「10月は1日平均8595歩歩いていたようだ」
2022年10月31日月曜日
「10月は1日平均8595歩歩いていたようだ」
「10月にしていたこと」
「10月にしていたこと」
昼間で空いている時間は、ブログのラベリング(ブログのカテゴリー別分類作業)などをしていました。
僕が1988年に早稲田大学探検部でチベットに行く前に書いていた日記もブログにアップしました。
(ウエストサイズゆったりのワークパンツを購入)
10月3日 紫藤クリニックに自立支援医療の診断書を取りに行った。
(診断書代は5500円もした)
自立支援医療と精神障害者手帳の更新手続きをしに文京区役所に行った。
(マイナンバーカードで代用できるようになれば良いと思った)
小日向台町歯科に通院。(上の前歯のブリッジが取れてしまったので)
10月5日 小日向台町歯科に通院
10月6日 かさい眼科で緑内障の視野検査予約。
10月8日 ダウンジャケットをクリーニングに出す。(1500円くらいしまた)
10月9日 文京区から郵送されてきた「区民の生活ニーズに関する調査票」に回答し、返送しました。
10月10日 プリンターが故障していたので、Canonのサイトで、5000円以内で購入できるプリンターを注文しました。
自分の部屋にあったパナソニックのノートパソコン、レッツノート、DELLのノートパソコンをRe Net リサイクルというサービスで処分することをネットで予約した。(データ消去代がパソコン1台につき、3000円かかりました)
データ消去証明書はこちら
自分の部屋のプリンターの処分をRe Net リサイクルというサービスで、ネットで予約した。(無料)
セブンイレブンのセブン銀行ATMでマイナポイントの申し込みをした。
Suicaでマイナポイントの申し込みをした。
自分の部屋の掃除、雑巾がけをした。
10月11日 自分の部屋の本棚の整理整頓、雑巾がけをした。
10月11日 デイパックの整理整頓をした。
10月11日 財布の整理(診察券、お薬手帳をカードフォルダーに入れる)
10月11日 Re
Net リサイクル(佐川急便が代行)にノートパソコン、プリンターの入っている段ボールを引き渡した。
自分の部屋の掃除、雑巾がけ。
10月12日 高田馬場の楽天モバイルで、携帯電話のプランを楽天アンリミテッドに変更した。スマホ自体も新しいスマホを購入(楽天アンリミテッドは僕の持っていたスマホでは利用できないので新しいスマホを購入、OPPOのReno7Aというスマホを購入、機種代金は楽天ポイントの分を差し引いても約3万円しました。)
小日向台町歯科に通院。
10月13日 新しいスマホ、OPPOのReno7Aのセッティング。
かさい眼科で緑内障の視野検査。
スギ薬局に緑内障の目薬をもらいに行った
キャノンプリンターを受け取った。
10月14日 床屋に行った。
10月15日 クリーニングに出したダウンジャケットを取りに行った。
10月15日 プリンターのUSBプリンターケーブルを楽天市場で探して注文した。
10月16日 シャツ、ズボン、ヒートテックを洗濯した。
10月19日 枕カバーとシーツを洗濯した。
10月19日 プリンターのUSBケーブルを受け取る。プリンターのセッティング。
10月20日 自分の布団を干した。
自分の部屋の掃除、雑巾がけ。
故障していたDELLのデスクトップパソコンとモニターを電源から取り外し、パソコンラックの机を掃除した。(雑巾がけ)
自分の部屋のパソコン(DELLのデスクトップパソコンを)の処分をRe Net リサイクルで、ネットで予約した。(データ消去代が3000円)
DELLのモニター回収をDELL リサイクルサイトでネット予約した。
デイパックの洗濯
10月21日 寝巻にしているスエット上下を洗濯。
DELLのデスクトップパソコンをRe Net リサイクル(佐川急便が代行)に段ボールールを引き渡す
10月22日 紫藤クリニック受診。
10月23日 文京区防災アプリをスマホにインストール。
自分の部屋の掃除、雑巾がけ。
文京区から郵送されてきた脳の健康度測定」のチェック書類を確認する。スマホで脳機能チェック(脳年齢53歳だった)
ブルースクリーントラブルを繰り返していたCHUWIのノートパソコンの処分をRe Net リサイクルでネットで予約。(データ消去代3000円)
自分の部屋にあった夏物ズボンの整理。(洗濯してからゴミ袋に入れて箪笥にしまっておく。)
10月24日 CHUWIのノートパソコン、体組成計、スキャナーの入っている段ボール箱をRe Net リサイクル(佐川急便が代行)に引き渡す。
10月26日 自分の部屋の掃除、雑巾がけ。
