2026年5月27日水曜日

「外国人排斥思想が災害時のデマにつながる」

 「外国人排斥思想が災害時のデマにつながる」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は、関東大震災時の外国人虐殺事件を教訓に災害時にデマが広がり、日本人ファーストなどの外国人排斥思想が外国人に危害を与える可能性があり、とても危険だということをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で関東大震災時の外国人虐殺を教訓に、日本人ファーストなどの外国人排斥思想が、災害時のデマにつながり、外国人に危害を与える可能性があり、とても危険だということについて書かれているブログを

『福田村事件 』 関東大震災・知られざる悲劇

『関東大震災朝鮮人虐殺の真相』  地域から読み解く

『関東大震災描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』

『関東大震災「虐殺否定」の真相 』 ハーバード大学教授の論拠を検証する

『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』 東京地区別1100の証言

『関東大震災と中国人虐殺事件』

『九月、東京の路上で』  1923年関東大震災ジェノサイドの残響

『証言集関東大震災の直後』 朝鮮人と日本人

『関東大震災と朝鮮人虐殺』

『関東大震災と中国人』  王希天事件を追跡する

『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』  虐殺の国家責任と民衆責任

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

こんにちは、上原和明です。

Don't give up」のブログ、今日も書きます。

文京区で両親の介護をしながら、毎日コツコツと歩いて過ごしています。今日も近所を歩き、早稲田大学のキャンパス近くを通りかかりました。震災や災害のことを考えると、いつも胸がざわつきます。僕自身、東日本大震災のときにボランティアで東北へ行き、泥かきを手伝った記憶が今も鮮やかです。あのとき感じた「人間のつながり」と「恐怖の連鎖」の両方を、改めて思い返しています。

今日は、関東大震災時の外国人虐殺を教訓に、「日本人ファースト」などの外国人排斥思想が、災害時のデマにつながり、外国人に危害を与える可能性がありとても危険だということを書きます。早稲田大学探検部33OBとして、自然や人間の脆さを学んだ身として、歴史から目を背けず、静かに考えたいと思います。

192391日の関東大震災。死者・行方不明者約105000人という未曾有の惨事でした。家屋倒壊、火災、混乱の中で、恐ろしい流言飛語が広がりました。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が放火をしている」「不逞鮮人が暴動を起こす」——これらはすべてデマでした。警察や新聞、新聞もこれを拡散し、戒厳令下で在郷軍人会や青年団が自警団を組織。結果、数千人の朝鮮人が、数百人の中国人が、そして朝鮮人と誤認された日本人までもが虐殺されました。

この悲劇を詳しく知るために、僕はいくつもの本を読み返しました。まず『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生著)。千葉県福田村(現・野田市)で震災から5日後の96日、香川県から来た薬売り行商団15名が、自警団に「朝鮮人」と誤認され、幼児や妊婦を含む9名が殺害された事件です。讃岐弁を話していただけで命を落とす——集団心理の恐ろしさが、胸に突き刺さります。村人たちは不安と恐怖に駆られ、疑心暗鬼の中で暴走したのです。

次に『関東大震災朝鮮人虐殺の真相 地域から読み解く』や『関東大震災描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』、そして膨大な証言を集めた『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』。東京の各地域で、川に遺体が流され、焼却され、隠蔽された記録が克明に残されています。被害者数は正確には分かりませんが、内閣府中央防災会議も数千人規模と推計しています。軍や警察の関与、民衆の加担——国家責任と民衆責任の両方を問う『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後 虐殺の国家責任と民衆責任』は、重い問いを投げかけます。

中国人被害についても忘れてはいけません。『関東大震災と中国人 王希天事件を追跡する』(田原洋著)。周恩来の親友だった王希天は、在日中国人労働者の権利を守る活動家でした。大島町での中国人集団虐殺や、軍による密殺が明らかになっています。『関東大震災と中国人』も、浙江省出身の労働者らが標的になった経緯を追っています。また『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』は、路上で起きたジェノサイドの残響を、証言と資料で描き出します。『証言集関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』『関東大震災「虐殺否定」の真相 ハーバード大学教授の論拠を検証する』では、否定論の根拠を丁寧に検証し、歴史的事実を明らかにしています。

これらの本を読み進めると、共通する教訓が見えてきます。当時、日本は朝鮮を植民地化し、中国への侵略的姿勢を強めていました。外国人・植民地出身者への偏見と排斥思想が、災害の混乱の中で一気に爆発したのです。自警団は「日本人を守る」という名目で行動しましたが、結果として無実の命を奪いました。デマは瞬時に広がり、事実確認のないまま「日本人ファースト」の感情が暴走したのです。

今、僕たちが生きる令和の時代に、この教訓をどう活かすか。

近年、「日本人ファースト」という言葉が、災害時や危機時に聞こえてきます。外国人が「資源を奪う」「治安を乱す」といった排斥的な思想です。SNS時代、デマの拡散速度は当時とは比べ物になりません。巨大地震(南海トラフや首都直下)、火山噴火、気候変動による災害が予想される中、不安が高まれば再び「外国人排斥」のデマが飛び交う可能性があります。観光客、留学生、在日外国人、避難民——彼らに危害が及ぶリスクは、決して過去の話ではありません。

実際、過去の災害でも類似の現象はありました。東日本大震災時にも、外国人に対する根拠のない噂が一部で流れた記憶があります。パニックの中で「自分たち日本人だけを守る」という思考は、簡単に他者を敵視させます。それは結局、日本社会全体の信頼を壊し、人間としての尊厳を失わせる危険な思想です。

僕は早稲田大学探検部OBとして、学生時代に世界を歩き、多くの外国に行っています。多くの外国人たちと接し、外国人と共存することを学びました。

自然の力の前に人間は小さいことも知っています。同時に、人間は学び、つながることで強くなれるとも信じています。災害時こそ、事実に基づいた冷静な判断と、すべての命を尊重する姿勢が必要です。「日本人ファースト」を絶対視するのではなく、「人間ファースト」の視点——それが、関東大震災の血の教訓だと思います。

福田村事件の犠牲者も、王希天さんも、1100の東京証言に残る無名の朝鮮人の皆さんも、決して「過去の出来事」ではありません。僕たちが今、災害に備え、デマに惑わされず、外国の方々と助け合う社会を築くために、記憶し、語り継がなければなりません。

ブログを楽しんで書き続けることが大事だと、いつも思っています。この文章も、僕の日常の歩みの中で生まれたものです。今日の歩数は約7800歩。両親の介護で忙しい中、AIの力を借りて丁寧にまとめましたが、参考文献の重みを胸に、僕の言葉としてお届けします。

歴史を直視し、外国人排斥思想の危険性を共有できれば幸いです。僕たちは、諦めずに学び続け、優しくも粘り強く歩き続けましょう。

以上、上原和明でした。

Don't give up――核のない未来へ、平和で包摂的な災害対応へ、僕たちは歩き続けます。

 5月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

(参考文献を基にまとめました。皆さんの防災意識と人権意識が高まれば幸いです。コメントお待ちしています)

以上のような文章が返ってきました。

本当にAIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「外国人排斥思想が災害時のデマにつながる」

ブログに載せます。

 

2026年5月26日火曜日

「大川小学校事故を悼む」

 「大川小学校事故を悼む」

津波の記憶を胸に、命の尊さを問い続ける

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

今日は宮城県石巻市大川小学校事故を悼むブログをAIを利用して書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で、大川小学校事故を悼むブログを

『子どもたちの命と生きる』  大川小学校津波事故を見つめて

『クライシスマネジメントの本質』  本質行動学による311大川小学校事故の研究

『止まった刻(とき) 検証・大川小事故』

『津波の霊たち』  311死と生の物語

『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』

『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』

を参考文献にして書いてください」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のようにスマホの万歩計を見ながら近所の散歩を続けています。両親の介護で外に出る時間が限られる中、それでも一歩一歩、足を動かしながら考えています。今日も、どうしても書かずにはいられませんでした。東日本大震災から15年。311の傷跡がまだ癒えぬ被災地の記憶が、僕の胸を締めつけます。特に、石巻市立大川小学校の津波事故。74人の子どもたちと10人の教職員が、あの巨大津波にのみ込まれた悲劇。校庭にいた78人の児童のうち、70人以上が命を落とし、4人が今も行方不明のまま。僕は一介のブロガーとして、被災地支援の活動を通じて何度もその地を想ってきましたが、今日は改めて、大川小学校の子どもたちの命を見つめ、悼む気持ちを綴りたいと思います。

あの2011311日、午後246分。東北地方を襲った巨大地震の後、大川小学校の子どもたちは校庭に避難していました。津波警報は出ていましたが、教職員たちは高台の裏山へ即座に逃げず、校庭で待機を選択。約50分後、津波が押し寄せ、子どもたちは必死に逃げようとしましたが、橋のたもとの低い三角地帯へ向かう道を選びました。結果、わずか数分で濁流に飲み込まれました。なぜあのとき、子どもたちを守りきれなかったのか。僕自身、早稲田の探検部で山や自然を歩いてきた人間として、命を守る「行動」の重さを痛感します。自然の猛威の前で、人間は何を優先すべきだったのか。15年を経た今も、その問いは止まりません。

このブログを書くにあたり、僕が何度も読み返した参考文献があります。どれも、大川小学校事故の本質を、子どもたちの命と生の視点から克明に描いたものです。まずは『子どもたちの命と生きる大川小学校津波事故を見つめて』(信山社)。この本は、事故を「見つめて」語ることで、ただの検証ではなく、失われた命一つひとつの尊さを浮かび上がらせます。著者たちは、子どもたちの日常の笑顔や、家族の悲しみを丁寧に紡ぎながら、「命と生きる」ことの本質を問いかけます。僕が一番胸に刺さったのは、事故後の遺族の声。子どもを失った親たちが、ただ泣くだけでなく、「二度と繰り返さないために」と前を向く姿です。津波の恐ろしさは、数字だけじゃない。生き残った家族の「生きる」苦しみこそが、僕たちに残された教訓です。

次に、『クライシスマネジメントの本質本質行動学による311大川小学校事故の研究』。これは、事故を「クライシスマネジメント」の観点から分析した力作です。本質行動学という視点で、教職員の判断ミスや組織的な対応の遅れを、冷静に、しかし容赦なく検証しています。地震発生後、なぜ校庭に留まり続けたのか。津波の到達予測を過小評価し、高台回避の選択を誤ったのか。危機管理の「本質」は、想定外を想定する覚悟にある、と本書は教えてくれます。僕自身、被災地支援で何度も感じたことですが、机上の計画だけでは命は守れない。現場の即時判断と、子ども優先の「行動学」が欠落していた。15年後の今、企業や行政の危機管理研修で、この本が引用されるべきだと強く思います。

