2016年1月31日日曜日

「おばあちゃんの原宿、巣鴨に行こう!!スマホがない東京に行こう!!」

「おばあちゃんの原宿、巣鴨に行こう!!スマホがない東京に行こう!!」

あまりにスマホを見ている人が周りに多いので、こんな、標語を思いつきました。

先日、巣鴨に行ったら、スマホを見ている人が少なかったです。

巣鴨界隈を歩くおばあちゃんたちは、笑顔の方が多かったです。

僕も、少し、IT機器から離れて、生活をしてみたいと思いました。

以上、「おばあちゃんの原宿、巣鴨に行こう!!スマホがない東京に行こう!!」

ブログに載せます。

2016年1月30日土曜日

「404エラーで1週間潰れた」

404エラーで1週間潰れた」

 先週から、お名前.comで、独自ドメインを購入して、自分のブログを独自ドメインに移行しようとしています。

 僕のサブブログは、myogavalley.comという独自ドメインに移行できたのですが、自分の本来のブログを独自ドメインに移行しようとすると、「404エラー」という表示が出てします。

 「404エラー」の表示はこんな感じです。

 




僕のサブブログと同じ要領で、設定をしているのですが、この「404エラー」が出てしまいます。

 早速、ネットで「404エラー」について調べました。

この「404エラー」とは、ブログのURLが、グーグル検索で見つからない場合に表示されるエラーのようです。

 自分のブログのURLが、グーグル検索で、見つからない時に表示されるエラーのようです。

 この「404エラー」のせいで、もう1週間位、独自ドメインにするために時間を潰してしました。

 独自ドメインにするだけで、これだけ時間を潰すとなると、時間のムダとも言えますが、

”Don’t give up”「あきらめという名の傘じゃ雨はしのげない」の精神で何とか、解決していこうと思っています。

以上、「404エラー」

ブログに載せます。






「棚卸 経過報告 販売単価の総計が200万円を超えました」

「棚卸 経過報告 販売単価の総計が200万円を超えました」

  一日に25冊、「震災本」を紹介して、毎回、25冊、Excelによる棚卸し作業を行っています。

 昨日までに、棚卸しした結果、紹介した、1150冊の「震災本」の販売単価の総計は、2,011,507円(2011507円)でした。

 1150冊紹介して、販売単価の総計が、200万円を超えました。

 開設しているTwitterアカウント、@uedon110のフォローワーさんは現在、

 僕自身@uedon1103も含めて、170アカウントを超えました。

 最近、原発に関する本がとても多いので、いろいろと工夫して、原発に反対している方のアカウントをフォローしています。

 原発に反対している方にとっては、宝庫のようなサイトですから、なるべく多くの原発に反対している方からのフォローを待っています。

 200万円以上の資産価値のあるアカウントですから、これから、もっと、フォローワーさんも増えても良いと思っています。

 販売単価だけで考えたら、資産価値200万円を超えている。物凄い価値のあるアカウントです。

 なるべく多くの方からフォロー頂ければと思っております。

 以上、「棚卸 経過報告 販売単価の総計が200万円を超えました」

ブログに載せます。

2016年1月29日金曜日

「チベット、ラサのサッカー」

「チベット、ラサのサッカー」

 僕は早稲田大学2年生の時にチベットに赴きました。                                 
チベットの首都、ラサに滞在しましたが、ラサの学校ではサッカーをやっている風景を目にしたことがあります。
ラサは、標高3600メートルを超える高地ですが、サッカーを楽しそうにやっていました。
ラサは、空気が薄く、走ったりすると息苦しくなる高地ですが、そのような高地でもサッカーをしていました。

