「3月は1日平均8145歩歩いていたようだ」
2023年3月31日金曜日
「3月は1日平均8145歩歩いていたようだ」
2023年3月30日木曜日
「母に小日向とは高級住宅街だと言ってるが、耳を貸さない」
と言っても、僕の母は、
以上、「母に小日向とは高級住宅街だと言ってるが、耳を貸さない」
ブログに載せます。
2023年3月27日月曜日
「小石川高校時代に、倉持陽一さんと上野アメ横で遭遇した」
「小石川高校時代に、倉持陽一さんと上野アメ横で遭遇した」
今朝の朝日新聞を読んでいたら、僕の小石川高校時代の同期生の倉持陽一さん(現在はYO―KINGと名乗っているようです)のインタビュー記事が載っていました。
倉持陽一さんと僕は小石川高校の同期生で、倉持さんが1年生の時にバスケットボール部に入部していて、一緒に練習をして汗を流した仲なので、僕は倉持さんのことを知っています。
クラスはD組で、僕の記憶では、中学時代は北区の王子中学で生徒会長をしていたと思います。
倉持さんはすぐにバスケ部をやめてしまったので、その後のことはよく知りませんが、高校時代に、上野のアメ横で倉持さんと同じD組だった道家竜馬というラグビー部でキャプテンを務めていた方と倉持さんがつるんで歩いていて、僕も偶然、上野のアメ横に行っていて、遭遇したことがあります。
小石川高校時代から目立っていた方で、何らかの才能があったようです。
朝日新聞の記事を読んでみると、早稲田大学に進み音楽サークルに入り、音楽活動を始めたようです。
僕もテレビ朝日のニュースステーションという番組のスポーツコーナーの音楽で、真心ブラザーズの「ドカーン」という曲が流れていたので、ニュースステーションで流れるとはすごいなと思いながら、当時、聴いていました。
今では10代の若者たちへのメッセージを発するような立派な大人になっているようです。
今朝、朝日新聞を読んでいたら、小石川高校時代の同期生の倉持陽一さんのインタビュー記事が載っていたので、僕の倉持陽一さんとの高校時代の思い出を書いておきます。
以上、「小石川高校時代に、倉持陽一さんと上野アメ横で遭遇した」
2023年3月23日木曜日
「WBC、日本優勝に思う」
「WBC、日本優勝に思う」
2023年3月20日月曜日
「ブログのページビュー数が75万ページビューを超えていた」
「ブログのページビュー数が75万ページビューを超えていた」
今日、ブログのページビュー数を見ていたら、75万ページビューを越えていました。
ブログのページビュー数はチェックしています。
キリの良い数字になったので、ブログに書いておこうと思います。
74万ページビューを超えていたのが、1月21日なので、約2ヶ月で1万ページビューくらいあったようです。
今までに書いたブログ数が3339ブログなので、1ブログ、225ページビューくらいあったようです。
2023年3月8日水曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1999年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1999年編」
1999年1月
●年賀状が15通ぐらい来たが全て返事を出さず。
(元々、筆無精だったが必ず返事は出していた。)
●三たび、喉が腫れ、高熱が出て仕事を休む。抗生物質を飲んで治る。
痛み止めに、又、ロキソニン。
2月
●早稲田大学探検部の4つ下の後輩、柳田という人間(紫藤クリニックの患者だった)より、電話があり、私がアルバイトしている本屋でバイトをさせてくれませんかとのこと。
ちょうど、もう1人のバイトの人間が辞める時期だったので、本屋の店長さんに頼んで、柳田をバイトさせてもらう。
病気のことは探検部の後輩から聞いていて、お父さんが亡くなり、又、ペルーで亡くなった探検部員の葬儀にも出席したとのことで、気の毒になり、又、お金が無いようだったので、私のアルバイトの回数を減らし、柳田、週5回、私、週2回にしてもらう。
「コンビニのバイトでもすればいいじゃないですか」
「ラーメン屋を継げばいいじゃないですか」(両親の営んでいたラーメン屋は既にやめていた)
などと言われ、せっかく、仕事を紹介してあげたのに、何を言っているのだろうと思う。
以前、飲みに行ったときに柳田に
「上原さんが吃ることは探検部のタブーになっている」
と言われたことがあったので、そのことを思い出し、嫌な気がし始める。
病気のせいなのかなと思い、我慢する。
3月
●眠れなくなり始める。以前は考え事をして眠れないことはあったが、何も考えられなくなり、ただ、眠れず、時間が過ぎていくようで、なんだこれはと思う。脳の構造でも狂ったのかと思う。
4月
●柳田は、金、土、日がバイトが出来ないとのことで、私がその分、週3回、をバイトに入る。私は月曜から金曜までパソコン通信のバイトの仕事があり、休みが無く、こっちの都合も考えてくれと柳田に言う。
収入が前年に比べて、2万円減る。
5月
●後輩に会っても脂汗が出てきて、足に水膨れが出来はじめる。 歩くと、焼けるように痛いので、医者に行く。
切開して、水虫と診断される。
医者に「子供でも出来たんですか?」と言われる。
しばらく続き、足全体に広がる。
6月
●何をしていても苦しく、部屋にザイルがあったので、首吊り自殺を考える。
●お金が無く、パソコンを売る。
●お金が無く、ビデオデッキを売る。
