2022年7月31日日曜日

「7月は1日平均8323歩歩いていたようだ」

 「7月は1日平均8323歩歩いていたようだ」

   スマホの万歩計を確認していたら、僕は、7月は1日平均、8323歩歩いていたようです。

   僕は1日8千歩歩くことを目標に歩いているので、目標は達成しました。

   以前は1日平均9千歩以上歩いていましたが、少し歩く歩数が減ってしまっているようです。

   長期間のコロナ禍と7月の猛暑で慢性的な運動不足で、体調が悪いので、少しずつでも歩く歩数を増やしていきたいと思っています。猛暑で不要な外出は控えて下さいと言っていますが、少しでも涼しい時間帯に散歩して歩く歩数を増やしたいと思っています。

   こらからも少しずつ、歩く歩数を増やしていこうと思っています。

   出来れば11万歩を目標にしていきたいと思っています。

    毎月、毎月、 同じようなことを書いていますが、7月は1日平均8323歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

    以上、「7月は1日平均8323歩歩いていたようだ」

     ブログに載せます。

2022年7月16日土曜日

「山上徹也はカイラス巡礼をしていれば銃殺などと言う愚かな行為はしなかったと思う」

「山上徹也はカイラス巡礼をしていれば銃殺などと言う愚かな行為はしなかったと思う」 

 78日に、安倍元首相が奈良県の大和西大寺駅の近くで、銃で撃たれて暗殺されるという日本中を震撼させる事件が起きました。

 安倍元首相を暗殺したのは、山上徹也という人物で報道を見ていると、韓国発祥のキリスト教系の宗教団体、統一教会に恨みがあり、安倍元首相を銃殺したようです。 

 僕もテレビ、新聞、ネットで、安倍元首相暗殺事件に関する報道を見ていて、安倍元首相を銃殺した山上徹也に感情移入している記事なども多くあり、僕はネットも含めた報道に大きな違和感を覚えています。

動機は何であれ、他人を殺(あや)めるなどと言う行為を正当化しているようで、僕はネットも含めた報道に大きな違和感を覚えています。 

僕はこのような異様で、物騒で、日本国民全員を恐怖感に陥れ、震え上がらせるような事件に直面して、事件を起こした山上徹也はカイラス巡礼をしていればこのような事件は起こさなかっただろうと思いました。

カイラス山の麓を歩く巡礼路は、標高5630メートルのドルマラ峠を最高点に本当に苦行をするような道で、生きるということは苦であることを教えてくれます。

もし事件を起こした山上徹也が生きるということが苦であることを悟っていれば、標的は誰であれ、他人を殺(あや)めるというような愚かな行為は犯さなかったと僕は思います。

人生が楽しい人間などいるのでしょうか?

世の中で生きている多くの人々は、日々多くの苦しみに直面しながらも、自らの心と体を鍛えて、苦しみや悲しみに満ち溢れた世の中で生きているのだと僕は思っています。

他人を恨む気持ち、憎む気持ち、嫉妬する気持ちのある人間も世には多くいると思います。

人間だからささいなことからいさかいが起きて、他人を恨み、憎み、時には殺してやりたいという気持ちになることもあると思います。

 僕は他人を恨み、憎む気持ちもまた苦であると思っています。

生きるということは苦です。

苦しみを乗り越えるためには、自分自身で心を鍛えて、苦を乗り越える心になれるように日々精進しなければならないと思います。

僕は安倍元首相を銃殺した山上徹也は、チベットにある聖山カイラス巡礼をしていれば良かったと思っています。

もし山上徹也がカイラス巡礼をしていれば、安倍元首相銃殺などという愚かな行為は犯さなかったと僕は思っています。

世界でも稀な未踏峰で聖なる山とされるカイラスの巡礼路52キロを歩く経験をしていれば生きるということは苦であることを多少なりとも悟っていたと僕は思っています。

以上、「山上徹也はカイラス巡礼をしていれば銃殺などと言う愚かな行為はしなかったと思う」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


2022年7月6日水曜日

「八尋さんから2011年1月30日のメールのやり取り」

 「八尋さんから2011130日のメールのやり取り」

  2011130日のメールを見直していたら早稲田大学探検部34期だった故八尋陽一郎君のお墓参りについてのメールのやり取りがありました。

  早稲田大学探検部関係者の厚い友情を感じさせるメールのやり取りなのでブログに載せたいと思います。

 2011130日に僕のールアドレスに届いた早稲田大学探検部32期OB吉澤基勝さんからのメールは以下です。

  このあいだの正木一家のNHK出演の件で、早朝から八尋さんに電話して伝えたにもかかわらず、結局7時台にはさすがに3回目の使い回し(再放送)はなく、お騒がせしましたと手紙を出したところ、八尋さんの奥さんから返事をもらいました。「すぐにTVをつけてずっと視聴しておりましたが、それらしい方は映らなかったので、再放送はなかったのだと思ってはおりました」「正木さんもお元気でご活躍とうかがっただけでも充分うれしいニュースでした」

  また、上原さん、高橋さんにもお礼をお伝えいただければ幸いです、とのことですので、お伝えしておきます。昨年末にふたりがお墓参りに行ったと書いたのですが、「水仙二輪がまだ新しい風情でしたので、どなたか訪ねてくださったのでは、と二人で話しておりました」「二十数年経ってもお忘れなくお心にかけていただき、探検部の皆様のお優しさ、友情の深さに改めて心から御礼を申し上げます」「どうかくれぐれもよろしくお伝えくださいますよう」とのことです。

  八尋さんは新年は無事に迎えられたそうですが、急なめまいと吐き気に襲われ、横になっている日が多いそうです。昨年秋山と一緒に遊びに行ったときも、体調のすぐれないときが多いとおっしゃっていましたが、特にこの寒さは体に障るのではないかと思います。早く回復され、また誰かと一緒にお酒を飲みに行ければと願っています。

 それでは。吉澤

 このメールに対する早稲田大学探検部34OBの四倉幹木からの返信は以下です。

 えっ、正木NHKに出演したんですか?何の件で?見た~い。だれかYou tubeにでもアップしてください。

 マニラ四倉

 このメールに対する早稲田大学探検部32OB吉澤基勝さんからの返信は以下です。

  ははは、本人は照れるだろうから代わりに言うと、1月13日(木)の全国版ニュース「おはようニッポン」の中で出ていました。早起きは三文の徳(得)というもので、ぼくは出勤前の5時台に見て、おおっと思い、6時台にも再放送がありました。何分いや何秒くらいだったかな。でもちゃんと正木の自宅で奥さんと二人のお嬢さんと一緒に撮られた映像で、名前も出ていました。残念ながら録画はしませんでした。うちはまだテレビもビデオもアナログだし。吉澤

 このメールに対する僕らの返信は以下です。

 吉沢さま、及び皆さま

 ご無沙汰してます、上原です。吉沢さんメール下さり、ありがとうございます。

先日は高橋宏治と鎌倉の衣張山に行き、その帰りに材木座の光明寺に赴き八尋の墓参りに行って参りました。

20年ぶり位でしたが、私が場所も覚えていて高橋宏治が気を利かして水仙を差してくれました。

私は現在失業中で、八尋に顔向けできるような状態ではないのですが、偶然鎌倉に行ったので光明寺のことも思い出し、

高橋宏治と二人で八尋の墓参りに行って参りました。

八尋の墓は鎌倉第一中学の目の前の明るい場所で、八尋も寂しくないと思いました。

現在でも八尋のご両親と連絡を取っていらっしゃる吉沢さんには本当に頭が下がります。

四倉のメールにあるように、誰でも見られるようにYou Tubeにアップしてくれれば本当に面白いと思います。

八尋のお父様の具合が心配ですが。

皆さまにおかれましても、お体気を付けてお仕事なさって下さい。

 上原 

 このメールに対する吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

 追伸

  正木一家が出たのは、まちかど情報室という、生活情報を紹介するコーナーで、たしかその日は鍋物をおいしく食べるというテーマでした。湯豆腐なんて、マニラではあまり縁がないでしょ。