 僕は、チベットの人がサッカーをしている様子を見ていましたが、チベットの人たちはとても楽しそうにサッカーをしていました。

サッカーボールを蹴っているチベットの人たちが楽しそうな顔をしてサッカーをしていたのが記憶に残っています。

日本でも、近所の公園に行くと子供たちがサッカーに興じている風景に出くわします。

サッカーをしている子供たちの様子は、チベットのラサでサッカーをしている人たちとほとんど変わりません。

外国に行っても、サッカーなどをしている人は、どこに行っても楽しそうにサッカーをしています。

チベットのラサの学校のグラウンドでサッカーをしているチベットの人たちも楽しそうでした。

国同士のサッカーの試合でも、きちんと練習しているチームが勝つし、負けたチームも、相手のチームの良いプレーなどを見て、そこから学ぶことも多いと思います。

サッカーには万国共通のルールもあるし、サッカーフィールドでは、共通のルールで試合をします。

サッカーフィールドには、政治的思惑を超えた、人間同士の技の競い合いがあり、得点という形で、試合の勝敗が決まります。

サッカーのルールに、集団的自衛権とか、武力行使容認とかのルールはありません。

サッカーフィールドでは、武力の行使がないからこそ、大人から子供まで楽しそうにサッカーを楽しめるだと思います。もし、サッカーフィールドで、武力の行使(拳銃を撃つ行為とか、ナイフで人を傷つける行為とか)とかが、認められるとサッカーというスポーツ競技も、残忍になり、楽しめない競技になると思います。

日々、新聞などで目にする安保法制の議論の報道を見ていると、日本は、本当に武力の行使をしたいのかと考えてしまいます。

スポーツをしていた人間なら分かると思いますが、スポーツのフィールドで、ナイフを使ったり、拳銃を使用したりしての、人間を殺傷する行為は認められていません。

安保法制が成立して、人間を殺傷する行為が認められると、学校でスポーツをしている健全な青少年たちも、ナイフや拳銃を携行するようになるかもしれません。

とても、野蛮で、粗野な世の中になる可能性があります。

昨年のラグビーワールドカップでのジャパンの快進撃で、大きな勇気をもらっていますが、健全なスポーツマンの方たちは、安保法制についてどのように考えているのか、関心があります。

チベットでサッカーをしていた人たちの姿を思い出して、昨年大きな話題になった、安保法制、集団的自衛権の行使について考えてみました。

以上、「チベット、ラサのサッカー」

くだらない内容ですが、ブログに載せます。








 
 

2016年1月28日木曜日

「神田川生活(一人暮らし)のとんかつ」

「神田川生活(一人暮らし)のとんかつ」

 僕が新宿区の書店で働きながら、一人暮らしていた頃、使っていたMacのノートパソコンのハードディスクをバックアップしたCDRを現在、使用しているWindowsPCで読めました。

 CDRを見ていると、 当時の状況が、昨日のことのように思い出されます。

 僕が一人暮らしをしていたのは、新宿区の戸山でした。

 藤尾潔さんというライターが「早稲田大学おもしろ話」に書いているように、家賃28千円の4畳半のおんぼろアパートに住んでいました。

 風呂はなし、トイレは共同トイレのアパートでした。

 神田川生活をしていたい時に、学生時代の友人、早稲田大学探検部33期OBの森山憲一からテープ起こしのアルバイトの依頼が来ました。

 2万文字くらいのテープ起こしでしたが、テープレコーダーとノートパソコンでテープ起こしをしました。

 僕の記憶が確かなら、テープ起こしした、ファイルを友人に渡すために、森山憲一の勤務する会社の近所まで、ファイルを届けに行ったと思います。

 ファイルを届けると、森山は飯でも食べようということで、森山人の知っているとんかつ屋さんに行きました。

 青山通り(国道246号線)から少し入った、とんかつ屋さんで、森山ととんかつを食べたと思います。

 とんかつ屋さんは、銭湯を改造して、とんかつ屋さんにしていて、お店の雰囲気もレトロで良かったです。

 とんかつを食べると、必ず、キャベツがついてくると思いますが、僕らが食事をしたとんかつ屋さんはキャベツも、新鮮で、美味しいキャベツだったと思います。

 僕は、中学生の頃、「とんかつ」という、作文を書いたことがあって、僕の作った、「とんかつ」という作文は、中学校の冊子に掲載されました。

 僕ととんかつの縁は、中学校の時に「とんかつ」という作文を書いて以来ですが、とんかつを食べることは、大人になるととんかつの味はどのように変化するのか、自分の中で確認する良い、作業でした。

 青山通り(国道246号線)から少し入ったところにある、とんかつ屋さんで、とんかつを食べた時のことは、当時、何ら書き残していませんが、今から思い返すと、一仕事終わった後で、とんかつの味が身に沁みたというのが感想です。

 246(青山通り)沿いには全く縁が無かったので、珍しいお店に入れて、おもしろかったです。

 最近は、地元、文京区を走る幹線道路、254(春日通り)沿いをウロウロしていますが、今度、254(春日通り)沿いで、どこかとんかつ屋さんがあったら入ってみようと思います。

