2022年8月31日水曜日

「8月は1日平均7950歩歩いていたようだ」

 「8月は1日平均7950歩歩いていたようだ」

   スマホの万歩計を確認していたら、僕は、8月は1日平均、7950歩歩いていたようです。

   僕は1日8千歩歩くことを目標に歩いているので、目標は達成出来ませんでした。

   以前は1日平均9千歩以上歩いていましたが、少し歩く歩数が減ってしまっているようです。

    長期間のコロナ禍と8月の猛暑で慢性的な運動不足で、体調が悪いので、少しずつでも歩く歩数を増やしていきたいと思っています。8月も猛暑で不要な外出は控えて下さいと言っていたので、なるべく外出しないで、家にいる時間が長かったです。

 少しでも涼しい時間帯に散歩して歩く歩数を増やしたいと思っています。

  こらからも少しずつ、歩く歩数を増やしていこうと思っています。

  出来れば11万歩を目標にしていきたいと思っています。

   毎月、毎月、 同じようなことを書いていますが、8月は1日平均7950歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

   以上、「8月は1日平均7950歩歩いていたようだ」

      ブログに載せます。

2022年8月29日月曜日

「母が入院した」

 「母が入院した」

 母が新宿メディカルセンターに入院しました。

 夜中の1時頃に、父が母を抱えて2階に上がってきて、

 「救急車を呼ぼう」と言っていて、僕も目を醒ましました。

 父によると、夜中に母がトイレに行こうとしたところ、ヨロヨロでそれを見た父が危ないと思い、母を抱えて母の寝室のある2階に上がってきて、

 「救急車を呼ぼう」と言ったようです。

 僕もすぐに起きて、父の話を聞きました。

 父が

「救急車は何番だっけ」と僕に尋ねてきたので、

僕は「119番」と答えました。

すぐに父は119番に電話をしました。

しばくして家に電話がかかってきて、僕が電話を取りました。電話は救急車からでした。

「お母さんは何歳ですか?」と尋ねてきたので、

僕は

「85歳です」と答えました。

「脊柱管狭窄症で新宿メディカルセンターに通院しています」とも言いました。

そのようなやり取りをして電話を切り、しばらくすると救急車のサイレンの音が聞こえたので、僕は外に出て、救急車を待っていると、担架を抱えた救急救命士の方3人がやってきました。

 救急救命士の方は、

  「お母さんの新宿メディカルセンターの診察券、保険証、お薬手帳を見せてください」

 と言ってきました。 

僕は母の新宿メディカルセンターの診察券、保険証、お薬手帳を探して、すぐに見つかり、救急救命士の方に渡しました。

次に救急救命士の方3人は、2階に上がって母の様子を見ました。

血圧、体温を測っていました。

血圧は、上は140くらいあったようです。

体温は373分あったようです。

救急救命士の方は、

「新型コロナウィルスのワクチン4回目の接種はいつしましたか?」

と尋ねてきました。

正確な月日は分からなかったので、父が8月中に接種しましたと答えていました。

次に救急救命士の方は、新宿メディカルセンターに電話をして急患の医師と話をして医師に診察券IDを伝えたようです。

電話口からは、

医師の「主訴は何ですか?」という声も聞こえました。

電話で医師の承諾を得たようです。

そのようなやり取りをしてすぐに救急救命士の方は3人で、担架に母を乗せて、3カ所を固定して、担架から落ちないようにして、階段を降り、担架を乗せる台に担架を乗せて、救急車に乗り込みました。

