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2026年10月28日水曜日

「漫画家ちばてつやさんの訃報に触れて」

 「漫画家ちばてつやさんの訃報に触れて」

僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症、関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が同居して介護しています。介護の合間を縫って、マウス腱鞘炎で右手の握力もあまり良くない中で、キーボードをカチカチ打ちながら、ブログを更新しています。

昨日、ニュースを見て知ったのですが、漫画家のちばてつやさんが、10月22日に骨髄異形成症候群のため都内の病院で亡くなったそうです。87歳。葬儀は近親者のみで営まれ、後日お別れの会が検討されているとのことでした。

子どもの頃、「あしたのジョー」を夢中になってテレビで見ていました。放課後になると、学校の校庭や体育館の隅で、友達とクロスカウンターごっこをしていたものです。ジョーが力石とぶつかり合うあの瞬間を真似て、右手を伸ばしては「ドスッ」と音を立てて喜んでいました。あの頃の僕にとって、ジョーはただの漫画の主人公ではなく、貧しい中でも拳一つで這い上がろうとする、熱くて切ない存在でした。

早稲田大学に進んでからも、ボクシングを題材にした映画に心を動かされることがありました。寺山修司監督の『ボクサー』という映画について、映画コラムを書いたことがあります。菅原文太さんと清水健太郎さんが演じる、社会の隅に追いやられた男たちが、リングの上でわずかな光を掴もうとする姿に、どこかジョーの影を感じずにはいられませんでした。寺山さんが『あしたのジョー』を意識していたと後で知って、なるほどと思ったものです。

ちばてつやさんは、『あしたのジョー』だけでなく、『おれは鉄兵』など、スポーツを通じて人間の喜怒哀楽を描き続けました。戦後の少年たちの心を熱くたぎらせ、生涯現役を貫き、漫画家として初めて文化勲章を受章された。画業70年。最後まで「ひねもすのたり日記」を連載され、燃え尽きるように漫画一筋の人生を終えられたと聞きます。

僕は報酬をもらわずに、無給でブログを書き続けているド素人のアマチュアです。介護の合間に、こうして書くことしかできません。それでも、子どもの頃にクロスカウンターごっこで汗を流した記憶が、今も胸の奥に残っています。ちばさんが描いた「あした」は、決して諦めないという、熱い約束のようなものだったのだと思います。

ちばてつやさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、僕らも、燃え尽きて死ぬまで最期まで力を振り絞って生きていきましょう。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「漫画家ちばてつやさんの訃報に触れて」

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2026年10月25日日曜日

「ATOKマンスリーレポートで入力文字数がカウントされない」

 「ATOKマンスリーレポートで入力文字数がカウントされない」

僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けています。

今日はATOKマンスリーレポートで入力文字数がカウントされずに困っていることを書きます。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症と関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が、文京区の家で介護、世話しています。右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードをカチカチ打ち、近所を歩きながらスマホの万歩計の歩数を確認する日々です。それでも、今日も書きます。

日々、パソコンのキーボードに向かい、カタカタと音を立てながら文章を紡いでいく。この「文字を打つ」という行為そのものが、僕にとっての人生であり、かけがえのない生きがいです。

Xでポストし、ブログを書くモチベーションを支えてくれている大きな存在が、ATOKの「マンスリーレポート」でした。

1ヶ月で自分が一体どれだけの文字を打ち込んだのか。数字という目に見える形で努力が残る。

「今月はこれだけ書いたんだ」「よし、来月はもう少し頑張ってみよう」

画面に表示されるそのカウント数を見る瞬間が、僕にとって何よりの報酬であり、明日への活力だったのです。

……ですが、いま、深刻な問題に直面しています。

「ATOKマンスリーレポートで、入力文字数がカウントされない」

最初は「少し設定がおかしいのかな?」と思い、ジャストシステムのサポートに問い合わせてみました。

丁寧なご返信をいただき、メールで提示された手順を一通り試してみたんです。

タスクスケジューラで `AtokMr36_(ユーザー名)` の動作状態を確認する

一度ATOKをアンインストールし、再インストールを行ってみる

タスクマネージャーの「詳細」タブから `ATOK36MR.EXE` のプロセスが残っていないか確認する

タスクスケジューラから手動実行を試してみる

 タスクの「条件」タブのチェックをすべて外し、「設定」タブで「スケジュールされた時刻にタスクを開始できなかった場合、すぐにタスクを実行する」をON、「タスクがすでに実行中の場合に適用される規則」を「既存のインスタンスの停止」に変更してみる

サポートの方が教えてくださった解決策を、一つひとつ確認しながら慎重に試しました。

「これで直ってくれ……!」と祈るような気持ちでキーボードを打ち込み、レポートを確認してみる。

しかし、結果は変わりませんでした。

入力文字数はカウントされません。

一介のブロガーとして発信を続けている僕にとって、1ヶ月の入力文字数は単なる数値データではありません。自分が机に向かい、思考を振り絞り、情熱を注いだ時間の「証(あかし)」そのものなのです。

それがカウントされないとなると、まるで暗闇の中で素振りをし続けているような、どこか虚しい気持ちに襲われてしまいます。自分の歩んできた足跡が消えてしまっているかのような寂しさを感じてしまうのです。

「キーボードを打ち、言葉を紡ぎ、それを積み重ねていく」

この当たり前だった日常の喜びを取り戻すためにも、どうしてもATOKマンスリーレポート文字数カウント機能を復活させたいと心から願っています。

以上、「ATOKマンスリーレポートで入力文字数がカウントされない」

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2026年10月24日土曜日

「作家の村上龍さんの訃報に触れて」

 「作家の村上龍さんの訃報に触れて」

僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症と関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が、文京区の家で介護、世話しています。右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードをカチカチ打ち、近所を歩きながらスマホの万歩計の歩数を確認する日々です。それでも、今日も書きます。

2026年10月17日、作家の村上龍さんが自宅で亡くなったと、23日に幻冬舎から発表がありました。74歳でした。葬儀は家族葬で執り行われたそうです。『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞し、その後も衝撃的な作品を次々と発表し続けた方で、僕も若い頃から名前を知っていました。

僕が若い頃、『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだときの衝撃は、今でもはっきりと覚えています。コインロッカーに捨てられた二人の男の子が、社会への怒りと破壊の衝動を抱えながら生きていく物語で、文章から音や色や熱が直接伝わってくるような感覚がありました。当時の僕には、ただ「すごい小説がある」という以上の、何か胸の奥を揺さぶられるようなものが残りました。社会の外側に置かれた人間の話が、こんなに生々しく書けるのかと、驚きました。

その後、テレビで『Ryu's Bar 気ままにいい夜』という番組を見ていました。日曜の深夜に、村上龍さんがホストを務めて、ジャズバーのような雰囲気の中でゲストと話す番組でした。無口な部分や、ゲストとの間が空くようなところも含めて、普通のトーク番組とは違う空気感があって、僕はなんとなく見続けていました。派手に盛り上げるわけではなく、村上さんのペースで進む感じが、独特でした。

そして、もう一つ思い出すのは、『走れ!タカハシ』という短編集です。僕が大ファンだった広島東洋カープの高橋慶彦選手を題材にした作品で、高橋慶彦選手が走る瞬間に、球場にいる人々の人生が少しずつ動いていくような話が並んでいました。僕は高橋慶彦選手のスイッチヒッターとしての打撃や、特に盗塁の走り出しをテレビで見ていて、ただただカッコいいと思っていました。あの「走れ!」という声援が聞こえてくるような感じが好きで、村上龍さんがそんな選手を題材に短編を書いていたことを知ったときは、少し嬉しかったです。プロ野球のファンとして、作家として、村上龍さんが身近な存在に感じられる瞬間でした。

介護の合間に、ふとニュースを見て、昔読んだ本や見た番組のことを思い出しました。村上龍さんの作品は、若い世代に向けて衝撃を与え続けたものが多いと聞きます。僕もその一人として、あの頃の衝撃を、今でも時折思い出すことがあります。父の様子を見ながら、母の世話をしながら、こうして昔の本のことを思い浮かべていると、時間が少しだけ、違う流れに感じられます。