 とんかつを食べた際の僕の感覚が10代だった中学生の頃とどのように変化しているかのか再確認する良い、機会だと思います。

 以上、「神田川生活(一人暮らし)のとんかつ」

ブログに載せます。










2016年1月27日水曜日

「やめてさっぱりした」

「やめてさっぱりした」

 僕は、障害者雇用で勤務していた会社を退職して以来、文京区の福祉施設に入所しました。
 
 福祉施設は、普通では考えらないことが日常としてまかり通っています。
 
 僕は、この人たち変だなと思いましたが、施設の悪口を言うと、施設にいられなくなるので、我慢して施設に通っていました。
 
 施設の職員には、「他人と仕事が出来ない」とか言われるし、

 メンバーからはバカにされるし、
 
 施設に通っていてもいいことがないので、施設を退所しました。

施設を退所して以来、自分でブログを書いたりしていますが、自分の好きなペースでブログを書けるし、嫌な職員とかメンバーとかと顔を合わせなくて良いので、精神衛生上、良いです。

長い間、寄付金を納めてきたので、寄付金を返還して欲しいですが、もともと、働いている人間から寄付金をもらって、働いていない人間に還元する仕組みの福祉施設なので、金はないだろうから、寄付金はどぶに捨てたものと思って、これからの人生を過ごしていこうと思っています。

以上、「やめてさっぱりした」

ブログに載せます。






 




 

2016年1月26日火曜日

「神田川生活(一人暮らし)の後輩のこと相談」

「神田川生活(一人暮らし)の後輩のこと相談」

僕が新宿区の書店で働きながら、一人暮らしていた頃、使っていたMacのノートパソコンのハードディスクをバックアップしたCDRを現在、使用しているWindowsPCで読めました。

 CDRを見ていると、 当時の状況が、昨日のことのように思い出されます。

 僕が一人暮らしをしていたのは、新宿区の戸山でした。

 藤尾潔さんというライターが「早稲田大学おもしろ話」に書いているように、家賃28千円の4畳半のおんぼろアパートに住んでいました。

 風呂はなし、トイレは共同トイレのアパートでした。

 僕が神田川生活(一人暮らし)をしていた頃に、学生時代に所属していたサークル探検部の後輩の柳田が、僕の働いていた書店でアルバイトがしたいと僕を訪ねてきました。

 後輩の柳田は僕と同じ、法学部出身で、大学を卒業しても、きちんと就職していないようでした。

 もう一人の後輩、佐藤正喜から、柳田のことを何とかしてあげて下さいと頼まれ、僕は自分が働いていた書店の店長さんに、後輩、柳田を紹介しました。

 以後、柳田は、書店で働くことになりました。

 店長さんに、「柳田はどうですか?」

 と尋ねたことがありました。

 店長さんは、「きちんと、働いている」と仰っていました。

 良く、職場になじめないとか、仕事が自分に向いていないとか言って、引きこもる人がいるようですが職場になじめないとか、仕事が向いていないと思ったら、単純に別の仕事を探せば良いと思います。

 嫌々、気を遣う職場で働くより、自分らしく働ける職場を探せば良いと思います。

 特に、日本の会社は、出世競争も絡み、職場で派閥が出来たりします。

 自分が、職場の中の派閥に属してないと、職場で、出世できないことは良くあると思います。

 柳田も、派閥とかになじめないタイプの人間だったと思います。

 書店ではきちんと働いていたし、どうみても、普通でした。

 心がおかしくなる原因は、自分の置かれている環境にあるのかもしれません。

 特に、人間関係は重要だと思います。

 職場で、毎日、毎日、嫌味を言われたり、怒鳴られたりしていると、精神的にも追いつめられて、心の病気になることが多いのかと思います。

 嫌味を言ったり、怒鳴ったりしている人間は、自分が嫌味を言ったり、怒鳴ったりしていた人間が心の病気になっても、何の責任も取ってくれません。

 医療費も全額、自己負担です。

 嫌味を言ったり、怒鳴ったりしている人間は、心の病気になった人間を、社会の落伍者と位置づけます。

 そんなことに耐えらないなら会社ではやっていけないと、言うでしょう。

 僕も、当時は落伍者で、ある会社を退職して、街の書店で働いていました。

 その落伍者の僕を後輩の柳田は訪ねてきたので、僕は心のなかでは、

「柳田は大丈夫かな?」

 と思っていました。

 僕は、きちんとした会社に勤務している同期の早稲田大学探検部33期OBの斉藤泰晴に連絡し、実は法学部の後輩が、僕の働いている街の書店で働きたいと僕を訪ねてきて、正直困っていると相談しました。

