2016年5月31日火曜日

「グーグルで ネット掲示板 読むわたし」

「グーグルで ネット掲示板 読むわたし」

 訳あって、あるネット掲示板の書き込みを毎日、チェックすることになりました。

 僕が何故、ネット掲示板をチェックしているかというと、あるネット掲示板の書き込みがいろいろと意味深い書き込みがあるからです。

 そのネット掲示板の名前は、「銀杏企画三丁目の掲示板」です。

このネット掲示板には誰が書き込みをしているのか分かりませんが、結構、意味深い書き込みがあります。

書き込みは英語でなされているので、ネットのGoogle翻訳を利用して、書き込みを翻訳して読んでいます。

この銀杏企画三丁目の掲示板の書き込みをGoogle翻訳で翻訳した日本語を読んでいると、いろいろと意味深い書き込みであることが分かります。

本当ならば、日本語で書き込みをしていただきたいのですが、英語で書き込みをしています。

使っている単語も、難しい単語を使っているし、書き込みをしている方の知的レベルの高さが伺えます。

もともと、東大系の作業所である、本郷の森 銀杏企画運営のネット掲示板なので、知的レベルが高いのかと思います。

ネットのGoogle翻訳で書き込みを翻訳すると分かりにくい日本語になりますが、分かりにくい日本語でも、書き込みが意味深いことは読み取れます。

Google翻訳で翻訳してみておもしろかった書き込み。

overuse psychosis?  

翻訳は「酷使、精神病?」

という書き込みでした。

何故、僕がこの書き込みがおもしろいと思ったかというと、僕が以前、このネット掲示板、銀杏企画三丁目の掲示板に書き込みをしていて、その時のハンドルネームが

「酷使無双」

というハンドルネームだったからです。

このハンドルネームでネット掲示板に書き込みをしていた頃から、その他のこのネット掲示板に書き込みをされていた方から、

「酷使さん、大丈夫ですか?」

と僕のことを慮ってくださる書き込みもあり、当時から僕のことを表現する言葉として、

「酷使」という二文字は、定着していたのだと思います。

多くの精神病の方が、職場などでの過労などから病気になる方も多く、職場などでの過労を表現する分かり易い言葉が、

「酷使」という二文字なのだと思います。

僕はTwitterも開設していますが、この6年間のツイート数合計も、3万ツイートになろうとしていて、なんの強制力もないTwitterでこれだけ多くのツイートをしていると思うと、やはり、昔から「酷使」されやすい人間だったんだなと思ってしまいます。

以上、「グーグルで ネット掲示板 読むわたし」

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「早稲田大学探検部の後輩、山田珠美の思い出」

「早稲田大学探検部の後輩、山田珠美の思い出」

 僕は早稲田大学在学中に探検部というサークルに所属していました。

 僕の一つ下の代に山田珠美という女性の方がいました。

 大学3年生の時に宮城県と山形県の県境のみみずく山の合宿でご一緒したことがあり、以来、一緒に飲みに行ったこともありました。

僕は山田珠美には、かなり変なことも言ったのかと今では思っています。

僕は山田珠美に、

「オレは女にモテる」とか「将来は政治家になる」とか「山田珠美は金持ちなんだろ」とか「オレは何か表現したい」とか言ったと思います。

当時は変なことを言って失礼なことをしたと今では思っています。

3年くらい前に、新宿で早稲田大学探検部のOBと一緒に飲んだ時も、早稲田大学探検部の同期の桜井誠人から、「山田珠美賞」とか言われました。

地元、文京区の春日で、早稲田大学探検部の同期の倉島孝行と飲んだ時も、「山田珠美幸せになったかね」とか言われました。

ただ、僕は山田珠美とは、何の関係も持っていないし、山田珠美のような高嶺の花に対して恋愛感情も持っていないので、早稲田大学探検部の方々から山田珠美のことを切り出されると返答に困ってしまうというのが本音のところです。