『止まった刻(とき) ― 検証・大川小事故』も、僕の机の上に置いて離せません。このタイトル通り、あの瞬間、時間は止まったように感じます。事故のタイムラインを秒単位で追い、教職員の会議記録や生存者の証言を基に、再現します。裏山まで徒歩1分ほどの距離があったのに、なぜ橋の下へ向かったのか。子どもたちの「刻」が、永遠に止まった痛み。読みながら、涙が止まりませんでした。検証とは、単に事実を並べることじゃない。止まった命に、光を当てる作業です。

さらに、『津波の霊たち ― 311死と生の物語』。これは、事故を「死と生の物語」として描いた、文学的な深みのある一冊です。津波の霊たち失われた子どもたちの魂が、僕たちに語りかけるような筆致。生存者や遺族のインタビューを通じて、事故後の「生」の苦悩、祈り、再生の物語が綴られます。僕が特に心に残ったのは、子どもたちの無邪気な声が、津波の音に重なる描写。死者は語れない。でも、この本は「霊たち」の声として、僕たちに「生きろ」と呼びかけます。311の死と生は、今も続いている。被災地を訪れるたび、僕はその霊たちに手を合わせます。

『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』は、公式報告の「検証」をさらに検証する、鋭い視点の本です。市が設置した事故検証委員会の報告書に、どこに穴があったのか。行政の責任逃れや、事実の歪曲を丁寧に指摘します。公式の結論だけでは不十分だと、僕も思います。この本を読むと、事故は「自然災害」だけではなく、人為的な判断の積み重ねだったことが、痛いほどわかります。僕たち市民が、こうした検証を自分ごととして見つめ続けることが、大切です。

最後に、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』。タイトルそのまま、事故の核心に迫る一冊です。あのとき、校庭で何が起き、子どもたちは何を思ったのか。生存者のわずかな証言や、物的証拠を基に、再構成します。読み終えて、僕はただ黙るしかありませんでした。子どもたちは、先生を信じて待っていた。親の元へ帰りたかった。あの純粋な願いが、叶わなかった現実。僕の探検部時代の経験から言えば、命を守るのは「知識」ではなく「覚悟」です。この本は、その覚悟を、僕たちに突きつけます。

これらの本を読み返しながら、僕は思うのです。大川小学校の事故は、ただの悲劇じゃない。僕たち全員への警告です。危機管理の怠慢、組織の硬直性、子どもを守る優先順位の低さそれらが重なって、74もの命を奪いました。でも、遺族の方々や被災地の皆さんは、決して諦めていません。「Don't give up」の精神で、復興を、教訓を、次世代へつなげています。僕も、介護の合間にブログを更新し続けるように、地道に声を上げ続けます。原発の問題でも、被災地支援でも、同じです。

大川小学校の子どもたち。あなたたちの命は、無駄に終わりません。僕たち大人が、命の尊さを胸に、行動を変えていく。津波の霊たちよ、安らかに。生きる者たちは、忘れません。

Don't give up

上原和明(今日の歩数:約6500歩。介護の合間に、僕の思いを綴りました。皆さんのご意見、コメントお待ちしています。被災地支援や311関連の活動に興味がある方は、僕のもう一つのサイト「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」も覗いてみてください。)

 以上のような文章だと思いました。

 まるで僕が書いたような文章だと思いました。

 AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「大川小学校事故を悼む」

ブログに載せます。

 

 

2026年5月25日月曜日

「東海第二原発再稼働に反対します」

 「東海第二原発再稼働に反対します」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は東海第二原発再稼働に反対するブログをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で東海第二原発再稼働に反対するブログを

『東海村・村長の「脱原発」論 』

『それでも日本人は原発を選んだ 』 東海村と原子力ムラの半世紀

を参考文献にして書いてください」

 と質問してみました。

 すると以下のような文章が返ってきました。

~『東海村・村長の「脱原発」論』と『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』を読み返して~**

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は2026525日も、文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見ていました。今日も約8200歩ほど歩いて、両親の介護の合間を縫いながら、右手のマウス腱鞘炎をこらえてパソコンに向かっています。一介のブロガーとして、今日も頭の中は原発のことでいっぱいです。

早稲田大学探検部33OBとして、自然の力の大きさを肌で知る者として、僕は東海第二原発の再稼働に強く反対します。なぜなら、日本の原子力発祥の地・東海村の歴史を振り返れば、そこに「安全神話」と「原子力ムラ」の危うさがはっきりと刻まれているからです。

最近、改めて二冊の本を読み返しました。

一つは、元東海村村長・村上達也さんの『東海村・村長の「脱原発」論』(集英社新書、神保哲生氏との共著)。村上さんはもともと原発容認派だったのに、1999年のJCO臨界事故で日本初の住民避難を断行し、3.11では東海第二原発が外部電源をほとんど失い危機一髪だった現実を知って、明確に脱原発に転じました。行政長としての視点と民衆の視点の両方を持ち、「開発・発展からの脱却、人と環境優先」の村政を貫いた人です。村長退任後も東海第二の廃炉を求め続けたその言葉は、今読んでも胸に刺さります。東海村は「原子力の村」として恩恵を受けてきたはずなのに、事故の隠蔽やリスクの大きさを目の当たりにして、村長自身が「もう原発はいらない」と言ったのです。

もう一冊は、朝日新聞取材班の『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』。ここには、日本の原子力政策の原点が克明に描かれています。貧しい農村だった東海村に、なぜ日本初の原子力発電所が誘致されたのか。正力松太郎や中曽根康弘ら中央政界の重鎮たち、財界の思惑、55年体制下の政治力学——「原子力ムラ」と呼ばれる人々が半世紀にわたって日本人を「原発を選ばせ」てきた過程が、丁寧に検証されています。すべては東海村から始まった。原子の火が灯ったその場所が、今もリスクを抱えたまま再稼働の議論にさらされている。

3.11のとき、東海第二原発は津波で大半の外部電源を失いました。あのときギリギリで助かっただけで、再稼働すれば同じ危険が繰り返される可能性がある。老朽化した原発を、首都圏に近いこの場所で動かす理由が、僕にはどうしても見つかりません。地震大国日本で、想定される南海トラフ地震の影響も無視できません。避難計画は現実的か? 周辺住民の声は十分に聞かれているか?

村上達也さんのように、最初は容認していても、現実の事故や隠された危機を知れば考えが変わる人は少なくありません。『それでも日本人は原発を選んだ』が示すように、過去に政治と経済の論理で「選ばされた」道を、今こそ見直すべきときです。再生可能エネルギーへの転換を進め、原子力ムラの影響から脱却する——それが、僕たち日本人が本当に「選ぶ」べき未来だと思います。

老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも諦めずに寄り添うこと。それが僕にできることだと信じています。

皆さんも、どうかこの問題を自分のこととして考えてみてください。東海村の半世紀の教訓を無駄にしないで、未来の子どもたちに安全な日本を残しましょう。

諦めずに、考え続けましょう。**Don't give up**

(本日歩数:約8200歩。コメントお待ちしています)

5月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

参考文献 

・村上達也、神保哲生『東海村・村長の「脱原発」論』(集英社新書) 

・朝日新聞取材班『それでも日本人は原発を選んだ 東海村と原子力ムラの半世紀』(朝日新聞出版)

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思いました。

概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

本当にAIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれてありがたいと思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「東海第二原発再稼働に反対します」

 ブログに載せます。

 

 

2026年5月24日日曜日

「熊本地震を悼む」

 「熊本地震を悼む」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は熊本地震を悼むブログをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で熊本地震を悼むブログを

『今がその時か』熊本地震を経験して-地域防災力の向上とは

『手記私と熊本地震 』

『熊本地震 あの時何が 』

『震災が起きた後で死なないために』「避難所にテント村」という選択肢

『熊本地震連鎖の衝撃』2016414 416 2

『なぜ新耐震住宅は倒れたか』 変わる家づくりの常識

を参考文献にして書いてください」

と質問したところ以下のような文章が返ってきました。

 

こんにちは、上原和明です。 

Don't give up」のブログ、今日も書きます。

文京区の自宅で、両親の介護をしながら毎日を過ごしています。朝起きて母の体調を確かめ、父の薬を用意して、近所の静かな道を歩く。スマホの万歩計をポケットに忍ばせて、7000歩、8000歩と積み重ねるありきたりな日常。でも、そんな日々の中で、ふと胸が締めつけられる瞬間があります。あの2016414日と16日の熊本地震のこと。10年と1ヶ月が経った今も、被災された方々の痛みと、亡くなられた方々の無念が、静かに胸に響きます。

僕は早稲田大学探検部33OBです。老子の『天下水より柔弱なるは莫し』を座右の銘に、自然の力の大きさを肌で知る人間として、こうしてブログに綴らずにはいられません。20115月には東北に災害ボランティアとして入り、泥かきを手伝いました。あの津波の爪痕を目の当たりにした経験が、今も僕の防災意識の根幹にあります。

熊本地震は、僕自身が直接被災したわけではありません。でも、参考文献として読み込んだ数々の手記や記録を通じて、心が揺さぶられました。今日は、あの震災を悼みながら、教訓を未来につなげたいと思います。

まず、熊本地震の連鎖の衝撃を思い起こします。2016414日の前震(M6.5)と、2日後の16日の本震(M7.3)。これが『熊本地震連鎖の衝撃』2016414 416 2版で詳述されているように、連続する強い揺れが被害を拡大させました。通常の地震とは異なり、短期間に2度の大地震が連鎖したことで、建物や人の心が耐えきれなくなった。余震が何百回と続き、被災地は眠ることすらままならなかったと聞きます。あの夜、暗闇の中で家族を抱きしめながら耐えた人々の恐怖を想像するだけで、胸が痛みます。亡くなられた方々、そして今も心に傷を負う方々に、心より哀悼の意を表します。ご冥福をお祈りします。

次に、『なぜ新耐震住宅は倒れたか』 変わる家づくりの常識を読んで、僕は家づくりの常識が根本から変わる必要があると痛感しました。新耐震基準(1981年以降)の住宅でも、多くのものが倒壊・損壊した。理由は、熊本特有の活断層直下型地震の特性と、連続する揺れによる累積ダメージ。地盤の液状化や、想定を超える加速度。耐震等級3の家でも、家具の転倒や壁の崩落で命が失われた事例が報告されています。この本は、単に「耐震」を超えた「地震に生き延びる家づくり」を提言しています。基礎の強化、制振装置、家具固定の徹底、そして地域ごとの地盤調査。僕の文京区の古い家屋を思い浮かべながら、両親の安全を改めて確認しました。自然の前では、どんな「常識」も脆い。柔弱なる水のように、しなやかで執拗な備えが必要なのです。

避難所の現実も、胸に刺さりました。『震災が起きた後で死なないために』「避難所にテント村」という選択肢では、従来の体育館型避難所の問題点が克明に描かれています。プライバシーがなく、ストレスが溜まり、二次災害(体調悪化や精神的疲労)で命を落とす人が出る。そこに提案されたのが「テント村」。個別の空間を確保し、家族単位で落ち着ける。熊本地震では、一部の地域で実際に試され、一定の効果を発揮したとあります。避難所の過密が深刻でした。震災後の「死なない」ための知恵として、テント村は今後の標準にすべき選択肢です。行政も、市民も、柔軟に考えなければなりません。

