2026年10月4日日曜日

「朝日新聞朝刊の(読者と記者のbe会議)で、繰り返し読む本の1位が夏目漱石、2位が司馬遼太郎だったことに賛成する」

 「朝日新聞朝刊の(読者と記者のbe会議)で、繰り返し読む本の1位が夏目漱石、2位が司馬遼太郎だったことに賛成する」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ふと心に残る記事に触れては、こうして文章にしています。

今朝の朝日新聞朝刊に、「(読者と記者のbe会議)繰り返し読む本はありますか?」という記事が載っていました。読書の秋です。アンケートでは「ある」が1120人、「ない」が1189人と、ほぼ真っ二つに分かれていたようです。そのなかで、繰り返し読む本として夏目漱石が1位、司馬遼太郎が2位だった、と記事は伝えていました。

僕は、この結果に賛成です。

根拠は、ほかでもありません。僕自身が、夏目漱石も司馬遼太郎も読んできたからです。

漱石は、若い頃に『坊っちゃん』を手に取り、そのあと『こころ』や『行人』を読み返しました。一度読んで終わり、という本ではありません。年齢を重ねるたびに、登場人物の息づかいの聞こえ方が変わります。冗談のあいだに、ふと重いものが落ちてくる。文京区の静かな道を歩きながら、昔読んだ一節が頭に浮かぶことがあります。繰り返し読むに値する文章だと、今も思います。

司馬遼太郎も同じです。『竜馬がゆく』は僕は小石川高校時代に夢中になって読んでいました。一度読み終えても、またページを開きたくなります。人物が意志を持って時代のなかを歩いている。へこたれない。事をなそうとする。介護で落ち着かない日が続いても、そうした本を開くと、少し肩の力が抜けます。歴史を扱いながら、読んだあとに前を向かせてくれるところがある。だから、繰り返し手に取る人が多いのだろうと思います。

漱石が1位、司馬が2位。この順番にも、僕はうなずきます。漱石は、人間の内側を、繰り返し確かめずにはいられない文章を残しました。司馬は、時代と人の歩みを、何度でもたどりたくなる物語にしました。どちらも、本棚に戻したあとで、また引き戻される本です。朝日の読者アンケートが、その二人を上位に置いたのは、不思議ではありません。

僕はプロの書き手ではありません。早稲田大学探検部33期のOBとして、報酬をもらわずに、地道にコツコツとブログを書いてきただけの人間です。それでも、自分が実際にページをめくってきた本についてなら、こうして一言は書けます。繰り返し読む本がある、と答えた1120人の気持ちは、よく分かります。

読書の秋です。新しい本との出会いもよいけれど、一度読んだ本をもう一度開くことも、悪くありません。漱石を、司馬を、また読んでみたいなと思う今朝の朝日新聞朝刊の記事でした。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「朝日新聞朝刊の(読者と記者のbe会議)で、繰り返し読む本の1位が夏目漱石、2位が司馬遼太郎だったことに賛成する」

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2026年10月2日金曜日

「中部電力の耐震データ不正で刑事告発をしたことに賛成する」

 「中部電力の耐震データ不正で刑事告発をしたことに賛成する」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の父と、脊柱管狭窄症や関節リウマチで要介護1の母を、幻聴の症状のある統合失調症で精神障害2級を抱える次男の僕が同居して介護しています。右手のマウス腱鞘炎をこらえ、文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見て、頭の中は浜岡原発のことでいっぱいです。

2026年9月29日、市民団体や研究者らが、中部電力の勝野哲会長(同日付で辞任)らを、偽計業務妨害の疑いで東京地検に刑事告発しました。代理人の河合弘之弁護士は「1回の出来心ではなく長期間の組織的な不正。原発の安全の基礎を揺るがす事件で、強制力のある刑事手続きで追及されるべきだ」と記者会見で述べています。

僕はこの刑事告発に、はっきりと賛成します。

浜岡原発3号機・4号機の再稼働審査で、耐震設計の根幹になる基準地震動の評価が、不適切な方法で行われていました。乱数で作った多数の地震波から、平均値に近いものを代表波として選んだと説明していたのに、実際には都合のよい波を選び、それが平均値に近づくように残りを後からそろえていた。遅くとも2012年以降、こうした行為が続き、社内で問題視する声や内部通報も上がっていたのに、改められなかった。2025年5月に規制庁の調査が始まってからも、69ケースでデータを書き換えていた、と報じられています。

