を愛する人たちの力で、また希望の大槌を。

大槌町の皆さん、Don't give up! 僕もブログを地道に続けながら、ずっと応援し続けます。

(参考文献) 『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』 『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』 『希望の大槌 逆境から発想する町』 『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』 『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』 『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』 『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』 『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』

読んでくださってありがとうございます。

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」ブログに載せます。

(文字数:約2980字)

以上のような文章がGrokから返ってきました。

まるで僕が書いたような文章で、AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて、本当に便利だなと思いました。

今日もAIを利用してブログを書きました。今後もAIを利用して地道にブログを更新していきたいと思っています。 

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

ブログに載せます。

 

2026年5月7日木曜日

「2026年5月 柏崎刈羽原発6号機再稼働について」

 20265月 柏崎刈羽原発6号機再稼働について」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けないので、今日もAIを使ってブログを書きます。Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で柏崎刈羽原発6号機再稼働反対のブログを、

『原発崩壊 』 想定されていた福島原発事故 増補版、

『福島・柏崎刈羽の原発震災 』 活かされなかった警告、

『新潟県知事選では、どうして大逆転がおこったのか。』 原発再稼働の是非 、

『崩れた原発「経済神話」』 柏崎刈羽原発から再稼働を問う 、

 『新潟から問いかける原発問題』 福島事故の検証と柏崎刈羽原発の再稼働

 を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のようにスマホの万歩計を見ながら近所の散歩を続けています。文京区の静かな道を歩きながら、ふと頭に浮かぶのは、遠く新潟の柏崎刈羽原発のこと。

416日に6号機が営業運転を再開したというニュースを、テレビやネットで目にして以来、心がざわついて仕方ありません。僕は一介のブロガーとして、2011年の東日本大震災以降、原発に関する本を何冊も読み続けてきました。福島の事故を「想定されていた」ものとして、ずっと警告を発し続けていた人たちの言葉に、どれだけ救われてきたことか。今回、改めて手元に並べた5冊の本を読み返しながら、6号機再稼働にどうしても反対の気持ちを抑えきれなくなりました。今日は、その思いを素直に綴っておきたいと思います。

まず、明石昇二郎さんの『原発崩壊 想定されていた福島原発事故 増補版』。この本は、福島第一原発の事故が「想定外」なんかじゃなく、事前に十分予測可能だったことを、データと証言で克明に描いています。津波の規模も、放射能の拡散も、専門家は前から指摘していた。それなのに、なぜ活かされなかったのか。福島の教訓が、柏崎刈羽にそのままつながるはずなのに……。

次に、反原発運動全国連絡会編の『福島・柏崎刈羽の原発震災 活かされなかった警告』。ここには、福島だけでなく、柏崎刈羽でも繰り返し指摘されてきた耐震性の問題や、防災計画の破綻が、はっきり書かれています。活かされなかった警告、というタイトル通りです。福島で起きたことが、柏崎刈羽で二度と起きない保証はどこにもないのに、再稼働を進めるのは、あまりにも無責任だと思います。

そして、横田一さんの『新潟県知事選では、どうして大逆転がおこったのか。 原発再稼働の是非』。2016年の知事選で、再稼働反対を掲げた米山隆一さんが、楽勝ムードだった自民推薦候補を大逆転で破った背景を、丁寧に取材した本です。新潟県民の声が、原発再稼働への「ノー」という明確な意思を示した瞬間でした。あの選挙から10年近く経った今、6号機が再稼働したという現実に、県民の思いは本当に届いているのでしょうか。

新潟日報社の取材班がまとめた『崩れた原発「経済神話」 柏崎刈羽原発から再稼働を問う』も、胸に刺さります。原発が地元経済を潤すという「経済神話」は、データで見るとすでに崩れている。雇用も、税収も、期待されたほどではなく、むしろ維持コストやリスクが重くのしかかっている。柏崎刈羽を抱える地域の現実を、数字で突きつけてくる本です。

