2017年3月31日金曜日

「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

 先日、部屋を掃除していたら、僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、統合失調症(当時は精神分裂病)を発病した当時の状況が書かれている文書が見つかりました。

 病気を発病している時に書かれた文書としてはきちんとした文書だと思ったのでブログに載せてみます。

 タイトルは、「私の病状報告」というタイトルです。

 以下のような文書でした。

 先日はメールありがとう。ドイツでの楽しい生活を知らせてくれて私のうつ気分も少しほぐれました。私の病状を報告することは何かSさんの幸せそうな生活を邪魔するようではばかれるのですが、心配してくれているようなので、正直に報告します。
 2月にSさんが帰国した際に私の家に立ち寄った時の私の状態は最悪でした。精神医学的には一種の幻覚妄想状態のようです。現実と妄想の区別が曖昧になり意識が混迷する状態です。私の場合は何か訳の分からない世界の蟻地獄に落ち、もがいてもそこから出られず、又、もがけばもがくほど妄想が大きくなるような感じでした。実はこのような症状は1月の下旬くらいからありました。その後、何とか生活していましたが219日に本屋さんでバイトをしていた時にお店の人から様子が変だから帰った方がいいと言われ、私も気分が悪かったので実家に帰りました。実家に戻るとほっとしたのか妄想はますますひどくなり、完全な幻覚妄想状態になりました。全ての現象や目に見えるものが妄想と関係しているようでなにかすべてが仕組まれているような感じです。現実的にものを見ることが非常に苦しくなり、仕方なく横になって妄想に精神を委ねました。横になると時間の感覚が変化し過去が圧縮され意識にはっきりといろいろなイメージとして出てきました、そのほとんどが悪いイメージです、また、未来という時間はなく自分の人生とこの一瞬が重なるような感じでこのまま地獄に落ちて死ぬのかと思いました。人生が一瞬、いやこのいやな過去のイメージが凝縮された苦しい一瞬が一生よりも長いような感覚です。とにかく苦しかったので平家物語の冒頭の部分を頭の中でそらんじながら手の脈を計ってまだ生きていることを確認していました。幻覚妄想の内容は長くなるので省きますが、きわめて非現実的なものでした。行動も幻覚妄想に左右されますので奇妙な行動もあり親も発狂したと思ったようでした。両親はこの状態では家に置いておけないと言って医者に行くとメジャートランキライザー(抗精神病薬)を処方されこれを飲んで様子を見てくださいと言われました。コントミンとセレネースという薬で精神分裂病などの急性症状を抑える薬のようです。この薬を飲み始めてから徐々に幻覚妄想は消え回復していきました。
 薬を飲み始めると症状が良くなってきたので36日からパソコンのアルバイトを再開しましたが、書店のバイトはやめることになりました。
 幻覚妄想がおさまってからは非常に気分が落ち込んだ状態で、仕事以外はほとんど家に引きこもり、無気力な状態が続きました。そんな時にSさんのお父さんより電話を頂き、箱根の温泉に連れて行ってもらい、いい気分転換になりました。又、お父さんの研究室で英語の翻訳の仕事をしないかと言われましたが、私にはちょっと難しく、またうつ状態で思考能力が低下していたので、2、3日研究室に通って仕事は断りました。
