2021年4月10日土曜日

「昨年取材された上原和明さんへの質問事項、回答」

「昨年取材された上原和明さんへの質問事項、回答」

 昨年取材されたインドブラマブトラ川川下りの記事が完成し、英文の記事もきちんと翻訳されました。

 僕が昨年、日本側通訳の岡崎絵里さんに取材を受けた際の質問事項とその回答を記録したワードファイルがパソコンの中にあるので、ブログに載せたいと思います。

 僕は日本側通訳の岡崎絵里さんから以下のような質問を受けて、以下のような回答をしました。

  1. 早稲田大学探検部とはどのような目的でどのような活動をしていた団体だったのでしょうか。上原さんはブラマプトラ遠征の前に、探検部でどのような登山や川下り遠征をされていましたか。

早稲田大学探検部とは世界を探検するサークルです。目的は未知のものへの挑戦です。未知のものに挑戦するために山登りや川下りなどをしています。僕は海外ではミクロネシア(ヤップ島)でホームステイ、中国チベットカイラス山遠征、カナダユーコン川川下り、国内では神津島合宿、南アルプス(聖岳、荒川岳)山行、四万十川川下り、西表島探検、浅間山山行、谷川岳山行などをしていました。

2.    ブラマプトラ遠征に行く前に日本の河川でラフティングをしたことはありましたか。それは日本の何という川で、その期間はどれくらいで、川下りの難易度や気候条件などはどのようなものでしたか。

阿武隈川、四国吉野川で川下りの練習をしました。吉野川の大歩危、小歩危という急流の川下りをしました。吉野川川下りは日本国内では最も難しい川下りとされているようです。吉野川で転覆の練習をしました。季節は確か秋だったと思います。

3.  ブラマプトラ遠征についてはどういうきっかけで知りましたか。遠征の前にブラマプトラという川についてはどのようなことを知っていましたか。また遠征に参加しようと思ったのはなぜですか。

 早稲田大学探検部を通じて、プラマプトラ川川下りを知りました。当時、早稲田大学探検部の副幹事長だった人間から日本ヒマラヤ協会からプラマプトラ川川下りの話が来ている、「上原参加しないか」と言われた記憶があります。遠征費は無料と聞いたので参加しました。

4.     遠征に行くと決めたあと、ご家族や友人の方はどのように反応しましたか。出発前に遠征の内容については伝えましたか。その時、どんな遠征になると期待していましたか。

早稲田大学探検部で外国には良く行っていたので、家族はそれほど心配しませんでした。謎の川川下りと言うことで、早稲田大学探検部の活動に近い活動になると期待しました。

5.    渡印をしたのは、ブラマプトラ遠征が初めてでしたか。初めてインドに滞在したときはどのような印象を抱きましたか。また、最初の数日間はどのようなことをして過ごしましたか。

 渡印をしたのは初めてでした。インドに滞在した際は、インドの多様な文化に触れられて、日本から来たので少なからずカルチャーショックを受けました。最初の数日はどのように過ごしたかは良く覚えていません。

6.    遠征を開始する前にガンジス川で数日間の訓練があったと伺っています。その内容はどんなものでしたか。遠征の隊員たちと絆を深めていくために役に立ったようなことはありましたか。

ガンジス川でインド側隊員と日本側隊員で川下りの訓練をしました。ラフティングガイドが、川下りの前に「ガンガーマザーキッス」と叫んでいて、インドにとってガンジス川が母なる川になるのだと思いました。 

7.    ブラマプトラ川での川下りの始点となる地点までの道のりはどんな旅でしたか。

首都(ニューデリー)では式典に出席したりして、最高のもてなしを受けました。バスなどで移動したりして、プラマプトラ川川下りの出発地にはヘリコプターで到着したと思います。

8.     初めてスタート地点に到着してブラマプトラ川を見たときはどんな光景でしたか、またどう思いましたか。それまでにラフティングを経験した川と比べてどうでしたか。

