2017年12月31日日曜日

「今年は657ブログ書いた」



「今年は657ブログ書いた」

 今年もブログを書き続けてきました。

 このブログで、今年書いたブログ数が657になります。

 600回以上ブログを更新していました。

 ブログを書くのにも慣れて、他愛ないことをブログに書いていますが、読んでいただいている方々には感謝しています。

 来年も、懲りずに僕の拙いブログを読んで頂ければ幸いです。

 今年一年、僕のブログを読んでいただきありがとうございました。

 以上、「今年は657ブログ書いた」

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「今年の読み納めの本は、広瀬隆氏の、日本列島の全原発が危ないだった」

「今年の読み納めの本は、広瀬隆氏の、日本列島の全原発が危ないだった」

 今年も本を読みました。

 昨日、広瀬隆氏の、「日本列島の全原発が危ない」という本を読んで、今年の読み納めになりました。

 「日本列島の全原発が危ない」という本は、デイズジャパンの増刊号です。

 内容は、原発の近くに活断層があり、原発の付近で大きな地震が起きる可能性が大いにあり、日本で原発を再稼働させることが危険だと訴えている本でした。

 再稼働している、川内原発、玄海原発、伊方原発なども、危険だとのことを科学的に検証している本でした。

 広瀬隆氏は、パソコンなどに対して懐疑的な意見を持っていることが分かりました。

 マイクロソフトのビルゲイツに対しても手厳しい意見を述べていました。

 広瀬隆氏は、理系の作家の方で、科学技術のことも理解した上で、科学技術に対して不信感をもっているようです。

 原発再稼働を推進している、安倍政権のことも手厳しく批判しています。

広瀬隆氏の言っていることに耳を傾けてみるのも良いことだと思います。

 巨大地震が起きる時代になっていて、日本で原発を動かすことがとても危険だと言っています。

 平成になり、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など巨大地震が頻発していて日本で大きな地震が起きるようになっていて、原発を動かすことが危険だと言っているようです。

 本を読んでみると、本当に怖い話だと思いました。

 今年の読み納めの本でしたが、来年にもつながる本でした。
伊方原発をはじめとする原発再稼働の問題に関心を持っている方々には一読の価値のある本だと思います。

以上、「今年の読み納めの本は、広瀬隆氏の、日本列島の全原発が危ないだった」

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「大晦日」

「大晦日」

 今日は1231日、大晦日です。

 2017年も今日で終わりです。

 僕は大晦日にどこかに行くわけでもなく、家で過ごすことになります。

 一年の疲れを家で癒すことになると思います。

 家にいれば、一年の疲れも取れると思います。

 大晦日を迎えて、家で一年の疲れを癒すことになると思うのでブログを書いてみました。

 以上、「大晦日」

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2017年12月30日土曜日

「昨日は早稲田大学時代の語学クラスの人間と久しぶりに会った。」

「昨日は早稲田大学時代の語学クラスの人間と久しぶりに会った。」

 昨日は、新宿で、早稲田大学時代の語学クラスが同じだった人間と久しぶりに会いました。

 毎日のようなラインのやり取りをしている人間がセッティングしてくれて、新宿で軽く飲みました。 

 仕事が忙しいようで、仕事の話をしていました。

 もう一人、来た方は、現在では富山県に赴任していて、寒くて大変だと言っていました。

 早稲田大学時代の話もしました。

 法学部の近くの雀荘で麻雀をしていた話とかしました。

 僕が早稲田大学時代に探検部に所属していたことに関しても話が出ました。

 僕が早稲田大学探検部のOBに直木賞作家がいると話すと、

 「お前も直木賞を取って、銀座でおごってくれ」

とか言われました。

会計では、僕が1000円だけ払って、残りは全額、語学クラスの人間が出してくれました。

僕がお金がないことも分かっているようです。

早稲田大学時代の知り合いと会うと、会計でいつも世話になるので、心苦しいのですが、いつもおごってもらうことになります。

 人に会うのも、久しぶりなので、いい気分転換になりましたが、会計のことを考えると、早稲田大学時代の知り合いとは会いづらいことも感じました。

 昨日は久しぶりに早稲田大学法学部時代の知り合いと軽く飲んだの、ブログを書いてみました。

以上、「昨日は早稲田大学時代の語学クラスの人間と久しぶりに会った。」

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2017年12月29日金曜日

「今年一年、長い時間、パソコンに向き合っていた」

「今年一年、長い時間、パソコンに向き合っていた」

 今年は、パソコンに向き合う時間がとても長かったです

 ブログを書いたり、他の人のTwitterをチェックしたり、長い時間パソコンを見ていました。

 WordExcelもパソコンでは使っていましたが、ネットにつないでいる時間が長かったです。

 パソコンに向き合っていても良いこともあまりありませんでした。

 今年一年、長い時間、パソコンに向き合ってました。

 以上、「今年一年、長い時間、パソコンに向き合っていた」

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「大掃除をした」

「大掃除をした」

 今日は、ごみ収集の最後の日とのことで、自分の部屋の大掃除をしました。

 掃除機をかけて、いらないものをゴミ袋に入れていきました。

 ゴミ袋はいつのかにふくらんでいました。

 部屋の掃除は、いらないものを処分していけば、かなりきれいになります。

 家電製品関連のコードとかもなくなれば部屋もすっきりすると思います。

 今年はブログを書くことに時間をかけていて、自分の家のこと、掃除、洗濯、風呂掃除などをあまり出来なかったので、来年は、掃除、洗濯、風呂掃除などもするようにしようと思っています。