 僕が、相談した同期の斉藤も、法学部出身で、学生時代は探検部の活動にはまり、この人、卒業できるのかなと心配していた方です。

 その斉藤も、きちんと大学を5年で卒業し、就職しました。

 後輩の柳田も、法学部で、探検部でもかなり活動していたようでした。

 柳田も、僕の同期の斉藤のように、探検部の人間関係から離れて、まっとうに、働いて欲しいと思ったので、柳田のお手本になるS斉藤に相談しました。

 斉藤とは、斉藤の勤務している会社の近所まで行って、斉藤んの仕事に役に立つような情報が書かれている新聞記事の切り抜きを持って行きました。一緒に昼食を摂り、新聞記事の切り抜きを渡してから、

「実は、探検部の後輩で、僕の働いている街の書店で働きたいと訪ねてきた方がいる」

 と相談を持ちかけました。

 確か、サンドイッチだったと思いますが、斉藤はおごってくださったと思います。

 サンドイッチを食べながら、後輩の柳田のことについて相談しました。

 斉藤は、自分が探検部の活動にはまっていた経験があるので、探検部事情は知っている方です。

 僕の話を、苦笑いしながら聞いていました。

 僕は、早稲田界隈では、いまだにきちんと就職していない、探検部関係者がわんさかいると真面目に相談しましたが、

 斉藤からすると、苦笑してしまうような、早稲田大学探検部おもしろ話だったのだと思います。

 早稲田大学探検部は、活動自体がおもしろいし、学生時代に、あれだけおもしろい経験をしてしまうと、普通にサラリーマンとか出来ない人間になるのかもしれません。

 ただ、サラリーマン生活に慣れれば、余裕のある時、学生時代のように登山をしたりすることは出来ると思います。

 いつまでも、自分は社会に適応出来ないと思っている人間は、結局、外国に逃げたり、引きこもることになると思います。

 柳田んは書店ではきちんと働いていたので、柳田なら、普通に働けると思ったので、斉藤に相談しました。

 そもそも、僕と柳田は探検部で一緒に部室で話をしたり、活動したりした経験がなく、もともと面識のない人でした。

 僕が面識のある、3つ下の後輩から、紹介されて、柳田と関わることになりましたが、一緒に部室で話をしたこともなければ、一緒に活動したこともないので、柳田との人間関係を築のはとても難しったです。

 アルバイトが終わってから、一緒に、書店の近所のラーメン屋さん食事に行ったりしましたが、柳田は、もともと無口なのか、自分のことをあまり話しませんでした。

 少なくとも、仕事を紹介してくれと頼んでくるなら、自分のこともきちんと説明できないようでは、仕事を紹介する側も非常に困ります。 

 僕の働いていた職場は、街の普通の書店でしたが、お客さんの中には、早稲田大学関係者もいました。

 柳田と接していると、探検部の人間はいつからこんな、対人コミュニケーションが出来ないような人間になっのかと思いました。

 少なくとも、僕が働いている書店で働きたいと訪ねてくるなら、最低限のマナーとして、菓子折りとか持って来るとか出来ないのかなと不思議に思いました。

 いまだに学生気分で、探検部の先輩、後輩というだけで、なんとかしてくれると思っているのかなと正直、幼稚に感じました。

 ただ、3つ下の後輩、早稲田大学探検部36期の後輩からの圧力があったので、仕方なく、仕事を紹介しました。

 3つ下の後輩連中は、早稲田界隈に住んでいる連中も多く、早稲田界隈に行くと、遭遇したりしていたので、3つ下の後輩連中の圧力に屈する形になりました。

 ただ、僕に相談されても、僕の力では、柳田のことは、何と出来ないので、何とか出来そうなきちんと会社に勤務している斉藤んに相談しました。

 斉藤に相談しても、結局、柳田の就職には結びつきませんでしたが、自分の困っていることを相談出来たことだけでもありがたかったです。

 何か、人間関係で困ったことがあったら、相談だけでもしてみた方が良いと思います。

 以上、「神田川生活(一人暮らし)の後輩のことの相談」
 
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