川は岸からしか見えないので、どれだけ危険かは分かりませんでした。川幅は日本の川とは比べものにならずに、スケールの大きい川だと思いました。

9.  川下りを開始して一日目についてはどんなことを覚えていますか。

  良く覚えていません。

10. Tutingという地点を過ぎたときに、川岸から非常に大型の急流地点が見え、一隊はその周りをよく調べたと聞いています。上原さんはその時そのエリアをご覧になってどう思いましたか。

それまでの川下りからこの程度なら下れるだろうと思っていました。

11.  急流では、ボートから何回も人が転落し、上原さんもNiggingという村を出発したあとに、大きな急流地点に差し掛かったところでボートから振り落とされたと聞いています。その時のことをお聞かせください。

 そのときのことは僕も昔文章にしています。よろしければ読んでみてください。

 ブラマの水の味

 その日は朝から嫌な予感のする日だった。川下りメンバーである関口君が腹痛のために朝になって急にボートに乗れないと言い出したのである。私と関口君は、2漕あるボートのうちの一方のボートに日本側隊員として一緒に乗っていた。彼は早稲田大学フロンティアボートクラブの幹事長を務めただけあって、川下りに関しての知識は1歳年上の私よりも豊富であり、それゆえに正確な判断の下せる頼りになる男だった。その彼が、早朝、何度もきじうちのために草むらに向かい、様子が変だった。結局、腹痛の状態は悪いらしく、ボートに乗らないことになった。

 考えてみると、関口君の腹痛の原因は、昨日、トゥティンという町に滞在した際に食べた、豚肉の脂身だと私は思った。アルナチャル・プラデシュと呼ばれるこの地域においては、現地の人間は、日本人と容姿が似ており、それ故かどうか判断できないが、性質も似ているように思われ、客人が来訪した際のもてなしぶりは非常に良い。しかし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」、という格言が当たっているのか、たいそうなもてなしというのは時には閉口するものである。チャンに始まるこの地方のもてなしは、それほど食べ物が豊富でないせいかい、食べ過ぎで辟易するということはない。何が困るかと言えば、慣れない食べ物を、これはご馳走だといって勧められるときである。

 私たちもそうであった。私と関口君は、トゥティンに滞在した際には、チベット仏教(ラマ教)のゴンパのある、コミュニティ(現地の人がそう呼んでいた)に遊びに行った。そして、そこで知りあった人の家に招待された、私たちはその親切に嬉しくなり、彼らのもてなしを喜んで受けた。まず、チャンから始まり、みかんが出て来て、次に日本酒に似ているアポンという酒が出て来た。私たちが夜に備えて(夜には村の若い女性たちとのダンスが控えていた。)チビリチビリとゆっくりと飲んでいると、壁にダライ・ラマの写真と一緒に何か獣の皮が掛けられているのが目に入った。私と関口君が、「あれは何かな」と言い合っていると、その家の夫婦がそれを見せてくれて、「これを食べるか?」と聞いてきた。私たちは食べていみたいと思い、「食べる」と返事をした。彼らは、それをナイフで切ってくれて、私たちに勧めた。皮が付いているそれは豚の脂身だった。少々、生臭い匂いがするが、せっかく勧めてくれたものだと思い、ちょっと噛んで飲み込んだ。

 それが迂闊であった。彼らはそれがうまくてすぐに食べてしまったのか、又、新たに、先ほどの2倍位の大きさの脂身の切れ端を勧めてきた。私は生臭さが鼻につき、食べるのをためらっていたが、関口君が気合いで一思いに食べてくれた。おそらく、この豚の脂身(結構、生に近かったと思う)が、関口君の腹痛の原因となったと思う。

 このようなことから、関口君はボートに乗らないで、インド側の予備隊員が代わりに乗ることになった。その日、空はどんよりとした曇り空で、私も少々下痢をしていて、朝から気分は悪かった。ラフティングガイドが、「カズ(私のニックネーム)今日は元気がないな」と声をかけてきたが、私は面倒臭く「静かなのは日本人の心だ」といい加減な返事をした。川は余り大きな瀬もなく、のんびりと進んでいた。昼を過ぎた頃に、瀬が見えたので、下見のため、ボートを岸につけた。岸から見るとその瀬は4級程度に見えた。