 また、両親と相談し、アパートを引き払って実家で生活することにしました。実家で生活するようになってから不眠症は徐々に改善されて眠れるようになり、自然に治るだろうと思い、3月下旬ぐらいから薬は全部やめてみました。しかし、これが悪かったのか4月になっても頭痛や無気力感、思考力の低下などのうつ状態はあり、良くならないので5月に入って再び医者に行きました。医者に症状を説明すると今度は前に飲んでいたものとは違う抗うつ薬を処方されました。ルボックスという商品名でフルボキサミンという薬です。通称SSRIといって昨年の5月に厚生省の認可が下りた薬で、新世代抗うつ薬として期待されている薬のようです。その薬を飲むようになってから、以前から続いていた肩凝りや首筋の痛みなどが緩和されるようになりました。又、不安感が軽減され、精神的に余裕が出てきました。精神病の本を読んでみると、うつ症状というのは脳内の物質と深く関係しているようです。脳の神経から神経に信号を送るセロトニンという物質が不足すると、うつ症状は出てくるようで、今回処方されたSSRIはセロトニンを増やす働きがあるようです。ちなみにSSRIとはSelective Serotonin Reputake Inhibitation の訳で日本語では「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」というそうです。ただし完全に治るわけではないようです。
 SSRIを飲み始めて症状がだんだん良くなってきたので、516日から清掃のアルバイトを始めました。朝の8時から12時までの仕事です。朝にやっていたパソコンのバイトは午後からにしてもらいました。ですから、朝の7時ごろに家を出て、帰ってくるのは3時といったところです。清掃のバイトを始めてからまた不眠の症状が出て来たので睡眠薬を飲み始めました。
 最初に書いたような幻覚妄想症状は生まれて初めてだったので非常に不安になり精神医学の本を読み漁りました。精神医学の本を読んでみるとこのような症状は精神分裂病の症状のようで、処方された薬も精神分裂病の治療に使われる薬だったので医者に聞いてみましたが、医者はあなたは客観的な病識もあり一過性の精神分裂病の症状ではないかと答えていました。それでもやはり精神分裂病ではないかと不安になりいろいろと精神医学に関する本を読んでみて最近は病状の短い精神分裂病がみられることや病識のある患者もいることなど書いてあったのでロールシャッハテストという心理テストをしたカウンセラーに聞いてみますと(精神分裂病はロールシャッハテストで診断できると本に書いてあったので質問してみました)上原さんは精神分裂病ではないと言っていました。Sさんと電話で話した時はうつ病だと言いましたが正確には抑うつ状態という、うつの状態ということで精神状態を指しているようです。病名については医者はまだ診断出来ていないのか病名を言うと治療に差し障りがあるのかはっきりしたことは言わないようです。
 しかし、以前に比べると病気の自覚も出てきて、読書も出来るようになり精神的には楽な状態になりました。又、心理的な面とも関係しているようなのでカウンセリングも受け始めました。カウンセラーに聞いてみますと幼児期の問題や吃音の問題などが原因で我慢する癖がついていて、かなり無理をしながら生きてきたようなのでストレスや不安、悩みが多くありそんなに急には良くならないとのことです。私も幻覚妄想状態になり、いろいろ本を読んだりして今の状態は完全に病気なのだと自覚出来ましたので無理をせずに気長に治療していこうと思っています。以上が支離滅裂ですが私の病状報告といったところです。
 Sさんにはいつもいつも心配ばかりかけていて、私も、うちの両親も非常に感謝しています。Sさんが帰国する頃には少しでも症状が改善されるよう努力するつもりです。又、Sさんも良い仕事が見つかるよう家族3人協力しながら頑張って下さい。何か楽しい話でもあったらメールでも下されば幸いです。