9月14日に公表された調査委員会の報告書は、虚偽説明や隠蔽とも言える行為があったと指摘し、早期再稼働への重圧のなかで「独自の正当化理論」が社内に広がっていたと認定しました。原子力規制委員会の山中委員長は「安全に直接関わる審査データのねつ造案件」と厳しく批判しています。中部電力は9月25日に審査申請を取り下げ、林欣吾社長と勝野会長は9月30日付で辞任しました。

辞任と申請取り下げは当然です。でも、それで終わりにしてはいけないと思います。

原発の耐震データは、御前崎の人たちの命に直結する数字です。南海トラフの震源域のすぐ近くに立地する浜岡で、基準地震動を小さく見せるような操作をしていたとすれば、それは「裁量の範囲」では済まない。安全の前提そのものを、審査する側に対して偽っていたことになります。河合弁護士が言うように、強制力のある刑事手続きで事実を明らかにするべき事案です。

僕は早稲田大学探検部33期のOBです。学生時代は山を歩き、未知の場所で仲間と困難を乗り越えてきました。あの頃から思っているのは、危ない場所では、数字をごまかさないこと、隠さないこと、です。地震の国で原発を動かすなら、なおさらです。

「結果として安全性に問題はない」という言い方は、聞いているこちらが不安になります。問題がなかったかどうかは、正しいデータで、外部から検証できて、初めて言えることです。都合のよい波を選び、説明と違う計算をし、調査が始まってからも書き換えていたのでは、信頼の土台が崩れています。

刑事告発は、誰かを叩くためのものではありません。組織の中で声を上げても届かなかった事実を、司法の場で確かめるためのものです。告発した市民や研究者の判断を、僕は支持します。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「中部電力の耐震データ不正で刑事告発をしたことに賛成する」

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2026年9月30日水曜日

「9月は1日平均5455歩歩いていたようだ

 「9月は1日平均5455歩歩いていたようだ」

スマホの万歩計を確認していたら、僕は、9月は163650歩、1日平均、5455歩歩いていたようです。

 3年前、文京シビックセンターで行われた文京区の特定保健指導では1日1万2千歩歩くことが目標になっていますが、1日7千歩程度で十分だと自分では思っています。

9月は8月に比べると歩いた歩数は大幅に減っています。

両親の訪問診療、訪問歯科、訪問看護、訪問リハビリの対応で、家に居なければならずに、なかなか外出できません。自分の精神科訪問看護も週2回あり、散歩をする時間もなかなか作れません。

尚且つ、秋の長雨で天気も悪くて外出する機会も大幅に減っています。

3年前の健康診断では体重が74キロもあり、メタボリックシンドロームだと診断されて、文京区の特定保健指導を受けましたが、74キロもあった体重が、一昨年の文京区の健康診断では、体重を測ったら、65キロになっていましたが、昨年の健康診断では体重は69キロと昨年に比べて4キロも増えていました。今年の健康診断では体重は68キロくらいです。

 少しずつ、歩く歩数を増やしていき、体重を落とさないといけないと思っています。

1日5500歩程度では歩く歩数が足りないと思うので、 一日8千歩の散歩を目標にして歩く歩数を増やして来月は歩こうと思っています。

少しずつ外出する機会を増やして、徐々に歩く歩数を増やしていこうと思っています。

これから天気も少しづつ良くなっていくと思うので、徐々に散歩する歩数を増やしていこうと思っています。

 スマホの万歩計を確認していたら、僕は、9月は163650歩、1日平均、5455歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

以上、「9月は1日平均5455歩歩いていたようだ」

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2026年9月22日火曜日

「台風25号の被害を悼む」

 「台風25号の被害を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8年9月21日、大型で強い台風25号(ドゥージェン)が関東に接近しました。千葉県勝浦市の南を北東へ進み、伊豆大島では24時間降水量が680ミリを超え、9月の観測史上1位を大幅に更新する記録的な大雨となりました。気象庁は東京都大島町にレベル5の土砂災害特別警報を発表し、ピーク時には関東・東海の1都5県で約190万人に避難指示が出されました。

22日朝には台風は日本の東の海上へ抜けましたが、土砂崩れが相次ぎました。現時点で確認されている死者は15人(千葉県10人、神奈川県5人)です。神奈川県横須賀市では64歳の女性が自宅に流れ込んだ土砂に巻き込まれて亡くなり、三浦市でも複数の住宅が土砂に埋まりました。千葉県では袖ケ浦市で道路の復旧作業をしていた51歳の男性が油圧ショベルごと土砂崩れに巻き込まれて死亡し、山武市と鴨川市でも高齢の女性が家屋の倒壊で命を落とされています。鴨川市ではさらに2人の男性の行方が分かっていません。停電はなお4万軒以上残り、佐倉市などでは冠水も発生しています。印旛沼では堤防が決壊し大規模な冠水が発生しています。

