2014年3月26日水曜日

新しいブログ

 昨日から新しいブログを作りました。リンクは以下です。

http://uedon110.blogspot.jp/

文京区立図書館所蔵の「東日本大震災」に関する「震災本」を紹介してます。


 よろしければご覧になってください。







2014年3月16日日曜日

3.11から3周年にあたって 記者の目 「健康で幸せな町づくり」 

 先週は3・11から3周年の節目の日がありました。 私は近所のコンビニで朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞を購入しました。
 今日は、その中から、毎日新聞の萩尾信也記者が書かれた「記者の目」を引用します。
 以下、引用です。(因みに全部、新聞の記事をワープロソフトで打ち込みました)

  2014年3月11日 毎日新聞朝刊 記者の目(萩尾信也)
 
 被災地の来し方と行く末に、日本社会の明日が鏡のように映って見える・・・。東日本大震災から3巡目の「3月11日」を迎える岩手県釜石市の街を歩きながら、そんな思いにかられている。
  国内の製鉄業発祥地とされる釜石は、日本の近代化を受けけん引にした「鉄の町」だ。度重なる大津波や艦砲射撃から復興し、東北有数の「企業城下町」として栄華を極めた。  
 父の転勤に伴って、私が長崎から釜石に越したのは1963年、東京五輪の前年だった。製鉄所にそびえ立つ5本の大煙突の煙が町を覆い、夜は溶鉱炉の火と繁華街の明かりを映し、赤々と燃えて見えたことを幼心に記憶する。  
 町はにぎわい、何でも調達できた。降下ははいじんや鉱毒も報告されたが、製鉄所に刃向かう抗議行動が広がることはなかった。原発を抱える町にも通じることだ。  
 60年代前半は人口が9万人を超えて、65歳以上の高齢者は4%に満たなかった。ほどなく産業構造の変容で、重厚長大の製鉄業や鉱山の合理化が始まり、89年には最後の溶鉱炉の火が消えた。  
 私は高2の夏に父の転勤で東京に越した。中学や高校の同級生の大半も進学や就職で次々と町を離れ、町はシャッター通りと化していった。2005年には高齢化率が3割を超え、震災の直前には人口が4万人を割り込んだ。  
 「企業城下町のぬるま湯につかってきた商店や経済界や行政に、一致団結して新しい流れを作る新しい力はなかった」  仮設店舗で営業を続ける60代の商店主の述懐だ。    
 細った鉄の町に威容誇る大型店  07年に内陸と結ぶ自動車専用道路が開通すると、ストロー現象で買い物客が市外に流出し、商店街は存続の危機に陥った。東日本大震災はそんな町を直撃し、犠牲者は1000人を超えた。  
 そして今、釜石は一見、「震災バブル」に沸いているように見える。建設ラッシュが続き、道は工事車両で渋滞している。復興関係者で市内五つのホテルは埋まり、二つのホテルが新たに建設中だ。  震災前の有効求人倍率は0・32倍で、そもそも仕事がなかった。それが今は1・67倍(昨年12月)跳ね上がり。深刻な人手不足で時給が上昇。「震災前は最低賃金をベースに時給600円台が多かったが、今は1000円以上も目に付く。介護や水産加工の職場にはそれにいていけいでいる」とはハローワーク釜石の職員の解説だ。地元の建設業者は「(20年の)東京五輪開催で人出と資材の流出が始まった」と頭を抱える。  
 製鉄所の敷地に建設された大型ショッピングセンター「イオンタウン」は威容を誇っている。スーパーと多様な専門店が入居する「新しい町」の出現は、黒船襲来の感がある。周囲には、市が共同店舗や駐車場を建設中だ。「イオンのおこぼれで生き延びるしかねえのか」。商店主のじくじたる思いである。  
 「将来の撤退のリスクはあるが、まずはイオンを起爆剤に町に活気を取り戻し、その間に長期的な町づくりを模索したい」。これは野田武則市長の思い。税制優遇措置や被災者雇用に関わる助成に加え、防災対応の建築に対して2億円の助成を行うことで出店を後押しした。 地域再生を図る福祉や医療分野  3月14日に開業するイオンタウン。人口が3万7000人に縮んだ釜石、車で40分の商圏から日に1万8000人の集客をもくろむ。」テナントに入る56の専門店に地元商店の名は見当たらない。  
 片や、将来を見据えて足元を固めようと腐心するのが福祉や医療の世界だ。12年夏は医師会と市の担当部局が連携して「ちーむかまいし」を発足させた。医療と介護を軸に据えた国の地域包括ケアの取り組みを、障害者や生活困窮者のみならず、心身に傷を抱えた被災者のケアにも拡大。生協や郵便局、新聞販売店や宅配便などの事業者と契約して、自助と互助と共助と公助の視点から町づくりを目指す試みだ。
 「健康で幸せな町づくりの主体になるべきなのは誰なのか。震災で町が疲弊した今こそ、市民の生業を含めた持続可能なビジョンが求められる」  チームかまいしを引っ張る<黄泉の国へつながる寺田尚弘医師のこの思いは、郷土が生んだ童話作家の宮沢賢治が、「銀河鉄道の夜」に込めたメッセージに重なる。  
 <黄泉の国へつながる銀河鉄道の旅に出掛けた少年ジョパンニは、最愛の友を失って思いをはせる。「本当の幸せとは何だろう・・・」>  
 喪失と悲しみの日から3年。国はアベノミクスに活路を求め、被災地はいまだ復興の 途上にある。未来につながる幸せとは何か。我々は思索の時代を生きている。

 以上が記事の引用です。震災被災地「釜石」を取材し、「釜石」から日本の将来の姿を模索する記者の目が冴えているかと思います。  
 先日は、同じ、釜石を舞台にした「新日鉄釜石ラグビー部」の話を紹介しましたが、今日は同じく、釜石を舞台にした「医療・福祉」関係者に思いを馳せた新聞記者の3・11にあたっての記事を紹介しました。  
 今後も、震災被災地から見える、みんなが住みやすい町のあり方などに考えていければ良いと思ってます。
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