522日 東京にて 上原 和明

以上が、「私の病状報告」という文書です。2800文字程度の文書でした。

A4で2枚にまとまっていて、僕から見ても、良く考えながら書いている文書だと思いました。

薬のことを書いている部分は、きちんと本を読んで、自分の飲んでいる薬について調べていると思いました。

当時、医者が、僕に、「あなたは精神分裂病です」と言わなかったのは、今から思うと、病名告知による、ショックによる自傷行為の危険性があり、病名を告げなかったのだと思います。

現在の、主治医の診断書には、きちんと、「統合失調症(精神分裂病)」と病名が書かれています。

その後、自分の病気と向き合い、自分の病気を認めることが出来るようになりましたが、当時は本当にショックでした。

何とか、この年まで生きていますが、自分の考えていることを「銀杏企画三丁目の掲示板」に書き込んだり、2010年からは、Twitterを開設したり、2014年からは、ブログを本格的に書き始めたりして、自分の内面に溜まっているよどみのようなもの(妄想かもしれません)を書き綴っています。

書くことによって、妄想を吐き出すことが出来ているのだと思います。

心の病気と言われる病気になった方々は、自分の考えていること(妄想かもしれません)を文章にしてみる習慣を身に着けるのは良いことだと僕は思っています。

文章にしてみることで、自分の考えもまとまるし、のちのち、自分の文章を読んでみることによって、客観的に自分を見直すことが出来ます。

文学でも、映画でも、絵画でも、音楽でも、写真でも、創作活動の原点になっているものは、自分の内面に存在する妄想のようなものから、偉大な芸術作品と言われる作品が生まれるのだと思います。逆に言ってみれば、妄想無きところに、創作活動は生まれないとも言えるのかもしれません。

自分の妄想を、文字にでも、映画にでも、絵画にでも、音楽にでも、写真にでも託してみることは、自分の内面にある、妄想を吐き出すことになり得ると思います。

自分の妄想を表現する術を持っていない方は、とても苦しむような気がします。

僕は、映画を撮るほどのスキルもないし、絵を描くほどのスキルもないし、音楽を作詞作曲するほどのスキルもないし、一眼レフのカメラで写真を撮影するほどのスキルもありません。

ただ、文章は書いていたことがあったので、文章という形で、自分の内面にある妄想を表現するスキルは少なからずあったようです。

10代の頃から、小説とか読んでいたし、中学校の頃も作文を書いていたし、高校でもバスケットボール部で練習ノートという形で文章を書いていたし、10代の頃から、文章には親しんでいたので、自分の妄想を文章にすることは出来る人間だったのだと思います。

人それぞれ、自分の妄想を、何か形にして表現する術を得れば、心の病気と言われる方々も、精神医学的には妄想観念と言われているものを芸術作品と言われるものにまで昇華させることが出来るかもしれません。

ネットで公開するとパッシングを受けるような表現活動(政治的批判表現活動も含む)、は、身の安全確保のために公開するのは控えた方が良いかもしれませんが、そのような表現活動はネットに公開しなければ良いのだと思います。

以前、心の病気の方々が集まる、本郷の森、銀杏企画三丁目の掲示板で、天皇制に対しての痛烈な批判をしている書き込みがあり、もし、暴力的な右翼勢力が、「銀杏企画三丁目の掲示板」を読んでいたら、何が起きるかと心配に思ったことがありました。

ネットの特性も良く考えて、公開しても大丈夫な、表現行為かを良く考えながら、創作活動をしていけば自分の内面にある、妄想を芸術作品にまで昇華させることが出来ると思うし、自分の内面の妄想を吐き出すことも出来ると思います。

自分の書いた文章なりを読み返してみれば、自分が何を考えているかも分かるし、客観的に自分の妄想を見つめ直すことも出来るかもしれません。

僕がもう、20年近く前に書いていた文章(文書?)をブログに掲載するとともに、文章を書くことによって、心の病気の方々が、自分の病気(妄想)を客観的に見つめ直せることについても書いてみました。

以上、「昔の神田川生活時代の発病当時の様子、私の病状報告」

ブログに載せます。











2017年3月29日水曜日

「DIS(Daily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

DISDaily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

 僕は、神田川生活(一人暮らし)をしていた頃、麹町にある会社に勤務していました。

 ビルのメインテナンスの会社(ビルの清掃をしたり、保守管理をする会社です)に勤務していました。

 僕は勤務していた会社で、コンピュータと向き合って、DISDaily Information Service)というものを作っていました。

 毎朝、朝の7時前に会社に出社して、コンピュータからデータベースにアクセスして新聞記事を収集して、切り貼りして、A44枚の形にまとめて、会社内に配っていました。

 僕が配っていた、A4枚の名前は、DISDaily Information Serviceというものでした。

日本語に訳すと、「毎日の情報の提供」とでも訳すのでしょうか?