台風25号は激甚災害に指定される見込みになっています。

僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」なのです。

母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、文京区の静かな道を歩き、両親の介護の合間にキーボードを叩いている一介のブロガーです。遠くない関東の同じ空の下で起きた惨事なのに、僕にできることはこうして書くことだけです。

台風25号で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も捜索と復旧に当たられている方々、避難所で不安な夜を過ごされている方々に、東京の文京区から連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「台風25号の被害を悼む」

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2026年9月20日日曜日

「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー200万ページビューを超えていた」

 「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー200万ページビューを超えていた」

 東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビューを確認していたら、ページビューが200万ページビューを超えていました。

 本を紹介するサイトで、これだけページビューがあると、僕も本意です。

 東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー数が100万ページビューを超えたのが、2022年4月12日だったので、約4年5ヶ月で、100万ページビューあったことになります。

本の内容はシビアな内容の本が多いので、読むのも大変な本も多くありますが、皆さんが関心を持たれている本が掲載されているのだと思います。

  ネットを見ているより、本を読んだ方が良いし、本に興味がある方も多くいらっしゃるのだと思います。

 僕の書いている本を読んでの感想も読まれているようです。

 東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビューが200万ページビューを超えていたので、ブログに書いておきます。

 以上、「東日本大震災関連書籍の紹介サイトのページビュー200万ページビューを超えていた」

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2026年9月16日水曜日

「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

 「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

心不全で要介護2の父と、脊柱管狭窄症と関節リウマチで要支援2の母を、統合失調症で精神障害2級の僕が文京区の狭い家で介護しています。朝の薬の介助、食事の用意、掃除、洗濯、訪問看護の立ち会い。右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いて、こうしてブログを書いています。今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は新しい党の話でいっぱいでした。

2026年9月16日、中道改革連合から分かれた立憲民主党出身の議員たちが、新党「民主改革の会」の名称を正式に表明しました。代表は小川淳也さん、幹事長は階猛さん。20人規模の小さな会です。綱領は中道改革連合のものを基本的に踏襲し、旧民主党時代の「民主中道」という言葉を加えたそうです。

では、原発の政策はどうなるのか。

まだ結党したばかりで、独自の詳細なマニフェストは出ていません。ただ、中道改革連合の基本政策を引き継ぐ方針ですから、こうなるでしょう。

「将来的に原発に依存しない社会を目指しつつ、安全性が確実に確認され、実効性のある避難計画があり、地元の合意が得られた原発の再稼働」

条件付きの再稼働容認です。立憲民主党が以前掲げていた「2050年までのできるだけ早い時期に原発ゼロ」という強い文言は、すでに中道改革連合の段階で外されていました。その路線を、民主改革の会も続けることになります。

小川代表は以前から、福島第一原発事故の教訓を胸に刻みつつ、「極めて限定的に、やむを得ないことはある」と、条件付きの再稼働を認めていました。その一方で、原発はもはや安くて安定したエネルギーではない、安全対策費が膨らみ、使用済み核燃料の出口がない、と繰り返し指摘しています。代わりに、浮体式洋上風力を中心に再生可能エネルギーを大胆に増やし、日本を「エネルギー産出国」にしよう、と訴えています。

僕は一介のブロガーで、専門家ではありません。でも、3.11から15年が経った今も、核のゴミの最終処分場の話や、浜岡原発の耐震データ不正問題をニュースで見るたびに、胸がざわつきます。先日も中部電力が浜岡3、4号機の再稼働審査申請を自ら取り下げました。国は原子力を最大限活用する方針を変えていません。そんな中で、新しい会が「将来的に依存しない社会」と言いながら、条件付きで再稼働を認める。その条件が本当に厳格に守られるのか、地元の合意が本当に住民の声を反映したものになるのか。文京区の道を歩きながら、そんなことを考えてしまいます。

父も母も高齢です。地震が来たら、避難できるのか。僕自身、精神障害を抱えながら介護を続けている身です。大きな事故が起きたとき、弱い立場の人から先に苦しむ。それが現実です。

だからこそ、民主改革の会には、条件を曖昧にせず、再エネへの転換を本気で進めてほしいと思います。小さな会だからこそ、既得権と健全に対峙する改革勢力であってほしい。小川代表が言う「民主的価値」を、エネルギー政策でも貫いてほしい。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、この国の安全の話も、支え合って考えていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「民主改革の会の原発の政策はどうなるか」