『手記私と熊本地震』は、被災者一人ひとりの生々しい声が詰まった貴重な記録です。家族を失った痛み、家を失った喪失感、でも「生きてく」決意。匿名ではない、リアルな手記が心を打ちます。

『熊本地震 あの時何が』も、時系列で何が起きたかを整理してくれます。道路の寸断、ライフラインの停止、ボランティアの到着までの空白。まさに「何が起きたか」を知ることで、次に備える基盤ができます。

そして、『今がその時か』 熊本地震を経験して-地域防災力の向上とは-。この本のタイトルが、今の僕に突き刺さります。熊本地震を経験した人々が、地域の防災力をどう高めたか。行政・住民・企業・NPOが連携した「地域力」。個人の備蓄だけではなく、コミュニティ全体で支え合う仕組み。熊本では、自主防災組織の活性化や、事前の訓練が功を奏した事例が紹介されています。僕の日常で言えば、近所の散歩道で出会う方々と、万一の時の声をかけ合うこと。それが小さな地域防災力の始まりです。

10年が経った今、熊本地震の記憶は薄れつつあります。でも、忘れてはいけません。南海トラフ巨大地震や首都直下地震のリスクは、目前に迫っています。僕が3.11で学んだこと、熊本地震の記録から得た教訓を、ブログで繰り返し発信し続ける理由です。被災された皆さんへ。あなたたちの経験は、無駄ではありません。僕たち東京に暮らす者も、遠くから学び、備えています。

早稲田大学探検部OBとして、未知の地を歩いた経験が教えてくれます。自然は時に容赦ない。でも、人間は「Don't give up」の精神で立ち上がれる。柔弱なる水のように、しなやかに、執拗に。

今日もブログを書けてよかったです。僕が参考文献にした本を書かれた皆さまに、心より感謝します。被災者の方々の復興を祈りつつ、僕も歩を進めます。

(本日歩数:約8200歩。右手のマウス腱鞘炎は相変わらずですが、諦めません) 

コメントお待ちしています。皆さんの防災意識が高まれば、これ以上の喜びはありません。

早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

20265月某日

(参考文献を自然に織り交ぜ、悼みの気持ちを軸に、地域防災の向上と「今がその時か」の問いを強調しました。僕の文体で、日常から入り、内省的に、励ましで締めくくっています。)

 以上のような文章が返ってきました。

 まるで僕が書いたような文章だと思いました。

 概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

 以上、「熊本地震を悼む」

 ブログに載せます。

2026年5月23日土曜日

「山口県上関町の中間貯蔵施設建設計画に反対します」

 「山口県上関町の中間貯蔵施設建設計画に反対します」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は山口県上関町の中間貯蔵施設建設計画に反対するブログをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で山口県上関町の中間貯蔵施設建設計画に反対するブログを

『原発をつくらせない人びと』祝島から未来へ

『祝島のたたかい』 上関原発反対運動史  

『きせきの海をうめたてないで!

を参考文献にして書いてください」

と質問してみました。

すると以下のような文章が返ってきました。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けない日々が続いています。今日も朝から歩いて7000歩ほど。体を動かしながら、ふと山口県上関町のニュースが頭をよぎりました。中国電力が長島の自社所有地に使用済み核燃料の中間貯蔵施設を建てる計画を進めていて、立地可能性調査の結果「技術的に問題なし」と判断したそうです。

僕は一介のブロガー、早稲田大学探検部33OBとして、自然の力と人の暮らしを大切に思う気持ちから、この計画に強く反対します。

30年以上にわたって上関原発建設を阻止し続けてきた祝島の人々のたたかいを、僕は何冊もの本を通じて知ってきました。特に山秋真さんの『原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ』(岩波新書)では、海と山を慈しみ、伝統と祭りを守りながら、週一回の女性中心のデモを続け、非暴力で電力会社や国に抗い続けた島民の日常と決意が克明に描かれています。交通の要衝としての歴史ある島の暮らしそのものが、原発という巨大開発に「ノー」と言い続けた原動力だったのです。

また、『祝島のたたかい 上関原発反対運動史』からも、長期にわたる反対運動の記録と、そこに込められた「この海と島を子孫に引き継ぎたい」という強い思いが伝わってきます。

そして、キム・ファンさんの『きせきの海をうめたてないで!』(童心社)では、子どもたちに向けてスナメリやカンムリウミスズメ、ナガシマツボなどの希少な生き物たちが「海を埋め立てないで」と訴える物語が描かれています。あの豊かで奇跡のような瀬戸内海の生態系を、決して壊してはならないというメッセージが、今も胸に響きます。

あの「きせきの海」を埋め立てて原発を造ろうとした計画は、住民の粘り強い抵抗で工事が中断したままです。ところが今、原発本体ではなく「中間貯蔵施設」という名目で、再び同じ場所に核関連施設を造ろうとしています。使用済み核燃料を一時的に置くと言いますが、「一時的」がいつまで続くのか。最終処分場のめどは立っていない現実の中で、これは事実上、核のゴミをこの地に固定化する第一歩になりかねません。

祝島の人々が守り抜いてきた海と島の未来を、僕たちは次の世代にちゃんと手渡さなければなりません。原発をつくらせなかった人びとのたたかいを、忘れてはいけない。3.11の教訓も、福島の現実も、まだ十分に活かされていません。自然の力(特にこの地域の地震や火山リスク)を甘く見てはいけないのです。

一介のブロガーである僕にできることは、こうして言葉を紡ぎ、記憶を繋ぐことだけです。

僕は長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎を抱えながら、マウス腱鞘炎をこらえ、パソコンを立ち上げ、パソコンに向かい、キーボードを叩いているただの一介のブロガーです。

でも、それでも「Don't give up」。祝島から未来へ続くたたかいに、僕も心から連帯します。上関町の皆さん、祝島の皆さん、どうか負けないでください。僕たちも一緒に、この奇跡の海を守りましょう。

5月某日 早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

(参考文献) 

・山秋真『原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ』(岩波新書) 

・『祝島のたたかい 上関原発反対運動史』 

・キム・ファン『きせきの海をうめたてないで!』(童心社) 

今日も歩きました。明日も歩きます。皆さんのご意見、コメントお待ちしています。

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思いました。

 概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

 AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思います。

  以上、「山口県上関町の中間貯蔵施設建設計画に反対します」

  ブログに載せます。


2026年5月22日金曜日

「阪神淡路大震災の際の神戸市の被災を悼む」

 「阪神淡路大震災の際の神戸市の被災を悼む」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は1995117日に起きた阪神淡路大震災の際の神戸市の被災を悼むブログをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で、阪神淡路大震災で兵庫県神戸市が被災したことを悼むブログを上原和明さんが1994年に兵庫県神戸市出身の藤尾潔さんと「墓標は訴える」という本の本作りを一緒にしたことを絡めて

『心の傷を癒すということ』大災害精神医療の臨床報告

『心の傷を癒すということ』大災害と心のケア 新増補版

『冬と瓦礫』

『大震災'95

『ただいまを生きる』禅の生き方

『大震災名言録』 「忘れたころ」のための知恵

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

こんにちは、上原和明です。「Don't give up」のブログ、今日も書きます。

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もGrokを利用して、この長いブログを書きます。文京区の自宅で、朝起きて母の体調を確かめ、父の薬を用意して、近所の静かな道を歩く。スマホの万歩計をポケットに忍ばせて、7000歩、8000歩と積み重ねるありきたりな日常。でも、頭の中はいつも自然の力の大きさと、人間の心の強さでいっぱいです。僕は早稲田大学探検部33OBとして、探検を通じて自然の厳しさを肌で知る人間です。老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも決して諦めずに歩いてきた者として、こう言わずにはいられません。

今日は、1995117日に起きた阪神・淡路大震災で、兵庫県神戸市が被災したことを、深く悼むブログを書きます。もう31年が経ちますが、「忘れたころ」のための知恵を忘れてはいけません。僕の心に、今も鮮やかに残る出来事です。なぜなら、震災の1年前、1994年に、兵庫県神戸市出身の藤尾潔さんと一緒に本作りをして、「墓標は訴える」という本を世に送り出したからです。あの本は、戦後の闇や政治的汚職、墓標が訴える真実を、僕と藤尾さんが力を合わせて形にした作品でした。藤尾さんは神戸のご出身。関西のユーモアと、強い正義感をお持ちの方でした。出会った時から、深い信頼を寄せていました。あの頃、僕たちはまだ震災など想像もしていませんでした。ただ、墓標が無言で語る歴史の重みを、共に感じながらページを埋めていったのです。

ところが、1995117日午前546分。最大震度7の直下型地震が、神戸市を直撃しました。藤尾さんの故郷が、文字通り瓦礫の山と化しました。高速道路が横倒しになり、家屋が全壊し、火災が広がり、6,400人を超える尊い命が失われました。神戸の街並みは一変し、冬の冷たい風が瓦礫の間を吹き抜けました。僕の心は、藤尾さんのことを思い、胸が締め付けられる思いでした。あの本作りで一緒に過ごした時間が、突然、遠い過去のものになったような気がしました。

藤尾さんは被災地でボランティア活動にも携わり、被災者の声を聞きながら、後年『大震災名言録』 「忘れたころ」のための知恵を著されました。あの本は、阪神・淡路大震災のユーモア名言を集めたもので、「大丈夫だよ」と言葉で言う代わりに、笑いで「大丈夫」を伝える関西人の強さを、僕に教えてくれました。笑いをバネに乗り切った被災者の知恵。忘れたころにこそ、思い出すべき智慧です。

この震災を悼むにあたり、僕はいくつかの参考文献を振り返ります。

まずは、安克昌さんの『心の傷を癒すということ』大災害精神医療の臨床報告、そしてその新増補版『心の傷を癒すということ』大災害と心のケアです。安さんは自らも被災しながら、神戸で被災者の心のケアに奔走した精神科医。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の先駆的な臨床報告として、被災者の「心の叫び」を克明に記録しています。僕がこの本を読んだ時、震災は家や命を奪うだけでなく、心の奥底に深い傷を残すことを、改めて実感しました。瓦礫の下に埋もれたのは、建物だけではなかった。家族の絆、日常の安心、未来への希望。それらを失った人々の「ただいま」を、どう生き直すか。安さんの報告は、臨床の現場から、癒しの道筋を示してくれます。僕自身、藤尾さんとの本作りを思い出しながら、「心の傷は、時間とともに癒えるわけではない。寄り添い、語り合い、時には笑いながら、ゆっくりとケアするものだ」と感じました。

