2021年12月28日火曜日

「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

 「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

  僕の早稲田大学探検時代の同期生、森山憲一が好きだった写真家に白旗史郎という方がいます。

  白旗史郎とは山岳写真家でネットで検索すると一般社団法人、白旗史郎保存会、白旗史郎の世界をというサイトがあります。

  白旗史郎保存会のサイトを見ていると、白旗史郎さんが、山岳写真を撮り続けていたことが分かります。

  以下、白旗史郎プロフィールからの引用です。

  白簱史朗の世界へようこそ

  自然は美しい!私はそのたぐいなき美と力を私の写真で万人が共感するものにしたいと努めてきた。人工の色や奇を衒ったひとりよがりの写真は、それを創った神への冒涜である。私はいつもその神への感謝と、歓びを以って大自然に対している。

  以上のような文章が載っています。

  僕もこの文章を読んでいて、良いことが書かれていると思いました。

  僕も早稲田大学探検部在籍中は、日本各地、世界各地の雄大な大自然の風景を見ていました。

  東京に住んでいると、自然の風景もなく、神に感謝する気持ちも無くなってしまうような気がします。

  早稲田大学探検部時代を思い出して、どこか自然の風景を見られる場所に行ってみたいと思っています。

  以上、「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月27日月曜日

「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 もう30年以上前ですが、僕らがインドブラマプトラ川川下りに行って、取材クルーを出していたフジテレビの番組が出来上がってから出来上がった番組を見に、当時新宿区河田町にあったフジテレビに行ったことがあります。

 僕らがフジテレビに行くと、僕の通っていた幼稚園(聖徳幼稚園)、小学校(小日向台町小学校)時代の友達の土屋健に会いました。

 この土屋健という人間はネットで検索するとウィキペディアがあります。

 土屋健のウィキペディアはこちら→土屋健

  実は僕が早稲田大学探検部に入部したのも、土屋健に早稲田大学探検部を紹介されて早稲田大学探検部に入部しました。

  僕が浪人時代に東京新聞の新聞配達をしながら受験勉強をして早稲田大学法学部に合格してから土屋健の家を訪問して、

 「早稲田大学に合格しました」と報告に行った際に、土屋健のお母さんにお寿司をとっていただき、お寿司をご馳走になって、その際に、早稲田大学探検部というサークルを紹介していただきました。

  土屋健とは聖徳幼稚園、小日向台町小学校から早稲田中学・高校に進んでいて、土屋健の早稲田中学・高校の同級生に、早稲田大学探検部の僕の一つ上の先輩になる吉澤基勝さん、高橋宏治がいて、それで早稲田大学探検部を紹介していただいたのだと思います。

僕がインドブラマプトラ川川下りに行って、取材クルーを出していたフジテレビの番組が出来上がって、フジテレビに行った際に土屋健に偶然会いました。

土屋健とは、僕が早稲田大学探検部1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島に行って、帰国してから急性肝炎を発症して(ウィルス性の肝炎です、A型肝炎です、経口感染です。ミクロネシアで慣れないものを食べたので、ウィルス性の肝炎に罹りました)東京厚生年金病院に2ヶ月半くらい入院した際に、お見舞いに来てくれた本当に心優しい人間です。(その他にも、早稲田大学探検部の一つ上の先輩、吉澤基勝さん、僕と同期の後藤健介もお見舞いに来てくれました。)

土屋健にインドブラマプトラ川川下りに同行して取材したフジテレビの番組が出来上がった際に、当時、新宿区河田町にあったフジテレビで偶然会ったことをブログに書いておきます。

以上、「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月23日木曜日

「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

 「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

  僕は、昨日は、インドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行きました。

  高田馬場のBIG BOX前で待ち合わせして、高田馬場のインド料理屋(正確にはインド・ネパール・チベット料理のようです)に行きました。

  高田馬場の早稲田通り沿いの雑居ビル3階にあるインド料理屋で飲みました。

  お店は関口君が知っていて、関口君が若い頃に、志岳会という山岳会に所属して登山をしていた頃に、志岳会の人と一緒に行ったことのあるお店のようです。

  インド料理屋ではエベレストという名前のビールを飲みました。

  つまみはシーザーサラダ、タンドリチキンを注文しました。

  ナンとかも食べようと思いましたが、僕も関口君もお腹いっぱいになりナンに辿り着かずに、飲み会は終了しました。

  2時間くらい、インド料理屋で飲んでいました。

  僕  が日本ヒマラヤ協会の八木原さんから送っていただいた、HIMALAYAという冊子を持っていて、HIMALAYAに掲載されているインドブラマプトラ川川下りの記事、「White water(白い水)」を関口君に見せました。

 White water(白い水)」には関口君や八木原さん、八嶋さん、中谷、僕の写真も載っていました。

 インドブラマプトラ川に行ったときの思い出話などをずっと2人でしていました。

  八木原さん、八嶋さん、ヒマラヤ協会の山森さん、尾形さんたちの話などをしていました。

  八木原さん(八木原国明さん)にとっては、インドブラマプトラ川川下りは息抜きみたいなものだったでしょうね、インドブラマプトラ川川下りの後のサガルマータ(エベレストのネパール語での呼び方)南西壁での八木原さんの真剣な顔つきを見たら、インドブラマプトラ川川下りなんて息抜きみたいなものでしょうねと八木原さんについて話しました。

 八嶋さん(八嶋寛さん)については、八嶋さんは長く銀行に勤めていて仕事を辞めてヒマラヤ登山をしていた人で、八嶋さんは、仕事を辞めないと一人前と言えないと言っていたとか話しました。

  山森さん(山森欣一さん)については、高田馬場のヒマラヤ協会の事務所に尾形さんといつもいて、ひげを伸ばして、東京農業大学探検部みたいでしたねと話しました。

  インドブラマプトラ川川下りに一緒に行った中谷敏夫については日本テレビでアンパンマンなどの仕事をしていて、以前、早稲田大学探検部チベット隊で飲んだときに、心臓が悪くて体調が悪そうだった。中谷はチベットでもインドブラマプトラ川川下りでも元気だったのに、テレビの仕事で大変なんだろうと話しました。

  関口君と2人で飲みながら、思い出話に花を咲かせました。

  僕も昨日は久しぶりに懐かしいインドブラマプトラ川川下りの思い出話を関口君と出来たので楽しかったです。

  以上、「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月22日水曜日

「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

 「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

  僕は30歳の頃に心の病気、統合失調症になり、文京区の精神障害者福祉作業所、銀杏企画セカンドに入所しました。

  銀杏企画セカンド在籍中に、白山さんという当時、60過ぎくらいだったおばちゃんがいらっしゃり、僕も白山さんに誘われ、白山さんとデートしながら、東京の美術館巡りをしていました。

  白山さんも僕も精神障害者手帳を持っているので、美術館とか博物館は無料で入場できました。

  文京区民センターで待ち合わせして、文京区民センター一階にある椅子に座って、白山さんを待っていました。

  文京区民センターから上野の国立西洋美術館とか、恵比寿の東京写真美術館とかに良く行っていたと思います。

  美術館で多くの絵や写真を鑑賞してから、一緒に食事をしたりしました。

  白山さんは青森県出身で、水道橋の近くに住んでいました。

  水道橋の近くの宝生能楽堂のすぐそばに住んでいらしました

  僕も水道橋の近くにある白山さんの家に遊びに行き、ご飯を食べさせてもらったりしました。

  白山さんが若い頃にもらったラブレターも読ませてもらったりしていました。

  白山さんは家ではNHKラジオの放送を聴いていました。

  白山さんは僕のことを、

 「面白い、面白い」と言っていました。

僕も白山さんの、褒め言葉、

「面白い、面白い」という言葉にうれしくなり、

白山さんを僕が若い頃に住んでいたアパート、新宿区戸山にあるワカサ荘に案内したことがありました。

白山さんは、僕の住んでいたアパートを見て、

「こんなアパートに住んでいたの?」

と言って、ますます、面白がっていました。

僕が銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがあることをブログに書いておきます。

以上、「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月16日木曜日

「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

 「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

  僕の早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行が東南アジアで知り合った人に皆川さんという方がいます。

