2021年12月28日火曜日

「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

 「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

  僕の早稲田大学探検時代の同期生、森山憲一が好きだった写真家に白旗史郎という方がいます。

  白旗史郎とは山岳写真家でネットで検索すると一般社団法人、白旗史郎保存会、白旗史郎の世界をというサイトがあります。

  白旗史郎保存会のサイトを見ていると、白旗史郎さんが、山岳写真を撮り続けていたことが分かります。

  以下、白旗史郎プロフィールからの引用です。

  白簱史朗の世界へようこそ

  自然は美しい!私はそのたぐいなき美と力を私の写真で万人が共感するものにしたいと努めてきた。人工の色や奇を衒ったひとりよがりの写真は、それを創った神への冒涜である。私はいつもその神への感謝と、歓びを以って大自然に対している。

  以上のような文章が載っています。

  僕もこの文章を読んでいて、良いことが書かれていると思いました。

  僕も早稲田大学探検部在籍中は、日本各地、世界各地の雄大な大自然の風景を見ていました。

  東京に住んでいると、自然の風景もなく、神に感謝する気持ちも無くなってしまうような気がします。

  早稲田大学探検部時代を思い出して、どこか自然の風景を見られる場所に行ってみたいと思っています。

  以上、「森山憲一が好きだった写真家、白旗史郎」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月27日月曜日

「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 もう30年以上前ですが、僕らがインドブラマプトラ川川下りに行って、取材クルーを出していたフジテレビの番組が出来上がってから出来上がった番組を見に、当時新宿区河田町にあったフジテレビに行ったことがあります。

 僕らがフジテレビに行くと、僕の通っていた幼稚園(聖徳幼稚園)、小学校(小日向台町小学校)時代の友達の土屋健に会いました。

 この土屋健という人間はネットで検索するとウィキペディアがあります。

 土屋健のウィキペディアはこちら→土屋健

  実は僕が早稲田大学探検部に入部したのも、土屋健に早稲田大学探検部を紹介されて早稲田大学探検部に入部しました。

  僕が浪人時代に東京新聞の新聞配達をしながら受験勉強をして早稲田大学法学部に合格してから土屋健の家を訪問して、

 「早稲田大学に合格しました」と報告に行った際に、土屋健のお母さんにお寿司をとっていただき、お寿司をご馳走になって、その際に、早稲田大学探検部というサークルを紹介していただきました。

  土屋健とは聖徳幼稚園、小日向台町小学校から早稲田中学・高校に進んでいて、土屋健の早稲田中学・高校の同級生に、早稲田大学探検部の僕の一つ上の先輩になる吉澤基勝さん、高橋宏治がいて、それで早稲田大学探検部を紹介していただいたのだと思います。

僕がインドブラマプトラ川川下りに行って、取材クルーを出していたフジテレビの番組が出来上がって、フジテレビに行った際に土屋健に偶然会いました。

土屋健とは、僕が早稲田大学探検部1年生の時に、ミクロネシアのヤップ島に行って、帰国してから急性肝炎を発症して(ウィルス性の肝炎です、A型肝炎です、経口感染です。ミクロネシアで慣れないものを食べたので、ウィルス性の肝炎に罹りました)東京厚生年金病院に2ヶ月半くらい入院した際に、お見舞いに来てくれた本当に心優しい人間です。(その他にも、早稲田大学探検部の一つ上の先輩、吉澤基勝さん、僕と同期の後藤健介もお見舞いに来てくれました。)

土屋健にインドブラマプトラ川川下りに同行して取材したフジテレビの番組が出来上がった際に、当時、新宿区河田町にあったフジテレビで偶然会ったことをブログに書いておきます。

以上、「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月23日木曜日

「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

 「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

  僕は、昨日は、インドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行きました。

  高田馬場のBIG BOX前で待ち合わせして、高田馬場のインド料理屋(正確にはインド・ネパール・チベット料理のようです)に行きました。

  高田馬場の早稲田通り沿いの雑居ビル3階にあるインド料理屋で飲みました。

  お店は関口君が知っていて、関口君が若い頃に、志岳会という山岳会に所属して登山をしていた頃に、志岳会の人と一緒に行ったことのあるお店のようです。

  インド料理屋ではエベレストという名前のビールを飲みました。

  つまみはシーザーサラダ、タンドリチキンを注文しました。

  ナンとかも食べようと思いましたが、僕も関口君もお腹いっぱいになりナンに辿り着かずに、飲み会は終了しました。

  2時間くらい、インド料理屋で飲んでいました。

  僕  が日本ヒマラヤ協会の八木原さんから送っていただいた、HIMALAYAという冊子を持っていて、HIMALAYAに掲載されているインドブラマプトラ川川下りの記事、「White water(白い水)」を関口君に見せました。