付添人は父でした。

救急救命士の方の手際の良さに驚きました。

付添人の父が家に帰ってきたのは朝の5時頃でした。

僕は一睡もせずに父の帰宅を待っていました。

母は新宿メディカルセンターに入院することになりました。

母はコロナの検査もしたようですが、コロナは陰性だったようです。

入院して、様々な検査をしてみるらしいです。

現在は新型コロナウィルスが流行しているので、面会は禁止で、僕も父もお見舞いに行けません。

母が新宿メディカルセンターに入院したのでブログを書いておきます。

以上、「母が入院した」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年8月27日土曜日

「4回目のワクチン接種をしてきた」

 「4回目のワクチン接種をしてきた」

   僕は今日、新型コロナウィルスの4回目のワクチンを接種をしてきました。

   文京区春日にある文京シビックセンター3Fの文京保健サービスセンターで4回目のワクチン接種をしてきました。

   1415分からの予約でしたが、会場に1350分頃に着き、コロナワクチン接種受付けの準備をしている係の人に、

  「1415分から予約している者です」と言いました。

  すると受付の方は、

  「14時から受付をしますのでしばらくお待ちください」

  と仰っていました。。

  僕は保健サービスセンターの入り口の前に立って受付の始まるのを待っていました。僕の前に一人の方が保健サービスセンターの入り口で待っていました。

  1355分頃から受付が始まり、受付で、1415分からワクチン接種を予約していますと言って、予診票と接種券、身分証明書の運転免許証を見せました。検温もしました。

  受付を済ますと、ワクチン接種会場に入りました。

  僕の前に二人の方がいました。

  荷物を籠に入れて椅子に座って待っていてくださいと言われて、椅子に座って待っていました。

  しばらく待ってから、医師がやってきて、ワクチン接種をしました。

  ワクチン接種を済ましてから、すぐに係の人がやって来て、アナフィラキシーショックが無いかの経過観察のために15分ほど経過観察をしますと言って、1421分まで経過観察しますと言って、僕は1421分まで椅子に座って待っていました。

  スマホを見て時間を潰し、1421分になったので、椅子から立って、ワクチン接種証明書を接種券に貼ってもらう係のところに行き、接種券にワクチン接種証明書を貼ってもらいました。

  ワクチン接種をしたことを証明する接種証明書は大事に保管しておいてくださいと言われました。

  ワクチン接種証明書をいただき、文京シビックセンター3Fの保健サービスセンターを出ました。

  今日は新型コロナウィルスの4回目のワクチン接種をしてきたのでブログを書いておきます。

  以上、「4回目のワクチン接種をしてきた」

   ブログに載せます。

2022年8月22日月曜日

「訪問看護が家に来ることになった」

 「訪問看護が家に来ることになった」

 今日、僕の家に社会福祉士の方が訪問しました。

 実は昨日、大塚にある高齢者安心センターに父、兄、僕の3人で母のことで相談に行ってきました。

 母が脊柱管狭窄症で、体が痛い痛いと言っていること、散歩も近所しか出来ないことなどについて相談してきました。

 昨日、大塚の高齢者安心センターで相談に乗ってくださった社会福祉士の方が今日、家を訪問してくださいました。

 母は要支援1の認定を受けているので、介護サービスを利用する契約書に母本人が署名しました。住所は僕が書きました。印鑑捺印は父がしました。

 3人で介護サービス契約書に同意しました。

 これから毎週火曜日に訪問看護と言って、看護士さんや理学療法士さんが僕の家を訪問して、母の具合を診てくださるようです。

 僕は理学療法士さんに期待しています。

 脊柱管狭窄症は、体が痛くなるので、運動療法が効くと思い、専門的知識を持った理学療法士さんに期待しています。

 これから毎週火曜日に訪問看護が家に来ることになったのでブログを書いておきます。

 以上、「訪問看護が家に来ることになった」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年8月20日土曜日

「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」

 「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」

  昔(2010年1月26日)のメールを見ていたら、河合君の写っているみみづくUFO探査の際の集合写真についての早稲田大学探検部33期同期の田村修、斉藤泰晴とのメールのやり取りがありました。