 以上、「大掃除をした」

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2017年12月28日木曜日

「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

 ネットを見ていると、生活保護費の引き下げに関する記事が流れています。

 記事は、経済的な困窮を訴えている記事が多いです。

 食べることはもちろん、暑さ寒さをしのぐ、冷暖房なども必要だと思いますが、やはり人間には何らかの文化的な娯楽も必要だと思います。

 うつ状態などの気持ちが滅入っている時に文化的な娯楽に出会い、気持ちが上向いたりすることもあると思います。

 何故か、生活保護費の引き下げに関する議論になると、お金の問題ばかりがクローズアップされているように思えてなりません。

 文化的な娯楽に接するにもお金は必要かもしれませんが、例えばツタヤでは今では100円でDVDを借りられます。

 映画館で映画を観られなくても、100円あればDVDをレンタル出来ます。

 図書館でも無料で本を借りられます。

 一本の映画が映画を観た人の人生を変えることもあると思うし、一つの文学作品が本を読んだ人の人生を変えることもあると思います。

 何かお金の問題以外にも、文化的な娯楽などで心の状態を改善出来ないのかなとも思います。

 経済的な格差の問題、相対的貧困の問題、政治的な問題のような気がしてなりません。

 憲法25条では、健康で文化的な生活を保障しています。

 何か、うつ状態人向けの、文化作品とか紹介してみるとかしてみても良いような気もします。

 東日本大震災の時の映像とかをネットで流さずに、何か心が和むような文化作品を紹介するとかしてみても良いような気もしています。

 何か文化的な娯楽も困っている方々には必要な気がするのでブログを書いてみました。

 以上、「人間には文化的な娯楽も必要だと思う」

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「仕事が終わっても稲葉剛さんのTwitterを見てると、気持ちも休めないよ」

「仕事が終わっても稲葉剛さんのTwitterを見てると、気持ちも休めないよ」

 僕は昨日で今年の仕事が終わりました。

 僕は生活保護ももらえないし、障害年金ももらえません。

 僕がチェックしているTwitterの使い手の一人に稲葉剛さんがいますが、稲葉剛さんのTwitterを休みの日に見ていても気持ちも休まりません。

 難しい記事、マスコミの記事とかをツイートしていて、休日に見るには体も心も休まらないTwitterのようです。

 本当は、僕も休みの間は、気分転換とかもしたいと思っていますが、稲葉剛さんのTwitterを見ていても、気持ちも休まりません。

 辛い記事、真面目な記事をツイートする方が悪いとは思いませんが、仕事も休みになっているので、少しは気分転換もしたいとも思っています。

 稲葉剛さんも頭の良い方なのだと思いますが、あまりにも真面目な記事ばかりツイートしていると、記事を読む方は本当に疲れてしまいます。

 僕が昨日で仕事が終わり、今日から休みに入っていて、少しは気分転換もしたいとも思っているので、稲葉剛さんのTwitterを見ていても全く気持ち的に休まらないことについてブログを書いてみました。

 稲葉剛さんのTwitterを見なければ良いのですが、今日は稲葉剛さんのTwitterをチェックしていたので、気持ち的に全く休まらなかったので、ブログを書いてみました。

 以上、「仕事が終わっても稲葉剛さんのTwitterを見てると、気持ちも休めないよ」

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「日本死ねを考える」

「日本死ねを考える」

 ネットの世界とは怖い世界で、普通ではとても発さない言葉とかも見られます。

話題になった言葉では、「日本死ね」でしょうか。

 ネットの世界の法は、まだ確立していないようだし、悪意のある言葉に対しての措置もないようです。

 僕はブログでは、「死ね」とか「殺せ」とかの言葉も使っていないし、なるべく穏やかにブログを書くようにしていますが、日本の言論界のリーダーとも思われる朝日新聞でさえ、

「日本死ね」のブログとかを朝日新聞一面で肯定的に取り上げたり、日本のマスコミも含めて言葉に関する感覚が麻痺しているような気もしています。

 いわゆる、言論人、表現者と言われている方々が、ネット環境で自由な言論活動、表現活動をしているので、言論行為、表現行為の中に、「死ね」とか「殺せ」とかの言葉も出て来るのだと思います。

 子供たちも、学校で、「死ね」とか「殺せ」とか、言い合っているのでしょうか?

 大人の言葉は子供も真似すると思います。

子供心に、「死ね」とか「殺せ」とか言われたら傷つくと思うし、僕も仮にネット環境で、

「上原死ね」「上原殺せ」とか書かれたら、精神的に病気になると思います。

ネット環境での言葉がとても怖ろしく、平気で人の心が病むような言葉を使っているので、ネットの世界とは怖いと僕は思っています。

「日本死ね」を含めて、ネット環境の言葉が荒れていて、ネットの世界とは怖いと僕は思っています。

それを肯定的に取り上げている朝日新聞も、言葉の怖さを肌で感じていないと思います。

言葉とは、発した言葉が現実に起こる可能性もあるものです。

「死ね」とか「殺せ」とかの憎悪を煽るような言葉を多用していると、本当に、殺人事件とか起きてしまうような気がします。

言葉を司る方々が言葉に敏感にならないと世の中も物騒な世の中になると思います。

以前、朝日新聞が、「日本死ね」を肯定的に取り上げていたので、「日本死ね」について考えてみました。

以上、「日本死ねを考える」

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