2016年9月1日木曜日

「昨日の朝日新聞、天声人語を読んで」

「昨日の朝日新聞、天声人語を読んで」

 昨日の朝、起きてから朝食を摂りながら、朝日新聞を読みました。

 一面に天声人語があります。

 昨日の天声人語は中学生のスマホに残された言葉についてのコラムでした。

 今日から学校が始まるのだと思います。

 学校でいじめられるのが嫌で学校に行かなくなる中学生もいるのかと思います。

 僕も学校でいじめられた経験があり、学校でのいじめのことには関心があります。

 僕は学校に通っていた頃に、「暗い」「暗い」と言われていじめられた経験があります。

 現在でも職場の方から「暗い」と言われます。

 生活している環境、付き合っている人間関係、読んでいる本などによって、「暗い」表情になることは多いと思います。

「暗い」というだけで、いじめの対象になり、「暗い」「暗い」と言われなければならないのでしょうか?

 いじめられる側には、いじめられる側にしか分からない気持ちがあると思います。

 「暗い」表情をした人間は見たくない人もいるのかと思います。

 どんなに、マスコミなどで、いじめられる側の気持ちが報道されても、いじめている側はいじめられている側の気持ちは分からないと思います。

いじめる側にはいじめる側の論理があると弁解する人もいるかと思いますが、子供の頃のいじめられた体験は大きなトラウマとして心に傷を残します。

昨日の朝日新聞の天声人語では、いじめによっていじめられた側が自分の命を絶ったことまで書かれています。

良く言われることですが、子供の社会とは大人の社会を映した鏡とも言われます。

大人の社会でもいじめが蔓延(はびこ)っているから子供の社会でもいじめが蔓延(はびこ)るのではないとかというのは昔から言われていることです。

職場でのいじめも多いと思うし、その延長で学校でのいじめも多発するのではないかと思います。

職場で、暗い表情をして働いている人間がいると、「暗い」「暗い」といじめられることもあるかと思います。

ただ、僕は暗い表情をしていても、何とか仕事をしてきたので、何とかなるかもしれません。

僕にも当てはまることだと思いますが、いじめられている人(いじめられていると思っている人)も、何とか逃げ場を見つけて、ご自分の命大切にしていっていただきたいと僕は個人的に思っています。

昨日の朝日新聞天声人語を読んでいて、いじめのことが書かれていたので、僕が子供の頃から、「暗い」人間だったので、僕の子供の頃のいじめられた経験、そして、現在でも「暗い」表情は治らずに現在でも「暗い」と言われ続けられていることについて書いてみました。

以上、「昨日の朝日新聞、天声人語を読んで」

ブログに載せます。













 



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