地道にコツコツと、諦めずに。これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「作家の村上龍さんの訃報に触れて」

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2026年10月23日金曜日

「巨人新監督に松井秀喜氏が就任することを喜ぶ」

 「巨人新監督に松井秀喜氏が就任することを喜ぶ」

僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症、関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が、文京区の家で介護、世話しています。右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードをカチカチ打ち、近所を歩きながらスマホの万歩計の歩数を確認する日々です。それでも、今日も書きます。

2026年10月23日、プロ野球・読売巨人軍の来季監督に、球団OBの松井秀喜氏(52)が就任することが明らかになりました。午後には山口寿一オーナーとともに記者会見が行われるそうです。松井氏は1993年に星稜高校からドラフト1位で巨人に入団し、MVPを3度獲得するなど日本を代表する強打者として活躍。2003年にヤンキースへ移籍し、2009年のワールドシリーズでは日本人初のMVPに輝きました。日米通算507本塁打。選手としてユニホームを脱いでから、約24年ぶりの巨人復帰です。

僕は1967年11月3日、東京都文京区に生まれました。文京区立小日向台町小学校、文京区立茗台中学校、東京都立小石川高校と、ずっとこの区で育ちました。巨人の本拠地である東京ドームは、文京区後楽にあります。地元のスタジアムです。

松井秀喜氏が現役で巨人にいた頃、僕は東京ドームには行けずに、テレビ越しに、あの豪快なバッティングを何度も見ました。55番の背番号で4番を打ち、ドームの屋根に向かって飛ぶような打球を放つ勇姿は、今でも目に焼き付いています。メジャーへ旅立った後も、時折ニュースでその姿を見ては、懐かしさと尊敬の念を抱いていました。

それが、来季から監督として、再び文京区の東京ドームに戻ってくる。ユニホームを着て、ベンチで指揮を執る姿が、地元の球場で見られるようになる。僕のような文京区民にとって、これは本当に嬉しいニュースです。介護の合間にふとテレビをつけたとき、ドームの中で松井監督が選手たちに声をかけている姿を想像すると、胸が少し温かくなります。

巨人はここ数年、優勝から遠ざかっています。打力強化が課題だとも言われています。かつて日本を代表する大打者だった松井氏が、今度は指導者としてチームをどう導くのか。ヤンキースでアーロン・ジャッジらを指導した経験もあるそうですから、若手選手たちにその技術や心構えを伝えてくれることを期待しています。

僕は早稲田大学探検部33期のOBです。学生時代は山に登り、未知の場所を歩き、仲間と困難を乗り越えてきました。今は介護という日常の中で、地道にコツコツとブログを書き続けています。諦めないこと。それが僕の座右の銘でもあり、ブログのタイトルでもあります。松井氏が巨人に戻り、地元のドームで再び勇姿を見せてくれる。そのニュースに触れて、僕も少し元気をもらいました。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「巨人新監督に松井秀喜氏が就任することを喜ぶ」

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2026年10月22日木曜日

「PHPの脆弱性でSUUMOが見られなくなり、一人暮らしの物件探しに困っている」

 「PHPの脆弱性でSUUMOが見られなくなり、一人暮らしの物件探しに困っている」

僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、ニュースに触れては、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症と関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が同居して介護しています。介護の合間を縫って、マウス腱鞘炎で右手の握力もあまり良くない中で、キーボードをカチカチ打ちながら、ブログを更新しています。

今日、一人暮らしの物件を探そうと思って、いつものようにSUUMOのサイトを開こうとしたら、システムメインテナンス中で見られなくなっていました。家賃や間取り、駅からの距離を比べて、やっと自分に合いそうな部屋を見つけようとしていたのに、急に止まってしまって、どうしようもなくなりました。

今朝の新聞の1面にも載っていましたが、プログラミング言語のPHPに、極めて重大な脆弱性が2件見つかったというニュースが、各所で報じられています。深刻度を示すCVSSという指標で9.2という高い数字がついていて、「緊急」レベルだそうです。世界中のウェブサイトの多くがPHPで動いているらしく、認証なしで遠隔から不正なコードを実行される恐れがあるとのこと。日本時間の21日夜に修正プログラムが公開されたそうですが、その対応のために、銀行や鉄道、自治体、各種サービスのサイトが次々と一時休止に入っています。

SUUMOもその影響を受けて、サイトが正常に見られなくなっているようです。僕みたいな素人ブロガーには、PHPの仕組みなんてよくわかりません。ただ、物件を探すというごく日常的なことが、裏側の技術の不具合一つで、突然できなくなる。ネット社会の危うさを感じます。

ネット社会というのは、便利だと思っていたら、実はとても危ういものなんだと、改めて感じます。何か一つが脆いと、生活のいろんな部分が止まってしまう。物件探しだけでなく、買い物や銀行の手続き、情報の確認まで、影響が広がっているようです。僕は無給でブログを3000以上書いているド素人のアマチュアブロガーで、報酬をもらわずにこうして書いているだけですが、介護の合間にパソコンでサイトを開こうとして困っていると、現代の生活がどれだけこの見えない基盤に依存しているかが、痛感されます。

父も母も、住み慣れたこの家でできるだけ長く過ごしたいと思っています。僕自身は、両親の介護負担が限界で、少しでも負担を減らせるような形を考えながら、一人で暮らせる部屋を探してみようと思っています。

でも、サイトが止まっていると、探すことすらできません。数字の高い脆弱性が見つかって、急いで対応しなければならなくなった現場の人たちの苦労も想像しますが、利用者としてはただ困るだけです。

地道にコツコツと、諦めずに。サイトが復旧するのを待ちながら、こうしてブログに書いています。ネット社会の危うさを感じつつも、ネットを利用して生活を続けるしかない。僕もそうします。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

 Don't give up

 10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「PHPの脆弱性でSUUMOが見られなくなり、一人暮らしの物件探しに困っている」

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2026年10月14日水曜日

「文京区地域安心生活支援事業に正式に契約し、これから短期宿泊が出来るようになった」

 「文京区地域安心生活支援事業に正式に契約し、これから短期宿泊が出来るようになった」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、こうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。

心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症、関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が同居して介護しています。介護の合間を縫って、マウス腱鞘炎で右手の握力もあまり良くない中で、キーボードをカチカチ打ちながら、ブログを更新しています。

今日、2026年10月14日水曜日、文京区の地域安心生活支援事業の短期宿泊支援事業に、正式に契約しました。

これで、これから短期宿泊が出来るようになります。

文京区のこの事業は、主に精神障害の方を対象にしていて、家庭の事情などで一時的に家で生活しにくくなったときに、区が委託する社会福祉法人が宿泊場所を用意してくれるものです。僕は文京区民で、精神障害2級なので、事前に登録・契約をして利用できるようになりました。

正直に言うと、両親の介護の負担が、もう限界の状態です。精神科の主治医、ケアマネジャーにも伝えています。

父は血液検査のBNPの数値が高く、少し歩くだけで息が上がり、心不全の状態が続いています。母も脊柱管狭窄症、関節リウマチで身体が思うように動かず、日常のことが大変です。僕自身も幻聴が出たり、体調が不安定な日がありながら、食事を用意し、往診の立ち会いをしたり、家の中の世話を続けています。一日が終わると、頭も身体も重い。ゆっくり休む時間を、ほとんど取れていません。

だから、この短期宿泊を利用して、時々、一人で静かに過ごす時間を持ちたいと思いました。

家を少し離れて、ただ横になったり、自分のペースで過ごしたりする。それだけで、また介護に戻れる力が少し戻る気がします。両親を置いてくることには、もちろん後ろめたさもあります。でも、無理をして倒れてしまえば、結局、誰もが困ることになります。少しずつでも、息を整えることが必要なのだと思います。

契約したことで、いざというときに使える選択肢が一つ増えました。

まだ具体的にいつ利用するかは決めていません。でも、「使える」という状態になっただけで、少し心が軽くなった気がします。介護を続けながら、自分も無理をしすぎないようにする。そういう意味で、肯定的に捉えています。

