2022年12月27日火曜日

「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

 「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

  僕の部屋の掃除をしていたら、僕の文京区立小日向台町小学校時代の卒業文集が見つかりました。

  タイトルは、個人文集『チョモランマ』というタイトルでした。

 表紙はこんな感じです。

     ↓


 読んでみたら、おもしろかったので、ブログに載せたいと思います。

 個人文集「チョモランマ」には以下のようなことが書かれていました。

  1,初めに

  この3月に、ぼくたちは小学校生活を終えます。そこで、卒業を記念して文集を作ります。題は「チョモランマ」

 一度聞いても、わからないと思いますが、実は、この「チョモランマ」とはエベレストのことを、中国では、チョモランマというそうで、ぼくは、その世界一高い山、チョモランマのように、でっかくなるようにと、題を「チョモランマ」としてみました。

 この文集の内容は、1年生から6年生までの思い出や、将来の希望など、いろいろなことを書きます。

  2,低学年のころの思い出

  昭和49年、ぼくは、学校の門をくぐった。

 ぼくの担任の先生は、福良先生であった。ぼくたちは、みんなと仲よく遊んだ。その中でも、クリスマス会は、印象深い。

 先生がクリスマスツリーのかわりに、ゴムの木を持ってきて、いろいろかざって、また、いろんなゲームして遊んだ。

 昭和50年、ぼくは、また福良先生になりたいとなあと思っていたが、吉川先生になった。しかし、吉川先生は、おもしろくて授業も楽しかった。そしていろんな友だちもできた。

 昭和51年、ぼくは、今度は、組替えがあるので、期待と、不安が一つになっていた。

 しかし、組替えは、まあまあで、今度の担当の先生は、細川先生だった。

3,高学年のころの思い出

  昭和52年、ぼくは、4年生になっていた。この中でなんといっても、覚えていることは、初めての柏学園にみんなで行ったことである。ぼくのむねの中は、期待に満ちていた。期待どおり、柏での生活は、楽しく、昼は、広大なグラウンドでソフトボールをし、夜は、広い部屋でみんなとまくら戦争をした。

 昭和52年、ぼくは、2回目の組替えをひかえていた。ぼくは、またも1回目に続き、心の中が、期待と不安でごっちゃになっていた。そういえば、書くのを忘れていたが、4年生の時の担任の先生は、竹中先生だった。組替えは、まあまあよかった。また、担任の先生も竹中先生変わらずとなっていた。

 また5年になって初めて八ヶ岳林間学校に行った。そこは空気もおいしく、宿舎もきれいで、とてもよかった。

 昭和54年、ぼくたちは、最高学年の6年になった。担任の先生も変わらず、竹中先生だった。6年になるとやたらに仕事が多い。まず、しいく、校章旗上げ、朝のあいさつといろいろあった。また、ぼくは、6年になると運がよく、陸上記録会と水上記録会に出場できた。成績はともかく、出場できただけでうれしかった。そしてもうぼくたちは、卒業である。

  4,中学になったら

  昭和554月に、ぼくたちは、中学の門をくぐることになる。中学になったら、何をしようか、と言っても中学にならなければわからない。できればスポーツのクラブに入りたいが、なかなかいいのがうかんでこない。それから勉強の方も、英語があるので不安である。まあなんとかやっていけるとは思うが‥‥

  5、ぼくの将来

  ぼくは、将来は、高校を卒業してから、大学は、夜学に行って、昼は働き、夜は勉強にはげみ、世界旅行の資金をためようと思う。

 そして、お金がたまったら、日本を出発してから、ソ連2年、アジア4年、オセアニアやいろいろな島々3年、南アメリカ3年、北アメリカ2年、ぐらいの間に、石油に代わるエネルギー資源を発見し、ノーベル物理学賞をもらい、また、その間のいろいろな出来事を本にまとめて、それで、ノーベル文学賞をもらい、小日向の英雄、文京区の英雄、東京の英雄、日本の英雄、アジアの英雄、世界の英雄、宇宙の英雄になろうと思う。

  以上のようなことを文京区立小日向台町小学校の卒業文集に書いていたようです。

  最後の、「ぼくの将来」の部分がとても具体的で本当におもしろいことが書かれていると思いました。

  高校を卒業したら、大学は夜学に行って、昼は働き、夜は勉強にはげみ、世界旅行の資金をためようと思うとか、とても具体的なことが書かれていると思いました。

  世界旅行をしている間に、石油に代わるエネルギー資源を発見し、という部分はすでに小学校の卒業の時点で世界のエネルギー問題に関心を持っていたことが分かります。

  世界旅行の間の出来事を本にまとめようと思っていたことも書かれています。

 僕が早稲田大学に進んでからも、早稲田大学探検部に入部したのは小学校の頃の卒業文集の力が大きかったのだと思います。

  小日向台町小学校卒業からもうすでに、40年以上経っていますが、今、読み返してみてもおもしろいことが書かれていると思いました。

  今の時代の小学生にも読んでいただきたいものなのでブログに載せたいと思います。

  以上、「小日向台町小学校の卒業文集、個人文集、『チョモランマ』」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年12月5日月曜日

「ブログのページビュー数が73万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が73万ページビューを超えていた」

    今日、ブログのページビュー数を見ていたら、73万ページビューを越えていました。

   ブログのページビュー数はチェックしています。

   キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

   72万ページビューを超えていたのが、1029日なので、約40日で1万ページビューくらいあったようです。

   今までに書いたブログ数が3293ブログなので、1ブログ、221ページビューくらいあったようです。

   僕はプロではなくド素人のアマチュアのブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

   今日、ブログのページビュー数を見ていたら73万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

    以上、「ブログのページビュー数が73万ページビューを超えていた」

    ブログに載せます。

2022年12月1日木曜日

「11月は1万8911字入力していたようだ」

 「11月は18911字入力していたようだ」

   ATOKマンスリーレポートを見ていたら、僕は、202211月は18911字パソコンで入力していたようです。

   ATOKマンスリーレポートによると原稿用紙48枚分のようです。

   ブログを書くこと、Twitterをやることで、パソコンのキーボードで入力しているので、入力した文字数が一月、約1万字を超えたのだと思います。

   一日平均680字くらいです。

  11月の入力時間は ATOKマンスリーレポートによると90時間のようです。

 1日平均、3時間入力していたことになります。

 コロナ禍で、パソコンでブログを書く時間が減っています。

  自宅にいる時間が長く、胃が痛くて痛くて、ブログを書けない状況が続いています。

  毎月、毎月同じようなブログを書いていますが、今日、ATOKマンスリーレポートを見ていたら、202211月は18911字以上入力していたようなので、ブログを書いておきます。

  以上、「11月は18911字入力していたようだ」

  ブログに載せます。