「新宿トルコ料理屋に見た、早稲田大学探検部黄金時代」
もう3年以上前に新宿のトルコ料理屋で、早稲田大学探検部の二つ上の先輩の高野秀行氏主催の飲み会がありました。
僕は、国から認定されている精神障害者で、病名は統合失調症、東日本大震災に当たっては、高野秀行氏に誘われ、僕と同じ病気の統合失調症のネパールの方と一緒に福島県いわき市での災害ボランティアに参加しました。
東日本大震災時には、僕は、僕と同じ病気の統合失調症のネパールの方と同じような人間だったのだと思います。
その後、僕は開設しているTwitterから東日本大震災関連の情報を流し続けました。
2013年だったと思いますが、早稲田大学探検部でカリスマ的な存在だったSさんと言う方が亡くなり、そのSさんを偲ぶ、早稲田大学探検部のOB会が小石川後楽園で行われたので、僕は同期だった人間に誘われて、出席しました。
その会が終わると、高野秀行氏はすぐに、新宿トルコ料理屋での飲み会を主催しました。
参加者は、僕と、僕と同期だったSさん、Mさん、Kさん、僕の三つ下だった、女性のNさん、そして会を主催した高野秀行氏の、計6人の飲み会でした。
席で、高野秀行さんは、僕らのことを、
「黄金時代」と言っていました。
高野さんからすると、僕らの頃の早稲田大学探検部は早稲田大学探検部の歴史の中でも、
「黄金時代」のように見えていたのだと思います。
確かに、活発に活動をしていて、テレビメディアにも早稲田大学探検部が良く出ていた時代でした。
テレビメディアに早稲田大学探検部が出たのは、高野さんのコンゴ隊、北海道の登山の隊、西表島に行った隊、僕の参加したインドのプラマプトラ川下りの隊などもテレビメディアに登場していました。
テレビメディアに大学生の身分で登場するのは、やはりそれなりのことをしている証拠で、それなりにきちんとした活動をしていないとテレビメディアも取材隊を出しません。
僕らの頃の早稲田大学探検部はそれなりにきちんとした活動をしていたのだと思います。
そのような経緯から、高野秀行さんの口から、
「黄金時代」という言葉が出て来たのだと思います。
僕らの頃のプロ野球界で覇権を握っていたのは西武ライオンズで、ちょうど僕らが早稲田大学探検部に在籍していた頃の西武ライオンズは名将、森監督の下で西武ライオンズ黄金時代を築いていました。
早稲田大学探検部の部員もプロ野球が好きな人間が多いですから、西武ライオンズの野球を見ていた人間も多くいたと思います。
西武ライオンズのようなチームに早稲田大学探検部をしたいと思っていた部員もいたかと思います。
(実際、西武ライオンズの本拠地、埼玉県出身の方も多くいらしました。)
当時の早稲田大学探検部が西武ライオンズのような部だったかは僕には分かりませんが、長い早稲田大学探検部の歴史の中では、黄金時代になるのだと思います。
僕の中では、僕らの頃の早稲田大学探検部が黄金時代だったとは思っていませんが、長い早稲田大学探検部の歴史の中では、黄金時代になるのだと思います。
その後の早稲田大学探検部に黄金時代があるのか分かりませんが、大学生の活動がメディアに取り上げられれば、やはりそれなりの活動をしているということになるのだと思います。
黄金時代を築くためには、現役部員の努力だけが必要で、OBがいくら口出ししたところで、黄金時代は築けないと思います。
僕らの頃も、OBから早稲田大学探検部にコーチに来るような方はいなかったし、あくまで現役部員で、努力して活動をしていたと思います。
早稲田大学探検部の現役部員が自主的に活動し、結果としてテレビメディアなどで取り上げられれば、黄金時代になるのだと思います。
以上、「新宿トルコ料理屋に見た、早稲田大学探検部黄金時代」
ブログに載せます。
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