僕は報酬をもらわずに、無給でブログを書き続けているド素人のアマチュアです。それでも、こうして日々の小さな変化を書いておくことで、自分の気持ちを整理しています。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「文京区地域安心生活支援事業に正式に契約し、これから短期宿泊が出来るようになった」

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2026年10月11日日曜日

「今朝の朝日新聞朝刊の記事を読んで、父の心不全を心配している」

 「今朝の朝日新聞朝刊の記事を読んで、父の心不全を心配している」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、記事を読んではこうして文章にしています。

両親の介護で忙しくて、落ち着いてブログを書けません。

心不全で要介護2の93歳の父と、脊柱管狭窄症、関節リウマチで要介護1の89歳の母を、統合失調症で幻聴の症状がある精神障害2級の58歳の次男である僕が同居して介護しています。介護の合間を縫って、マウス腱鞘炎で右手の握力もあまり良くない中で、キーボードをカチカチ打ちながら、ブログを更新しています。

今朝、朝日新聞の朝刊を読んでいたら、「心不全パンデミック、超高齢社会の課題 悪化・回復重ね介護も、早めの発見に血液検査のすすめ」という記事が載っていました。富山大学の絹川弘一郎教授が関わっている記事です。

心不全は、心臓のはたらきが低下して息切れなどの症状があらわれる状態で、高齢者に多くみられ、高齢化に伴い患者が増えると見込まれていて、「心不全パンデミック」とも呼ばれるそうです。全国に約120万人いて、今後も増える見込みだと書いてありました。悪化と回復を繰り返しながら、介護も必要になっていく、という内容でした。早めの発見に血液検査をすすめる、という話も出ていました。

この記事を読んで、父のことを思いました。

父は最近の血液検査で、BNPが1221でした。正常値がだいたい18.4以下で、200を超えると心不全の可能性が高いと言われる数値だと聞いています。1221というのは、かなり高い数字です。心臓にかなり負担がかかっている、ということだと思います。

訪問リハビリの際に、6分間歩行をすると、心拍数が140まで上がります。6分間歩いただけで、脈がそこまで上がってしまう。父は5分くらい歩くと息が上がる、という状態です。心拍数の危険な数字は220-年齢だそうで、父は93歳なので、127です。頻脈の状態も良くない状態です。

記事を読んでいると、胸が締めつけられるような気持ちになりました。

超高齢社会で、心不全の人が増えていく。父もその一人です。悪化と回復を重ねながら、在宅で介護を続けている。血液検査で早めにわかる、というのは、すでにわかっている僕たちには、少し切ない話です。

父は、住み慣れた家で過ごしたいと言います。僕も、できる限りそうしてあげたいと思っています。でも、BNPが1221で、少し歩いただけで心拍数が140になる状態を見ていると、心配になります。

朝日新聞の記事には、早期発見の大切さが書いてありました。父の場合は、すでにわかっている状態です。それでも、数字を見て、リハビリの様子を見て、こうして文章にしていると、改めて心配になります。

僕は報酬をもらわずに、無給でブログを書き続けているド素人のアマチュアです。介護の合間に、こうして書くことしかできません。

今朝の朝日新聞朝刊の記事に

「心不全パンデミック、超高齢社会の課題 悪化・回復重ね介護も、早めの発見に血液検査のすすめ」

という記事が載っていて、記事を読んで僕が思ったことをブログに書いてみました。

これからも懲りずに、僕のブログにお付き合いいただければ幸いです。

Don't give up

10月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「今朝の朝日新聞朝刊の記事を読んで、父の心不全を心配している」

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2026年9月22日火曜日

「台風25号の被害を悼む」

 「台風25号の被害を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8年9月21日、大型で強い台風25号(ドゥージェン)が関東に接近しました。千葉県勝浦市の南を北東へ進み、伊豆大島では24時間降水量が680ミリを超え、9月の観測史上1位を大幅に更新する記録的な大雨となりました。気象庁は東京都大島町にレベル5の土砂災害特別警報を発表し、ピーク時には関東・東海の1都5県で約190万人に避難指示が出されました。

22日朝には台風は日本の東の海上へ抜けましたが、土砂崩れが相次ぎました。現時点で確認されている死者は15人(千葉県10人、神奈川県5人)です。神奈川県横須賀市では64歳の女性が自宅に流れ込んだ土砂に巻き込まれて亡くなり、三浦市でも複数の住宅が土砂に埋まりました。千葉県では袖ケ浦市で道路の復旧作業をしていた51歳の男性が油圧ショベルごと土砂崩れに巻き込まれて死亡し、山武市と鴨川市でも高齢の女性が家屋の倒壊で命を落とされています。鴨川市ではさらに2人の男性の行方が分かっていません。停電は4万軒発生しました。佐倉市などでは冠水も発生しました。印旛沼では堤防が決壊し大規模な冠水が発生しました。

台風25号は激甚災害に指定される見込みになっています。

僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」なのです。

母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、文京区の静かな道を歩き、両親の介護の合間にキーボードを叩いている一介のブロガーです。遠くない関東の同じ空の下で起きた惨事なのに、僕にできることはこうして書くことだけです。

台風25号で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も捜索と復旧に当たられている方々、避難所で不安な夜を過ごされている方々に、東京の文京区から連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「台風25号の被害を悼む」

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2026年9月16日水曜日

「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

 「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、こうして文章にしています。

令和8年9月に入ってから、東京は秋雨前線が居座ったままです。空はほとんど灰色で、太陽をまともに見た記憶がほとんどありません。気象庁の速報値では、東京都心の9月1日から10日までの日照時間は7.4時間しかなく、1961年以降の統計で9月上旬としては最短だったそうです。1日から14日まで合わせても18.3時間、平年の29パーセントです。一日平均にしたら、ほんのわずかしか日が差していない計算になります。

 そのせいで、洗濯がまったくはかどりません。

 文京区の狭い住まいでは、外に干しても乾きません。ベランダに出したシャツは夕方になっても湿ったままです。室内干しにすると、湿気がこもって、部屋全体が少し重くなります。母は要支援2で脊柱管狭窄症と関節リウマチを抱え、父は心不全で要介護2です。介護の合間に洗濯機を回しても、乾かない洗濯物が部屋の隅に並ぶと、それだけで気持ちが沈みます。僕自身も統合失調症で精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながらキーボードを叩いている一介のブロガーです。乾かないシャツを見ながら、今日もまた同じ灰色の空だな、と思っています。

文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は洗濯物のことと、いつになったら青空が出るのかということでいっぱいです。わずかな晴れ間があれば外に干そうと思っても、その晴れ間がほとんど来ません。ニュースでは「洗濯物が外に干せない」という声が各地から出ていると報じられていました。僕だけではないのだと分かると、少しだけ気が楽になります。それでも、湿ったタオルを触るたびに、秋の長雨の長さを実感します。

自然の前では、人間の力は本当に小さい。秋雨前線は、今後もしばらく本州付近に停滞しやすいと聞きます。日照不足は農作物にも影響すると気象庁も注意を呼びかけています。東京の一室で室内干しをしている僕の悩みなど、比べるまでもない話です。それでも、ありきたりな日常の中では、乾かない洗濯物は立派な困りごとです。

だから、わずかな晴れ間を逃さないようにします。乾いたものからたたんでいきます。ブログを地道にコツコツと更新し続けるように、洗濯も、介護も、今日できることだけを積み重ねていくしかありません。

地道にコツコツと、諦めずに。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「秋の長雨で日照時間が極端に短く、洗濯に困っている」

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2026年9月1日火曜日

「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

 「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8年8月27日未明から朝にかけて、石川県と富山県で線状降水帯が相次いで発生し、気象庁は午前6時20分、富山県氷見市と石川県羽咋市、志賀町、宝達志水町、中能登町にレベル5大雨特別警報を発表しました。氷見市では24時間降水量が350ミリを超え、羽咋市でも340ミリを超えるなど、観測史上最多を更新する記録的な雨でした。両県で20を超える河川が氾濫し、床上・床下浸水が相次ぎ、山間部では土砂崩れで集落が孤立しました。収穫前の田んぼが濁流に沈み、「見ただけでやる気を失う」と語る農家の声が、ニュースから聞こえてきました。