早稲田大学探検部には楽しい思い出が沢山あり、良いサークルだったと思いますが、大学を卒業して社会に出れば、その人それぞれの人生があります。

山田珠美のことは早稲田大学探検部の合宿をご一緒させていただいた方ということで、僕の学生時代の楽しかった早稲田大学探検部時代の思い出とさせていただきたいと思っています。

以上、「早稲田大学探検部の後輩、山田珠美の思い出」

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「神田川生活(一人暮らし)の犯罪者」

「神田川生活(一人暮らし)の犯罪者」

 僕が新宿区の書店で働きながら、一人暮らしていた頃、使っていたMacのノートパソコンのハードディスクをバックアップしたCDRを現在、使用しているWindowsPCで読めました。

 CDRを見ていると、当時の状況が、昨日のことのように思い出されます。

 僕が一人暮らしをしていたのは、新宿区の戸山でした。

 藤尾潔さんというライターが「早稲田大学おもしろ話」に書いているように、家賃28千円の4畳半のおんぼろアパートに住んでいました。

 風呂はなし、トイレは共同トイレのアパートでした。

 僕が神田川生活をしていた頃に、早稲田大学探検部の一つ下の後輩の女、山田珠美が、犯罪を犯し、警察に捕まりました。

 山田珠美は、山田珠美の後輩の遠藤史郎と、僕のアパートを訪問して、寿司を持ってきました。

 僕は、山田珠美の犯罪のことについては、新聞を読んでいて知っていたので、山田珠美の犯罪が刑法上の、「教唆の罪」に当たると指摘しました。

 すると、山田珠美の後輩の遠藤史郎は、

「たまさんはさんはブタ箱で、くさい飯を喰ってきた」

「上原さんも上野の喫茶店でバイトをしていたではないですか?」

 と、何やら、偉そうに言ってました。

 僕から見ると、山田珠美の犯罪は、どうみても、刑法上、犯罪に当たると思ったので、遠藤史郎の言葉を聞いても、話が分かりませんでした。

 早稲田大学探検部の人間は、反社会的な人間が多いようです。

 きちんと、法律を守れない、人間は、日本社会では、生活していけないでしょう。日本社会で犯罪を犯すような、反社会的な日本社会に適応できない人間が集まっているクラブなので、海外に行くのでしょう。

 僕は、学生時代、自然の豊かな地域に行きたかったので、早稲田大学探検部に入部しましたが、後輩連中は、反社会的な、日本社会に適応できない人間が多かったようです。

 先輩とか、同期の人間も外国に行って、法を守らず、禁止薬物とかにはまる人間もいたようです。

 日本に帰ってきても何か顔色の悪い人間が多かったから、多分、薬物のせいで、顔色が悪いんだと思っていました。

 きちんと法律を守れない先輩とか後輩に囲まれていると、法学部出身の僕にも悪影響を及ぼすのだと思います。

 以上、「神田川生活(一人暮らし)の犯罪者」

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2016年5月30日月曜日

「仕事での3年間は長いが、引き込もりの3年間はあっという間だ」

「仕事での3年間は長いが、引き込もりの3年間はあっという間だ」

 僕は障害者雇用で、38ヶ月くらい18時間勤務の仕事をしていました。

 障害者雇用で勤務していた3年間は仕事のきつさもあり、長く感じる3年間でした。

 2013年に障害者施設を退所して、自宅に引きこもるようになりましたが、2013年から2015年の3年間は、新聞、テレビ、パソコン、スマホ、ネットと対話する時間が長く主に、FacebookTwitterを中心にネットと対話していて、賃金収入のある仕事もしないあっという間の3年間でした。

 長く、Twitterで、東日本大震災関連のツイートをしており、新聞やテレビなどのメディアで、東日本大震災関連、原発関連のことも良く報道されていたので、報道に影響されたのか、ネット文京区立図書館のサイトにアクセスして、東日本大震災関連書籍、原発関連書籍を調べていました。

