2022年2月26日土曜日

「このところ寝る前に聴いているYou Tube」

 「このところ寝る前に聴いているYou Tube

  僕はこのところ、寝る前に睡眠薬代わりに聴いているYou Tubeがあります。

 僕が寝る前に睡眠薬代わりに聴いているYou Tubeは、僕が中学校の国語の授業で学んだ、平家物語の冒頭に出てくる、「諸行無常」について解説しているYou Tubeです。

 You Tubeは以下です。


このYou Tubeを聴いていると何かとても落ち着きます。

 平家物語の冒頭は

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

たけきものもついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ

  このYou Tubeには日本に平安時代に遣唐使として唐に渡り、仏教を学んで、密教の真言宗を開いた空海(弘法大師)の作った「いろはうた」も出ています。

 空海(弘法大師)の作った「いろはうた」とは以下のようなものです。

 いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならぬ

うゐのおくやま けうこえて

あさきゆめみし ゑいもせず

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず

以上のような空海の作った「いろはうた」も出てきます。

 このYou Tubeを寝る前にスマートフォンに、イヤフォンをつけて聴いています。

このYou Tubeを聴いていると、落ち着いて入眠できます。

  心の病気の人(精神障害と診断されている人、統合失調症と診断されている人)にも聴いていただきたいYou Tubeです。

  僕がこのところ寝る前に聴いているYou Tubeをブログで紹介しておきます。

  以上、「このところ寝る前に聴いているYou Tube

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月24日木曜日

「小石川高校B組の谷口和彦には高校時代に水道端図書館で会った」

 「小石川高校B組の谷口和彦には高校時代に水道端図書館で会った」

 僕は小石川高校時代に、僕が在籍していたクラスB組のクラスメイト、谷口和彦に文京区立水道端図書館で会った記憶があります。

  谷口和彦は水道端図書館で勉強をしていて、僕も水道端図書館で勉強をしていたと思います。

  水道端図書館は、僕の家から一番近い図書館なので、僕は水道端図書館で勉強をしていました。

  小石川高校B組のクラスメイト谷口和彦と水道端図書館で会って、少し話をしてから、確か谷口和彦を僕の家に招待したと思います。

  谷口和彦とは小石川高校時代は陸上部で後の小石川高校B組の政治的なボスになったようです。

  小石川高校の体育祭の時は、僕も谷口和彦に指名されて、体育祭のスウェーデンリレー(4人の走者が100㍍、200㍍、300㍍、400㍍をバトンをつなぎながら走ります)のアンカーに指名され、毎日のように、中距離走の練習をして、体育祭でスウェーデンリレーの最後の400㍍を走りました。

 谷口和彦とは小石川高校から早稲田大学文学部に進まれたようです。

  谷口和彦とは、早稲田大学時代に、能のサークルに入っていて、谷口和彦が入っていた能のサークルの女友達が、後の僕の早稲田大学探検部時代の同期の松田和郎の奥さんになった方でした。

  何か不思議な縁ですが、僕の早稲田大学探検部時代の同期生とも知り合いになっています。

  今では公的な資格試験に合格して、仕事をされていようです。

  文京稲門会(文京区在住の早稲田大学出身者の集まり)の幹事長も務められているようです。

  今では立派な人間になっているようです。

  政治的な志向の方のようで、早稲田大学文学部出身でありながら、文学的なことよりも政治的なことに関心があるようです。

  政治的な話になると、与党か、野党か、右か左かとかで激しい議論になると思うので、僕は政治的な激しい議論に巻き込まれたくないので、谷口和彦とFacebookの友達を解除しました。

  小石川高校出身者も、政治的な話が好きな方はいるので、僕はなるべく政治的な話には巻き込まれないようにしています。

  僕が小石川高校時代に、B組のクラスメイト谷口和彦と水道端図書館で会ったことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の谷口和彦には高校時代に水道端図書館で会った」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月23日水曜日

「小石川高校B組の堀江真道には純チャン三色と言った」

 「小石川高校B組の堀江真道には純チャン三色と言った」

 僕が小石川高校時代に在籍していたクラスB組のクラスメイトに堀江真道という人間がいます。

  堀江真道は小石川高校時代はバレーボール部に在籍していました。

  僕も小石川高校時代に、巣鴨の村さ来という居酒屋で、小石川高校B組の仲間と堀江真道も含めて飲んだ記憶があります。

  僕が小石川高校を卒業してから、小石川高校バスケットボール部の仲間や、堀江真道と会って飲みに行った記憶があります。

  僕は堀江真道に、

 「純チャン三色(じゅんちゃんさんしき)」と言った記憶があります。

  「純チャン三色」とは麻雀の役で、ウィキペディアによると、4面子1雀頭の全てに老頭牌(一九牌)が関わっている形で、萬子・索子・筒子それぞれの色で同じ並びの順子を作ったときに成立する役です。

  堀江真道とは、小石川高校B組時代に、みんなから

 「堀江淳」と呼ばれていました。

  堀江淳とは、シンガーソングライターで、メモリーグラスという曲で大ヒットを放ったシンガーソングライターです。

  メモリーグラスでYou tubeで検索すると、動画がありました。

  ↓








 僕は、堀江真道が小石川高校時代に、「堀江淳」と呼ばれていたので、そのことを思い出して。堀江真道に

 「純チャン三色」と言ったと思います。

  僕も当時は早稲田大学で麻雀をやっていたので、つまらない親父ギャグで、

 「純チャン三色」と言ったと思います。

 堀江真道とは小石川高校から横浜国立大学に進み、パナソニックに就職されたようです。

 みんなで会ったときも、東工大のある大岡山の話とかをしていたと思います。

 真面目な理系の人間らしく、地道に勉強をされて、国立大学からパナソニックに就職されたようです。

今では本当につまらない親父ギャグを堀江真道に言って悪いことをしたと反省しています。

以上、「小石川高校B組の堀江真道には純チャン三色と言った」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月22日火曜日

