2022年1月31日月曜日

「1月は1日平均7893歩歩いていたようだ」

 「1月は1日平均7893歩歩いていたようだ」

  スマホの万歩計を確認していたら、僕は、1月は1日平均、7893歩歩いていたようです。

   僕は1日8千歩歩くことを目標に歩いているので、目標は達成できませんでした。

   以前は1日平均9千歩以上歩いていましたが、少し歩く歩数が減ってしまっているようです。

   長期間のコロナ禍で慢性的な運動不足で、体調が悪いので、少しずつでも歩く歩数を増やしていきたいと思っています。

   こらからも少しずつ、歩く歩数を増やしていこうと思っています。

   出来れば11万歩を目標にしていきたいと思っています。

   同じようなことを書いていますが、1月は1日平均7893歩歩いていたようなのでブログを書いておきます。

    以上、「1月は1日平均7893歩歩いていたようだ」

    ブログに載せます。

2022年1月28日金曜日

「2009年に図書館流通センターを受けていたようだ」

 「2009年に図書館流通センターを受けていたようだ」

  昨日、昔のメールを見直していました。

  2009年のメールで、僕が図書館流通センターの求人に応募していたことが分かりました。

  図書館流通センターとは、僕の家の近所の茗荷谷に会社があります。

  僕が2010年に僕がそれまで勤務していた会社、ソフマップを退職してから、長い間、Twitterをやっている場所も東京都文京区茗荷谷です。

  僕も2010年にソフマップを退職してから、長い間、近所の茗荷谷におもむき、図書館流通センターの会社のビルを見ています。

  僕が作った、東日本大震災書籍の紹介サイトも、図書館流通センターの会社のビルを毎日のように見て、茗荷谷のサンマルクカフェで作ったものです。

  僕が2009年に図書館流通センターを受けていたから、僕も何の偶然か、図書館流通センターのある茗荷谷におもむき、Twitterをしたり、ブログを書いたり、東日本大震災書籍の紹介サイトを作ったりしているようです。

 以上、「2009年に図書館流通センターを受けていたようだ」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月26日水曜日

「ヤップの歴史」

 「ヤップの歴史」

 先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。

  「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。

  昨日は、「ヤップの戦後の状況」という書類をブログに載せましたが、今日は、「ヤップの歴史」という書類をブログに載せたいと思います。

   以下、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた、「ヤップの歴史」という文章です。

  「ヤップの歴史」

 1.スペイン統治時代

  1526年にポルトガルにより発見される。その後、スペインの領土となり、カトリック教宣教師による布教活動が行われる。産業開発はなし。

 2.ドイツ統治時代

  1885年以来ドイツ海軍の進出。1898年米西戦争に乗じて、スペイからカロリン諸島買収。ドイツ領となる。農業。鉱山開発が盛んに行われる。住民不在の産業開発に終始。

 3.日本統治時代

 1914年、第一次世界大戦に乗じてドイツ領ミクロネシアを占領。日本では南洋諸島の名で呼ばれる。1920年、国際連盟から委任統治領として承認。皇民教育がしかれる。経済開発が盛んに行われる。

 4.アメリカ時代

 戦争(太平洋戦争=第二次世界大戦)末期にアメリカ軍が占領。その後、国連から信託統治領として認められる。多額の経済援助、平和部隊(ピースコープ)の送り込み。軍事戦力上の拠点として意義は重大。

 1986年、ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)として独立。15年後にはアメリカの経済援助が途絶える。

  以上が僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの歴史」という書類です。

  以上、「ヤップの歴史」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月25日火曜日

「ヤップの戦後の状況」

 「ヤップの戦後の状況」

 先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。

 「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。

  昨日は、「ヤップに行く経緯」という書類をブログに載せましたが、今日は、「ヤップの戦後の状況」という書類をブログに載せたいと思います。

  以下、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた、「ヤップの戦後の状況」という文章です。

 「ヤップの戦後の状況」

  戦後、ヤップは太平洋戦争の勝者アメリカの占領下に置かれた。1947年には国連からアメリカの信託統治領として指定され、昨年まで名称は変わっても実質的には以前と同様に外国の統治のもとに置かれることになった。