  ふと思ったのですが、昨年は八尋陽一郎の23回忌だったのではないでしょうか。そしてご両親は今もよくお墓を訪れているものと思いました。

 吉澤

 上原さま

  ちょうどメールが行き違いになってしまいましたね。先に貴兄に断りもなく八尋さんに二人の墓参のことを報告してしまい申し訳ありませんでしたが、先にお伝えしたとおり感謝とくれぐれもよろしくとのことですので、ご了承ください。

 当時の探検部というのはいまだに特別であることは皆同じではないかと思ってます。吉澤

 このメールに対する早稲田大学探検部34OBの秋山基からの返信は以下のようなものでした。

 秋山でーす。

そうですか、正木一家が「まちかど情報室」に出ていたのですか。

あのコーナーは7時台にもやっていて、

その頃僕はいつも歯を磨いています。

見損なった!

 このメールに対する早稲田大学探検部34OB四倉幹木からの返信は以下のようなものでした。

 すげー、探検部創部以来の快挙ですね!

にしても、みなさん早起きなんですね-。びっくりしました。

マニラでも一応NHKは普通に見られるけれど、自分が朝が弱い上に日本より時差で1時間遅いので、その番組の時間はまだ寝てます。

正木一家が出たのだけ見たかったなー。

 マニラでは確かに湯豆腐しないですねー。豆腐売ってるんですが、ちょっと酸味があって、日本人からすると「傷んでじゃねえの?」って代物だし。

今ごろは涼しいけれど、さすがに長袖着るほどじゃないので。

 正木さんは録画してるはずなので、ぜひ動画を公開してください!

 四倉

 このメールに対する早稲田大学探検部34OBの正木敬夫からの返信は以下のようなものでした。

 正木です。おはよう日本に一瞬出たの件、四倉ご所望の動画はさすがにあれですし、

概要が紹介されてるブログ見つけたんでこれで許してください。Mさんは私。

http://uta6on.blog33.fc2.com/blog-date-20110113.html

 四倉んちの豆腐が酸っぱいなら、紙パック入りの「四季豆腐」などが手に入ればいいと思います。

180日持つし味が濃くうまい。海外の日系スーパーでも売ってた。

 NHKっていえば、BIZスポっていう夜のニュース、ここ半年ぐらいか、たまに見てるんだけど、

23日前突然キャスター(サザエさんみたいな頭の女の人)が高校の同級生だと気づいた。

まあ同じクラスなの1年のときだけだし、髪型も体型もぜんぜん変わってるんで気づかなかったのもしょうがないけど。

先週のちょっとしたアハ体験でした。

 八尋の墓、上原さんのメールで行き方が大体理解できたので、暖かくなったら遊びがてら行こうかな。

昔、四倉と行って以来、場所を忘れてしまい、いつもそばを通りながらもスルーしてたので。

皆さん行かれることがあれば、ぜひ私も誘ってください。

 このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

 正木さま、皆さま

 上原です。リハビリから帰宅しました。

正木さんのメールを拝見しました。

八尋のお墓参り機会があれば、皆で行きましょう。

八尋も嬉しいでしょう。

私は現在、リハビリ中でセッティング能力がないので、

どなたかセッティングして下さいませんか。光明寺の案内は

http://bit.ly/h9Q7HR

です。八尋のお墓の場所は私が覚えてます。

明日から2月です。春も近い事ですし、暖かくなったら皆で鎌倉に行くとともに、光明寺にも行きませんか?

相模湾が見えますよ。

失業中の身分で皆さまのお役に立つことは何もなく大変恐縮ですが、

早春、八尋のお墓参りを兼ねた鎌倉散策の提案致します。

 上原

 このメールに対する早稲田大学探検部34OBの四倉幹木からの返信は以下のようなものでした。

 正木さんありがとう。

みなさん八尋のお墓参りに行ったら、私もよろしく言ってたと伝えて下さい。

四倉

 このメールに対する早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

  NHKbizスポのキャスターって、飯田キャスターのことかい?彼女のどこがサザエさんみないな頭なのか、それに髪型も体型も変わっているとうは想像がつかないのだけど。キャスターになる前、特派員でワシントンかロンドンかにいたんじゃないの。英語がうまいけど、帰国子女?すごく頭がよさそうだけど、嫌味がなくて、いい感じ。独身ではないのかな。

 このメールに対する早稲田大学探検部33OBの高橋宏治からの返信は以下のようなものでした。

  高橋です おひさしぶり。

  墓参の件、八尋さんのお墓のことは自分はまったく忘れていましたが、鎌倉駅にて上どんが教えてくれました。

 それも、「山上で中学校に近い、さらにはちょっと上にお偉いさんのお墓があった」などというように、

まるで1週間前に来たかのように正確で、現場付近ではスルスルと辿りつきました。

水仙と、線香代わりのタバコをささげたのも上どんの所為と思います。(自分は1ヶ月前のことだというのに忘れがちです。)

 今月は中旬に大菩薩峠をめざします。あそこは平君との思い出の地。

去年の今頃みまかった河合君と上どんと、墓参した記憶があります。

上どんには探検部(同時代)の語り部になってほしいと思います。

さて、正木さん出演の件、本人の遠慮にかかわらず KYでごめんですがアップしてみました。

だっておじょうさんたち可愛いじゃん。

http://www.youtube.com/watch?v=gBV2peoxGVw

このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

高橋さま、皆さま

今晩は、上原です。

宏治のメールにあるように、私が探検部に貢献できることは、過去の私の探検部時代の語り部で十分ですがその資格もあるか分かりません。。宏治は中旬に大菩薩ですか?平に宜しくお伝え下さい。

高橋宏治からは、平の遺稿文集「遥かなる旅路」送って頂き平の文才に大変感銘を受けています。

現在の状況からは皆さんにお見せする顔もありませんが、地味に生きております。

働いていらっしゃる皆さんにメールをするのは少々憚られますが、探検部関係者(私の面識のある)のメールにはきちんと返信したいと思っております。

根暗なメールで気分が落ち込む方もいらっしゃるのが心配ですが、皆さまお仕事お疲れ様でした。

明日もお仕事かと存じますが季節の変わり目、お体気を付けて生活なさって下さい。

 上原

 このメールに対する早稲田大学探検部34OBの四倉幹木からの返信は以下のようなものでした。

 おおーっ!高橋さん、うぷおつでございます!

やや緊張気味のせいか正木がいい男に映っている!

