2016年11月30日水曜日

「新宿トルコ料理屋での、重松清発言」

「新宿トルコ料理屋での、重松清発言」

先日もブログに書きましが、僕は3年くらい前に、早稲田大学探検部の二つ上の先輩の高野秀行さん主催の飲み会に出席しました。

 新宿トルコ料理屋での会合で僕は、高野さんに、

「重松清」

と言いました。

何故、僕が高野さんに「重松清」と言ったかというと、重松清さんが、2012年に、「希望の地図」という著作を書かれているからです。

僕は、重松清さんの著作、「希望の地図」は読んでいませんが、ブクレコという本のレビューサイトに、「希望の地図」についてのレビューがあります。

以下です。


中学受験に失敗し、学校でいじめにあい、登校拒否になった中学生。父の友人のルポライター(著者)に、震災取材への同行を勧められ同行する。絶望するしか ない状況に直面しながらも、希望について語ってくれる多くの被災者を目の当たりにし、自身の状況を些細な事と恥じ、成長していく姿を描く。
『夢』は無意識のうちに持つものだけど、『希望』は、厳しい状況の中で、苦しみながら持つもの。震災で被災された方々も、震災以外で厳しい状況で苦しむ人たちも、ともに『希望』を持って、頑張りましょう!というメッセージが伝わってきます。
父子物語の第一人者、重松清氏が描く、渾身の震災ドキュメントノベルです。


このレビューのようのようなルポルタージュをTさんに書いていただきたかったからです。

 僕が、登校拒否の中学生で、高野さんが僕の父で、僕を東日本大震災被災地に連れていった、ノンフィクション作家の高野さんに、重松清さんの「希望の地図」のような、ノンフィクションを書いていただいて、僕が再生する物語を紡いでいただきたかったからです。

 僕の置かれている状況も、登校拒否の中学生と同じように、とても厳しく、そんな僕が、被災地にノンフィクション作家の高野さんとボランティアに行き、震災被災地の方々に励まされ、頑張ろうという強い気持ちを持つに至るという物語を紡いでいただければ、僕の人生も好転すると思ったからです。

 高野さんは、僕を東日本大震災被災地にボランティアに連れて行っても、その後も外国に行き、取材して、外国のノンフィクション物を書いて賞とかも貰っているようですが、僕を東日本大震災被災地にボランティアに連れて行ったことに関しては著作を書かれていません。

 いつまで経っても、高野さんは、僕の再生の物語を書かないので、僕は新宿トルコ料理屋で、

「重松清」と言いました。

 僕も、障害者はと言え、きちんとした人格を持った人間です。

 後輩の再生の物語も書けないようでは、僕を東日本大震災被災地にボランティアに連れて行った責任を取れないと思います。

 高野さんには、きちんと、ご自分の東日本大震災時における判断した行動に従って、僕を東日本大震災被災地にボランティアに連れて行ったことも絡めて、ノンフィクションでもルポルタージュでも良いから、僕の再生の物語になる著作を書いていただきたいと思い、新宿トルコ料理屋で「重松清」と発言しました。

以上、「新宿トルコ料理屋での、重松清発言」

ブログに載せます。





2016年11月29日火曜日

「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

 昨日もブログに書きましたが、昨年、何故か、地元の神田川沿いで、東日本大震災に際してボランティアに行った際に泊めさせていただいた福島県いわき市に実家がある山田博英と遭遇しました。

 仕方なく、茗荷谷に連れて行き、お茶をして雑談をしました。

 お茶をしていた際に、僕は山田博英に、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ。」
 
 と発言しました。

 僕は、2010年に、早稲田探検部の後輩の不幸があり、それを契機にTwitterを開設して、最初の頃は、自分の愚痴とかを呟いていました。

 それが、2011311日に東日本大震災が起きてしまい、僕は、開設していたTwitterを、東日本大震災関連の情報を発信するツールとして活用することになりました。

 僕の小石川高校時代の同級生が、早稲田大学の卒業生の会の、稲門会の会員だったので、その方の参加している、稲門会の東日本大震災復興支援のイベントに合わせるように、20121021日まで、大学受験勉強をしていた頃の、東京新聞の新聞配達を思い出して、死に物狂いで、ツイートをし続けました。

