2016年10月10日月曜日

「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

 今日、1010日は国民の休日、体育の日です。

 僕は、今日も仕事でした。

朝、職場に行き、仕事が終わってから、「お疲れ様でした」とオーナーさんに挨拶すると、

「ブログを毎日書け、オレにとっての天声人語だ」

と言われました。

オーナーさんの言い方は、少し強制的な感じがしましたが、悪意はないと思いますが、僕にとっては、

「ブログを毎日書く」

ことは、とても大変で負担になることです。

 一ブログを書くのに、考えることを含めて、30分から1時間くらい時には1時間以上かかるし、僕にとっては難しいことです。

 オーナーさんには逆らえませんから、今日は、職場からの帰り道のコンビニで、「レッドブル」250ml缶を購入して、ブログを書くエネルギーを得るために「レッドブル」を飲み干しました。

「レッドブル」を飲み干した時に、僕の心に浮かんだ句が、

「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

という句です。

ブログを書くことは、誰に強制されて書くようなことではなく自主的に、自分の気持ちを吐き出す文化的な行為だと思っていますが、体育会系の方々からすると、

「ブログを毎日書け」

という感じで、体育会系的な行為のようです。

僕は中学校と高校で体育会バスケットボール部に所属していたので、体育系の方々の良いところ悪いところ、知っています。

体育会系の悪いところ、

なんでもかんでも、強制的な感じがすることです。

ブログを書くことは、僕は文化的な行為だと思っていますが、体育会系の方々からすると、ブログを書くことも、体育会系的な行為のようです。

僕は、今日はゆっくりと国民の休日を満喫したかったのですが、職場のオーナーさんからの体育会系的な、

「毎日ブログを書け」

との言葉は僕を、コンビニでレッドブルを購入し、レッドブルを飲み干すに至らせたようです。

「レッドブル」を飲み干した際に、僕の難治性逆流性食道炎を患っている胃に「レッドブル」が「キュー」という痛い感じで沁みわたったので、その辛い気持ちを詠んだ句が、

「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

です。

個人的に自主的に、文化的に書いているブログまでも、

体育会系的な方々に

強制的に「毎日、書け」

と言われると、僕もコンビニで「レッドブル」を購入せざろうを得ませんでした。

文化的な行為と体育会系的な行為は別物だと僕は思っています。

ブログを書くために「レッドブル」まで購入せざろうを得なかった、今日、「体育の日」

に詠んだ句が、

「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

です。

「体育の日」に対して少し皮肉になってしまいますが、一句詠んでみました。

以上、「レッドブル 胃に沁みわたる 体育の日」

ブログに載せます。

























2016年10月8日土曜日

「障害者福祉施設に見た どんとしてる」

「障害者福祉施設に見た どんとしてる」

 僕が、文京区の精神障害者向けの作業所、銀杏企画サードに入所した際に、僕の担当になった職員さんの発言がおもしろかったので、ブログに書いてみたいと思います。

 僕の担当になった職員さんは、いきなり僕に、

「どんとしてる。」

と言ってきました。

「どん」が「丼」なのか、「鈍」なのか、「どん」なのか、「ドン」なのか分かりませんが、

「どんとしてる」

と言ってきました。

僕の開設しているTwitterアカウントが@uedon103なので、このアカウント名から、

「どんとしてる」

との言葉が出てきたのだと思います。

何度もブログに書いていますが、@uedon1103は、

僕の小学校、中学校、高校、大学時代のあだ名、「うえどん」

と僕の誕生日、11月03日、文化の日から@uedon1103にしています。

僕は、自分の誕生日が11月03日、文化の日だったので、子供の頃から、「文化」のことは絶えず考えてきました。

「文化」とはソフィストケートされた洗練された文化もあると思うし、どんくさい文化もあると思います。

ソフィストケートされた、洗練された都会の文化を好む方もいると思いますが、どんくさい文化もどんくさい文化でいいところがあると思います。