 2013年から2015年の間に、作ったサイトが東日本大震災関連書籍の紹介サイトです。

自宅と近所のカフェで引き込もりながら作ったサイトですが、このサイトを作るための2013年から2015年の3年間は本当にあっという間だったなと感じます。

 収入は0で、障害者雇用で勤務していた頃の蓄えを切り崩して、生活をしていました。

 お金を得るための仕事をしていた3年間は本当にきつくて長く感じましたが、蓄えを切り崩して生活した3年間は本当に短く感じました。

 2016年の今年になっても、毎日、Twitterから「東日本大震災関連書籍」を紹介していて、ご支援をとのツイートしていますが、カンパはやはり来ません。

 アフィリエイト収入も0でした。

 収入0だった3年間は、本当に短く感じる3年間で、働いていないとこんなにあっという間に時間が経過するのかと自分でも驚いています。

 人間はなんでも後悔する動物かもしれませんが、2013年から2015年の3年間は後悔しても後悔しきれない3年間だったと思います。

 収入0で、蓄えを切り崩して生活した、あっという間の3年間でした。

 新聞、テレビ、ネットと対話する日々を送ると、本当に時間があっという間に過ぎていきます。

以上、「仕事での3年間は長いが、引き込もりの3年間はあっという間だ」

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2016年5月29日日曜日

「学生時代のバイト先での恋愛論」

「学生時代のバイト先での恋愛論」

 僕は学生時代にサークルで参加するアルバイトをしていました。

 店番のようなアルバイトでしたが、バイト先で、サークルの友人で早稲田大学探検部33期で同期だった森山憲一から恋愛論について教わりました。

 友人から教わった恋愛論は色のイメージによる恋愛分析論でした。

 友人によると、

 青→結婚したい人。
 黒→彼女にしたい人。
 緑→自分のことが好きな人。
 白→尊敬している人。
 赤→気になる人。
 黄→友達になりたい人。
 紫→性交したい人。

 だったと思います。

僕はほとんど恋愛経験がなかったので、友人から教わった恋愛論は勉強になりました。

その後の人生で、この恋愛分析論が参考になることはありませんでしたが、着ている服の色などから、上記のようなことを意識している人もいるのかと自分の中で考えるようになりました。

友人から教わった色のイメージによる恋愛分析論を現在でも覚えているとは、インパクトのある友人からのレクチャーだったのだと思っています。

以上、「学生時代のバイト先での恋愛論」

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「吃音(どもり)のこと、スマートフォンの登場」

「吃音(どもり)のこと、スマートフォンの登場」

 僕は、子供(幼少)の頃から吃音があります。

 今でも吃音があります。

 学校の国語の授業で教科書を読まされると、詰まり詰まりながら教科書を読むことになるので本当に恥ずかしくて嫌でした。子どもにとっては拷問のようなものでした。

 教室で、先生から自分が教科書を読むように言われるとびくびくしていました。

 幼少時の経験は大人になっても、残ります。

 僕は大学を卒業して、社会に出るようになっても、人前で話をするのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 特に、僕が嫌だったのが電話です。

 会社の電話に出るのが、嫌でした。

 僕が勤務していた会社では、僕は吃音ということで、社内電話以外は出るなと言われていました。

 取引先からの電話に出られると取引先に良く思われないということから社外からの電話には出ないように会社の方から言われていました。

 僕の職場経験がそのようなものだったので、以来、電話に出なくても良い仕事に就くようになっていきました。

電話に出なくも良い仕事というのは肉体労働が中心で、体を動かす仕事かパソコンと向き合い、話をしなくても良い仕事しかありません。

肉体労働では、倉庫内作業とか、フリーライターの助手とか、書店員の仕事とか、清掃の仕事とかになりました。

パソコンと向き合う仕事では、パソコン通信によるデータベースの検索業務などになりました。

現代ではスマホがあり、メールやラインなどで、連絡を取ることが出来るので、電話を使わなくても、連絡を取れるようになったのは良いことです。

特に吃音持ちの僕からすると、電話口で言葉を無理して発する電話よりも、自分の考えていることをそのまま文字にして、連絡を取れるメールやラインは便利です。

僕は、大学生の頃、早稲田大学探検部に所属し、「チベット探査計画書」の中で、「現代社会へのアンチテーゼ」という文書を作ったことがあり、その文書の中で、「最先端の情報からなる私たちの価値観をチベットという鏡に照らし合わせてみたいと思う」という文書を作ったことがありますが、僕は現在では、現代日本社会で生活していて最新の情報機器の恩恵を受けて生活しています。