 ところで、この耳慣れない信託統治との内容は次のように要約されている。「信託統治とは住民の政治的、経済的、社会的なおよび教育的な発達を促進し、住民の意志に応じて自治または独立の方向に漸進的に発展するよう指導する。この内容を戦後アメリカの政策に当てはめてみる。そして、戦後アメリカの政策とそれによるヤップの変化、また自身で見聞した事実をもとにヤップの政治・経済・社会の状況を考察していきたいと思っている。

  以上が僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章です。

  僕が太平洋戦争後のアメリカの政策に翻弄されるヤップの状況を現地におもむき調べたいと思っていた事が分かります。

  僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップの戦後の状況」という文章をブログに載せます。

  以上、「ヤップの戦後の状況」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月24日月曜日

「ヤップに行く経緯」

 「ヤップに行く経緯」

 先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかりました。

 「ヤップに関する書類」という箱には、僕がミクロネシア、ヤップ島に関して書いていた書類、ヤップ島での写真などが入っていました。

  様々な書類がありましたがブログに載せるのに良いと思った書類がありました。

 タイトルは、「ヤップに行く経緯」という書類です。

 以下が、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップに行く経緯」という書類です。

 「ヤップに行く経緯」

  私がヤップ島を初めて知ったのは、人類学の講義中に板橋教授が、ヤップの石のお金による経済システムや母系社会のことについて話しているのを聞いたときだった。頭に浮かぶイメージは、かなり原始的な社会を営んでおり、文明からも隔絶された南海の孤島というものだった。自分は、現代日本のような高度に進んだ貨幣経済社会や情報化社会のみでとらええきれないこのような社会に好奇心がわいた。なにしろ人間の背丈ぐらいの直径のあるお金が存在し、使用されているという。まさに「はじめ人間ギャートルズ」の世界が実在するのではないかと想像した。これが最大の動機であり、俺はヤップに行くことにした。

  以上が、僕が早稲田大学1年生の時に書いていた「ヤップに行く経緯」という文章です。

  「はじめ人間ギャートルズ」を持ち出しているところは、僕が当時、二十歳にもなっていない人間で子供だったことが分かります。

  僕が当時から、情報化社会に嫌悪感を持っていたことも分かります。

  今、読み返してみても面白い文章だと思います。

   先日、部屋の掃除をしていたら、「ヤップに関する書類」という箱が見つかり、箱の中に「ヤップに行く経緯」という僕が書いた文章があったのでブログに載せます。

 以上、「ヤップに行く経緯」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月23日日曜日

「佐藤圭作さんの思い出」

 「佐藤圭作さんの思い出」

  先日、早稲田大学探検部時代の僕の2つ上の先輩の高野秀行さんのTwitterを見ていたら、さとけいさとけいさん (@satokeisa) / TwitterというTwitterアカウントを引用リツイートしていました。