 White water(白い水)」には関口君や八木原さん、八嶋さん、中谷、僕の写真も載っていました。

 インドブラマプトラ川に行ったときの思い出話などをずっと2人でしていました。

  八木原さん、八嶋さん、ヒマラヤ協会の山森さん、尾形さんたちの話などをしていました。

  八木原さん(八木原国明さん)にとっては、インドブラマプトラ川川下りは息抜きみたいなものだったでしょうね、インドブラマプトラ川川下りの後のサガルマータ(エベレストのネパール語での呼び方)南西壁での八木原さんの真剣な顔つきを見たら、インドブラマプトラ川川下りなんて息抜きみたいなものでしょうねと八木原さんについて話しました。

 八嶋さん(八嶋寛さん)については、八嶋さんは長く銀行に勤めていて仕事を辞めてヒマラヤ登山をしていた人で、八嶋さんは、仕事を辞めないと一人前と言えないと言っていたとか話しました。

  山森さん(山森欣一さん)については、高田馬場のヒマラヤ協会の事務所に尾形さんといつもいて、ひげを伸ばして、東京農業大学探検部みたいでしたねと話しました。

  インドブラマプトラ川川下りに一緒に行った中谷敏夫については日本テレビでアンパンマンなどの仕事をしていて、以前、早稲田大学探検部チベット隊で飲んだときに、心臓が悪くて体調が悪そうだった。中谷はチベットでもインドブラマプトラ川川下りでも元気だったのに、テレビの仕事で大変なんだろうと話しました。

  関口君と2人で飲みながら、思い出話に花を咲かせました。

  僕も昨日は久しぶりに懐かしいインドブラマプトラ川川下りの思い出話を関口君と出来たので楽しかったです。

  以上、「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月22日水曜日

「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

 「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

  僕は30歳の頃に心の病気、統合失調症になり、文京区の精神障害者福祉作業所、銀杏企画セカンドに入所しました。

  銀杏企画セカンド在籍中に、白山さんという当時、60過ぎくらいだったおばちゃんがいらっしゃり、僕も白山さんに誘われ、白山さんとデートしながら、東京の美術館巡りをしていました。

  白山さんも僕も精神障害者手帳を持っているので、美術館とか博物館は無料で入場できました。

  文京区民センターで待ち合わせして、文京区民センター一階にある椅子に座って、白山さんを待っていました。

  文京区民センターから上野の国立西洋美術館とか、恵比寿の東京写真美術館とかに良く行っていたと思います。

  美術館で多くの絵や写真を鑑賞してから、一緒に食事をしたりしました。

  白山さんは青森県出身で、水道橋の近くに住んでいました。

  水道橋の近くの宝生能楽堂のすぐそばに住んでいらしました

  僕も水道橋の近くにある白山さんの家に遊びに行き、ご飯を食べさせてもらったりしました。

  白山さんが若い頃にもらったラブレターも読ませてもらったりしていました。

  白山さんは家ではNHKラジオの放送を聴いていました。

  白山さんは僕のことを、

 「面白い、面白い」と言っていました。

僕も白山さんの、褒め言葉、

「面白い、面白い」という言葉にうれしくなり、

白山さんを僕が若い頃に住んでいたアパート、新宿区戸山にあるワカサ荘に案内したことがありました。

白山さんは、僕の住んでいたアパートを見て、

「こんなアパートに住んでいたの?」

と言って、ますます、面白がっていました。

僕が銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがあることをブログに書いておきます。

以上、「銀杏企画セカンドに在籍していた頃に良くデートをしていた白山さんとは僕の住んでいたアパートを見に行ったことがある」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月16日木曜日

「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

 「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

  僕の早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行が東南アジアで知り合った人に皆川さんという方がいます。