●お金が無く、電話の権利を売る。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1999年編」
ブログに載せます。
2023年3月7日火曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1998年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1998年編」
1998年1月
●正月に穴八幡に行き、探検部が良くなるように祈る。
2月
●前歯が元々、差し歯でぐらぐらになっており、歯医者に行き始める。
3月
●歯医者に行くと、親知らずがひどくなっているとのことで、左右とも抜歯。
(痛み止め、ロキソニン服用)
4月
●高校のクラス会を開こうと私のところに連絡が入り、飲みに行く。葉書でも出せば皆、集まるのではないかと提案する。
6月
●高校のクラス会開く。出席。久しぶりで懐かしかった。
7月
●喉が腫れ高熱が出て仕事を休む。
●東京厚生年金病院に入院。急性咽頭炎とのこと。1週間入院。
●抗生物質の点滴で治る。痛み止めにロキソニン服用。入院中、頭痛がひどく眠れず、セデスを飲んで良くなる。睡眠薬(リスミー)を出してもらったが、飲む気にならず服用せず。
●再び、喉の腫れ、高熱が出て仕事を休む。抗生物質を飲んで治る。
●痛み止めにロキソニン服用。
●前歯を本格的に直す。既に歯の根っ子が腐っていて、もう無いということで、隣の歯にブ
リッジをかけ、前歯の義歯を入れる。体の一部が既にやられていると感じ、先が見えたような気がして、非常に落ち込む。
12月
●高校時代のバスケ部の同期の人間の結婚式二次会に出席。
ブログに載せます。
2023年3月6日月曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1997年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1997年編」
1997年3月
●働いても働いても貯金がほとんどなく、不安になりパソコンで家計簿をつけ始める。
●探検部の同期の人間の結婚披露宴に出席。
●探検部の同期の人間の結婚を祝う会を開く。私が提案し幹事を務める。
●探検部の同期の人間より現役の探検部員がペルーのアマゾン川で行方不明との連絡が入る。ほぼ、絶望とのこと。
2023年3月5日日曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1996年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1996年編」
カウンセリング関連の書類には、僕が大学4年の時(1990年4月)から、僕が精神科クリニック、紫藤クリニックに来院する(1999年10月)までの主な出来事が書かれた書類もありました。1996年の出来事は以下のようなものでした
1996年1月
●一緒にインドブラマプトラ川川下りをした関口君という人間が北アルプスで遭難し、複雑骨折したとの連絡が入る。「あんまり無理しないように」と伝える
●中学時代のバスケ部の連中と久しぶりに皆で会い泥酔。
2月
●探検部の同期の人間の結婚披露宴に出席。
3月
●知人と一緒にパチンコを始める。
5月
●高校のバスケ部の顧問の先生が転勤とのことで送別会に出席。 皆、気を使ってくれて、私が代表して、先生に記念品を渡す。
7月
●パチンコで勝ったお金でマッキントッシュのノートパソコンを買う。
11月
●探検部の同期のチベットに一緒に行った人間、桜井誠人の結婚式・結婚披露宴に出席。披露宴でスピーチして、二次会でスライドの上映などをする。
これでしばらく結婚式はないだろうと思い、ホッとする。
以上が、僕がカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、1995年の主な出来事を書いている書類です。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1996年編」
ブログに載せます。
2023年3月4日土曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1995年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1995年編」
1995年2月
●探検部の3つ下の女性、野崎から就職の相談をされる。
●探検部の同期の人間のお父さんが東京女子医大の先生をしていたので、その先生に相談して、医療関係の出版社を紹介してもらう。
就職の相談をされた女性、野崎の就職決まる。
●探検部の一つ下の人間の結婚式に先輩の代わりに出席。
●探検部の同期の人間が結婚、皆で二次会を開く。
●兄の結婚式に出席。
●大久保の街の書店でアルバイトを始める。(今年の2月まで仕事をする)
●探検部の同期の人間の結婚披露宴に出席、お笑いの芸をする。
●探検部の同期の人間の結婚披露宴に出席。
●探検部の同期の人間の結婚式・結婚披露宴に出席し、スピーチをする。
以上が、僕がカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、1995年の主な出来事を書いている書類です。