  さとけいさんとは佐藤圭作さんで、僕が昔、デイリーアンに映画コラムを書かせていただいたときの編集者の方です。

 僕の佐藤圭作さんの思い出は、佐藤圭作さんと映画の話をしていて、僕の好きな映画は何かと訊かれた際に、

  川島雄三監督の「幕末太陽傳」が好きだと答えたことです。

  フランキー堺が出演していて、いい映画だと僕は思っていました。

 「幕末太陽傳」はネットで検索するとウィキペディアがあります。

 「幕末太陽傳」

  川島雄三監督もウィキペディアがあります。

  「川島雄三」

  僕の佐藤圭作さんの思い出を書いておきます。

  以上、「佐藤圭作さんの思い出」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月22日土曜日

「母が大好きだった映画、鉄道員」

 「母が大好きだった映画、鉄道員」

 僕の母が大好きだった映画に、イタリア映画の「鉄道員」という映画があります。

 イタリア映画「鉄道員」はネットで検索すると、ウィキペディアがあります。

 「鉄道員」

  僕も子供の頃に、イタリア映画の「鉄道員」を家族で観ていた記憶があります。

  僕の母の父親(僕のおじいちゃん)は、国鉄(現在のJR)に勤務していました。

  そのような経緯から、僕の母はイタリア映画の「鉄道員」という映画が好きだったのだと思います。

  僕もイタリア映画は好きで、「木靴の樹」とか好きです。

  僕の母が大好きだった映画に、「鉄道員」という映画があることをブログに書いておきます。

  以上、「母が大好きだった映画、鉄道員」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月21日金曜日

「鬼才、秋山英樹の作品、蛍の光 同窓会ぶちこわし編」

 「鬼才、秋山英樹の作品、蛍の光 同窓会ぶちこわし編」

  僕が日本電波ニュース社に勤務していた頃の先輩の秋山英樹さんから2016年にメールが届きました。

  秋山英樹さんからのメールにはYou Tubeの動画が添付され ていました。

  鬼才、秋山英樹さんのメールに添付されていたYou Tubeの動画以下のようなものです。

  タイトルは「蛍の光 同窓会ぶちこわし編」です。鬼才の作った作品らしく胸がスカッとする作品です。

  You Tubeはこちら。

 

 ↓

 


なにかとストレスの多い世の中ですが、気分転換に聴いてみても良い作品だと思います。

鬼才、秋山英樹の作品、「蛍の光 同窓会ぶちこわし編」

ブログに載せます。




2022年1月20日木曜日

「チベットで出会った田中智秀君にプレゼントされた男宝(ナンパオ)」

 「チベットで出会った田中智秀君にプレゼントされた男宝(ナンパオ)」

  僕は早稲田大学探検部2年生の時に、早稲田大学探検部同期の仲間とチベットに行っています。

  確か、チベットのラサでだと思いますが、田中智秀君という人間と出会いました。

  田中智秀君は長野県大町市の出身で、東京に出てきて中国語の勉強をしていて、中国語の得意な人間です。

  チベットで田中智秀君と出会い、日本に帰国後もお互いに連絡先を交換して、良く会っていました。

  僕は田中智秀君と良く会っていましましたが、あるとき、田中智秀君に、中国製の精力剤の「男宝(ナンパオ)」をプレゼントされました。

  僕は昔から精力の無い人間だったようです。

  僕に精力が無いので、いつまでたっても彼女が出来ないようです。

  僕が田中智秀君に、中国製の精力剤「男宝(ナンパオ)」をプレゼントされたことを思い出しので、ブログを書いておきます。

  以上、「チベットで出会った田中智秀君にプレゼントされた男宝(ナンパオ)」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月18日火曜日

「僕の家では岸田文雄さんは、おまえの大先輩ではないかと言われている」

 「僕の家では岸田文雄さんは、おまえの大先輩ではないかと言われている」

  僕の家では、現在の総理大臣をつとめていらっしゃる、岸田文雄さんはおまえの大先輩ではないかと両親に言われています。

  岸田文雄さんは早稲田大学出身で、僕も早稲田大学出身なので、同じ早稲田大学出身で、おまえの大先輩ではないかと両親に言われています。

  僕が以前、早稲田大学探検部の3つ下の後輩の大島新という人間が、ドキュメンタリー映画で

 「なぜ君は総理大臣になれないのか」

 というドキュメンタリー映画を作っていると両親に言ったら、

 僕の両親は

 「そう簡単には総理大臣にはなれないよ」

 と言っていました。

 僕も普通の人はそう簡単には総理大臣にはなれないと思っています。

 政治の話をし始めると、とにかく政治家への批判、嫉妬で、罵詈雑言の嵐になるのだと思いますが、僕の家では僕の両親は、現在の総理大臣をつとめていらっしゃる岸田文雄さんは、僕と同じ早稲田大学出身で、

 「おまえの大先輩ではないか」

 と両親に言われています。

  僕は個人的には、岸田文雄さんの政策もよく分からないし、岸田文雄さんを支持する理由もありませんが、僕は原発に関する本をたくさん読んでいて、個人的には原発に反対しているので、原発を維持しようとしている岸田文雄さんのことは個人的には支持していません。