家も新しそうで、きれいで広そうだし、お嬢ちゃん2人はかわいいし、絵に描いたような幸せなご一家ぶりを見せ付けられました。

高橋さん、ありがとうございました。

 四倉拝

 以上のようなメールのやり取りを2011130日にしていました。

 早稲田大学探検部在籍中に交通事故で亡くなった早稲田大学探検部34期だった故八尋陽一郎君のお墓参りに行ったことに関してメールのやり取りをしていました。

 早稲田大学探検部関係者の厚い友情を感じさせるメールのやり取りだと思うのでブログに載せます。

 以上、「八尋さんから2011130日のメールのやり取り」

 ブログに載せます。

 

 

 

2022年7月5日火曜日

「2009年8月23日の小竹聡君に関してのメールのやり取り」

 「2009823日の小竹聡君に関してのメールのやり取り」

 2009823日のメールを見直していたら、早稲田大学探検部34OBの小竹聡君に関してのメールのやり取りがありました。

 早稲田大学探検部の後輩を気遣うメールのやり取りで、これから先、早稲田大学探検部関係者が心を病んでしまった際に参考になるメールのやり取りだと思うのでブログに載せたいと思います。

 2009823日に僕のメールアドレスに早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんから届いたメールは以下のようなものでした。

  件名 Re: 14日探検部-小竹聡君

 小竹聡からすぐに返事が届き、明らかに様子がおかしいので昨日電話したところ、お母さんが出て、案の定の状況のようでした。と、このメールを書きかけた時に、小竹から携帯に電話があり(さきほど朝7時半前)、少し話しました。実家で親と暮らしている、秋吉台の傍で涼しい、仕事がない、山口に来る機会はありませんか、迎えに行きます、・・・、声は普通でした。

 私信なので、ちょっと迷いましたが、小生の他にも久しぶりに突然彼から手紙が届いた人がいるようなので、添付します。番地はないのか?でも、記載の住所で届きます。不安定で、おそらく寂しいのでしょう。連絡してあげたら喜ぶと思います。

 吉澤

 このメールに対する僕からのメールの返信は以下のようなものでした。

 吉澤様、各位

 今晩は、上原です。

小竹君の状況、探検部の同期の人間に、メールして知恵を借りました。

松田和郎からのメールが一番、現実的だったので、下記に携帯でのメール記します。

 上どんへ

 吉澤さんのメールに添付されていた手紙だけからでは何ともはっきりしたことは分かりません。吉澤さんの「案の定」というニュアンス等からして、もし心の病気だと仮定すれば、統合失調症(妄想型)を疑います(確実なことは分かりません)。

 吉澤さんの電話に対するお母さんの応対ぶりから察するに、おそらく、実家の方ではすでに病院に通院させていて、診断もついているものと僕は予想しています。

 もし、そうだとすれば、我々探検部関係者にできることは、友人として彼を支えることが一番大切かと思います。

 僕は小竹君とはほとんど入れ違いで、山などに一緒に行ったこともないのですが、探検部では誰が比較的親しかったのでしょうか。

 もし可能なら会いに行ってあげられるとよいと思います。

 松田

  以上、松田和郎からのメールです。医学をきちんと専攻しているワコトだけに、信頼性があります。

  私も統合失調症ですが、自分で、心の病気だという認識が全くありませんでした。

 現実を正しく、認識できないのです。

  誰かに助けを求めたいと思っていたこともありましたが、なかなか、自分から、状況を説明することが出来ませんでした。

  私は、幻覚を見てから、自分が精神分裂病(統合失調症)だということが、分かり、物凄い、ショックを受けました。

  自分が人間ではないような気がして、もう、探検部の人間とも、縁も切れたと思いました。

  小竹君が、自分の現状にどんな認識を持っているのか是非知りたいですが、今では、私も仕事を持ち、山口県まで出向く時間がありません。

  無責任ですが、どなたか(一人では不安だと思うので、2人以上で)小竹君の話を聞いてあげるのが良いような気がします。

  小竹君の問題は、自分の過去の問題と似ているような気がするので、他人事とは思えません。

 皆で、知恵を出し合うのが良いと思いますが、どうでしょうか?

 上原

  このメールに対する早稲田大学探検部33OBの森山憲一からのメールは以下のようなものでした。

  小竹か。

  山口の実家に引っ込んでいるとは前から聞いていたけど、こんな状況とは。

  そういえば清水博之・浩と僕で、吉野川下ってて死にかけたことがあった。それ以来、小竹はあまり部に顔を出さなくなってしまったけど、ヤツは覚えているだろうか。

  森山

  このメールに対する早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

  上原殿、和郎殿、皆さん

   メールありがとうございます。確かに断定的なことは言えないので、再度確認してみますが、先日小竹のお母さんと話したときは、こちらから「小竹君から久しぶりに突然手紙をもらいましたが、どうも疲れているようで、気がかりなので電話しました。やはり、そうなのでしょうか?」という問いに対し、「ええ、そうなんです」と答えで、お互い明確なやりとりではありませんでしたが、手紙の内容にしろ、朝7時すぎに電話がかかってくることなどからして、決して普通ではなく、SOSを発しているような気さえしています。

  一昨日また手紙が来ました。写真も同封されていて、添付します。当方からは「僕も体調管理に気をつけ、早寝早起きを心がけている。山口は遠いので、なかなか行けそうにないが、行く機会があったら連絡します」という旨の2度目の返事を葉書で出したのですが、このようにすぐに返事が来るのです。この手紙だけを見ると、あまりおかしな感じを受けないかもしれませんが、やはり普通ではないと思われます。

  みんな自分のことでいっぱいいっぱいで、余裕がないと思います(小生もです)が、一緒に山に登ったり、川を下ったり、探検した仲間ですし、人との繋がりが確認したくて突然連絡してきているものと思いますので、気にかけて手紙でも出してあげたらよいものと思います。まちがいなく覚えていることと思います。もしかしたら素気無い返事が来るかもしれませんが。

 それではまた。吉澤

 このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

 吉澤様、皆様

  今晩は、お世話になっています、上原です。

  吉澤さん、小竹君のことで心労もあると思いますが、大丈夫ですか?

  先ずは、ご自分の健康第一、余裕が出来たら、他人の心配もした方が良いと思います。

  吉澤さんの仰る、探検部で一緒に山に登ったり、川を下ったりした仲間というのは、本当にそうだと思います。

  探検部の関係は濃密で、充実した学生時代を過ごせる、いい場だったと思います。

  私は精神疾患(統合失調症)に罹っても、連絡をくれる桜井や、ワコトがいて、精神的にかなり、助けられてます。

  小竹君の手紙を読むと、やはり、現実をきちんと認識できていないような気がします。

  ワコトのメールのように、きちんと、病院に行っているのか、自分が精神を病んでいることを認識しているか、

  小竹君自身が自分ときちんと向き合う必要があると思います。

  この作業は、物凄い労力を使い、消耗する行為ですが、きちんとした道に小竹君を戻すには、ある程度の消耗は必要だと思います。

  気長に、私達も微力ながら協力してあげて、小竹君の疲れた心を徐々に回復させれあげるのが良いと思います。

  探検とは自分との闘いの側面もあります。

  自分の内面ときちんと対峙することも一種の探検です。

  小竹君が、自分のこれまで歩んできた道をきちんと話せるような、状況を作ってあげたいと思いますが、如何でしょうか?