 僕も倉島孝行に紹介されて皆川さんと知り合いました。

  皆川さんは駒澤大学卒で、学生時代は学生運動をしていて、国会に突っ込んでいこうとして官憲に取り押さえられた経験を持っているようです。

  皆川さんは東京から離れて、群馬県の嬬恋村で、キノコなどを販売する仕事をしていたようです。

  現在でもキノコなどを販売する仕事をしているかは分かりません。

  僕が統合失調症になってから、皆川さんが住んでいる群馬県に遊びに行き、浅間山の登山をしたことがありました。

  皆川さんの家ではすき焼きをご馳走になりました。

  僕は、当時は精神状態がとても悪くて、皆川さんの家に遊びに行っても、精神状態が悪いことを皆川さんに話していたと思います。

  皆川さんは僕の話を聞いて、

  「おれもうつ病って言いたいよ」と仰っていました。

  皆川さんから見ると、僕の病気の話を聞いてもそれほど深刻なことだと思わなかったようです。

  皆川さんのように若い頃に国会に突っ込んでいったような人からすると、僕程度の心の病気の話を聞いても大したことないと思ったようです。

  僕が早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行の知り合い皆川さんに

 「おれもうつ病って言いたいよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

 以上、「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月15日水曜日

「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

 「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

  僕が早稲田大学に通っていた頃(1987年~1992年)に早稲田大学の同学年で早稲田大学でノンセクト(学生運動のセクトに所属せずに)による学生運動をしている小川正治という人間がいました。

  小川はノンセクトラジカル(ラジカルとは急進的との意味のようです)を名乗って早稲田大学で学生運動をしていて、よく

 「革マルにいじめられた」とかこぼしていました。

  小川正治とは早稲田大学文学部の人間で、僕と早稲田大学探検部で同期だった桜井誠人が京都大学の受験で知り合った人間のようです。

  桜井誠人同様、2浪しています。

  僕も小川正治は桜井誠人に紹介されて知り合いました。

  小川正治とは、文京区の真砂図書館で受験勉強をしていたようで、文京区のことはよく知っていて、僕が文京区出身だと言うと

  「文京区、暗い」と僕に言ってきました。

  この小川正治という人間は、早稲田大学探検部で僕らの代の副幹事長だった清水博之の出身高校熊谷高校の一つ上の先輩になります。

  清水博之によると、

 「たんこぶ」と言っていて、清水博之にとっては

 「目の上のたんこぶ」になるような人間だったようです。

  僕も早稲田大学在学中に小川正治と早稲田大学キャンパス内でよく会いました。

 小川正治は世界旅行研究会のことを何か話していたと思います。

  ある日、僕が早稲田大学キャンパス内を歩いていると、小川正治に偶然、遭遇しましたが、

  僕が元気のない覇気のない表情をしていたせいか小川正治に

 「なに黄昏れているんだよ」と言われました。

  僕が元気のない覇気のない表情をしていたので、僕の表情を見て小川正治の口から、

 「なに黄昏れているんだよ」との言葉が飛び出したのだと思います。

  僕は早稲田大学在学中から何か黄昏れているような人間だったようです。

  僕が小川正治から

 「なに黄昏れているんだよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

  以上、「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月13日月曜日

「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

 「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

  僕は30歳の頃に心の病気、統合失調症になりました。

  僕が統合失調症になってから、早稲田大学探検部の部室が早稲田大学1号館5階から移転するとのことで、僕も早稲田大学1号館5階にあった部室に行きました。

  僕が探検部の部室が移転するので、早稲田大学1号館の5階にあった部室に行った際に、早稲田大学探検部の僕の一つ下の後輩で、読売新聞勤務の伊東謙治という人間と偶然に会いました。

  読売新聞勤務の伊東謙治も探検部の部室が移転することを知って、早稲田大学探検部の部室に来たようでした。

  伊東謙治と部室で会った際に、僕が、「統合失調症という病気になった」と言うと、

  伊東謙治は、「仮面うつ病の人もたくさんいるんですよ」と僕に言ってきました。

  仮面うつ病で、ネットで検索してみると、

 仮面うつ病」とは、身体症状が前面にでて、精神症状が目立たないうつ病、身体症状という仮面をかぶったうつ病のことです。 このため、患者さんはうつ病にもかかわらず、一般の医院や病院を受診しますが、検査をしても異常は認められません。

という病気のことらしいです。

伊東謙治が当時、「仮面うつ病」だったのか分かりませんが、心の病気の人は僕だけでなく世の中には多くいるということを言いたかったのだと思います。

僕が統合失調症になってから、早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治から

「仮面うつ病の人もたくさんいるんですよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

以上、「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月12日日曜日

「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

  僕は若い頃、新宿区戸山のワカサ荘という4畳半のアパートに住んでいました。

  僕はパソコン通信によるデータベースの検索の仕事と近所の書店での仕事をしていました。

  書店でバイトをしているときに、早稲田大学探検部の僕の3つ下の後輩、早稲田大学探検部36期OBの佐藤という人間(この佐藤という人間も、僕がバイトしていた早稲田大学体育館のバイトを譲った人間です)から、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、早稲田大学探検部37期OBの柳田のことをなんとかしてくださいよと頼まれました。

  僕の4つ下の後輩、柳田とは当時から精神を病んでいて、精神科の病院に通っていたようでした。

 新宿区高田馬場の紫藤クリニックという精神科の病院に通っていたようでした。

  僕の4つ下の後輩、柳田は、僕のバイトしていた、書店で働くことになりました。

  書店では普通に仕事をしていたようです。

  僕は柳田と一緒に近所のラーメン屋に行って、一緒にラーメンを食べたことがありました。

  その際に、僕は柳田に、

 「上原さんがどもることは探検部ではタブーになっていますよ」

 とか、

  「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」

  と言われました。

  僕は柳田の口から出た言葉に傷つきました。

   僕は自分がどもることは気にしていたし、実際に、どもることによって、前に勤務していた日本電波ニュース社では現場に行かせてもらえずに、編集室に閉じこもっての編集の仕事をしていて、体力がどんどん落ちて、過労で入院して日本電波ニュース社を退社しました。

 僕のの父と母の営んでいたラーメン屋さんは、もうやめていました。

柳田の言葉があまりにもひどい言葉で、到底、早稲田大学探検部の先輩と後輩の間で交わされるような言葉ではなく早稲田大学探検部の後輩とは、本当にひどい後輩で、先輩に対して配慮する気持ちも無いと思いました。

僕は早稲田大学探検部の4つ下の後輩になる早稲田大学探検部37期OBの柳田とは早稲田大学探検部で一緒に活動したこともないし、全く面識の無い後輩でした。

僕の3つ下の後輩、早稲田大学探検部36期OBの佐藤は、早稲田大学探検部31期OBの高野さんが住んでいた早稲田鶴巻町の平岡荘に住んでいて、僕も平岡荘にはよく遊びに行っていたので、佐藤のことは知っていましたが、佐藤とも早稲田大学探検部時代に一緒に活動したことはありませんでした。