 僕も倉島孝行に紹介されて皆川さんと知り合いました。

  皆川さんは駒澤大学卒で、学生時代は学生運動をしていて、国会に突っ込んでいこうとして官憲に取り押さえられた経験を持っているようです。

  皆川さんは東京から離れて、群馬県の嬬恋村で、キノコなどを販売する仕事をしていたようです。

  現在でもキノコなどを販売する仕事をしているかは分かりません。

  僕が統合失調症になってから、皆川さんが住んでいる群馬県に遊びに行き、浅間山の登山をしたことがありました。

  皆川さんの家ではすき焼きをご馳走になりました。

  僕は、当時は精神状態がとても悪くて、皆川さんの家に遊びに行っても、精神状態が悪いことを皆川さんに話していたと思います。

  皆川さんは僕の話を聞いて、

  「おれもうつ病って言いたいよ」と仰っていました。

  皆川さんから見ると、僕の病気の話を聞いてもそれほど深刻なことだと思わなかったようです。

  皆川さんのように若い頃に国会に突っ込んでいったような人からすると、僕程度の心の病気の話を聞いても大したことないと思ったようです。

  僕が早稲田大学探検部時代の同期の倉島孝行の知り合い皆川さんに

 「おれもうつ病って言いたいよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

 以上、「皆川さんという方にはおれもうつ病って言いたいよと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月15日水曜日

「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

 「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

  僕が早稲田大学に通っていた頃(1987年~1992年)に早稲田大学の同学年で早稲田大学でノンセクト(学生運動のセクトに所属せずに)による学生運動をしている小川正治という人間がいました。

  小川はノンセクトラジカル(ラジカルとは急進的との意味のようです)を名乗って早稲田大学で学生運動をしていて、よく

 「革マルにいじめられた」とかこぼしていました。

  小川正治とは早稲田大学文学部の人間で、僕と早稲田大学探検部で同期だった桜井誠人が京都大学の受験で知り合った人間のようです。

  桜井誠人同様、2浪しています。

  僕も小川正治は桜井誠人に紹介されて知り合いました。

  小川正治とは、文京区の真砂図書館で受験勉強をしていたようで、文京区のことはよく知っていて、僕が文京区出身だと言うと

  「文京区、暗い」と僕に言ってきました。

  この小川正治という人間は、早稲田大学探検部で僕らの代の副幹事長だった清水博之の出身高校熊谷高校の一つ上の先輩になります。

  清水博之によると、

 「たんこぶ」と言っていて、清水博之にとっては

 「目の上のたんこぶ」になるような人間だったようです。

  僕も早稲田大学在学中に小川正治と早稲田大学キャンパス内でよく会いました。

 小川正治は世界旅行研究会のことを何か話していたと思います。

  ある日、僕が早稲田大学キャンパス内を歩いていると、小川正治に偶然、遭遇しましたが、

  僕が元気のない覇気のない表情をしていたせいか小川正治に

 「なに黄昏れているんだよ」と言われました。

  僕が元気のない覇気のない表情をしていたので、僕の表情を見て小川正治の口から、

 「なに黄昏れているんだよ」との言葉が飛び出したのだと思います。

  僕は早稲田大学在学中から何か黄昏れているような人間だったようです。

  僕が小川正治から

 「なに黄昏れているんだよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

  以上、「ノンセクトラジカルの小川正治にはなに黄昏れているんだよと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月13日月曜日

「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

 「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

  僕は30歳の頃に心の病気、統合失調症になりました。

  僕が統合失調症になってから、早稲田大学探検部の部室が早稲田大学1号館5階から移転するとのことで、僕も早稲田大学1号館5階にあった部室に行きました。

  僕が探検部の部室が移転するので、早稲田大学1号館の5階にあった部室に行った際に、早稲田大学探検部の僕の一つ下の後輩で、読売新聞勤務の伊東謙治という人間と偶然に会いました。

  読売新聞勤務の伊東謙治も探検部の部室が移転することを知って、早稲田大学探検部の部室に来たようでした。

  伊東謙治と部室で会った際に、僕が、「統合失調症という病気になった」と言うと、

  伊東謙治は、「仮面うつ病の人もたくさんいるんですよ」と僕に言ってきました。

  仮面うつ病で、ネットで検索してみると、

 仮面うつ病」とは、身体症状が前面にでて、精神症状が目立たないうつ病、身体症状という仮面をかぶったうつ病のことです。 このため、患者さんはうつ病にもかかわらず、一般の医院や病院を受診しますが、検査をしても異常は認められません。

という病気のことらしいです。

伊東謙治が当時、「仮面うつ病」だったのか分かりませんが、心の病気の人は僕だけでなく世の中には多くいるということを言いたかったのだと思います。

僕が統合失調症になってから、早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治から

「仮面うつ病の人もたくさんいるんですよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

以上、「早稲田大学探検部の一つ下の後輩、伊東謙治からは仮面うつ病の人もたくさんいるんですよと言われていた」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月12日日曜日

