2016年9月30日金曜日

「神田川生活の闖入者 その5 生きものの記録、川上宗薫」

「神田川生活の闖入者 その5 生きものの記録、川上宗薫」

先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

今回の、第5弾は、早稲田大学探検部の僕と同期だった宮沢信也の闖入について書いたみたいと思います。

宮沢信也の闖入は、闖入して来る前に高田馬場のおでん屋さんで、一緒に飲んでいて、終電がなくなり、僕のアパートに闖入してきました。

宮沢信也とおでん屋さんで飲んでいると、宮沢信也は僕に、盛んに、

「川上宗薫先生、川上宗薫先生」

と言ってきます。

川上宗薫さんのことを知らない方もいらっしゃると思うので、ウィキペディアを引用しておきます。

以下です。

 ↓


僕は、おでん屋さんの飲みでは、おもしろおかしく、飲んでいたかったので、宮沢信也の、

「川上宗薫先生」発言に対して、喜んで受け入れて、

「オレは将来は川上宗薫のような小説を書けるようになりたい」

と応えていたと思います。

宮沢信也は、高校時代に野球部に所属しており、早稲田大学探検部時代も本格派の部員の方でした。

僕は早稲田大学探検部時代に宮沢信也を池袋の文芸座に連れて行ったことがあり、黒澤明監督の名作、「生きものの記録」を宮沢信也に見せることをしたことがありました。

宮沢信也は現在ではご結婚されたと聞き及んでおります。

宮沢信也はなんでも本格志向の方だったので、早稲田大学探検部時代は僕の得意分野だった映画の世界で、「生きものの記録」をセレクトして宮沢信也に見せようとしていたのだと思います。

2011311日の東日本大震災以降、早稲田大学探検部OBの方が、「福島生きものの記録」という映画を撮り続けていらっしゃり、宮沢信也に早稲田大学探検部時代に、僕が黒澤明監督の「生きものの記録」を見せたことを急に思い出しました。

僕から宮沢信也へのメッセージはは、黒澤明監督の名作、「生きものの記録」でしたが、宮沢信也から僕へのメッセージは「川上宗薫先生」でした。

宮沢信也からすると僕が将来的に川上宗薫氏のような小説を書くようになると思っていたのだと思います。

宮沢信也は、高田馬場のおでん屋さんでの飲みが終わると、僕のアパートに闖入して来今度は、「新宿鮫」のような小説が読みたいとか言ってきました。

宮沢信也さんはとにかく本格志向の方で、本好きの方だったと思います。

そろそろ、宮沢信也の本格志向を実現して、何か本を書かれれば僕も是非、読んでみたいと思っています。

お仕事も大変で、ご結婚もされて、公私ともに大変だと思いますが、何か本を書かれれば、是非読んでみたいと内心思っています。

宮沢信也はもともと本格志向の方だったので、何か本を書かれれば良いなと内心思っています。

以上、「神田川生活の闖入者 その5 生きものの記録、川上宗薫」

ブログに載せます。


















2016年9月29日木曜日

「神田川生活の闖入者 その4 フレアーなスカート、小学校の卒業文集」

「神田川生活の闖入者 その4 フレアーなスカート、小学校の卒業文集」

 先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

 今回の、第4弾は、早稲田大学探検部の僕の3つ下だった庵谷洋の闖入について書いてみたいと思います。

 僕が神田川生活をしていて、全く、女気のない生活をしていた頃に、庵谷が闖入してきました。

 I庵谷は僕のアパートに闖入してくると、僕と話をしました。

 「上原さん、フレアーなスカートを履いた女の子とかどうですか?」

 と僕に尋ねてきました。

 僕は話し相手が、早稲田大学探検部の後輩だったので、自分の心に嘘をついて、

「関心ない!」

 と答えたと思います。

 そして、僕は住んでいたアパートの部屋にあった、僕の小学校の頃の卒業文集を庵谷におもむろに見せたと思います。

 僕の小学校卒業の際の僕の夢は、

 「探検家になること」

 だったので、早稲田大探検部の後輩の庵谷に、小学校の卒業文集を読ませました。

 庵谷は、僕の小学校の卒業文集を読むと、

 「上原さん、部室に来てくださいよ。」

 と頼んできました。

 僕は、当時は一書店員だったので、到底、名門サークル「早稲田大学探検部の部室」に行く勇気がありませんでした。

 僕の小学校の卒業文集には、小学校の頃、イギリスの探検家、スコットの話を読んで以来、探検家のような勇気を持つ人間になりたいというようなことが書かれていたと思います。

 庵谷も僕の小学校の頃の子供の心に心を動かされたのだと思います。

 20代の頃の男なら、探検家になることより、フレアーなスカートを履いた可愛い女の子と付き合ってみたいとか内心思っていると思いますが、僕は先輩風を吹かせて、強がって、僕の小学校時代の卒業文集をIさんに見せました。

 自分の心に嘘をついて、先輩風を吹かせて、「探検」「探検」と言い続けていると、僕のようにいつまでたっても、彼女も出来ない人間になるようです。

 現在の早稲田大学探検部の方々には、僕のような人間にはなってもらいたくないので、僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃の、庵谷の闖入のことをブログに書いてみました。

 以上、「神田川生活の闖入者 その4 フレアーなスカート、小学校の卒業文集」

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2016年9月28日水曜日

「朝ガスト カルテット待つ フットサル」(川柳かもしれない??)