 僕が理想主義者で、きれいごとばかり言っていると思っている人も多くいると思っています。

  僕は僕が理想主義者であっても良いと思っています。

  政治の話をしはじめると、派閥争い、複雑な人間関係が出てくるので、僕は正直に政治の話はしたくないと思っています。

  ただ、僕の両親は、普通の庶民なので、家では政治の話もしていて、現在の総理大臣をつとめていらっしゃる岸田文雄さんについては同じ早稲田大学出身者として、

  「おまえの大先輩ではないか」

  と言われていることをブログに書いておきます。

  以上、「僕の家では岸田文雄さんは、おまえの大先輩ではないかと言われている」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月17日月曜日

「八木原さんはHAJ(ハジ)に恥書かされたと昔、言っていた」

 「八木原さんはHAJ(ハジ)に恥書かされたと昔、言っていた」

  僕はもう30年以上前に日本ヒマラヤ協会(HAJTHE HIMARAYAN ASSOSIATION OF JAPAN 通称ハジ)の計画、インドブラマプトラ川川下りに参加しました。

  僕はインドブラマプトラ川川下りの日本側報告書に、「ブラマの水の味」という感想のような報告のような文章を書いています。

  僕が昔、日本で、日本側隊長の八木原さん(八木原國明さん)と飲んだときに、インドブラマプトラ川川下りで八木原さんは、

 HAJ(ハジ)に恥書かされた」と言っていました。

  僕も今から思うと、僕が昔書いた、「ブラマの水の味」という感想のような報告のような文章も、今読み返してみると、

 HAJ(ハジ)に恥書かされた」というような文章だったと思っています。

  インドブラマプトラ川川下りの際に、グレード5の激流でブラマプトラ川に投げ出され、川の水をたくさん飲んだのでそのときのことが一番記憶に残っているので、

 「この川の水は聖なる水なのかもしれない」とか書いていたと思います。

 「しかし、信仰のないものにとっては単なる水である」とも書いています。

  僕に信仰心が無かったことが分かってしまう文章だったと思います。

  僕もインドブラマプトラ川川下りで 

 HAJ(ハジ)に恥書かされた」

 と思っています。

 以上、「八木原さんはHAJ(ハジ)に恥書かされたと昔、言っていた」

 ブログに載せます。

僕がインドブラマプトラ川川下りについて書いているブログはこちら

 「昨日はインドブラマプトラ川川下りに一緒に行った関口君と飲みに行った」

 「インドブラマプトラ川を知っている日本人はどれだけいるだろうか?」

「僕の川下り経験は奥多摩、水上、四万十、ユーコン、阿武隈、吉野、ブラマプトラ」

 「インドブラマプトラ川川下りの番組が出来上がってフジテレビに行った際には土屋健に会った」

 「一緒にブラマプトラ川川下りに行った中谷には自分から動かないとなと言われていた」

「一緒にブラマプトラ川川下りに行った関口君にはいい人から先に逝くんですねと言われていた」

 「早稲田大学探検部OB、吉澤基勝さんのインドブラマプトラ川川下り記事を読んでの感想」

 「東大生にインドブラマプトラ川川下りは出来ないと思う」

 「水が去る学部、法学部に在籍し卒業していて」

 「インドブラマブトラ川川下りではムツゴロウさん(畑正憲さん)に早稲田大学探検部はだらしなかったと言われていたようだ」

 「僕と一緒にインドブラマブトラ川川下りに行った関口君はNHKに受かっていた」

 「僕と一緒にブラマプトラ川下りに行った関口君は音羽の熱海湯という銭湯に行っていた」

 「早稲田大学探検部関係者に気づいて欲しいこと」

 「早稲田大学探検部の活動は、左右メディア関係なく取り上げられる」

 「早稲田大学探検部が受信したメール」

 「早稲田大学探検部とオリンピック」

「『空白の5マイル』と僕の早稲田大学探検部での活動

「昨年取材された上原和明さんへの質問事項、回答」

「ブラマプトラ川川下りの取材が終わった」

「ブラマプトラ川川下りの取材依頼が来た」

「激流人生を卒業する」

「高校の頃は全くフォローされなかったが、早稲田に行ってから、多くの人からフォローされるようになっていた。」

「呪われているプラマプトラ隊」

「実際には川も下らないマスコミ関係者」

「昔、尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞に掲載されたことがあるのは僕には思い出になっている。」