 以下のようなメールのやり取りをしました。

 探検部87年入部の皆様

 度々、上原です。早速、田村から河合にメールしたと報告がありました。

 皆様で河合のことを思い出せない人間がいると思いますので、

 みみづくにUFO探査に行った時の集合写真をスキャンしたので、JPEGファイルで添付して、

 お送りします。

 右から、2人目が河合です。

 先程は河合圭介と書いてしまいしたが、正確には「河合圭祐」です。

 訂正します。

 20年前の写真ですが、河合のこと思い出して下さい。

  上原

 上原、懐かしい。

 僕は河合と一緒に長期活動してなかったので、

 ぼっとしか思い出せなかったが、はっきり

 思い出せた。

 いつも、煙草吸ってたイメージがあるな。

 河合は卒業後は、何してたんだっけ?

 まだ、返事がないが、返事がきたら、

 時間あるときにでも見舞いにいってこよう

 かと思います。

 田村

 うえどん、

 写真ありがとう。覚えてました。どこの合宿でだったか思い出せないですが、鉈か何かをうまくつかって、童顔なのに、えらく野性的な人という印象をもってます。愛知の山育ちの彼ですよね。

 うえどんから書留で送っていただいたお金は、なんとなく手をつけずにそのままにしてあったので、その中からいくらかをカンパしようと思ってます。

 斉藤

 以上のような河合君についてのやり取りをしました。

 河合君のことを思い出して欲しいのでブログに載せます。

 以上、「河合君の写っている写真についての田村、斉藤とのやり取り」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

2022年8月13日土曜日

「ブログのページビュー数が70万ページビューを超えていた」

 「ブログのページビュー数が70万ページビューを超えていた」

    今日、ブログのページビュー数を見ていたら、70万ページビューを越えていました。

   ブログのページビュー数はチェックしています。

   キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。

   69万ページビューを超えていたのが、620日なので、約2ヶ月で1万ページビューくらいあったようです。

  60万ページビューを超えたのが、昨年の731月なので、約1年で10万ページビューあったようです。

   今までに書いたブログ数が3261ブログなので、1ブログ、215ページビューくらいあったようです。

   僕はプロではなくド素人のアマチュアのブロガーなので、ぺージビュー数も少ないブロガーですが、ページビュー数は気になっています。

    今日、ブログのページビュー数を見ていたら70万ページビューを越えていたので、ブログを書いておきます。

    以上、「ブログのページビュー数が70万ページビューを超えていた」

    ブログに載せます。

2022年8月8日月曜日

「銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから届いたメール」

 「銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから届いたメール」

  昔のメールを見直していたら、僕が銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんからのメールがありました。

