「東海第二原発再稼働に反対します」
両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。
今日もAIを利用してブログを書きます。
今日は東海第二原発再稼働に反対するブログをAIを利用して書きます。
Xの人工知能Grokに
「ブロガーの上原和明の文体で東海第二原発再稼働に反対するブログを
『東海村・村長の「脱原発」論 』
『それでも日本人は原発を選んだ 』 東海村と原子力ムラの半世紀
を参考文献にして書いてください」
と質問してみました。
すると以下のような文章が返ってきました。
~『東海村・村長の「脱原発」論』と『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』を読み返して~**
毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は2026年5月25日も、文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見ていました。今日も約8200歩ほど歩いて、両親の介護の合間を縫いながら、右手のマウス腱鞘炎をこらえてパソコンに向かっています。一介のブロガーとして、今日も頭の中は原発のことでいっぱいです。
早稲田大学探検部33期OBとして、自然の力の大きさを肌で知る者として、僕は東海第二原発の再稼働に強く反対します。なぜなら、日本の原子力発祥の地・東海村の歴史を振り返れば、そこに「安全神話」と「原子力ムラ」の危うさがはっきりと刻まれているからです。
最近、改めて二冊の本を読み返しました。
一つは、元東海村村長・村上達也さんの『東海村・村長の「脱原発」論』(集英社新書、神保哲生氏との共著)。村上さんはもともと原発容認派だったのに、1999年のJCO臨界事故で日本初の住民避難を断行し、3.11では東海第二原発が外部電源をほとんど失い危機一髪だった現実を知って、明確に脱原発に転じました。行政長としての視点と民衆の視点の両方を持ち、「開発・発展からの脱却、人と環境優先」の村政を貫いた人です。村長退任後も東海第二の廃炉を求め続けたその言葉は、今読んでも胸に刺さります。東海村は「原子力の村」として恩恵を受けてきたはずなのに、事故の隠蔽やリスクの大きさを目の当たりにして、村長自身が「もう原発はいらない」と言ったのです。
もう一冊は、朝日新聞取材班の『それでも日本人は原発を選んだ
東海村と原子力ムラの半世紀』。ここには、日本の原子力政策の原点が克明に描かれています。貧しい農村だった東海村に、なぜ日本初の原子力発電所が誘致されたのか。正力松太郎や中曽根康弘ら中央政界の重鎮たち、財界の思惑、55年体制下の政治力学——「原子力ムラ」と呼ばれる人々が半世紀にわたって日本人を「原発を選ばせ」てきた過程が、丁寧に検証されています。すべては東海村から始まった。原子の火が灯ったその場所が、今もリスクを抱えたまま再稼働の議論にさらされている。
3.11のとき、東海第二原発は津波で大半の外部電源を失いました。あのときギリギリで助かっただけで、再稼働すれば同じ危険が繰り返される可能性がある。老朽化した原発を、首都圏に近いこの場所で動かす理由が、僕にはどうしても見つかりません。地震大国日本で、想定される南海トラフ地震の影響も無視できません。避難計画は現実的か?
周辺住民の声は十分に聞かれているか?
村上達也さんのように、最初は容認していても、現実の事故や隠された危機を知れば考えが変わる人は少なくありません。『それでも日本人は原発を選んだ』が示すように、過去に政治と経済の論理で「選ばされた」道を、今こそ見直すべきときです。再生可能エネルギーへの転換を進め、原子力ムラの影響から脱却する——それが、僕たち日本人が本当に「選ぶ」べき未来だと思います。
老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも諦めずに寄り添うこと。それが僕にできることだと信じています。
皆さんも、どうかこの問題を自分のこととして考えてみてください。東海村の半世紀の教訓を無駄にしないで、未来の子どもたちに安全な日本を残しましょう。
諦めずに、考え続けましょう。**Don't give up**。
(本日歩数:約8200歩。コメントお待ちしています)
5月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて
参考文献
・村上達也、神保哲生『東海村・村長の「脱原発」論』(集英社新書)
・朝日新聞取材班『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』(朝日新聞出版)
以上のような文章が返ってきました。
まるで僕が書いたような文章だと思いました。
概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。
本当にAIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれてありがたいと思いました。
これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。
以上、「東海第二原発再稼働に反対します」
ブログに載せます。
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