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2022年1月15日土曜日

「気分転換に読んでみたいと思っている本、千田真さんの、僕の戦場記者日記」

 「気分転換に読んでみたいと思っている本、千田真さんの、僕の戦場記者日記」

  僕は長く震災本(東日本大震災関連書籍)を読んでいます。

  僕の頭の中も、震災のことでぎゅうぎゅう詰めになっています。

  そんな僕の頭の中をクリアーにするために、気分転換に読んでみたいと思っている本があります。

  僕が日本電波ニュース社に勤めていた頃に出会った千田真さんの書かれた本、「僕の戦場記者日記」という本を読んでみたいと思っています。

 千田真さんとは日本電波ニュースに勤務するカメラマンの方です。

  僕も日本電波ニュース社で千田さんと出会いました。

  あるとき、千田さんはソマリアに行き、戦場を取材中銃弾を浴びて、足を負傷しました。

  僕も千田さんが松葉杖で、日本電波ニュース社の編集室に来たことを覚えています。

 千田さんとはお兄さんが、赤旗の記者の方で、千田善さんという方です。

 兄弟そろって、文章を書かれているようです。

 僕の千田さんの思い出は、千田さんが、日本電波ニュース社の編集室に来た際に、

 「東京の女はなんでこんなにキレイなんだ」

 と言っていたことが僕の千田さんの思い出になっています。

 僕は千田さんの、

「東京の女はなんでこんなにキレイなんだ」

  という発言に対して、

  「ここが赤坂だからですよ」

  と答えました。

  僕が働いていた日本電波ニュース社とは、当時は会社が港区赤坂にありました

 港区赤坂とはハイソサエティの方々が集まる街で、TBSとか、テレビ朝日の社屋も近所にありました。

  そのようなことから、僕は千田さんの

 「東京の女はなんでこんなにキレイなんだ」

 という発言に対して、

 「ここが赤坂だからですよ」

  と答えました。

  そんな千田さんが書かれた、「僕の戦場記者日記」という本を僕は気分転換に読んでみたいと思っています。

  ネットで検索するとアマゾン、楽天ブックスで取り扱っているようです。

  なんとか入手して千田真さんの書かれた「僕の戦場記者日記」という本を読んでみたいと思っています。

  以上、「気分転換に読んでみたいと思っている本、千田真さんの、僕の戦場記者日記」

  ブログに載せます。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年1月14日金曜日

「ミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんに勧められていたマンガ、冒険ダン吉」

 「ミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんに勧められていたマンガ、冒険ダン吉」

  僕は早稲田大学探検部1年生の時に、ミクロネシアヤップ島に行っています。

  早稲田大学法学部の一般教養科目、人類学の先生、板橋作美先生がミクロネシアヤップ島の研究をしていて、僕も板橋作美先生に紹介状を書いていただき、ミクロネシアヤップ島におもむき、酋長さんの家に宿泊させていただき、ホームステイのようなことをして、ミクロネシアヤップ島の方々と同じような生活を1ヶ月間くらいしました。

