2014年9月25日木曜日

「パソコン通信によるデータベース検索業務」

パソコン通信によるデータベース検索業務

僕は20代から30代にかけて、パソコン通信によるデータベースの検索業務を行っていました。
ビルのメインテナンス会社に勤務して、コンピュータからアクセス出来るデータベースを利用して、東京近辺の都市開発に関する情報を収集し、会社の各部署に社内報のような形で、配っていました。
会社のパソコンのOSはなんとMS-DOSで、グラフィカルユーザーインターフェースでなく、画面にコマンドを入力しながら、データベースにアクセスして、And検索、Or検索などを駆使して、様々な情報を収集してました。
当時の時代の最先端の「サーチャー」に少し近い仕事でした。
キーワードを入力しおけば、キーワードにヒットする情報が得られました。
このデータベース検索業務の仕事を長く行っていた経験が、東日本大震災の際にGoogle Readerを活用しての情報収集、Twitterを通じての情報発信に生きました。
災害時にはなるべく正確な情報が必要になります。
今ではパソコンやスマートフォン、タブレットPCが普及していて、情報の共有は当たり前になっています。
Google Readerがなくなり、情報収集がTwitterBlogなどに変化しているのかもしれません。
もう東京では、パソコン、スマホによる情報収集、タスクの管理が当たり前になっています。
1千万都市、東京の人間は総サーチャー化しているのかもしれません。
GoogleYahooなどの検索エンジンによる検索もサーチャーの仕事に似ていると思います。
僕がビルメインテナンス会社で行っていたサーチャーもどきの仕事を、現在では、パソコン、スマートフォン、タブレットを持っている人が簡単に行えるようになったようです。
時代の進化の良い所は誰にでも受け入れられるようです。
というわけで、僕が10年以上前に行っていた仕事は、今では需要がないようです。



くだらない内容ですがブログに載せます。

2014年9月23日火曜日

「デング熱」と「さようなら原発集会(広瀬隆氏)」

デング熱とさようなら原発集会(広瀬隆氏)

東京ではデング熱の脅威が盛んに報道されています。
代々木公園でデング熱が検出されて以来、東京各地でデング熱が検出されています。先日は、上野公園でもデング熱が検出されました。
先日の朝日新聞に、代々木公園で予定されていた「さようなら原発」アクションの催しが、デング熱の脅威を理由に代々木公園から江東区の亀戸中央公園に開催場所が変更されたとのことが紙面に載ってました。
政府主導の鹿児島県の川内原発に始まる原発再稼働に絡み、東京では「さようなら原発」の催しが代々木公園で予定されていました。
この集会には、原発問題の権威とも言える広瀬隆氏も参加し、集会の模様を空撮しようと考えていたそうです。
残念なことに「さようなら原発」の集会はデング熱の検出を理由に代々木公園での開催は中止されてしまいました。

政府 VS 市民、デング熱 VS 反原発の構図はネット上で話題になっているようです。

デング熱 VS 反原発集会。

さて、反原発の市民運動はデング熱の脅威に勝てるのでしょうか?

デング熱を権力者による生物兵器に見立てる論調もあるようです。

広瀬隆氏にはさようなら原発の集会が代々木公園から亀戸中央公園に変更されても、反原発の主張は変えないでで、代々木公園で考えていた空撮も是非行って欲しいと思います。

デング熱の脅威に負けずに都の公園での「さようなら原発」の集会は行って欲しいと思います。


くだらない内容ですがブログに載せます。






2014年9月21日日曜日

「大学受験」と「悪霊」(ドストエフスキー)