「小石川高校B組の長沢光哲には上原君は日本語より英語の方が上手く字を書くと言われていた」

 「小石川高校B組の長沢光哲には上原君は日本語より英語の方が上手く字を書くと言われていた」

 僕が小石川高校時代に在籍していたクラスB組で、B組のクラスメイト長沢光哲に、

 「上原君は日本語より英語の方が上手く字を書く」と言われたことがあります。

  以前もブログに書きましたが、僕は本当に字が下手で、日本語でノートなどに字を書くと下手な字を書きます。

  一方で、僕はノートなどに英語で字を書くと、日本語より綺麗な字を書いていたようです。

  僕は、本当に字が下手で、漢字、ひらがな、カタカナから出来ている、日本語で字を書くと、とても普通の人には読めないような下手な字を書いていたようです。

  一方で、アルファベットから出来ている英語では、日本語より上手い字、きれいな字を書いていたようです。

  僕に、「上原君は日本語より英語の方が上手く字を書く」と高校時代に言っていた長沢光哲は小石川高校から僕と同じ早稲田大学法学部に進み、早稲田大学時代は僕と同学年でした。

  早稲田大学時代に、長沢光哲に早稲田大学のキャンパスで会ったことがあります。

  早稲田大学法学部でも、真面目に法律の勉強をしていたようです。

  Facebookでも友達になっていますが、何か四国、香川県の豊島(てしま)の産業廃棄物による公害の問題についても考えて活動をしているようです。

  僕が小石川高校時代に、小石川高校B組の長沢光哲に

  「上原君は日本語より英語の方が上手く字を書く」

  と言われていたことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の長沢光哲には上原君は日本語より英語の方が上手く字を書くと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月21日月曜日

「小石川高校B組の伊藤達郎は早稲田大学時代に部室が隣のサークルに入っていた」

 「小石川高校B組の伊藤達郎は早稲田大学時代に部室が隣のサークルに入っていた」

  僕が小石川高校時代に在籍していたクラスB組のクラスメイトに伊藤達郎という人間がいます。

 伊藤達郎は小石川高校時代はラグビー部でした。

 伊藤達郎は、小石川高校から早稲田大学商学部に進みました。

 僕は小石川高校から早稲田大学法学部に進みました。

  僕は伊藤達郎とは早稲田大学の同学年でした。

 僕は早稲田大学では早稲田大学探検部というサークルに入部しました。

 伊藤達郎は、早稲田大学では早稲田大学旅の会というサークルに入りました。

  早稲田大学探検部と早稲田大学旅の会は、僕らが早稲田大学の学生の頃は部室が隣でした。

  探検部も旅の会も早稲田大学1号館の5階にサークルの部室がありました。

 僕は早稲田大学探検部時代に、部室が隣のサークル、旅の会の伊藤達郎に会ったか覚えていませんが、早稲田大学のキャンパスでは伊藤達郎に会ったような気がしています。

 伊藤達郎は、旅の会というサークルで酒ばかり飲んでいると言っていったような気がします。

  伊藤達郎が旅をしていたかは分かりませんが、伊藤達郎は旅の会というサークルに入っていました。

  大学時代くらい、自分の見知らぬ土地におもむく旅をしたいと思っている人は多くいると僕は思っています。

  僕の小石川高校B組のクラスメイト伊藤達郎が早稲田大学時代に部室が隣のサークルに入っていたことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の伊藤達郎は早稲田大学時代に部室が隣のサークルに入っていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月20日日曜日

「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

 「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

  僕の小石川高校時代に在籍していたクラスB組のクラスメイト中尾浩基には僕が高校時代に大学受験に失敗して、中央区人形町の東京新聞の専売所で新聞配達をしながら、中央区浜町のアパートに住み込んで受験勉強をしていた頃にとてもお世話になりました。

  僕が住んでいた中央区浜町のアパートに僕の小石川高校時代のB組の担任の先生、三浦𠮷明先生の名前で、手紙を送ってきたりしていました。

  僕も浪人時代は新聞配達をしながら、中央区立日本橋図書館で受験勉強をして、文京区本郷にある僕が中学時代に通っていた学習塾、鐙坂学問所(早稲田大学教育学部出身の先生が塾を経営していました)に無料で通わせていただき、勉強を教えていただき、なんとか一浪で早稲田大学法学部に合格しました。

  浪人時代は、新聞配達が大変で、毎朝3時半頃に起きて、東京新聞の専売所に出勤して、200部くらい新聞を配達していました。朝刊の新聞配達が6時頃に終わり、専売所で朝食を食べてから浜町のアパートに戻り、駿台予備校から出ている、漢字の書き取りの参考書で漢字の勉強をアパートでしてから、朝9時から開館する中央区立日本橋図書館に行き、日本橋図書館で、受験テキストと以前もブログに書いた、中央公論社から出版されている「世界の歴史」全16巻を読破するという勉強をしていました。

  中央区立日本橋図書館とは、中央区兜町の証券会社街の近所にあり、日本橋図書館には、証券会社のサラリーマンと思われる方々が寝に来ていて、図書館で居眠りして休息を取る、サラリーマンの方々と一緒に、図書館の席に座って勉強をしていました。

  夕刊の新聞配達が、2時半頃から始まるので、一度、浜町のアパートに戻り、アパートで食パンの昼食を食べてから専売所に行き、夕刊も200部くらい配達していました。

  5時頃に夕刊の新聞配達が終わってから、週に2回くらいだったと思いますが、文京区本郷にある僕が中学生の頃に通っていた学習塾、鐙坂学問所に勉強を教わりに行きました。

  都営新宿線の浜町駅から、神保町に出て、神保町から都営三田線に乗り換えて、春日駅で降りて、文京区本郷にある鐙坂学問所に通っていました。

  浪人時代は、一人暮らしで、話し相手もいなくて、小石川高校B組だった中尾浩基によく電話をしていました。

  中尾浩基とは小石川高校時代はテニス部で、背も高くて格好が良くて、甘いマスクで人気があった人間です。

 浪人時代に中尾浩基と神保町で会ったりしていましたが、中尾浩基には、

 「うえどんは早稲田大学に行ったら、名物男になる」と言われていました。 

  中尾浩基も僕と同じ、早稲田大学法学部に合格して、早稲田大学法学部時代の語学クラスも、第一外国語で中国語を選択して、同じ語学クラスになりました。

  中尾浩基とは早稲田大学時代に、漫歩会というサークルに入り、アウトドア系や旅をしたりしていたようです。

  僕も早稲田大学時代に中尾浩基と一緒に、横浜中華街にご飯を食べに行ったりしていました。

  中尾浩基とは早稲田大学からJR東日本に就職されたようです。

  Facebookで友達になっているので、何をしているのかも分かります。

  僕が小石川高校B組の中尾浩基に浪人時代にお世話になったことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の中尾浩基には浪人時代にお世話になった」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月19日土曜日