 とても良く書かれているメールなのでブログに載せたいと思います。

 加藤竜一さんからのメールは以下のようなものでした。

上原さん、こんばんは。加藤です。お疲れさまです。今日は午前中に散髪に行って午後はジュンク堂書店に行って来ました。新刊を2冊読みました。1つはホリエモンの「ネットがつながらなかったので仕方なく本を100冊読んで考えた」です。ホリエモンが刑務所に入って読んだ本等を紹介する本でネットが出来ない事で読書をして自分の頭の中はこんなに自由である事に気付いたそうです。もう1冊は稲盛和夫の「燃える闘魂」です。日本航空を建て直した話等最高経営者の魂に触れた様な気がします。闘魂注入の1冊です。ここで私が何故統合失調症になったか話します。大学を卒業して明光商会に入社しました。社名よりMSシュレッターの方が有名な会社でした。配属は人事部でした。普通メーカーに就職すると営業職ですが研修等を経て人事部に配属されました。仕事も覚える事等も多く営業職より大変でした。人事部に20代の女子社員はいましたが男性社員で20代は私だけで皆30代以上でした。皆営業畑を経てから人事等に移動するからです。営業ではないのでノルマは無いものの激務を極めました。20時頃に「今日会議」等と言われて日付が変わる事もざらでした。電車がなくなるとタクシー代が支給されるので良くタクシー帰りになりました。私の頃はノミニケーション等と言って上司との酒の付き合いもざらでした。勤めているうちに「ストレス」がたまり当時は付き合っている彼女が心の支えでした。そういった生活が数年続き私の限界に来ました。幻聴が聞こえ始め不眠に陥りました。墨東病院の神経科を受診しました。医者と1時間くらい話すと入院してくれと言われました。幻聴と不眠が続いたからです。手続きをして入院して薬物治療となりました。担当医の処方してくれた薬を飲むと眠れる様になり次第に幻聴も聞こえなくなりました。それでも神経科に3ヶ月入院しました。仕事は勿論退職しました。薬は服用していたものの元気を取り戻したので墨東病院のDC(デイケア)に出ました。スポーツをしたり映画を観たり軽作業などをしていました。私の担当医もDCに出ていたので私の様子を見てお寺の掃除か玉の肌石鹸か作業所で働かないかといわれました。玉の肌石鹸というのは精神障害者にとても理解のある会社で多くの精神障害者が働いていて担当医がそこなら紹介出来るとの事でした。当時はお寺て働くのも嫌で企業に属するのも嫌で作業所を選びました。作業所と返答すると銀杏企画を紹介されました。結局4年間お世話になる事になりましたが4年間を無駄に過ごさない様にしようと思いました。銀杏企画は工賃は安いものの様々なアルバイトをさせてくれました。年に3回区役所のバイトをさせてくれました。リアライズのバイトもさせてくれました。私が入所する前は職員の丸山さんがしているものもありました。用賀のバイトは夏冬共に高村さんと皆勤しました。本郷にある新山社と言う書店でも毎週バイトがありました。他にも私が在籍していた頃には色々なバイトがあり職員の丸山さんと豊田さんが私を指名してくれました。工賃は月15千円程でしたが財布は大分潤っていました。銀杏企画に入り鈴木さんと早川さんがとても人格者に見えて小池君と共に仲良くなりました。鈴木さんと仲良くなるとサードの菊池さんや東城さんとも仲良くなりました。4人で金曜会を結成しました。金曜の夜に菊池さんがサラリーマン時代から通っている飲み屋があるとの事で毎週7時から11時まで飲んでいました。飲み屋に通っていると色々な人と親しくなりました。ゴルフを始めるきっかけもこの飲み屋でやりたいと言い始めてゴルフをし始めました。演劇などをしている女性もいたので芝居を観にいったり野球観戦にいったりもしました。一方小池君とも親しくなり毎週上野のカラオケBOXに通ってカラオケに腕を磨きました。日曜でしたが移動手段は自転車でした。お台場辺りまでは良く自転車で行きました。サードの高橋さんや根本さんとも仲良くなり家に泊まりに行く仲になりました。高橋さんの趣味がキャンプと分かりファーストの泉谷君と東城さんと4人でゴールデンウイークにキャンプに行く様になりました。これで銀杏の旅行と高橋さん達と行くキャンプと小池君とお盆休みに行く旅行で年3回旅行に行く様になりました。工賃とアルバイトのお金で十分、銀杏企画の4年間は過ごす事は出来ました。サードの嶋田さんとも仲が良かったので嶋田さんがコンビニで働いた経験がある事を知りました。私も銀杏に別れを告げてコンビニで働く様になりました。まさかこんなに長くコンビニで働くとは思いませんでしたが今も続いています。その間にお酒の席やゴルフ等で友達も増えて趣味も広がりました。コンビニで働く様になってからも鈴木さんや新井さんや東城さんともキャバクラに行ったりしていました。話は元に戻りますが私が発病したのも「ストレス」によるものです。銀杏ではストレスも無く過ごす事が出来て今の基盤を作りました。今は話してはいませんが銀杏の4年間も色々ありました。コンビニでも時給1000円貰っていますからストレスもたまりますが趣味や楽しみで発散してしまいます。今はコンビニもマスターしたのでスーパーに移ろうと考えています。コンビニ業務は全部出来るのでいい店長を見付けてコンビニのオーナーになる事も考えましたが直接コンビニのオーナーに話を聞いてみると細かいお金の計算やバイトの面接等細かい事も沢山あって大変と知りました。ただドンと構えていればいいものではありません。読書は学生時代からの趣味ですが健康おたくになったのも病気になったので健康に気遣う様になりました。元々タバコは吸わないのでストレスをためない事に気を付ければ検診を受けても何処にも異常の無い身体になれます。ここ15年くらいを簡単に話ましたが一度も調子を崩さず健康でいられたのも「ストレス」をためなかったからだと思います。趣味も多かった事も良かったと思っています。友人が増えたのもお酒やゴルフのおかげだと思っています。人生何が幸いするか分かりません。あのまま無理して仕事を続けていたらもっと病気が重くなり働けなかったかもしれません。ハートネットTV等を観ても分かりますが企業に勤めてもうつ病になったり統合失調症になったり過労死したり体調を崩す人がいますが早くに病院に通い薬を服用すればまた働く事も出来ますし趣味をたのしむ事も出来ます。ストレスと関係の無い生活が出来ます。100人いれば100通りの生き方があります。あまりにも生きづらい生き方をしている人が多すぎます。もっと良い意味で賢く生きるべきだと思います。私達が生きている間は高度経済成長もバブルも来ないでしょう。出世や社会的立場にとらわれずストレスの無い快適な生活をするべきだと思います。人により価値観が違うので考え方は人それぞれです。長くなりましたが私の経験や考え方を話してみました。ではまたです。