  ミクロネシアヤップ島におもむいた際に、先日もブログに書いた、東京都世田谷区深沢に住んでいらした清水正巳さんという方と出会いました。

  連絡先をお互いに交換して、日本に帰国してからも何度も連絡を取り合い、渋谷を通って、世田谷区深沢の清水正巳さんの家に遊びに行きました。

 清水正巳さんの家には、「原発反対」と書かれた紙が貼ってありました。

 もう30年以上前から原発に反対していました。

 清水正巳さんの家に遊びに行って良く話をしていましたが、僕が、

 「YMO(ワイエムオー、イエローマジックオーケストラ)の坂本竜一が気に入っている」

と言うと、清水正巳さんは、

 「坂本竜一マザコンだよ」

 と言って、清水正巳さんは、僕に「冒険ダン吉」というマンガを読むように勧めていました。

  僕は「冒険ダン吉」は読んでいませんが、ネットで「冒険ダン吉」で検索するとウィキペディアがありました。

 冒険ダン吉」

  ウィキペディアを読むと「冒険ダン吉」について書かれています。以下、引用です

  ひょんなことから南の島の王となった勇気ある少年・ダン吉が、機転を利かして様々な敵に打ち勝っていく姿は痛快で、何もない未開の島において、樹木や動物たちといった自然の素材をユニークな発想をもって生かし、粛々と文明社会を打ち立てていく物語

日本人の少年・ダン吉はネズミのカリ公と釣り舟に乗って眠っているうちに流されてしまい、はるか南の島に漂着した。そこで出会った蛮公(島の先住民)に捕らえられるが、カリ公の機転もあって逆に蛮公たちから王として尊敬される存在となる。ダン吉は彼らとともに、知恵を絞った文明を築いていく。

以上引用です。

日本の戦前の「南進論」(領土拡張政策)に合致するようなマンガのようです。

批判も多くあるマンガのようです。

急にミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんに勧められていたマンガ、「冒険ダン吉」を思い出したのでブログを書いておきます。

以上、「ミクロネシアヤップ島で出会った清水正巳さんに勧められていたマンガ、冒険ダン吉」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月13日木曜日

「後藤健介の結婚式でいただいた本、空の色と光の図鑑」

「後藤健介の結婚式でいただいた本、空の色と光の図鑑」

  僕と早稲田大学探検部時代の同期の人間に後藤健介という人間がいます。

  後藤健介は早稲田大学理工学部出身で、早稲田大学卒業後、商社に就職して、結婚しました。

  結婚式は、神田神保町の学士会館で行ったと僕は記憶しています。

  後藤健介の結婚式には、ワセオケ(早稲田大学交響楽団)が来て、音楽の演奏をしていました。

  僕も後藤健介の結婚式に参加しました。

  結婚式が終わってから、引き出物をいただきましが、結婚式の引き出物が、

 「空の色と光の図鑑」という本でした。

  「空の色と光の図鑑」とは草思社から出版されている本で、草思社のホームページによると、

  50次南極地域観測越冬隊員、武田康男さんという方の本で、空の写真がたくさん載っている本です。

空の写真家が撮影した、虹、オーロラ、稲妻、蜃気楼などの空の写真がたくさん載っている本です。

  空の美しさを写真で撮って、空の美しさを写真で表現している本です。

 とても良い本で、空の美しい写真を見ているだけで心が癒やされる良い本です。

  僕が後藤健介の結婚式でいただいた本、「空の色と光の図鑑」という本があることをブログに書いておきます。

 以上、「後藤健介の結婚式でいただいた本、空の色と光の図鑑」

 ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2022年1月12日水曜日

「今でも覚えているトーハンの新聞広告、飯を食え空を見ろ本を読め」

 「今でも覚えているトーハンの新聞広告、飯を食え空を見ろ本を読め」

  僕が今でも覚えている本の取り次ぎ会社、トーハンの新聞広告に、

 「飯を食え空を見ろ本を読め」というものがあります

  多分、もう30年くらい前の本の取り次ぎ会社、トーハンの新聞広告だと思います。

  僕もトーハンの新聞広告を読んで、本当に良いことが書かれていると思いました。

  現代の若者たちにも読んでいただきたい、トーハンの新聞広告です。

  飯を食って、空を見て、本を読むという生活をしろと言っているのだと思います。

  スマートフォンの普及で、本が読まれなくなっているのだと思いますが、僕は現代の若者たちにも本を読んで欲しいと思っています。

  僕が今でも覚えているトーハンの新聞広告に、

  「飯を食え空を見ろ本を読め」というものがあることをブログに書いておきます。

  以上、「今でも覚えているトーハンの新聞広告、飯を食え空を見ろ本を読め」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月10日月曜日