DISを作っていた経験から、僕は、新聞記事データベースにおける、情報の取得の仕方について覚えました。

DISDaily Information Service)というくらいですから、情報の塊です。

会社に役に立つような情報を集めて、A44枚にまとめていました。

DISDaily Information Service)を作っていた経験から、新聞記事を始めとする、データベースなどの情報収集のスキルを得ました。

月曜日から土曜日まで、週6で、麹町の会社に通い、コンピュータによるデータベースの検索の仕事をしていました。

日本テレビの前にある会社で、朝は、タレントさんとかが、日本テレビの前を歩いていることもありました。

僕の勤務していた会社は、日本テレビとは対照的にビル清掃の会社で地味な会社でしたが、僕は週6で通っていました。

DISDaily Information Service)の作成の仕事は計7年か8年くらいしていたと思います。

7年間か8年間、ほぼ、休まずに、日曜日以外は、麹町の会社に通ってDISDaily Information Service)を作っていました。

DISDaily Information Service)を作っていた経験から、僕もTwitterから様々な情報を流すことが出来ているのだと思います。

その甲斐もあり、僕の開設しているTwitterにも2000人以上のフォロワーさんがいらします。

地味な仕事をしていても、地味な仕事のスキルを生かせば、これだけ多くのフォロワーさんがついて下さります。

テレビとかの派手な業界で仕事をしなくても、地味な仕事をしていても、仕事のスキルは身に付きます。

多くの方々は、目立つマスコミ業界とかに進み、スポーツ選手とか、芸能人とかタレントさんに会ってみたいとかの動機でマスコミ業界に進む方もいるかと思います。

地味な仕事をしている方々は、地味な会社で、スポーツ選手とも会わずに、芸能人とも会わずに、タレントさんとも会わずに、地味な仕事を地道にしています。

しかしながら、僕のような毎日、毎日、コンピュータと向き合う地味な仕事を長くしていても、これだけ開設しているTwitterにフォロワーさんがついてくださるので、地味な仕事についている方々も、あきらめずに、地味な仕事をこつこつとこなしていかれれば良いと内心思っています。