部屋の掃除をして、今年来た年賀状以外の年賀状を捨てる。
スギ薬局で母の薬を受け取りに行く。
10月27日 毛布を洗濯。
DELLのモニターをPCリサイクルに出す。(小石川郵便局に集荷を頼んで引き取ってもらった)
9月26日に受診した文京区の健康診断の結果を聞きに坂巻クリニックに行った。(コレステロールの値を下げる薬、胃薬を服薬することになった)
10月29日 池袋ビックカメラパソコン館で電源タップ購入。
池袋ジュンク堂書店で「東電役員に13兆円の支払いを命ず!」「線量計と奥の細道」購入
母の脊柱管狭窄症が悪くて、母の介護や家のことをしている時間が長かったです。
洗濯は、家では僕の仕事になりました。
母が処方された薬を薬局に取りに行くのも僕の仕事になりました。
これからも母の介護で家のことをするのが僕の仕事になると思います。
以上、「10月にしていたこと」
ブログに載せます。
2022年10月29日土曜日
「ブログのページビュー数が72万ページビューを超えていた」
「ブログのページビュー数が72万ページビューを超えていた」
2022年10月20日木曜日
「チベットに行く前の1988年1月19日の日記 幸福」
「チベットに行く前の1988年1月19日の日記 幸福」
主人公は自分の自尊心のため、自らの才能の暴露を恐れ、詩人になることをあきらめ、人生に妥協し、官吏となる。
しかし、そこでも彼は、その自尊心のためにこの生活に耐え切れなくなり、しっそうし、ついには虎となってしまうのである。
2022年10月19日水曜日
チベットに行く前の1988年1月27日の日記 価値観 アンチテーゼ」
チベットに行く前の1988年1月27日の日記 価値観 アンチテーゼ」
ただ、現実を直視した冷静な目のみがある。
しかし、これは、現代に対する鋭いアンチテーゼなのだ。
2022年10月11日火曜日
「チベットに関する書類、探検部とは何か」
「チベットに関する書類、探検部とは何か」
近年の円高傾向と、海外旅行熱にあおられて、日本人の多くが、海外に足を伸ばすようになり、科学技術の発達とともに金があれば近代的装備が使用でき探検も容易になっており、私たち探検部の希少価値はしだいに低下していくようだ。
マスコミの取材班を見れば分かるように、テレビ局の取材班のようにハイテク技術を駆使した装備を使用し、充分な資金と労働力を持つ遠征隊を組んでの企画も数多く見られる。知らないような土地はほとんど踏査し尽くされており、実際に地球上を見ても、真の秘境と呼ばれるような地域は存在しないように思われる。
このような状況の中で、充分な資金がなく、充分な装備も使えない探検部の存在意義を見言い出そうとすれば、結局、若さにまかせた好奇心と行動力しかないと思う。
探検部という言葉にこだわりすぎて、私たちは束縛される必要はない。
考えて考えて、身動きがとれないよりは、行動しながら思考していくべきであると思う。
そのような信条のもと、私たちは今回のチベット探査も行ってくる。
その方が、内容が濃い探査が行えると思う。
ブログに載せます。
2022年10月10日月曜日
「チベットに行く前の1988年3月28日の日記 百聞は一見に如かず」
「チベットに行く前の1988年3月28日の日記 百聞は一見に如かず」
最近、自分が何をしたいのか分からなくなってきた。
何か探検部というものに拘束されているようでイヤになってきた。
確かに海外には行ってみたいが、その他のことはどうもしたいとは思わない。
全く自分勝手で責任感がないが一年間休部したいと思う。
何を欲しているのか、多分、果てしなく広い学問かもしれない。
一年間大学に行って、自分がどれだけバカかが分かったような気がした。
政治に関しても経済に関しても、表面的なことばかりを追っていて、その本質的分析などはほとんどしていなかった。
海外に行って、向こうの人たちと生活してみて、俺が考えていたことは、全くマスコミによってゆがめられた現実しか見れなかったような気がする。
百聞は一見に如かずというが、まさにその通りである。
とは言っても、全くの無知で向こうに行くのと、しっかりした基礎的観念を持って、向こうに行くのでは、大きな違いがある。
一年間、勉強らしい勉強もせず、ただ行動を追い求めていたことは、ある意味、俺にとって大きな経験であった。
しかし、去年は、手段が目的化してしまう傾向があまりに強すぎて、しっかりしたヴィジョンを持続できずに投げやりな行動が多すぎた。
今年は、もっとたくさんの本を読みたい。
自分は肝っ玉が小さい方である。
本来、行動派ではないのかもしれない。
どもりのために、何かある度に落ち込んでしまう。
どもりは果たして直るのだろうか?
