「3月は1日平均8982歩歩いていたようだ」
2022年3月31日木曜日
「3月は1日平均8982歩歩いていたようだ」
2022年3月29日火曜日
「森山憲一からの2010年1月24日のメール」
「森山憲一からの2010年1月24日のメール」
以下のようなメールが届きました。
河合圭祐(89年入部)を知っていると思われる人にメールしてます。
河合は現在肺ガンで国立がんセンターに入院しています。
河合は独身だし実家も離れており(愛知)、
なにかと助けがいるので、治療費のカンパをしようと思います。
賛同いただける方は、以下の口座にお振り込みください。
いくらでもかまいません。
肺ガンの治療には100~150万くらい必要になるらしいので、
50万円くらいカンパできれば、と思っています。
つきみ野支店
普通口座
4127002
モリヤマ ケンイチ
他に適当な手段を思いつかず、
よりよい方法について議論するよりは、さっさと始めたほうがいいと思い、
ひとまずこれでお願いします。
振り込みしていただいた方は、森山までメールでご一報ください。
河合が今月末~2月頭にがんセンターを退院するそうなので、
その時点で一回締めて、責任もって河合にわたします。
もちろんその報告もします。
河合と親しかった方は、できればがんセンターにいる間にお見舞いに行ってやってください。
今のところはけっこう元気ですし、喜ぶと思います。
国立がんセンター14階のナースセンターで聞けば、病室はわかります。
時間は午前でも午後でも適当でいいみたいです。
河合の病状はかなり深刻で、次の正月まで生きられるかどうかというところだと思います。
もともと肺ガンは手術で治る可能性の低いガンなのですが、
河合のように頭と大腿骨に転移のステージ4となると、効果的な治療法はほとんどないという具合です。
しかも河合はまだ若いのでガンの進行も早く、へたするとこの夏をこせない可能性すらあります。
結果がはっきりするまでの1カ月くらいはかなり落ち込んで、家族に遺書まで書いたことがあります。
その間、ひたすらインターネットで肺ガンのことを調べまくっていたので、肺ガンのことは人よりは知っているつもりです。
だから河合のことはあまり他人事に思えないのです。
医者でもないのに勝手な予想は本来はするもんじゃないのですが、
河合のかなり深刻な状況を理解してもらいたく、あえて書きました。ご容赦を。
よろしくお願いします。
このメールに対する僕からの返信は以下のようなものでした。
本日、森山からのメールを見て初めて河合の病気知りました。
森山のメールを読むと、病状はかなり悪そうで心配です。
先程、森山に電話しましたが、まだ元気そうとの事で、今週中に私も見舞いに行こうと思います。
森山と電話で話したところ、河合は探検部の後輩にアルバイトを提供していたそうで、河合の探検部思いが伝わってきます。
又、私たちの同期の平の白神山地での遭難事件の際、遺体捜索や遺品捜索や親御さんを現地までお連れしたこと、
又、大菩薩に親御さんをお連れして私たちで作ったケルンの下に分骨したことを親御さんが感謝なさっていらしたことを例に出して、
河合も探検部の友人の同情の念に包まれて地元に帰れれば、親御さんも喜ぶのではないかと、言ってました。
河合は高校の頃サッカー部のゴールキーパーでした。そのせいか、探検部でも最後の最後まで探検部の砦を守っていた
ような気がします。
私も微力ながらカンパに協力します。
森山のご尽力に感謝するとともに、探検部OBの皆様の河合への同情の念を願って止みません。
私たちの同期でメールから漏れていた、松田泰と倉島には森山からのメール転送しておきました。
以上、拙文で恐縮ですが、河合への同情の念を募るメール致します。
上原和明 拝
以上、 「森山憲一からの2010年1月24日のメール」
ブログに載せます。
「早稲田大学探検部OB会からの2011年10月2日のメール」
「早稲田大学探検部OB会からの2011年10月2日のメール」
僕が早稲田大学探検部22期の萩尾信也さんの著作を読むことになったメールがあります。
2011年10月2日の早稲田大学探検部OB会からのメールです。
以下のようなメールです。
nakamoto@fa.catv.ne.jp
2011年10月2日(日) 7:47
22期萩尾信也さんの震災報告の情報です。
From: Tatsuo Ito
Sent: Saturday, October 01, 2011 8:25 PM
To: 中本信義
Subject: Fwd: 萩尾さん 近著
中本さん
お世話になります。
探検部OB 毎日新聞 萩尾さんが、毎日新聞連載企画を、毎日新聞社から単行本『三陸物語』として、刊行されました。OB各位にご紹介いただければ幸甚です。