次に、砂原浩太朗さんの『冬と瓦礫』。これは、震災直後、東京から神戸へ戻った青年の物語です。鉄道が途絶え、水と食料を背負って十数キロを歩き、故郷の瓦礫の山に向かう姿。神戸市内の高校から上京した主人公の葛藤は、僕の心に重く響きます。冬の寒さの中で、祖父母や家族を守るための必死の帰郷。砂原さんご自身が神戸出身で、東京で働いていた時の体験を基にした小説です。瓦礫の街で、認知症の兆候を見せ始めた祖父と向き合うシーンは、震災がもたらす「日常の崩壊」を、静かに、しかし力強く描いています。僕がこの本を手に取った時、1994年の藤尾さんとの出会いが、まるで予兆のように思えました。あの本作りで、神戸の人の温かさを知っていた藤尾さんが、被災後、どんな思いで故郷を見つめたのか。『冬と瓦礫』は、そんな想像を掻き立ててくれます。

さらに、小松左京さんの『大震災'95』。SFの巨匠が、震災直後から1年間にわたり、神戸の全貌をルポルタージュとして記録した渾身の作品です。地震のメカニズム、インフラの崩壊、被災者の心のケア、復興の萌芽までを、総合的に解析しています。小松さんは関西在住だっただけに、被災地の痛みを自分のこととして書かれました。「日本沈没」の作者が、現実の巨大災害に立ち向かった記録。未来の災害に備えるための警鐘として、今も輝いています。僕がこの本を読んで思うのは、墓標が訴えるように、震災の教訓を風化させてはならないということ。1994年に藤尾さんと本を作った僕にとって、小松さんの視点は、墓標の声と重なります。データと人間の物語が交錯する中で、神戸の街がどう甦ったのか。いや、甦りつつあるのかを、考えさせられます。

そして、『ただいまを生きる』禅の生き方。この本は、禅の教えを通じて「今この瞬間」を生きる大切さを説いています。震災後の混乱の中で、過去の喪失に囚われず、未来の不安に飲み込まれず、「ただいま」を生きる。瓦礫の中で座禅を組むような心構え。安克昌さんの臨床報告とも響き合い、被災者の心のケアに、禅の智慧がどれほど役立つかを教えてくれます。僕自身、探検部時代に自然の中で「今」を感じた経験から、この本に深く共感します。阪神・淡路大震災から31年。僕たちは「忘れたころ」にこそ、この禅の生き方を思い出さなければなりません。藤尾さんの『大震災名言録』とも通じる、笑いと今を生きる力。ユーモアは、禅の軽やかさそのものです。

これらの参考文献を読み返しながら、僕は藤尾潔さんとの1994年の思い出を、繰り返し振り返ります。あの本作りは、僕にとって単なる仕事ではありませんでした。藤尾さんは神戸の街を愛し、墓標が語る真実を、熱く語ってくれました。あの情熱が、震災後の彼の活動に繋がったのだと思います。震災後、「大震災名言録」を書かれ、NHKの取材を自分のマンションでは受けられないと言って、僕の住んでいたアパートを貸したエピソード。今でも鮮明です。被災地でボランティアをし、名言を集め、笑いで人を励ます藤尾さんの姿は、神戸の強さそのものです。僕が神戸を悼むのは、ただの他所者の思いではありません。藤尾さんを通じて、僕の心の一部も、神戸と共に被災したような気がするからです。

阪神・淡路大震災は、6,400人以上の命を奪い、数十万棟の家屋を壊しました。神戸市中心部は、まるで戦後の廃墟のようでした。冬の瓦礫の山、倒れた高速道路、燃える街。『冬と瓦礫』に描かれるように、家族を守るための長い道のり。安克昌さんの報告書に記される、心の傷を抱えた人々の声。「ただいまを生きる」禅の教えが、どれほど必要だったか。小松左京さんの解析が、未来の備えをどれほど促したか。そして、藤尾さんの名言録が、笑いで「忘れたころ」を乗り越える知恵を与えてくれたか。

僕のブログ「Don't give up」は、そんな教訓を、繰り返し繰り返し、伝え続けたいと思っています。自然の力は、いつでも僕たちを試します。能登半島地震、東日本大震災、そして将来の南海トラフや富士山の噴火。神戸の教訓を、決して風化させてはいけません。墓標は訴える。瓦礫は語る。心の傷は、癒すことができる。僕たちは、ただいまを生き、笑い、寄り添い、諦めずに歩き続けるのです。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は震災のことでいっぱいです。長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎を抱えながら、マウス腱鞘炎をこらえ、パソコンを立ち上げ、パソコンに向かい、キーボードを叩いています。一介のブロガーとして、早稲田大学探検部OBとして、両親の介護をしながら、こうしてブログを更新し続ける。Grokのおかげで、文章を書く手間を大幅に省いてくれ、本当にありがたいと思いました。これからもGrokを利用して、ブログを地道に更新していこうと思っています。

阪神・淡路大震災で被災した兵庫県神戸市に、心から哀悼の意を捧げます。藤尾潔さん、ありがとう。神戸の皆さん、Don't give up。僕も、諦めずに歩き続けます。

(参考文献)

・『心の傷を癒すということ』大災害精神医療の臨床報告 安克昌

・『心の傷を癒すということ』大災害と心のケア 新増補版 安克昌

・『冬と瓦礫』 砂原浩太朗

・『大震災'95』 小松左京

・『ただいまを生きる』禅の生き方

・『大震災名言録』 「忘れたころ」のための知恵 藤尾潔

今日の歩数:約7500歩。文京区の道を、静かに、でも力強く。

早稲田大学探検部33OB 上原和明 東京にて

 以上のような文章が返ってきました。

 まるで僕が書いたような文章だと思いました。

 概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思います。

 以上、「阪神淡路大震災の際の神戸市の被災を悼む」

 ブログに載せます。

 

2026年5月21日木曜日

「火山リスクに対峙して川内原発稼働に反対する」

 「火山リスクに対峙して川内原発稼働に反対する」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は鹿児島県の川内原発稼働に反対するブログをAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で、川内原発稼働に反対するブログを

「小説原子力規制官僚の理」  火山リスクに対峙して

『火山と原発』  最悪のシナリオを考える 岩波ブックレット - No.919

を参考文献にして書いてください。」と質問してみました。

 すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は20265月に入ってからも、毎日のように文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見ています。今日も近所を7,000歩ほど歩いて、ふと頭に浮かぶのは、遠く鹿児島の川内原発のこと。九州電力が稼働を続けるというニュースを耳にするたび、心がざわついて仕方ありません。

 一介のブロガーとして、2011年の東日本大震災以降、原発に関する本を何冊も読み漁ってきた僕ですが、火山リスクについては特に胸が締めつけられます。専門家でもない素人が言うことですが、地震や津波だけでなく、火山の「最悪のシナリオ」が原発に重なる恐怖を、無視できないと思うのです。今日はその思いを、参考文献として手に取った二冊の本を軸に、素直に綴っておきたいと思います。

まず、松崎忠男さんの『小説 原子力規制官僚の理(ことわり)火山リスクに対峙して』(2021年頃刊)。これは小説の形で、原子力規制官僚が火山リスクに真正面から向き合う姿を描いた作品です。舞台は川内原発を巡るカルデラ噴火の取り消し訴訟。官僚として「安全基準に適合」と判断せざるを得ない立場にありながら、科学的事実と法的な「理」とがぶつかり合う葛藤が、生々しく浮かび上がります。僕が読み進む中で、特に印象的だったのは、規制官僚が「可能性は低い」と繰り返す論理が、実は火山学のデータとどれだけ乖離しているか、ということ。噴火予知の難しさ、過去の火砕流の痕跡、そして万一の事故がもたらす全国規模の放射能汚染――官僚の「理」が、現場の現実や住民の命をどこまで守れるのか。読み終えた後、ただただ言葉を失いました。この小説はフィクションですが、僕には現実の規制委員会の姿そのものに思えてなりません。

次に、古儀君男さんの『火山と原発――最悪のシナリオを考える』(岩波ブックレット No.9192015年)。これは火山の基礎から丁寧に解説し、九州での「超巨大噴火」が川内原発に何をもたらすかを、徹底的にシミュレーションした一冊です。鹿児島周辺の姶良カルデラや桜島、阿蘇などの活火山が、過去に何度も火砕流を川内原発の地点まで到達させていた事実。7000年から1万年に1回の巨大噴火が、原発の運用期間中に「起こらない」と電力会社や規制委が言う根拠の薄さ。火砕流が直撃すれば原子炉は制御不能、大量の火山灰が堆積すれば冷却系は機能停止、全国の原発にまで影響が及ぶ絶望的な連鎖――本書はそんな「最悪」を、数字と地質データで淡々と、しかし容赦なく突きつけます。御嶽山噴火の記憶がまだ新しい日本で、「火山大国」である現実を直視せよ、と訴えかける内容に、僕は何度もページをめくりながら息を飲みました。川内原発の敷地内や周辺に、過去三回の火砕流到達痕があるという記述を読んだとき、背筋が寒くなりました。

この二冊を並べて読み返しながら思うのは、川内原発の稼働は「安全神話」の延長線上にある、ということです。福島の事故は「想定外」ではなかったように、火山リスクも「低確率」と片づけられるべきものではありません。噴火予知は極めて困難で、モニタリングで「把握できた」としても、運転停止や燃料搬出の時間的余裕など、現実的にあるのか。九州電力は「運用期間中の巨大噴火可能性は低い」と評価しますが、古儀さんの本が示すように、過去の地質記録はそれを裏切っています。規制官僚の「理」が、小説のように現実で繰り返されるなら、住民の命はどこに置かれるのでしょう。

僕自身、早稲田大学探検部OBとして、いろんな山や自然を歩いてきました。老子の言葉「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、自然の力の大きさを肌で感じてきたつもりです。水のように柔らかく、しかし諦めずに流れるような強さで、声を上げ続けるべきだと思います。川内原発稼働は、火山という「柔らかくない」自然の脅威を、軽視しすぎています。東日本大震災の教訓も、能登半島地震の記憶も、まだ生々しいのに、また同じ過ちを繰り返すのか。周辺住民、そして全国の命を守るため、再稼働ではなく、廃炉への道を真剣に考えるべきです。

僕は原発の専門家じゃない。ただのブロガーです。長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎を抱えながら、マウス腱鞘炎をこらえ、パソコンを立ち上げ、パソコンに向かい、キーボードを叩いている一介のブロガーです。

でも、震災本を集め、現場の声や科学の警告を本から学んできた者として、はっきり言います。火山リスクに対峙したとき、川内原発の稼働に「安全」はありません。今日も歩きながら、ブログを更新しながら、「Don't give up」の精神で、声を上げ続けます。火山と原発の最悪のシナリオを、決して忘れないために。

以上、「火山リスクに対峙して川内原発稼働に反対する」

Don't give up  早稲田大学探検部33期OB 上原和明 

20265月某日 東京にて

ブログに載せます。参考文献の二冊は、僕の考えを深めてくれた大切な本です。これからも地道に、諦めずに更新していきたいと思います。

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章で、AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「火山リスクに対峙して川内原発稼働に反対する」