その雨がいったん小康状態になったと思った矢先、8月30日未明には前線と湿った空気の影響で今度は福井県が襲われました。福井市、大野市、勝山市にレベル5大雨特別警報が出され、勝山市では24時間降水量350.5ミリ、福井市でも318ミリと、こちらも観測史上最多を記録しました。荒川をはじめ20を超える河川で氾濫や護岸損傷が起き、坂井市などでは市街地が広く冠水し、緊急安全確保が一時30万人規模に発令されました。

能登はまだ、2024年1月の能登半島地震と、その年の9月の豪雨の傷が癒えていません。地震で地盤が緩み、家を直し、田を直し、ようやく日常を取り戻そうとしていたところへ、またこの雨です。「また被災するとは」という言葉が、現地の人の口から自然に出てくる。その言葉を聞くだけで、胸が締めつけられます。

僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。文京区の静かな道を歩きながら、スマホの万歩計をチラチラ見つつ、頭の中は北陸の浸水した家と、泥に埋もれた田んぼのことでいっぱいです。

母は要支援2で、父は要介護2。僕自身も精神障害2級を抱え、長時間のパソコン作業による右手のマウス腱鞘炎をこらえながら、キーボードを叩いている一介のブロガーです。そんな僕にできることは、こうして書くことだけです。遠く東京から現地へ行くことも、大きな義援金を出すこともできません。ただ、忘れないこと。被害の数字がこれから増えるかもしれないことを恐れつつ、忘れないことです。

石川、富山、福井の大雨災害で被害に遭った方々に心よりお見舞い申し上げます。、今も泥をかき出し、水を汲み、復旧に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

9月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上、「石川、富山、福井の大雨災害にお見舞い申し上げます」

ブログに載せます。

2026年8月18日火曜日

「令和8年8月千葉豪雨を悼む」

 「令和8年8月千葉豪雨を悼む」

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8年8月13日から14日にかけて、千葉県を中心に関東地方を襲った記録的な豪雨。気象庁はこれを「令和8年8月千葉豪雨」と命名しました。千葉市中央区では24時間降水量が367ミリを超え、8月の平年1か月分の3倍以上。観測史上1位を更新する猛烈な雨が降り注ぎました。線状降水帯が3回発生し、レベル5の大雨特別警報や土砂災害特別警報が千葉県内の多くの市町に出されました。

各地で道路が冠水し、住宅の浸水被害は約1500棟。水没した車は2700台を超え、成田空港では約7000人が一夜を明かしました。そして、尊い命が13人も失われました。車の中で水に閉じ込められたり、冠水した道路で倒れたりした方々のことを思うと、胸が締めつけられます。

僕は早稲田大学探検部33期OBとして、自然の力の凄まじさを少しは知っているつもりです。探検部時代、未知の地を歩き、風雨にさらされた経験もあります。でも、こんな記録的な豪雨は、想像を絶します。千葉の皆さん、特に被災された方々、遺族の方々の痛みは、僕のような東京の一介のブロガーには到底測り知れません。

両親の介護で毎日忙しく、自分自身も統合失調症で精神障害2級を抱えながら、地道にブログを更新している身です。無収入で、文京区の狭い家で父と母を看ています。そんな僕にできることは、本当に限られています。でも、こうして書くことだけは、諦めずに続けたい。

被災地の皆さんが一日も早く日常を取り戻せるように。泥にまみれた家を片付け、水に浸かった思い出を洗い流しながら、また前を向ける日が来るように。僕みたいな素人ブロガーにできることは、こうして悼みの気持ちを綴ることだけです。

地道にコツコツと、諦めずに。
ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

8月某日
早稲田大学探検部33期OB 上原和明
東京にて

以上、「令和8年8月千葉豪雨を悼む」

ブログに載せます。

 

2026年8月12日水曜日

「令和8年熊本地震を悼む」

 「令和8年熊本地震を悼む」

両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。 

今日もAIを利用してブログを書きます。

Xの人工知能Grokに 

「ブロガーの上原和明さんの文体で、令和8年熊本地震を悼むブログを書いてください」

と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

毎回、毎回、同じことを書きますが、僕は一介のブロガーとして、ありきたりな日常を書き続けながら、胸が締めつけられるようなニュースに触れては、こうして文章にしています。

令和8年7月28日午後4時27分頃、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。宇城市と氷川町で最大震度7を観測し、平成28年の熊本地震以来、約10年ぶりに熊本の大地が大きく揺れました。

発生から2週間余りが経った今も、死者は39人(うち災害関連死の疑いを含む)、重傷者24人、住宅被害は2万棟を超えています。八代市の日本製紙工場で煙突が倒壊し9人が亡くなり、嘉島町のイオンモール熊本では爆発と建物崩落で7人が犠牲になりました。猛暑の中、断水が続き、避難所や車中泊で過ごす人々が今も数千人います。

僕は2011年5月、東日本大震災の直後に東北へボランティアに行きました。泥かきをしながら、ただただ無力感に打ちのめされたあの感覚が、今また蘇ります。形は違えど、災害が奪うものはいつも「当たり前の日常」であり、「生きることの重み」なのです。

2016年の熊本地震のときも、僕は遠く東京からニュースを見守り、ただ祈ることしかできませんでした。それから10年。建物の耐震化も進み、人々の備えも変わったはずなのに、また震度7が襲った。日奈久断層の動きだったと報じられています。自然の前では、人間の力は本当に小さい。

でも、被災地の人々は今も立ち上がろうとしています。自衛隊やボランティアが駆けつけ、二次避難の準備が進み、ブルーシートが張られた家々から少しずつ生活の音が戻りつつあると聞きます。母は要支援2で、父は要介護2。僕自身も介護の現実を日々感じながら生きていますが、そんな僕にできることは、こうして書くことだけです。右手がマウス腱鞘炎で痛む中、キーボードを打ちながら、ただ「忘れない」と心に刻むのです。

令和8年熊本地震で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。遺されたご遺族、今も復興に尽力されている方々に、遠く東京の文京区から、連帯の思いを送ります。

忘れないことが、僕たちにできる、せめてもの「悼み」のかたちではないでしょうか。

地道にコツコツと、諦めずに。ブログを更新し続けるように、被災地の皆さんも、僕らも、支え合っていきましょう。

Don't give up

8月某日 早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

以上のような文章が返ってきました。

まるで僕が書いたような文章だと思いました。概ね僕が思っていることを書いてくれていると思いました。

AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当に有り難いと思います。これからもAIを利用して地道にブログを更新していきたいと思います。

以上、「令和8年熊本地震を悼む」

ブログに載せます。

2026年8月7日金曜日

「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?」

 「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?」

 僕は統合失調症と診断されていて、幻聴の症状があります。

 僕は両親の介護をしています。

 そこでXの人工知能Grokに

 「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?」

と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

症状の安定度や支援の活用次第で「一部は可能」ですが、一人で父母双方の介護を全面的に担うのは難しい可能性が高く、無理をすると共倒れのリスクがあります。 個別の状態によるため、専門家への相談が必須です。

要介護2と要支援2の状態の目安

  • 要介護2(父):食事や排泄は一部介助・見守りで可能な場合が多い一方、立ち上がり・歩行に支えが必要で、着替え・入浴・爪切りなど身の回りの動作に介助・見守りが日常的に必要です。要介護認定等基準時間はおおむね50分以上70分未満相当とされ、生活全般で部分的な介助が増える段階です。
  • 要支援2(母):食事・排泄などの基本動作はほぼ自立できますが、立ち上がり・歩行にふらつきや支えが必要で、掃除・買い物などの家事に支援が必要な状態です。予防的な支援が中心で、要介護より負担は軽いです。