何故、早稲田大学探検部の3つ下の後輩になる佐藤が、僕に

僕と全く面識の無い早稲田大学探検部の僕の4つ下の後輩になる「柳田のことをなんとかしてくださいよ」と頼んできたのかも分かりませんが、僕が仕事を紹介してあげた後輩に、

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」とか

「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」とか言われなければならないのかと本当に不思議に思っています。

僕が早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田から

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」と言われていて僕がとても傷ついたことをブログに書いておきます。

以上、「神田川生活時代、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2021年12月9日木曜日

「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

 「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

  僕が早稲田大学探検部5年生の頃だったと思いますが、僕は早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、佐藤英一さん(故人)が企画した河童団という企画、杉並区の水泳大会に早稲田大学探検部で出場するという企画に参加しました。

  参加者は、早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、佐藤さん、戸崎さん、竹村さん、僕の2つ上の先輩の高野さん、高橋さん、僕と同期の森山、僕だったと思います。

  杉並区の水泳大会に出場するために、杉並区の和田堀公園にあるプールで水泳の練習をしていましたが、その際に、僕の4つ上の先輩、戸崎さんから、

 「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われたことがありました。

僕は、早稲田大学探検部時代は、様々なバイトをしていました。

焼き肉屋さんのバイトとか、高原野菜の収穫のバイトとか、貯水槽の清掃のバイトとか、早稲田大学の近所の喫茶店でのバイトとか、焼鳥屋さんでのバイトとか、サトウキビの収穫のバイトとか、築地の寿司屋さんでのバイトとか、上野の同伴喫茶でのバイトとか、川崎駅前での道路清掃のバイトとか、ビルの建築現場でのバイトとか、様々なアルバイトをしていました。

そのような僕のことを戸崎さんが知っていたのか分かりませんが、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われました。

僕が早稲田大学を卒業してからも、会社勤めも長く続かずに、会社を辞めては転職し、様々な職を転々としていることを考えると、戸崎さんの仰っていたことも今となっては僕の悪い部分を言い当てていたのだと思います。

大学時代からきちんと腰を据えて、一つのバイトをしているのが良いのだと思います。

大学時代だからあれもしてみたいこれもしてみたいという気持ちで、様々なアルバイトをしましたが、先輩から見ると、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」という言葉が出たのだと思います。

大学時代から一つのバイトを長く続けることによって、大学卒業後も一つの仕事を長く続けられるようになるのだと思います。

僕が早稲田大学探検部時代の4つ上の先輩、戸崎さんから、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われていたことをブログに書いておきます。

以上、「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月7日火曜日

「早稲田大学探検部時代に探検部員の前で歌っていた歌、BOW!」

 「早稲田大学探検部時代に探検部員の前で歌っていた歌、BOW!」

  僕らが早稲田大学探検部に在籍していた頃は、探検部の飲み会の後によくカラオケに行っていました。

  早稲田大学探検部の仲間でよくカラオケに行っていました。

  僕はカラオケで、渥美清の「男はつらいよ」とか尾崎豊の歌を歌っていました。

  僕が早稲田大学探検部の飲み会の後のカラオケで探検部員の前で歌っていた歌の一つに尾崎豊の、「BOW!」という歌があります。

  昨日、久しぶりにYou Tubeで聴いてみました。

 You Tubeはこちら


歌詞もネットにありました。

以下のような歌詞です。

 

否が応でも社会にのみ込まれてしまうものさ

若さにまかせ挑んでいくドンキホーテたちは

世の中のモラルをひとつ飲み込んだだけで

ひとつ崩れひとつ崩れすべて壊れてしまうものなのさ

あいつは言っていたね サラリーマンにはなりたかねえ

朝夕のラッシュアワー 酒びたりの中年たち

ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃNONO

救われないこれが俺たちの明日ならば

午後4時の工場のサイレンが鳴る

心の中の狼が叫ぶよ

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

 

夢を語って過ごした夜が明けると

逃げ出せない渦が日の出とともにやってくる

中卒・高卒・中退 学歴がやけに目につく

愛よりも夢よりも金で買える自由が欲しいのかい

午後4時の工場のサイレンが鳴る心の中の狼が叫ぶよ

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

 

以上のような尾崎豊の歌詞です。

 

僕もこの尾崎豊の作った歌を探検部員の前で歌っていました。

 

僕も当時は早稲田大学探検部に在籍していて、夢もあったし、自分の人生を賭けるような夢があったのだと思います。

 

しかしながら、早稲田大学を卒業して、社会に出ると、尾崎豊の作った歌詞の通り、社会に飲み込まれてしまい、仕事仕事で夢を語ることもなく、ただ、日々の生活の糧を得るための仕事のために時間を費やし、気晴らしは酒を飲んだり、タバコを吸ったりすることだけです。

 

僕も現在の若者たちからすれば、酒びたりの中年たち(僕は酒はほとんど飲みませんが、タバコは吸っています)と同列の人間になるのだと思います。

 

今の若者たちが尾崎豊の「BOW!」を歌えるか分かりませんが、若いからこそ出来ることがあると僕は思っています。

 

自分たちの若さを生かして、若さにまかせ挑んでいくドンキホーテのような人間が早稲田大学探検部にもいることを僕は祈っています。

 

以上、「早稲田大学探検部時代に探検部の飲み会で歌っていた歌、BOW!」

 

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月6日月曜日

「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

 「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

  僕は僕と一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った中谷(中谷敏夫、日本テレビ放送網に勤務されています)に

 「自分から動かないとな」

  と言われたことがありまます。

 「自分から動かない」とは、要するに上司からの指示を待って、仕事をする会社員のことなのだと思います。

  会社の中で上司が頭を悩ますのが、指示待ち会社員なのだと思います。

  「自分から動かない」上司からの指示が出るまで、仕事をしない指示待ち会社員が会社の中で、上司の頭を悩ますのだと思います。

  会社とはメーカーもあれば、商社もあれば、金融関係などなどあると思います。

  マスコミと言われている、テレビ関係や、新聞関係も会社です。

  会社の中で仕事をする上で、上司からの指示が出ないと仕事が出来ない、「自分から動かない」指示待ち社員が上司の頭を悩ますのだと思います。

  中谷に僕が「自分から動かないとな」と言われたのは、僕が新宿区戸山のワカサ荘に住んでいた頃でした。

  僕も当時は1人暮らしで、仕事もパソコン通信によるデータベースの検索の仕事(サーチャーのような仕事)と近所の書店での仕事で、「自分から動かない」で仕事をしていたようです。

  会社で仕事ををする上で、上司からあれやれこれやれと言われるまで、「自分から動かない」指示待ち社員が会社の上司の頭を悩ますのだと思います。

  僕が一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った中谷(中谷敏夫)に「自分から動かないとな」と言われていたことを思い出したのでブログを書いておきます。

  以上、「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月5日日曜日

「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 「茗台中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

   僕は、中学校は文京区の文京区立茗台中学校という中学校に通っていました。

   僕は、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

   中学時代のバスケットボール部の同期生に、茗台中学校から都立青山高校に進み、大学は信州大学に行った山口貴士君という人がいます。

  僕は都立小石川高校から早稲田大学に進み、早稲田大学では探検部で登山とかもしていたので、長野県松本市にある信州大学に遊びに行ったことがあります。

  中学校のバスケットボール部の同期生は、信州大学から三菱製紙に就職して、紙を作る仕事に就いたようです。

  実は、僕の母は、江戸川橋にあるラーメン屋さんをやめてから湯島にあった三菱製紙の研修の寮の清掃の仕事をしていて、三菱製紙の研修の寮での清掃の話を家でしていましが、その際に、僕の中学時代の同期生で三菱製紙に就職された山口貴士君の話を盛んにしていました。