「渋谷には早稲田大学1年生の時に何回も行っている」

 「渋谷には早稲田大学1年生の時に何回も行っている」

  僕は渋谷には早稲田大学1年生の時に何回も行っています。

  僕が早稲田大学探検部1年生の時にミクロネシアのヤップ島に行った際に、ヤップ島で東京都世田谷区深沢に住んでいた清水正巳さんという方と出会い、日本に帰国してからも何度も連絡を取り合い、清水正巳さんの住んでいる世田谷区深沢の家に遊びに行きました。

 ヤップ島で出会った清水正巳さんは当時から原発に反対していました。

 1987年、88年頃から原発に反対していました。

  有楽町線で、永田町に出て、永田町から半蔵門線で渋谷に出て、渋谷から東急のバスに乗って、世田谷区深沢まで行っていたと思います。

 渋谷界隈も、歩いていました。

  国道246号線、青山通り、玉川通り沿いも歩いていました。

  渋谷の繁華街は人で混んでいて、避けていたので詳しくありませんが、渋谷のスクランブル交差点とか、109とかのある場所も歩いていました。

  渋谷とは若者の集う街で、僕はもう既に54歳になっていて50過ぎの中年おじさんなので、今さら渋谷に行こうとも思いませんが、僕が早稲田大学1年生の時に渋谷には何回も行っていることをブログに書いておきます。

  以上、「渋谷には早稲田大学1年生の時に何回も行っている」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月8日土曜日

「僕が早稲田大学4年生の時の土本ゼミの後輩は一ツ橋書店でアルバイトをしていた」

 「僕が早稲田大学4年生の時の土本ゼミの後輩は一ツ橋書店でアルバイトをしていた」

 僕がインドブラマブトラ川川下りに行ったのは、僕が早稲田大学4年生の時です。

  僕は早稲田大学4年生の時は、僕は学部(法学部)のゼミ、土本ゼミに在籍していました。

  早稲田大学法学部の土本ゼミは、僕らが一期生でした。

  僕が早稲田大学4年生の時に、3年生の後輩が土本ゼミに入ってきました。

  土本ゼミの後輩は、文京区水道にある一ツ橋書店でアルバイトをしていました。

  文京区水道にある一ツ橋書店とは、僕の父と母の営んでいた、ラーメン屋の近所で、土本ゼミの後輩は、僕の父と母の営んでいたラーメン屋にご飯を食べに来てくれました。

  僕の父と母も土本ゼミの後輩のことを覚えています。

  今何をしているのか分かりませんが、急に土本ゼミの後輩のことを思い出したのでブログを書いておきます。

  以上、「僕が早稲田大学4年生の時の土本ゼミの後輩は一ツ橋書店でアルバイトをしていた」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月6日木曜日

「白河南湖自動車学校で車の運転免許を取得した」

 「白河南湖自動車学校で車の運転免許を取得した」

  僕は福島県の白河南湖自動車学校で車の運転免許を取得しました。

  早稲田大学時代に、生協に行って、合宿で車の免許を取得できる合宿免許のパンフレットを見ていて、福島県の白河南湖自動車学校での合宿免許のコースがあったので、生協で申し込んで、白河市におもむき、合宿免許で車の運転免許を取得しました。

  白河南湖自動車学校内での教習と、白河市内の車の運転で、車の免許を取得しました。

  白河市とは風情のある町で、車の運転をしていても気持ちよく車の運転ができました。

  僕は運転免許を取得しても、車を買うほどのお金も無いので、ほとんど車の運転はしませんが、顔写真入りの身分証明書として免許証が役に立つので、免許証の更新には行っています。