以上が僕が銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから僕のメールアドレスに届いたメールです。

自分が何故、発病したのかも分かり易く書かれています。

銀杏企画でのエピソードなども良く書かれていると思います。

心の病気(うつ病や統合失調症)の方々に是非読んでいただきたい文章です。

これだけまとまった内容の文章を書いてメールを送ってくる能力があれば、精神障害者作業所の外に出ても働けると思います。

 心の病気の方々に是非読んでいただきたい文章なのでブログに載せたいと思います。

 以上、「銀杏企画セカンドで出会った加藤竜一さんから届いたメール」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年8月4日木曜日

「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

 「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

  僕の両親は高齢です。

  父は89歳です。母は85歳です。

  父、母ともに80歳を超えています。

  何が長寿の秘訣かと言ったら、僕は食べ物だと思っています。

  両親は、目に良いと言われるブルーベリーを食べています。

  また、ヨーグルトを自分で作って、ヨーグルトも食べています。

  ヨーグルトは薬代わりに食べている人も多いと思いますが、ヨーグルトを食べています。

  食べ物が長寿の秘訣のようです。

  運動に関しては、父は、以前は、文京区のラジオ体操に通っていました。

  母は、以前は、介護予防体操に通っていました。

  食事と運動が長寿の秘訣のようです。

  僕の両親がブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べていることをブログに書いておきます。

  以上、「僕の両親はブルーベリーを食べて、ヨーグルトも自分で作って食べている」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

2022年8月2日火曜日

「倉島孝行の愚かさ」

 「倉島孝行の愚かさ」 

 先日は早稲田大学探検部33期で同期だった桜井誠人の愚かさについてブログを書きましたが、今日は、同じく早稲田大学探検部33期で同期だった倉島孝行の愚かさについてブログを書きたいと思います。

 倉島孝行の愚かさは早稲田大学探検部員なら多くの人間が知っていると思います。

 先日、僕と一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った関口君と飲んだときも、関口君は

 「倉島さんは風俗の話しかしない」と嘆いていました。

  倉島孝行とは、早稲田大学時代から風俗遊びが大好きで、早稲田大学探検部員の前でも風俗の話ばかりしていました。

  ちなみに早稲田大学探検部チベットカイラス隊のチベット探査計画書に書いている倉島孝行の文章で以下のようなものがあります。

 俗なるものを聖化することがチベット仏教の共通性として存在する。

タントラ 性的修法の経典。8世紀中葉、パーラ王朝下のインド密教ヨーガの実践において、シャクティ(明妃、配偶女神)が解脱を得るための積極的な媒介として重視された。又、飲酒や肉食も解脱の近道とされた。こうしたヒンドゥー色の濃い後期密教がチベットに流入するとチベット人のエロスへの偏愛と結び付き、独特な展開を見せる。