どもりのピエロも世間ウケはいいが、本人にとっては苦痛以外の何ものでもないのである。
社会に対して何かをしていきたいと思っていながら、どもりは、意思伝達にとって著しく大きな障害となる。
以上が1988年3月28日の日記です。
僕が早稲田大学に一年行ってみて、自分がどれだけバカか分かったと書いています。
海外に行ってみて、百聞は一見に如かずと思ったことも書かれています。
僕がどもるために何かある度に落ち込んでしまうことも書いてあります。
僕がどもるために意思伝達の際に大きな障害になってしまうと考えていたことも分かります。
1988年3月28日の日記を読み返していたらおもしろかったのでブログに載せます。
2022年10月9日日曜日
「チベットに行く前の1988年3月25日の日記 価値観」
「チベットに行く前の1988年3月25日の日記 価値観」
1988年の3月25日の日記は以下のような日記でした。
3月25日(金) 天気 くもり
最近、どうも頭が働かなくなってきた。
90分単位で頭を休めないと頭に入らない。
いきなりサミュエルソンの経済学というのをやっているが、やはり俺はバカだと思う。
何をやるにも集中力が無いのである。
カミュの言っていることは当たっていると思うが、それを全人類に当てはめてみると、疎外される人間が限りなく出る。
やはり、文学は一つの高尚な小宇宙なのである。
芸術的なものと経済学を一緒にやっていると、全く価値観は異なっているようで、実はお互いに補完し合っていることに気づく。
芸術の栄えるところには、必ず大規模な経済社会があるし、経済的成金の最終的に求めるところは、芸術的名声なのである。(コレクションにおいて)
同様のことは、政治の分野でもそうであるだろうし、科学もまたしかりである。
それぞれの適した分野において精一杯のことをやれる社会、つまり自分の能力を最もよく発揮でき、なおかつ、職業的差別、金銭的差別のないような社会で、お互いに他人を認め合えうるような社会が良いのであろう。
それには、自分の立場から何かを主張することは絶対に必要であると思う。
それでいて、ちゃんと相手の立場を理解していることが必要なのである。
日本人は和を重んじ、相手の立場を考えすぎるあまり、本音が言えないことがあまりにもあり過ぎる。
お互い本音を言い合い、それでいて理解できる人間関係が最も良いはずである。
以上が1988年3月25日の日記です。
僕が文学的なもの、芸術的なものと経済的なものは、全く価値観は異なっているようで、実はお互いに補完し合っていることに気づいていることが分かります。
文化に関する考察を日記でしていたようです。
1988年3月25日の日記を読み返していたらおもしろかったのでブログに載せます。
2022年10月8日土曜日
「チベットに行く前の1988年3月9日の日記 情報化社会」
「チベットに行く前の1988年3月9日の日記 情報化社会」
1988年の3月9日の日記は以下のような日記でした。
うちの家庭から笑顔が消えた。
親も兄貴も懸命に働いているので、どうしても家では暗い表情になっている。
俺もみんなに影響されているのか、全く気が滅入る。
親に対して文句など言うようなトシではないが、明るさが大切だぜ。
俺は何をすべきか分からない。
勉強をして何かをやりたいが、周囲からは、何か非難の目が浴びせかけられているようである。
人間は、平等であるというが、生まれる環境により、全く違った価値観に取りつかれてしまうのではないか。
文京区に生まれた俺は幸せだ。
勉強することが、一番の大切なことであったから。
しかし、俺の家では、まだ、そのへんのことを認めてくれないようである。