三菱製紙に就職された方が研修のために来ることはないのかなと言って、盛んに話をしていました。

三菱製紙に就職された方とは、東京外語大学の文化祭を一緒に見に行ったこともありました。

もう何十年も会っていませんが、中学校時代の同期生のことを思い出したのでブログを書いておきます。

以上、「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月2日木曜日

「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

 「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

  僕は、早稲田大学在学中は法学部に在籍していました。僕は早稲田大学法学部を卒業しています。

  法学部の「法」という漢字は、さんずいに去るという字の組み合わせです。

 「法」とは水が去るという意味になるのだと思います。

  僕は、早稲田大学在学中は法学部に在籍するとともに、探検部にも在籍していました。

  探検部では川下りもして、僕も世界的な激流、インドブラマプトラ川川下りを経験して川下りの報告書に「ブラマの水の味」という感想のような報告のような文章を書いています。

  インドブラマプトラ川川下りについては、昨年、インド人ジャーナリストにも取材され、ホワイトウォーター(白い水)というタイトルの記事が作られました。

  僕は早稲田大学探検部関係者のことを考えて、早稲田大学探検部OB番号3301からの早稲田大学探検部関係者への僕からのメッセージは、331日の僕のツイート(331日のツイートでTwitterを固定しています)で紹介している記事を早稲田大学探検部関係者に是非読んでいただきたいというメッセージであることを表明しています。

   一方で僕は2011年の311日に起きた東日本大震災を経験して、福島原発事故のことについて東電の刑事的法的責任を問う、「刑法刑事訴訟法と福島原発事故」というブログも書いています。

  早稲田大学探検部の名の通った先輩方が原発に反対する本を書かれていて、僕も早稲田大学探検部時代に青森県六ヶ所村に原発の村を探る活動をしていて、僕も原発のことには大きな関心があるので、僕の早稲田大学時代に在籍していた学部、法学部のゼミ、刑事法のゼミのことを思い出して、福島原発事故の東電の刑事責任を問う「刑法刑事訴訟法と福島原発事故」というブログを書いています。

 「法」という字を信用すれば、水が去るということになるのだと思います。

  僕が早稲田大学法学部卒を名乗る限り、水は去って行くことになるのだと思います。

  僕が法学部卒を名乗る限り、水は去ることになるのだと思います。

  このまま、僕が早稲田大学法学部時代に勉強した刑法の知識を生かして、福島原発事故のことを考えていくのか、僕が早稲田大学探検部時代に経験したインドブラマプトラ川川下りのことを思い出して早稲田大学探検部のことを考えていくのか僕の残り少ない人生の分かれ道だと思っています。

  僕が早稲田大学在学中に法学部に在籍していて法学部を卒業していてTwitterのプロフィールで早稲田大学法学部卒を名乗っていることが良いことなのかを自分で考えてみました。

  以上、「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月28日日曜日

「チベットその魅力」

 「チベットその魅力」

  僕が早稲田大学探検部2年生の時に隊長を務めたチベット探査計画書の文章をブログに載せたいと思います。

 「チベットその魅力」という文章です。

  以下のような文章でした。

  チベットの魅力は数を挙げればきりがないが、そのなかでも最もひかれるものは、その桁外れにでかい大自然である。世界の屋根と呼ばれるチャンタン高原が北にひかえ、南にはエベレストを頂点とするヒマラヤ山脈がそびえ立つ。ここが大昔海であった言われてもイメージがわかない。又、インダス川やガンジス川等の大河もチベットに源流を持つ。地図をひろげ、これらの大河がインドの大地をうるおしアラビア海やベンガル湾に流れ込むこと思うと理屈抜きに感慨深いものがある。この様なチベットの大自然の雄大さ、荘厳さを自らの目で見れる事は、至高のよろこびに違いない。このチベットの美しさを日本の人々に伝えるためにも、今回の探査では多くの写真を撮ってきたいと思っている。

  以上が僕がチベット探査計画書に書いた「チベットその魅力」という文章です。

  ブログに載せておきます。

 

 

 

 

「‘88 夏 チベット探査計画書 はじめに」

 「‘88 夏 チベット探査計画書 はじめに」

  僕が早稲田大学探検部2年生の時に隊長を務めたチベット探査隊の計画書の文章をブログに載せたいと思います。

  最初は、導入の「はじめに」という文章です。

  以下のような文章でした。

 「はじめに」

  コンゴへの大遠征隊もほとんどのメンバーが帰国し、探検部もようやく落ち着いてきた中、今夏の海外プロジェクトの一つとして計画されたのが私たちのチベット探査である。チベットと言えば昨年の幹事会でコンゴと共に、2大プロジェクトに決定され、昨年の春に木村先輩、坂下先輩が、夏に中島先輩、後藤、斉藤がそれぞれ探査を行っており探検部にとってもなじみの深いフィールドである。過去の先輩方は政治問題や、遊牧民の生活調査などについて、しっかりした視点からアプローチをしており、その業績は私たち後輩の立場から見ると驚嘆するものがある。そのような探検実績のあるフィールドを、私たちが今回活動の場として選んだ理由は、当初は単なる行きたいという好奇心からのみであった。しかし、先輩の報告記録を読んだり聞いたりしていくうちに、チベットがいかに魅力的なものであり、先輩方が力を注いできたかがわかり、先輩方の探査の不十分な点を補足するような活動もしたいと思っている。今回の目的は、基本的にカイラスに到達することであるが、先輩方の資料のおかげでチベットに関する予備知識が豊富にあるので、カイラスまでの行程の中、又、カイラスに着いてからも、チベット人の生活や、3月に暴動が起きて以来門を閉ざしているチベットの状況など、あらゆる事に対し貪欲に目を向け、できるかぎり多くの情報を集めてきたいと思っている。

  以上が僕が早稲田大学探検部2年生の時にチベット探査計画書に書いた「はじめに」という文章です。

 ブログに載せておきます。

 

 

 

 

 

 

2021年11月26日金曜日

「昔の神田川生活時代の隣人のこと」

 「昔の神田川生活時代の隣人のこと」

  僕は若い頃(20代の頃)新宿区戸山のワカサ荘という4畳半のアパートに住んでいました。

  藤尾潔さんというライターの方が早稲田大学おもしろ話という本に書いている通り、僕の部屋の隣に当時40過ぎだった中年おじさんが住んでいました。

  4年以上隣だったので、隣人のことは良く知っています。

  生まれは東京都港区青山。出身高校は東京都立九段高校。高校の頃は柔道をしていたようです。大学は早稲田大学法学部中退。所属していた学生運動のセクトは民青のようです。

  僕がワカサ荘に住んでいた頃は、新宿区東五軒町にある本の取次会社トーハンで働いていました。

  僕は住んでいたアパートから歩いて5分くらいの、日誠堂書店という本屋さんで働いていました。

  風呂に入りに行っていた銭湯は金泉湯(僕は松の湯に行っていました)

  買い物は戸山の大久保通り沿いにある生協に行っていました。生協のメダルを持っていました。(僕も生協の会員になり、生協のメダルを持っていました。)

  兄弟は男2人兄弟で、お兄さんがいたようで、次男坊です。(僕も男2人兄弟で次男坊です)