僕の家では、小麦粉で作るどんどん焼きとか食べるし、どんくさい文化もどんくさい文化で良いものだと思っています。

どんどん、どんくさくなって、鈍行人生を満喫したいと内心思っています。

鈍行人生だからこそ、僕も、ブログ「Don’t give up」を書けるのだと思います。

以前、在籍していた、精神障害者向けの作業所、銀杏企画サードの僕の担当だった職員さんに、

「どんとしてる」

との言葉を頂いたので、

どんどん、どんくさくなって、鈍行人生を貫いて、「Dont give up」を地道に更新していきたいと思っています。

以上、「障害者福祉施設に見た どんとしてる」

ブログに載せます。












2016年10月7日金曜日

ルポ 「通勤バス派遣村行き」 34歳、倉庫転々10年 公貧社会 支え合いを求めて

「通勤バス派遣村行き」 34歳、倉庫転々10年 公貧社会 支え合いを求めて

新聞記事は、朝日新聞の2008712日発行の朝刊、一面に掲載されていました

記事は以下です。  
 
 東京駅から湾外沿いを走るJR京葉線十数分。東京ディズニーランドをすぎ、ほどなくホテルや高層住宅に囲まれた新浦安駅に着く。
 朝、バスロータリーから改札へと向かう出勤の人波逆らうように、ジーンズをはき、昼食を入れたコンビニ袋をもつ一群が降り立つ。向かうのは、ロータリーから道路一本隔てた小公園の前の、もう一つの「バス停」だ。次々とやって来る送迎バスに乗り込んでいく。
 バスの行き先が、さながら「派遣の村」だと聞いて、記者も乗った。
 50人近くいるだろうか。黙って外を見たり、携帯電話のゲームに没頭したり。前方を見ると、「飲食は禁止。破ったら即解雇」の注意書きが目に飛び込んできた。
 全国の市町村の中で屈指の財政力を誇る千葉県浦安市の中でも、街路樹にヤシの木が並ぶ高級感あふれる住宅街を、バスは走っていく。10分もたたないうちに風景が一変した。着いたのは、工場や倉庫が立ち並ぶ、通称「鉄鋼団地」の一角だった。
 
 バス乗り場で知り合った市川市の男性(34)は10年近くこの一帯で働く。いまは、中古パソコンを集めて再び商品にする大手ショップの倉庫が職場だ。月に何千台と運び込まれる中古商品を初期化し、清掃して出荷する100人近い従業員の半数が派遣で、20~30歳代が多い。男性はネットで販売する商品を写真に撮り、機種や昨日の説明文を打ち込む。
 ナットやボルト、薬、お菓子、缶詰。様々な商品の倉庫を転々としてきた。仕事はいつも、必要な量を集めて運ぶだけの単純作業。「誰でもできる。なんの技術も身につかない」。時給は今、1千円。3年かけて150円上がった。残業していると。ディズニーランド閉園前の恒例の花火の音が聞こえてくる。
「もう何年もいっていない。別世界ですね」
毎月の手取りは十数万円。
「年金暮らしの両親と実家で同居しているから何とかやっていけるけど」と不安を漏らす。
 6月下旬、中学、高校の同級生十数人が集まった。正社員は1人だけ。「何かいい仕事ない?」「そろそろ年齢的にやばいよね」。こんな会話をかわしていると、正社員のはずの友人がおもむろに口を開いた。「会社が倒産してね。夜、コンビニで働きながらハローワークに通っているんだ」
 
 新浦安駅からJRで東へ二つ、西船橋駅の駅前では、別の男性(43)がぼんやりと地べたに座り込んでいた。派遣会社の送迎バスが出る集合場所。この日は仕事にありつけなかった。
 「ネットカフェ難民」生活が2年になる。黒のリュックには着替えのシャツとサングラス、文庫本。これが全財産で、所持金は2円。
 丸2日間、水分しかとっていないという。「今日は金曜。土日は仕事が少ないから、死んでしまうかもね」
 千葉・東京湾岸沿いの浦安、市川、船橋などで「派遣の村」が目立ち始めたのは、世界規模の競争が本格化した90年後半。ここの働き手たちの「悲惨な未来」のシナリオが4月末、派遣仲間やインターネットで波紋を呼んだ。
 「就職氷河期世代は65歳になると、10年前の世代より生活保護を受ける人が77万人増える。亡くなるまでに受ける保護費は計17.7兆~19.3兆円増」。財団法人、総合研究開発機構(NIRA)の試算だった。1年あたりの増加額はざっと8千億円。
 大競争時代を迎え、欧州などは次世代を担う層の技術習得支援などに力を入れた。一方で日本は、安い労働力を求める企業に歩調を合わせ規制緩和加速し、正社員から非正規社員への置き換えが進んだ。
 政府・与党はようやく「日雇い派遣禁止」などに動き始めた。が、足元では、NIRAの試算を先取りするかのように、「生活保護の村」が次々と現れている。
 