ブログに載せます。
2023年3月3日金曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1994年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1994年編」
カウンセリング関連の書類には、僕が大学4年の時(1990年4月)から、僕が精神科クリニック、紫藤クリニックに来院する(1999年10月)までの主な出来事が書かれた書類もありました。1994年の出来事は以下のようなものでした
1994年1月
●食品倉庫の品出しのアルバイトをやめる。
フリーライターの助手の仕事を始める。内容は政治汚職と自殺。
3月
●フリーライターの助手終了。フリーライターと言っても最初の本で私はリサーチや短い文
章の執筆の仕事をする。約3ヶ月のやっつけ仕事でかなり疲れる。
4月
●パソコン通信のデータベースの検索の仕事を始める。(現在も続いている)
●昔、働いていた早稲田の喫茶店、REYで再びアルバイトを始める。
7月
●助手をしていた本が「墓標は訴える」のタイトルで出版される。
10月
●探検部の一つ下の人間の結婚式・結婚披露宴に出席。
早稲田の喫茶店のアルバイトをやめる。
12月
●早稲田大学の体育館の管理人の仕事を始める。
以上が、僕がカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、1994年の主な出来事を書いている書類です。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1994年編」
ブログに載せます。
2023年3月2日木曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1993年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1993年編」
カウンセリング関連の書類には、僕が大学4年の時(1990年4月)から、僕が精神科クリニック、紫藤クリニックに来院する(1999年10月)までの主な出来事が書かれた書類もありました。1993年の出来事は以下のようなものでした
●バイトしていた後輩、戸田が会社(日本電波ニュース社)をやめる。せっかく紹介してあげたのにと思う。
6月
●会社(日本電波ニュース社)で取材していた国連ボランティアの中田君(中田厚仁さん)
が4月に、文民警察官の高田さん(高田晴行さん)が5月に、それぞれ殺害され、仕事がも
のすごく忙しくなっていて、仕事の過労からか扁桃周囲膿瘍で東京厚生年金病院に入院。ほ
っておいたら死んでいたと医者に言われる。注射器で膿を取り、抗生物質の点滴で治る。
(入院中、ぼんやりと人生?終わったなと思った)
●転がり込んでいた友人(倉島)がアパートを出て行く。
7月
●テレビの報道関係の会社退社。
(よく息抜きに風俗に行っていたので、貯金は10万円ほどしか残っていなかった)
8月
●お金が無くなり、探検部の2つ上の先輩(高野秀行さん)から10万円借りる。
●宅急便の仕分けのアルバイト(ヤマト運輸の仕事)を始める。(1ヶ月で終了)
●吃音のせいで人生、なにもかもうまくいかないと思い、小岩の吃音矯正教室に通い始める。
(10回ほど通ったが、ほとんど良くならず、将来を悲観し始める)
9月
●食品倉庫の品出しのアルバイトを始める。
10月
●探検部同期の人間の結婚披露宴に出席。
11月
●探検部の一つ下の人間の結婚式、披露宴に出席。
●高校時代のバスケ部の同期の人間の結婚式二次会に出席。
12月
●探検部の2つ上の先輩(高野秀行さん)に10万円返す。
以上が、僕がカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、1993年の主な出来事を書いている書類です。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1993年編」
ブログに載せます。
2023年3月1日水曜日
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニッ クに来院するまでの主な出来事 1992年編」
「大学4年(22才)以降から紫藤クリニッ クに来院するまでの主な出来事 1992年編」
1992年3月
●早稲田大学法学部を5年で卒業。
●映画評論のコラムライターのアルバイトをする。
6月
●結核上がりの先輩、秋山英樹さんが勤め始めていたテレビの報道関係の会社、日本電波ニ
ュース社ににアルバイトとして勤め始める。
●一緒にチベットに行った倉島孝行という人間が世界放浪から帰国し、私のアパートに転が
り込む。(家賃は折半)
10月
●探検部の一つ下の後輩、戸田に私の働いていた、テレビの報道関連の会社、日本電波ニュース社でアルバイトさせてくれと頼まれる。会社の人に紹介して、後輩、戸田はテレビの報道関連の会社で働き始める。
以上が、僕がカウンセリングの際に女性の心理士の先生に読んでいただいた、1992年の主
な出来事を書いている書類です。
以上、「大学4年(22才)以降から紫藤クリニックに来院するまでの主な出来事 1992年編」
ブログに載せます。
「2月は2万7530字入力していたようだ」
「2月は2万7530字入力していたようだ」