父母合わせて在宅で支える場合、身体介助・見守り・家事の負担が重なり、日常的に相当の時間と体力・注意力が求められます。介護保険のサービス(訪問介護、通所、ショートステイなど)を使えば家族の負担を大幅に減らせますが、ゼロにはなりません。

幻聴のある統合失調症の場合の留意点

統合失調症は個人差が非常に大きく、服薬で症状が安定し日常生活を送れている人は少なくありません。一方で、幻聴が残存している場合は集中力・判断・ストレス耐性に影響が出やすく、介護の負担が症状悪化や再発のきっかけになることがあります。

介護は身体的な介助だけでなく、予定管理、緊急時の対応、感情的なやりとりも伴います。ストレスで症状が不安定になると、父母の安全にも影響しかねません。精神疾患を抱える人が親の介護を担うケースでは、「今度は自分が親の面倒を見る番」という気持ちから無理をして共倒れになる例が指摘されています。

年齢(58歳)も考慮すると、長期にわたる介護体力や自分自身の将来の健康も重要です。

現実的な進め方

可能かどうかを本人・家族だけで判断せず、以下を並行して相談してください。

  • 主治医(精神科):現在の症状(幻聴の程度・頻度・内容)、服薬状況、介護負担が病状に与える影響を確認。必要なら訪問看護の導入も検討。
  • 地域包括支援センター:高齢者の総合相談窓口。父母のケアプラン作成やサービス調整をケアマネジャーと連携して進められます。精神疾患のある家族がいる場合の相談にも対応しています。
  • 市区町村の障害福祉担当窓口:息子さん自身が障害者手帳や障害支援区分を持っている場合、居宅介護などの障害福祉サービスを使える可能性があります。
  • 介護保険サービスを最大限活用:訪問介護(身体介護・生活援助)、デイサービス、ショートステイを組み合わせ、息子さんの負担を「補助」の範囲に抑える。

一人で抱え込まず、外部サービスと役割分担するのが安全です。症状が安定していても、介護は「できる範囲」で関わり、専門職に任せる部分を明確にすることをおすすめします。

この回答は一般的な情報に基づくものであり、医療・介護の個別判断ではありません。必ず主治医と地域の相談機関に現状を伝えて確認してください。早めの相談が、父母と息子さん双方の生活を守る近道になります。

以上のような回答が返ってきました。

僕が両親の介護をするのはかなり無理があるようです。

介護負担が限界ですとケアマネ、訪問看護にメールしていますが、状況は一向に改善されていません。

早く介護から離れ、ゆっくり自分のことだけ考えられる時間を作ってのんびりと休息したいというのが僕の本音です。

 以上、「幻聴の症状のある統合失調症の58歳の男が要介護2の父と要支援2の母の介護を出来るでしょうか?」

 ブログに載せます。

 

 

2026年7月29日水曜日

「31年間で7回の震度7の地震」

 「31年間で7回の震度7の地震」

 昨日、7月28日火曜日午後4時27分に熊本県で震度7を観測する地震がありました。

 1995年の阪神淡路大震災以来、7回目の震度7の地震です。

   正確には2016年の熊本地震で4月14日に前震で震度7、4月16日に本震で震度7を観測しているので、阪神淡路大震災以来8回目の震度7の地震ですが、僕は2016年の熊本地震を1回として考えて、令和8年熊本地震を7回目と考えます。

 1995年以来、日本で震度7を観測した地震は、1995年の阪神淡路大震災、2004年の中越地震、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震、2024年の能登半島地震、そして、2026年の令和8年熊本地震です。

 そこで、Xの人工知能Grokに

 「1995年以来阪神・淡路大震災、中越地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、能登半島地震、令和8年熊本地震と7回も震度7を観測する地震が起きていますが、日本は異常な状態なのでしょうか?」

 と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

 いいえ、日本が「異常な状態」にあるわけではありません。 1995年以降に震度7を観測した地震が複数回あるのは事実ですが、主な理由は観測体制の大幅な充実と、日本がもともと世界有数の地震多発地帯であることです。強い揺れを伴う地震そのものが急増したわけではありません。

震度7を観測した主な地震(1995年以降)

ご指摘の通り、以下のような事例があります(2016年熊本地震は前震・本震で2回観測されたため、観測回数としてはそれも含めてカウントされる場合があります)。

1995年:兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)

2004年:新潟県中越地震

2011年:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

2016年:熊本地震(4月14日・16日)

2018年:北海道胆振東部地震

2024年:能登半島地震

2026年7月28日:令和8年熊本地震(M7.1、宇城市・氷川町などで震度7)

これらで「震度7」が公式に記録されたのは、主に1995年以降です。

なぜ1995年以降に目立つのか

最大の要因は震度観測網の充実です。

1995年以前は気象官署中心の観測点が約160点程度で、限られた場所しかカバーしていませんでした。

阪神・淡路大震災を契機に1996年以降、計測震度計が導入され、気象庁・防災科学技術研究所・地方公共団体合わせて約4,000点以上に大幅増強されました。

震度7は内陸の浅い地震でも震源断層近くの限定的な範囲でしか出ないことが多く、観測点が疎い時代には「見逃されていた」可能性が高いのです。観測密度が上がったことで、局地的な強い揺れを正確に捉えられるようになっただけで、「日本で強い揺れを伴う地震が増えたという事ではない」と指摘されています。

また、震度階級自体も変遷しています。震度7は1949年(福井地震を契機)に導入され、1996年以降は計測震度6.5以上を震度7と定義する現行方式になりました。以前は体感や被害状況からの推定が中心でした。

歴史的に見ても珍しくない

日本では過去にも震度7相当の激しい揺れを伴う地震が繰り返されてきました。例えば、1948年福井地震(震度7導入のきっかけ)、1923年関東地震、1891年濃尾地震、さらには江戸時代以前の記録でも家屋の大規模倒壊を示す被害から震度7相当と推定されるものが複数あります。観測技術が未熟だった時代に「公式記録」が少ないだけで、活動そのものが近年突然異常になったわけではありません。

日本の地震活動の背景

日本は太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート(北米プレート)などの境界に位置し、世界の地震の約1割前後が日本周辺で発生するとされます。マグニチュード7クラスの地震は地域全体で年平均1回程度起こり得る水準で、活動が活発な時期と静穏な時期の変動もあります(2011年以降の余効的な活動など)。南海トラフや首都直下など、将来の大規模地震のリスクは常に指摘されていますが、それは「異常」というよりプレートテクトニクスに基づく本来の性質です。

まとめると、震度7の記録が増えたのは主に「見えるようになった」結果であり、日本が地震国であること自体は変わっていません。個々の地震への備え(耐震化、避難計画、情報収集)を継続することが重要です。最新の令和8年熊本地震についても、気象庁や専門家は過去の同地域の活動(2016年など)と類似のメカニズムを指摘しつつ、余震への注意を呼びかけています。

 以上のような回答が返ってきました。

 Grokは日本は異常な状態ではないと回答しています。

 僕は31年間で震度7の地震が7回も起きていることは、日本は異常な状態だと思っています。

 一向に景気も良くならないし、日本の停滞ムード、日本の衰退ムードを形作っているのが、日本で31年間に7回も起きている震度7の地震だと思っています。

 昨日、熊本県で震度7の地震が起きて、1995年の阪神淡路大震災以来、31年間で7回目の震度7の地震なので、人工知能の回答も交えて、僕が思っていることを書いてみました。

 以上、「31年間で7回の震度7の地震」

 ブログに載せます。

 

 

2026年7月26日日曜日

「生活保護前提の1人暮らし」

 「生活保護前提の1人暮らし」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grokに

 「58歳の男です。統合失調症で精神障害2級です。父が要介護2で母が要支援2で両親の介護をしています。もう僕の介護負担が限界で家を出て1人暮らしをしたくて、文京区障害者基幹相談支援センターで面談をしてきました。統合失調症で精神障害2級なので生活保護になることを前提に家賃5万3千700円以下の物件を探すことを話してきました。1人暮らしをした方が良いでしょうか?このことについてブロガーの上原和明さんの文体でブログを書いてください。」