 私は。ラフティングガイドのコース選択についての説明も詳しく聞かないで、この程度なら下れるだろうと思っていた。総隊長であるチャモリさんが写真を撮りたいというので岸に残し、ボートを出した。

 激流を下る前の、勇気を鼓舞するかけ声を皆で叫び、いつものようにガイドの誘導で瀬の前のトロ場を漕ぎ出した。この瀬を下る際には、私の乗っていたボートが先に行った(今回の川下りでは、転覆する際の安全確保ために2漕で下っていた。

 瀬の入り口から、思っていたより波は大きかった。この時点から、私はパドリングで必死で、何も考えていなかった。波は大きくなる一方だった。左前のポジショニングであった私の目の前には、水の壁が出来ては消えしていた。瀬に入り込むとパドルは役に立たなくなった。ガイドは、「オーバーフロント!」と叫んだ。私は身をボートの先端部に移動させた。波に操られるままでボート操作は不可能な状態だったのだ。

 次にガイドは「オーバーライト!」と叫んだ。私は身をボートの右側の縁に移動させた。4回目くらいの大きな波が迫ってきた時、ガイドは、「ドロップ」(身をボートのそこに沈めて、川に投げ出されないようにすること)と叫んだ。私は、右側から、自分のポジションの左前に移動して、身を沈めた。ボートが右斜の状態で、もろに波に突っ込んでいった時、ボートが大きく左側に傾いた。気がついてみると、私はボートから投げ出され、波に飲み込まれていた。

 何とか、ボートは転覆しないで、私の前にあることがわかったので、身をゆすらせて水をかき、ボートにつかまった。周りを見ると、7人全員、川に投げ出されていた。まず、2人をトロ場で助け、残る一人に右側の岸に泳いで上陸しろといって、私たちは左側の岸にボートを着けて後発隊を待った。

 後発隊も3人が川に投げ出された。そのうち2人は、日本側隊員である八島さんと中谷であった。八嶋さんは本来ヒマラヤ登山をしている方だが、今回、はじめて川下りに参加したのである。私は、その八嶋さんが川に投げ出されたので心配したが、それほどショックの表情も見せないで、私たちのボートまで流されてきた。やはり山で修羅場を経験している人は、この程度のことでは動じないものかと感心していた。八嶋さんは流されてきたが、もう一人の中谷は流されてこない。

 彼は私と同じサークルの同期であるが、体力はかなりのものを持っている。中谷は大丈夫だろうと思ったが、なかなか流れてこない。彼は、流れが渦を巻いているところにはまりこみ、抜け出せないのでいたのである。なおかつ、川に投げ出された際に痛めていた踵を岩にぶつけたらしく動けない様子だった。彼がはまり込んでいる、渦を巻いている場所の手前までインド側の隊員が岩づたいにいって中谷を救出した。中谷はかなり水を飲んだらしく、しばらくは口も聞かずにいて、気分が悪そうだった。しかし、インド側隊員の苦笑いから嵩じた大きな笑い声に、苦笑いで返事をしているうちに中谷も元気になった。

 中谷もプラマプトラの水をかなり飲んだが、私も川に落ちた時にかなり飲んだ。チベットのカイラス山の麓に源流を持つこの川の水は聖なる水なのかもしれない。しかし、信仰のないものにとっては単なる水である。そのような自分が見えたとき、急に自分のやっている川下りが恐ろしくなった。

12.  私が取材をしたITBPのメンバー曰く、川に落ちた上原さんを救助した際、大量の水を飲んでいて、蘇生処置が必要だったということですが、意識を取り戻したときのことは覚えていらっしゃいますか。