僕はTwitterは回転ずし的なメディアだと思ってます。フォローワーさんがお客さん。フォロワーさんにいかに安価に良いネタを提供できるか?僕は高級寿司店には行きません。回転ずしにお世話になっている人は、Twitterをやるんだと思うんです。フォローワーさんが沢山いる人は、それだけ、安く、良いネタを提供できる人だと思うんです。だからお客さんも付く。特に東日本大震災後は、その人が今までどのような価値観で人生を過ごしてきたかが分かるんだと思います。100円ショップ。コンビニ。ユニクロ。ドトール。生協。新聞販売店。郵便局。こういうお店にお世話になってきた人はTwitterの世界で通用するんだと思います。僕は大学受験に失敗して、一年間、東京新聞の新聞専売所に住み込んで、新聞配達をしながら受験勉強をしてました。毎朝、3時半に起きて、250軒くらいの家に新聞を配ってました。この経験が僕の人生を決定付けたと言えると思います。中央区の下町で雨の日も雪の日も転びながらも新聞を配ってました。英語の勉強はマ ンションに新聞を配る時の階段の上り降りの時に「出る単」を読みながら勉強してました。こういう勉強法でも英語が異常に難しい上智大学国際関係法学部に合格しました。
幸い、僕のことを理解してくださる塾の先生が文京区にいらして、な んと、無料で塾に半年、通わせていただきました。文京区の本郷にある塾の先生でした。出身大学は早稲田大学でした。僕は受験で、「早稲田」「上智」「明 治」に合格しました。恩師の先生が早稲田だったので、早稲田を選びました。早稲田大学入学後も、僕は楽しい仲間に囲まれ過ごしました。有意義な学生生活を 送れました。社会に出ると、出身大学とかでいろいろ言われ、これが社会かとびっくりしました。僕は勤めていた会社を辞めて、庶民的な街の本屋さんで働きました。お客さんはごくごく普通の人たちでした。僕にオススメの本や、売れ筋の本を聞いてくるお客さんも沢山いました。新聞配達、街の本屋さんでのアルバイト。この経験は本当に僕にとっては大きな経験です。
 僕は公立高校出身ですが、公立の高校というのは定時制もあり、若い頃から苦学している人が沢山いることを教えてくれます。勉強したくても、事情があり勉強できない人が沢山いることを教えてくれます。僕の高校時代の部活の顧問の先生は、定時制の先生も兼ねてました。
 高校時代の経験、新聞配達の経験、街の本屋さんでのアルバイトの経験。普通の学校生活だけは得られない自分の人間の幅を広げてくれる大きな経験だったと今でも思ってます。
そして、英語が異常に難しい上智大学に進まず、国語が異常に難しい早稲田大学に進んだことも正解だったと思ってます。苦学して、上智に進んでいたら、ドストエフスキーの「悪霊」とか研究していたかもしれません。

社会変革に情熱を燃やす、無神論者たちの、社会変革について研究していたかもしれません。

早稲田に進んで、何事も客観的に見る視点を教えていただいたことは感謝してます。













2014年9月20日土曜日

「人生のモチーフ」


その世代その世代で、自分の人生のモチーフとなる、本だったり、映画、テレビドラマがあると思います。
僕の人生のモチーフとなっている本は、冒険家の植村直己さんの「青春を山に賭けて」だったこともありました。
植村直巳さんは僕が子供の頃、国民栄誉賞を受賞して、冒険の素晴らしさを日本国民に伝えてくれました。
植村直巳さんのような冒険がしてみたいと思っていた子供たちは日本中にいたと思います。
「青春を山に賭けて」の影響もあり、アウトドア活動を真面目に行っている、早稲田大学探検部に入部し、日本各地の名山、幸いなことにチベット(ヒマラヤ山系)のトレッキングを体験できました。
でも年をとると、植村直己さんの本は人生のモチーフになりにくくなってます。
何か、今後の人生のモチーフになるような、本なり、映画なりに出会ってみたいと思ってますが、とにかく年を取ってからの読書とか、映画鑑賞は若い頃のように本当に感動したり共感したりするものがなかなかありません。

最近は落語なり、時代劇に走りそうです。でも通っている障害者支援施設ではドラえもんとか、金八先生の話をしてます。仕方なく、施設では、ドラえもんなり、のび太くんなり、3年B組なりを演じてます。

せっかくの、休日は、もう40半ばを過ぎているので、「週末に楽しむ中高年障害者の文京区界隈歩き」とかいう本があれば人生のモチーフになるのかなと思ってます。

他にも乙武洋匡さんの「五体不満足」なども同じ障害者の方が書いた本として、人生のモチーフになるかもしれません。

何か、今後の人生のモチーフになるような、本なり、映画なりに出会ってみたいと思っています。


くだらない内容ですがブログに書きます。

2014年9月17日水曜日

「5秒の緊張感」

最近、良くブログに書いてますが、僕は20代の頃、テレビ番組制作会社に勤めてました。
勤めている頃、僕が非常に学んだのは、現場で取材撮影するカメラマンの方でした。
重い撮影用のカメラを担いで、取材する対象をなんとか捉えようとします。
僕も取材現場に同行させていただいたことがありました。カメラマンの方は、30分テープを基に撮影していましたが、盛んに「5秒の緊張感」という言葉を使ってました。
そのカメラマンの方が言うには、若い頃は長回し出来る30分テープがなかったので、撮影用カメラを担いで、取材対象を5秒間で切り取っていたということを言っていました。