以上、「DISDaily Information Service デイリーインフォメーションサービス)時代」

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2017年3月28日火曜日

「時間とお金があれば観てみたいと思っている映画」

「時間とお金があれば観てみたいと思っている映画」

 僕は長い間、「東日本大震災関連の書籍」を紹介しています。

 図書館に本はあるので、本は借りれば読むことが出来ます。

 最近、映画を久しぶりに観たいと思うようになりました。

 最近になって、観てみたいと思っている映画は、5本あります。

 「シンゴジラ」「君の名は」「世界で一番美しい村」「息の跡」「新地町の漁師たち」

 の5本です。

 5本とも、震災絡みの映画ですが、観てみたいと思っている映画です。

 5本とも、テレビでは放映していないので、劇場に行って観なければなりませんから、お金がかかります。

 わざわざお金を払ってまで、観る映画かというところが、映画を観る際に重要にもなってくると思います。

 観てみたい映画は多くありますが、上映している劇場とか、上映時間をチェックしなければならずに映画を観るのも大変だというのが本音です。

 特に、「息の跡」「新地町の漁師たち」の2本は、ミニシアターで上映しているようなので、いつからいつまで上映されるのかも、分かりづらいです。

 ネットとか新聞紙上でも取り上げられている映画なので、5本とも観てみたいですが、映画を観る時間、映画を観るお金がかかるので、今のところ、1本も映画を観ていません。

 何とかして映画を観てみたいと思っています。

 DVDとかになれば、自宅でも映画を観られるのですが、わざわざ劇場まで足を運ぶのも大変というのが本音です。

 良質な映画を、時間とお金をなるべくかけずに観る方法があれば良いと思っています。
 
以上、「時間とお金があれば見てみたいと思っている映画」

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2017年3月26日日曜日

「ハナミズキ」

「ハナミズキ」

 一昨日、Googleで、中島みゆきさんの「糸」という歌を検索してYou Tubeで聴いていました。

 「糸」を聴き終わったら、一青窈さんの「ハナミズキ」という歌が見つかりした。

 「ハナミズキ」という歌を聴いてみると、歌詞がとても心に残りました。

 以来、何度も、「ハナミズキ」という歌を聴いてみました。

 歌詞が少し怖い曲です。

「僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと止まりますように」

という部分がとても心に残りました。

ネット(Google)でこの「ハナミズキ」という歌を検索してみると、ウィキペディアにも登場していて、この歌が9.11のテロに対する鎮魂歌(メッセージソング)であったとありました。

何か、この「ハナミズキ」という歌を聴いていると、3.11にも通じる歌だと感じました。

現実に起きてしまうことと、文化としての音楽に見られる歌詞などを研究してみると驚くこともあると思います。

上記の歌詞以外にも、意味がありげな歌詞がありますが、僕が何度も聴いてみたというのは、聴いてみる歌だったのだと思います。

関心のある方がいらしたら聴いてみてください。

You Tubeはこちら

   ↓



以上、「ハナミズキ」

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2017年3月25日土曜日

「東日本大震災関連書籍の紹介サイトを作り始めて3年が経ちました」

「東日本大震災関連書籍の紹介サイトを作り始めて3年が経ちました」

 今日は325日です。

 僕は2014年の325日から、本格的に、文京区立図書館所蔵の「東日本大震災関連書籍」を紹介するためのサイト、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」を作り始めました。

 2014年の325日に初めてアップした、書籍は、

「祈りと希望」 いまこそ私たちは共にある ツイッターに広がった感動の言葉251

 という書籍でした。

 この書籍をアップして以来、今日までに2700冊以上の「東日本大震災関連書籍」をアップしてきました。
 
 販売単価の総額は500万円を超えています。

 マスディアの報道でも、東日本大震災関連の報道は多くなされていますが、マスメディアの報道は一過性の報道が多くて、取材して、新聞なり、テレビなりで流せば消費されるような報道も多いと思います。

 きちんと、取材した対象と長く向き合い、一冊の本になるほどの地道な取材をしている報道は少ないような気もします

 特にテレビ報道に関しては、僕自身がテレビ業界で働いていたこともあり、僕はテレビメディアをあまり信用していません。

 やらせのような取材のやり方もあったし、いわゆる商売としてのテレビ業界は儲かる業界で、視聴者をバカにしているような、番組作りもあったと僕は思っています。

 新聞業界では働いたことがないので、新聞記事の作り方も分かりませんが、新聞記事を読んでいる限りでは、まだ、テレビ番組よりは新聞記事の方が読めるというのが率直な感想です。

 ここ3年くらいで、僕も「東日本大震災関連書籍」を多く読んできましたが、テレビ番組、新聞記事に比べると、本音を書いている本も多くあり、「東日本大震災」=3.11に向き合い、著者の自分の思いを書いている本も多くあり、渾身の思いで書かれている本も多くあると思いました。

 「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」に掲載している、販売単価合計と言う言葉は、何か良く思わない方もいるかと思いますが、本の著者の方々が、丹念に調査や取材をして執筆されている本も多くあり、一冊の本にかかるコストもかなりかかっているので、これだけの販売単価合計になったのだと思います。

 文学賞にも推薦されないし、書店にも置いていないような本も多くあり、いわゆる売れ線の本ではないと思いますが、日本人がこれから先、どう生きていくかの指針が書かれているような本もあり、地味な本も多いですが、大事なことが書かれている本が多いように思います。

 本を読むこと自体が、子供の頃の読書体験から、絵本を読むとか、童話を読むとか、探偵小説を読むとか、冒険小説を読むとか、人それぞれの読書の傾向が出てくると思いますが、「東日本大震災関連」のことは、これから先の日本人が当分忘れることが出来ないような大きな出来事で、「東日本大震災」と向き合っている本は、僕は、紹介する本だと思っています。