「小石川高校B組の嵯峨山高志、永見延明とは白山通りの耕路という喫茶店で食事をしたことがある」

 「小石川高校B組の嵯峨山高志、永見延明とは白山通りの耕路という喫茶店で食事をしたことがある」

  僕は小石川高校時代に、小石川高校B組の仲間、嵯峨山高志と永見延明と一緒に、白山通り沿いにある耕路(KOJI)という喫茶店で食事をしたことがあります。

  嵯峨山高志とは、小石川高校時代はラグビー部で、フランカーを務めていた人です。

  嵯峨山は、小石川高校時代、最初、バスケ部に体験入部しましたが、バスケ部が合わずにラグビー部に入部した人です。

  僕も嵯峨山に誘われ、小石川高校ラグビー部の、対明大中野の試合を見に行ったことがあります。

 小石川高校ラグビー部は明大中野には負けてしまいました。

  嵯峨山は僕の両親の営んでいたラーメン屋にもご飯を食べに来てくれたこともありました。

  永見とは、陸上部で、二枚目で、小石川高校時代も、原田知世の映画の話とかをしていて、少しミーハーなところもあった人間でした。

  僕は小石川高校時代に、嵯峨山と永見に誘われ、小石川高校から歩いて行ける、白山通りにある、耕路という喫茶店に一緒に食事に行ったことがあります。

 耕路という喫茶店では確かミートソースを食べたと思います。

  僕は小石川高校時代は、高校生でアルバイトも出来ずにお金も無くて、外食することなどほとんどありませんでしたが、嵯峨山高志と永見延明と白山通りにある耕路という喫茶店に一緒に食事に行ったことがあり、僕の高校時代の数少ない楽しい思い出の一つになっています。

  以上、「小石川高校B組の嵯峨山高志、永見延明とは白山通りの耕路という喫茶店で食事をしたことがある」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月18日金曜日

「障害者福祉施設に見た革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

 「障害者福祉施設に見た革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

  僕が心の病気、統合失調症になって、文京区の精神障害者福祉施設、銀杏企画に入所した際に、銀杏企画の職員から、

 「上原さんは早稲田大学で革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

 と言われたことがあります。

  僕が早稲田大学に通っていた頃は、学食(学生食堂)で200円くらいのサービスカレーを昼食に食べていました。

  僕は早稲田大学の学食で作られているサービスカレーが革マルによって作られているのかは知りませんが、銀杏企画の職員さんに、

 「上原さんは早稲田大学で革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

 と言われました。

 僕は革命家でもないし、マルクス主義者でもないので、銀杏企画の職員に言われた言葉には正直、驚きました。

  早稲田大学の学食のサービスカレーが革マルによって作られているのかさえ、その真偽も分からないし、何故、銀杏企画の職員が僕に、

  「上原さんは、早稲田大学で革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

  と言うのかと本当に不思議に思いました。

  何か僕に対する誤ったイメージが銀杏企画で出来てしまっているのだと僕は思いました。

  僕が文京区の精神障害者福祉施設、銀杏企画で職員に、

  「上原さんは、早稲田大学で革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

  と言われたことがあることをブログに書いておきます。

  以上、「障害者福祉施設に見た革マルの作ったサービスカレーを食べていたんだろ」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月17日木曜日

「障害者福祉施設に見た鼻血ブー」

 「障害者福祉施設に見た鼻血ブー」

  僕が2010年にそれまで勤務していたソフマップを退職してから、僕が以前通っていた文京区の精神障害者福祉施設、銀杏企画に入所した際に僕と同じ小石川高校出身で僕と同学年で、クラスはG組に在籍していた人と偶然知り合いました。

  G組に在籍していた人は、H組に在籍していて、小石川高校ラグビー部だった花島毅の話を僕にしていました。

 H組で小石川高校ラグビー部だった花島毅のネタを僕に披露していました。

 ネタとは、花島毅のことを茶化して

 「鼻血ブー」と言っていました。

  僕は花島毅のことは知っていて、小石川高校時代はラグビー部でセンターのポジションを務めていた人です。

 花島毅とは、小石川高校から早稲田大学に進んでいます。

  僕も早稲田大学で花島毅に会った記憶があります。

  銀杏企画に在籍していた小石川高校G組の人の話があまりにもふざけていたので、僕は少し不快な表情を見せました。

  その他にもG組に在籍していた人は、小石川高陸上部の渡辺健一とか打田一成とかの話を盛んにしていました。

  渡辺健一も打田一成もG組だったらしくて、盛んに彼らの話を僕にしていました。

  年賀状で写真入りの年賀状が渡辺健一とか打田一成から届くとか言っていました。

  僕はFacebookで、小石川高校B組で小石川高校陸上部だった、三木裕史という人間と友達になっていたので、銀杏企画で知り合った小石川高校G組の人に、パソコンでFacebookの写真を見せて、三木裕史と友達の小石川高校陸上部の友達の渡辺健一、打田一成の写真も見せました。

  銀杏企画で知り合ったG組の人は、興味津々に、Facebookの渡辺健一、打田一成の写真に見入っていました。

  何故か小石川高校出身の人間も心の病気になってしまうようです。

  本当に不思議ですが、小石川高校出身の人間も心の病気になってしまうようです。

 小石川高校G組だった人は、僕に

 「弘法も筆の誤り」とか言ってきて、どう見ても知的レベルは高く、頭の良い人のように思えましたが、僕と同じ心の病気のようでした。

  僕が文京区の精神障害者福祉施設で、「鼻血ブー」を見たことをブログに書いておきます。

  以上、「障害者福祉施設に見た鼻血ブー」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小石川高校B組の林義久とは高田馬場の焼鳥屋で飲んだことがある」

