「文化としての反原発」
文化活動上では、盛んに反原発を訴える文化作品も作られています。
早稲田大学探検部の関係者の方々も盛んに反原発、脱原発の文化作品を作っています。
本でも映画でも、表現行為は自由ですから、僕は表現作品については何も言いませんが、作品を鑑賞する側が、あまりにも政治的なメッセージ性が凄すぎると、一歩引いて鑑賞してしまうこともあるかと思います。
例えば、「生きものの記録」を撮った、黒澤明が生きていたら、福島原発事故に際して、どのような作品を作るかなとか想像することもあります。
御用文化活動だけが文化活動ではなく、権力に逆らうような抵抗文化活動も文化だと思います。
ただ、権力に逆らうような抵抗文化活動も、御用文化活動と同じように、組織に支えらながら活動をしているようです。
端的に言ってしまえば、現在の政権に反対する政治勢力などがバックについていることもあるようです。
そのようなことを考えると、抵抗文化活動が、一個人の文化活動ではなく、組織にも支えられているような文化活動であることが分かります。
本当に一個人で、文化活動を行っている人が、徹底的な抵抗文化活動を行えるのかと不審に思うこともあります。
何か文化作品をつくるためには一個人の力では限界があると思うし、支えてくれるバックについてくれるような組織があった方が良いようです。
文化活動を支えるバックについている組織が御用組織か、反権力組織かにより、作られる文化作品も変化してくるのだと思います。
本当に一個人で文化活動を行っている方が、徹底的な、抵抗文化活動を行えるのか多いに疑問に感じています。
早稲田大学探検部関係者の文化活動作品も一個人の作品ではなく、何か政治的な勢力がバックについているような気がして仕方ありません。
僕が、文化としての、「反原発」を訴える作品に対して、一歩引いてしまうことから、権力に逆らうような文化活動にも、反権力勢力がバックについているような気がしているので、ブログを書いてみました。
以上、「文化としての反原発」
ブログに載せます。
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