蘇生処置が必要な状態にはなっていません。 

13.  その事故をきっかけとして、上原さんの中で何か変化(心情や人生の展望などを含む)はありましたか。

早稲田大学探検部の活動よりはるかに高いレベルの活動で、早稲田大学探検部で活動する際も日本ヒマラヤ協会のプロジェクトのやり方で見習うところは見習った方が良いと思いました。プラマプトラ川川下りに参加して僕が早稲田大学探検部の活動について考えたことも文章に書いています。よろしければ読んでみてください。

 インドで川と言えば、聖なる川になり、例えばガンジス川では、火葬出来ない死者を川に葬ることについても書かれています。

堀田善衛氏の、「インドで考えたこと」を持ち出して、インドの川、インドの水のことについても書かれています。

  僕は、早稲田大学探検部在籍中に同期の副幹事長から、日本ヒマラヤ協会からインドのプラマプトラ川の川下りの話が早稲田大学探検部に来てるから、

 「上原、ヒマラヤ協会のプロジェクトに参加しないか、無料だ」

 との声が掛かり、ただで外国に行けるなら嬉しいと思い、参加表明をして、日本ヒマラヤ協会主催の、「インドブラマプトラ川川下り」に参加しました。

 川下りの際の感想のような報告のような文章を書いています。

 「ブラマの水の味」

という文章です。

この文章の中で、僕は、ブラマプトラ川の川の水に対して、

「この川の水は、聖なる水なのかもしれない」とのことを書いています。

僕は早稲田大学探検部2年生の時に、チベットの聖山、カイラス山に赴いたので、カイラス山の麓に源流を持つ、プラマプトラ川の水は、インドの大地を潤す、聖なる水とも思っていました。

また、山岳民族にとっても、大切な生活用水で、とても貴重な水だとも思っていました。

その、貴重な川の水を表現する言葉として、

「聖なる水」

という言葉を使っていたと思います。

僕が使った、「聖なる水」という言葉は、プラマプトラ川の源流がチベットのカイラス山の麓にあるので、「聖」という言葉を使っていたと思います。

この本には、健常者、障害者関係ない、ユニバーサルデザイン(UD)のことについても書かれています。

UD(ユニバーサルデザイン)とは、ウィキペディアによると、

文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。

とのことです。

UDの発達しているアメリカのオレゴン州、ユージーンでの、身障者がラフティングを楽しんでいる風景の写真も掲載されています。

UDの発達しているオレゴン州では、大自然と親しむラフティングを身障者が行っているそうです。

僕は、神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、探検・冒険関連新聞記事データベースを作っていて、探検・冒険活動が、障害を持っている人にとって生きがい療法(リハビリ)になると思っていました。

UD(ユニバーサルデザイン)を実現するにあたってのトイレの整備も重要ですが、リハビリ(生きがい療法)としての、探検・冒険活動も、大切だと思います。

毎日、毎日、人為的な、テレビ番組などを見ている障害者にとって、自然と触れ合う、探検・冒険活動は、良いリハビリになると思っています。

ラフティング(川下り)でも登山でも良いですから、きちんとしたガイドさんを伴った、安全をきちんと確保した上での、スリリングな探検・冒険活動は、障害者にとっての良いリハビリ(生きがい療法)になると思っています。

僕は、インドのプラマプトラ川川下りに参加して、カナダでトレーニングをしてきた、きちんとしたライセンスを取得してきたラフティングガイドさんとともに、インドのプラマプトラ川川下りをしました。

ラフティング(川下り)先進国、カナダできちんとトレーニングを受けて、ラフティングガイドのライセンスを取得してきたガイドさんと一緒にプラマプトラ川を下ったから、大きな事故にも巻き込まれなかったのだと思います。

僕は早稲田大学探検部にも所属していましたが、早稲田大学探検部のラフティングスキルと、カナダできちんとラフティングガイドのライセンスを取得してきた方のラフティングスキルとでは、ラフティングスキルに関して大きな差があると思いました。