  東京都生まれで、高校も都立高校で大学も早稲田大学法学部で、僕と似たような道を歩んでいた方だったようです。

  おそらく現在ではもう高齢で、昔のようには働けないと思いますが、ご自分の好きな本とか読んで人生を楽しんでいられると思います。

 何年か前に高田馬場で偶然遭遇して、少し話をしました。

 パソコンを導入したとのことで、FacebookやLINEなどのSNSのことも話しました。

 類は友を呼ぶというのか、同じような志向の人間は何の偶然か、隣人になったりするようです。

  昔の神田川生活時代の隣人のことをブログに書いておきます。

  以上、「昔の神田川生活時代の隣人のこと」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

2021年11月24日水曜日

「一緒にブラマプトラ川川下りに行った関口君にはいい人から先に逝くんですねと言われていた」

 「一緒にブラマプトラ川川下りに行った関口君にはいい人から先に逝くんですねと言われていた」

  僕は新宿区の戸山に一人暮らしをしている頃に統合失調症に罹りました。

  僕が統合失調症になって、僕が実家に戻ってから、僕と一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った関口君と会いましたが、関口君と会った際に、

  関口君に「いい人から先に逝くんですね」と言われました。

   実は関口君のフロンティアボートクラブ時代の同期の方、早川君は群馬県の吾妻川という川を川下りしていて、川下り中の事故で亡くなっています。

   僕も関口君とフロンティアボートクラブで同期だった早川君のお通夜に行きました。

   関口君には探検冒険行為をして亡くなった方が身近にいて、死が身近にありました。

  そのようなことからも、関口君の口から、

 「いい人から先に逝くんですね」との言葉が出たのだと思います。

  僕が統合失調症に罹ってから関口君に

 「いい人から先に逝くんですね」と言われていたことを思い出したのでブログを書いておきます。

  以上、「一緒にブラマプトラ川川下りに行った関口君にはいい人から先に逝くんですねと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

2021年11月23日火曜日

「僕と一緒にブラマプトラ川下りに行った関口君は音羽の熱海湯という銭湯に行っていた」

 「僕と一緒にブラマプトラ川下りに行った関口君は音羽の熱海湯という銭湯に行っていた」

  僕と一緒にインドブラマプトラ川下りに行った関口君は、大学卒業時NHKに合格していましたがNHKに就職せずに早稲田界隈のアパートに住んでいました。

  関口君は一人暮らしをしている頃に、北アルプスに行き山で遭難しました。

  遭難して大ケガをして足にボルトも入れました。

  その後、関口君は、江戸川橋にある駐車場で、駐車場の管理人のアルバイトをしていたことがありました。

  江戸川橋にある駐車場でアルバイトしているときに、関口君は江戸川橋の駐車場の近所にある音羽の熱海湯という銭湯に風呂に入りに行っていました。

  音羽の熱海湯は今ではありませんが、僕も昔は文京区の水道に住んでいたので音羽の熱海湯には良く行っていました。

  僕と一緒にインドブラマプトラ川下りに行った関口君が音羽の熱海湯に風呂に入りに行っていたことをブログに書いておきます。

 以上、「僕と一緒にブラマプトラ川下りに行った関口君は音羽の熱海湯という銭湯に行っていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

2021年11月22日月曜日

「JAXAではサイボウズでスケジュールを立てていた」

 「JAXAではサイボウズでスケジュールを立てていた」

  僕は統合失調症に罹ってからJAXAで働きました。

  JAXAには1週間で34日通っていましたが、パソコンでサイボウズというソフトでスケジュールを立てていました。

 サイボウズとは、ボウズ=坊主(僧侶)を意味するらしいです。

  僕は坊主(僧侶)ではありませんが、坊主を意味するサイボウズでJAXA勤務のスケジュールを立てていました。

  JAXAに通っていた頃には、銀杏企画セカンドにも通っていて旅行とかに参加していたと思います。

  JAXAで、サイボウズで立てたJAXA勤務の予定表をプリンターでプリントアウトして、僕が当時通っていった銀杏企画セカンドにFAXで送って、銀杏企画セカンドに通所する日を知らせていたと思います。

  僕がJAXAではサイボウズでスケジュールを立てていたことをブログに書いておきます。

以上、「JAXAではサイボウズでスケジュールを立てていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月21日日曜日

「JAXAでは水の電気分解とかの実験をしていた」

 「JAXAでは水の電気分解とかの実験をしていた」

  昨日もブログに書きましたが、僕は統合失調症に罹ってから、JAXAで働きました。

  JAXAは調布市にあり、僕の家から飯田橋まで歩いて行って飯田橋駅からJR中央線に乗って三鷹まで行き、三鷹からバスに乗ってJAXAまで通っていました。

  僕は当時も睡眠薬、抗不安薬を飲んでいたので、電車の中とかバスの中で居眠りしてしまったこともありました。

  何とか通っていたJAXAで何をしていたかという、水の電気分解とかの実験をしていました。

  水を電気分解して、水素と酸素にする実験とかを行っていました。

  Excelに何か実験結果を記していたのを覚えています。

  僕はもともと文系の人間で、理系の分野である水の電気分解とかの実験をしても分からないことも多くありました。

  ただ、僕も当時はお金が欲しかったので、自分の中で分からないことも多い水の電気分解の実験とかをJAXAでしていました。

 僕がJAXAで水の電気分解とかの実験をしていたことをブログに書いておきます。

 以上、「JAXAでは水の電気分解とかの実験をしていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月20日土曜日

「WindowsのパソコンはJAXAで覚えた」

 「WindowsのパソコンはJAXAで覚えた」

  僕はWindowsのパソコンはJAXAで覚えました。

  僕が統合失調症に罹り、銀杏企画に入所した際に、早稲田大学探検部時代の僕の同期生、SさんがJAXAに勤めていて、Sさんが、わざわざ銀杏企画に見学に来て、JAXAで働かないかと誘われました。

  僕はJAXAで働くまでは、マッキントッシュのパソコンを使っていました。

  一人暮らしをしていた頃もマッキントッシュのパワーブックというノートパソコンを使っていました、僕が統合失調症に罹り、実家に戻ってからもマッキントッシュのI  Macを自宅で使っていました。

  JAXAで働くようになってから、ウィンドウズのパソコンを覚えました。

   MS-DOSのパソコンはパソコン通信によるデータベースの検索の仕事をしていた際に使っていましたが、ウィンドウズのグラフィカルユーザーインターフェイスのパソコンは使ったことがありませんでした。

  JAXAJAXAに勤めている人にDELLのノートパソコンのクーポン券をもらい、DELLのノートパソコンを購入して、WordExcelなどを覚えました。

  ウィンドウズもマッキントシュもそれほど変わらないというのが僕の正直な感想です。

  ただ、会社などではWindowsを使っているので(ソフマップでもWindowsのパソコンを使っていました)、Windowsのパソコンを覚えた方が仕事をする際には役に立つようです。

  僕がJAXAWindowsのパソコンを覚えたことをブログに書いておきます。

 以上、「WindowsのパソコンはJAXAで覚えた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月17日水曜日

