「ヤップの戦後の状況」
先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。
「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。
昨日は、「ヤップに行く経緯」という書類をブログに載せましたが、今日は、「ヤップの戦後の状況」という書類をブログに載せたいと思います。
以下、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた、「ヤップの戦後の状況」という文章です。
「ヤップの戦後の状況」
戦後、ヤップは太平洋戦争の勝者アメリカの占領下に置かれた。1947年には国連からアメリカの信託統治領として指定され、昨年まで名称は変わっても実質的には以前と同様に外国の統治のもとに置かれることになった。
ところで、この耳慣れない信託統治との内容は次のように要約されている。「信託統治とは住民の政治的、経済的、社会的なおよび教育的な発達を促進し、住民の意志に応じて自治または独立の方向に漸進的に発展するよう指導する。この内容を戦後アメリカの政策に当てはめてみる。そして、戦後アメリカの政策とそれによるヤップの変化、また自身で見聞した事実をもとにヤップの政治・経済・社会の状況を考察していきたいと思っている。
以上が僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章です。
僕が太平洋戦争後のアメリカの政策に翻弄されるヤップの状況を現地におもむき調べたいと思っていた事が分かります。
僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章をブログに載せます。
以上、「ヤップの戦後の状況」
ブログに載せます。
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