  皆さん、お仕事忙しいと思いますが、知恵を出し合いましょう。

 上原

  このメールに対する早稲田大学探検部32OBの吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

  ご心配ありがとう。ぼくは全然大丈夫です。今日も朝から気分爽快、って言うほどではないけれど、まあそれなりに。それにしても上ドンは優しいな。

  できることは限られるかもしれませんが、これも何かの縁ですし、できることはやりましょう。今回みんなが集まったときに小竹から連絡があったのは本当に偶然だったようなので。

 吉澤

  このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

  吉澤様、皆様

  今、吉澤さんから、メールが来ました。小竹君の家に電話をしてくださったそうです。

  残念ながら、留守だったようですが、又、お電話して下さるそうです。

  今朝は、桜井からもメールが来ました。皆、多忙な中、小竹君のことを気にかけています。

  小竹君は、私たちの一つ下の代で、年齢は私達より上で、なかなか、コミュニケーションも取りづらい面もありました。

  小竹君が、探検部の現役時代にどんな活動をしていたか、先日探検部OB会より活動記録が届いてますので、

 添付して、皆様にメール致します。

 一緒に活動しても忘れてしまった方も沢山いらっしゃると思います。

  当時を思い出して、小竹君のことを時間をかけて、考えて行くのが良いと思いますが如何でしょうか?

 上原

  このメールに対する早稲田大学探検部33OBの森山憲一からの返信は以下のようなものでした。

 > 小竹君は、私たちの一つ下の代で、年齢は私達より上で、なかなか、コミュニケーションも取りづらい面もありました。

 そういえばそうだった。ひとつ下の代だったね。

 秋山あたりがそこそこ親しくしていたような覚えがあるけど、どうなんだろう。

 森山

  このメールに対する早稲田大学探検部34OB秋山基からの返信は以下のようなものでした。

  秋山です。

 森山さん、久しぶり。

  小竹君は学年は上ですが、探検部年次では私たちの同期です。

 また私は彼とは同郷だったこともあり、わりあいよく話していました。

  私が三年だったか、もう四年になっていた頃か、

 小竹君は夕方、部室にぶらっと入ってきて、

 「親が『もう帰ってこい』と言うから、これから山口に帰らなくてはならん」と言

い、

 「大学ももうやめる」と言って、確かその足で帰郷しました。

 彼は留年もしていて、たぶん退学手続きをとったのだろうと思いますが、

 そのときの様子は残念そうでもあり、不本意な境遇に幾分いらだっているようでもあ

りました。

 そういうふうにして田舎に帰ったことと、今の彼の状態に関係があるのかどうかは定

かでないし、

 あまり決めつけるのはよくないでしょうけれど、

 彼の学生生活の終え方、東京の去り方は、そういうものでした。

  このメールに対する早稲田大学探検部32OB吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

 諸兄へ

  先ほど小竹のお母さんと10分ほど電話で話しました。夕べ電話したときはお父さんが出て、すぐに聡君に代わってしまったので、確認できませんでしたが、今朝お母さんから聞いた話では、やはり長い間精神的な疾患で、病院に通っているそうです。でもよくなってきたので、この春に薬を変えたところ、それからまた不安定になり、しばらく様子を見ることにしているそうで、そっとしておいた方がいいと思っておられるそうです。これまで本は沢山読んで、探検部の先輩の本(高野さんの本でしょう)も読んでいるそうですが、このところ本も新聞もほとんど読んでいないというか、読めない状況だそうです。

  病名は上原のメールに書いてあったようなものだそうです。聡君は行動的な症状ということで、日中もほとんど外に出ているそうですが、いざこざを起こすようなことはなく、家でも穏やかだそうです。たしかに本人と電話で話すと声の調子は落ち着いていて、ふつうです。

  突然手紙を出したり、探検部のことは懐かしがっています、当面様子見ということで、変なことを言っても聞き流してくださいね、と仰るので、了解しました。そして、会いに行くことはまだ見合わせた方がよいようです。

  上原どの

  昔の貴重な記録をありがとう。小竹や山田博英らと一緒に雪山に行ったことは覚えていて、小竹への最初の返事に書いたのですが、おかげで、それが20年前(1989年)の4月だったことが分かりました。無理な行程を組んで、たしか夜に荒川三山の稜線を歩いたのでした。

  吉澤

  このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

 吉澤様、秋山様、探検部の皆様

 お世話になっております、上原です。

 秋山様、探検部の小竹君の去り際の様子、初めて知りました。

本人の気持ちは存知かねますが、かなり不本意な辞め方だったのでしょう。

 力になれなかった、私たちも、残念です。

 秋山様と同郷ということで、話し易かったのでかもしれません。

  吉澤様、何度も小竹君と連絡を取ってくださり、お疲れ様です。

 小竹君の様子が大分分かったので、これで、対処法も明確になってきたと思います。

 新聞や本を読めないという状況は、私にも病気の過程で沢山ありました。

 脳のセロトニンという、伝達物質が不足すると、抑うつ脳という状態になり、脳の働きが著しく、落ちます。

 ただ、小竹君は、活字を読めない分、外に出て、運動をしようとしているので、前向きだと思い、いい傾向だと思います。

  専門的なことはワコトが一番知っていると思いますが、私の経験では、疲れた心を少しでも癒してくれるのは、音楽だったり、

 運動だったりしました。

 自然と触れ合うことも大変、重要なことだと思います。

 外部からの刺激がないと、どんどん、具合が悪くなってしまいます。

 ただ、本人が余り人と会いたくないというなら、本人の意思を尊重したほうが 良いと思います。

 手紙を書いてあげたり、電話をしたりするのは、とても良いことだと思います。

 心の中は多分、孤独だと思うので、探検部のことを懐かしがっているのなら、探検部で親しかった人間から手紙や電話が来るのは、

 本人にとって嬉しいでしょう。

  小竹君が私と同じような精神疾患なら、以前、具合が悪かったときに松田和郎からアドバイスのメールを頂いたので、

 メールの内容、添付してお送りします。

  微力ながら、同じような境遇のようなので、力になりたいです。

 上原

  このメールに対する早稲田大学探検部32OB吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

  おはようございます。上ドン、メールありがとう。

 世間のことはともかく、小竹のことですが、本人が会いたくないとは言っておらず、逆に会いたいと書いたり、いつ山口に来てくれますかと言ったりしているのですが、お母さんがしばらくそっとしておいてほしいと言っています。貴兄の言うとおり、まずは手紙や電話で連絡をとるのがよいように思います。仕事をしていないということにかなり焦りを感じているようですし、もちろん寂しいものと思います。

 ではまた。吉澤

  このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

  吉澤様、皆様

  お世話になります。上原です。

 吉澤さん、小竹君の様子、度々、教えて下さり、ありがとうございます。

 小竹君の気持ちと、親御さんの気持ちですが、お母様が一番身近にいらっしゃるので、客観的に小竹君のことを見ていらっしゃると思います。

 小竹君が探検部の人間と会いたいという気持ちは、私も何となく分かります。

 本当に探検部が懐かしいのでしょう。

 ただ、吉澤さんや他の皆さんも働いていらっしゃるので、なかなか、時間を取れないと思います。

  私も、精神疾患ですが、なかなか、厄介な病気で、回復するまでには、時間が必要です。

 時間だけが解決してくれる問題ではありませんが、焦らず、「ボチボチ」やっていくくらいのゆとりがないと、病気が悪化してしまう恐れがあります。

  小竹の現在の状況からは、なかなか、すぐに職に就くのは難しいような気がします。

 松田和郎のメールにもありましたが、お金だけを稼ぐ行為だけではなく、誰かの役に立つようなことを自分から見つけてすれば、

 それなりの充実感も沸くとような気がします。

  私も、小竹に電話で連絡取りたいですが、何せ、口下手なので、何をどう話せば良いのか分かりません。

 というわけで、吉澤さん、今度小竹に電話するときは「上原って覚えてる?あいつも10年以上、心の病気だよ」

 とでもお伝え願えないでしょうか?

