2015年4月29日水曜日

1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)

1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)
GW(ゴールデンウィークの課題)学校の建物=学校の写真を撮影する。

開設しているTwitterのフォローワーさんの人数が、1976人になりました。
実は、フォローワーさんの人数は1992人に到達していたのですが、フォローしてくださっている方のTwitterアカウントを全てフォローしようとすると、鍵がかかっていて、フォロー出来ないアカウントが沢山ありました。
鍵が掛かっている全てのアカウントにフォローリクエストを送りましたが、20日以上経っても、フォローを承認してくれない、アカウントが多くありました。
昨日、フォローを承認していただけない、アカウントを全てブロックして、僕のTwitterアカウントをフォローするのを解除しました。
昨日の段階で、僕のTwitterのアカウントをフォローしてくださっていて、僕からのフォローも承認していただいている、アカウントの数は1976でした。
せっかく、フォローワーさんの人数が1992人に到達したので、僕が学校を卒業した1992年に書いていた文章を公開していましたが、現在のフォローワーさんの人数では、公開出来ません。
仕方ないので、1976年、昭和の時代に僕が見ていた風景=建物(学校)の現在の建物をスマートフォンで撮影するととも、説明文のようなものをブログに書いていきたいと思っています。
今日、(昭和の日)から始まるゴールデンウィーク中に、小学校、中学校、高等学校、大学、1992年まで、僕が見ていた風景=学校が現在ではどのような建物になっているか、その風景を写真に収めたいと思っています。
写真が撮影出来れば、説明文のようなブログも書けると思います。

僕個人としては、徐々にフォローワーさんが増えて、早く学校を卒業した1992年に書いていた文章を公開できるといいと思っています。

ちょうど、今日は「昭和の日」なので、僕が「昭和」の頃見ていた風景が現在、どのような風景になっているかを再確認するには良いと思います。

以上、1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)
GW(ゴールデンウィークの課題)学校の建物=学校の写真を撮影する。



早速、僕が通っていた小学校の風景を外からスマートフォンで撮影してきました。

まずは、校門です。

この門から小学校の中に入りました。

玄関で上履きに履き替えます。






次ぎに、学校の外から見た鉄棒です。

小学生用なので低い鉄棒ですが、この鉄棒で僕も逆上がりの練習とかしていました。



次に、学校の外から見た、校庭です。
僕の頃はコンクリートの校庭で、転んで頭を打ち付けると大きな怪我につながることがありました。
現在では、校庭の素材は少しクッションのあるものになっているようです。





次に学校の外から見た学校の建物の様子です。
僕の通っていた小学校は、踊り場の建築様式が特徴的な建物で、外観も非常に優れていました。



僕の通っていた小学校では高学年になると夏休みに長野県の八ヶ岳山麓での林間学校があり、小学生ながら、雄大な八ヶ岳を見られるはとても嬉しかったです。空気もきれいで、景色も良く、子供にとっては貴重な体験をさせていただいたと今でも思っています。

東京都心の学校に通っている子どもたちは、雄大な自然の風景とかを目の当たりにすると心から嬉しそうな顔をしていました。


以上、1976年(昭和の頃)に見ていた風景(建物=学校)