最後に、池内了さんの『新潟から問いかける原発問題 福島事故の検証と柏崎刈羽原発の再稼働』。福島事故の検証委員会で委員長を務めながら、途中で解任された経験を踏まえ、新潟の視点から原発の安全性を徹底的に問い直しています。福島の教訓を柏崎刈羽にどう生かすか、という問いが、まさに今、目の前にある問題です。

僕自身、早稲田大学探検部OBとして、いろんな場所を歩いてきました。自然の力の大きさを、肌で感じてきたつもりです。老子の言葉「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、しかし諦めずに続けていくことの大切さを、いつも心に留めています。原発再稼働も、同じです。経済や電力の都合だけで決めず、命と未来を守るために、柔らかく、でも強く、声を上げ続けなければいけない。6号機が動き出した今、僕はなお一層、ブログを更新し続けます。福島の事故を忘れず、柏崎刈羽のリスクを忘れず、一人の市民として、静かに、でも地道に、反対の思いを記しておきたい。

以上、 20265月 柏崎刈羽原発6号機再稼働について」ブログに載せます。

Don't give up 上原和明

20265

以上のような文章がGrokから返ってきました。

概ね、僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを更新していこうと思っています。

 

 

 

2026年5月6日水曜日

「日本国憲法を守りたい」

 「日本国憲法を守りたい」

53日は憲法記念日でした。少し遅くなってきましたが、日本国憲法のことについてブログを書こうと思っていましたが、両親の介護で忙しくてブログを書けませんでした。

そこでXの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で憲法記念日の憲法改正反対のブログを書いてください」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

今日は53日、憲法記念日です。日本国憲法が施行されてから、今年で何年目になるのだろうか。戦後、僕が生まれるずっと前からこの憲法は日本を守ってきてくれました。僕のような一介のブロガーが、両親の介護をしながら毎日ブログを書いたり、Xでポストしたりしているこの日常を、平和に過ごせているのは、この憲法のおかげだと思っています。最近、憲法改正の話がまた出てきています。自民党や政府の一部の人たちが、9条を変えたいとか、緊急事態条項を入れたいとか、声高に言っているのを聞きます。僕は正直、反対です。なぜなら、この憲法は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という決意で作られたものだからです。僕のブログ「Don't give up」では、いつもありきたりな日常を書いています。早稲田大学探検部OBとして、散歩をしたり、パソコンに向かってキーボードをカチカチ打ったり、右手のマウス腱鞘炎を気にしながら入力したり。両親の訪問看護や訪問リハビリの対応で家にいなければならず、外出も控えめですが、そんな平凡な日々が続けられるのは、平和だからです。もし憲法を改正して、自衛隊を「軍隊」にして、海外で戦争に参加するような道を開いたら、どうなるでしょうか。村上宗隆選手が熊本地震をバネに頑張っているように、僕たちも逆境を乗り越えて生きていますが、戦争という最大の逆境は絶対に避けなければいけません。過去の戦争でどれだけ多くの人が亡くなり、家族が離れ離れになり、街が焼け野原になったか。教科書で読んだ話ですが、想像するだけで胸が苦しくなります。日本国憲法第9条は、世界に誇れる条文だと思います。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」この一文があるから、日本は戦後80年近く、直接的な戦争に巻き込まれずに済んできました。改正してこの精神を薄めてしまったら、僕たちの子どもや孫の世代に、何を残すことになるのでしょうか。僕は政治の専門家ではありません。ただのブロガーです。毎日4000字近く入力して、歩数を気にして、体重を落とそうと散歩をしています。健康診断でメタボと言われたり、逆流性食道炎を気にしたりしながら、それでもブログを更新し続けています。そんな僕でも、憲法記念日には思うのです。この憲法を守ることで、僕のような普通の人が、普通に生きられる社会を、これからも続けていきたいと。改正反対の声をもっと大きくしていかなければいけません。立憲民主党をはじめ、野党の皆さんや、平和を願う多くの人たちと一緒に、声を上げていきたいと思います。僕にできることは、ブログにこうして書くことくらいですが、地道に続けていきます。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