働き金を稼ぐことはもちろん大切なことであるが、そればかりで、遊びもせず友達もなく、日々つらい生活を送ることが幸せなのか。
自分の親であるから、俺には断定的なことは言えないが、今の親の姿を見ているとやりきれなくなる。
始めは、同情していたが、今では、それが俺自身にまではね返ってきて、俺を苦しめる。
親の世代は禁欲的生産社会であり、その上に成り立っているのが、俺らの大量消費社会である。
この2つの世代の間のギャップの大きさはものすごいものがある。
そこで揺れ動く人間の困惑は健全な人間の成長を妨げるものである。
まして、今は情報過多の社会である。
何かをやっていない人間、つまり大学生にとっては、限りない選択の幅があり、一つまちがえばとんでもない方向に行く世の中である。
ああ上原よ、何故にそんなに女々しく弱いのだ。
外から見れば下らないことではないか。
以上が僕がチベットに行く前の1988年3月9日の日記です。
情報化社会の危険性をこの文章で書いています。
1988年3月9日の日記を読み返していたらおもしろかったのでブログに載せます。
2022年10月7日金曜日
「チベットに行く前の1988年3月1日の日記」
「チベットに行く前の1988年3月1日の日記」
1988年の3月1日の日記は以下のような日記でした。
奴も体に似合わず繊細な神経の持ち主である。
どういうことはないのだろう。
インドに行っても、初めはいろいろととまどうと思うが、奴なら適応していくだろう。
奴のパワーは今の俺にとっても一つの刺激となる。
全く困ったものだ。
昨日見たコーラスラインといい、今日聴いたリック=スプリングフィールドといい、そして倉島の電話といい、俺はやけに元気が出てきた。
今までが元気がなさすぎたのかもしれない。
本を読むとどうしても気持ちが明るくならないものだ。
単純と言われようが、明るいということはいいことだ。
しかし、この3月を俺は何をしていくかまだ決断しかねている。
勉強したいところであるが、先のことを考えるとバイトをしなければならないだろう。
何しろ、みんなに何も言わずに合宿免許に行ってしまったのである。
裏切りと言われても仕方ない。
斉藤からのバイトもまわってこないようだ。
やはりきちんと言っておくべきだったかもしれない。
3月になり、空気も春めいてきた。
退院してからの気の滅入る生活からもおさらばで、これからは燃えるような生活をしたい。
夏にはジンバブエに行きたいが、そのためには多くの犠牲が必要となってくるだろう。
しかし、ジンバブエには今しか行くチャンスがないような気がする。
20才最後のバカ行動として、思い切ってやるべきだ。
やはり、働くか。
俺は他人に気を使い過ぎたのかもしれない。
自分の好きなことをしてこそ、後悔はないはずという俺にとっての大きな真理を実践してこそ先が見えるような気がする。
全く今回は、浮かれ気分でろくなことも書けないが、荒ぶる心が生まれてきたぜ。
僕がジンバブエというアフリカの国に行きたかったことが分かる文章だと思います。
早稲田大学探検部の同期だった倉島がインドに行くということで電話があり、僕もエキサイトしていたことも分かります。
2022年10月6日木曜日
「チベットに行く前の1988年2月25日の日記 アンチテーゼ」
「チベットに行く前の1988年2月25日の日記 アンチテーゼ」
1988年の2月25日の日記は以下のような日記でした。
今日、俺はほとんどの時間一人であった。なんとなくさびしかった。
むこうにいるときは、彼女が欲しいとはあまり思わなかったが。
今日、俺は急に女の子たちのことを思い出した。
都会の中での孤独が俺を弱くしていく。
こんなことではいけないと思っても、やはり一人である。
これからバイトをするか本を読むかどちらがいいか?