くだらない内容ですがブログに載せます。




2015年4月28日火曜日

「土曜の夜はこれを借りろ」③(少年) フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章

「土曜の夜はこれを借りろ」③ (少年)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章

 Twitterのフォローワーさんが1992人になったので、僕が1992年に書いていた文章を公開しています。

 今回、紹介するコラムは、一昨年亡くなった大島渚監督の佳作、「少年」という映画を題材にした映画コラムです。

「少年」

「もっと日本が広ければいいのになぁ」。
北海道のノサップ岬までたどり着いたときに少年が呟くこの言葉は「少年」という映画のすべてだ。
 映画は息子に当たり屋をさせることによって生計を立てながら高知を皮切りに日本各地を転々としていく一つの家族を描いたロードムービーで、家族の姿を映し出すことにより日本という国を浮き彫りにしていくのだが、家族の赴く地は日本でしかない。そこにはいつも日の丸がはためいていて、日本語が話されており、新天地などどこにも存在しないのだ。本州の向こうの希望の地、北海道に渡ってもやはり、そこは日本なのであって端まで行けばいつものように海が行く手を塞ぐように待っており、この家族も少年も日本という呪縛から逃れられない。みんな家族と繋がっていて、家族は日本と繋がっていて、どこにも自立した個人など存在しないのだ。唯一人、「少年」が意思を持った個人として映し出されるが、日本から逃れられない家族同様、結局、少年も家族から逃れることができないのだ。
 個人が存在することのできないイビツなロードムービーの中で描かれるのは個人と個人の絆などではなく、あくまで個人と家族、家族と日本の絆でしかない。
 この映画は日本という家から家出をしようとする家族の姿を描くことによって、日本から逃れられない家族と同時に、家族から抜け出せない個人をも描いてしまう。そして、少年がいつも海に出くわすときに表すやりきれない表情によって、個人としての日本人の限界までも一気に見せてしまう極めて優れたロードムービなのである。

以上が、「an(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。

何度も書きますが、当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。
アルバイトをせざるを得ない貧乏学生たちに良質な映画を見てもらい、日々のアルバイトの疲れを週末にレンタルビデオでも見て、精神的疲れを解消してもらいたいと思い、良質な映画の映画評をおもしろおかしく書いていました。

この「少年」という映画を題材にした映画コラムは、内容がシビアで正直に言うとおもしろおかしく文章を書けませんでした。

ただ、映像美に関しては、日本各地の風景を美しく撮影していたので、疲れ果てている学生さんに観てもらいたと思い、紹介する映画の一つにしました。

 大島渚監督の映画は沢山観ましたが、他の映画は紹介しませんでした。

僕にとってはこの「少年」という映画が大島渚監督の映画の中では一番、好きな映画だったので、題材としました。
 
以上、「土曜の夜はこれを借りろ」③ (少年)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章


くだらない内容ですが、ブログに載せます。

2015年4月26日日曜日

「土曜の夜はこれを借りろ」② (ブリキの太鼓) フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章



「土曜の夜はこれを借りろ」② (ブリキの太鼓)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章
 

 Twitterのフォローワーさんが1992人になったので、僕が1992年に書いていた文章を公開しています。

 先日は、スペイン映画「アタメ」という映画を題材にした映画コラムでしたが、今回はドイツの作家ギュンター=グラス氏の著作「ブリキの太鼓」を原作にしている映画を題材にした映画評論コラムを公開します。

 「ブリキの太鼓」

 オスカルの母親が生のニシンをひたすら食い続け、やがて死に果てるシーンはこの映画をよく表しているよ。
 とにかくドイツという国の人々の考えていることはよくわからん。何がそこまで訳をわからなくしているかと言えば、やっぱりその厳しい倫理観だということになるんだろうな。厳しい倫理観という虚構の中に存在するあのイヤラシさを又、ドイツ人は笑い飛ばして表現できないから、こんな歪んだ名作が作られることが可能になるんだ。
 大体、オスカルは生まれた時からドイツ人の裏側を知っているんだよ。あんな美人の母親の腹に宿っちゃって、しかも三島みたいな早熟な天才だったオスカルは母親の子宮にいたときから記憶があるときやがる。それじゃ、あの厳しい倫理観の裏側のイヤラシさをこの世に出てくる前から知っちまっていたということになるもんな。だからオスカルは何があっても感情を出さない。そして、どうにもならいときに伝家の宝刀ブリキの太鼓を持ち出してやりきれない叫びを上げるんだ。
 まぁ、こんな映画を見て物知り顔に解説しているような奴とはドイツ人でないかぎり友達になりたくないね。何しろ、突然、生のニシンが欲しいと言われたら恐ろしいからね。

