2020年3月3日火曜日

「昔、尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞に掲載されたことがあるのは僕には思い出になっている。」

「昔、尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞に掲載されたことがあるのは僕には思い出になっている。」

 僕は昔、日本ヒマラヤ協会のプラマプトラ川川下りのプロジェクトに参加し、僕の名前は、朝日新聞のスポーツ欄に、ヒマラヤ登山の名手、尾形好雄さん、名塚秀二さん、八木原圀明さんとともに上原和明の名前も掲載されたことがあります。

 以下の記事です。

 朝日新聞 1990年(平成2年)1219日水曜日のスポーツ欄に掲載された記事です。

「未踏峰登山・“なぞの川”下り」日印隊、ヒマラヤ挑戦

 日本ヒマラヤ協会(HAJ)は今冬から来春にかけて、ヒマラヤに二つの登山・探検隊を派遣する。世界第三位の高峰カンチェンジュンガ(8,598)に未踏の東壁新ルートから無酸素で挑む一方、もう一隊は世界第六位の大河プラマプトラの未踏査地区を含めた1,200㌔をゴムボートで下る。いずれも、世界初の試みで、インド・チベット国境警備隊(インド)と合同隊を組む。
 カンチェンジュンガ東面(シッキム側)は政治的理由で、戦後、インド隊を除いてはずっと外国隊の立ち入りが禁止されてきた。このため、各国隊はネパール側から挑んできたが、HAJは十数年にわたってインド政府に打診を続けて、今回ようやくシッキム側からの登山許可を取得した。
 隊員は日印双方とも女性二人を含め各十一人。日本側は尾形好雄隊長(42)、名塚秀二副隊長(36)が率いる。明年二月末、ガントク(シッキム州)に集結し、三月上旬、ゼム氷河グリーンレークにベースキャンプを設営したあと五月上旬の登頂を目指す。
 HAJ隊は81年、五つの峰から成るカンチェンジュンガ連峰の初縦走を試みたことがある。縦走には失敗したものの、主峰と西峰に同時登頂を果たしている。尾形隊長はこのとき縦走隊の指揮をとり、西峰に登ったほか、マモストンカンリ(7,526)、ギャラペリ(7,151)などの未踏の難峰に初登頂。名塚副隊長も今夏、チョゴリ(K2=8,611)に困難な北西壁から登頂したベテラン。隊員も世界の高峰登頂者を数多くそろえている。
 プラマプトラ川はチベットに源を発し、ヒマラヤ東端を貫通してベンガル湾に注ぐ。いまも、地図上の空白部を残し“なぞの川”といわれる。下降はインド7人、日本4人の編成。エベレスト登頂者の八木原圀明氏(44)が副隊長として参加するほか、アラスカのユーコン川などの下降歴を持つ上原和明さん(23)ら三人の早大生も激流に挑む。
 一行は一月初旬、中印国境から、下降を開始し、一月末、バングラデシュ国境に到着の予定。

 可能なルートは探す
 稲田定重HAJ理事長の話
 カンチェンジュンガ東壁は、だれも手を触れたことがない未知のカベ。写真でみた限り、険しすぎて登れそうもない感じだが、なんとか登頂可能なルートを見つけ、日印で力を合わせて成功させたい。こんどのシッキム側からの入山は特例で、解禁になったわけではない。

 このような記事に昔、僕の名前が掲載されたことが奇跡のようなことだと今では僕は思っています。

 尾形さんも名塚さんも八木原さんもネットで検索するとウィキペディアがあるし、ヒマラヤ登山では有名な方です。

 尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞のスポーツ欄に掲載されたことが奇跡のようなことだったと今では思っています。

 僕は今では、一日一時間にも満たない仕事をするのが精一杯の状況の精神障害者になっています。

 昔のように激流に挑むようなチャレンジャーのような気持ちも無いし、実際に今では激流などに挑めるような状態ではありません。

 ただ、僕も昔は一流と言われる方々と一緒に活動をさせていただいていたのだと思っています。

 今では僕にとっては、昔は尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞の記事に掲載されたことがあるのは懐かしく、僕にとっての思い出のような朝日新聞の記事になっています。

 以上、「昔、尾形さん、名塚さん、八木原さんと一緒に僕の名前が朝日新聞に掲載されたことがあるのは僕には思い出になっている。」


 

 

 

 

 

 

 

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