  小竹が親近感を覚えてくれれば、、出来る範囲で、私から、電話をしたり、手紙を書いたりしたいと思います。

 他にも、秋山様など、小竹と仲が良かったようなので、連絡をとってあげたら如何でしょうか?

 森山も、信頼できる先輩だったと思うので、連絡とってあげれば如何でしょうか?

  心の病気にかかると、「誰も自分のことをわかってくれない」、などという閉鎖的な気持ちを持ちがちです。

 仲間がいるというだけで、心の支えになるのは間違いないです。

  皆さん、本当にご多忙だと思いますが、少しの時間をとって、小竹のこと考えてあげると、

 小竹も徐々にいい方向に向かうと思います。

  度々言いますが、以前の私の状況に似ているので、微力ながら、何とかしてあげたいです。

  吉澤さんが、これだけ、いろいろと尽力されているので、協力できることはしたいです。

  長くなるのでこの辺にしておきます。それでは、お休みなさい。

  上原

  このメールに対する早稲田大学探検部32OB吉澤基勝さんからの返信は以下のようなものでした。

  了解しました。上原のメールと言い、和郎のアドバイスといい、ためになります。非常に勉強になります。心の病になる人は会社でも身の回りにいて、復帰できた人も、辞めてしまった人もいますが、回りから見えにくいし、どうすればいいのか難しいです。社会的には以前より随分理解が深まっているとはいえ、いつ誰がなってもおかしくないし、上原の話は大変貴重です。でも上ドン、あんまり心配しすぎないでください。

  今日は京浜東北線の試運転に添乗して、今、浦和電車区で手持ち無沙汰なので(新車の受渡しなので契約担当者として来てますが、事務屋の私がいても所詮できることはほとんどないので)、これを書いています。在来線、新幹線、機関車などを納めていて、皆さん(あるいは子供)の中には好きな人もいるかと思いますが、小生は仕事です。

 それでは。吉澤

  このメールに対する早稲田大学探検部34OG浅井美香からの返信は以下のようなものでした。

 上原さん、

  お久しぶりです。メールを拝見しました。

 相変わらず上原さんや吉澤さんたち皆さん、優しいですね。本当に感動してしまいます。

  上原さんはどうしていらっしゃるかなとときどき思います。でも、メールから察する限り、

 お元気そうでほっとしました。上原さんには在学中にも大変お世話になりましたが、

 こうして卒業してまたいろいろお伺いすることができて本当に参考になります。

  小竹さんからは私もかなり前に葉書を頂いて、お返事を出しましたが、

 また出してみようと思います。こうして離れていると出来ることは限られていますが、

  出来ることだけでもやってみるしかないです。

  学生時代に一緒に過ごした人たちが辛い目に遭っていると聞くのは辛いです。

 上原さんもずっと大変な日々を過ごしてこられたのだと思います。こうして

 上原さんのメールを読むと上原さんの精神力の強さに改めて畏敬の念を感じます。

 私もいろいろありましたが、こういう上原さんの強い気持ちを考えるととても励まされ

  ます。上原さんもこれからまた辛いことがあったら、いつでも相談してください。

 何をすればいいのかわからないことも多いけれど・・。

  とりとめのないメールですが、上原さんにとてつもない力を感じてしまったので。

  浅井美香

  早稲田大学探検部32OB吉澤基勝さんにも早稲田大学探検部34OG浅井美香からメールが届いたようです。以下のようなメールが届いたようです。

  吉澤さん、

  再送、どうもありがとうございました。

 上原さんや吉澤さんのメールを読んでいて、つくづく

 探検部でよかったと思いました。このような諸兄にめぐまれたことは幸せです。

 ぜひ小竹さんにも早く良くなってほしいです。体の健康も大切ですが、精神の

 健康も大切ですね。自らを省みる思いです。

  浅井美香

  このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。

  浅井さん

  浅井さん、メールのやりとり、読んで頂きありがとうございます。

 小竹君のことを気遣う気持ちは、浅井さんも立派だと思います。

 私の方こそ、浅井さんには在学中お世話になりました。

 探検部は先輩、後輩ありますが、学ぶ部分は、上下関係だけでなく、先輩からもあれば、後輩からもあります。

 浅井さんは、私にとっては後輩ですが、学ぶ部分が多くありました。

 世話をするとか、面倒を見るとかはただの上下関係で、本質的に学ぶ部分は、年齢を超えた人間の姿で、

 私も、先輩方、後輩方から多くのことを学べました。

 いい意味で探検部は自由で、様々な人間が集まり、学び合える良い場だったと思ってます。

  今の私は、浅井さんのご想像通り、仕事にも就き以前に比べると、精神的にも大分、安定して、

 元気にやってますので、ご安心下さい。

 気にかけてくださって、本当にありがとうございます。

  辛いかどうかは、本人の考え次第で、他人が思うほど、本人は辛いと思っていないかもしれないかもしれないので、

 浅井さん、どうか、無用なお気遣いはしないで下さい。

  皆さんも、それぞれ、辛い思いをして生きていらっしゃると思うので、お互い様です。

 辛いときは素直にこのメールのやり取りで辛いと言います。

  何か浅井さんからのメールで、自分が立派な人間だというような間違った認識をしてしまいそうなので、

 言い訳がましいですが、普通に働いている人間で、少しハンディを背負った人間というのが現状です。

 このメールのやりとりは、、どうも長くなってしまうので、皆さんスミマセン。

 小竹君も楽しかった探検部、思い出してくだされば、良い方向に向かうと思います。

長くなりますので、この辺で。

上原

このような早稲田大学探検部関係者で心を病んでしまった後輩をおもんばかり、いたわるメールのやり取りをしました。

 これから先、もし早稲田大学探検部関係者が心を病んでしまったら、見習っていただきたいメールのやり取りです。

早稲田大学探検部関係者には是非読んでいただきたいメールのやり取りなのでブログに載せます。

以上、「2009823日の小竹聡君に関してのメールのやり取り」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

2022年7月4日月曜日

「故惠谷治さんからメールが来た際にチベット隊隊員に送ったメールとその返事」

 「故惠谷治さんからメールが来た際にチベット隊隊員に送ったメールとその返事」

 201061日のメールを見ていたら、早稲田大学探検部13OBで早稲田大学探検部13期幹事長を務められていた故惠谷治さんからメールが来たことを、早稲田大学探検部33期で、同期で、僕が隊長を務めたチベットカイラス隊の隊員である桜井誠人、倉島孝行、中谷敏夫にメールを送っていました。

