2017年4月30日日曜日

「700ブログを書いた」

700ブログを書いた」

 昨日、「タルコフスキーを探しに渋谷へ」というブログを書いて、通算の書いたブログ数が700になりました。

 本格的にブログを書き始めたのは、20142月からですから、3年くらいで、700くらいのブログを書いたことになります。

 ブログを書き始めると、自分の考えていることがまとまり、良い効果があります。

 仕事で、新聞記事とか、ブログ記事とか、ネットメディアの記事を書くのは大変そうなので、仕事としての文章は書くつもりはありません。

 昔、早稲田大学探検部の先輩で、ライター志望だった高野秀行さんと、早稲田大学文学部の方が編集する、アルバイト情報誌への文章を書いていたことがありましたが、その時は、約800文字で、1万円位だったと思います。

 早稲田大学というネームバリューで、文章を書いてお金が貰えた珍しい仕事だったと思います。

 文字数の制限のある中で、濃密な内容の文章をおもしろおかしく書くのは大変でした。

 文章を書いてお金を貰えることは良かったですが、もうそのようなことは今後ないと思います。

 ブログでは、日々の雑感を書けるので、規制も少なく、何でも書けそうな気もしていますが、自分で、こんなことを書いたらマズいなと思うことはなるべく書かないようにしています。

 自分でネット環境における、ブログなどでの表現行為に関する法律の本も読んだので、露骨な他者への誹謗中傷のようなことは書いていません。

 あと、エロっぽい文章も、女性から批判されると思い、書いていません。

 特に、僕のブログは、本郷の森、銀杏企画の関係者にも読まれていると思っているので、女性にも読まれているものと思ってブログを書いています。

 自分の考えている雑感、経験談や、読んだ本、観た映画、時事問題などについてのことがほとんどのブログですが、何かを作ってみることは精神衛生上良いことのような気がしています。

何かを壊したいと思っている人も多いと思われる昨今のご時世ですが、ブログでも何でも作ってみることは、楽しみになります。

ブログを書く習慣を身に着ければ、精神衛生上も何か良い効果があるのかなと最近は思っています。

ブログを書くのが、負担にならないように、仕事のようにならないようにしていきたいと思っています。

昨日の、「タルコフスキーを探しに渋谷へ」というブログで、通算の書いたブログ数が700になったので、キリの良い数字だったので、僕のブログについて思っていることを書いてみました。

以上、「700ブログを書いた」

ブログに載せます。











 

2017年4月29日土曜日

「GW特別企画 タルコフスキーを探しに渋谷へ!!」



GW特別企画 タルコフスキーを探しに渋谷へ!!」

 今日から、GW(ゴールデンウィーク)が始まります。

 僕は、ずっと仕事ですが、GWくらい、気分転換に映画でも観たいと思っています。

 GWに何かおもしろそうな映画は上映していないかと思い、先日、渋谷のアップリンクのサイトを見ていました。

 渋谷のアップリンクのサイトを観ていると、僕が学生時代に良く観ていた、アンドレイ=タルコフスキーの作品群がGWに上映されているようです。

 何が上映されるのかと思い、詳しくサイトを見てみると、上映される作品は、

 「ストーカー」「惑星ソラリス」「鏡」「サクリファイス」「アンドレイ・ルブリョフ」「ノスタルジア」のようです。

 「ローラーとバイオリン」「僕の村は戦場だった」はGWには上映されないようですが、タルコフスキーの重要な作品が上映されるようです。

 「アンドレイ・ルブリョフ」は戦争シーンがあるので観たくありません。

 「鏡」は吃音者の独白があり観るのが疲れるので観たくありません。

 「惑星ソラリス」は、東京の高速道路が出てくるので、何か勘違いしていると思い観たくありません。

 「ストーカー」は水にこだわりがあり観るのが大変なので観たくありません。

 「ノスタルジア」もイタリアへの思いが強く面倒な映画なので、観たくありません。

強いて、GWに観るとすれば、「サクリファイス」になります。

「サクリファイス」は日本語に訳すと、「犠牲」という意味になり、あまり良い意味になりませんが、核戦争に反対している映画なので、GWに観ても良いかなと思っています。

ただ、「サクリファイス」を観るために、わざわざ、渋谷にまで行くのが面倒です。

アップリンクという映画館も行ったことがないし、渋谷に詳しくない僕が、いきなり、渋谷に行って、渋谷界隈をウロウロして、アップリンクとは何処ですかとか、渋谷を歩いている人に尋ねたら恥ずかしいし、そもそも僕が渋谷に馴染めない人間です。

 タルコフスキーの「サクリファイス」は観たいですが、渋谷に行くのが面倒です。

 近所のTSUTAYAに確か、「サクリファイス」は置いてあったと思うので、TSUTAYAで借りて、家でDVDを観ても同じだと思っています。

 家でDVDを観ても良いのですが、引きこもっているようで、何か嫌な感じがします。

 せっかくのGWなので、普段はあまり足を踏み入れない渋谷の地に赴いて、渋谷探検とかしてみるのもおもしろいかなと思っています。

 渋谷冒険(アバンチュール)とはいきませんが、渋谷探検なら許されると思い、GWに渋谷探検と意気込んで、アップリンクを探しに、タルコフスキーの「サクリファイス」を探しに渋谷に赴いてみるのも良いかなと思っています。