 「小石川高校B組の林義久とは高田馬場の焼鳥屋で飲んだことがある」

 僕は、僕が早稲田大学に合格して、早稲田大学に入学し、早稲田大学に通うようになってから、早稲田大学1年生の時に、僕と小石川高校時代に僕と同じクラスB組で、僕と同じ部活バスケットボール部で一緒に汗を流した林義久と、高田馬場の焼鳥屋さんに2人で飲みに行ったことがあります。

  林義久とは、小石川高校時代は僕と同じバスケットボール部でしたが、僕が高校2年生の秋に、極度のストレスからバスケットボール部を退部してしまった後に、林義久自身もバスケットボール部を退部してしまったのでした。

  僕は僕の責任で、林義久もバスケットボール部を退部してしまったのかと思い、ずっと林義久のことは気がかりでした。

  林義久とは弟さんがいて、弟さんの方が伸びていって悔しいとか言っていて、兄弟の人間関係でも悩みを抱えていたようでした。

  林義久とは不器用な人間で、小石川高校時代に、小石川高校の上級生がトイレでタバコを吸っていたところを目撃して、上級生をボコボコにしてしまったことがあり、その事件で、小石川高校内で、大きな問題になったことがあります。

 林義久とは大学受験でも困っていて、2浪していました。

僕はなんとか1浪で早稲田大学に合格しましたが、僕が林義久と高田馬場の焼鳥屋さんで飲んだときは、林義久は浪人生でした。

その後、林義久は、2浪して同じB組でバスケットボール部だった高橋雄一の進んでいた学芸大学に進み、高橋雄一と同じように、教員免許を取得して、学校の先生になりました。

僕が一人暮らしをしている頃に、林義久は結婚して、結婚式の二次会に僕も誘われ出席しました。 

結婚式の二次会は渋谷のオシャレなお店で行われていました。

年賀状でも結婚式のウェディングケーキ入刀の場面の写真を載せた年賀状が送られてきて、僕も写真を見てうらやましいなと思っていました。

何年か前に、小石川高校B組のクラス会の連絡をするLINEで、僕と同じB組で僕と同じバスケットボール部だった林義久、高橋雄一、山田正典の写っている写真が送られてきて、3人とも元気そうだったので、僕も安心しました。

僕が小石川高校B組の林義久とは高田馬場の焼鳥屋で飲んだことがあることをブログに書いておきます。

以上、「小石川高校B組の林義久とは高田馬場の焼鳥屋で飲んだことがある」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

2022年2月16日水曜日

「小石川高校B組の高橋雄一には、親も一緒に住んで欲しいと思っているんだよと言われていた」

 「小石川高校B組の高橋雄一には、親も一緒に住んで欲しいと思っているんだよと言われていた」

  僕が一人暮らしをしていた頃に、僕の出身高校、小石川高校B組のクラス会がありました。

  前は、東京駅の近くの居酒屋で開催されたB組のクラス会のことを書きましたが、東京駅の近くの居酒屋で開催されたクラス会の前にもB組のクラス会が行われていました。

  記憶が定かで無いので、どこで開催されたクラス会か覚えていませんが(僕の記憶では池袋あたりで開催されたと思っています)僕が小石川高校時代の在籍していたクラス、B組のクラス会が開催されました。

  僕は小石川高校B組のクラス会に参加しました。

  B組のクラス会には、小石川高校時代に僕と同じバスケットボール部に所属していて、小石川高校バスケットボール部で、僕らの代のキャプテンを務めていた高橋雄一も来ていました。

  高橋雄一は、豊島区の池袋中学から小石川高校に進み、小石川高校から学芸大学に進み、学芸大学で教員免許を取得して、学校の先生になった人です。

  僕も高校時代はバスケットボール部だったので、高橋雄一のことは良く知っています。

運動神経が良くて、体育の授業でも目立っていた人です。

高校時代は、高橋雄一とも、バスケットボール部のことは良く考えていました。

  B組のクラス会の際に高橋雄一とも少し話をしましたが、僕が一人暮らしをしていると言ったら、高橋雄一に、

 「親も一緒に住んで欲しいと思っているんだよ」 

  と言われました。

 高橋雄一の言葉は僕の心に残りました。

  高橋雄一は、僕が現在住んでいる文京区のことについても批判的な意見を述べていて、文京区は教育レベルが高くて疲れると言っていました。

  高橋雄一の本音だと思いました。

  僕が小石川高校B組のクラスメイト高橋雄一に、親も一緒に住んで欲しいと思っているんだよと言われていたことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組の高橋雄一には、親も一緒に住んで欲しいと思っているんだよと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月15日火曜日

「小石川高校B組の鈴木健には尾崎豊を教えていただいた」

 「小石川高校B組の鈴木健には尾崎豊を教えていただいた」

  僕が10代の頃に通っていた小石川高校時代に、僕が在籍していたクラスB組のクラスメイト鈴木健という人間に尾崎豊を教えていただきました。

  鈴木健とは小石川高校時代はラグビー部で、ラグビー部でロックをしていました。

  鈴木健は豊島区立駒込中学出身で、小石川高校時代も巣鴨の三菱養和グランドの話とかを盛んにしていました。

  鈴木健とは体がでかくて、小石川高校の体育祭の後のドサ回りの際もB組を代表してドサ回りをしていました。

  そんな鈴木健ですが、僕には尾崎豊を教えてくれました。

  僕が尾崎豊を聴くようになったのも鈴木健に尾崎豊を教えていただき尾崎豊を聴くようになりました。

  僕が小石川高校時代に大学受験に失敗して、一年間、中央区人形町にある東京新聞の専売所に通い、新聞配達をしながら、受験勉強をしていたときに聴いていたのも尾崎豊でした。

  今では、小石川高校時代に尾崎豊を教えていただいた鈴木健に感謝しています。

  以上、「小石川高校B組の鈴木健には尾崎豊を教えていただいた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月14日月曜日