金は欲しい。
しかし、勉強していると一人でいることが苦痛にならない。
今年の夏、ジンバブエに行きたい。
しかし、問題は金である。
したいことのためなら、生活を犠牲にするのが俺のポリシーであった。
しかし、今、本当にしたいことは何なのだろうか?
遊びたいのかもしれない。しかしそれにも金がいる。
本も読みたい。
どもりも直さなければならないはずである。
このままでは大人社会の中で生き抜いて行けるのか?
社会へのアンチテーゼだとかなんとか言っても、苦しみに耐えていけるのか?
ピエロの真似ごとが俺にできるのか?
暗いピエロなら、真面目一筋の方がいいに決まっている。
自分の存在がギャグだと言われて、笑っていられるのも今のうちだけかもしれない。
又、何かが心の中で変わってきているようである。
2022年10月5日水曜日
「チベットに行く前の1988年1月13日の日記 混沌 価値観」
「チベットに行く前の1988年1月13日の日記 混沌 価値観」
1月13日(水) はれ
人間は楽しく生きるべきか?楽しいだけは何かをなすことはできない。気が滅入っている。
俺は孤独に耐えられないのかもしれない。
支えがないのである。甘えてはいけない。
俺は男だ。されど弱い。強さが必要だ。
強さだけでは優しさは生まれない。
“タフでなければ生きられない、優しくなければ男じゃない”
何と難しいことだろう。
下らんことに悩むバカよ。
負けるな一茶ここにあり。
意志の力で自分を支えていくしかない。
逃避の楽しさを否定することはできるが、現代は甘えの構造と呼ばれる。
甘えようと思えば甘えられるのである。
楽しもうと思えば存分に楽しめるのである。
そのとき人は何か忘れ物をしていないだろうか?
忘れ物をしたときには、もしかしたら、惰性と妥協の一見楽しい、いや、真に楽しい生活ができるのかもしれない。
しかし、忘れ物をしなかった者は、俺から見ると美しいのである。
そうだ、美しく生きているのである。
俺の親も俺から見れば、やはり美しいのである。
それが、現実には不幸であったかもしれないが。
しかしそれは、一つの価値観の問題である。
生きるために働くことができた世代の了見の狭さは俺も痛感している。
しかし、それでも俺は彼らに勝っているとは思えないのである。
もう、ハタチである
このままでは、混沌の中に突っ込んでいく。
これはざんげであるかもしれない。
充足しない自分に対して甘えているのだ。
強くなれ!
2022年10月4日火曜日
「チベットに行く前の1988年1月10日の日記 創造」
「チベットに行く前の1988年1月10日の日記 創造」
今日、国立競技場にラグビー大学選手権の決勝戦を見に行った。
早稲田は11年ぶりに優勝することができた。
俺がワセダに入学して早々に優勝できたことはまことにうれしいものである。
ワセダの堀越は何か運の強さのようなものを持っているような気がする。
これで俺もやっとワセダの大学生になったような気がした。
最近、なんとか俺も大学生らしくマージャンやパチンコをし、たばこも吸うようになった。
何か、二十歳を過ぎて去年の11月あたりから何かが変わってきたようである。
中学・高校と遊びらしい遊びもしなかった者としては仕方ないが、世間の非難を浴びることはやむをえないだろう。
しかし、未知の世界を少しでも減らしていきたい俺は、これからも良いも悪いもいろいろなことを経験していきたいのである。
人間が何かを創造するためには楽しいだけではできないと思う。
何かを成し遂げようと思ったときからその人の苦しみは始まるのかも知れない。なぜなら成功することは、失敗の山の上にあるからであり、挫折の末にあるからである。
また、才能が無ければ、ほとんど不可能なのかもしれず、そのまま死んでいく人間、あきらめて妥協する人間、忘れてしまう人間がいる。
俺は最近、後者の2つの方向に向かっているのかもしれない。
それが大人の世界だから。
しかし、忘れることだけはしたくない。
カミュはいう。シーシュポスは重い石を山の上まで上げていき、神はそれをまた平原へ落とす。