 僕にとって、2011311日からの20121021日までのTwitterは、早稲田大学受験の頃の新聞配達をしていた頃のような状態でツイートをし続けました。

 僕の開設している、Twitterにこれだけフォローワーさんがついていただいているのも、早稲田大学受験のために、新聞配達をしていた頃を思い出して、ツイートをし続けたからだと思います。

 僕が、山田博英に茗荷谷でお茶をした際に、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ」

と発言したのは、ある意味、僕の本音です。

 浪人時代に、大学受験日以外は、一日も休まずに、新聞配達をしていたので、体力はものすごくあったし、大学に行っても、何か大きなことをしたいと思っていました。

 新聞配達をしていて、自分に自信がついたし、授業料の高い予備校とかに行って受験勉強をして早稲田大学に入学するような連中を見返してやりたかったという気持ちもあったと思います。(僕は、予備校に通う、お金がなかったので、仕方なく新聞配達をして奨学金をもらっていました)

 そのような気持ちもあったので、僕の小学校の頃の友達に紹介していただいた、早稲田大学探検部に入部しました。

 茗荷谷で、山田博英とお茶をしていると、山田博英は、僕が新聞配達をしていた頃の話を知っていて、

5万円を貸して、夜逃げされた」

 話を持ち出してきました。

 僕が、東京都中央区の人形町にある東京新聞の専売所で新聞配達をしていた頃に、同じ専売所で働いていた人間が、僕の住み込み先の、浜町のアパートにやって来て、土下座をされて、

「お金がないから、5万円を貸してください」と頼まれたことがありました。

 僕は、当時は、東京新聞の奨学生で、月の月給は7万円くらいだったと思います。

 僕は、朝夕に新聞配達、新聞配達の合間に、中央区立日本橋図書館で、早稲田大学受験のための受験勉強、夕刊を配達してから、文京区本郷にある、僕が中学生の頃に通っていた塾に週2回くらい、勉強をしに通っていました。

 そんな生活をしていたので、月7万円の給料でも、アパートの家賃は、東京新聞が出してくれるので、家賃はかからなかったので、貯金は少しはありました

 貯金が少しあったので、同じ専売所で働く人間が

 「お金がないから、5万円を貸してください」と土下座して頼んでくると、僕も断り切れずに、少しあった貯金から5万円を引き出して、5万円を貸してしまいました。

 すると、僕がお金を貸した人間は、次の日には、東京新聞の専売所からいなくなっていました。

 夜逃げされたのです。

 茗荷谷で山田博英とお茶をした際も、そんな話になりました。

 僕は、東京新聞配達時代に、そんな、人間関係を経験しているので、その後の人生も、損な人生になったようです。

 そんな話ばかり、茗荷谷で山田博英とお茶をしながらしていたので、僕もつい、

「新聞配達をしていなければ、探検部なんて入るかよ。」

 と発言したのだと思います。

以上、「茗荷谷での探検部になんか入るかよ発言」

ブログに載せます。





































2016年11月28日月曜日

「茗荷谷での、桜井さん、森山さん発言」

「茗荷谷での、桜井さん、森山さん発言」

 昨日もブログに書きましたが、昨年、何故か、地元の神田川沿いで、東日本大震災に際してボランティアに行った際に泊めさせていただいた福島県いわき市に実家がある山田博英と遭遇しました。