早稲田大学探検部で、アジア・アフリカ問題を語る際に、欧米を悪者にする傾向は良くあることですが、探検・冒険活動を実行するにあたっての、スキルだけを比べたら、やはり、欧米の方が、スキル的には上回っています。

難しい話は抜きにして、探検・冒険活動を行うにあたっての、スキルではきちんと欧米の良い部分を見習っていただきたいというのが僕の本心です。

14.  川には非常に険しい渓谷が2か所あったと思いますが、これらの地点を通過する時点では上原さんはまだボートにいましたか。もし危険な急流があったとしてもボートを停留させたり、ボートを運ぶための川岸はなかったと思いますが、渓谷を安全に通過するためには、事前に戦略を立てて通ったんでしょうか。

僕はもうすでに帰国の途についていたと思います。

15.  八木原さんから、上原さんは大学の試験のために途中で帰国されたと伺っています。どんなお気持ちで帰国されましたか。最後までやり遂げたかったですか、それともホッとしましたか。

 僕は大学時代は奨学金を借りて大学に通っていたので、なるべく早く卒業したかったので、学部(法学部)の試験のために途中で帰国しました。最後まで川下りをしたかっと思っています

16.  この遠征におけるラフティングでその他に強く印象に残っている局面はありますか。

大きな瀬があると巻いて(迂回して)いくので、本当に安全確保を考えてラフティングをしていると思いました。

17.  川下りでは文化の異なる様々な部族との出会いがあったと思います。そうした住民に対してどのような印象を抱きましたか。何か思い出に残っている出会いややりとりはありますか。

アルナチャルプラデシュにはチベット文化圏もあり、その他の部族もいたと思いますが、チベット文化圏は大学2年生の時に本当のチベットに行っているのでとても馴染みやすかったのです。

18.  川の流域に居住する部族には活発な狩猟文化のある部族もいます。上原さんが狩りの様子をご覧になったことや、実際に狩りを体験したということはありましたか。

野生動物を追いかけている様子を見たことがありました。僕は、狩りは体験したことはありませんでした。

19.  遠征中は毎日の食事はどうしていましたか。遠征に参加したメンバーから聞いた話では、日本側の参加者は乾燥した魚(スルメだったかもしれません)をたくさん持っていたと言っていました。遠征のために日本から持って行った食品などはどんなものでしたか。

インド側の作る「ダル」という豆のスープのような食事だったと思います。日本から持って行った食品は僕は無かったと思います。

20.  遠征では一日の終わりにキャンプをしたと思いますが、キャンプではどんなことをして過ごしましたか。何か特に思い出に残っているエピソードなどはありますか。

  インド側隊員とサッカーのようなことをしたことを覚えています。

21.  川の流域の一部地域では、反政府組織や民兵が活発に活動をしている地域もあったようですが、遠征の中でそうしたグループに対して警戒が必要だというような話は聞いたことはありましたか。

ありませんでした。

22.  インド側の参加者だったITBPのメンバーですが、どのような印象を抱きましたか。また、遠征中どのようなやりとりがありましたか。

インドの中でもかなりレベルの高い方々が参加しているのだと思いました。ラフティングガイドがしっかりしていたと思っています。

23.  日本側とインド側のメンバーは言葉の壁があり苦労したと伺っています。みなさんはそれをどのようにして乗り切ったのでしょうか。

僕は英語は少し出来るので、英語でのコミュニケーションだったと思います。ラフティングガイドも英語で指示を出すので、コミュニケーションの手段は英語だったと思います。

24.  遠征中にあった忘れられない面白いエピソードはありますか。また、遠征で一番苦労したこと・辛かったことはどんなことでしたか。

プラマプトラ川に投げ出されたことが一番忘れられません。遠征で辛かったことは、大きな瀬がある際に、ボートを岸に上陸させて、瀬を巻いて(迂回して)ボートを人力で運ぶのが一番苦労し辛かったです。 