 と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

「一人暮らしは、介護負担が限界に達している現状を考えると『検討する価値が高い選択肢』の一つです。ただし、『絶対に良い』とは言い切れず、ご自身の症状の安定度・日常管理の状況・支援の準備具合によってリスクも伴います。最終判断は主治医や相談支援の専門家と一緒に進めるのが安全です。

文京区の障害者基幹相談支援センターで既に生活保護を前提に家賃5万3,700円以下の物件を探す話をしたのは、とても良いステップです。文京区(1級地)の単身世帯の住宅扶助上限は確かに53,700円です。

一人暮らしの主なメリットは、介護ストレスの大幅軽減、自分のペースで生活できること、経済面の安定(生活保護)です。デメリット・リスクとしては、孤立と自己管理の難しさ、両親の介護の継続問題、生活保護の制約などがあります。

おすすめの進め方として、主治医に相談、基幹相談支援センターとの連携継続、両親のサービス強化、段階的に試す(地域生活体験)、緊急時の備えを挙げていました。介護を続けて自分の病状が悪化すれば、結果的に両親にとっても良くありません。あなたの健康が優先です。」

まるで僕が書いたような文章だと思いました。概ね僕が考えていることを書いてくれていると思いました。

僕も本当に介護負担が限界で、家を出て1人暮らしをしたいと思っています。将来、生活保護になることは誠に残念ですが、このまま両親の介護を小日向の自宅で続けていたら、僕の統合失調症の症状である幻聴の症状が悪化して、幻聴の症状が増悪していくと思うので、文京区障害者基幹相談支援センターで話をしてきて、生活保護前提で家賃5万3千700円以下の物件を探す方向で進もうとしています。

Grokの言うように、いきなり完全に一人暮らしではなく、段階的に進めるのが良いのかもしれません。主治医にも相談してみようと思います。両親にはショートステイなどを利用してもらい、僕が休める時間をつくりたいです。

AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて本当にありがたいと思いました。これからもAIを利用して地道にブログを更新していこうと思っています。

Don't give up.

 2026年7月某日、早稲田大学探検部33期OB 上原和明 東京にて

 以上、「生活保護前提の1人暮らし」

 ブログに載せます。

 

2026年7月19日日曜日

「介護負担が限界」

 「介護負担が限界」

 両親の介護で、僕の介護負担が限界になっています。

 そこでXの人工知能Grokに

 「58歳の男です。統合失調症で精神障害2級です。父が要介護2で母が要支援2で両親の介護をしています。もう介護負担が限界です。どうすれば良いでしょうか?

 と質問してみました。すると以下のような回答が返ってきました。

 とてもつらい状況ですね。58歳でご自身が統合失調症(精神障害2級)を持ちながら、父親(要介護2)と母親(要支援2)の介護を一人で担っているのは、想像を絶する負担だと思います。 「もう限界です」と正直に言えるのは、勇気のあることです。一人で抱え込まないでください。あなたが倒れてしまえば、両親も守れなくなります。まずは「自分を守る」ことを最優先に、すぐに専門家に相談してください。

1. 今すぐ相談すべき窓口(優先順位順)

一番おすすめ:両親の担当「地域包括支援センター」
これは市区町村が設置する無料の総合相談窓口で、介護する家族の負担相談に特化しています。保健師・社会福祉士・ケアマネジャーなどがチームで対応し、サービスの見直しやレスパイト(休息)支援を調整してくれます。

  • 「介護負担が限界です」「自分も精神障害2級で体調が心配」と正直に伝えてください。
  • ケアプランをすぐに変更し、デイサービス・訪問介護の回数増加、ショートステイ(短期入所)の手配などが可能です。
  • 担当センターがわからない場合:お住まいの市区町村役所の高齢福祉課・介護保険課に電話 → 「地域包括支援センターの連絡先を教えてください」と聞くだけです。多くの自治体でホームページに一覧があります。

すでにケアマネジャーがついている場合
すぐにその人に電話。「限界です」と伝えて、緊急でショートステイやサービス増を依頼してください。ケアマネはあなたの状況を一番把握しています。

ご自身の精神障害に関する相談

  • 主治医の精神科や病院の 医療ソーシャルワーカー(MSW)に連絡。介護ストレスが病状に影響している可能性を伝え、支援を調整してもらいましょう。
  • 市区町村の障害者基幹相談支援センターや地域活動支援センター(精神障害者向け)にも相談可能。居宅介護(ホームヘルプ)などの障害福祉サービスを利用して、自分の日常生活を少しでも楽にできる場合があります(食事準備・掃除などの支援)。

2. すぐに負担を軽くできる具体的な方法

  • ショートステイ(短期入所生活介護):これが一番効果的です。
    父親(要介護2)は利用しやすく、数日〜1週間程度施設に預けられます。あなたがしっかり休め、睡眠を取れます。費用は介護保険で1割負担の場合、1日あたり数千円程度(施設・地域により異なります)。ケアマネや地域包括支援センターに「レスパイト(休息)のために」と伝えれば優先的に調整してくれます。要支援2の母親も予防ショートステイが利用できる場合があります。
  • 在宅サービスの強化:
    デイサービス(日中預かり)を週2〜3回以上に増やす、訪問介護(ヘルパー)の回数を増やす、訪問看護を追加。夜間などの部分をプロに任せられます。
  • 自分の障害福祉サービスを活用:
    精神障害2級で利用できる居宅介護などで、自分の家事・生活支援を受けると、介護に集中しやすくなります。基幹相談支援センターに相談を。

3. 中長期的な選択肢

  • 施設入所を検討:特別養護老人ホーム(特養)など。ケアマネが状態を評価し、申請をサポートします。「親を施設に入れるのはかわいそう」という罪悪感は捨てて大丈夫です。プロの24時間ケアの方が、穏やかに過ごせるケースがとても多いです。
  • 家族・親族との役割分担:兄弟姉妹がいる場合、地域包括支援センターに「家族会議の調整」を依頼すると、第三者として公平に話し合えます。
  • 経済的な支援:高額介護サービス費(自己負担が一定額を超えたら還付)、負担限度額認定(低所得の場合さらに軽減)などを確認。ケアマネや包括センターが一緒に調べてくれます。

大切なこと

  • 「制度を使う=親を見捨てる」ではありません。介護保険制度は「家族の限界」を前提に作られています。プロに頼ることで、あなたが長く優しく関わっていけます。
  • ご自身の統合失調症の治療を最優先に。ストレスが症状を悪化させる可能性があるので、主治医に今の状況を必ず伝えてください。
  • 少しでも「もう無理かも」と感じたら、今日・明日中に電話を。待っていると状況が悪化します。

あなたは一人じゃないです。地域の専門家が必ず味方になってくれます。
まずは地域包括支援センターに電話してみてください。状況を話せば、すぐに動いてくれます。

もし具体的な市区町村名を教えていただければ、よりピンポイントな連絡先をお調べできます。
どうか無理をせず、一歩ずつ。あなた自身を大切にしてください。

以上のような回答が返ってきました。

僕も本当に両親にショートステイを利用してもらい、僕がゆっくり休める時間をつくって欲しいと思っています。

 以上、「介護負担が限界」

 ブログに載せます。

 

2026年7月12日日曜日

「在宅医療の家族負担」

 「在宅医療の家族負担」

 両親の介護で、同居人である僕にかかる負担がものすごい状態になっています。

 そこでXの人工知能Grokに

 「在宅医療の家族負担について説明してください」

 と質問してみました。

 すると以下のような回答が返ってきました。

在宅医療における家族の負担について、わかりやすく説明します。

在宅医療(訪問診療・訪問看護など)は、患者さんが住み慣れた自宅で療養できるメリットが大きい一方、家族の負担が課題になるケースが少なくありません。病院と違い、日常の介護や見守りの多くを家族が担うことになるためです。

家族にかかる主な負担

精神的負担 

最も大きい負担とされることが多いです。 

患者さんの容態変化への不安 

24時間見守りのストレス 

もっと何かしてあげられないか」という罪悪感 

認知症の場合のコミュニケーションの難しさや問題行動への対応 

厚生労働省関連の調査でも、精神的負担を「とても感じている・まあ感じている」と答える人が6割以上を占めています。

時間的・生活負担 

自分の時間がほとんど取れなくなります。

なぜ家族の負担が大きいのか?