「朝ガスト カルテット待つ フットサル」(川柳かもしれない??)

 昨日の朝、東日本大震災関連書籍を紹介してから、神田川沿いに赴き、神田川沿いの様子を定点観測し、「震災本を 集めてはやし 神田川」の句を詠むために、茗荷谷に赴きました。

 僕が、いつも利用しているサンマルクカフェに入ろうとすると、以前、僕が所属していた、本郷の森、銀杏企画のメンバーのカルテット(四人の仲間)が、サンマルクカフェの二階にある茗荷谷のガストから降りてくるのに遭遇しました。

 カルテットの中で、僕と面識のある方に、僕から、

 「元気ですか?」

 とお聞きしました。

 その方は、僕に、「これから、朝ガスト?」

 と聞いてきました。

 僕は、サンマルクカフェに入店しようとしていたのですが、「これから、朝ガスト?」

 と聞いてきました。

サンマルクカフェの二階がガストで、カルテットはガストで、「朝ガスト」をしていたのだと思います。

僕と面識のある方は、その後、「これから、フットサルなんだ」とも仰っていました。

カルテットが、ガストで麻雀をするように「朝ガスト」をしていたのかもしれませんが、カルテットには、きちんと、「朝ガスト」のあとに、作業所のプログラムの「フットサル」が待っていたようです。

その時に僕の心に浮かんだ句が、

「朝ガスト カルテット待つ フットサル」

です。

作業所のメンバーの方々カルテットの、朝の楽しいひと時の、「朝ガスト」と、その後に待つ、作業所のプログラム「フットサル」について、川柳かもしれませんが??、詠んでみました。

お粗末でした。

以上、「朝ガスト カルテット待つ フットサル」(川柳かもしれない??)


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2016年9月26日月曜日

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その3 新聞記者の闖入」

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その3 新聞記者の闖入」

 先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

 早稲田大学の有名人だった小川正治、小川正治の知り合いだった桜井誠人の闖入を書いてきましたが、今日は、早稲田大学探検部時代から左翼がかっていてやはり小川正治の知り合い(小川の高校(熊谷高校の後輩)の現在では北海道新聞に勤務している清水博之んの闖入について書いてみたいと思います。

 新聞記者の清水博之の闖入は、僕が開催した早稲田大学探検部33期OB会の「いい夫婦の会」を1122日に開催した際に、新宿のアイランドタワー44Fにある、「北海道」という居酒屋で開催した際にわざわざSさんが、自分の勤務地北海道から飛行機で上京し、「いい夫婦の会」に参加し、「いい夫婦の会」が終了してから、僕の戸山町にあるアパートに闖入してきて、一晩、僕のアパートに泊まっていきました。

 清水博之は、学生時代にやはり戸山町に住んでいて。戸山町界隈は懐かしかったのだと思います。

 戸山町には、明治通りに出る坂があるのですが、坂を見ると、

 「坂だ!!」

と叫んでいました。

やはり懐かしかったのだと思います。 

 清水博之は僕のアパートに闖入してきても、僕と話をするわけでもなく、僕の渡した寝袋にくるまり爆睡していました。

 北海道に帰る飛行機の時間が朝、早かったので、Sさんは目覚まし時計を頼りにきちんと朝起きて、僕のアパートを出ていきました。

 清水博之は、高校時代にサッカー部に所属したそうで、二枚目タイプの格好いい男でした。

 早稲田大学探検部時代も、山スキーとかしていて、大学時代も多くの女性からもてていました。

 文章も上手くて、僕は清水博之は将来は作家になれるくらいの人間だと思っていました。

 僕のアパートに闖入してきたころは、記事を書く新聞記者で自分の書いた記事を僕に見せてきたりしていましたが、新聞記者の方も、仕事で記事を書いているので文章はどんどん上達すると思います。

 そろそろ、高校時代を思い出して、作家の時間も作ってみるとかおもしろいのではないかと内心思っています。

 自分で何か作品を作って発表すれば、僕も期待して作品を読んでみたいと思っています。

 新聞記者の方々も、仕事での記事の執筆以外にも、自分の世界を表現した作品を作ってみたいとも思っているのではないかと内心思っています。

 僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃に闖入してきた清水博之はもともととても才能のある方だと僕は思っているので、ルポルタージュでも、小説でも自分の作品を作って発表して頂ければ良いなと内心思っています。