「早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 「早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

  僕は若い頃、新宿区戸山のワカサ荘という4畳半のアパートに住んでいました。

  僕はパソコン通信によるデータベースの検索の仕事と近所の書店での仕事をしていました。

  書店でバイトをしているときに、早稲田大学探検部の僕の3つ下の後輩、佐藤という人間(この佐藤という人間も、僕がバイトしていた早稲田大学体育館のバイトを譲った人間です)から、早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田のことをなんとかしてくださいよと頼まれました。

  僕の4つ下の後輩、柳田とは当時から精神を病んでいて、精神科の病院に通っていたようでした。

  僕の4つ下の後輩、柳田は、僕のバイトしていた、書店で働くことになりました。

  書店では普通に仕事をしていたようです。

  僕は柳田と一緒に近所のラーメン屋に行って、一緒にラーメンを食べたことがありました。

  その際に、僕は柳田に、

 「上原さんがどもることは探検部ではタブーになっていますよ」

 とか、

  「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」

  と言われました。

  僕は柳田の口から出た言葉に傷つきました。

   僕は自分がどもることは気にしていたし、実際に、どもることによって、前に勤務していた日本電波ニュース社では現場に行かせてもらえずに、編集室に閉じこもっての編集の仕事をしていて、体力がどんどん落ちて、過労で入院して日本電波ニュース社を退社しました。

 僕のの父と母の営んでいたラーメン屋さんは、もうやめていました。

柳田の言葉があまりにもひどい言葉で、到底、早稲田大学探検部の先輩と後輩の間で交わされるような言葉ではなく早稲田大学探検部の後輩とは、本当にひどい後輩で、先輩に対して配慮する気持ちも無いと思いました。

僕は早稲田大学探検部の4つ下の後輩になる柳田とは早稲田大学探検部で一緒に活動したこともないし、全く面識の無い後輩でした。

僕の3つ下の後輩、佐藤は、高野さんが住んでいた早稲田鶴巻町の平岡荘に住んでいて、僕も平岡荘にはよく遊びに行っていたので、佐藤のことは知っていましたが、佐藤とも早稲田大学探検部時代に一緒に活動したことはありませんでした。

何故、早稲田大学探検部の3つ下の後輩になる佐藤が、僕に

僕と全く面識の無い早稲田大学探検部の僕の4つ下の後輩になる「柳田のことをなんとかしてくださいよ」と頼んできたのかも分かりませんが、僕が仕事を紹介してあげた後輩に、

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」とか

「実家のラーメン屋さんを継げば良いじゃないですか」とか言われなければならないのかと本当に不思議に思っています。

僕が早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田から

「上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよ」と言われていたことをブログに書いておきます。

以上、「早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田からは上原さんがどもることは探検部のタブーになっていますよと言われていた」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2021年12月9日木曜日

「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

 「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

  僕が早稲田大学探検部5年生の頃だったと思いますが、僕は早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、佐藤英一さん(故人)が企画した河童団という企画、杉並区の水泳大会に早稲田大学探検部で出場するという企画に参加しました。

  参加者は、早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、佐藤さん、戸崎さん、竹村さん、僕の2つ上の先輩の高野さん、高橋さん、僕と同期の森山、僕だったと思います。

  杉並区の水泳大会に出場するために、杉並区の和田堀公園にあるプールで水泳の練習をしていましたが、その際に、僕の4つ上の先輩、戸崎さんから、

 「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われたことがありました。

僕は、早稲田大学探検部時代は、様々なバイトをしていました。

焼き肉屋さんのバイトとか、高原野菜の収穫のバイトとか、貯水槽の清掃のバイトとか、早稲田大学の近所の喫茶店でのバイトとか、焼鳥屋さんでのバイトとか、サトウキビの収穫のバイトとか、築地の寿司屋さんでのバイトとか、上野の同伴喫茶でのバイトとか、川崎駅前での道路清掃のバイトとか、ビルの建築現場でのバイトとか、様々なアルバイトをしていました。

そのような僕のことを戸崎さんが知っていたのか分かりませんが、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われました。

僕が早稲田大学を卒業してからも、会社勤めも長く続かずに、会社を辞めては転職し、様々な職を転々としていることを考えると、戸崎さんの仰っていたことも今となっては僕の悪い部分を言い当てていたのだと思います。