病院や施設では看護師や介護士が24時間対応してくれますが、在宅では家族がケアチームの一員として位置づけられます。医師や看護師、ケアマネージャーなどが訪問しますが、日常の多くは家族が支える形になります。

(同居家族が主な介護者の約46%を占める実態があります)

負担を軽減するための主な支援・制度(日本)

負担をゼロにすることは難しいですが、以下の制度やサービスを活用することで大幅に軽減可能です。

介護保険サービス(要介護認定を受けると利用可能)

訪問介護(身体介護・生活援助)

デイサービス(通所)

ショートステイ(短期入所・レスパイトケア:家族の休息に最適)

ケアマネージャー(介護支援専門員)

最も重要な相談先。必要なサービスを調整してくれます。

負担を軽くするためのポイント

「できる範囲で考える」 家族がすべてを完璧にやる必要はありません。プロのサービスを積極的に使いましょう。

一人で抱え込まない :家族で役割分担をし、定期的にグチを言い合える関係を作りましょう。

早めに相談する:負担が限界になる前にケアマネージャーや地域包括支援センターに相談を。

レスパイトケアを活用 ショートステイなどで定期的に家族が休む時間を作ることが重要です。

在宅医療は患者さんにとって大きなメリットがありますが、家族の負担を軽減しながら続けられる体制を整えることが成功の鍵です。

以上のような回答が返ってきました。

もうすでに僕の両親の介護負担が限界なので、この回答にあるように、両親にショートステイを利用して貰い、僕自身がゆっくり休息できる時間を作っていかないといけないと思っています。

以上、「在宅医療の家族負担」

ブログに載せます。

 

 

2026年7月2日木曜日

「高齢者の医療費3割負担化は「非常に乱暴」だ」

 「高齢者の医療費3割負担化は「非常に乱暴」だ」 

~両親の往診1人1回3500円と在宅医療の現実から考える~

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。

 今日もAIを利用してブログを書きます。

 Xの人工知能Grokに

 「ブロガーの上原和明さんの文体で高齢者の医療費3割負担に反対するブログを、往診1人1回3500円と絡めて書いてください」

 と質問してみました。すると、以下のような回答が返ってきました。

父が心不全で要介護1、母が要支援2で両親の体調がすぐれず、往診を頼んでいます。医師や看護師が家まで来てくれるのは本当にありがたいです。住み慣れた家で、できるだけ自分のペースで療養できることは、高齢者にとってかけがえのない尊厳です。

往診の1人1回あたりの料金は3500円です。年金で細々と暮らす両親にとって、この金額は決して小さくないです。訪問看護や訪問リハビリ、訪問歯科も含めると、月々の出費は無視できないほど積み重なります。僕自身、両親のこれらの対応で家を空けられず、散歩をする時間もままならない日々が続いています。

そんな中、先日の与党協議で日本維新の会が、75歳以上の後期高齢者の医療費窓口負担を「原則3割化」するよう強く主張しているという報道に触れました。財政制度等審議会も、2026年度内に制度改革の工程表を作るよう提言したそうです。もしこれが実現したら、現在3500円の往診が、単純計算で1回10500円に跳ね上がります。とてもじゃないが、往診を続けられなくなります。

日本医師会の会長も「非常に乱暴」と懸念を表明されています。まさにその通りだと思います。

高齢者は、若い頃に保険料を一生懸命払い、社会を支えてきた世代です。今、老いて医療を必要とする頻度が増えるのは、生物として当然のこと。在宅医療を推進すると言いながら、負担を増やせば本末転倒です。受診を控える人が増え、病気が重症化し、結局入院や救急搬送に頼ることになる。トータルの医療費や社会的コストは、むしろ増えてしまうという指摘は以前からあります。

特に往診や訪問診療は、病院通いの負担を減らし、家族の介護離職を防ぎ、結果として医療資源の効率化にもつながる。在宅で最期を迎えたいという願いも、こうした制度が支えているのに、負担増はそれを根底から揺るがします。

平時の高齢者ケアも、社会全体でどう支え合うのかが問われています。世代間対立を煽るような「現役並み負担」や「年齢によらない応能負担」の名の下に、弱い立場の人々をさらに追い詰める政策は、絶対に認めるわけにはいきません。

老子の言葉にこうあります。

「天下水より柔弱なるは莫し、而して堅強なる者に勝つ者莫し」

水のように柔らかく、しかし粘り強く、諦めずに声を上げ続けていきたい。

僕はこの高齢者の医療費3割負担化の動きに、断固反対します。

多くの高齢者とその家族が、安心して必要な医療を受けられる社会を、次の世代に残すために。

以上、「高齢者の医療費3割負担化は「非常に乱暴」だ」

ブログに載せます。

 

2026年5月8日金曜日

「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

 両親の介護で忙しくて落ち着いてブログを書けません。そこで、今日もAIを使ってブログを書きます。今日は大規模な山林火災があった岩手県大槌町のことについてブログを書きます。

 Xの人工知能Grokに

 「ブロガーの上原和明さんの文体で大規模な山林火災があった岩手県大槌町を支援するブログを、3.11、東日本大震災で甚大な被害があった岩手県大槌町と絡めて、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』、『生存者  3.11大槌町、津波てんでんこ 』、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』、『理念なき復興』  岩手県大槌町の現場から見た日本、『被災の町の学校再開』 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言、『被災後を生きる 』 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記 、『ぼくらがつくった学校』 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル、『希望の大槌 』 逆境から発想する町、を参考文献にして書いてください。」

 と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

大槌町の皆さん、 Don't give up ― 3.11の記憶を胸に、今また山火事の傷から立ち上がろう。今日は、どうしても書かずにはいられませんでした。岩手県大槌町で起きた大規模山林火災のことです。2026年4月22日、小鎚地区と吉里吉里地区を中心に火が上がり、強い風に煽られて一気に広がりました。最終的に1633ヘクタール(2026年6月15日の報道では1708ヘクタール)――町の面積の8%が焼失。平成以降では大船渡市の火災に次ぐ2番目の大規模災害となりました。3257人もの方が避難指示を受け、消防団の皆さんが不眠不休で消火に当たり、自衛隊や全国の緊急消防援助隊が駆けつけてくれました。5月2日、ようやく町は「鎮圧」を宣言しましたが、現場にはまだ熱源が残り、クマの親子も出没する山は、焼け野原の爪痕を残しています。5月29日には局地激甚災害に指定されました。僕自身、3.11東日本大震災の記憶が今も鮮明です。あのとき大槌町は津波で壊滅的な被害を受けました。死者・行方不明者1254人。人口の1割近くを失い、町はがれきの山になりました。でも、あの町の皆さんは「津波てんでんこ」の教えを胸に、必死に生き延び、復興の道を歩み始めました。僕のブログ「Don't give up」では、ずっと被災地のことを書いてきましたが、大槌町ほど「逆境から発想する」強さを持った町を、他に知りません。今回、山火事という新たな試練が訪れました。特に吉里吉里地区は、3.11でも大きな被害を受けた場所です。あの津波の記憶がよみがえる中、火災がまた山を焼き尽くした。住宅地ギリギリで食い止められたと聞き、町長さんが安堵の涙を流していたそうです。津波で失った命と家、今度は火で失った山。でも、根っこは残っています。春が来れば新しい芽が出るように、町もきっと甦ります。このブログを書くにあたり、僕が何度も読み返した参考文献があります。どれも大槌町の「被災後を生きる」姿を克明に描いたものです。