 理趣経 密教経典の1つ。人間の欲望を積極的に肯定している。そのなかには、性欲も宇宙生命の表現である以上清浄なものとし、男女の交接の中に宇宙の合一が認められるというような趣旨が述べられている。

 この文章を読むと倉島孝行が男女の性愛に多いに関心があり、チベットというフィールドでもチベット仏教徒の男女の性愛に関心を持っていたことが分かります。

 早稲田大学探検部時代の倉島孝行の頭の中が、男女の性愛のことで満ち溢れていることが分かります。

  早稲田大学探検部32期の吉澤基勝さんからは

  「倉島は退部するべきだ」と言われていました。

  あるとき、倉島孝行は、早稲田大学探検部33期の同期生、松田和郎の後の奥さんとなる松田和郎の彼女、清江さんに、

 「吉原君」と嘲笑を持って、言われていました。

  倉島孝行とは、身長が190センチもありハンサムで、彼女がいてもおかしくないのですが、早稲田大学時代には風俗遊びばかりしていて、吉原とかに通っていたようです。

 吉原のソープランドで、風俗業界で働く女性をイカせて満足していたようです。

  早稲田大学探検部員の前でも、風俗の話ばかりして、大塚の仮面貴族イブとかに行っているとか、新宿歌舞伎町に11チャンネルという安いファッションマッサージがあるとか、性風俗に関する話ばかりしていました。

  倉島孝行はよほど男女の性愛に自信があるのか、倉島孝行の知り合いの有村文雄(法政大学の人間でアフガニスタンに行っている人間です。早稲田大学探検部34OB四倉幹木とも知り合いです)がグンゼの白いブリーフを履いているのを見ると、

 「童貞パンツを履いている」とか有村文雄のことをからかっていました。

   倉島孝行とは、僕が新宿区戸山のワカサ荘に一人暮らしをしている頃に、僕のアパートに転がり込んできて、僕の住んでいたアパートにしばらく住んでいました。

   倉島孝行とは、僕の部屋でも性風俗の話ばかりしていて、池袋に千姫という安いソープランドがあると言ってきて、僕も倉島孝行に誘われて、池袋の千姫というソープランドに行きました。