 以上、「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その3 新聞記者の闖入」

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2016年9月25日日曜日

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その2 赤ひげ、UDON」

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その2 赤ひげ、UDON

 新しく、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いてみるシリーズをブログで連載していきたいと思っています。

昨日の第一弾は、早稲田大学の有名人だった小川正治さんの闖入のことを書きましたが、今日は現在では博士号を持っている桜井誠人の闖入のことを書きたいと思います。

桜井誠人も、昨日書いた、小川正治と、某国立大学の受験の際に出会ったそうで、桜井も某国立大学が第一志望の方でした。

桜井という闖入者は、僕のアパートに闖入してくると、映画が観たいと言ってきました。

早稲田界隈には品揃えの豊富なレンタルビデオ屋さんが多くあり、僕もレンタルビデオ屋さんの会員だったので、僕が良く観ていた、黒澤明監督の名作、「赤ひげ」をレンタルしてきてきました。

闖入者は僕のアパートで「赤ひげ」を観ていきました。

僕が何故、「赤ひげ」をセレクトしたかというと、闖入者が、将来的にエリートになると思っていたからです。

「赤ひげ」という映画は、小石川養生所での医師の活動を描いた映画でしたが、ヒューマニズムに溢れる、良質な映画だと僕は思っていました。

闖入者は、僕のアパートの13インチくらいの小さなテレビを食い入るように見続けていました。

「赤ひげ」は2時間くらいの映画だったと思いますが、闖入者は「赤ひげ」を観終わってから、「おもしろかった」「あっという間だった」と感想を述べ、僕のアパートをあとにしました。

現在ではもう忘れているかもしませんが、「赤ひげ」は良い映画だと僕は思っているので、闖入者には、何度でも観ていただきたい映画だと思っています。

その後、何年かして、闖入者は僕に、「UDON」という映画を勧めてきました。

闖入者が勧めてきた「UDON」という映画を僕は観ましたが、わざわざ「UDON」についてはコラムのようなことを書きたいと思うような映画ではありませんでした。

闖入者はもともと理系でとても優秀な方ですが、映画に関しては、あまり見る眼がないと思いました。

闖入者からすると、僕が将来的に、「UDON」になると思っていたのかもしれません。

僕が闖入者に「赤ひげ」を勧めたように、闖入者は僕に「UDON」を勧めて来たのだと思います。

その後、僕は2010年に、Twitterを開設し、アカウント名も@uedon1103にしました。

僕が@uedon1103を開設し、毎日、頑張っているように、闖入者にも「赤ひげ」くらい立派な人間になっていただきたいと内心思っています。

以上、「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)その2 赤ひげ、UDON」

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2016年9月24日土曜日

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)、定点観測」

「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)、定点観測」

 僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、僕のアパートに闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が来ました。

 闖入者はOというイニシャルを持った人間で小川正治という人間で、早稲田大学では有名人でした。

 闖入者とは、早稲田大学時代に話をしたことがあり、僕が文京区出身だと言うと、

 「文京区、暗い」

 と言ってきました。

 闖入者の小川正治は、浪人時代に文京区で勉強していたそうで、文京区の暗さは良く知っている人間だったと思います。

 闖入者は某国立大学(京都大学)が第一志望だったそうですが、京都大学に落ちて、早稲田大学に来た、良くあるパターンの人間でした。

僕は、もともと、早稲田大学が第一志望だったので、国立大学にコンプレックスは持っていませんが、早稲田大学に来る人間は、国立大学が第一志望で、国立大学に落ちて、早稲田大学に来る人間も多くて、早稲田大学の学生のコンプレックスの一つに、国立大学コンプレックスがあるのだと思います。

 闖入者ももともと、京都大学が第一志望だったので、早稲田大学とかに来ても、早稲田大学に満足していなかったのだと思います。

 闖入者は、戸山町にある僕のアパートに一晩泊まっていきましたが、僕のアパートに滞在している時も僕と話をするわけでもなく、僕のアパートにある本を読んでいました。

 早稲田大学に来るような人間は、

 口では、

 「文京区、暗い」

と言いますが、本心では、東京大学のある文京区で、勉強したかったとか思っているのではないでしょうか?