「記録すること記憶することも大切だが、早稲田大学探検部では探検実績がより大切になってくると思っている」

 「記録すること記憶することも大切だが、早稲田大学探検部では探検実績がより大切になってくると思っている」

  僕は早稲田大学探検部では記事を書いたり、本を書いたりして自分たちの探検冒険活動を記録し、記憶に定着させることも大切だと思っています。

  しかしながら、僕は記録すること、記憶することよりも、早稲田大学探検部ではどのような探検冒険活動をしたのかの探検実績がより大切になってくると思っています。

  探検冒険活動をしている方々の中には、文章を書くのが苦手な人もいると思うし、自分の活動を文章などの形で記録し、記憶に定着させるのが不得手な人もいると思っています。

   特に探検冒険活動をしているときは必死なので、自分の行っている活動がどのようなものかを表現しようとか考えずに活動している方々も多いと僕は思っています。

  僕は記録すること記憶することも大切だと分かった上であえて早稲田大学探検部ではどのような探検冒険行為をしたのか探検実績がより大切になってくると思っています。

  きちんとした探検実績のある早稲田大学探検部関係者の言うことを聞いて早稲田大学探検部も活動されて行かれれば良いと思っています。

   以上、「記録すること記憶することも大切だが、早稲田大学探検部では探検実績がより大切になってくると思っている」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月14日日曜日

「胃が痛くてブログが書けない状態になっている」

 「胃が痛くてブログが書けない状態になっている」

  僕は胃が痛くて痛くてブログが書けない状態になっています。

  僕の家から近所だったサンマルクカフェが閉店して、本郷三丁目のドトールコーヒーでしばらくブログを書いていましたが、本郷三丁目のドトールコーヒーは高級な喫茶店に変わってしまい、入店することが出来ません。

  江戸川橋にもドトールコーヒーがあるのですが、いつも混んでいて、落ち着いてブログが書けません。

  自宅でパソコンに向かうと、吐き気がしてくるので、なるべく自宅ではパソコンには向かわないようにしています。

  自宅には机のようなテーブルも無いのでブログが書けません。

   茗荷谷にモスバーガーがあり、コーヒーが飲めるので、モスバーガーでブログを書こうかなとも思いましたが、やはりブログが書けません。

   胃が痛くて痛くてブログが書けない状態になっていることをブログに書いておきます。

  以上、「胃が痛くてブログが書けない状態になっている」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月9日火曜日

「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5323人になった」

 「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5323人になった」

   NHKの特設サイト新型コロナウィルスを見ていたら、文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5323人になっていました。昨日に続き、久しぶりに文京区から感染者が出たようです。

   文京区の人口が226700人とすると、文京区民の約2.2%(45人に1人)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   1人増えたとのことです。

   昨日の東京都の新型コロナウィルスの新規感染者数は18人でした100人を下回りました。

   2回目の緊急事態宣言時は、東京都の新型コロナウィルスの感染者数が500人を切るまで緊急事態宣言を続ける方針だったようですから、昨日は緊急事態宣言解除基準の500人を下回ったようです。東京都では緊急事態宣言は620日に解除して、621日から、まんえん防止等重点措置に移行しました。政府は4回目の緊急事態宣言を712日から発令しました。4回目の緊急事態宣言は10月1日に解除されました。

   東京都の新型コロナウィルスの感染者数累計は381814人です。東京都の新型コロナウィルス感染者累計は38万人を超えています。

   東京都の人口が1396万人とすると、東京都民の約2.7%(東京都民の37人に1)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   東京都の直近1週間の人口10万人あたりの感染者数は1.08人でステージ4相当(25人)を大きく下回っています。

   昨日の日本全国での新型コロナウィルスの新規感染者数は107人でした。500人を下回りました。

    日本全体の新型コロナウィルスの感染者数累計は1724682人となり、日本国内の新型コロナウィルス感染者数の累計は170万人を超えています。170万人の大台を超えています。

   日本の人口が12623万人とすると、日本人の約1.3(おおまかに言えば75人に1人ぐらい)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   世界的に見ても27番目に多い感染者数になっているようです。(台湾は16442)

   日本の新型コロナウィルスによる死者数累計は18325人となり、18千人を超えています。

   何度も同じことを書きますが、新型コロナウィルスによる死者数は阪神淡路大震災の死者数(6434人)を大きく上回る死者数になっています。東日本大震災による死者数が約2万2千人(震災関連死含む、ウィキペディアより)だったようですから、東日本大震災の死者数に迫る死者数になっています。本当に長期間にわたる災害のようなもので、長期間にわたり、大きな被害が出ているような状態だと思います。なんとか状況を改善しないと災害のような状況は改善されずに死者数も増えてしまうと思います。なんとか状況が改善されることを祈っています。

   87日の朝日新聞によると、5月は月間最多の2816人の新型コロナウィルスによる死者数で、7月は408人だったと書いてありました。死者数は減少傾向にありワクチンの効果が出ていたようですが、8月の死者数は877人程度のようです。7月より増えているようでした。9月の死者数は1583人程度のようです。10月の死者数は648人程度のようです。

   重症者数は101人です。500人を下回りました。

   727日時点の重症者数が134人だったようですから、約3ヶ月で727日の時点の重症者数を大きく下回ったようです。

   2回目の緊急事態宣言が発令された際は感染拡大第3波になっていたようです。

   東京都では2回目の緊急事態宣言は321日に緊急事態宣言が解除されました。

   3回目の緊急事態宣言は425日から発令されました。感染拡大第4波になっていたようです。

   東京都の3回目の緊急事態宣言は425日から発令されて、620日までの緊急事態宣言でした。

   6月21日からはまんえん防止等重点措置に移行しました。まんえん防止等重点措置は711日まででした。712日から4回目の緊急事態宣言になりました。

   2回目の 緊急事態宣言が発令された頃は 東京都の一日の感染者数が500人程度になったら、緊急事態宣言を解除するとのことでしたが、2回目の緊急事態宣言が解除された頃は東京都の一日の感染者数は300人程度で推移していました。昨日は東京都の感染者数は18人でした。

   4回目の緊急事態宣言は10月1日に解除されましたが、僕は京大の西浦博教授の言っていたように東京都の1日の感染者数が100人を切るまで緊急事態宣言を延長するのが良いと思っていました。できれば東京都の新型コロナウィルス感染症医療アドバイザーの大曲医師の言っていたように東京都の1日の感染者数が1桁になるまで緊急事態宣言を延長するのが良いと思っていました。徹底的に新型コロナウィルスを封じ込めるのが良いと思っていました。可能なら新型コロナウィルスを完璧に封じ込めて、新型コロナウィルスを零封出来るような人が政治のマウンドに上がり政治の世界で登板し、毎日、毎日、全身全霊をかけて全力投球で新型コロナウィルス対策にあたり、台湾のような新型コロナウィルス感染状況になれば良いと思っていました。

   日本全国での新型コロナウィルスのワクチン接種はNHKのサイトによると117日の時点で9800万人が1回目のワクチン接種を終えたようです。日本の全人口の77.38%1回目のワクチン接種を済ましたようです。

   管前首相は、

   海外の例を見てもワクチンを1回接種した人が人口の4割に達したら感染者の減少傾向が明確になる」

    発言していました。

   2回目のワクチン接種は117日の時点で9285万人がワクチン接種を終えたようです。日本の全人口の73.32%2回目のワクチン接種を済ましたようです。

   管前首相は813日の会見では、「10月初旬までに国民全員の8割の希望する方に2回打てるような体制を作っている」と述べたようです。

   菅前首相は、10月~11月までにワクチン接種希望者全員にワクチン接種をすると表明しています。

   ワクチン接種により新型コロナウィルスに対する免疫を作り集団免疫(ウイルスや細菌などに対し、人口の一定以上の割合が免疫を持つと、感染者が出てもほかの人への感染が減って流行しなくなる「集団免疫」という状態になるようです。特設サイト新型コロナウィルスNHKより)の状態にして、感染状況を改善しようとしているようです。