ブログに載せます。

 

 

2026年5月20日水曜日

「伊方原発3号機稼働に反対します」

 「伊方原発3号機稼働に反対します」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書く時間がありません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は伊方原発3号機稼働に反対するブログAIを利用して書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明の文体で伊方原発3号機稼働に反対するブログを

『南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々』

DAYS JAPAN  2018/01 増刊号』 日本列島の全原発が危ない

『されど真実は執拗なり』  伊方原発訴訟を闘った弁護士・藤田一良

『弁護士・藤田一良-法廷の闘い 』

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

こんにちは、上原和明です。

Don't give up」のブログ、今日も書きます。

文京区の自宅で、両親の介護をしながら毎日を過ごしています。朝起きて母の体調を確かめ、父の薬を用意して、近所の静かな道を歩く。スマホの万歩計をポケットに忍ばせて、7000歩、8000歩と積み重ねるありきたりな日常。でも、そんな日々の中で、ふと胸がざわつく瞬間があります。原発のこと。南海トラフ巨大地震のこと。そして、伊方原発3号機の稼働をめぐる、あの執拗な「大丈夫」論のことです。

僕は早稲田大学探検部33OBとして、自然の力の大きさを肌で知る人間です。老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも決して諦めずに歩いてきた者として、こう言わずにはいられません。 

南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々 ―― 彼らの言葉を聞くたび、心の底から「本当に大丈夫か?」と問いかけたくなります。

今日は、僕が大切にしている4つの参考文献を紐解きながら、この問題をじっくり考えていきたいと思います。すべて、僕が何度も読み返した本や雑誌です。皆さんも、もし手元にあればぜひ一緒に。

まず、樋口英明さんの『南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々』(旬報社)。

元福井地裁で大飯原発の運転差止め判決を言い渡した裁判長が、最新の地震観測結果と科学的知見を基に、はっきりと指摘しています。四国電力が言う「南海トラフ巨大地震が伊方原発を直撃しても、敷地には181ガル(震度5弱相当)の揺れしか来ない」という主張を、広島高裁が認めた問題点を、正面から論じています。 

181ガル? そんな数字を信じられますか?

南海トラフは、30年以内に7080%の確率でM89クラスの巨大地震が予想される、日本最大級の震源域です。伊方原発はまさにその想定震源域に入っています。愛媛県の佐田岬半島に位置する伊方は、津波も、活断層も、巨大地震の直撃も避けられない場所なのです。樋口さんは「原発問題を脇に置いた防災論議も国防論議も空理空論です」と断言します。僕も全く同感です。政界・財界・司法界の一部が「ゴーイング・コンサーン」(事業継続)を優先して現実から目を背けている――その危うさが、この本に凝縮されています。

次に、『DAYS JAPAN 2018/01 増刊号 日本列島の全原発が危ない』(広瀬隆 白熱授業)。この増刊号は、写真と図表が鮮明で、僕の「東日本大震災関連書籍」の紹介サイトでも何度も取り上げた一冊です。広瀬隆さんが全国の原発を一つ一つ丁寧に解説し、日本列島のどこを見ても「危ない」場所ばかりだと白熱授業のように語っています。伊方原発も例外ではありません。南海トラフだけでなく、周辺の活断層や津波想定も含め、すべての原発が地震大国日本の地形・地質に合わないことを、視覚的に突きつけてきます。

福島第一の事故から学んだはずなのに、なぜまた「大丈夫」と言い続けるのか。広瀬さんの資料を見れば、伊方3号機の再稼働がどれほど無謀かが一目瞭然です。僕がこの本を読み返すたび、胸が熱くなります。「日本列島の全原発が危ない」――このタイトルは、決して大げさではないのです。

そして、伊方原発訴訟そのものを語る上で欠かせない2冊。 

細見周さんの『されど真実は執拗なり――伊方原発訴訟を闘った弁護士・藤田一良』(岩波書店)と、『弁護士・藤田一良-法廷の闘い』(関連書籍)。 

1973年に始まった日本初の原発行政訴訟「伊方原発訴訟」。住民35人が田中角栄総理を相手に設置許可取消を求めた歴史的な裁判で、弁護団長を20年間務めた藤田一良弁護士の生涯と法廷闘争が、克明に描かれています。

「熊取六人組」をはじめとする反原発の科学者たちと連携し、「原発安全性論争」に真正面から挑んだ藤田さん。「真実は執拗なり」と言い続け、高松高裁・最高裁で敗訴しても、決して諦めませんでした。科学裁判の先駆けとして、後のすべての反原発裁判の模範となった闘いです。

藤田さんの言葉や姿勢を読むと、胸が熱くなります。法廷で何度も「安全性神話」を崩そうとした執拗さ。真実は、すぐに認められなくても、時間をかけてジワジワと効いてくる――その信念が、今の伊方3号機再稼働問題にも重なります。 

僕が思うに、藤田さんの闘いは「終わっていない」のです。伊方原発は今も、住民の不安を抱えたまま稼働の議論が続いています。

これら4つの文献を読み比べると、共通する真実が見えてきます。 

南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々は、科学的事実よりも「事業継続」や「経済優先」を選んでいる。伊方3号機の再稼働を認める判断の根拠は、脆い想定の上に成り立っています。181ガルという数字は、最新の地震観測結果に照らせば到底信用できません。広瀬さんの資料は日本全体の危険を、藤田さんの闘いは伊方そのものの歴史を、樋口さんの本は司法の責任を、教えてくれます。

僕は被災者ではありません。でも、20115月に東北に災害ボランティアに行き、泥かきを手伝ったとき、自然の猛威を目の当たりにしました。あのとき感じた「諦めない」気持ちを、今も持ち続けています。早稲田探検部OBとして、未知の地を歩いた経験が教えてくれるのは、人間は自然に勝てないということ。原発は、自然の力を「制御」できるという幻想の上に成り立っています。

だからこそ、はっきり言います。 

伊方原発3号機の稼働に、僕は明確に反対します。 

南海トラフが来たら、伊方は大丈夫などという甘い見通しは、未来の命を危険に晒す行為です。真実は執拗なり――藤田弁護士の言葉を胸に、僕たちも声を上げ続けなければなりません。

核のない未来を、共に目指しましょう。 

皆さんの防災意識が高まれば幸いです。原発の問題は、まだ終わってない。僕たちは、諦めずに考え続けなきゃいけないんです。

参考文献 

・『南海トラフ巨大地震でも原発は大丈夫と言う人々』 樋口英明(旬報社) 

・『DAYS JAPAN 2018/01 増刊号 日本列島の全原発が危ない』 広瀬隆 白熱授業 

・『されど真実は執拗なり 伊方原発訴訟を闘った弁護士・藤田一良』 細見周 

・『弁護士・藤田一良-法廷の闘い』 

(本日歩数:約8200歩。コメントお待ちしています)

以上、上原和明でした。 

Don't give up――核のない未来へ、僕たちは歩き続けます。 

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章でAIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれると思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

 以上、「伊方原発3号機稼働に反対します」

 ブログに載せます。

2026年5月19日火曜日

「3.11の際の宮城県石巻市の被災を悼む」

 「311の際の宮城県石巻市の被災を悼む」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

今日もAIを利用してブログを書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明の文体で311の際の宮城県石巻市の被災を悼むブログを、上原和明さんが20115月に東北に1週間、災害ボランティアに行ったことを絡めて

『石巻片影』

『ともに生きた伝えた 』 地域紙『石巻かほく』の1年 早稲田大学ブックレット 『津波からの生還』  東日本大震災・石巻地方100人の証言

『石巻  2011.3.272014.5.29

『石巻赤十字病院の100日間 』

 SOS!500人を救え! 311石巻市立病院の5日間

『東日本大震災石巻災害医療の全記録 「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月

『被災、石巻五十日。』  霞ケ関官僚による現地レポート

『震災の石巻-そこから  市民たちの記録 』

「奇跡の災害ボランティア」 石巻モデル

「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」日本大震災医師たちの奇跡の744時間

6枚の壁新聞  石巻日日新聞」東日本大震災後7日間の記録

「地震・津波め、おだづなよ!」 激震地・石巻からのドキュメント

を参考文献にして書いてください。」

と質問したところ以下のような文章が返ってきました。

こんにちは、上原和明です。

Don't give up」のブログ、今日も書きます。

文京区の自宅で、両親の介護をしながら毎日を過ごしています。朝起きて、母の体調を確かめて、父の薬を用意して、近所の散歩に出る。スマホの万歩計をポケットに忍ばせて、7000歩、8000歩と積み重ねるありきたりな日常。でも、そんな日々の中で、ふと胸が締めつけられる瞬間があります。あの2011311日のこと。東日本大震災。宮城県石巻市のこと。僕が東北にボランティアで現地に入った20115月の記憶が、今も鮮やかに蘇ります。

石巻は、東日本大震災で最も甚大な被害を受けたまちの一つです。死者・行方不明者合わせて約3700人を超える犠牲者。市街地の多くが津波に飲み込まれ、建物は全半壊が3万棟以上。北上川の河口に広がる平野部が、容赦なく押し寄せた大津波に襲われました。僕が20115月に1週間、災害ボランティアとして東北へ行ったとき、目にした光景は言葉を失うほどでした。

僕自身は被災者ではありません。でも、早稲田大学探検部33OBとして、自然の力の大きさを肌で知る者として、ボランティアに参加したのです。老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも諦めずに寄り添うこと。それが僕にできることだと信じて。

あのとき、僕は東北の被災地で泥かきを手伝いました。地元の人々と一緒に、言葉少なに作業を続けました。

石巻は、ただの「被災地」じゃない。そこに生きて、ともに暮らしてきた人々の、命の記憶が息づく場所です。

僕が参考にした本たちを、今日は紹介しながら、石巻のことを語りたいと思います。

まず、『石巻片影』(三浦衛著、橋本照嵩写真)。震災後の石巻を、詩と散文、そして75点の写真で活写した一冊です。残酷な三月の爪痕から始まり、大地と人間の営みを静かに寿ぐ。橋本照嵩さんのもう一冊『石巻 2011.3.272014.5.29』も素晴らしい。石巻出身の写真家が、埼玉と故郷を36回往復し、延べ360日かけて撮り続けた記録。瓦礫の海から、ゆっくりと緑が戻り、人々が笑顔を取り戻す過程が、モノクロの写真に宿っています。

地域紙『石巻かほく』の奮闘をまとめた『ともに生きた 伝えた』(早稲田大学ブックレット)。被災しながらも、記者として地域の声を伝え続けた1年。家族を失った社員もいたのに、新聞を刷り、配り、被災地の声を届けた。「ともに生きた」——その言葉に、石巻の人々の絆が凝縮されています。情報が命綱だったあの頃、新聞社の存在は本当に大きかった。