5秒間の緊張感の中で取材対象を切り取るのとの気持ちで、ビデオカメラで取材対象を切り取るとのことです。
そのカメラマンの方が切り取った取材対象は、編集する僕にとっても、編集しがいのある映像の数々でした。

映像の世界も職人気質が強い世界でした。
あくまで、人間と人間が協力して仕事をする世界です。
カメラマンの方が取材現場で、5秒の緊張感の中で必死に切り取った風景は、編集しがいがありました。

昨日は関東地方で、比較的大きな地震がありました。東京都心でも縦揺れの大きな揺れがありました。僕も昨日は大きな縦揺れを感じました。

メディアで働いている報道関係者の方々も大変だと思います

今ではスマートフォンでもタブレットででも撮影できるので、様々な所から映像が送られてくるのでしょうか?

最近はFacebookTwitterBlogに簡単に写真や動画を投稿できるので、手のひらサイズのスマホ片手に街を歩くカメラマンの方たちも大忙しだと思います。

しかし、地震で忙しくなるのは本望でない人たちも沢山いると思います。

僕が勤めていたテレビ番組制作会社には純粋に音楽が好きだったり、映画が好きな人が多かったです。

報道部門で働いている人の中にも、学生時代にバンドをやっていた人などもいました。

豊かな感性を持った方たちの切り取った映像はインパクトがありました。

報道部門で働いている方たたちは昨日は関東地方の地震のことで、大忙しになっていたのでしょうか?

僕が心配しても仕方ありませんが、ブログに載せてみます。








2014年9月15日月曜日

「墓標は訴える」と藤尾潔さんとの出会い

「墓標は訴える」と「藤尾潔さん」との出会い

僕は早稲田大学卒業後、報道番組の制作に参加してましたが、番組制作中に勤務していた会社で取材していた人物の死に直面しました。
一人は、カンボジアでの民主化選挙ボランティア活動に参加していた中田厚仁さん、もう一人は、日本政府から派遣されていた文民警察官の高田晴行さんでした。

この二人の方は「武器」を携行しないで、内戦中のカンボジアで活動をする「文民」として日本から派遣されていました。

自分の身を守る、武器を持たない二人の方は、内戦中のカンボジアで凶弾に倒れました。

日本が初めて、国連主導の平和維持活動(Peace keeping  OperationPKO活動)に参加する際に日本国憲法9条の戦争放棄の条項とからみ、基本的に武器の携行は認められなかったのです。

武器を携行しない人間が内戦の地に行って、「文民」として活動することが如何に危険か僕は分かりました。

日本の平和憲法には基本的には賛成ですが、日本国憲法の文言通りに活動できない、危険地域も世界中には至る所にあります。

世界各地で、その国その国の法律があります。

日本国憲法を学んで、世界各地で活動する、NGOの方などは現場経験が長いので、現地での活動の仕方が分かっていると思いますが、国の方針で決まった活動に参加する自衛官、文民警察官の方などは、日本での教えがなかなか世界では通用しないと痛感すると思います。

カンボジアの地で殉職したこの二人の方は、僕の所属していたテレビ番組制作会社で取材していて、カンボジアでの「文民」としての活動を取材したり、インタビューなどもしていたので、二人の方の死は、番組で取材したVTRの編集に参加したものとしても、心が痛む事件でした。

僕は、このカンボジアで亡くなった二人の方をテレビという公共のメディアに流すことに協力した人間の一人として、心の中で計り知れない痛みを感じてました。

また、二人の方の活動を取材して、公共の電波に流していたのに、二人の方の死をきちんと法的に検証しようとしないテレビを含めたマスメディアにも疑問が湧きました。

僕は、徹夜徹夜のVTRの編集業務の過労もあり病気になり、入院しました。入院中には編集していたVTRの内容が頭から離れませんでした。莫大な量の映像(テレビメディアでは到底放映できないようなショッキングな映像も沢山ありました)の中からお茶の間で夕飯を食べながらテレビを観る方たちのためになるべく快い映像に編集する作業は本当にきついな思いました。徹夜徹夜の仕事から過労で病気になったことも重なって、思い悩んだ末にテレビ番組の制作会社を退職しました。

そんな時に紹介された人物が藤尾潔という人物です。

藤尾さんはソニーを退社して、ライターの道を志していた方です。

僕は心の中にある二人の方の死が脳裏から離れない状態で、苦しんでいました。

そんな精神状態の時に、藤尾さんから紹介された企画が、戦後の政治腐敗による汚職事件を隠ぺいするために亡くなっていった方々を、法的に検証して取り上げてみようという企画でした。

