2022年6月21日火曜日

「チベットで詠んだ句、カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

 「チベットで詠んだ句、カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時(1988年夏)に同期の仲間とチベットの聖山カイラス山に赴きました。

   チベットカイラス隊では僕が隊長を務めました。

   隊長である僕が早稲田大学探検部’88夏チベット探査計画書に書いていた文章は以下です。

  「‘88 夏 チベット探査計画書 はじめに」

 「現代社会へのアンチテーゼ」

  「チベットその魅力」

   チベットの聖山カイラス山(標高6656メートル)とは未踏峰で到達困難峰とされていて、チベットではカイラスまでの行程の途中で、カイラスに到達出来ないのではないかという状況が幾度かありました。

  その際に僕がメンバーの前で詠んだ句があります。

  「カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

  という句です。

  大学2年生の時の句なので稚拙ですが、僕は隊長として、メンバーの前で、

  「カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

  と詠みました。

  チベットでの集合写真はこちら

                                  ↓

 


 左から、上原、倉島、中谷、桜井です。

 この句の通り、僕らは多くの困難に遭いながらも、チベットの聖山、カイラスに到達しました。

   どのような困難に遭ったかというと分かり易く言えば、ヒッチハイクしたトラックがスタック(立ち往生)してしまって前に進めなくなるような事態です。

 どのような状況が分かり易い写真はこちら

                  ↓


  左から中谷、倉島、上原です。 
 
  このようにスタック(立ち往生)したトラックを皆で押したりしていました。
 
  チベットカイラス遠征では、遠征に費やした期間は約2ヶ月半。チベットの現地では食べ物もあまりなく、本当に苦しい遠征でした。チベットカイラス隊のメンバーである副隊長の桜井誠人、渉外の倉島孝行、食糧の中谷敏夫の3名も、チベットで食べ物があまりなく、激ヤセ(痩せ)してしまいました。

 隊長であった僕、上原和明は、チベットの食べ物であるツァンパに干しぶどうを入れたものを食べて、太りました。何故か僕だけ、チベットの食べ物である、ツァンパに干しぶどうを入れたものを食べて太りました。

 当時のチベットは、中国の監視下に置かれていて、入域するのも困難との情報も出回っており、チベットの首都であるラサに入ることさえ難しいと言われていました。

 まして、西チベットのカイラス山に至っては、外国人が足を踏み入れるのも極めて難しい聖なる山でした。

 世界中の探検・冒険愛好家の憧憬の山でした。

  チベットではマリオ(MARIO BLASEVICH)というカナダ人(カナダのブリティッシュコロンビア州に住んでいたカナダ人)に会いました。マリオとは中国四川省の魔の山と言われる、ミニヤコンガに挑んだことがあり、凍傷で手の指が無い部分もあった探検家であり冒険家でした。

 僕が早稲田大学探検部3年生の時にカナダユーコン川川下りに行った際に、マリオのカナダブリティッシュコロンビア州の自宅を訪ねたことがあります。(留守でした、チベットでカナダブリティッシュコロンビア州のマリオの自宅の住所を教えてもらいました。)

マリオの姿の写っている写真はこちら

              ↓

 


一番右にいるのがマリオです。

左から中谷、倉島、上原、マリオです。

 僕らは多くの困難に遭いながらもなんとか、憧憬の山カイラスに到達しました。

 チベットの聖山、カイラス山に到達してからは、標高5630メートルのドルマ・ラ峠のあるカイラス山の周囲の巡礼路約52キロを重さ約20キロある100リットルザックを背負って2日かけて歩きました。

 チベットの信仰の山、聖山カイラス山の周囲の巡礼路では、巡礼するチベット仏教徒の方々、ヒンドゥー教徒の方々が多くいらっしゃいました。

 信仰の山の巡礼路は標高5600メートルを超えるドルマ・ラ峠を最高標高点に、本当に苦行をする道のようでした。

 僕はチベットのカイラス山の周囲の巡礼路を2日かけて歩いて、仏教徒の方々やヒンドゥー教徒の方々の厚い信仰心を感じ取りました。

 心から、カイラス山に辿り着いたことを喜び、一生の思い出にする人々もいらしたと思います。

  チベットの聖山、カイラスに到達して、カイラス巡礼路の途中の宿泊するゴンパのあるカイラス北壁での様子を書いた報告書のようなものはこちら

 →「チベットの聖地、カイラス山北壁にて」

  僕は言葉の力とは大きいものだと思っています。

  困難に直面した際にどのような言葉を発するかで、リーダーとしての資質が明らかにされると思います。

  僕がチベットで、カイラスまで到達出来ないと思われるような苦境に立たされた際に、

  「カイラスに 帰らすなんて 言わせない」

  と詠んでいたことをブログに書いておきます。

  ちなみにカイラスに到達し、カイラスから無事日本に帰ってきてから、関西に遊びに行き、神戸の中華街、南京町に行ったときの4人の様子を撮った写真はこちら

                            ↓


 左から倉島、桜井、上原、中谷です。

 チベットカイラス隊の4人とも日本に帰ってくると普通の大学生でした。

 2019年3月23日(土曜日)に約30年ぶりにチベットカイラス隊の4人とチベットで会った吉竹俊之君(近畿大学探検部OB)、田中智秀君(中国語の専門家)と6人で高田馬場の居酒屋で飲み会をした際の集合写真はこちら