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「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

 「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、こうして文章にしています。

令和8年9月に入ってから、東京は秋雨前線が居座ったままです。空はほとんど灰色で、太陽をまともに見た記憶がほとんどありません。気象庁の速報値では、東京都心の9月1日から10日までの日照時間は7.4時間しかなく、1961年以降の統計で9月上旬としては最短だったそうです。1日から14日まで合わせても18.3時間、平年の29パーセントです。一日平均にしたら、ほんのわずかしか日が差していない計算になります。

 そのせいで、洗濯がまったくはかどりません。

 文京区の狭い住まいでは、外に干しても乾きません。ベランダに出したシャツは夕方になっても湿ったままです。室内干しにすると、湿気がこもって、部屋全体が少し重くなります。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2です。介護の合間に洗濯機を回しても、乾かない洗濯物が部屋の隅に並ぶと、それだけで気持ちが沈みます。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いている一介のブロガーです。乾かないシャツを見ながら、今日もまた同じ灰色の空だな、と思っています。

文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は洗濯物のことと、いつになったら青空が出るのかということでいっぱいです。わずかな晴れ間があれば外に干そうと思っても、その晴れ間がほとんど来ません。ニュースでは「洗濯物が外に干せない」という声が各地から出ていると報じられていました。僕だけではないのだと分かると、少しだけ気が楽になります。それでも、湿ったタオルを触るたびに、秋の長雨の長さを実感します。

自然の前では、人間の力は本当に小さい。秋雨前線は、今後もしばらく本州付近に停滞しやすいと聞きます。日照不足は農作物にも影響すると気象庁も注意を呼びかけています。東京の一室で室内干しをしている僕の悩みなど、比べるまでもない話です。それでも、ありきたりな日常の中では、乾かない洗濯物は立派な困りごとです。

だから、わずかな晴れ間を逃さないようにします。乾いたものからたたんでいきます。ブログを地道にコツコツと更新し続けるように、洗濯も、介護も、今日できることだけを積み重ねていくしかありません。

地道にコツコツと、諦めずに。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

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2026年9月15日火曜日

「浜岡原発3、4号機再稼働審査取り下げ」

 「浜岡原発3、4号機再稼働審査取り下げ」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

 2026年9月14日、中部電力は浜岡原子力発電所3号機と4号機の再稼働に向けた原子力規制委員会への審査申請を、自ら取り下げることを決めました。林欣吾社長と勝野哲会長も、経営責任を取るとして辞任するそうです。

きっかけは、基準地震動と呼ばれるデータの不正です。基準地震動とは、原発の敷地で想定される最も大きな地震の揺れのことで、耐震設計の土台になる数字です。中部電力は乱数を使って20組の地震波を計算し、平均値に最も近いものを代表波として選んだ、と審査で説明していました。ところが実際は、2012年頃から都合の良い波を選び、残りを平均値に近づけるように調整していた。225件のうち208件でそうした操作があったと、外部調査委員会の報告書は指摘しています。

規制委員会は2023年9月に1200ガルという数値をおおむね妥当としていました。しかし内部通報をきっかけに調査が進み、2025年12月から審査は中断され、事実上白紙になっていました。調査が始まってからも操作が続いていた、と規制委員長は「隠蔽」と非難しています。

浜岡原発は静岡県御前崎市にあります。南海トラフ巨大地震の想定震源域のすぐ近くです。僕は早稲田大学探検部33期のOBとして、自然の力の凄まじさを少しは知っているつもりです。山を歩き、未知の土地を歩き、風雨にさらされた経験もあります。地震も津波も、人間の都合では止まりません。福島第一原発事故から15年が経っても、まだあの記憶は消えていません。データを小さく見せて再稼働を急ごうとした組織の論理が、どれほど危ういものか、素人の僕にも分かります。

今日も文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中はこのニュースでいっぱいでした。母は要支援2、父は要介護2の状態で、僕自身も統合失調症による精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業で右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いています。介護の合間にニュースを見て、ブログを書いています。僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして書くことだけです。

安全性の根幹に関わる数字を、長年にわたって操作していた。内部で指摘する声もあったのに、改められなかった。再稼働を急ぐ空気が、技術者の倫理を押しつぶしていったように見えます。国は原子力を最大限活用する方針に変わりはない、と言っています。でも、信頼が崩れたままでは、地域の理解も、安全も、成り立ちません。

一度取り下げた申請を、いつか出し直すのかもしれません。そのときまでに、本当に組織の体質が変わるのか。僕には分かりません。ただ、忘れないでおきたいと思います。数字を都合よくいじった事実を、そして浜岡という土地が置かれた地震の現実を。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、僕らも、この国の安全の話も、支え合って考えていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「浜岡原発3、4号機再稼働審査取り下げ」