「小石川高校バスケットボール部の方々よりいただいた言葉」

 「小石川高校バスケットボール部の方々よりいただいた言葉」

  僕が苦しい時、辛い時に、読み直している色紙があります。

  色紙は、僕が小石川高校を卒業する際に、小石川高校バスケットボール部の方々から贈っていただいた色紙です。

  僕が小石川高校を卒業する記念に小石川高校バスケットボール部の方々より贈っていただいた色紙で、色紙には、小石川高校バスケットボール部の方々の言葉が書かれています。

 色紙には以下のような言葉が書かれています。

 上原和明先輩へ 小石川高校バスケットボール部 S61.3.15

 而今 平凡 研鑽 顧問 高橋清士(高橋清士先生は、早稲田大学文学部出身の体育の先生です。)

 一期一会  千葉芳弘(千葉芳弘先生は、柔道部の顧問を務められていた体育の先生です。)

卒業おめでとう 毎朝コツコツシュートを撃つ上ドンのことは忘れません

高橋聡(高橋聡先輩はコーチの方でした) 金子公一(金子公一先輩もコーチの方でした)

卒業おめでとう 明日からも情熱を持ってがんばって下さい

境入(境入先輩もコーチの方でした)

俺はおまえみたいなやつが好きだ。

いろいろと話すことができなくて残念だった。

これからもがんばって下さい。

山浦(山浦先輩は僕の2つ上の先輩です)

いつでもしっかりした自分を持っている上原君へ

卒業おめでとう

他人を、そして自分をいつまでも大切に

また会う日を楽しみにしています

降旗(降旗先輩は僕の1つ上の先輩です)

やはり先輩の朝練の早さにはかないません

これからが青春です

大関(大関君は僕の1つ下の後輩です)

上原先輩へ

先輩にぴったりの言葉

「努力」を忘れずにこれからもがんばって下さい

長沢(長沢君は僕の1つ下の後輩です)

卒業おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。

星山達郎(星山君は僕の1つ下の後輩です)

卒業おめでとうございます。

先輩には色々お世話になりました。

これからも先輩に教わったことを忘れず頑張ります。

福田(福田君は僕の1つ下の後輩です)

卒業おめでとうございます。

いろいろと有り難うございました。

これからも頑張って下さい

今中(今中君は僕の1つ下の後輩です)

ご卒業おめでとうございます。

先輩のファイト、心意気は忘れません

またいつの日か

秋葉(秋葉君は僕の1つ下の後輩です)

卒業おめでとうございます。

いろいろありがとうございます。

これからもより一層の飛躍を期待します!

内田健(内田君は僕の一つ下の後輩です)

以上のような良い言葉の数々を小石川高校バスケットボール部の方々よりいただきました。

僕がこの言葉にどれだけ励まされたか分かりません。

小石川高校バスケットボール部の方々よりいただいた色紙に書かれてある言葉をブログに載せます。

以上、「小石川高校バスケットボール部の方々よりいただいた言葉」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月13日日曜日

「小石川高校B組のクラスメイト奥天君とは新宿ミラノ座にインディージョーンズを観に行った」

「小石川高校B組のクラスメイト奥天君とは新宿ミラノ座にインディージョーンズを観に行った」

 僕は、小石川高校時代に、クラスはB組に在籍していました。

 僕が小石川高校に通っていた頃には、クラスは9クラスあり、アルファベットの、A,B,C,D,E,F,G,H,I9クラスありました。

  僕はB組のクラスメイト奥天君と新宿ミラノ座に映画「インディージョーンズ」を一緒に観に行ったことがあります。

  奥天君は、ラグビー部に在籍していて、ラグビー部の練習中にケガをしてしまっている人です。

  そんな奥天君ですが、僕は奥天君に誘われ、新宿ミラノ座に、映画「インディージョーンズ」を観に、一緒に行きました。

  「インディージョーンズ」はアメリカ映画で、冒険譚の映画です。アメリカが嫌いな人は、「インディージョーンズ」を観ても、なんとも思わないかもしれませんが、僕にとっては「インディージョーンズ」は面白い映画でした。

  僕が早稲田大学に進んで、早稲田大学探検部(英訳すると、Waseda University Expedition Club 僕が取材されたインドの英字紙ヒンドゥスタンタイムズでは、Waseda University Exploration Clubと英訳されています)に入部したのも、小石川高校時代に奥天君と新宿ミラノ座に、映画「インディージョーンズ」を一緒に観に行ったことも大きな要因の一つだと思っています。

  僕が小石川高校B組のクラスメイト、奥天君と、新宿ミラノ座に、映画、「インディージョーンズ」を一緒に観に行ったことがあることをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組のクラスメイト奥天君とは新宿ミラノ座にインディージョーンズを観に行った」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年2月12日土曜日

「小石川高校B組の友達松永大吾とは狭山湖までサイクリングした」

 「小石川高校B組の友達松永大吾とは狭山湖までサイクリングした」

 僕は小石川高校時代に、僕の在籍していたクラスB組の友達、松永大吾という人間と、埼玉県の狭山湖までサイクリングしたことがあります。

 僕も狭山湖の自然に触れられてとても楽しかったです。

 松永大吾とは豊島区の大塚中学から小石川高校に進み、小石川高校から京都大学に進みました。

 松永大吾とは、小石川高校1年生の時に、B組で、皆で自己紹介するときに、持久走が得意だとか自分のことを紹介していましたが、持久走では僕の方が速かったです。

 松永大吾は、高校時代は柔道部に在籍していました。

 松永大吾が京都大学に進んでからも年賀状のやり取りをしていましたが、年賀状には熊野寮の闘士よりとか書いていて、京都大学で学生運動をしているのかと思っていました。

 僕が早稲田大学探検部の川下りの合宿で、四国に行った帰りに、松永大吾の住んでいた京都大学の学生寮、熊野寮に遊びに行きましたが、熊野寮では、左翼系の学生たちが、警察とにらみ合いをしていて、一触即発の状態でした。