 メールのやり取りを読んでいるとおもしろかったので、ブログに載せたいと思います。

 件名「恵谷さんからメールが来ました」

 桜井さま、倉島さま、中谷さま

 おはようございます、上原です。

先日お会いした恵谷さんにアンケートを返信したら、

「アンケートありがとう」のメールが来ました。

 以下がその内容です。

 上原さま

 過日は奇遇で、久しぶりに興奮しました。まだ、他の人たちにはメールを送っていませんが、さっそくアンケートを送ってくれた貴君に、最初に送ります。

お手数をかけました。趣旨を理解してもらって、アンケートを寄せてくれたことを感謝します。今後、貴君たちの世代の話を書く際に、またいろいろと質問するかもしれません。

今後ともよろしくお願いします。先日一緒にいた皆さんによろしくお伝えください。

 惠谷 治

 以上です。

探検部の後輩と会ってエキサイトしてらしたようです。

皆様に宜しくとのことですので、お三方に報告しておきます。

 上原

 上ドン メールありがとう。

私はその時寝ていたと思いますのでアンケートいただいていません。

時間があったらどんな内容か教えてください。

先日の飲み会では、恵谷さんに会えるとは思いませんでした。

なかなか楽しかったです。中ちゃんご馳走してくれてありがとう。

ではでは 

 桜井

 皆様

 昨日は久しぶりに一緒に酒を飲めて、楽しかったです。

上原のドモリとさくチャンのゲロ(何年ぶり?)、中谷の人を食った笑い、久しぶりでした。

中谷様、ごちそうさまでした。

 土曜日は二日酔いで、というよりも朝まで飲んでいたのだから、単に酔っていただけか、

安達太良山は断念。それもあって、別のヤブを漕ぎに行ってしまいました。ハシゴで。

そんなわけでその後、少し反省し、今週末こそは元3軍といえども、

ケイタニ氏と会っても恥ずかしくない行いをしようと、朝から腹筋などをして山に向け、気合を入れております。

 とまあ、そんなことはともかく、そのうち、また一杯やりましょう。

 倉島

追伸。

タイでは普通にそこらの薬局で売っているので、中高年男の救世薬を試したりもしましたが、

いまのところはまあ、なくても行けます。あと10年もすれば、話は別かもしれませんが。

こんな私もそうですが、上原もそろそろヘッテンでコッヘルに向かって、という状況でもなくなってきたのではないですか。

まあ、そっちの方が金もかからなくて、いいかもしれませんが。

 いや~

まさかの「ケイタニさんネタ」を話して直後のご本人登場。

やっぱり、倉ちゃんは何か不思議な力を持ってるね・・・。

 倉島さま

興味が無いとは思いますが、

森林の研究頑張ってください。

それから、人の親の悪口言うなぁ!!(怒)

このド腐れ学者ぐぁぁぁぁっ!!

 みなさま

またそのうち飲みましょう!

倉ちゃんの葬式で。(笑)

 さくチャンと上原のおやじさんもそうだけど、中谷のおやじさんにも大変感謝しています。

 中谷のおやじさんには、これまでも、またこれからも、自分にはほとんど縁のない場所を体験させてもらいました。

若かったせいもあるのだろうけど、自分の男としての存在を、何というか、

まるごと包み込むように気持ち良く持ち上げてくれた、新宿のクラブでのあの感触、いまだによく覚えています。

あの晩のことなど、もうご記憶にないでしょうが、よろしくお伝えください。

 「バブルおやじ」と言ったのは、あの時代の空気とあの時のおやじさんの大変精力的なお姿とが、

自分のなかでダブって記憶されているため。親しみを私なりに込めてこれすれ、悪気はありません。

ともあれ、これからは言い方に気をつけます。

 それと、話は変わりますが、ケイタニさんというのは、本当にすごい人だったんですね。

グーグル検索で最初にでてくるウィキペリア・サイト内に挙げられている、その著作数には驚きです。

ただ、同検索で2番目に出てきた、同業者もしくは近い専門と考えられる人の

恵谷さん評には笑ってしまいましたが。

この間の四谷の飲み屋での話と似たようなことが書かれています。

http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=596&Itemid=81

 以上、とくに後者は余計なことかもしれませんが、いずれまた、どこかで。

 倉島

 別に全然気にしていません。

 ケイタニさんは強烈なオヤジ。

でも15年位前にあった時より、正直、

老けたなぁと思いました。

ちょっと弱気なところが垣間見られたよね?

 人間は老けには敵わないのかな・・・。

 また。

 中谷

 以上のようなやり取りを2010年に、早稲田大学探検部13OBで早稲田大学探検部13期幹事長を務められた惠谷さんからメールが来た際に、‘早稲田大学探検部33OBで早稲田大学探検部チベットカイラス隊隊員だった桜井誠人、倉島孝行、中谷敏夫としました。

  201061日のメールを見直していたらなかなかおもしろい内容だったのでブログに載せたいと思います。

  以上、「故惠谷治さんからメールが来た際にチベット隊隊員に送ったメールとその返事」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

2022年7月3日日曜日

「探検部の神々、惠谷治さん」

 「探検部の神々、惠谷治さん」

  2018518日のメールを見直していたら、早稲田大学探検部13OBだった惠谷治さんが亡くなり、葬儀が終わったあとに早稲田大学探検部関係者からメールが来ていました。

 件名は「探検部の神々」というメールのやり取りでした。読み直しているとなかなかおもしろい内容なのでログに載せたいと思います。

 件名「探検部の神々」

 吉澤です。今朝の恵谷さんの告別式では、探検部のどなたかが弔事を読まれたので

しょうね。拝聴したかったのですが、昨日お通夜に行けただけでもよかったです。

竹村さん、高木さん、井手さん、蒲さん、高野さん、洋祐さん、村上さん、森山さ

ん、大島新さんに会え、5時間くらいでしたか、あっという間でした。恵谷さんの

思い出=怖かった、というのが全員共通で、やはりそうですよね。高野さんは恵谷

さんに1ヶ月前に会ったということでしたが、小生は201310月、高野さんと角幡

さんの講談社ノンフィクション賞受賞記念のOB会に行ったときに、2次会で恵谷さ

んの隣に座ったのが最後でした。企業に勤めてもよいが、探検部OBとして気概を持

ってやっているかどうかだと叱咤激励され、ありがたく思った次第です。

井手さんが、奇襲第1号にあった恵谷さんのインタビュー記事をもう一度見たいと

仰っていましたので、多くの方はお持ちだと思いますが、コピーを添付します。恵

谷さんのご冥福を心からお祈りいたします。

吉澤基勝

吉澤さま

早速ありがとうございました。

『奇襲vol.1』、僕も本棚にあるので(なんと2冊ありました)、みんなに送ろうと思っていたのですが、きれいさっぱり忘れていたので、助かりました。さすが吉澤さん。

恵谷さんインタビュー、久しぶりに読みました。

これは強烈でしたよね。

恵谷さん、当時からツルッパゲだったイメージがあったんですが、写真を見ると、思っていたより髪があったことにまず驚き。

「何が経済的基盤だ」

「来れば出す」

などの名文句が一時、部内で流行語になったことも思い出しました。

これ、あらためて読むと、戸部さんの質問も秀逸ですね。

インタビューの仕方と原稿のまとめはすでにプロクオリティですよ。

「何が経済的基盤だ」

と頑固一徹にゲリラ解放区を最前線する探検部精神(スピリット)の化身

このリード文の完成度は最高じゃないでしょうか。

森山憲一

吉澤さま、森山さま

  おはようございます。上原です。恵谷さんの葬儀の参列、お疲れ様です。メールまでいただきありがとうございます。早速、吉澤さんのメールに添付されていた、PDFファイルを読ませていただきました。フリージャーナリストとしての恵谷さんの言葉が本当にすごいと思いました。森山さんが書いていますが、「何が経済的基盤」だとか「来れば出す」などフリージャーナリストとしての恵谷さんの言葉が鮮烈でした。奇襲にインタビューされたのは、もう30年くらい前だと思いますが、大学生が作っていた奇襲という部誌のクオリティの高さも分かりました。僕も恵谷さんにお会いしたことがあり、朝まで飲んでいただいた思い出があり、恵谷さんの訃報は残念でした。僕らの世代では探検部の神々とされる恵谷さんがお亡くなりになり、早稲田大学探検部の皆さんも悲しんでいると思います。恵谷さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 上原和明