 せっかく、GW(ゴールデンウィーク)が始まったので、GW特別企画、

GW特別企画 タルコフスキーを探しに渋谷へ!!」

というブログを書いてみました。

以上、「GW特別企画 タルコフスキーを探しに渋谷へ!!」

ブログに載せます。

2017年4月28日金曜日

「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

 僕は早稲田大学在学中に早稲田大学探検部というサークルに所属して、日本各地の山や川、外国にも行きました。

 早稲田大学探検部での経験は本当に僕の中に残っていて、早稲田大学在学中だけ、それまで経験したことのないような大自然と出会うことが出来ました。

 早稲田大学を卒業して日本の会社で働いてみると、日本の会社とは、閉鎖的な会社が多くて、閉鎖的な会社の中で、ひたすら仕事をします。

 自分の上司に良からぬ感情を抱いていた社員も多くいたと思うし、内心では

「あんな上司、〇〇してやりたい」

と内心で思っていた方もいたと思います。

そのように内心で思わせてしまうのが、日本の会社です。

昨日の、精神保健福祉法ではありませんが、「精神障害者」とは、必ずしも、危険思想を持っている方だけではありません。

所謂、普通の日本の会社と言われる会社に勤務していて、過労で「精神障害者」になってしまった方もいるかと思います。

日本の会社で、いいようにこき使われて、潰された人たちも、「精神障害者」になるのだと思います。

僕のように、早稲田大学に通っていた人間は、会社に行くと、

「おまえ、早稲田か」

とか言われ続けて、いじめられ続けて、会社の人間に潰されることは良くあることだと思います。

早稲田大学探検部のTwitterを見ていると、新歓合宿を「クレイジーな合宿」とか謳っていますが、早稲田大学探検部の方々は、精神保健福祉のことについて何も知らないので、極めて、軽率なことをTwitterで呟いていると思いました。

「クレイジー」と「精神障害」は異なるものです。

「クレイジー」を直訳すると、「気狂い」になるのでしょうか?

早稲田大学に医学部がないことは早稲田大学にとって致命的なことだと思いますが、「精神障害」とは医学的に説明出来るもので、言葉の表現としての、「クレイジー」とは大きく異なります。

 早稲田大学探検部の方々の言葉の使い方は、さすがに早稲田大学の方だなと思わせるものですが、それ以上のものではありません。

 文学作品とか、映画、絵画、音楽の中で、自分の中の、クレイジーな要素(狂気かもしれません)を表現するのは、悪いことだとは思いませんが、クレイジーと「精神障害」とは一致するものではありません。

早稲田大学探検部の方々が、きちんと、精神保健福祉を学んで、精神保健福祉士の資格とかを取得すれば、分かることだと思いますが、クレイジーと「精神障害」は異なるものだと思います。。

先程もブログに書きましたが、早稲田大学に医学部がないことは致命的なことで、早稲田大学で「精神障害」になっても、治療する学部がありません。

きちんと、精神保健福祉について学んでいない、早稲田大学の学生さんが、「クレイジー」とか「早稲田精神」とか持ち出すことは良くあることだと思いますが、極めて非科学的な見解です。

 僕も早稲田大学に通っていましたが、「早稲田精神」などなかったし、そもそも「早稲田精神」とはなんぞやと思っていました。

 早稲田大学が文系の大学で、表現行為に強い大学であることは間違いないですが、「精神障害」に対しての認識は、非科学的だと思います。

 要は、早稲田大学の象徴とも思われる大隈講堂で「都の西北」を歌っている人間は、「精神障害」にならずに、「都の西北」なんて下らねーと内心で思っている人間は、早稲田大学からすると、「精神障害」に当たるという論理が、早稲田大学における、「精神障害」の論理だと思います。

 医学部がない早稲田大学らしい非科学的な論理だと思いますが、そのような論理では、「精神障害」を治療できないと思います。

きちんと、「精神障害」になってしまった患者さんの話をよく聞いて、患者さんの心の叫びに耳を傾けてみないと、「精神障害」は治療できないと思います。

とブログを書いている僕も、精神保健、精神保健福祉のことに関しては、何も知らない素人でした。

早稲田大学探検部のTwitterを見ていたら、「クレイジー」という言葉を使っていたので、早稲田大学探検部と精神保健福祉のことについて考えてみました。

以上、「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

ブログに載せます。








 






2017年4月27日木曜日

「精神保健福祉法の改正案」

「精神保健福祉法の改正案」

 先日も、ブログに書きましたが、精神障害者にとって、重要な法律、精神保健福祉法が改正されそうになっているようです。

 稲葉剛さんのTwitterを見ていたら、シノドスというサイトの記事を紹介していました。

 読んでみましたが、記事が分かりにくいです。

 シノドスの記事は以下のような記事です。


この記事を読んでみると、「精神障害者」を「精神障害者」だからという理由で、措置入院という形で、「閉鎖病棟」とも思われるような「精神病院」に入院させようとのことが今回の精神保健福祉法の改正案だと書かれています。