 僕は早稲田大学探検部の川下りのために四国に行ったので、木製のパドルを持って、京都大学の熊野寮に行ったので、僕も左翼過激派と勘違いされていました。

 松永大吾とはその後、医師になったようです。

 ネットで検索すると、スポーツ・整形外科部長として出てきます。

 松永大吾は昨日、ブログに書いた東京駅の近くの居酒屋で開催した小石川高校B組クラス会にも来ていましたが、僕は、松永大吾に、

 「なんでそんなになっちゃったんだよ」と言われました。

 僕が小石川高校B組クラス会に参加した際に、高校時代とは変わり果てた姿になってしまっていて、松永大吾に、

 「なんでそんなになっちゃったんだよ」と言われました。

 僕があまりにも高校時代の姿と変わり果てた姿になっていて、松永大吾も、

 「なんでそんなになっちゃったんだよ」と言ったのだと思います。

 僕が小石川高校B組のクラスの友達、松永大吾とは埼玉県の狭山湖までサイクリングしたことがあることをブログに書いておきます。

 以上、「小石川高校B組の友達松永大吾とは狭山湖までサイクリングした」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2022年2月11日金曜日

「小石川高校B組のクラス会幹事、木立明利には、うえどんはバスケ部だよねと言われていた」

 「小石川高校B組のクラス会幹事、木立明利には、うえどんはバスケ部だよねと言われていた」

  僕は、昔、僕の出身高校、小石川高校時代の僕の在籍していたクラスB組のクラス会に参加したことがあります。

  東京駅の近くの居酒屋でクラス会をしたと思います。

  クラス会の幹事は、木立明利という人間でした。

  木立明利とは文京区立文林中学から東京都立小石川高校に進み、小石川高校から上智大学に進んでいます。

  僕はクラス会に参加しましたが、クラス会の幹事、木立明利から、

 「うえどんはバスケ部だよね、僕は帰宅部」と何か強い口調で言われました。

  何故、僕がB組クラス会の幹事、木立明利に、

 「うえどんはバスケ部だよね、僕は帰宅部」と強い口調で言われなければならいのかと本当に不思議に思いました。

  何か僕に恨みの感情、怨念の感情があるように、

  「うえどんはバスケ部だよね、僕は帰宅部」と強い口調で言われなければならないのかと本当に不思議に思いました。

  木立明利が帰宅部で、暗い高校時代を送ったのかもしれませんが、僕が何故、木立明利に、

  「うえどんはバスケ部だよね、僕は帰宅部」と強い口調で何か責められるような口調で言われなければならないのかと本当に不思議に思いました。

  僕は小石川高校時代のバスケ部で本当に辛い練習をしていたし、バスケ部だったことで、楽しかった思い出も、バスケ部の仲間で、伊豆七島の式根島にみんなで行ったことくらいしかありません。

  僕が小石川高校B組のクラス会幹事、木立明利には、うえどんはバスケ部だよねと言われていたことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校B組のクラス会幹事、木立明利には、うえどんはバスケ部だよねと言われていた」

  ブログに載せます。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月6日日曜日

「桜井誠人の愚かさ」

 「桜井誠人の愚かさ」

  今朝、メールを見ていたら、早稲田大学探検部33期で同期だった桜井誠人からのメールがありました。

  メールは早稲田大学探検部33期で僕と同期だった倉島孝行の誕生日、23日、節分の日の誕生日を祝う内容のメールでした。

  以下のようなメールでした。

  倉ちゃんへ

  一昨日は節分で倉ちゃんの誕生日ですね。

  豆まきや恵方巻は食べましたか?

  今年はゴーゴーですね。

  お体を大切に、研究頑張ってください。

  メールを出した桜井誠人とはJAXAに勤めています。

  メールアドレスもJAXAのメールアドレスでメールをしてきます。

  僕がきちんと就職もしていないことも知っていて、JAXAという会社の力を借りてメールをしてきます。

   桜井誠人とはJAXAをバックにしてメールをしてくる人間で僕は、桜井誠人は卑怯だと思っています。

   この桜井誠人とは、早稲田大学探検部の僕らの4つ上の代の佐藤英一さんが亡くなって、小石川後楽園で佐藤英一さんを偲ぶ会を開催した際も、佐藤英一さんを偲ぶ会に出席した僕に向かって

  「精神障害者なんて誰が雇うか!!」とか

 「上どんもいよいよ自殺だな」とか

 その場に不釣り合いな暴言を吐く人間で、とても国の公的な機関、JAXAに勤務しているとは思えない愚かな人間です。

 僕が桜井誠人の暴言に対して批判的なことを書いているブログはこちら

 →「琴線に触れた小石川後楽園での精神障害者なんて雇うか発言」

  佐藤英一さんを偲ぶ会の数ヶ月後に、新宿のトルコ料理屋で、高野秀行、野崎英恵、倉島孝行、森山憲一、桜井誠人、上原和明の6人で飲んだときも、僕に向かって、

  「山田珠美賞」とか言ってくる、場の空気を読めない愚かな人間です。

 新宿トルコ料理屋の飲み会の席では、

 「上どん何か持っている」とか、いかにも僕のことを自分の部下のように僕に接してきます。

 桜井誠人とは、JAXAに勤務していて、JAXA勤務の立場から、僕に向かって、

 「上どん何か持っている」とか自分の部下のように言葉を発するのだと思います。

 僕が隊長を務めた、早稲田大学探検部チベット隊で高田馬場で集まって飲んだときも、僕に向かって、

  「背中に鉄板を入れられる幻覚を見たんだろ」とか自分の犯した罪について自ら自白した人間です。

 その他にも、僕に向かって、

「うんこ漏らしの隊長」

 とか

「うえどんいばらだからな」

 とか、僕に対しての悪い言葉の数々を言う愚かな人間です。

 とにかく、僕に対して、言葉の暴力を振るう、愚かな人間です。

 早稲田大学探検部のことについても、

 「探検部は遊びだろ」と言い放っていました。

 ちなみに桜井誠人とは、僕も参加した早稲田大学探検部3年生の時の桜井誠人自らが隊長を務めたカナダユーコン川川下りの際も自分で報告書も書いていません。

 ユーコン川川下りに行った際にも、リバーサーフィンをしているカナダ人がカッコいいとか言って、カナダ人にリバーサーフィンのやり方を教えてもらって、リバーサーフィンとかしていた人間です。

 カナダのユーコン川沿いに住む、原住民のインディアンの居留地域にも関心も見せませんでした。 

 桜井誠人にとっては早稲田大学探検部とは遊びだったのだと思います。

 その他にも早稲田大学探検部のことについて、

 「早稲田大学探検部員は死ぬ」とも言っていました。

 桜井誠人も早稲田大学探検部員だから、桜井も死ぬのでしょうか?