以上です。
 
さすがにプロらしい、まとまった記事だと思います。
 
僕は、この記事で取材されている、通勤バス(派遣村行き)に乗って、職場に3年半以上通い、文京区障害者就労支援センターから表彰されました。
 
障害者雇用の啓発ビデオにも出演しました。

僕は、朝日新聞からすると、派遣村と見られていた職場に通い続け、表彰されました。

 

「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

 今回の、第8弾は、早稲田大学探検部の僕の3つ上の先輩だった中島木曽也さんの闖入について書いたみたいと思います。

中島木曽也さんは実際に僕のアパートに闖入してきたわけではありませんでした。

 早稲田大学探検部OBの名簿を作りたいから、

「上原、同期の名簿作ってくれ」との依頼が突然来ました。

僕は、早稲田大学探検部時代は、飲み会の幹事を務めていて、早稲田大学探検部を飲み会でまとめる力はあったので、中島木曽也さんも僕の飲み会を開催しての探検部員をまとめる能力を評価してくださったのだと思います。

中島木曽也さんからの依頼があって以来、僕は同期の方々の勤務先、住んでいらっしゃる住所、帰省先の住所、連絡先になる電話番号を調べて、ワープロで、早稲田大学探検部33期の名簿を作成しました。

 僕はあまり深く考えずに、アイウエオ順で名簿を作ってしまいました。

 早稲田大学探検部も学校のクラスと同じように、先生がいて、探検部員が生徒か学生のような感じがしたからです。

 後に、早稲田大学探検部OB会で作られたOB名簿を拝見すると、その他の代は、幹事長だった方を名簿の上に持って来ていました。

 最初から中島木曽也さんに、幹事長を上に持ってくるように指示していただければ、僕もきちんと幹事長だった方を上にして、名簿を作ったのだと思いますが、何の指示もなかったので、僕はアイウエオ順で名簿を作ってしまいました。

 中島木曽也さんから、僕の飲み会の幹事としての探検部員をまとめる能力を評価していただいて、僕に早稲田大学探検部33期の名簿作りの発注が来たことは信頼されている証拠だと思い、内心嬉しかったですが、アイウエオ順で名簿を作ってしまったのは、僕の若気の至りだったと現在では思っています。