彼の毎日は、無意味な石を積み上げていることである。
俺は負けない。
僕の入学した早稲田大学のラグビー部が大学選手権で優勝し、喜んでいるころが分かります。
人間が何かを創造するためには楽しいだけではできないと思う。
何かを成し遂げようと思ったときからその人の苦しみは始まるのかも知れない。なぜなら成功することは、失敗の山の上にあるからであり、挫折の末にあるからである。
とも書いています。僕が何かを成し遂げようと思ったときからその人の苦しみは始まると思っていることが分かります。
先日、部屋の掃除をしたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかったので日記に書いていた文章をブログに載せます。
2022年10月3日月曜日
「チベットに行く前の1988年1月7日の日記 混沌」
「チベットに行く前の1988年1月7日の日記 混沌」
いよいよ1988年になる。去年の俺は、おととしとは違った意味で素晴らしい一年であった。
2月の大学受験、3月の合格発表、4月の入学、4,5,6と皿洗いのバイト、7月から8月にかけてのヤップ。8月から9月にかけての百姓のバイト、9月から10月にかけての入院、10月から12月までの苦しみ、寿司屋のバイトと一つのしっかりしたヴィジョンに向けた行動とは思えないが、様々なことができて非常に面白い一年であったちがいない。
今年は、どんな年になるかまだ先は漠然としていて、はっきりしたものは見えてこないが、混沌としているからこそ楽しいのかもしれない。
先の見えた人生は、ある意味で楽しいとは言えないかもしれない。幸せであるかも知れないが。
とにかく失敗を恐れていては、何かをやることはできないであろう。
何度も挫けて、挫けて、そしてできれば、「挫けぬ男」になりたいものだ。
とにかく俺は、傲慢にだけはなってはいけない。
俺は根が単純だ。悪く言えば、優柔不断であり、よく言えば臨機応援である。その場に適応していく能力はいくらかあるのかもしれない。
それを支えていく力は、常に謙虚でいることであり、それが日和見主義であってもそれが俺の長所であるような気がする。
そろそろ一つの方向に固まっていかなければ、何かを成すことはできないかもしれない。
もう20歳だ。難しい所である。
以上が1988年1月7日の僕の日記の文章です。
20歳になり、自分のことを客観的に見て、何かを成そうとしていることが分かります。
先日、部屋の掃除をしたら、僕が早稲田大学探検部でチベットに行った1988年のDiary(日記)が見つかったので日記に書いていた文章をブログに載せます。
以上、「チベットに行く前の1988年1月7日の日記 混沌」
ブログに載せます。
2022年10月2日日曜日
「チベットに行く前の1988年2月27日の日記」
「チベットに行く前の1988年2月27日の日記」
1988年の2月27日の日記は以下のような日記でした。
しかも俺は親に最近甘えるようになってきた。これが正常な状態なのかもしれないが、正常な学生が将来変わったことが出来るのか?
何を言っているのか分からないが、親の愛情を受け入れている限り、俺は親に報いなければならないのではないか?
加藤先生の気持ちに対しても同じである。
俺が将来プー太郎になるようにあのようなことをしてくれたとは思えない。
社会にとって役に立つ人間になってくれよと俺をあれほど世話してくれたはずである。
このことは過去に対しての束縛なのであろうか?
俺は知らぬ間に自由を失ってしまったのか?
この自由は一体何なのか?
他人の気持ちだけを自分の利益に結びつけ、あとは勝手気ままにやることが、真の自由なのか?
俺にはやはり日本伝統の義理を強く持っているかもしれない。
口では過去に縛られるなと言っても、どこかで責任を感じてしまうのである。
これが大人の世界なのか?
20才というのがそれほどに意味を持っているとは思わないが、最近、自分の周囲に対して責任というようなものを感じ始めてきた。
尾崎よ、本当に卒業できるのか?
さびしくないのか?