大学時代からきちんと腰を据えて、一つのバイトをしているのが良いのだと思います。

大学時代だからあれもしてみたいこれもしてみたいという気持ちで、様々なアルバイトをしましたが、先輩から見ると、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」という言葉が出たのだと思います。

大学時代から一つのバイトを長く続けることによって、大学卒業後も一つの仕事を長く続けられるようになるのだと思います。

僕が早稲田大学探検部時代の4つ上の先輩、戸崎さんから、

「バイトするなら一つのバイトをしろ」と言われていたことをブログに書いておきます。

以上、「早稲田大学探検部の僕の4つ上の先輩、戸崎さんからは、バイトするなら一つのバイトをしろと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月7日火曜日

「早稲田大学探検部時代に探検部員の前で歌っていた歌、BOW!」

 「早稲田大学探検部時代に探検部員の前で歌っていた歌、BOW!」

  僕らが早稲田大学探検部に在籍していた頃は、探検部の飲み会の後によくカラオケに行っていました。

  早稲田大学探検部の仲間でよくカラオケに行っていました。

  僕はカラオケで、渥美清の「男はつらいよ」とか尾崎豊の歌を歌っていました。

  僕が早稲田大学探検部の飲み会の後のカラオケで探検部員の前で歌っていた歌の一つに尾崎豊の、「BOW!」という歌があります。

  昨日、久しぶりにYou Tubeで聴いてみました。

 You Tubeはこちら


歌詞もネットにありました。

以下のような歌詞です。

 

否が応でも社会にのみ込まれてしまうものさ

若さにまかせ挑んでいくドンキホーテたちは

世の中のモラルをひとつ飲み込んだだけで

ひとつ崩れひとつ崩れすべて壊れてしまうものなのさ

あいつは言っていたね サラリーマンにはなりたかねえ

朝夕のラッシュアワー 酒びたりの中年たち

ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃNONO

救われないこれが俺たちの明日ならば

午後4時の工場のサイレンが鳴る

心の中の狼が叫ぶよ

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

 

夢を語って過ごした夜が明けると

逃げ出せない渦が日の出とともにやってくる

中卒・高卒・中退 学歴がやけに目につく

愛よりも夢よりも金で買える自由が欲しいのかい

午後4時の工場のサイレンが鳴る心の中の狼が叫ぶよ

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

鉄を喰え飢えた狼よ

死んでもブタには喰いつくな

 

以上のような尾崎豊の歌詞です。

 

僕もこの尾崎豊の作った歌を探検部員の前で歌っていました。

 

僕も当時は早稲田大学探検部に在籍していて、夢もあったし、自分の人生を賭けるような夢があったのだと思います。

 

しかしながら、早稲田大学を卒業して、社会に出ると、尾崎豊の作った歌詞の通り、社会に飲み込まれてしまい、仕事仕事で夢を語ることもなく、ただ、日々の生活の糧を得るための仕事のために時間を費やし、気晴らしは酒を飲んだり、タバコを吸ったりすることだけです。

 

僕も現在の若者たちからすれば、酒びたりの中年たち(僕は酒はほとんど飲みませんが、タバコは吸っています)と同列の人間になるのだと思います。

 

今の若者たちが尾崎豊の「BOW!」を歌えるか分かりませんが、若いからこそ出来ることがあると僕は思っています。

 

自分たちの若さを生かして、若さにまかせ挑んでいくドンキホーテのような人間が早稲田大学探検部にもいることを僕は祈っています。

 

以上、「早稲田大学探検部時代に探検部の飲み会で歌っていた歌、BOW!」

 

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月6日月曜日

「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

 「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

  僕は僕と一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った中谷(中谷敏夫、日本テレビ放送網に勤務されています)に

 「自分から動かないとな」

  と言われたことがありまます。

 「自分から動かない」とは、要するに上司からの指示を待って、仕事をする会社員のことなのだと思います。

  会社の中で上司が頭を悩ますのが、指示待ち会社員なのだと思います。

  「自分から動かない」上司からの指示が出るまで、仕事をしない指示待ち会社員が会社の中で、上司の頭を悩ますのだと思います。

  会社とはメーカーもあれば、商社もあれば、金融関係などなどあると思います。

  マスコミと言われている、テレビ関係や、新聞関係も会社です。

  会社の中で仕事をする上で、上司からの指示が出ないと仕事が出来ない、「自分から動かない」指示待ち社員が上司の頭を悩ますのだと思います。

  中谷に僕が「自分から動かないとな」と言われたのは、僕が新宿区戸山のワカサ荘に住んでいた頃でした。

  僕も当時は1人暮らしで、仕事もパソコン通信によるデータベースの検索の仕事(サーチャーのような仕事)と近所の書店での仕事で、「自分から動かない」で仕事をしていたようです。