一括りに、「精神障害者」としているところに大きな違和感を感じました。

危険だとみなさる思想信条を持っている人たちを、「精神障害者」として、措置入院させるのが、今回の精神保健福祉法改正らしいです。

極めて治安的な意味合いの強い精神保健福祉法改正なのだと思いました。

記事の中ではイタリアのバザリア法のことも書かれています。

イタリアのバザリア法とは、イタリア人のバザリアという方が作った法律のようです。

バザリア法では、病を外に出させるような法律で、「精神障害者」を社会という精神病院の外の世界で徐々に治療していこうというのがバザリア法のようです。

記事の中で、一括りに「精神障害者」としているのは、良く分かりませんでした。

「精神障害者」の中には、ブラックな会社勤務での過労で、「精神障害者」になってしまった方もいるかと思います。

 何故、これほど、治安的な意味合いを持った、「精神保健福祉法」が必要なのかが分かりませんでした。

 共謀罪のことも含めて、日本の法律が悪い方向に改悪されそうになっているようで、危機感を感じました。

 以上、「精神保健福祉法の改正案」

ブログに載せます。



 









「うつ病ぽかった高校時代」

「うつ病ぽかった高校時代」

 僕は高校生の頃、バスケットボール部に所属していました。

 小石川高校バスケットボール部は厳しいクラブで、練習のこと、自分の生活のことなど、顧問の先生、コーチの方や先輩に注意されます。

 僕と同じ代の部員が、高校生であるにも関わらず、髪の毛にパーマをかけた時に、顧問の先生は怒ってパーマをやめさせて、スポーツ刈りにするように促していました。

 髪型とかまで、注意されるとは、僕の所属していたバスケットボール部は規律の厳しいクラブなのだと高校生ながら思いました。

 厳しく教育されるバスケットボール部の部員の方々は、反動で、良からぬ遊びに手を出してしまう方もいたかと思います。

 先輩からは厳しい伝統のある、小石川高校バスケットボール部の伝統を守っていって欲しいと思われていたと思うし、後輩からは、小石川高校のバスケットボール部は厳しすぎると思われていたと思います。

 確かに、夏の練習中に倒れて寝込んでいる部員とかもいたし、小石川高校バスケットボール部は厳しい部だったと思います。

 僕も、ただ、責任者として、朝早くから体育館に入り、黙々とシュートの練習をしていると、こんな練習ばかりしていて、プロのバスケットボール選手になれるわけでもないし、何の意味があるのだろうとか思い始めて、高校生の頃、軽い「うつ状態」になっていたと思います。

 クラスでの授業を受けていても、授業の内容が頭に入らずに、授業中に世界地図を眺めていたりしていました。

世界地図を眺めていると、世界とはこんなに広くて、自分の見たこともない地帯が多くあると思うと何か希望のような気持ちが湧いてきたものでした。

僕が小石川高校卒業後、一年間の浪人生活を経てから早稲田大学に進み、早稲田大学探検部に入部して、世界各地に行ってみたのも、高校時代に世界地図を眺めていたからだと思います。

 狭い高校での生活で、バスケットボール部のことばかり考えていた高校時代に、「うつ状態」になっていたこと、気分転換に眺めていた世界地図を見て、少し希望のような気持ちが湧いてきたことについてブログを書いてみました。

以上、「うつ病ぽかった高校時代」

ブログに載せます。






2017年4月26日水曜日

「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」



「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」

 僕は、中学、高校時代、一学期の成績が悪かったです。

 何故、一学期の成績が悪かったというと、一学期が春先から夏にかけての学期だからです。

 春先から夏にかけては、体を動かしたくなりますが、本を読みたい気分にはなりません。

 特に難しい本は読む気になりません。

 陽気のせいか、難しい本を読む気が起きません。

 秋口から、冬にかけては、いくらでも難しい本も読めますが、春先から夏にかけては難しい本を読むのは辛い状態になります。

 僕の中学、高校の頃と同じように、現在でも、一学期に当たる時期は、難しい本を読むのが辛い時期です。

 プロ野球選手が、冬でもトレーニングしていることを考えると、僕も苦手な春先から夏にかけても難しい本を読まなければならないのかもしれませんが、どうもこの季節は、難しい本を読んでも内容が頭に入りません。

 秋口から冬にかけては、簡単に覚えられることも、春先から夏にかけては覚えられないこともあります。

 何とか、継続して難しい本を読んで、脳を鍛えたいと思っていますが、この時期に難しい本を読むことは辛いことです。

 学校時代の経験とは大人になっても出てくるもので、僕も大人になってからも、春先から夏にかけて、難しい本を読むのが辛いです。

 何とか難しい本を読まなくても良い、春夏を過ごせることを願っています。

以上、「春先から夏にかけては本を読むのは辛い」

ブログに載せます。