闖入者は、一晩、僕のアパートに滞在し、朝になって、出ていきました。

多分、闖入者は本が読みたかったのだと今では思っています。

闖入者は、早稲田大学の学生に良くあるパターンの国立大学コンプレックスを持っていた方だったのかなと今では思っています。

本を読んで、真理を探究することも大事なことかと思いますが、僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた時に、隣人からアドバイスされたことに、

「定点観測」

という事があります。

「定点観測」とは、ウイキペディアによると、

その観測業務に類似して定点(同じ場所)から、画像、天候・気象、数、交通量、火山の活動状況などの情報を時系列的に観測(観察)・比較して分析のために、その差異情報を提供する場合にも定点観測と言う言葉が用いられることが多い。

とのことらしいです。

早稲田大学で本を読んで真理を探究することも良いことだと思うのですが、

「定点=同じ場所」の様子を観測し続けることとかも、おもしろいのではないかなと僕は思っています。

本を読むこともとても大事なことだと思いますが、本を読んだことから、一歩前進して、

「定点観測」

をしてみるとかおもしろいのではないかと僕は思っています。

僕が毎日のように、文京区の神田川沿いに赴き、神田川沿いの様子を

「震災本を 集めてはやし 神田川」

の句とともにツイートし続けているのも、僕にとっては、「定点観測」です。

東京大学のある暗い文京区で、本を読んで勉強することも良いことだと思うのですが、本を読み過ぎると、おかしくなってしまわないかなと心配です。

僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃の闖入者の僕の住んでいたアパートでの行為から早稲田大学の学生さんの本好きのこと、本を読むことより、本を読んだことから一歩前進して「定点観測」とかしてみるとかおもしろいのではないかということについてブログに書いてみました。

以上、「神田川生活の闖入者(ちんにゅうしゃ)、定点観測」

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2016年9月22日木曜日

「バスハイクで俳句を詠んでみる」

「バスハイクで俳句を詠んでみる」

 先日の、本郷の森のブログを読んでいたら、バスハイクに行ったことが書かれていました。


 ブログがアップされていたのは、99日、重陽の節句の日でした。

 バスハイクのブログの文章の中では、動物と戯れたこととか、美味しいものを食べたことが書かれていました。

 ブログを読んでいると、何か出来事について詰め込み過ぎのような気がしました。

 バスハイクでの出来事を網羅して書くことも良いことだと思いますが、バスハイクというくらいですから、例えば、俳句の五七五の17文字にバスハイクへの思いを凝縮させることとかもおもしろいのではないかと思いました。

 事実を網羅して書くこともとても大事なことだと思いますが、日本人が持っている、俳句の世界で、バスハイクのことを詠んでみるとかおもしろいと僕は思います。

 五七五の17文字で、バスハイクを表現できるようになれば、バスハイクのバスハイクたる所以(ゆえん)も生まれると思います。

 言葉を沢山使って、ブログを書くことも良いことだと思うのですが、あまりにも言葉が多いと読むほうも大変です。

 俳句のような五七五の17文字でバスハイクに行った心境を表現できるようになれば、読み手の側も句を詠んだ方の心の動きについて関心を持つようになるかもしれません。

 先日のバスハイクのブログでは、行間をわざわざ作っていました。

 以前、僕が文学作品のようにブログでは行間を読む(書き手の思いを読み取る)とかのようなことは必要ないのではないかと書いたので、わざわざ、ブログで行間を作っているのでしょうか?

 小説とか、エッセイ(随筆)とか、ルポルタージュ作品とかを読んで作者の真意を読み取ることは、作品ときちんと対峙することになるのかと思いますが、ネットにあるブログを読んでブロガー(ブログの書き手)さんの真意を読み取る(行間を読む)ことはとても大変なことです。

 話が脱線してしまいましたが、本題に戻します。

 言葉遊びになってしまいますが、バスハイクというくらいですから、俳句を詠むことの出来る小さな旅だと思います。

 常日頃、真面目に作業に励んでいらっしゃる、メンバーの方々が体験できる、小さな旅がバスハイクだと思います。

日本の俳人も、松尾芭蕉を代表に、旅をして、渾身の思いで俳句を詠んでいたものと思われます。

 松尾芭蕉のような、大きな旅が出来なくても、東京近郊に、バスで旅が出来る貴重な機会がバスハイクなので、自分の思いを俳句に託して、一句詠んでみるとかおもしろいのではないかと思いました。

 なんでも自分の習慣にすれば、身に付いていくものと思います。

 バスハイクに行った際に、五七五の17文字で自分の気持ちを表現する練習とかを意識するようになれば、バスハイクのバスハイクたる所以(ゆえん)も生じてくると思います。

 楽しいバスハイクで、俳句を詠むのは面倒くさいという方もいらっしゃるかもしませんが、自分の気持ちを表現する習慣を身に着けることは、とても大事なことだと僕は思っています。

 先日の重陽の節句にアップされていた、バスハイクのブログを読んでいて、バスハイクで俳句を詠んでみるとかおもしろいと思ったので、ブログを書いてみました。

 以上、「バスハイクで俳句を詠んでみる」

ブログに載せます。