2015年7月31日金曜日

「カナダ ユーコン川の わび さび」



「カナダ ユーコン川の わび さび」

以前もブログに書きましたが、 僕は早稲田大学在学中の大学3年生の時のカナダのユーコン川川下りに行きました。

カナダのユーコン川川下りをしていたら、現地の新聞社から取材され、顔写真入りで、地元の新聞に掲載されました。

 物質文明、ハイテクノロジー文明の西洋人が住んでいるカナダに行っても、現地の方々にとって、僕らは、変な日本人で、取材対象になりました。

「変な日本人」として、顔写真入りで、地元の新聞に掲載されました。

地元のメディアの人にとっても、僕らの活動は「interesting」だったのでしょう。

欧米型の物質文明から少し離れた、アメリカの辺境地域では、さびれた感じの街も多く、日本人の持っている美意識、

「わび」「さび」とかの感覚と近い、街も多くありました。

東京の中心の街、新宿はニューヨークを模しているらしいし、銀座はパリを模しているらしいです。

世界に誇る首都だから、華やかな街にするのでしょうが、日本に脈々と受け継がれている、「わび」「さび」という美意識を保つためにも、東京人は少し、辺境に行く時間を持つことも必要なのかもしれません。

毎日、毎日、スマホ片手に道を歩く人たちの街、光を発してる、ピカピカした街にいると、精神的にも落ち着かなくのかもしれません。

時には、薄暗い、さびれた宿とかに泊まったりして、自分の養ってきた美意識を確認するのも良いかもしれません。

実際、僕も、新宿とか銀座に行くと、何か疲れてしまいます。

少し、都会から離れて、「わびしさ」「さびしさ」

を感じられる場所に赴くのも、何か、創作活動をするためには良いのかもしれません。

以上、「カナダ ユーコン川の わび さび」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。




2015年7月28日火曜日

「学校時代の国語の授業を思い出そう」



「学校時代の国語の授業を思い出そう」

学校時代に国語の授業がありました。
国語の教科書には様々な作家の方の文章が載っています。
大抵の子供は国語の教科書から小説などを読み始めるのはないでしょうか?
僕の好きだった国語の教科書に出てくる作家は、魯迅と中島敦です。
魯迅の「藤野先生」は今でも記憶に残っています。
中島敦の「山月記」も好きな作品です。

子供の頃の国語の教科書での読書経験から、作家の名前を知る人も多いと思います。

大学くらいまで進むと、文学も、もう作品として理解して、エンターテイメント性をきちんと考えているとか、職人のような作品だとか、様々な批評がなされると思いますが、子供の頃の読書経験はとても強烈です。

作品というか、文章そのものに感情移入することもあるし、読んだ文章がそのまま、その人の人生に大きな影響を及ぼすこともあります。

僕が挙げた魯迅も中島敦も、子供の頃の読書経験として現在でも心の中に残っています。

最近の教科書のことは知りませんが、僕は子供の頃に魯迅とか中島敦に出会えて良かったと今では思っています。

巷(ネットも含む)には、実に多くの本が出回っていますが、子供の頃の国語の授業での読書経験は結構、重要なのではないかと思っています。

年齢を経て、多くの本に出会ってきた人には、子供の頃の読書経験を思い出してみるのも良いのではないかと思っています。

以上、「子供の頃の国語の授業を思い出そう」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。







2015年7月24日金曜日

「久しぶりのカミナリ」



「久しぶりのカミナリ」

 今日は、東京では大きな「カミナリ」が落ちました。
昼過ぎに、大雨とともに、天空から、「ドーン、ゴロゴロ」と大きな音を立てて、カミナリが落ちました。

以前、ブログに、「地震、かみなり、火事、おやじ」

を文字って、「自信、かみさん、家事、おやじ」とのブログを書きましたが、

今日は、「カミサン」ではなく、大きな「カミナリ」が東京に落ちました。

僕は、「カミナリ」が落ちたときは、自宅にいましたが、その後、友人から、メールが来て、お茶でもしようとのとこと。

大雨の中、近所のカフェまで行きました。

カフェでは、お互い、パソコン、スマホを見ながら、デジタル談義。

これだけ、デジタル機器が発達すると、本は売れないだろうとのことで一致。

活字の媒体が完全に紙媒体からデジタル媒体に移行していることを感じました。

大きな「カミナリ」が落ちても、近所のカフェで、真面目な話をするのは、日々、何か考えて生活している証拠です。

友人からのメールで、大きな「カミナリ」にも動じずに、日々、考えていることを平常心で考えて一日を過ごせました。

以上、「久しぶりのカミナリ」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。