 仕方なく、茗荷谷に連れて行き、お茶をして雑談をしました。

 僕は、福島県いわき市のYさんの実家に泊めさせていただき、山田博英のご家庭のこともお聞きしました。

 山田博英のご兄弟が学歴のある方々で、親御さんも学歴のある方だと分かりました。

 僕は山田博英と茗荷谷でお茶をしていて、山田博英に、早稲田大学探検部の僕と同期の

 桜井さん、森山さんの名前を挙げて、山田博英に対応しました。

 何故、僕が桜井さん、森山さんの名前を挙げたかというと、

 桜井さん、森山さんともに、親御さんが最高学歴を持つ方だったからです。

 僕の父は中卒だし、僕の母は商業高校中退です。

 もともと、生まれた段階で、親の学歴に違いがあるので、

 僕は、山田博英に

「桜井さん、森山さん」と言いました。

 僕には到底、大学の話ばかりするYさんには対応出来ませんでした。

 僕が30歳の頃から、日々、一緒に生活している人間は、中卒の父と、商業高校中退の母です。

 自然と父と母と話すことも、テレビの話とかになります。

 早稲田大学探検部の優秀な山田博英と会話をすると、再び、早稲田大学探検部で影響力のある高野さんの本の話とかになります。

早稲田大学探検部の話をしたいなら僕の同期の、

「桜井さん、森山さん」が山田博英に向いていると思ったので、山田博英に、

「桜井さん、森山さん」

 と言いました。

 普段は、中卒の父、商業高校中退の母と一緒に生活しているので、早稲田大学探検部の方々が書かれた本の内容の話など全くしません。

 朝日新聞は読んでいます(スーパーの安売り広告とかを熱心に読んでいます)が、僕の両親はもう高齢で、本などはほとんど読まないし、もっぱらテレビを見ています。

 早稲田大学探検部の方々と会話をするのは正直に言うととても疲れます。

 話すことも、早稲田大学探検部の高野さんの著作の話とかすると、高野さんの著作を読んでいない僕からすると会話が出来ません。

 早稲田大学探検部の方々が優秀なのは僕も認めますが、わざわざ、早稲田大学探検部の方々に話を合わせるのはとても疲れます。

 地元の神田川沿いで何故か遭遇して、茗荷谷でお茶して、早稲田大学探検部の話をするしかなかったので、患っていた逆流性食道炎の胃をさすりながらの苦しいお茶だったので、急場しのぎで、

「桜井さん、森山さん」の名前を挙げました。

学校の話をし始めると、僕にとっては非日常なので、とても疲れるのです。

何故、僕が茗荷谷で山田博英とお茶をした際に、

「桜井さん、森山さん」の名前を挙げたかたについてブログに書いてみました。

以上、「茗荷谷での、桜井さん、森山さん発言」

ブログに載せます。









2016年11月27日日曜日

「新宿 トルコ料理屋での 文学部じゃダメなんですよ発言」

「新宿 トルコ料理屋での 文学部じゃダメなんですよ発言」

 僕は3年くらい前に、早稲田大学探検部の二つ上の先輩のTさん主催の飲み会に出席しました。

 新宿トルコ料理屋での会合で僕は、高野さんに、

「文学部じゃダメなんですよ」

 と言いました。

 高野さんが、文学部出身だったので、高野さんに、

「文学部じゃダメなんですよ」と言いました。

何故、僕が、

「文学部じゃダメなんですよ」

と言ったかというと、

 文学部だと就職先が出版社とかしかないと思ったからです。

 とにかく、文学とか本が好きな、文学部関係の輩は付き合いづらい連中です。

 こちらから、何か、自分の好きな本の話とか、映画の話とか、作家の話をすると、何か物凄く専門的に話をし始めます。

 文学部出身の専門家たちと話をすると、下手に自分の好きな本とか、映画とか、作家の話が出来ません。

 ただ単に、本を読んだり、映画を観たりして、おもしろがったり、仕事の辛さを忘れてリフレッシュしている人たちにとっては、文学部の輩の高尚で専門的な話はとても疲れます。

 昨年、地元の神田川沿いで、早稲田大学探検部の後輩で、文学部出身の山田博英とと遭遇して、仕方なく、茗荷谷に連れて行き、お茶をした際も、何か、文学の話をし始めました。