  昨年に5年に1度の免許証の更新手続きがあったので、神田運転免許更新センターにおもむき、免許証の更新をしてきました。

  もう車の運転をすることもないとも思っているので、免許証を返納しようとも思いましたが、昨年、神田免許更新センターに行って免許証の更新をしてきました。

  白河南湖自動車学校で取得した、運転免許を更新してきました。

  これから運転免許がどのように役に立つのかも分かりませんが、僕が車の運転免許を福島県の白河南湖自動車学校で取得したことをブログに書いておきます。

  以上、「白河南湖自動車学校で車の運転免許を取得した」

  ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月5日水曜日

「白瀧酒造の上善如水を飲んでみたい」

 「白瀧酒造の上善如水を飲んでみたい」

   僕は、お酒はほとんど飲みませんが、お酒が嫌いなわけではありません。

   僕がもし日本酒を飲むとすれば飲んでみたいと思っている日本酒は、白瀧酒造の上善如水(じょうぜんみずのごとし)という日本酒を飲んでみたいと思っています。

  白瀧酒造の上善如水とはネットで調べると、新潟県越後湯沢市にある白瀧酒造が作っている日本酒のようです。

  ネットで検索すると、SAKE COMIhttps://sakecomi.com/36961というサイトがありました。

  SAKE COMIを読んでみると、上善如水の意味と名前の由来は以下のような記述がなされています。以下引用です。

 上善如水は古代中国の哲学者・老子の言葉です。

 「上善は水のごとし、水はよく万物を利して争わず、衆人の恵む所に拠る」

  人間の理想的な生き方は、水のようにさまざまな形に変化する柔軟性を持ち、他と争わず、自然に流れるように生きること、という意味です。

 「最上の生き方は水のようである」という志のもと、「上善如水」は造り続けられています。

 以上、引用です。

  僕も都立小石川高校時代のバスケットボール部の合宿で越後湯沢に行ったことがあるし、浪人中も、「老子」を読んでいたし、僕がもし日本酒を飲むとすれば白瀧酒造の上善如水という日本酒を飲んでみたいと思っています。

以上、「白瀧酒造の上善如水を飲んでみたい」

ブログに載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年1月4日火曜日

「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

 「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

  今日、部屋の掃除をしていたら、僕が14歳の頃に書いていた作文が見つかりました。タイトルは「とんかつ」です。以下のような作文を僕は14歳の頃に書いていました。僕が茗台中学校2年生の時に書いていた作文です。

  25組 上原和明

 僕は、その日、夕方615分頃家に帰った。

「ただいま」、とんかつを揚げている母の後姿にむかって声をかけた。僕は制服を脱いで着替え、手を洗い、いすにすわった。すると、僕の目の前に、揚げたてのとんかつが、キャベツの上にどかっとのって出ていた。僕は無意識にどなってしまった「疲れて帰ってきて、こんなもの食えるか!」母は一瞬びっくりしたようだったが、「食べたくなければ食べなくていい」と語調強く言い返してきた。僕は「やばい」と心の中で思ったが、今になっては、謝るわけにもいかず、言いわけもしないで、黙って二階に上がってしまった。

 僕は、大の字になり、「バカやろう」などと独り言をいっているうちに、いつのまにか眠ってしまった。十二時頃、目が覚めたが、お腹がすいているのでそっと、下に降りていった。すると母が、さっきの出来事など忘れてしまったのか、僕の前にとんかつを出してくれた。僕はぐうぐうなるお腹をたたきながら、すぐにたいらげてしまった。心の中では、「ありがとう」と母に感謝したが、口に出して「ありがとう」とは、言えなかった。ただ無言で食べた。母もひとことも言わなかった。

 よく考えてみると、僕は、その前日、なかなか眠れず、朝も早かったので、3時間くらいしか、睡眠をとっていなかった。それに重ねて、部活がとても厳しかったので、疲れて、気分がむかむかしていた。それで、母にやつあたりをしていたのであった。

  僕は、その夜、自分の行動を恥じ、悲しくなった。十四歳にもなって、自分の気持ちを押さえられないのが悔しく思った。そしてまた、我儘な僕を黙って見つめてくれた母親をありがたいと思った。

  以上が僕が14歳の頃に書いていた「とんかつ」という作文です。

  僕の内面の心の動きも書いていて、今読み返してみると面白いと思いました。

  今日、部屋の掃除をしていたら、僕が14歳の頃に書いていていた作文、「とんかつ」が見つかったので、ブログに載せます。

  以上、「14歳の頃に書いていた作文、とんかつ」

 ブログに載せます。