 桜井誠人とは、自分の口では、「早稲田大学探検部員は死ぬ」と言っておきながら、大隈講堂に行き、大隈講堂の時計塔の高さが125尺で、人生125歳説を唱えた大隈重信の御利益があるようにと、大隈講堂に手で触り、何かお願い事をしているような人間です。

 とにかく自分の言動と、行動が合致しない人間です。

 ちなみに僕は僕が一人暮らしをしていた頃に、桜井誠人に頼まれて、桜井誠人の結婚式で僕はスピーチをしています。

 僕が結婚もしていないのに、桜井誠人の結婚披露宴でスピーチをしています。

 その他にも、桜井誠人に娘さんが生まれた際にも、娘さんの名前を考えてくれと頼まれ、早稲田大学探検部32期の船越通暁先輩に相談して、娘さんの名前を作りました。

 何故、結婚もしていないし、子供もいない僕が、桜井誠人の娘さんの名前まで考えなければならないのかと本当に不思議に思っています。

 桜井誠人のおばあちゃんが亡くなった際には葬儀の手伝いに行っています。

 桜井誠人のお父さんが亡くなった際にも葬儀の手伝いに行っています。

 もし、僕の父や母が亡くなったら、桜井誠人は、僕の父や母の葬儀の手伝いに来てくれるのか大いに疑問です。

 桜井誠人の杉並区永福の家には、学生時代に遊びに行ったことがあり、その恩義で、あばあちゃんや、お父さんの葬儀の手伝いをしたのだと思いますが、何故、僕が桜井誠人のために、さまざまなことをしなければならいないのかと今では本当に不思議に思っています。

  桜井誠人のお父さん(他界しています)は、東京大学医学部出身で、しっかりしたご家庭の育ちの方だと思いますが、僕に対しての暴言の数々は、到底、立派な家庭で育った人間とは思えない暴言の数々で、許されるものではなく、桜井誠人の暴力的な性格が分かります。

僕が早稲田大学探検部33期で同期だった桜井誠人に対して僕が抱いている悪い思いをブログに書いておきます。

以上、「桜井誠人の愚かさ」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月5日土曜日

「小石川高校時代の書道で出会った書聖、王羲之」

 「小石川高校時代の書道で出会った書聖、王羲之」

  僕は、小石川高校時代は、選択科目で書道を選択していました。

  僕は字が下手で、紙に字を書くと、ミミズが這いつくばったような下手な字を書くので、少しでも自分の書く字を綺麗な字にしたいと思って、小石川高校時代に選択科目で書道を選択していました。

 しかしながら、小石川高校の書道の授業とはレベルが高くて、書道の手本となるのが書聖と呼ばれている王羲之の字だったりしました。

 王羲之とはネットで検索するとウィキペディアがあります。

 王羲之

  ウィキペディアを見ると、王羲之とは成長過程で癲癇(てんかん)や吃音があったようです。

  王羲之を手本として小石川高校時代に書道を学びましたが、僕の字は一向に上手くなりませんでした。

  僕はパソコンのワープロソフトを使ってブログを書くと、ブログが書けますが、紙に鉛筆とかボールペンで字を書くと本当に下手な字を書きます。なおかつ硯に向かって、墨をすり墨汁に毛筆をつけて紙に字を書くとなると本当に下手な字を書きます。

  何故、これほどまでに下手な字を書くのか自分でも分かりませんが、僕は本当に字が下手です。

  もう僕も54歳なので、紙に綺麗な字を書きたいと思っていますが、僕はいつまで経っても字が下手なようです。

  残念ですが、僕は字が下手なままで、生きていくことになると思います。

  僕が小石川高校時代の書道の授業で書聖と呼ばれる王羲之に出会っていたことをブログに書いておきます。

  以上、「小石川高校時代の書道で出会った書聖、王羲之」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月4日金曜日

「早稲田大学探検部物語」

 「早稲田大学探検部物語」

 昔のメールを見直していたら、早稲田大学探検部13期になる恵谷治先輩からの「早稲田大学探検部物語のアンケートのお願いというメールありました。

 僕が恵谷治先輩のアンケートのお願いに返信したメールをブログで紹介します。

 以下、僕が恵谷治先輩にお送りしたメールとアンケート回答です。

 恵谷さま

 お世話になります、早稲田大学探検部33期OBの上原和明と申します。

先日の金曜日、偶然四谷のバーで初めてお目にかかりまして、お話させて

頂けたこと大変光栄に思っております。

 さて、バーで要望があった探検部アンケートですがメールを確認しましたところ、

恵谷さまからのメールがございましたので、私の記入できるところを記入し、

添付してお送りさせて頂きます。

 早稲田大学探検部物語の参考になるかは分かりませんが、何かの資料に

なれば幸いです。

 若輩者で僭越ですが恵谷さまにおかれましても、お体大切にされてお仕事

なされることをお祈り致します。

 手短で恐縮ですが、アンケートの返信のメールとさせて頂きます。

 上原 和明 拝

 添付Wordファイル

 早稲田大学探検部物語アンケート

 早稲田大学探検部OBのかたへ

  ご存知の方もいるでしょうが、現在、私は小学館発行の隔週誌『SAPIO』において、連載「早大探検部物語」を執筆中です。私が知らない時代の探検部の活動を把握するため、下記のようなアンケートを作成してみました。是非とも皆様のご協力をお願いしたいと思っています。

 個人情報の取り扱いが問題になっている昨今、書きたくない項目については、はぶいていただいても構いません。このアンケートは、「早大探検部物語」のデータに用いるだけで、他の目的には使用しません。

 手書きの郵送でも構いません不明な点などは、遠慮なく電話してください。ご理解、ご協力のほど、よろしくお願いします。

                               惠谷 治(13期)

「早大探検部物語」のためのアンケート

氏名: 上原 和明            (探検部第33期) 

生年月日: 1967113日   出身高校:東京都立小石川高等学校

入学年度と学部:  1987年(法学部) 

探検部入部年月:1987年4月

卒業年度とその後:卒業年度:1992年 

その後:卒業後、一度も就職せずアルバイトで食い凌いでいます。31歳の時に統合失調症という精神疾患に罹り、両親に引き取られました。

連絡先

 Email address: uehara.kazuaki@gmail.com

 1)あなたの世代の幹事長、副幹事長は誰でしたか? 他の役員を覚えていますか?