「ルサンチマン」とか言っていました。

「ルサンチマン」で何か仕事でもしていただきものだと思います。

 山田博英によると、文学部は厳しいらしいです。

 僕はテレビ番組制作会社勤務中に、文学部出身の後輩、戸田武広が、アルバイトがしたいと、僕の勤務していたテレビ番組制作会社に来て、文学部の輩とも一緒に仕事をしたことがありますが、とても厳しい文学部に通っていたとは思えないほど仕事が出来ませんでした。

 一緒に仕事をしていても、一緒に仕事をしている人間の足を引っ張るし、以来、僕は文学部出身の人間と一緒に仕事をするのは避けるようになりました。

僕は早稲田大学在学中は法学部で、学校で法律関係のことを勉強していれば、普通の会社に行っても総務とか、事務とか、法務とかの分野で仕事もあると思い、法学部に進みました。

 新宿トルコ料理屋の飲み会で、何故、僕が、

「文学部じゃダメなんですよ」

 と言ったかというと、文学部だと普通の会社に行っても、大学で勉強したことで仕事に役に立つことがあるのかなと思い、

「文学部じゃダメなんですよ」

 と言いました。

 文学部だと、就職先もなく、出版関係とか、マスコミ関係とか、書店業とか、物書き業になると思ったからです。

 文学部でも文才もあり、自分で本とか書いて、自分の書いた本が売れて、普通のサラリーマン並みの生活出来る方なら良いですが、いつまで経っても、

 本とか書くわけでも、出版関係で働くわけでもなく、書店で働くわけでもなく、製本屋さんで働くわけでもなく、印刷屋さんで働くわけでもなく、本の取次会社で働くわけでもない人間が多かったので、

「文学部じゃダメなんですよ」

 と言いました。

 早稲田大学探検部の中の本好きの、文学部関係の方々は、冷静に現実を見つめて、早稲田大学在学中に社会に出てからも仕事があるようなことを勉強されて、ご自分の人生を切り拓いて行っていただきたいと思っています。

 早稲田大学探検部での文学部出身の高野さんの影響力が大きいので、僕が何故、新宿トルコ料理屋で、

「文学部じゃダメなんですよ」

 と発言したかについて書いてみました。

以上、「新宿 トルコ料理屋での 文学部じゃダメなんですよ発言」

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2016年11月26日土曜日

「障害者福祉施設での安いから発言」

「障害者福祉施設での安いから発言」

 僕は2010年に文京区の福祉作業所、本郷の森、銀杏企画に入所しました。

最初は、僕が昔、在籍していた銀杏企画セカンドに在籍していました。

銀杏企画セカンドの職員さん、メンバーさんには僕と面識とある方もいたので、銀杏企画セカンドではあまりコミュニケーションに苦しむこともなく、作業をしていました。銀杏企画セカンド在籍中に、就労移行というものがありますとのことを教えていただき、僕も就労移行を希望しました。

就労移行は銀杏企画サードで行っているので籍はセカンドでもサードでも良いのですが、

「上原さん、籍を移しますか?どうしますか?」

と尋ねられました。

何か、「籍を移す」というと、親が結婚していた人と離婚して、子供の籍が移ることを想起しましたが、僕は、単純に就労を目指していたので、「サードに籍を移す」ことにしました。

文京区本郷にある作業所、本郷の森、銀杏企画サード在籍中に、僕の担当になった女性職員さんから、

「何故、早稲田大学探検部でチベットに行ったのか?」

と尋ねられました。

何か、僕の早稲田大学在学中のことを知っている方がいらっしゃったようです。

僕は、その質問に対して、

「安いから」

と発言しました。(答えました)

僕は、早稲田大学に通っていた頃も日本育英会の貸与奨学金(借金です。きちんと貸与奨学金は日本育英会に返しました)も貰っていたし、もともと、家庭がそんなに裕福ではないので、早稲田大学に通うには貸与奨学金を受けなければ、通えない家庭環境でした。