以上が、「an(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。

何度も書きますが、当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。
アルバイトをせざるを得ない貧乏学生たちに良質な映画を見てもらい、日々のアルバイトの疲れを週末にレンタルビデオでも見て、精神的疲れを解消してもらいたいと思い、良質な映画の映画評をおもしろおかしく書いていました。

 この映画、「ブリキの太鼓」の原作はドイツの偉大な作家、ギュンターグラス氏で、ニュージャーマン=シネマの一つとして撮られた映画だったと思います。

 僕らが学生時代を過ごした1980年代後半は、映画など流行っていました。僕も、劇場でも沢山映画を見ましたし、レンタルビデオ屋さんで映画ビデオを借りて、良く見ていました。

 この「ブリキの太鼓」は劇場で観たものではなくレンタルビデオで借りて自宅で観た映画だったと思います。

 レンタルビデオ屋さんに、名作が沢山置かれていた時代だったので、「an」に僕の「ブリキの太鼓」の紹介映画批評コラムが掲載されたことは嬉しかったです。

以上、「土曜の夜はこれを借りろ」② (ブリキの太鼓)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章

くだらない内容ですがブログに載せます。







2015年4月25日土曜日

「土曜の夜はこれを借りろ」① アタメ フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章

 Twitterのフォローワーさんが1992人になったので、僕が1992年に書いていた文章を公開してみます。
 アルバイト情報誌「デイリーアン」におすすめ映画評論のようなコラムを書いていました。
コラムのタイトルは「土曜の夜はこれを借りろ!!」
でした。

当時はレンタルビデオが全盛の頃で、若者は皆、レンタルビデオ屋さんで、映画のビデオとか借りて、週末を乗り切っていました。

僕が「an」に書いた映画コラムの題材にした映画の一つは、

「アタメ!!」という映画でした。

以下、「an」に掲載された僕の文章です。

 最近、赤ら顔の男がめっきり減ってきているのはどうしたことだろうか。みんな燃えてくるものがないのだろうか。そりゃあ、女の子からすればキレイな顔した男の子がかわいいんだろけど、やっぱり男に生まれたかぎり、たまには頭に血を昇らせるぐらいの血の騒ぎっているのは欲しいものである。
 だいたい頭というのは首から繋がっていているものであって、その姿っていうのはある意味で非常に男性的なのであり、その頭に血が昇らないっていうのはやはりヤバイのだ。それは簡単に言ってしまえば精神的インポだということになる。
 この「アタメ!」という映画はそんな閉塞的状況に生きている現代の男性たちへの叱咤の映画だ。主人公はラテンの血の注入された燃えたぎった頭を持つ若者。舞台は情熱の国スペイン。彼は若い時に孤児院に引き取られ、以来、精神病院に入院。二十三歳にしてようやく退院を許され、憧れの女性の元へ。振り向いてくれない彼女へあの手この手でアタックしても彼女はソッポを向いたままだったてんで、最後の禁じ手「アタメ!」によって彼女をモノしてしまう、というお話である。
 まあ、今の日本じゃいろいろと障害は多くこう簡単に「アタメ!」とはいかないだんろけど、そんな弱気の人は「アタミ」の温泉でも入って、「アタマ」に血を昇らせればちょっとは気が触れて、「アタメ!」、っていう言葉ぐらいは叫べるかもしれないのである。

以上が、「an(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。

当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。
アルバイトをせざるを得ない貧乏学生たちに良質な映画を見てもらい、日々のアルバイトの疲れを週末にレンタルビデオでも見て、精神的疲れを解消してもらいたいと思い、良質な映画の映画評をおもしろおかしく書いていました。

「アタメ」という映画も、僕が当時、観ておもしろかった映画だったので、紹介する映画の一つに選んでいました。

毎日、毎日、学業とアルバイトに追われる、苦学生にはせめて週末だけも、おもしろいことを考えてもらえれば思っていました。

以上、「土曜の夜はこれを借りろ」フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章


くだらない内容ですが、ブログに載せます。
アタメ/私をしばって!
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