 スマートフォン一つとっても、弊害などが盛んに叫ばれていますが、僕はスマートフォンがあり本当に助かっています。

 吃音持ちで、もし、スマートフォンが無かったら、メールもラインも使えません。

 電話を使わずにコミュニケーションが取れる、スマートフォンが登場した現代に生きていて良かったと思っています。

 幼少の頃からある吃音の恐怖経験から、現代のスマートフォンなどの最新の情報機器を持てるようになった現代の世の中で生活することについて考えてみました。

 以上、「吃音のこと、マートフォンの登場」

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2016年5月28日土曜日

「早稲田から13K」

「早稲田から13K

 先日、朝日新聞を読んでいたら、東京大学の宮台投手が、早稲田大学から13K13奪三振)との記事があり、目に留まりました。

 早速、ネットで、「東大」「宮台」で検索してみました。

 動画をクリックすると、宮台投手の早稲田戦、13K(13奪三振)のYouTubeの動画ありました。

以下です。




 この動画を見ていて、宮台投手の実力を感じるとともに、受験できちんと東京大学文1(東京大学法学部)に合格し、なおかつ、東京大学野球部にも入部し、東京六大学野球で活躍されていること凄いなと思いました。

 宮台投手の活躍は、きちんと勉強して受験を突破してきた方々で大学でもスポーツをしたい方々に希望を与えてくれると思います。

 以上、「早稲田から13K

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2016年5月26日木曜日

「御茶ノ水、聖橋付近での吉澤基勝先輩との邂逅」

「御茶ノ水、聖橋付近での吉澤基勝先輩との邂逅」

 2011311日に、東日本大震災が起きてから、僕は、学生時代に所属していたサークル探検部の先輩、早稲田大学探検部31期OBの高野秀行に誘われ一緒に福島県いわき市にボランティアに行きました。

 ボランティアから帰ってきてから、早稲田大学探検部の別の先輩、早稲田大学探検部32期OBの吉澤基勝先輩と、御茶ノ水の聖橋付近で邂逅(出会う)したことがありました。

 僕の携帯にメールがあり、丸ノ内線沿線沿いで邂逅しようとのことで、御茶ノ水に赴きました。
 
 御茶ノ水には聖橋という橋があります。

 ウィキペディアで調べてみました。


 関東大震災からの震災復興橋梁として建設された橋のようです。

聖橋のそばの、御茶ノ水の喫茶店でお茶をして、ボランティアに行った時の様子を吉澤先輩にお話したと思います。

 僕は、その頃から、Twitterを開設していて、レノボのノートパソコンにソフトバンクのPocket  WiFiで、ネットに繋げで、Twitterによる、情報発信による、被災地の方々への支援は出来ないでしょうかと先輩に提案していたと思います。

 吉澤先輩は、

「会社の若い連中がTwitterとか言っている」

 と仰っていました。

 僕は若くはありませんでしたが、Twitterを何とか使えないかと思っていました。

 御茶ノ水でお茶をしてから、お互いに別方向の違う電車に乗り、別れましたが、僕も御茶ノ水でお茶をしたことはなく、JR御茶ノ水駅からの、東大行きの都営バスが走っていたのが、印象に残っています。

 御茶ノ水の聖橋付近で邂逅した頃使っていた、レノボのノートパソコンはヒンジが壊れてしまい、すでに破棄してしまい、その後、パナソニックのレッツノートを使い、現在ではレノボのIdea Padというモバイルノートパソコンを使っていますが、2011年に御茶ノ水で先輩と邂逅した頃から開設していたTwitterは現在も残っています。

 アイデアパッドを持参して、もう一度、聖橋付近で吉澤先輩と邂逅出来れば良いのだがなと今では思っています。

以上、「御茶ノ水、聖橋付近での吉澤基勝先輩との邂逅」

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