僕の心のなかにはカンボジアで亡くなった中田さん、高田さんの死が強烈に残っていたので、人の死を法的に検証しながら、真実を追求しようという作業は、中田さん、高田さんを公共のメディアで取り上げていた(その番組を作ることによって給料を得ていました)人間の一人として、一種のテレビ番組の制作関係者としての罪滅ぼしのような部分がありました。

 藤尾さんとの戦後の汚職事件を隠蔽するために亡くなっていた方たちを法的に検証する共同作業は「墓標は訴える」という一冊の本になり、出版され、国会図書館にも所蔵されてます。

 早稲田大学図書館にも散々お世話になったので、本を一冊寄贈しました。

 先日、早稲田大学図書館に入館しましたが、きちんと刑法の棚にありました。

 大学時代のゼミが刑法だったので、僕の中では自分にとって卒論のようなものなのかなと思ってます。

ただし、まだ、20代前半の時の共同作業だったので、ライターの方もきちんと遺族の方や事件関係者を取材してインタビューなどしておらず、データのみが充実している本でした。

 若気の至りの本ですが、きちんとハードカバーの本になったことは、少しは認められたのかなと思ってます。

昔話ばかりですがブログに載せます。
 
楽天ブックスで探したら、この「墓標は訴える」という本は楽天ブックスにありました。

画像はありませんが、こちらから購入できます。

            ↓


墓標は訴える
墓標は訴える
著者:石川幸三郎
価格:1,362円(税込、送料込)
楽天ブックスで詳細を見る

2014年9月14日日曜日

『障害者向け、歴史と文化の街、文京区の歩き方』という本を読みたい

障害者向け、歴史と文化の街、文京区の歩き方

本の読み方にはいろいろとあるかと思いますが、僕の本の読み方をブログに書いてみます。
書店に入って、目についた本をとりあえず立ち読みしてみる。
少し読んで面白そうだったら、買う。
自宅なり、カフェなりで読む。
読んでみて、面白ければ、時間をおいてもう一回読む。
本当に気に入れば、本を書いた作家のその他の著作も調べてみる。
僕の本の読み方は大抵、こんな感じです。

学生時代にはまった本はノンフィクションです。
僕は探検部というサークルに所属していて、外国に行くことがあったので旅先で読める本に結構、はまりました。

その代表が、沢木耕太郎の「深夜特急」。
このノンフィクション作家は日本を代表するノンフィクション作家です。
「深夜特急」はアジア地域を旅するときには必携の本でした。

他にも藤原新也の「印度放浪」「全東洋街道」などもアジア地域を旅するときには必携の本でした。
一所懸命、本を読んで、藤原新也さんや沢木耕太郎の視点を確立しようとしましたが、残念なことに全く確立できません。

結局は、ダイヤモンド社の「地球の歩き方」を読んで、アジア地域を歩いてました。

年を取ると、自分の身の丈にあった、視点が出来てくるようです。

若い頃は、藤原新也のようになりたい、沢木耕太郎のようになりたいという気持ちはありましたが、所詮無理な話でした。

落ち着くところは「地球の歩き方」でした。

本を読んで、著者に憧れるという気持ちを持つのは当たり前かと思いますが、大抵は憧れで終わります。

沢木耕太郎になれなかった僕、藤原新也になれなかった僕は、

これからは
「障害者向け、歴史と文化の街、文京区の歩き方」

という本でもあったら読みたいと思ってます。

誰か書いてくれないかな?

くだらない内容ですが、ブログに載せます。












2014年9月12日金曜日

東北にこだわる理由

東北にこだわる理由

僕は開設している、Twitterのアカウントを利用して、「東日本大震災」関連の本を今年の3月から紹介してます。
僕は東日本大震災に際しては、福島県いわき市にボランティアに行きました。
津波の痕跡も自分の目で見てきました。
その後、母校の早稲田大学のOBの集い、「稲門祭」の「震災復興」のイベントに協力すべく、Google Readerを利用して、信憑性のある情報を開設していたツイッターのアカウントからツイートしてきました。
自分でも驚くくらいツイートして、そのツイート数は20000件を超えました。
Twitterのフォローワーさんは一時期、約3500人くらいまで行きました。
その後、ジリ貧で、現在ではフォローワーさんは2000人くらいです。
今年の3月から地元の文京区立図書館の「震災本」を一冊一冊紹介文を付けてツイートしてますが、フォロワーさんは減る一方です。

ですが、僕は「東日本大震災」関連の書籍を紹介して続けてます。

僕が何故、何故、これほど、「東日本大震災」に思い入れがあるか?