   NHKのニュースサイトによると、「集団免疫」の状態にするには、全人口の7090%がワクチン接種により免疫を持つことが必要になるようです。

   729日に、新型コロナ分科会の尾身会長は仮に国民の70%がワクチン接種をしても残りの30%の中で新型コロナが伝播すると述べ、全人口の70%がワクチン接種をしても集団免疫には至らないとの見解を示したようです。

   僕の母は、69日に東京都社会福祉保健医療研修センターで1回目のワクチン接種をしました。副反応はありませんでした。2回目のワクチン接種は630日に同じ東京都社会福祉保健医療研修センターで行いました。ワクチンを注射した場所が痛いと言っていました。少しめまいのような症状もあったようです。2回目のワクチン接種からすでに2週間が経っています。僕の父は、612日に文京シビックセンター、保健サービスセンターで1回目のワクチン接種をしました。ワクチンを注射した場所が痛いと言っていました。2回目のワクチン接種は、73日に同じ文京シビックセンター、保健サービスセンターで行いました。副反応は無いようです。父も2回目のワクチン接種からすでに2週間が経っています。

   僕は統合失調症で精神障害2級の精神障害者なので、基礎疾患者とされるので、高齢者のワクチン接種の後にワクチン接種を受けました。

   僕は基礎疾患を有する人のワクチン早期接種の電子申請を64日にしました。

   618日にワクチン接種券が郵送されてきて、予約サイトでワクチン接種予約をしました.

   僕は、7月7日に、東京都社会福祉保健医療研修センターで1回目のワクチン接種をしました。ファイザーのワクチンです。ワクチンを注射した方の腕が少し痛かったですが、もう痛みはありません。

   2回目のワクチン接種は1回目から3週間後の728日に行いました。東京都社会福祉保健医療研修センターで2回目のワクチン接種をしました。

   ワクチンを接種した方の腕が少し痛かったですが、発熱するなどの症状は出ていません。

   ワクチンを打った医師に聞くと、

   「人によって違うが、ワクチン接種からだいたい2週間で中和抗体が出来る」と仰っていました。

    ワクチンを打った医師を信用すれば、人によって違うようですが、728日から2週間以上経っているので、僕の体の中にも、新型コロナウィルスに対する抗体が出来ているのだと思います。

   日本人の中には日本の新型コロナウィルスの死者数が欧米諸国に比べて少ないことから、日本の新型コロナウィルス対策が欧米諸国にとってお手本になるものだと言っている人もいるようですが、日本が比較するべきなのは欧米諸国ではなく台湾やニュージーランドの新型コロナウィルス感染状況だと僕は思っています。例を挙げれば台湾では16442人です。ニュージーランドでは7648人です。

   僕は新型コロナウィルスの感染状況を欧米諸国と比較するのはやめて、台湾やニュージーランドの新型コロナウィルスの感染状況を見倣って、新型コロナウィルス対策を考えていくのが良いと思っています。同じことを何度も書きますが、僕は東京都一日の感染者数が100人を切るまで緊急事態宣言を続けるのが良いと思っていました。可能なら東京都の1日の感染者数が一桁になるまで緊急事態宣言を続けるのが良いと思っていました。

   何度も同じことを書きますが、多くの人たちは長期間の緊急事態宣言によりお金に困っているのだと思います。管総理は、困窮子育て世帯に子ども一人あたり5万円を給付すると表明したようです。社会福祉協議会で借りられる緊急小口資金については、返済時に住民税が非課税だった世帯は返済を免除すると表明したようです。緊急小口資金などの生活資金の特例貸し付けの総額は1兆円を突破したとのことです。生活困窮世帯には新たな給付金制度を設けて一世帯あたり最大30万円を給付する方向で調整しているようです。先日の報道によると、住民税非課税世帯を対象に110万円の現金給付を検討しているとのことです。衆議院選も終わり、どのような経済政策を行うかが議論され、現金給付についても様々な議論が行われているようです。

   僕は1回目の緊急事態宣言の時と同じように一律10万円の現金給付をした方が良いと思っています。僕は一律10万円の現金給付に賛成です。

   政府は東京都の緊急事態宣言を10月1日に解除しましました。

   昨日の東京都の新型コロナウィルスの感染者数は18人でした。

   僕はこれから東京都の1日の感染者数がどのようになっていくのかにとても関心があります。

   NHKの特設サイト新型コロナウィルスを見ていたら、文京区の新型コロナウィルスの感染数が5323人になっていのたでブログを書いておきます。

   以上、「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5323人になった」

   ブログに載せます

2021年11月8日月曜日

「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5322人になった」

 「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5322人になった」

   NHKの特設サイト新型コロナウィルスを見ていたら、文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5322人になっていました。久しぶりに文京区から感染者が出たようです。

 文京区の人口が226700人とすると、文京区民の約2.2%(45人に1人)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   1人増えたとのことです。

   昨日の東京都の新型コロナウィルスの新規感染者数は21人でした100人を下回りました。

   2回目の緊急事態宣言時は、東京都の新型コロナウィルスの感染者数が500人を切るまで緊急事態宣言を続ける方針だったようですから、昨日は緊急事態宣言解除基準の500人を下回ったようです。東京都では緊急事態宣言は620日に解除して、621日から、まんえん防止等重点措置に移行しました。政府は4回目の緊急事態宣言を712日から発令しました。4回目の緊急事態宣言は10月1日に解除されました。

   東京都の新型コロナウィルスの感染者数累計は381796人です。東京都の新型コロナウィルス感染者累計は38万人を超えています。

   東京都の人口が1396万人とすると、東京都民の約2.7%(東京都民の37人に1)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   東京都の直近1週間の人口10万人あたりの感染者数は1.01人でステージ4相当(25人)を大きく下回っています。

   昨日の日本全国での新型コロナウィルスの新規感染者数は162人でした。500人を下回りました。

   NHKのニュースサイトによると、新型コロナウィルスの変異株(インド株、デルタ株)の感染力は従来のウィルスの1.95倍になるおそれがあるようです。

   810日の時点で東京都の新型コロナウィルス感染者に占めるインド株(デルタ株)の割合は95%に達しています。東京都の新型コロナウィルスの感染者数の95%がインド株(デルタ株)の感染者になっています。

   日本全体の新型コロナウィルスの感染者数累計は1724577人となり、日本国内の新型コロナウィルス感染者数の累計は170万人を超えています。170万人の大台を超えています。

   日本の人口が12623万人とすると、日本人の約1.3(おおまかに言えば75人に1人ぐらい)が新型コロナウィルスに感染しているようです。

   世界的に見ても27番目に多い感染者数になっているようです。(台湾は16438)

   日本の新型コロナウィルスによる死者数累計は18322人となり、18千人を超えています。

   何度も同じことを書きますが、新型コロナウィルスによる死者数は阪神淡路大震災の死者数(6434人)を大きく上回る死者数になっています。東日本大震災による死者数が約2万2千人(震災関連死含む、ウィキペディアより)だったようですから、東日本大震災の死者数に迫る死者数になっています。本当に長期間にわたる災害のようなもので、長期間にわたり、大きな被害が出ているような状態だと思います。なんとか状況を改善しないと災害のような状況は改善されずに死者数も増えてしまうと思います。なんとか状況が改善されることを祈っています。

   87日の朝日新聞によると、5月は月間最多の2816人の新型コロナウィルスによる死者数で、7月は408人だったと書いてありました。死者数は減少傾向にありワクチンの効果が出ていたようですが、8月の死者数は877人程度のようです。7月より増えているようでした。9月の死者数は1583人程度のようです。10月の死者数は648人程度のようです。