2022年10月1日土曜日
「チベットに行く前の1988年6月19日の日記 チベット」
「チベットに行く前の1988年6月19日の日記 チベット」
俺は口ではいい加減なことを言っているが、その実はかなり一途なようなである。筋が通っていないとどうも心に引っかかるものができてしまうようである。
俺の小ささかもしれないが、どうしても嘘をつくことが出来ない性分だ。
もっと大人になれと思うが、その辺が俺の欠点だろう。
今回のメンバーは根本的に調査的なことには向いていないと思う。
学問的な探査などやるような連中ではない。
俺もそんなことをしたいとは思わない。
客観的に見れば、ただの海外旅行の延長であるだろう。
そんなことは百も承知で、今回の計画をしたのである。
行く1ヶ月前に、一番大きな壁にぶつかるとは難しい問題である。
探検部にいるからといって、みんなが探検家になるわけではない。
みなある意味で、趣味的な道楽サークルであるはずだ。
そこを認めては、何もできないのかもしれない。
探検部の価値は、とても大きいものがあるのだと思うのだが、俺も、こんなところで探検部に妥協したくはないが、必要以上の開き直りもまたいらないと思う。
難しいことばかり考えても解決にはならない。
行動をすべきだ。頭を必要以上に使うよりは楽天的な実践の方が大きなものが生まれる。
大人になろう。
「チベットに行く前の1988年6月3日の日記 チベット」
「チベットに行く前の1988年6月3日の日記 チベット」
探検部の肩書きを使っているだけに他の上級生にとってはおもしろくないことがあるようだ。
これは仕方ないことで事であろう。
確かに最近、俺もちょっと調子に乗り過ぎの所があるかもしれない。少し自重していかないとうまくいかないかもしれない。
春合宿では、自分の指導力の無さを痛感した。桜井はしっかりしているが、少しばかりのんびり派のところがある。倉島もやるときはやるが、さぼるときはさぼるので怒る気もしない。
しかし、そのいい加減さが良いのだと俺は思うのだが、とにかく、明日、明後日までに計画書を書き上げなければならなくなってしまった。
今夜ばかりは、俺も気合いを入れて頑張らなければならない。せっかくここまで4人まとまってやってきたのだから頑張るぜ。
他の探検部の上級生にとっては僕らのチベットカイラス隊がおもしろくないと思われているだろうと僕が想像していることも書いています。
「チベットに行く前の1988年5月26日の日記 チベット」
「チベットに行く前の1988年5月26日の日記 チベット」
悩みの種はなんといっても金の問題である。7月22日までになんとか30万は貯めたいが今の俺の貯金は約7万である。借金をしてでも30万にはしたい。
明日からは四万十川川下りである。こちらでもおみやげなどで大分金がかかりそうであるが、なるべく節約に努めたいものである。
中国語も悩みの一つである。1年の時、ほとんど勉強らしい勉強もしていなかったので仕方ないが、語彙が全く少ない。
今俺は深く考えず、目標に向かって進んでいるようである。深く考えることは行動をにぶらせるのかもしれない。勉強ももちろんしたいが、今の俺は自分の理想に最も近い一つの状態にいるような気がする。
去年の入院以来、俺は何かに気づき、何かを失ったのかもしれない。
失ったものは、10代の勲章であればよいが。これから先、失ったものを決して忘れないように、流されずに生きていきたい。
今年の夏、チベットへ、頑張るぜ!
「チベットに行く前の1988年5月12日の日記 チベット」
「チベットに行く前の1988年5月12日の日記 チベット」
今金がないが、とにかく30万は貯めたい。このメンバーで行けば、何か大きなことができるような気がする。倉島もようやく楽しそうな顔になってきた。嬉しいことである。桜井も人間が大きいので俺らのノリでもやっていけると思う。中谷に関しても探検部に対して非常になじめそうである。
また、インドから高橋が帰ってきた。あいつも3ヶ月もインドに行っており、向こうで何か大きなものを掴んだようである。
今の探検部は非常に活気がある。
いろいろと方針などで問題点は多々あると思うが、問題点ばかりでがんじがらめになって活動が不活発になるより、自由な状態で自分の好きなことをやっていた方が絶対に良いと思う。
外からはだらけているように見えても、内部で納得できるような行動ができていれば、おのずと外部に対してもアピールするものが出てきて良いはずである。
少数精鋭で目標を一つにしぼって活動することも良いことだが、いろんな奴らがいろんな活動をして、その総合から探検部としての一つの形が出てくれば、それが一番良いはずである。
とにかく今は活気があって最高の探検部である。
「チベットに行く前にリストアップしていた書籍」
「チベットに行く前にリストアップしていた書籍」