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2026年9月11日金曜日

「ブログページビュー120万ページビュー達成」

 「ブログページビュー120万ページビュー達成」

 今日、僕のブログのページビュー数を確認していたら、僕のブログのページビュー数が120万ページビューを超えていました。

 ブログを開設したのが2011年2月です。ブログ開設から14年8ヶ月で100万ページビューを達成しています。

 110万ページビューを達成したのが2026年3月27日なので約半年で10万ページビューあったようです。

 僕のブログのページビューの推移を見てみると以下のような感じになります。

 20万ページビューを超えたのが2017年8月27日でした。

 30万ページビューを超えたのが2018年8月29日でした。

 40万ページビューを超えたのが2019年9月16日でした。

 50万ページビューを超えたのが2020年11月21日でした。

 60万ページビューを超えたのが2021年7月31日でした。

 70万ページビューを超えたのが2022年8月13日でした。

 80万ページビューを超えたのが2023年10月23日でした。

 90万ページビューを超えたのが2025年6月14日でした。

 100万ページビューを超えたのが2025年10月13日でした。

 110万ページビューを超えたのが2026年3月27日でした。

 そして、今日、2026年9月11日、に120万ページビューを超えました。

地道にコツコツとブログを書き続けてきて良かったと思っています。

 時にはブログなんて書いても何のいいこともないし、もうブログなんてやめようかと思ったことも何度もありました。それでも、何か一つのことを諦めずに地道にコツコツと続けていればそのうち良いこともあるだろうという気持ちで、地道にコツコツとブログを書いてきました。

素直に、一つの数字として、ブログの累計ページビュー数が120万ページビューを達成したことは嬉しいです。

 僕は報酬を貰わずに、無給で3000以上のブログを書いているプロではなくド素人のアマチュアの本当に拙いブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっていました。

 プロ志向の多い早稲田大学探検部関係者の中で、僕は報酬を貰わずに無給で3000以上ブログを地道にコツコツと書くアマチュアのブロガーですが、アマチュアの希望になれるようにこれからも諦めずに頑張ってブログを書いていこうと思っています。

今日、ブログのページビュー数を見ていたら120万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

 毎回、毎回、同じことを書いてしまいますが、僕のブログの読者の方々には心より感謝いたします。これからも懲りずに僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 以上、「ブログページビュー120万ページビュー達成」

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2026年9月9日水曜日

「東日本大震災を悼む」

 「東日本大震災を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースや本に触れては、こうして文章にしています。

2011年3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。宮城県栗原市などで最大震度7を観測し、東北地方太平洋沖地震、いわゆる東日本大震災です。巨大な津波が岩手、宮城、福島の沿岸を飲み込み、福島第一原子力発電所では炉心溶融が起きました。発生から15年余りが経った今も、警察庁の発表では直接死は1万5901人、行方不明者は2519人、災害関連死は3810人を超えています。22000人以上の方々が犠牲になっています。身元がわからない遺体も、岩手で47体、宮城で6体残っています。建物の全壊・半壊は合わせて41万戸を超え、今も2万5千人近くの方が避難生活を続けています。

僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今も鮮明に残っています。がれきの山、流された家の土台、泥だらけの田んぼ、そして何より、当たり前の日常が一瞬で消えてしまった風景。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中はあのときの東北の光景でいっぱいです。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、キーボードを叩いている一介のブロガーです。そんな僕にできることは、本を読み、こうして書くことだけです。

手元には、これまで集めてきた震災本があります。石巻日日新聞が震災直後に手書きで貼り出した『石巻日日新聞 壁新聞』、河北新報の記録、大槌町や陸前高田、南三陸、大川小学校のことを記した本。神田川沿いを歩きながら僕の母校、早稲田大学に行き、

『震災本を 集めて早し 神田川』と詠んできました。2014年以来、この活動を続けています。

僕が自分で集めた震災関連本を読むたびに、胸が締めつけられます。15年経っても、風化させてはいけないと思います。

自然の前では、人間の力は本当に小さい。それでも、被災地の人々は今も立ち上がり、復興の道を歩み続けています。防潮堤が整備され、高台移転が進み、新しいまちの姿も見えます。でも、帰ることのできない故郷、見つからない家族、消えた集落は、今もそこにあります。

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。今も行方のわからない方々、遺されたご遺族、復興に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。

ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「東日本大震災を悼む」

ブログに載せます。