  幹事長:森山憲一 副幹事長:高橋宏治、清水博之 会計:矢部利光 装備:田村修

 2)同期生は何人(くらい)でしたか? 覚えている方の名前を書いてください。

 16人、五十音順で、上原和明、倉島孝之、後藤健介、斉藤泰晴、桜井誠人、清水浩、清水博之、平泰則(故人)、高橋宏治、田村修、中谷敏夫、松田泰、松田和郎、

           宮沢信也、森山憲一、矢部利光

 )あなたが現役のときに部活動で印象的だったことは、何ですか?

 探検部の自由な雰囲気。真摯に探検活動に取り組む部員の姿勢。新たな発見をしたときの大きな喜びなどでしょうか。

 4)現役時代に探検部の活動と個人の活動に関して、問題や議論が起きたことがありますか?

  □いいえ  □はい 具体的には?  

 5)あなたが評価できると思う(自分を含めた)部活動や海外遠征は何ですか? 

  皆の活動がそれぞれの部員にとって、有意義な活動だったと思います。

 6)現役時代に、話題や噂になったOBの部活動や海外遠征が、何かありましたか?

  

7)あなたの世代や周辺で、卒業後も探検的な活動を続けていると思う人がいますか?

 近い世代では、高野秀行さんの活動が探検部の活動をされていらっしゃると思います

 8)その他、「探検部物語」を書く上で、何か意見や要望がありますか?

 ご協力ありがとうございました。不明な点やもっと詳細を知りたい場合、連絡させていただくかもしれません。その節は、よろしくお願いします。

 以上が僕が恵谷治先輩にお送りしたメールとアンケート回答です。

 僕が恵谷治先輩にメールをお送りしてから、その後、「早稲田大学探検部物語」が出来たのか分かりませんが、僕も恵谷治先輩と出会えて興奮しました。恵谷治先輩とは怖い先輩で、一緒に飲ませていただいた時も、一晩中、飲んで、朝まで早稲田大学探検部の話をしていました。

恵谷治先輩とは、早稲田大学探検部の現役時代に幹事長を務められていて、富士川川下り事故で探検部員が亡くなった責任を取って、幹事長を引責辞任した経歴があるらしいです。

恵谷治先輩が本当に早稲田大学探検部のことを真摯に考えていらっしゃったことが分かります。

僕が恵谷治先輩にメールを返信したら以下のようなメールが届きました。

上原さま

過日は奇遇で、久しぶりに興奮しました。まだ、他の人たちにはメールを送っていませんが、さっそくアンケートを送ってくれた貴君に、最初に送ります。

お手数をかけました。趣旨を理解してもらって、アンケートを寄せてくれたことを感謝します。今後、貴君たちの世代の話を書く際に、またいろいろと質問するかもしれません。

今後ともよろしくお願いします。先日一緒にいた皆さんによろしくお伝えください。

惠谷 治

 以上が恵谷治先輩からいただいたメールです。

 本当に早稲田大学探検部の後輩に対する心遣いが感じられ、早稲田大学探検部のことを真面目に考えていられたことが分かります。

 昔のメールを見直していたら早稲田大学探検部13期の恵谷治先輩からのメールがあったので僕のブログに載せたいと思います。

 恵谷治先輩は2018年に逝去されましたが、僕らの心の中で生きていると僕は思っています。

 恵谷治先輩からのメールをブログに載せます。

 以上、「早稲田大学探検部物語」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

2022年2月2日水曜日

「竹田晋也君みたいになりたかった早稲田大学探検部時代」

 「竹田晋也君みたいになりたかった早稲田大学探検部時代」

  僕は、早稲田大学在学中は早稲田大学探検部というサークルに所属していました。

  僕は早稲田大学探検部33期でした。

  僕らの代の一つ下の後輩に竹田晋也君という後輩がいて、僕も早稲田大学探検時代に竹田晋也君と一緒によく活動していました。

 竹田晋也君は静岡県出身で、一緒に活動していると、アウトドア活動でのルートファインディング、山での過ごし方も良く知っていて、一緒に活動していると本当に頼りになる人間で僕は、早稲田大学探検部時代は竹田晋也君のようになりたかったです。

  竹田晋也君と学生時代に良く話をしていて、JR東海に就職したいとか言っていましたが、竹田晋也君はテレビ番組制作会社に就職されました。

  今でもテレビ番組制作会社で働いているのか分かりませんが、もし早稲田大学探検部の集まりがあれば竹田晋也君に会いたいと僕は思っています。

  僕が早稲田大学探検部時代に竹田晋也君のようになりたかったことをブログに書いておきます。

 以上、「竹田晋也君みたいになりたかった早稲田大学探検部時代」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月1日火曜日

「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

 「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

  僕は、中学校は自分の住んでいる学区内の茗台中学校という中学校に通っていました。

  僕は、茗台中学校時代はバスケットボール部に所属していました。

  僕と同じバスケットボール部に所属していた仲間に文京区の礫川小学校出身の松尾省吾という人間と木村一相という人間がいました。

  松尾省吾は茗台中学から僕と同じ小石川高校に進みました。木村一相は茗台中学から戸山高校に進みました。

  僕は松尾省吾と木村一相と一緒に神田神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べたことがあります。

  僕も何の偶然か、早稲田大学に進みました。

  僕は何か中学時代の友達に自分の進路を決められていたような気がしています。

  早稲田でつけ麺を食べたから僕も早稲田大学に進んだような気がしています。

  僕が茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べたことがあることをブログに書いておきます。

  以上、「茗台中学時代の同級生、松尾省吾と木村一相とは神保町で開花丼を食べ、早稲田でつけ麺を食べた」

  ブログに載せます。