まず、『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』(鈴木るり子さんほか)。震災直後の2011年4〜5月、141人の保健師さんが黄色いベストを着て、全戸を回りました。誰が生きていて、誰が亡くなったか。家族構成、健康状態、暮らしぶり。血圧を測り、話を聞き、仮設住宅での地域づくりまで支えました。そのデータが復興計画の基盤になったと書かれています。あの全戸訪問の精神こそ、今の山火事後の心のケアにそのまま活きるはずです。被災者の声に耳を傾け、行政だけに頼らず、住民同士で支え合う。保健師さんの「ポピュレーション・アプローチ」は、被災地復興の教科書です。

次に、『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』(根岸康雄さん)。ここには、津波の濁流の中で必死に生き延びた人たちの生々しい証言が詰まっています。「てんでんこ」――家族を待たず、てんでんばらばらに高台へ逃げろ、という先人の教え。保育園の子どもたちを背負って逃げた人、途中でお年寄りを置いてでも自分だけでも生き延びた人。1400人を超える犠牲の中で、生き残った人たちが語る「自分の命に責任を持つ」覚悟。今回、山火事で避難した3257人の皆さんにも、この「てんでんこ」の精神が、きっと心の支えになると思います。

『希望の大槌 逆境から発想する町』(碇川豊町長)。震災後に就任した町長さんが書いた本です。人口1万6000人が1万3000人に減り、1割の命を失った町を、「世界に誇れる町」に変えるビジョン。逆境をバネに、新たなまちづくりを住民とともに描く。防潮堤、病院、学校、雇用。課題だらけの東北の小さな町が、日本全体の未来を示すモデルになる――その発想力に、僕は何度も励まされました。山火事で失った山も、希望の種に変えられる。碇川さんの言葉は、今まさに必要です。

『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』(東野真和さん)と、『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』(同)も、僕の机の上に置いて何度も読みました。東野さんは震災直後から大槌町に居を構え、荒涼とした風景の中で人々が仮設住宅で暮らす日常、町を去る人、心の傷を抱える人たちを克明に記録しています。2年目の365日、そして5年間の取材。「理念なき復興」と題するほど、復興が形だけ進む危うさを、現場の目で突きつけます。民主主義の生々しい格闘。予算や事業が先行し、住民の声が置き去りにならないか。今回も、火災後の復興が「理念なき」ものにならないよう、僕たち遠くから見守る者が声を上げ続けなければ。

『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』では、武藤美由紀さんが教育現場の苦闘を語っています。学校が再開するまでの子どもたちの不安、先生たちの献身。学びの場が失われた町で、教育がどれだけ希望の灯だったか。

『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』は、まさに吉里吉里地区を含む三陸の奮闘記。津波後の日常を、ただ「生きる」ために歩み続けた人たちの記録です。

そして『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』。子どもたちが自ら夢見た学校を、みんなで建て上げた話。焼け野原になった山を見上げながら、きっと今の子どもたちも「ぼくらがつくる未来」を描いているはずです。これらの本を読み返すたび、大槌町の強さが胸に迫ります。津波で失った命と家。山火事で失った山。でも、保健師さんの訪問のように、生存者の「てんでんこ」のように、町長さんの「希望の大槌」のように、記者の現場の目のように、子どもたちの夢のように――皆さんはいつも、逆境から発想して前へ進んできました。僕のような一介のブロガーにできることは、ほんの少しです。毎日、両親の介護をしながら、パソコンに向かいます。右手のマウス腱鞘炎が痛む中、キーボードをカチカチ打っています。でも、そんな中でも書かずにはいられませんでした。大槌町の皆さんの姿に、僕自身が「Don't give up」の力をもらっているからです。大槌町の皆さん、どうかあきらめないでください。3.11のときと同じように、消防団、自衛隊、近隣の皆さん、そして遠くから応援する僕たちのような人間がいます。山は焼けても、根は残っています。吉里吉里の新しい芽が、きっと美しい森を取り 戻します。寄付やボランティアを考えている方がいらっしゃったら、ぜひ行動を。地元を愛する人たちの力で、また希望の大槌を。

大槌町の皆さん、Don't give up! 僕もブログを地道に続けながら、ずっと応援し続けます。

(参考文献) 『大槌町保健師による全戸家庭訪問と被災地復興』 『生存者 3.11大槌町、津波てんでんこ』 『希望の大槌 逆境から発想する町』 『駐在記者発大槌町震災2年目の365日』 『理念なき復興 岩手県大槌町の現場から見た日本』 『被災の町の学校再開 武藤美由紀大槌町教育委員会派遣・駐在指導主事の証言』 『被災後を生きる 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』 『ぼくらがつくった学校 大槌の子どもたちが夢見た復興のシンボル』

読んでくださってありがとうございます。

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」ブログに載せます。

(文字数:約2980字)

以上のような文章がGrokから返ってきました。

まるで僕が書いたような文章で、AIとは文章を書く手間を大幅に省いてくれて、本当に便利だなと思いました。

今日もAIを利用してブログを書きました。今後もAIを利用して地道にブログを更新していきたいと思っています。 

以上、「大槌町 山林火災 被災地支援 3.11の記憶とともに」

ブログに載せます。

 

2026年5月6日水曜日

「日本国憲法を守りたい」

 「日本国憲法を守りたい」

5月3日は憲法記念日でした。少し遅くなってきましたが、日本国憲法のことについてブログを書こうと思っていましたが、両親の介護で忙しくてブログを書けませんでした。

そこでXの人工知能Grokに

「ブロガーの上原和明さんの文体で憲法記念日の憲法改正反対のブログを書いてください」

と質問してみました。すると以下のような文章が返ってきました。

今日は5月3日、憲法記念日です。日本国憲法が施行されてから、今年で何年目になるのだろうか。戦後、僕が生まれるずっと前からこの憲法は日本を守ってきてくれました。僕のような一介のブロガーが、両親の介護をしながら毎日ブログを書いたり、Xでポストしたりしているこの日常を、平和に過ごせているのは、この憲法のおかげだと思っています。最近、憲法改正の話がまた出てきています。自民党や政府の一部の人たちが、9条を変えたいとか、緊急事態条項を入れたいとか、声高に言っているのを聞きます。僕は正直、反対です。なぜなら、この憲法は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という決意で作られたものだからです。僕のブログ「Don't give up」では、いつもありきたりな日常を書いています。早稲田大学探検部OBとして、散歩をしたり、パソコンに向かってキーボードをカチカチ打ったり、右手のマウス腱鞘炎を気にしながら入力したり。両親の訪問看護や訪問リハビリの対応で家にいなければならず、外出も控えめですが、そんな平凡な日々が続けられるのは、平和だからです。もし憲法を改正して、自衛隊を「軍隊」にして、海外で戦争に参加するような道を開いたら、どうなるでしょうか。村上宗隆選手が熊本地震をバネに頑張っているように、僕たちも逆境を乗り越えて生きていますが、戦争という最大の逆境は絶対に避けなければいけません。過去の戦争でどれだけ多くの人が亡くなり、家族が離れ離れになり、街が焼け野原になったか。教科書で読んだ話ですが、想像するだけで胸が苦しくなります。日本国憲法第9条は、世界に誇れる条文だと思います。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」この一文があるから、日本は戦後80年近く、直接的な戦争に巻き込まれずに済んできました。改正してこの精神を薄めてしまったら、僕たちの子どもや孫の世代に、何を残すことになるのでしょうか。僕は政治の専門家ではありません。ただのブロガーです。毎日4000字近く入力して、歩数を気にして、体重を落とそうと散歩をしています。健康診断でメタボと言われたり、逆流性食道炎を気にしたりしながら、それでもブログを更新し続けています。そんな僕でも、憲法記念日には思うのです。この憲法を守ることで、僕のような普通の人が、普通に生きられる社会を、これからも続けていきたいと。改正反対の声をもっと大きくしていかなければいけません。立憲民主党をはじめ、野党の皆さんや、平和を願う多くの人たちと一緒に、声を上げていきたいと思います。僕にできることは、ブログにこうして書くことくらいですが、地道に続けていきます。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

以上のような文章がGrokから返ってきました。

僕が書いたような文章でAIとは本当に便利だなとも思いました。

以上、「日本国憲法を守りたい」ブログに載せます。

ブログに載せます。