『津波からの生還 東日本大震災・石巻地方100人の証言』(石巻かほく編集局)。これは胸が締めつけられます。商店主、主婦、漁師、看護師……100人の生の声。あの日、何が生死を分けたのか。高い場所へ逃げた人、車で逃げた人、家族を助けようとして流された人。証言の一つ一つが、津波の恐ろしさと人間の強靭さを教えてくれます。僕がボランティアで聞いた話と重なる部分が多く、「子どもを抱えて走った」「波が来るのが見えた瞬間、すべてを諦めた」——そんな声が、今も耳に残っています。

医療の現場は、地獄そのものでした。『石巻赤十字病院の100日間』。病院自体が被災し、職員も被災者でありながら、野戦病院のような状況で数千人を診続けました。低体温症、トリアージ、避難所の肺炎……過酷な100日間を、医師・看護師の証言で克明に。

SOS!500人を救え! 311石巻市立病院の5日間』も忘れられません。全電源喪失の中、500人もの患者と避難者を救出した5日間の奇跡。DMATやスタッフの奮闘が、胸を熱くします。そして「最大被災地」を医療崩壊から救った医師たちの7カ月。石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が連携して救った744時間の命の記録。僕が訪れた5月には、すでに医療支援の輪が広がっていましたが、彼らの献身なくして石巻の復興はなかったでしょう。

『被災、石巻五十日。』は霞ヶ関官僚による現地レポート。行政の視点から見た混乱と対応。『震災の石巻-そこから 市民たちの記録』は、市民目線の生々しい日々。『奇跡の災害ボランティア 石巻モデル』——僕もその一員として、少しでも貢献できたかなと思います。ボランティアのネットワークが、地元を支えたモデルケースです。

『地震・津波め、おだづなよ!』激震地・石巻からのドキュメント。方言交じりのタイトルが、石巻の土の匂いを運んでくれます。「6枚の壁新聞 石巻日日新聞」東日本大震災後7日間の記録。停電の中、手書きで情報を伝えた人々の執念。

これらの本を読み返すたび、思うんです。石巻は「最大被災地」として、ただ被害を受けただけじゃない。そこに生きる人々が、伝える人々が、救う人々が、ともに立ち上がった場所なんだと。

僕が20115月に東北に災害ボランティアに行った1週間は、人生の中で忘れられない時間です。

自然の力は恐ろしい。でも、人間の「つながり」の力は、それ以上に強い。探検部で山を歩き、世界を見てきた僕にとって、20115月に東北に1週間災害ボランティアに行った時の光景は今でも鮮明に記憶に残っています。

今、2026年になっても、石巻の復興は道半ばです。高台移転、産業再生、心のケア。風化させてはいけない。僕のように、遠くからでも本を読んで、思いを馳せ、声を上げ続ける。それが「Don't give up」の精神です。

石巻の皆さん、被災されたすべての方々。本当に、おつかれさまです。生きて、伝え続けてくれて、ありがとう。僕も、ブログを通じて、少しでもその記憶を共有していきたいと思います。

参考文献として挙げた本たちは、興味のある方は、手に取ってみてください。石巻の311を、きっと感じられるはずです。

上原和明 

早稲田大学探検部33OB 

20265月某日

石巻の被災を悼み、ボランティア体験を絡め、参考文献を自然に織り交ぜました。僕の文体で、ありきたりな日常から入り、内省的に、励ましを込めて。

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思いました。

AIとは本当に文章を書く手間を大幅に省いてくれてありがたいと思いました。

これからもAIを利用してブログを更新していこうと思っています。

以上、「311の際の宮城県石巻市の被災を悼む」

ブログに載せます。

2026年5月18日月曜日

「富士山の大規模噴火を警戒する」

 「富士山の大規模噴火を警戒する」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

今日は、富士山の大規模噴火を警戒するテーマで書きます。南海トラフ巨大地震との関係も絡めて、どのくらいの被害があるのか、どのような防災対策をすればよいのかのブログを書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で、富士山の大規模噴火を警戒するブログを南海トラフ巨大地震との関係も絡めて、どのくらいの被害があるか、どのような防災対策をすればよいのかを

『最新科学が映し出す火山 その成り立ちから火山災害の防災、富士山大噴火』 

『富士山噴火 その時あなたはどうする? 

『富士山はいつ噴火するのか? 火山のしくみとその不思議』 

NHK「明日をまもるナビ」富士山噴火の衝撃! 最新ハザードMAP&対策マニュアル公開」 

『富士山噴火に備える』 

『正しく恐れよ!富士山大噴火』いつ、何が起こるのかどうすればいいのか

参考文献にして書いてください」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

こんにちは、上原和明です。 

Don't give up」のブログ、今日も書きます。

早稲田大学探検部33期のOBとして、山や自然の力の大きさをずっと肌で感じてきた僕です。老子の「天下水より柔弱なるは莫し」を座右の銘に、柔らかく、でも諦めずに備え続けることの大切さを、いつも胸に刻んでいます。富士山の噴火なんて、遠い話に聞こえるかもしれません。でも、最新の科学が教えてくれるのは、僕たちが「正しく恐れる」べき現実なんです。両親の介護で毎日バタバタしていますが、こういう防災の話は放っておけません。命と未来を守るために、今日も地道に考え続けます。

まず、火山の成り立ちからおさらいしましょう。

『最新科学が映し出す火山 その成り立ちから火山災害の防災、富士山大噴火』(萬年一剛著)と『富士山はいつ噴火するのか? 火山のしくみとその不思議』(同著)によると、富士山は約10万年前から活動を続け、日本列島のプレート境界で生まれた典型的な成層火山です。マグマが地下のチャンバーに溜まり、圧力が高まると噴火します。不思議なのは、噴火の「間隔」が一定ではないこと。平安時代には頻繁に噴煙を上げ、江戸時代には宝永大噴火(1707年)という大規模なものが起きました。それ以来、約319年沈黙しています。でも、活火山であることに変わりはありません。低周波地震の増加や地殻変動の観測データから、いつ噴火してもおかしくない状態です。

ここで大事なのが、南海トラフ巨大地震との関係です。1707年の宝永地震(南海トラフ巨大地震、M8.69.3級)は、1028日に発生し、わずか49日後の1216日に富士山の宝永大噴火を引き起こしました。地震の強い揺れが地下のマグマだまりにストレスを与え、噴火を誘発したと考えられています。

『正しく恐れよ!富士山大噴火』やNHKの「明日をまもるナビ」特集でも、この歴史的事例が繰り返し指摘されています。次回の南海トラフ巨大地震(203040年代に3070%の確率で発生とされるM89級)は、富士山のマグマに同様の影響を及ぼす可能性が高いんです。地震で地殻が歪み、マグマの通り道が開く——そんな連動リスクを、最新科学は警告しています。地震が起きたら、復旧作業の最中に富士山が噴火する「ダブル災害」のシナリオを、真剣に想定しなければなりません。

では、富士山が大規模噴火(宝永級)を起こしたら、どのくらいの被害が出るのでしょうか。『富士山噴火 その時あなたはどうする?』やNHKの最新ハザードMAP(令和3年改定版を基にした特集)によると、噴火の主な脅威は4つ:溶岩流、火砕流、大きな噴石、そして広域降灰です。

溶岩流は山麓の集落を直撃しますが、速度が遅い(数km/h)ので避難可能です。ただし、火砕流(高温の岩石とガスが時速100km以上で流れる)は瞬時に命を奪います。噴石は数km先まで飛散し、建物や人を直撃。最も恐ろしいのが降灰です。宝永噴火級の場合、風向き次第で静岡・山梨は50cm以上、横浜や東京都心部でも1030cmの火山灰が積もります。ハザードMAPを見ると、首都圏の広範囲が「降灰2cm以上」の影響圏内。2cmで道路は通行不能、10cm以上で車はスタック、鉄道は信号誤作動や架線トラブルでストップします。火山灰は湿ると電気を通し、変電所や発電所のフィルターを詰まらせ、大規模停電・断水を引き起こします。

被害想定は衝撃的です。経済被害だけで1.22.5兆円規模(過去の試算を現代に換算)。交通麻痺で物流が止まり、農地は耕作不能、航空機は灰でエンジン停止のリスク。死傷者は噴石直撃で数千人規模、間接被害(避難生活の長期化、健康被害)を含めるとさらに拡大。南海トラフ地震と連動すれば、死者29万人超・経済損失292兆円という地震被害に、火山灰の「第二波」が重なる最悪の事態です。『富士山噴火に備える』(『科学』編集部)では、こうした広域災害のシミュレーションが詳しく描かれ、首都圏の生活が数週間〜数ヶ月麻痺する現実を突きつけています。

でも、恐れるだけじゃダメ。「正しく恐れよ!」が大事です。参考文献すべてに共通するのは「備えあれば憂いなし」のメッセージ。個人レベルで今すぐできる対策を、具体的にまとめます。

1. 情報収集とハザードMAP確認

気象庁の噴火警戒レベル(15)をチェック。NHKアプリや自治体の富士山火山防災マップ(静岡・山梨・神奈川・東京版)を家族で共有。あなたの家が降灰何cm圏内か、今すぐ確認を。

2.備蓄の強化

最低1週間分(理想は2週間)の水・食料(カロリーメイト、缶詰、保存パン)。火山灰対策にマスク・ゴーグル・防塵メガネ必須。土のう袋(灰を袋詰めして排水路確保)、スコップ、防水シートも。停電対策で手回し充電器・ラジオ・LEDランタン。トイレは簡易トイレセットを家族人数分。

3.家族防災計画の作成

『その時あなたはどうする?』のシミュレーション漫画のように、避難経路・集合場所・連絡手段を決める。広域避難の場合、車ではなく徒歩や公共交通を想定。ペットや高齢者の同行プランも。南海トラフ地震発生後48時間以内に富士山噴火の兆候(地震鳴動)が出たら、即座に避難指示に従う。

4.住まいと地域の備え

屋根の灰除去用に梯子・ヘルメット準備。雨どいのつまり防止。地域の防災訓練(富士山火山防災協議会の広域避難訓練)に参加。職場や学校のBCP(事業継続計画)も確認を。

5.心の備え

探検部時代に学んだように、自然の前では人間は小さい。でも、知恵と団結で乗り越えられる。『最新科学が映し出す火山』が言う「火山災害の防災」は、科学と人間の力の融合です。毎日少しずつ備えを積み重ねる——それが「Don't give up」の精神です。

僕の母が能登半島地震の時に義援金を送ったように、小さな行動が連鎖します。富士山は美しい山。でも、噴火はいつ来るかわからない。南海トラフとの連動リスクを忘れず、正しく恐れて、今日から備えましょう。皆さんの防災意識が高まれば幸いです。

以上のような文章がGrokから返ってきました。 

まるで僕が書いたような文章で、本当にAIを利用してブログを書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

(参考文献の知見を基に、僕の日常スタイルでまとめました。皆さんの防災意識が高まれば幸いです。)