そんな僕ですが、大学時代くらい、楽しい思い出を残したいと思い、日本各地や、世界各地に行ける早稲田大学探検部に入部しました。

早稲田大学探検部に所属して、外国に行くのは楽しいのですが、外国に行くにはやはりお金がかかります。

僕は、奨学金をもらって、早稲田大学に通うような貧乏学生だったので、早稲田大学探検部でも、なるべく安く行ける、外国に行っていました。

現地の物価が安く、旅費が安く行ける外国に行っていました。

以来、僕の、

「安いから」

という発言は、早稲田大学探検部関係者にも伝わってしまったようです。

その後、本郷の森、銀杏企画運営の「銀杏企画三丁目の掲示板」を拝見すると、何か、ブランド品の「激安商品」とかの紹介とかもしていて、

僕の、

「安いから」発言は、僕を象徴する発言となっているようです。

僕は、早稲田大学を受験するための浪人時代も、東京新聞の奨学生となって、東京新聞を、朝と夕に配達しながら、奨学金をもらって、受験勉強をしていたし、もともと、早稲田大学に行くには、かなり、無理がある人間だったようです。

もともと、家庭がそんなに裕福でない人間にとっては、早稲田大学に通うとは、受験勉強、早稲田大学在学中の学費、所属するサークル活動のための活動資金など、物凄い負担になります。

僕は、高校までは公立で、学費自体も安くて、教育を受けるとは、そんなにお金のかからないものだと思っていましたが、早稲田大学に進み、教育にこんなにお金がかかるのかとびっくりしました。

そんな僕ですが、早稲田大学に進んだからには、少しでも楽しい思い出を残したいと思い、日本各地や世界各地にまで行ける早稲田大学探検部に入部しました。

早稲田大学探検部では、早稲田大学探検部以前も以後も、経験したことのないような、旅が出来ました。

楽しい思い出が出来て、良かったと思っています。

早稲田大学探検部時代に経験した楽しい思い出は、早稲田大学探検部のようなサークルに経済的理由で入部出来ずに、早稲田大学探検部のような経験が出来ない普通の庶民の方々にも、文章とか、写真、映像などの伝わる形で残していくのが良いと思っています。

僕はチベットに行った際の自分で撮影したスライド(ポジの写真)は、早稲田大学探検部時代の友人で一緒にチベットに行った友人に全て渡してしまいましたが、今では少し後悔しています。

僕の開設しているTwitterがこれだけ多くのフォロワーさんがいるとなると、出来れば、友人の手元にある、写真をもう一度、僕の手元に置いて、ブログなりで、チベットの美しい風景を公開出来れば良いなと思っています。

ポジのスライドはパソコン上で見られないのかなとふと、思いました

もし、ポジのスライドが、パソコン上で見られば、そのままブログにアップすることも出来ます。

僕の、Twitterのフォローワーさんには、東日本大震災被災地の方々も多くいらっしゃるので、東日本大震災被災地の方々に、チベットの美しい風景の写真を見ていただいて、少しでも気分を和らげていただけたら良いなとも思っています。

日本から持参した、オートフォーカスのカメラで、ポジフィルムで写真を撮り、スライドとなっています。

友人に渡してある、チベットのスライドをもう一度、僕の手元に置ければ、より多くの方々にチベットの美しい自然の風景を見ていただけるので、チベットのスライドを僕の手元に一度置きたいなと内心思っています。

何とかして、友人とコンタクトを取り、チベットの風景を撮影したスライドを見てみたいと思っています。

学費が高い早稲田大学で、尚且つ活動資金もかかる早稲田大学探検部で経験出来た僕にとっての「安い」旅が、チベット遠征でした。

僕が背伸びして通っていた早稲田大学での最高級の「安い」旅の思い出が沢山、写真として残っているスライドを急に見たくなったので、僕が、何故、障害者福祉施設で

「安いから」

と発言したかについてブログを書いてみました。

以上。「障害者就労移行支援事業所での安いから発言」

ブログに載せます。