  会社で仕事ををする上で、上司からあれやれこれやれと言われるまで、「自分から動かない」指示待ち社員が会社の上司の頭を悩ますのだと思います。

  僕が一緒にインドブラマプトラ川川下りに行った中谷(中谷敏夫)に「自分から動かないとな」と言われていたことを思い出したのでブログを書いておきます。

  以上、「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月5日日曜日

「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

  僕は、中学校は文京区の文京区立茗台中学校という中学校に通っていました。

  僕は、中学時代はバスケットボール部に所属していました。

  中学時代のバスケットボール部の同期生に、茗台中学校から都立青山高校に進み、大学は信州大学に行った人がいます。

  僕は都立小石川高校から早稲田大学に進み、早稲田大学では探検部で登山とかもしていたので、長野県松本市にある信州大学に遊びに行ったことがあります。

  中学校のバスケットボール部の同期生は、信州大学から三菱製紙に就職して、紙を作る仕事に就いたようです。

  実は、僕の母は、江戸川橋にあるラーメン屋さんをやめてから湯島にあった三菱製紙の研修の寮の清掃の仕事をしていて、三菱製紙の研修の寮での清掃の話を家でしていましが、その際に、僕の中学時代の同期生で三菱製紙に就職された人の話を盛んにしていました。

三菱製紙に就職された方が研修のために来ることはないのかなと言って、盛んに話をしていました。

三菱製紙に就職された方とは、東京外語大学の文化祭を一緒に見に行ったこともありました。

もう何十年も会っていませんが、中学校時代の同期生のことを思い出したのでブログを書いておきます。

以上、「中学時代のバスケットボール部の同期生のこと」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月2日木曜日

「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

 「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

  僕は、早稲田大学在学中は法学部に在籍していました。僕は早稲田大学法学部を卒業しています。

  法学部の「法」という漢字は、さんずいに去るという字の組み合わせです。

 「法」とは水が去るという意味になるのだと思います。

  僕は、早稲田大学在学中は法学部に在籍するとともに、探検部にも在籍していました。

  探検部では川下りもして、僕も世界的な激流、インドブラマプトラ川川下りを経験して川下りの報告書に「ブラマの水の味」という感想のような報告のような文章を書いています。

  インドブラマプトラ川川下りについては、昨年、インド人ジャーナリストにも取材され、ホワイトウォーター(白い水)というタイトルの記事が作られました。

  僕は早稲田大学探検部関係者のことを考えて、早稲田大学探検部OB番号3301からの早稲田大学探検部関係者への僕からのメッセージは、331日の僕のツイート(331日のツイートでTwitterを固定しています)で紹介している記事を早稲田大学探検部関係者に是非読んでいただきたいというメッセージであることを表明しています。

   一方で僕は2011年の311日に起きた東日本大震災を経験して、福島原発事故のことについて東電の刑事的法的責任を問う、「刑法刑事訴訟法と福島原発事故」というブログも書いています。

  早稲田大学探検部の名の通った先輩方が原発に反対する本を書かれていて、僕も早稲田大学探検部時代に青森県六ヶ所村に原発の村を探る活動をしていて、僕も原発のことには大きな関心があるので、僕の早稲田大学時代に在籍していた学部、法学部のゼミ、刑事法のゼミのことを思い出して、福島原発事故の東電の刑事責任を問う「刑法刑事訴訟法と福島原発事故」というブログを書いています。

 「法」という字を信用すれば、水が去るということになるのだと思います。

  僕が早稲田大学法学部卒を名乗る限り、水は去って行くことになるのだと思います。

  僕が法学部卒を名乗る限り、水は去ることになるのだと思います。

  このまま、僕が早稲田大学法学部時代に勉強した刑法の知識を生かして、福島原発事故のことを考えていくのか、僕が早稲田大学探検部時代に経験したインドブラマプトラ川川下りのことを思い出して早稲田大学探検部のことを考えていくのか僕の残り少ない人生の分かれ道だと思っています。

  僕が早稲田大学在学中に法学部に在籍していて法学部を卒業していてTwitterのプロフィールで早稲田大学法学部卒を名乗っていることが良いことなのかを自分で考えてみました。

  以上、「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

 ブログに載せます。