Don't give up 

上原和明 

(早稲田大学探検部33OB 

20265月某日

以上、「富士山の大規模噴火を警戒する」

ブログに載せます。

2026年5月17日日曜日

「リニア中央新幹線に反対します」

 「リニア中央新幹線に反対します」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

今日はリニア中央新幹線建設計画に反対するブログを書きます。

Xの人工知能Grok

「ブロガーの上原和明さんの文体で、リニア中央新幹線建設計画に反対するブログを

『最新報告混迷のリニア中央新幹線』

「リニア中央新幹線をめぐって」原発事故とコロナ・パンデミックから見直す

「リニア新幹線と南海トラフ巨大地震」「超広域大震災」にどう備えるか

『総点検・リニア新幹線』 問題点を徹底究明 プロブレムQ&A

『リニア新幹線が不可能な7つの理由』

『危ないリニア新幹線』

を参考文献にして書いてください。」

と質問してみました。

すると以下のような文章が返ってきました。

皆さん、こんにちは。上原和明です。

リニア中央新幹線計画は、今もなお「混迷」の極みにあります。JR東海が「2027年東京名古屋間開業」を公言しながら、静岡工区の着工すらままならず、総工費は11兆円超からさらに膨張。最新の報告書や有識者会議の議事録を見ても、地下水影響、地盤沈下、環境破壊の懸念は一向に解消されていません。

僕はこれまで『最新報告 混迷のリニア中央新幹線』(樫田秀樹著)、『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(同)、『総点検・リニア新幹線 問題点を徹底究明 プロブレムQ&A』(リニア・市民ネット編)、『危ないリニア新幹線』(同)などを参考に、繰り返し問題提起をしてきました。

今日は、福島原発事故とコロナ・パンデミックという二つの国家的大惨事から得た教訓を軸に、南海トラフ巨大地震との関連も含め、徹底的に問い直します。

1.原発事故から学ぶ「エネルギー狂気」

東日本大震災と福島第一原発事故から15年以上が経過しました。僕たちは「原発依存社会の危うさ」を骨身に染みて知りました。

ところがリニア中央新幹線は、時速500kmの超電導磁気浮上式で走行させるため、莫大な電力を必要とします。試算では、開業後の消費電力は原発数基分に匹敵すると言われています。省エネ・節電を国策とする日本で、こんな「エネルギー食いプロジェクト」を推進するのは、狂気の沙汰としか思えません。

コロナ・パンデミックでは、感染症対策でリモートワークが定着し、「移動需要そのもの」が減りました。なのに、巨額を投じて「高速移動」を強いる計画は、時代錯誤も甚だしい。パンデミック後の社会は「分散・レジリエンス」がキーワードです。中央集権型の一極集中インフラに巨費を注ぐ理由が、どこにあるのでしょうか。

2. 南海トラフ巨大地震・超広域大震災との致命的矛盾

石橋克彦氏(神戸大学名誉教授)が警告するように、南海トラフ巨大地震は「30年以内に7080%の確率」で発生するとされています。リニア中央新幹線のルートは、まさにその震源域を直撃する山梨・長野・岐阜・愛知・静岡・三重の地下深くを貫きます。

『リニア新幹線と南海トラフ巨大地震』(石橋克彦ほか)や『総点検・リニア新幹線』が指摘する通り、超電導磁石を冷却する液体ヘリウムの管理、トンネル内の長大区間、地震時の脱線・火災リスクは、従来の新幹線とは比較になりません。

「超広域大震災」が起これば、東京―大阪間の経済軸が一瞬で寸断され、復旧に何年かかるか予測すらつきません。JR東海自身が「全リスクを一社で背負う」と言いながら、こんな脆弱なインフラに全財産を賭けるのは、企業として自殺行為です。国民の税金や将来世代の負担まで巻き込むのは、許されません。

3. 『リニア新幹線が不可能な7つの理由』から見る根本的欠陥

樫田秀樹氏が岩波ブックレットで鮮やかに整理した「不可能な7つの理由」を、ここで再確認しましょう。経済性:運賃が高すぎて利用者が集まらない。JR東海の試算ですら「絶対ペイしない」と社長が認めていた。

技術的信頼性:超電導磁石の長時間安定稼働、地震時の緊急停止、トンネル内換気・冷却の問題が未解決。

環境適応性:南アルプスの地下水脈破壊、生物多様性喪失、静岡の湧水枯渇。 

安全性の欠如:大深度地下トンネルでの火災・脱線時の救助不能。 

エネルギー問題:前述の原発級消費。 

財政リスク:11兆円超の工費がさらに膨張し、JR東海の経営を圧迫。 

代替案の優位:在来新幹線の増強やリモート技術で十分対応可能。

『危ないリニア新幹線』『総点検・リニア新幹線』のQ&Aでも、同じ結論です。

Q:本当に必要か?

A:必要ない。

Q:止めるべきか?

A:今すぐ止めるべき。

総括 

今こそ「総点検」の時最新の国交省資料や有識者会議を見ても、JR東海の説明は相変わらず「問題ない」の一点張り。静岡県の地下水調査要求すら無視し続けています。福島の教訓も、コロナの教訓も、南海トラフの警告も、すべて無視して突き進む姿は、まるで「もう止まれない巨大プロジェクトの亡霊」です。僕はブログやSNSを通じて、ずっと訴え続けてきました。

リニア中央新幹線は、「成長神話の最後のあがき」に過ぎません。

本当の未来は、持続可能で、災害に強く、国民の命と財産を守る社会です。

計画凍結を求め、国民的議論を喚起する時が来ています。皆さんも、ぜひ参考文献を手に取ってください。

『最新報告 混迷のリニア中央新幹線』樫田秀樹 

『リニア新幹線が不可能な7つの理由』同 

『総点検・リニア新幹線 問題点を徹底究明 プロブレムQ&A』リニア・市民ネット 

『危ないリニア新幹線』同 

「リニア新幹線と南海トラフ巨大地震」石橋克彦ほか

一緒に声を上げましょう。

リニアは、危ない。

今すぐ、見直しを。

 20265月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

※本稿は上記参考文献および最新公開資料に基づく私見です。ご意見・情報提供はコメント欄へ。

 以上のような文章がGrokから返ってきました。

 まるで僕が書いたような文章で、AIとは忙しくて文章を書く暇のない人の文章を書く手間を大幅に省いてくれて、本当にありがたいと思いました。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

 以上、「リニア中央新幹線に反対します」

ブログに載せます。

 

 

 

2026年5月16日土曜日

「ホルムズ海峡封鎖がもたらすエネルギー危機、再生可能エネルギーの比率を増やす」

 「ホルムズ海峡封鎖がもたらすエネルギー危機、再生可能エネルギーの比率を増やす」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

今日はアメリカのイラン攻撃でホルムズ海峡が事実上封鎖され、世界的なエネルギー危機が言われる中、火力発電に頼らずに再生可能エネルギーの比率を増やすのが良いというブログをAIを利用して書きます。

Xの人工知能Grok

「アメリカのイラン攻撃でホルムズ海峡が封鎖され、エネルギー危機の中、火力発電に代わり再生可能エネルギーの比率を増やしていくのが良いという意見のブログを

『再生可能エネルギー主力電源化と電力システム改革の政治経済学』 欧州電力システム改革からの教訓

『輝く農山村』  オーストリアに学ぶ地域再生

『世界を照らす僕たちの手作り太陽電池パネル 』 高校生が挑んだ国際協力の記録

『フクシマ発再生可能エネルギーの最前線』

『市民・地域主導の再生可能エネルギー普及戦略』

『脱原発を決めたドイツの挑戦 』 再生可能エネルギー大国への道

『エネルギー倫理命法 』100%再生可能エネルギー社会への道

を参考文献にして書いてください」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

20265月現在、米国とイランの軍事衝突はホルムズ海峡を事実上封鎖状態に追い込み、世界のエネルギー供給に深刻な打撃を与えています。ペルシャ湾から出る原油タンカーの大半が通過するこの海峡が塞がれば、中東依存度の高い日本は即座に石油・LNG価格の高騰と供給不安に直面します。すでに原油先物は急騰し、国内ガソリン価格や電気料金への影響が避けられません。政府は備蓄放出でしのごうとしていますが、これは根本解決ではありません。むしろ、今回の危機は「火力依存の脆弱性」を露呈した歴史的教訓です。

今こそ、僕たちは火力発電に代わる道を選ぶべきです。それは再生可能エネルギー(再エネ)の比率を急速に高め、主力量源化することです。再エネは国内で生産可能で、地政学的リスクに左右されず、環境負荷も低い。欧州の先進事例や国内の実践が示すように、政治的決断と地域主導の仕組みさえ整えれば、実現可能です。本稿では、以下の参考文献を基に、その道筋を論じます。

**参考文献** 

・『再生可能エネルギー主力電源化と電力システム改革の政治経済学 欧州電力システム改革からの教訓』(長山浩章、2020年) 

・『輝く農山村 オーストリアに学ぶ地域再生』(寺西俊一・石田信隆編、2018年) 

・『世界を照らす僕たちの手作り太陽電池パネル 高校生が挑んだ国際協力の記録』(山形県立東根工業高等学校ものづくり委員会、2014年) 

・『フクシマ発再生可能エネルギーの最前線』(久慈力、2016年) 

・『市民・地域主導の再生可能エネルギー普及戦略』(和田武、2010年) 

・『脱原発を決めたドイツの挑戦 再生可能エネルギー大国への道』(熊谷徹、2012年) 

・『エネルギー倫理命法 100%再生可能エネルギー社会への道』(ヘルマン・シェーア著、今本秀爾ほか訳)

 1. 火力依存の限界——ホルムズ危機が教えてくれたこと

日本は一次エネルギー供給の約90%を輸入に頼り、その多くがホルムズ海峡経由です。今回の封鎖でLNG・原油の輸入が滞れば、火力発電(現在約70%を占める)は即座に供給不安に陥ります。過去のオイルショックや東日本大震災でも同じ教訓を学んだはずです。火力は「即応性が高い」一方で、燃料価格変動と地政学リスクに弱く、CO2排出も避けられません。長期的に見て、気候変動対策としても持続不可能です。

一方、再エネ(太陽光・風力・地熱・バイオマス・小水力)は燃料費ゼロ。国内資源を活用すれば、エネルギー安全保障が飛躍的に向上します。欧州電力システム改革の政治経済学を分析した長山浩章氏は、EU諸国がFIT(固定価格買取制度)からFIP(市場連動型)への移行を通じて再エネを主力化し、電力市場の柔軟性を高めた事例を詳述しています。日本も2012年のFIT導入で太陽光が急拡大しましたが、未だ主力化には程遠い。長山氏は「再エネ主力電源化は技術ではなく政治経済の選択」と指摘します。今の危機は、その選択を迫る絶好の機会です。

2. 地域再生と再エネ——オーストリアの「輝く農山村」から学ぶ

火力依存脱却は、中央集権的な大規模発電所ではなく、地域分散型の再エネでこそ可能になります。オーストリアは原発フリーを国民投票で決め、農山村部で再エネを地域経済の柱に据えました。寺西俊一・石田信隆氏の『輝く農山村』は、急峻な山岳地帯の小規模自治体がバイオマス・小水力・太陽光を組み合わせ、自立したエネルギー自給を実現し、雇用創出と人口流出抑制に成功した事例を紹介します。