   重症者数は100人です。500人を下回りました。

   727日時点の重症者数が134人だったようですから、約3ヶ月で727日の時点の重症者数を大きく下回ったようです。

   2回目の緊急事態宣言が発令された際は感染拡大第3波になっていたようです。

   東京都では2回目の緊急事態宣言は321日に緊急事態宣言が解除されました。

   3回目の緊急事態宣言は425日から発令されました。感染拡大第4波になっていたようです。

   東京都の3回目の緊急事態宣言は425日から発令されて、620日までの緊急事態宣言でした。

   6月21日からはまんえん防止等重点措置に移行しました。まんえん防止等重点措置は711日まででした。712日から4回目の緊急事態宣言になりました。

   2回目の 緊急事態宣言が発令された頃は 東京都の一日の感染者数が500人程度になったら、緊急事態宣言を解除するとのことでしたが、2回目の緊急事態宣言が解除された頃は東京都の一日の感染者数は300人程度で推移していました。昨日は東京都の感染者数は21人でした。

   4回目の緊急事態宣言は10月1日に解除されましたが、僕は京大の西浦博教授の言っていたように東京都の1日の感染者数が100人を切るまで緊急事態宣言を延長するのが良いと思っていました。できれば東京都の新型コロナウィルス感染症医療アドバイザーの大曲医師の言っていたように東京都の1日の感染者数が1桁になるまで緊急事態宣言を延長するのが良いと思っていました。徹底的に新型コロナウィルスを封じ込めるのが良いと思っていました。可能なら新型コロナウィルスを完璧に封じ込めて、新型コロナウィルスを零封出来るような人が政治のマウンドに上がり政治の世界で登板し、毎日、毎日、全身全霊をかけて全力投球で新型コロナウィルス対策にあたり、台湾のような新型コロナウィルス感染状況になれば良いと思っていました。

   日本全国での新型コロナウィルスのワクチン接種はNHKのサイトによると114日の時点で9774万人が1回目のワクチン接種を終えたようです。日本の全人口の77.18%1回目のワクチン接種を済ましたようです。

    管前首相は、

   海外の例を見てもワクチンを1回接種した人が人口の4割に達したら感染者の減少傾向が明確になる」

    発言しています。

    2回目の接種は114日の時点で9201万人がワクチン接種を終えたようです。日本の全人口の72.66%2回目のワクチン接種を済ましたようです。

   管前首相は813日の会見では、「10月初旬までに国民全員の8割の希望する方に2回打てるような体制を作っている」と述べたようです。

   菅前首相は、10月~11月までにワクチン接種希望者全員にワクチン接種をすると表明しています。

   ワクチン接種により新型コロナウィルスに対する免疫を作り集団免疫(ウイルスや細菌などに対し、人口の一定以上の割合が免疫を持つと、感染者が出てもほかの人への感染が減って流行しなくなる「集団免疫」という状態になるようです。特設サイト新型コロナウィルスNHKより)の状態にして、感染状況を改善しようとしているようです。

   NHKのニュースサイトによると、「集団免疫」の状態にするには、全人口の7090%がワクチン接種により免疫を持つことが必要になるようです。

   729日に、新型コロナ分科会の尾身会長は仮に国民の70%がワクチン接種をしても残りの30%の中で新型コロナが伝播すると述べ、全人口の70%がワクチン接種をしても集団免疫には至らないとの見解を示したようです。

   僕の母は、69日に東京都社会福祉保健医療研修センターで1回目のワクチン接種をしました。副反応はありませんでした。2回目のワクチン接種は630日に同じ東京都社会福祉保健医療研修センターで行いました。ワクチンを注射した場所が痛いと言っていました。少しめまいのような症状もあったようです。2回目のワクチン接種からすでに2週間が経っています。僕の父は、612日に文京シビックセンター、保健サービスセンターで1回目のワクチン接種をしました。ワクチンを注射した場所が痛いと言っていました。2回目のワクチン接種は、73日に同じ文京シビックセンター、保健サービスセンターで行いました。副反応は無いようです。父も2回目のワクチン接種からすでに2週間が経っています。

   僕は統合失調症で精神障害2級の精神障害者なので、基礎疾患者とされるので、高齢者のワクチン接種の後にワクチン接種を受けました。

   僕は基礎疾患を有する人のワクチン早期接種の電子申請を64日にしました。

   618日にワクチン接種券が郵送されてきて、予約サイトでワクチン接種予約をしました.

   僕は、7月7日に、東京都社会福祉保健医療研修センターで1回目のワクチン接種をしました。ファイザーのワクチンです。ワクチンを注射した方の腕が少し痛かったですが、もう痛みはありません。

   2回目のワクチン接種は1回目から3週間後の728日に行いました。東京都社会福祉保健医療研修センターで2回目のワクチン接種をしました。

   ワクチンを接種した方の腕が少し痛かったですが、発熱するなどの症状は出ていません。

   ワクチンを打った医師に聞くと、

   「人によって違うが、ワクチン接種からだいたい2週間で中和抗体が出来る」と仰っていました。

    ワクチンを打った医師を信用すれば、人によって違うようですが、728日から2週間以上経っているので、僕の体の中にも、新型コロナウィルスに対する抗体が出来ているのだと思います。

   日本人の中には日本の新型コロナウィルスの死者数が欧米諸国に比べて少ないことから、日本の新型コロナウィルス対策が欧米諸国にとってお手本になるものだと言っている人もいるようですが、日本が比較するべきなのは欧米諸国ではなく台湾やニュージーランドの新型コロナウィルス感染状況だと僕は思っています。例を挙げれば台湾では16438人です。ニュージーランドでは7456人です。

   僕は新型コロナウィルスの感染状況を欧米諸国と比較するのはやめて、台湾やニュージーランドの新型コロナウィルスの感染状況を見倣って、新型コロナウィルス対策を考えていくのが良いと思っています。同じことを何度も書きますが、僕は東京都一日の感染者数が100人を切るまで緊急事態宣言を続けるのが良いと思っていました。可能なら東京都の1日の感染者数が一桁になるまで緊急事態宣言を続けるのが良いと思っていました。

   何度も同じことを書きますが、多くの人たちは長期間の緊急事態宣言によりお金に困っているのだと思います。管総理は、困窮子育て世帯に子ども一人あたり5万円を給付すると表明したようです。社会福祉協議会で借りられる緊急小口資金については、返済時に住民税が非課税だった世帯は返済を免除すると表明したようです。緊急小口資金などの生活資金の特例貸し付けの総額は1兆円を突破したとのことです。生活困窮世帯には新たな給付金制度を設けて一世帯あたり最大30万円を給付する方向で調整しているようです。先日の報道によると、住民税非課税世帯を対象に110万円の現金給付を検討しているとのことです。衆議院選も終わり、どのような経済政策を行うかが議論され、現金給付についても様々な議論が行われているようです。

 僕は1回目の緊急事態宣言の時と同じように一律10万円の現金給付をした方が良いと思っています。僕は一律10万円の現金給付に賛成です。

   政府は東京都の緊急事態宣言を10月1日に解除しましました。

   昨日の東京都の新型コロナウィルスの感染者数は21人でした。

   僕はこれから東京都の1日の感染者数がどのようになっていくのかにとても関心があります。

   NHKの特設サイト新型コロナウィルスを見ていたら、文京区の新型コロナウィルスの感染数が5322人になっていのたでブログを書いておきます。

   以上、「文京区の新型コロナウィルスの感染者数が5322人になった」

   ブログに載せます