 惠谷さんのインタビュー、30年ぶり?に読んだけど、めちゃめちゃ面白いね。

インタビュアーの戸部の質問&ライティングも惠谷さんの受け答えも最高だ。

これ、どこかネットにアップして一般公開できないのかな。

惠谷さんはいまや、本当に探検部の神になったわけだし。

 高野

 𠮷澤さま

 ありがとうございました。

学生のときに(私はリアルタイムではなく、部室にあった古い「奇襲」でした)

読んだ印象とはまったく違うものが伝わってきて、

最高に面白かったです。

それにしても、恵谷さんが今の私よりも

10歳も下のときにこんなことを語っていたとは

同じようには生きられませんが、

恵谷さんのスピリットは受け継いでいきたいと思いました。

 大島 新

 みなさま

 2016年9月から、初任地の秋田におります。

記事については、30年前の青春の残滓が突然現れ、紅顔の至りとしか言い様が

ありません。全盛期の恵谷さんが発する異様な威圧感の中、どう思われてもかま

わないから知りたいことは全部聞いてしまおうとの思いでぶつかったと記憶して

います。恵谷さんも、口幅ったいことを言う後輩に対して怒鳴りたいのもこらえ

て、忍耐強く答えてくれたものです。

「それをやっとって、どうやって好きなことができるんだ。株でもやるのか」

「誰もやってくれんからよ、俺がやるしかないんだよ。お前やれよ」

「探検部は何かというと、結局オリジナルな発想なんだよ」

発する言葉の一言一言が、今でも心に突き刺さって来ます。

恵谷さんのその後の活動を見るに、最期まで探検部スピリットを貫いて駆け抜

けたんだと思います。そんな生き方ができるんだと、あらためて驚愕する思いで

す。

ご冥福をお祈りします。

 戸部大

 上原さま

 さっそくありがとう。登録し直しておきます。ワコトにも伝えてくれたようで、そ

れもありがとう。

このあいだ恵谷さんのお通夜で会った時も、先輩もみんな全然変わらず、年月が経

ったとは思われません。森山は年季が入った感じがしましたが、それが実は歳相応

で、僕も含めて探検部は若いのでしょうね。それこそ恵谷さんは当時からかなりお

っさんだったようが気がします。それでは、また。

 吉澤

 やはり、恵谷さんというと僕からしたら怖い印象の方でした。

もちろん、奇襲のこのインタビューもしっかり覚えてます。

当時、この「経済基盤なんてどうでもいい!」のセリフは部内で話題?に

なりましたよね。

また、OB会の席で先に帰ろうとした某テレビ局の先輩に「おい、お前!帰るのか!」と

カツをいれたのも恵谷さんだった記憶があります。

僕のようにサラリーマンでフェイク?に溢れた世界にいると、

吉澤さんの「企業に勤めてもよいが、探検部OBとして気概を持ってやっているかどうかだ」と

叱咤激励された話なんか聞くと少しほっとします。

僕にとって、探検部、そして探検部の神である恵谷さんはリアルファイトな存在で、

なんかカールゴッチみたいな存在です。

 田村

 田村も変わってないなあ。どんな話でも最後は必ずプロレスに落とし込む(笑)

 でも言い得て妙か。

ゴッチは強かったけど、とにかく説教の時間が長くて辛かったと教え子の日本人レスラーたちが口を揃えてこぼしているもんね。

 高野

 吉澤です。最初に小生から送ったメールで、松田和郎と沢田石のアドレスが古いも

ので、皆さんが全員に返信してもエラーになっていたと思います。失礼しました。

二人の今のアドレスをcc:に入れましたので、こちらの方にお願いします。中島さ

んからもエラーレポートが返ってきたのですが、アドレスは変わっていないそうで

、届いているようです。

 恵谷さんのことは、当時OB会で現役が腕相撲の相手に指名されて、竹村さんや中島

さん、高野さんも勝負していたことが、映像のように頭に残っています。3年のと

きアフガニスタンに行く前に、四倉と恵谷さん宅を訪ねて、世田谷赤堤の古いアパ

ートで、夏の暑い日でしたが、娘さんがまだ小学生で小さいのに行儀が良くて、コ

ップにお水(真水)を出してくれたのも覚えています。戸部がインタビューで「・

・・ある程度就職してその余暇にやるとか。」といったくだりは、冷や冷やモノで

すね。僕も田村とまったく同じで、「企業に勤めてもよいが、探検部の気概をもっ

てやっているかどうか」と言ってもらったときは、初めて胸のつかえが取れた思い

でした。

 あと、お通夜の日に佐藤英一さんの話題にもなり、亡くなって何年になるかと話し

ましたが、2012730日にお亡くなりになりましたので、6年近くになりました。

皆さんの記憶は正しかったです。

 吉澤

 吉澤さん

 記事の送付ありがとうございました、これ20代の頃読んだことありました。

 50過ぎた今読み返すと生涯現役だった惠谷さんの言葉はイチイチ刺さりますね。

高野さんの言う通り、このインタビュー埋もれさせとくの勿体ないから、権利関係分からんけどネットにupして広く読んで貰えればいいなというの同感です!

 井出

 みなさま

 OB会の馬場さん経由で、恵谷さんの奥様からのメールが届きました。

みんなにもお伝えくださいとのことだったので転送します。

あの恵谷さんにこの奥様ありという感じで、たくましい方であることが文面からも伝わってきます。

戸部さんのインタビューも絶賛でありました。

 <1通目>

馬場孝一様

 このたびは大変お世話になっております。

おかげさまで恵谷も気に入ってくれる別れができたかなと

みなさまのご協力に感謝しております。

 またさっそくこの記事もお送りくださりありがとうございました。

大変懐かしかったですし、本人亡き後読み返しますと

このまま生涯を貫いたのだなとあらためての感慨がありました。

 当時我が家ではあの記事の中の

「借金じゃな」「家族は心配せん、心配したら行かん」

のフレーズが大層はやり、よく笑っていたことも懐かしい思い出です。

 あの写真で着ている袖が取り外しできる浴衣はわたしが作ったもので

暑がりの恵谷はその発想がいいと大変感謝してくれました。

ところが袖のないまま着ることが多くてそのうち袖との色が合わなくなって

それも我が家の笑い話だったことも併せて思い出しました。

 娘たちにも転送してまたいっしょに笑いたいと思います。

家庭人としてもあまりにもエピソードが多くて、

一生かかっても話のタネは尽きないようです。

 探検部魂を基盤に生き抜いた恵谷に

さまざまにご協力いただいたことに感謝いたします。

 ありがとうございました。

 えや まほ

 <以下は、みんなからのメールで恵谷さんについて書いている部分をを適宜抜粋して送ったところ、再度奥様から返事が来たものです。田村のカールゴッチなども伝えておきましたよ。意味が伝わったかどうかはわかりません笑>

 お世話になっております。

 ご丁寧にその時の方々からのメッセージをお送りくださり

ありがとうございました。

 私も恵谷の生の声がそのまま聞こえるような記事に

あらためて圧倒もされ感慨もありました。

まさにこうでありそのままを生きて逝ったのだなと。

 生きているうちはさまざまにバイアスがかかりますし、

後輩たちにはとてもヘビーな存在だったとは思いますが

亡くなってしまった今は日毎に「天晴れ!」の感を強くしております。

 そしてこの記事を弔辞を読んでくださった

法政大学探検部OBの岡村さんにも送ったところ

下記のような返信がありました。

 >編集者の目で見ると構成も巧く、とても大学二年生が仕上げたインタビュー

>記事には見えません。たぶん、恵谷に原稿を見せるときには、かなりビクつ

>いていて、恵谷に「これでよし」と言われたとたんにホッと胸をなで下ろしたん

>じゃないかな。そんな姿が目に浮かぶようです。

>編集長の森山くんは著名な編集者・著述家になったけど、このインタビュー

>をして文章構成をした戸部くんというのは今どうしているのか、恵谷に出会っ

>て何か変わったかな、とそんなことも思いました。

 戸部さんはどうしていらっしゃるでしょうか?