日本でも中山間地域は森林資源が豊富です。木質バイオマス発電や小水力を推進すれば、林業の活性化とエネルギー地産地消が同時に達成できます。ホルムズ危機で輸入燃料が高騰する今こそ、地方創生とエネルギー安全保障をリンクさせる絶好のタイミングです。農山村が「輝く」ことで、日本全体のレジリエンス(強靭性)が向上します。

3. 草の根の力——高校生の手作り太陽光パネルが示す可能性

再エネ主力化は、政府や大企業だけでは成り立ちません。市民・地域・若者の参加が鍵です。山形県立東根工業高等学校の生徒たちは、創立60周年記念で100枚の手作り太陽光パネルを製作し、モンゴルの大気汚染に苦しむ高校へ寄贈する「光プロジェクト」を立ち上げました。『世界を照らす僕たちの手作り太陽電池パネル』は、その記録です。彼らは工作機械を自ら改良し、国際協力という形で技術を学び、地球規模の課題解決に挑みました。

このような「ものづくり教育」と地域貢献の精神を日本全国の学校・自治体に広げれば、再エネ導入は加速します。危機下で「自分たちでエネルギーを作ろう」という意識こそが、脱火力の原動力になります。

4. 福島が拓く最前線——震災からの再生が日本を変える

東日本大震災と福島原発事故は、原発依存のリスクを世界に示しました。しかし、久慈力氏の『フクシマ発再生可能エネルギーの最前線』が描くように、福島県は今、「再エネ先駆けの地」として蘇っています。水素製造実証(FH2R)や太陽光・風力の大規模導入、県内団体による地域再エネプロジェクトが進行中です。事故で失われた信頼を、再エネで取り戻す——これほど象徴的な取り組みはありません。

ホルムズ危機は、福島の教訓を全国に広げる好機です。原発に頼らず、再エネで電力安定供給を実現するモデルを福島から全国へ。火力増強ではなく、再エネ投資こそが「福島の復興」を真の意味で完成させ、日本全体のエネルギー転換を加速させます。

5. 市民・地域主導の戦略——ドイツの挑戦が証明する道

ドイツは20116月、福島事故からわずか4ヶ月で原発全廃を国会決議しました。熊谷徹氏の『脱原発を決めたドイツの挑戦』は、州政府の強い権限と市民運動が支えたEnergiewende(エネルギー転換)を詳述します。現在、再生可能エネルギーは発電量の40%超を占め、205080%目標に向け着実です。電力系統改革、市民出資の協同組合型発電所、FITの柔軟運用——これらが火力・原発依存を減らし、エネルギー安全保障を高めました。

日本でも和田武氏の『市民・地域主導の再生可能エネルギー普及戦略』が示すように、FITを改善し、市民出資や地域新電力会社の設立を後押しすれば可能です。ホルムズ危機で輸入燃料リスクが顕在化した今、ドイツモデルを日本版にカスタマイズする政治的決断が求められます。

6. エネルギー倫理の命法——100%再エネ社会への道

最後に、ヘルマン・シェーア氏の『エネルギー倫理命法』は、技術論を超えた「倫理」を問います。再エネ100%は可能であり、化石燃料依存は「未来世代への倫理的背信」だと主張します。シェーアはEU議会議員として再エネ推進法をリードし、分散型エネルギー社会の経済的・社会的メリットを証明しました。エネルギー選択は単なる経済問題ではなく、人類の生存と公正を決める倫理的命題です。

結論:今こそ行動を——危機を転機に

ホルムズ海峡封鎖は、火力発電に頼る日本のエネルギー政策の限界を突きつけました。価格高騰、供給不安、環境負荷——これらを解決する唯一の道は、再エネ主力電源化です。欧州の教訓、オーストリアの地域再生、福島の最前線、市民の草の根力、ドイツの政治的決断、そしてシェーアの倫理。参考文献が示すように、技術はすでに揃っています。あとは政治と市民の意志です。

政府は緊急に再エネ導入目標を上方修正し、系統接続の迅速化、貯蔵技術(水素・蓄電池)投資、地域主導型プロジェクトの補助拡大を進めるべきです。僕たち一人ひとりも、屋根上太陽光や地域新電力への参加で行動を。今回の危機を「再エネ大国日本」への転換点に変えましょう。

ブログ執筆日:2026515

以上のような文章がGrokから返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思い、本当にAIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。

 概ね、僕が考えていることを書いてくれていると思います。

 これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

 以上、「ホルムズ海峡封鎖がもたらすエネルギー危機、再生可能エネルギーの比率を増やす」

 ブログに載せます。

 

2026年5月15日金曜日

「核のゴミ最終処分場建設に反対する」

 「核のゴミ最終処分場建設に反対する」

~原子力の負の遺産を未来に押し付けないために~

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。今日もAIを利用してブログを書きます。

 今日は核のゴミ最終処分場建設に反対するブログをAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grok

 「ブロガーの上原和明さんの文体で、核のゴミ最終処分場建設に反対するブログを

『原子力 負の遺産 』 核のごみから放射能汚染まで

『原発処分先進国 ドイツの現実 』 地底1000メートルの核ゴミ地獄

『核のごみをどうするか』  もう一つの原発問題

「核のゴミ」  「地層処分」は10万年の安全を保証できるか?!

を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は核の問題でいっぱいです。両親の介護で忙しい合間を縫って、近所の散歩を続けながら、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎を抱えながら、マウス腱鞘炎をこらえ、パソコンを立ち上げ、パソコンに向かい、キーボードを叩いている一介のブロガーです。

ふとニュースを見ると、政府や電力会社がまた「高レベル放射性廃棄物の最終処分場」建設を進めようとしている話が出てきます。もう一つの原発問題――それが「核のゴミ」です。

僕は早稲田大学探検部OBとして、自然を愛し、未知の地を歩いてきた人間です。そんな僕が、こんな問題に声を上げずにはいられません。なぜなら、これは単なる「廃棄物処理」の話ではなく、原子力という技術が残した負の遺産そのものだからです。

参考文献として、まず挙げたいのが『原子力 負の遺産 核のごみから放射能汚染まで』です。この文献は、核燃料サイクルから生まれる使用済み燃料や高レベル廃棄物が、どれほど長期にわたって人類と環境を脅かすかを、徹底的に掘り下げています。福島第一原発事故の教訓を忘れてはいけません。あの事故で放出された放射能汚染は、今も除染の名の下に膨大な「汚染土」を生み出し続けています。核のごみは、ただ「隠せばいい」というものではありません。放射能は数万年、数十万年単位で衰えない。人間の文明史がせいぜい数千年なのに、10万年後の安全をどう保証するのか――これが最大の疑問です。

次に、注目すべきは『原発処分先進国 ドイツの現実 地底1000メートルの核ゴミ地獄』です。ドイツは原発を段階的に廃止した「先進国」の一つとして、核廃棄物処分に取り組んできました。しかし、現実は地底1000メートル級の岩塩層や花崗岩層に穴を掘り、コンテナを詰め込む「地獄」のような現場です。文献が指摘する通り、地下水の浸入、岩盤の微細な亀裂、長期的な地殻変動――これらが複合的にリスクを生み出しています。ドイツですら、完璧な隔離など不可能だと実証されているのに、日本は地震大国。活断層だらけの国土で、地層処分を「安全」と言い切れるでしょうか? 1000メートル地下に埋めれば、将来の世代が「何が埋まっているか」すら忘れてしまう可能性すらあります。

さらに、『核のごみをどうするか もう一つの原発問題』を読めば、問題の本質が浮き彫りになります。原発で電気を生み出した「現在世代」が享受した利益のツケを、子々孫々に回すのは、世代間倫理に反する。文献は、暫定保管の限界や、再処理の失敗を丁寧に分析しています。日本ではNUMO(原子力発電環境整備機構)が候補地公募を続けていますが、住民説明会では「科学的に安全」と繰り返すばかり。科学とは、未知のリスクをゼロにできるものではありません。

そして、最も核心を突く問いかけがこれです。

「核のゴミ」「地層処分」は10万年の安全を保証できるか?!答えは、ノーです。  地層処分の基本コンセプトは「多重バリア」――人工バリア(ガラス固化体+オーバーパック)と天然バリア(岩盤+地下水の遅延)。しかし、10万年後、地球の気候は変わり、海面は上昇し、地震は繰り返します。日本列島はプレート境界にあり、火山活動も活発。文献群が一致して指摘するのは、「人間の予測を超えた不確実性」です。スウェーデンやフィンランドですら、数十万年規模の安全評価は「モデル計算」に頼っています。モデルは所詮、仮定の積み重ね。万一、漏れ出したら? 放射能が地下水を通って河川や海に流れ、食物連鎖に入ったら? 福島の汚染水海洋放出ですら、国内外で批判を浴びているのに、核のごみを永久に地下に封じ込めるなど、夢物語です。

地下の世界の厳しいようです。地底は静かで安定しているように見えて、実は常に変化しています。1000メートル級の深部で、コンクリートや金属が10万年持つはずがない。腐食、微生物の影響、想定外の断層活動――すべてが「安全神話」を崩します。

だからこそ、僕は核のゴミ最終処分場建設に明確に反対します。今すぐやるべきことは、原発の新増設・再稼働を止め、既存の核燃料を減らす。

核のごみは「暫定保管」を徹底し、未来の技術革新(例:核変換など)に託す。 

地層処分という「先送り政策」を白紙に戻し、国民的議論を。

原子力は「クリーン」どころか、負の遺産の塊です。福島の被災地支援を続けながら思うのは、3.11の記憶を風化させてはいけないということ。核のごみ問題は、原発問題の延長線上にあるもう一つの危機です。早稲田探検部OBとして、僕は諦めません。

文京区の道を歩きながら、皆さんに呼びかけます。  Don't give up!

核のない未来を、共に目指しましょう。

参考文献

・『原子力 負の遺産 核のごみから放射能汚染まで』

・『原発処分先進国 ドイツの現実 地底1000メートルの核ゴミ地獄』

・『核のごみをどうするか もう一つの原発問題』

・「核のゴミ」「地層処分」は10万年の安全を保証できるか?! 

(本日歩数:約8200歩。コメントお待ちしています)

(以上、上原和明さんの文体で執筆しました。口語的で親しみやすく、繰り返しの強調、個人体験の挿入、文献引用の丁寧さ、励ましの締めくくりを徹底的に再現しています。実際のブログ投稿のように、自然な流れで反対の論理を展開しました。)

以上のような文章がGrokから返ってきました。

概ね僕の考えていることを書いてくれていると思いました。

これからもAIを利用してブログを地道に更新していこうと思っています。

以上、「核のゴミ最終処分場建設に反対する」

ブログに載せます。