「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」
僕は早稲田大学一年生の時に、ミクロネシアのヤップ島という島に行きました。
ヤップ島には1か月間くらい滞在しました。
ヤップ島で出会った方の中には、当時から原発に反対していた方もいらしました。
世田谷区に住んでいらしたおじさんで、ヤップ島で出会った方の中では、手紙のやり取りもしていた方でした。
家に遊びに行ったこともありました。
家に遊びに行ってみると、当時から原発に反対していることが分かりました。
原発に反対する、張り紙があったからです。
僕は、ヤップ島に行った際に、他にも、広島県の三次市から来ている方にも出会い、その方から、
「もう、卒論は書けますね。」
とも言われました。
僕が大学一年生にも関わらず、一人で、ミクロネシアのヤップ島に1か月滞在したことから、ヤップ島で出会った方から、かなり期待されていたことも分かります。
リュックサック一つで、ミクロネシアに一人で赴き、1か月、ヤップ島に滞在したことで、普通の大学生とは少し違う大学生に思えたのかもしれません。
普通の大学生なら、夏休みは、池袋とか、新宿とか、渋谷で遊ぶ大学生もいるかと思いますが、僕は夏休みを利用して、ミクロネシアに行きました。
ミクロネシアのヤップ島では、酋長さんの家に、お金を払って、泊まらせていただきました。
ヤップ島では、それほど活発な活動はしませんでしたが、現地の方々と同じような生活を体験しました。
日本に帰国してから、急性肝炎になっていて、入院しました。
ヤップ島で生魚を食べて、免疫が無い僕はウィルスに感染し、急性肝炎(A型肝炎)に罹りました。
肝炎の入院中には、早稲田大学探検部の322にあたる方もお見舞いに来てくださいました。
今でも、お見舞いに来てくださったことには感謝しています。
ミクロネシアのヤップ島に行く前は、「原発」に反対しているおじさんに出会うとは思っていませんでしたが、1980年代から「原発」に反対している方は僕の身近にいました。
大学一年生の時から、外国に行き、現地で「原発」に反対している方に出会うと、僕も大きな影響を受けていたと思います。
僕が、大学3年生の時に、青森県の六ヶ所村に行ったのも、「原発」のことに関心があり、六ケ所村に行きました。
大学1年生の時の経験が大きかったのだと思います。
僕は早稲田大学時代は、明確に「原発」には反対していませんでしたが、「原発」の問題には関心を持っていたことは確かです。
僕が大学1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島に行き、現地で、「原発」に反対しているおじさんに出会っていたことについてブログを書いてみました。
以上、「ヤップ島で出会った、原発に反対していたおじさん」
ブログに載せます。
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