真正面からぶつかって行かれたことがよくわかりますし、

あのボリュームがあってそのままの恵谷が残ったのだと思います。

 それがただ強烈だっただけではなく、

それぞれの方々がそれぞれに受け止めて下さっていることも

あらためて知ることができ、馬場さんには大変感謝しております。

 末尾になりましたが大島の写真も拝見いたしました。

最後の気力を振り絞っている姿に胸を突かれます。

 あの時贈呈された三原の火山灰の釉のかかった壺が

亡くなった直後に届いて、今は祭壇の脇に飾っております。

 大島行は最後のエネルギーを捧げたものになり、

私たち家族も同行できて大変大きな思い出になりました。

 ありがとうございます。

 えや まほ

 以上のようなメールのやり取りを早稲田大学探検部13OBだった惠谷治さんが亡くなり、葬儀が終わった後にしました。

 早稲田大学探検部関係者の故惠谷治さんへの思いが伝わってくるメールのやり取りだと思います。

 早稲田大学探検部関係者には是非、読んでいただきたいメールのやり取りなのでブログに載せます。

 以上、「探検部の神々、惠谷治さん」

  ブログに載せます。

 

 

 

2022年7月2日土曜日

「河合圭祐君へのカンパについて2010年1月31日のメールのやり取り」

 「河合圭祐君へのカンパについて2010131日のメールのやり取り」

 2010131日のメールを見直していたら、河合圭祐君へのカンパが集まった際に早稲田大学探検部関係者でのメールのやり取りがありました。メールのやり取りは以下のようなものでした。

早稲田大学探検部33OBの森山憲一から僕のメールアドレスにメールが届きました。

 探検部OBの皆様

 探検部33期の森山憲一です。

先週お願いした、34期河合圭祐へのカンパへのご協力、ありがとうございます。

金曜日の段階で、45人から計69万円のカンパをいただきました。

上は31期の高野秀行さんから、下は49期の鈴木邦和さんまで。

河合の付き合いの広さをあらためて知りました。

 河合は22日火曜日にがんセンターを退院することになったそうなので、

火曜日の時点で、ひとまず集まった額をわたそうと思います。

河合の口座を聞いていますので、そこに振り込む予定です。

その後に届いたカンパについては、随時、河合に転送します。

 みなさんのすばやいアクションと、心温まるお言葉、私自身が感激しております。

いただいているメールのコメントは、機会があれば河合にもわたしておこうと思います。

さしあたり以上ご報告です。

 森山憲一

  この森山憲一のメールに対する早稲田大学探検部31OBの高野秀行さんからのメールは以下のようなものでした。

 今回のカンパで探検部はこんなにも結束があったのかと感じ入りました。逆に言えば、河合のおかげで結束したということですね。

この結束は今後も生きていくことでしょう。

河合に心から感謝したいと思います。

 森山君の素早い「まとめ役」宣言と迅速かつ正確な事の運びにも驚きました。どうもありがとうございます。

とりあえず御礼まで。

 高野秀行

 このメールに対する僕からのメールは以下のようなものでした。

 探検部OBの皆様

 探検部33期の上原和明です。

 河合が明日退院とのことで、本日お見舞いに行って来ましたので報告します。

河合は午前中放射線治療があり、午後から面会しましたが相変わらず、しか

っりしていていました。

森山が中心となったカンパの事を伝えると、皆さんの善意にいたく感謝していて、

これからの厳しい闘病生活に前向きに臨んでいく覚悟が出来ていました。

今後は、放射線治療や抗がん剤の投与が中心となるようですが、生きていく希望に

溢れてました。

お見舞いに来た探検部員は河合が数えたところ、約70人程、カンパの総額は森山に

よると今日になって100万円を超えたそうです。

河合の銀行口座教えてもらってきたので、森山に連絡し、100万円を超えたカンパは

森山が責任を持って振り込むとのことです。

 ところで、今後のことですが、河合が実家に戻ってからも探検部の皆で河合を応援して

いくため、河合の実家の住所と電話番号を教えてもらったので、皆さんにご報告致します。

以下、河合圭祐の実家の住所と電話番号、又、河合の携帯のメールアドレスと電話番号です。

 以上です。

 河合も入院中探検部の仲間の応援に励まされたそうで、実家に戻ってからも、皆で応援

していけば、河合の生きようとする前向きな気持ちも強くなると思います。

是非、メールするなり、手紙を出すなり、直接赴くなり可能なことはして、皆で応援していき

ましょう!!

 このメールに対する早稲田大学探検部34OGの浅井美香からのメールは以下のようなものでした。

 上原さん、

 河合君の連絡先をどうもありがとうございます。

私は昨年の12月からどういうわけかとんでもなく涙もろくなってしまって、

上原さんのメールにいたく感動してしまいました。またしても目の前がかすんでしまっています。

本当に探検部にいてよかったと今になってしみじみ感じています。

 河合君にはもちろん、連絡していきます。上原さんが彼の実家の住所も教えてくださったので

元気づけられるものに出会ったらそれを送ることもできます。実家ではご家族のもと安心

できることも多いと思いますが、探検部からは少し遠くなってしまいます。でも、何とか

それを感じさせないように出来る限りの応援をしていこうと思います。

どうもありがとうございました。

 浅井美香

 このような早稲田大学探検部関係者のみんなが感動感激するようなやり取りをしました。

 早稲田大学探検部関係者には是非読んでいただきたいメールのやり取りなのでブログに載せます。

 以上、「河合圭祐君へのカンパについて2010131日のメールのやり取り」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年7月1日金曜日

「6月は3万9872字入力していたようだ」

 「6月は39872字入力していたようだ」

    ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、20226月は39872字パソコンで入力していたようです。

  ATOKマンスリーレポートによると原稿用紙100枚分のようです。

   ブログを書くこと、Twitterをやることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、約4万字になったのだと思います。

    一日平均1329字くらいです。

  入力時間は ATOKマンスリーレポートによると135時間のようです。

    コロナ禍で、パソコンでブログを書く時間が減っています。

   自宅にいる時間が長く、胃が痛くて痛くて、ブログを書けない状況が続いています。

    毎月、毎月同じようなブログを書いていますが、今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、20226月は39872字以上入力していたようなので、ブログを書いておきます。

    以上、「6月は39872字入力していたようだ」

   ブログに載せます。