理由は以下です。

僕は大学在学中、外国(ミクロネシア)に行き、ウィルス性肝炎に罹りました。
目に黄疸が出て、熱も40℃を超え、文京区に隣接する新宿区の東京厚生年金病院に入院しました。40日間ほど、入院しました。
その時の看護婦さんが東北出身の方々が多かったのです。
大船渡、宮古、仙台etc..
看護婦さんは非常に親切で、病気の知識のない僕にわざわざ、プリントを作って、ウィルス性肝炎について、詳しく教えてくれました。
僕には東北に非常に良いイメージがあります。

テレビや新聞で「東日本大震災」に関する報道を見るにつけて、心が痛みます。

母校の、早稲田大学には僕が学生だった頃には地方からも多くの学生が集いました。
東北各地からも多くの学生の方が勉強しに来ていました。
様々な形で、東京出身の早稲田大学学生も、地方出身の学生の方にお世話になっていました。
僕の印象では東北から来ていた学生の方は心優しい方が多かったです。


 上記のような理由から、東日本大震災で被害に遭った東北各地の方々に、有益な情報を提供したいと思ってます。

「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World」

「ヤップ島ホームステイ」と「Top of the World

僕は早稲田大学在学中に早稲田大学の名門サーサクル「早稲田大学探検部」に所属していました。サークルに所属していた頃には、1年生の時に、アメリカ領、ミクロネシアのヤップ島にホームステイに1ヶ月、行きました。
普通の大学生なら、アメリカのニューヨークとか、サンフランシスコにホームステイに行くことはよくある事か思いますが、僕はミクロネシアのヤップ島にホームステイに行きました。
ヤップ島とは、グアム島の南にある小さな島で、そこでは結構、原始的な生活が行われてました。紙幣もありましたが、そもそも、市場経済があまり浸透していないので、紙幣はそんなに必要とされないのです。
ではどうやって生活しているかというと、畑でヤム芋を作ったり、海で、魚を採ったりして食物を得てます。
畑や海で得た食べ物を村人同士で、分け合います。

僕は日本の東京に住んでいて、食べるものは近所のスーパーなどで紙幣を介して、購入してます。
東京では完全な市場経済を基に日々の生活が営まれてます。
ですから、日本の東京で必要とされるスキルは、紙幣を如何に得るかの能力であり、紙幣を得られる人間ほど、能力があるとされます。

しかし、僕が大学1年生の時にホームステイに行ったミクロネシアのヤップ島では、紙幣を得る能力はあまり、重要ではありませんでした。
必要とされる生活のためのスキルは、タロ芋を栽培する能力だったり、海で魚を採る能力でした。

僕はまだ、大学生だったので、実社会で、紙幣を得るスキルは余りありませんでした。
ヤップ島にホームステイに行って、紙幣を得る能力で評価されない文化圏にホームステイに行ったことは僕にとってはとても貴重な経験でした。

しかし、大学を卒業してから20年以上経ってますが、現在でも相変わらず、紙幣を得る能力はあまり発達していません。

最近は、アメリカのIT企業グーグルの機能の優秀さに驚くばかりですが、アメリカでは紙幣を得る能力より、情報を収集・解析する能力の方が大事なスキルになってきているのでしょうか?

でも、海の向こうの人の向こうの人のストレスもすごいんじゃないのかなーと想像してます。

海の向こうの人たちは毎日毎日、パソコンやスマートフォンとのにらめっこのストレスを解消するためにロッキー山脈や、アラスカ、はたまた、カナダのアルバータ州の森の中の大自然で、気分転換しているのでしょうか?

僕は大学在学中にカナダ北西部とアラスカを流れるユーコン川に川下りに行きましたが、ユーコン川には、休暇をのんびりと楽しめない勤勉なドイツ人のパーティーも来てました。

川下り終了後、アメリカ人の車に乗せてもらい、アラスカの大自然を満喫出来ました。

その風景は僕にとってはカーペンターズの名曲「Top of the World」の世界でした。


アメリカのIT企業の方たちも、僕の想像では非常に勤勉な方たちだと思います。

アメリカのIT企業の方たちも、最終的には北米の雄大な大自然に回帰するのかなと勝手に想像してます。

GoogleとかAppleに勤めている人がいたら、カーペンターズの「Top of the World」を勧めたいと思ってます。

くだらない内容ですが、ブログに載せてみます。