 そのような思いから、今日まで3年かけて、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」を作ってきました。

 今日までにアップした本の冊数は、2700冊以上でした。

 これからも、文京区立図書館には、毎月、「東日本大震災関連の本」が所蔵されていくと思うので、アップしていきたいと思っています。

 僕の行っている作業も地味な作業で、赤字は増える一方ですが仕方ありません。

 本音は、金銭的な支援もいただきたいというのが僕の本音ですが、金銭的な支援はいただけないようです。

 何かアルバイトを探して、アルバイトをしながら、今までの赤字を少しづつ、減らしていくしかないようです。

 この3年間は、僕なりに頑張って、「東日本大震災関連書籍の紹介サイト」を作ってきましたが、金銭的なご支援はありませんでした。

 少なくとも早稲田大学探検部関係者で、「原発」に反対している方々からは金銭的なご支援はいただきたかったです。

 とても残念ですが、家計簿の赤字は、「東日本大震災」被災地の方々のため、「反原発」「脱原発」運動をされている方々のために費やした赤字として、回収できなくても仕方のない赤字として考えていこうと思っています。

 この3年間のことを反省して、これからは家計簿の収支が黒字になるような生活をしていきたいと思っています。

 先ずは、今年の家計簿の収支から黒字になるようになんとかしたいと思っています。

以上、「東日本大震災関連書籍の紹介サイトを作り始めて3年が経ちました」

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2017年3月23日木曜日

「ブログのPV(ページビュー)が15万PVを超えていました」

「ブログのPV(ページビュー)が15PVを超えていました」

 今朝、パソコンを立ち上げて、Twitterに来て、ツイートをしてから、自分で開設しているブログのPV(ページビュー数)を確認してみました。

 PV(ページビュー)は15000015万)PVを超えていました。

 昨年の年賀状を作った時は、「ブログのPV12PVを超えました」とのことを書いていたので、約3か月で、3PVくらいあったことになります。

 僕はPV(ページビュー)とは何か良く理解していませんが、ブログへのアクセス数だと思っています。

 アクセス数とは、閲覧数だと思っています。閲覧数がPVだと思っています。

 ブログを本格的に書き始めて、PV15PVを超えていたので、ブログを頑張って書いていて良かったと内心思っています。

 僕のブログは「告発ブログ」でもない、普通のブログです。

 普通のブログだとセンセーショナルなことは書かないし、日々の雑感とかを書く程度です。

 普通のブログは読んでいてもあまりおもしろくないし、PVもあまり稼げないと思いますが、僕はそれで良いと思っています。

 スポーツ新聞の記事とか、週刊誌の記事のような、センセーショナルなことを書こうとしても僕には書けません。

 地味なブログですが、それでも、PV15PVを超えたと思うと、良かったと思っています。

 僕は昔、「銀杏企画三丁目の掲示板」という掲示板に書き込みをしていて、ほとんどアクセスのないような、掲示板に必死に書き込みをしていました。

 自分で、個人的にTwitterを開設して、ブログを作れば、3年間で、これだけのPVがあります。

 「銀杏企画三丁目の掲示板」は制約が多く、自分の思っていることをきちんと書けないようなネット掲示板でした。

 「銀杏企画三丁目の掲示板」を早々に卒業して良かったと内心思っています。

 自分にあった「ネット掲示板」なりを訪問しないと、個人の能力が生かされないし、個人の能力を発揮させることを阻まれることもあるかと思います。

 横並びの組織というのは、一見、平等のように見えて、個人の可能性を潰してしまうこともあるかと思います。

 個人の可能性を生かすためには、Twitterを開設するなり、ブログを作るなりして、自分の可能性を最大限に発揮する環境を見つけることも必要なことになってくると思います。

 今朝、ブログのPVを見ていたら、15PVを超えていたので、切りの良いPV数だったので、個人でブログを書くことについて考えてみました。

 以上、「ブログのPV(ページビュー)が15PVを超えていました」

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