毎日やAmazonnのウェブサイトを参照してください。
萩尾さんは、毎日新聞社で、障害を持った人々の目で事象を取り上げ、社会部の大記者(現場で日日の事象を追う現場記者とは基準を替えて、広い目で事象を捉える立場)として活動されてきました。3.11以降は、自らすすんで、三陸担当として、出身地でもある釜石に拠点を置いて、三陸担当編集委員として、取材執筆をしています。ことに、障害者の被災という視点は非常にユニークです。取材の手法は、個人への密着したインタビュウに徹し、事実の積み上げで、未曾有の事態に対した、実際の事実を、多層的に浮かび上がらせています。
毎日では、確か、週5日の朝刊連載をこなし、私もできるだけ追いかけていました。ウェブでもこれまでの記事をたどれます。
私自身、新聞の報道の限界を感じていた折で、8月14日夜、釜石で彼と一献やった折にも、そんな激しいことを彼にも伝えました。その折の彼の返答を記憶しています。「俺は、新聞が好きだ、毎日が好きだ。この新聞記者の仕事をしっかりとやりたい」。
仲間として、敬意を表します。
不遜にも、すばらしい彼の成果を、仲間の誇りとして共有したいと思い、彼の志を、皆様に転送できればと思います。
18期 伊藤達生
---------- 転送メッセージ ----------
From: Shinya Hagio
<hagio-s@mainichi.co.jp>
日付: 2011年10月1日11:17
件名: 伊藤兄
To: titou@nikkeibp.co.jp
ご無沙汰しております。毎日新聞の萩尾です。
私は3月11日の震災直後から、岩手県の被災地に滞在して取材を続けており
ます。その新聞連載記事がこのたび「三陸物語」(毎日新聞刊)というタイトル
の本になりました。お読みいただければ幸いです。
みなさまにもよろしくお伝えください。
毎日新聞・萩尾
Tatsuo Ito
Nikkei National Geographic
以上のようなメールを20111年10月2日に早稲田大学探検部OB会よりいただきました。
以上、「早稲田大学探検部OB会からの2011年10月2日のメール」
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2022年3月19日土曜日
「3回目のワクチン接種をしてきた」
「3回目のワクチン接種をしてきた」
僕の順番は3番目でした。僕の前に2人の方がいらっしゃいました。
と僕は言いました。
すると問診をする医師の方は、発熱などの症状が出ることがあるようですと仰っていました。
医師の問診を受けた後に、ワクチン接種室に入ります。
15分が経過したので、受付に接種券を提出して、接種証明書をいただきました。
ワクチン接種証明書をいただき、茗台アカデミーの会場を出ました。
今日は新型コロナウィルスの3目のワクチン接種をしてきたのでブログを書いておきます。
以上、「3回目のワクチン接種をしてきた」
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2022年3月15日火曜日
「今日は緑内障の診察に行ってきた」
「今日は緑内障の診察に行ってきた」
今日は緑内障の診察で眼科に行ったが、何か検査のようなことをして処方箋を出されて、1990円もかかった。これから死ぬまで眼科に通うと思うと、お金が無くなってしまうと思った。目薬の処方箋だけ出してくれないものか?お医者さんも大変な仕事だと思うが、医療費の高さは何とかして欲しい。生活保護だと医療費が無料と聞いて生活保護の方がよっぽど楽だと思った。
2022年3月12日土曜日
「これから母のことで大変になりそうだ」
「これから母のことで大変になりそうだ」
僕の家では、母がコロナが流行るようになってから、極度の運動不足になり、文京区の介護予防体操も中止になり、体のあちこちが痛い痛いと家で言っていて、一緒に住んでいる僕も精神的にとても辛い状態になっています。母の体の具合がとても悪いので、文京区の介護施設に入ることを希望しています。
4月1日に文京区の職員さんが、家を訪問するとの電話が昨日ありました。
兄が足湯の器具を送ってきてくれましたが、足湯をしても具合は良くならないようです。
病院に行っても薬を出されるだけで体の具合は一向に良くならないと愚痴を言っています。
医者から勧められて介護施設に入ることを希望しているわけではないようです。
これから母のことで大変になりそうです。
以上、「これから母のことで大変になりそうだ」
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