   池袋の千姫というソープランドに源氏名で聖子ちゃんという女の子がいて、僕も倉島孝行も、千姫の聖子ちゃんを指名して、聖子ちゃんと体を重ねました、

   それ以来、倉島孝行と僕は、お互いを兄弟と呼び合うようになりました。

   倉島孝行の発想は貧困で、僕がワカサ荘で、大久保通り沿いにある生協で買った牛乳を飲んでいると、

  「こんな水で薄めたような牛乳は飲めない」とか僕に言ってきます。

   少なくとも、僕の住んでいたアパートに転がり込むなら、僕と同じような生活をするのが筋だと思いますが、僕のような貧しい生活はしたくなかったのだと思います。

 僕がTwitterを開設し、ある程度フォロワーさんがついてから、文京区の春日で倉島孝行と飲んだときのことを書いているブログはこちら

 →「春日での飲みでの何新聞を配達していたのかの質問」

  何年か前に僕が高田馬場のムロという餃子屋さんで、倉島孝行、中谷敏夫、関口顕俊君で飲んだときも、僕に向かって、

 「おまえ短小だろ」とか言ってくる無礼極まりない人間です。

 その他にも早稲田大学探検部チベット隊で高田馬場で飲んだときも僕に向かって、

 「おまえが麻原彰晃だったんじゃないか」とも言ってきました。

 僕が倉島孝行に「おまえが麻原彰晃だったんじゃないか」と言ってきたことについて書いているブログはこちら

 →「高田馬場にんじん屋に見たおまえが麻原彰晃だったんじゃないか?」

  その他にも、新宿トルコ料理屋で、高野秀行、野崎英恵、桜井誠人、倉島孝行、森山憲一、上原和明の6人で飲んだときも、

  倉島孝行は、

 「おれは小泉純一郎に似ていると言われる」とか

 「菅直人は国賊だぞ」とか

 「佐野慎一」とか

  言っていて、何か誇大妄想を抱えている人間のようです。

  倉島孝行が早稲田大学探検部の飲み会の席で小泉純一郎や菅直人の総理大臣を務めた人間の名前を出すほどの総理大臣の器で、英雄色を好む型で、若い頃に風俗遊びをしていたとするなら、僕は倉島孝行のことを認めますが、倉島孝行とは政治家にも総理大臣にもなっていません。

  倉島孝行とは、あるとき、僕の携帯電話に電話をしてきて、

 「早稲田大学探検部でおれは河合(河合圭祐のこと、肺がんで亡くなった早稲田大学探検部35期の後輩)、おまえは佐藤さん(佐藤英一さん、心臓の病気で亡くなった早稲田大学探検部29期の先輩)」。

   倉島孝行が自分のこと河合だと思っているなら、河合圭祐君のように、早稲田大学探検部の後輩にアルバイトを提供して、早稲田大学探検部のために死んでいただきたいと思います。

 その他にも僕の携帯電話に電話をかけてきて、

 「おまえ、おもしろいよ、拓大の周りをウロチョロしてろ」という電話もかけてきました。

 「拓大の周りをウロチョロしてろ」について僕が書いているブログはこちら

 「拓大の周りをウロチョロしてろ、myougavalley.com

 その他にも僕の携帯電話に電話をかけてきて、

「おまえ、1日8時間働かなくちゃダメなんだよ」という電話もかけてきました。

1日8時間働かなくちゃダメなんだよと言っていたことについて書いているブログはこちら

「携帯にかかってきた電話、お前、8時間働かないといけないんだよ」  

 とにかく、自分には能力がないくせに、何か誇大妄想を抱え、僕に向かって発言してくるので、僕は倉島孝行とは付き合いたくないと正直に思っています。

早稲田大学時代は倉島孝行のお父さんが子供の頃に亡くなっていることを倉島孝行から聞いていて、女手ひとつで育てられたことを聞いていて、倉島孝行が可哀想だったので、倉島孝行と付き合ってあげていましたが、とにかく言動が無礼だし、下品なので、僕は倉島孝行とは正直な気持ちで付き合いたくないと思っています。

  ちなみに倉島孝行が何年か前に僕の家を訪問して置いていった本は、「タイの森林消失」という本です。

  何か僕が小石川高校時代に在籍していたクラスB組に在籍していた女子が倉島孝行の上司になって、「タイの森林消失」という本を書かれたようです。

  パラパラページをめくって、難しいことが書いてあるので、僕は「タイの森林消失」読んでいません。

  僕のような統合失調症の精神障害者には難しくて、到底、読めない本です。

  よく、こんな難しい本を、中卒の両親と一緒に住んでいて、心の病気、統合失調症で苦しんでいる僕の家に置いていけるなと思っています。

 僕の家を訪問し、本を置いてから、倉島孝行は、

 「おれのせいで、統合失調症になった」と自白して、倉島孝行のお父さんの出身地、江東区深川に僕を連れて行き、深川不動で護摩を焚いてもらえと僕に強く言っていました。

  倉島孝行も僕を統合失調症にした犯人の一人のようです。

  僕が早稲田大学探検部33期で同期だった倉島孝行に抱いている悪い感情をブログに書いておきます。

 以上、「倉島孝行の愚かさ」

 ブログに載せます。