 当時は、僕は、一書店のアルバイトだったので、僕の勤務先には、「アルバイト」と書かれていたと思います。

 その他の方々は、良い会社に勤務されている方々が多く、名簿を作っていると自分が情けなくなりました。

 名簿を作りながら、良い会社に就職していれば良かったなと内心思いながら、ワープロで名簿を作っていました。

 自分の勤務先を「アルバイト」としてしまったのも若気の至りだったと思っています。

 勤務先に「アルバイト」と入力してしまって以来、僕は一度も社員になった経験がなく、様々な「アルバイト」をして生計を立てています。

 名簿の勤務先に、「アルバイト」とか入力してしまうと、本当に「アルバイト」生活を送るようになるようです。

 内心では、「アルバイト」生活を卒業して、きちんとした会社に就職したいと思っていますが、もう無理だと思っています。

 OB名簿を「アイウエオ」順で作ってしまったこと、自分の勤務先に、「アルバイト」と入力してしまったことなど、本当に若気の至りだったと思っています。

 中島木曽也さんからのOB名簿作成の発注をきちんと考えずに、作ってしまい、本当に若気の至りだったと内心思っています。

 中島木曽也さんには、3年くらい前の早稲田大学探検部OB会の際に、

 「上原、何故、戸山町に住んでいたんだ? 戸山町に実家があるのか?」

 と尋ねられ、

 「早稲田大学探検部の高野さんと桜井がが、早稲田界隈に住んでいたからです」
と答えました。

 実際は、浪人時代に中央区で住み込みで新聞配達をしていて、一人暮らしの方が、自分のペースで生活が出来て、自分の目標を達成するには良いからでした。

 文京区の実家に住んでいると、どうしても、両親の生活のペースに合わせて生活をしなければならないからでした。

 ただ、一人暮らしをするには経済的基盤が必要です。

 もう、僕は精神障害者手帳を支給されているので、一人暮らしは出来ないと思っています。

 両親も高齢で、一緒に生活している以上、両親が困ったときに、助けられるようにならないといけないと内心思っています。

 中島木曽也さんからの名簿作りの発注から、現在の僕の家の状況まで書いてみました。

 以上、「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

 ブログに載せます。






















2016年10月6日木曜日

「本の虫 パソコン買うと ネット見る」

「本の虫 パソコン買うと ネット見る」

 僕は、子供の頃から本が好きでした。

 今日も、NHK生活防災のTwitterのツイートをリツイートしてから、鹿児島県の川内原発関連の本を4冊紹介しました。

 本好きが嵩じると一つのテーマで本を調べて読むようになってしまうようです。

 僕は中学とか高校では、体育会系のバスケットボール部でスポーツをしていましたが、本当は若い頃も本を読みたかったのだと思います。

 本を読んでいると自分の知らないことも、知ることが出来るし、知識の宝庫が本だと思っていました。

 そんな本の虫の僕ですが、パソコンが登場すると、本から離れて、パソコンを見るようになります。

 30過ぎて、パソコンをインターネットに接続出来るようになると、今度はGoogleやヤフーでネットを見るようになります。

 本を買うとお金がかかるので、調べ事も本ではなく、ネットで調べ事をするようになります。

 Googleで検索する際も、キーワード検索で、例えば、「俳句」「タルコフスキー」で検索すれば、「現代俳句協会のアンドレイ・タルコフスキーの芭蕉(上)」が検索されます。

アンドレイ・タルコフスキーの芭蕉について書いたブログは以下です。

「文字化け」

  僕は、若い頃、アンドレイ=タルコフスキーの「サクリファイス」という映画を観たことがあり、「サクリファイス」の中で、確か、俳句が出て来たと思い、「俳句」「タルコフスキー」でGoogleで検索しました。

僕は映画も好きですが、もともと本が好きなので、僕はもともと本の虫だったのだと思います。

 本の虫がひとたび、パソコンを手に入れると、一日中パソコンを見るようになります。

手に入れたパソコンをネットに接続出来るようになると、一日中、ネットを見るようになります。

そんな、僕の近況を自嘲気味に詠んだ句が、

「本の虫 パソコン買うと ネット見る」

です。

現代人の多くが抱えているネット依存を自嘲して詠んだ句ですが、自分への戒めとしても詠んでおく句だと思い、

「本の虫 パソコン買うと ネット見る」

を詠んでみました。

この句を詠むことにより、少しでも脱ネット依存が出来れば良いと思っています。

以上、「本の虫 パソコン買うと ネット見る」

ブログに載せます。

























2016年10月4日火曜日

「神田川生活の闖入者 その7 電話、チアガール」

「神田川生活の闖入者 その7 電話、チアガール」

先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

 今回の、第7弾は、早稲田大学探検部の僕と同期だった松田泰の闖入について書いたみたいと思います。

 松田泰は実際に僕のアパートに闖入してきたわけではありませんでした。

 結婚をするとの旨のハガキが突然来て、結婚披露宴に出席しないかとの旨が書かれていました。

 僕松田泰とはカナダのユーコン川川下りに一緒に行ったことがあったので、結婚披露宴に出席するとの旨の返信をしました。

 結婚披露宴に出席してみると、松田泰さんのお相手は、学生時代にチアガールをされていたそうで、松田泰さんの人生を応援していくような女性になる方だと思いました。

松田泰は電話屋(NTT関係の会社)に勤務されていて、本屋に勤務していた僕の住んでいたアパートの電話が旧式のダイヤル式の黒電話だったので、松田泰から最新式のプッシュ式の電話機をプレゼントされました。

留守電機能付きの優秀な電話機で、現在でも電話回線につなげば、通話が出来ます。

 松田泰の結婚披露宴に出席してみると、松田泰が子供の頃、野球をしていて、ピッチャーだったことなどが分かりました。

人間の格が違うというか、僕とは違い、子供の頃からエースの立場で、いろいろとご苦労も多かったものと思います。

人間の格の違いを感じたので、結婚披露宴では、僕はお笑い系の芸をして、結婚披露宴を乗り切りました。

松田泰とは現在では、年賀状のやり取りくらいしかしていませんが、幸せなご家庭を営んでいらっしゃるようです。

もう、早稲田大学探検部のことは忘れていると思いますが、学生時代の楽しい思い出を糧にして、お仕事とご家庭を両立されて、良き人生を歩んでいていただきたいと内心思っています。

以上、「神田川生活の闖入者 その7 電話、チアガール」

ブログに載せます。