                          ↓


 左から吉竹、桜井、上原、田中、倉島、中谷です。

 チベット遠征から30年以上経っても皆、元気でした。

 飲み会のことを書いているブログはこちら

 →30年以上前にチベットに遠征した男たちはとても元気だった」

   →「高田馬場にんじん屋に見た背中に鉄板入れられる幻覚」

 →「高田馬場のにんじん屋で自らの罪を自白した倉島孝行、桜井誠人」

 →「高田馬場にんじん屋に見た早稲田大学探検部3.5軍」

  →「高田馬場にんじん屋に見た小沢一郎も小石川だな」

 →「高田馬場にんじん屋に見た博士」

 →「高田馬場にんじん屋に見た船戸与一みたいだな」

 →「高田馬場にんじん屋に見たおまえが麻原彰晃だったんじゃないか?」

 →「高田馬場にんじん屋に見たバビロンシステム」

 →「西川口式をキューポラのある街で止めた」

 →「今日はカイラスの写真集を持って行こうと思っている」

 →「明日は変なことを言わないように気をつける」

 →「チベットに行ったときのことを思い出せば大抵のことは乗り越えられると思っている」

 「一人にならないと文章は書けないようだ」

 →「チベット隊はすぐに集まるのに、ユーコン隊は全く集まりがないと思っている」

 →30年以上前にチベットに挑んだ男たちが集うことになった」

 →「チベットで会った人間から連絡があった」

 →「早稲田大学探検部、チベット隊とコンゴ隊の仲の悪さ」

 →「早稲田大学探検部チベット隊でクレイジージャーニーを見ている人間はいないようだ」

  →「早稲田大学探検部で計画書を作れたところで何の力も持たない」

  →「現代社会へのアンチテーゼなんて書かなければ良かった」

 →「ラーメン屋のせがれが現代社会へのアンチテーゼなんていう文章を書けるのか?」

 僕がチベット隊のことについて書いているブログはこちら

「障害者福祉施設での安いから発言」

「早稲田大学探検部チベット隊の隊長なんて務めなければ良かった」

「早稲田大学探検部チベット隊は隊長より、メンバーの方が偉くなっている」

「早稲田大学探検部で隊長を務めると辛いよ」

「昨日、カイラスのYou Tubeを見たが、すごい場所に行っていたと思った」

「チベット、ラサのサッカー」

kailas  OSとか作ってくれないかと思っている」

 「チベットカイラス隊では僕だけマナサロワール湖に行っていない」


僕が僕の人生の中で早稲田大学時代が人生の頂点だったことを書いているブログはこちら

「早稲田大学時代が人生の頂点だった人生」

  ちなみに

   僕がチベットに行く前にリストアップしていた書籍は以下です。

 →「チベットに行く前にリストアップしていた書籍」

 僕がチベット行きの遠征資金を貯めるためにしていたアルバイトのことについて書いているブログはこちら

 →「チベットに行く遠征資金を貯めるためにしていたアルバイト焼き鳥屋さん   でのアルバイト」

 僕がチベットに行く前に「探検部」のことを考えてみた文章が載っているブログはこちら

 → 「チベットに関する書類、探検部とは何か」

    僕がチベットに行った1988年の日記には以下のような言葉が書かれていました。

                  ↓


  "天下水より柔弱なるは莫し” 老子に出てくる言葉です。

 ”Do as Romans do"  

  when in Roma, do as the Romans do(郷に入れば郷に従えということわざ)

  ”負けるな一茶ここにあり” 

 やせ蛙負けるな一茶これにあり(小林一茶の句)のことです。

  (これにありをここにあり)と書いているようです。

  僕がチベットに行く前に日記に書いていたものは以下です。

    「チベットに行く前の198817日の日記 混沌」

 →「チベットに行く前の1988110日の日記 創造」

 → 「チベットに行く前の1988113日の日記 混沌」

  → 「チベットに行く前の1988119日の日記 幸福」

 →チベットに行く前の1988127日の日記 価値観 アンチテーゼ」

 →「チベットに行く前の1988225日の日記 アンチテーゼ」

 → 「チベットに行く前の1988227日の日記」

 →「チベットに行く前の198831日の日記」

 → 「チベットに行く前の198839日の日記 情報化社会」

 → 「チベットに行く前の1988325日の日記 価値観」

 →「チベットに行く前の1988328日の日記 百聞は一見に如かず」

 →「チベットに行く前の1988512日の日記 チベット」

 → 「チベットに行く前の1988526日の日記 チベット」

 → 「チベットに行く前の198863日の日記 チベット」

 「チベットに行く前の1988619日の日記 チベット」

 足になってしまいますが、チベットカイラス遠征の際に僕がチベットに持っていた本の中の1つは旅行ガイドブックのロンリープラネットのチベットトラベルサバイバルキット(lonely planet Tibet a trabvel  survival kit)という英語の旅行ガイドブックでした。

 

  僕がチベットカイラス隊の4人とチベットで会った吉竹君、田中君と約30年ぶりに飲み会をした際に僕が持っていたカイラスの写真集は、僕が早稲田大学探検部4年生の時にインドブラマプトラ川川下りに行った際に、インドニューデリーで購入した、

 「THE SACRED MOUNTAIN OF TIBET」

 Kailas: On Pilgrimage to the Sacred Mountain of Tibet)

 という英語の写真集でした。

 

 

 今でも僕の家にあるチベットのカイラスに関する本は。

 「チベットの山」 カイラス山とインド大河の源流を探るという本です。

 

 

  僕の家に今でもあるヒマラヤの写真集は

 「ヒマラヤ 満天星」という写真集です。

 


 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