以上のような文章がGrokから返ってきました。

僕が書いたような文章でAIとは本当に便利だなとも思いました。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

ブログに載せます。

 

 

 

 

2026年5月1日金曜日

「4月は11万7164字入力していたようだ」

 「4月は117164字入力していたようだ」

 ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20264月は117164字パソコンで入力していたようです。

 ブログを書くこと、X(旧 Twitter)でポストすることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、11万字を超えていたのだと思います。

 一日平均3905字くらいです。

入力時間は150時間、原稿用紙293枚分入力していたようです。

 1日平均、5時間、1日平均原稿用紙にすると98枚分、パソコンに向かってキーボードで入力していたようです。

 相当、長い時間、パソコンに向かい、キーボードをカチカチ打っているようです。

 11万字を超える文字を入力していたとは、ものすごく多い入力数だと思います。

 毎回、毎回、同じことを書きますが、新しいパソコン、レノボのThinkPad X9-15 Gen1 Aura Editionというものすごくバッテリー持ちの良い(長時間バッテリーで、外出先でもバッテリーのことを気にせずにパソコンで長時間の作業が出来ています。14時間~5時間程度の外出先でのパソコンでの作業なら全くバッテリーのことを気にせずにパソコン作業が出来ています)ものすごく性能の良いパソコンを購入したので、パソコンに向かう時間も大幅に増えて、入力文字数も大幅に増えているのだと思います。

 先月も同じことを書いていますが、実はパソコンに向かう時間が長過ぎて、パソコン操作をする時間が長く、マウスに触っている時間がとても長く、右手がマウス腱鞘炎になってしまい、右手の握力が低下しています。右手の握力が25キロくらいになっていて、ご飯を食べるときも右手で箸を使えずに左手で箸を使いご飯を食べています。症状はかなり深刻で、整形外科にも行っています。整形外科では、マウス腱鞘炎ではない、首からきている症状ではないか、首のMRIを撮ってもらた方が良い、大きな病院で診てもらった方が良いと言われ、新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科に紹介状を書いていただき、紹介状は整形外科からいただいていますが、両親の介護で家に居なければならずに新宿メディカルセンターの脊椎脊髄外科にいまだに行けていません。

少しでも症状を和らげるために、パソコンに向かう時間を大幅に減らすことを考えていますが、Xでポストするのが日々の習慣になっていて、毎日、パソコンに向かってXをしていています。そのため、パソコンに向かう時間も減らすことは出来ずに、右手のマウス腱鞘炎だと思っている症状も一向に良くなりません。右手のマウス腱鞘炎だと僕が思っている症状がかなり深刻で、Xもブログも含めて、パソコンに向かう時間を大幅に減らさないといけないと思っていますが減らせていません。しばらく、パソコンも開かずに安静にしているのが良いのだと思っていますが、パソコンを立ち上げてXをしてしまっています。

 パソコンに向かって、キーボードで文字を入力していると、逆流性食道炎も良くならないと思っています。以前、お医者さんにパソコンに向かっている限り、逆流性食道炎は良くなりませんと言われたことがありました。

 先月も同じ事を書いていますが、パソコンに向かわない、なにか体を動かす時間を増やして気分転換をするのが良いのだと思っています。僕が体を動かしているのは、18千歩程度の散歩と、家での家事くらいなので、僕の家の最寄りのラジオ体操が行われている場所の教育の森公園でのラジオ体操でも、近所の教育の森公園にある文京スポーツセンターでの運動でも良いから何か軽いスポーツ、運動をした方が良いと本心で思っています。

 今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20263月は、僕は1171641字字入力していたようなので、ブログを書いておきます。

 以上、「4月は117164字字入力していたようだ」

 ブログに載せます。