25.  この遠征により、上原さんの人生に何か変化はありましたか。

とても僕のような人間では経験できないような遠征を経験して、自分にとっての勲章のようなものになっていると思っています。

26.  この遠征後はラフティング遠征には行きましたか。どちらに行きましたか。

早稲田大学探検部卒業以降はラフティング遠征には行っていません。

27.  この遠征は早稲田大学探検部および日本ヒマラヤ協会にとってどれくらい大きな功績だったのでしょうか。また、遠征は日本ではどのように報道・紹介されたのでしょうか。

早稲田大学探検部の活動ではなく日本ヒマラヤ協会の活動だったと思っています。早稲田大学探検部の功績にはならないと僕は思っています。川下りのことは日本では遠征の前に朝日新聞で川下りのことが新聞に載りました。新聞記事は以下です。

朝日新聞 1990年(平成2年)1219日水曜日のスポーツ欄に掲載された記事です。

「未踏峰登山・“なぞの川”下り」日印隊、ヒマラヤ挑戦

 日本ヒマラヤ協会(HAJ)は今冬から来春にかけて、ヒマラヤに二つの登山・探検隊を派遣する。世界第三位の高峰カンチェンジュンガ(8,598)に未踏の東壁新ルートから無酸素で挑む一方、もう一隊は世界第六位の大河ブラマプトラの未踏査地区を含めた1,200㌔をゴムボートで下る。いずれも、世界初の試みで、インド・チベット国境警備隊(インド)と合同隊を組む。

 カンチェンジュンガ東面(シッキム側)は政治的理由で、戦後、インド隊を除いてはずっと外国隊の立ち入りが禁止されてきた。このため、各国隊はネパール側から挑んできたが、HAJは十数年にわたってインド政府に打診を続けて、今回ようやくシッキム側からの登山許可を取得した。

 隊員は日印双方とも女性二人を含め各十一人。日本側は尾形好雄隊長(42)、名塚秀二副隊長(36)が率いる。明年二月末、ガントク(シッキム州)に集結し、三月上旬、ゼム氷河グリーンレークにベースキャンプを設営したあと五月上旬の登頂を目指す。

 HAJ隊は81年、五つの峰から成るカンチェンジュンガ連峰の初縦走を試みたことがある。縦走には失敗したものの、主峰と西峰に同時登頂を果たしている。尾形隊長はこのとき縦走隊の指揮をとり、西峰に登ったほか、マモストンカンリ(7,526)、ギャラペリ(7,151)などの未踏の難峰に初登頂。名塚副隊長も今夏、チョゴリ(K2=8,611)に困難な北西壁から登頂したベテラン。隊員も世界の高峰登頂者を数多くそろえている。

 ブラマプトラ川はチベットに源を発し、ヒマラヤ東端を貫通してベンガル湾に注ぐ。いまも、地図上の空白部を残し“なぞの川”といわれる。下降はインド7人、日本4人の編成。エベレスト登頂者の八木原圀明氏(44)が副隊長として参加するほか、アラスカのユーコン川などの下降歴を持つ上原和明さん(23)ら三人の早大生も激流に挑む。

 一行は一月初旬、中印国境から、下降を開始し、一月末、バングラデシュ国境に到着の予定。

 可能なルートは探す

 稲田定重HAJ理事長の話

 カンチェンジュンガ東壁は、だれも手を触れたことがない未知のカベ。写真でみた限り、険しすぎて登れそうもない感じだが、なんとか登頂可能なルートを見つけ、日印で力を合わせて成功させたい。こんどのシッキム側からの入山は特例で、解禁になったわけではない。

28.  この遠征で経験したことでその後の人生にも役に立っていることはどのようなことですか。

なんでもやってみないと分からないということだと思います。

以上のような質問を受けて、以上のような回答をしました。

僕が昨年、日本側通訳の岡崎絵里さんに取材を受けた際の質問事項とその回答を記録したワードファイルがパソコンの中にあるので、ブログに載せたいと思います。

以上、「上原和明さんへの質問事項、回答」

ブログに載せます。







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