2016年10月7日金曜日

「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

先日から、僕が神田川生活(一人暮らし)していた頃の闖入者(ちんにゅうしゃ=突然入って来た者)が良く来たので、その方々の様子をブログに書いています。

 今回の、第8弾は、早稲田大学探検部の僕の3つ上の先輩だった中島木曽也さんの闖入について書いたみたいと思います。

中島木曽也さんは実際に僕のアパートに闖入してきたわけではありませんでした。

 早稲田大学探検部OBの名簿を作りたいから、

「上原、同期の名簿作ってくれ」との依頼が突然来ました。

僕は、早稲田大学探検部時代は、飲み会の幹事を務めていて、早稲田大学探検部を飲み会でまとめる力はあったので、中島木曽也さんも僕の飲み会を開催しての探検部員をまとめる能力を評価してくださったのだと思います。

中島木曽也さんからの依頼があって以来、僕は同期の方々の勤務先、住んでいらっしゃる住所、帰省先の住所、連絡先になる電話番号を調べて、ワープロで、早稲田大学探検部33期の名簿を作成しました。

 僕はあまり深く考えずに、アイウエオ順で名簿を作ってしまいました。

 早稲田大学探検部も学校のクラスと同じように、先生がいて、探検部員が生徒か学生のような感じがしたからです。

 後に、早稲田大学探検部OB会で作られたOB名簿を拝見すると、その他の代は、幹事長だった方を名簿の上に持って来ていました。

 最初から中島木曽也さんに、幹事長を上に持ってくるように指示していただければ、僕もきちんと幹事長だった方を上にして、名簿を作ったのだと思いますが、何の指示もなかったので、僕はアイウエオ順で名簿を作ってしまいました。

 中島木曽也さんから、僕の飲み会の幹事としての探検部員をまとめる能力を評価していただいて、僕に早稲田大学探検部33期の名簿作りの発注が来たことは信頼されている証拠だと思い、内心嬉しかったですが、アイウエオ順で名簿を作ってしまったのは、僕の若気の至りだったと現在では思っています。

 当時は、僕は、一書店のアルバイトだったので、僕の勤務先には、「アルバイト」と書かれていたと思います。

 その他の方々は、良い会社に勤務されている方々が多く、名簿を作っていると自分が情けなくなりました。

 名簿を作りながら、良い会社に就職していれば良かったなと内心思いながら、ワープロで名簿を作っていました。

 自分の勤務先を「アルバイト」としてしまったのも若気の至りだったと思っています。

 勤務先に「アルバイト」と入力してしまって以来、僕は一度も社員になった経験がなく、様々な「アルバイト」をして生計を立てています。

 名簿の勤務先に、「アルバイト」とか入力してしまうと、本当に「アルバイト」生活を送るようになるようです。

 内心では、「アルバイト」生活を卒業して、きちんとした会社に就職したいと思っていますが、もう無理だと思っています。

 OB名簿を「アイウエオ」順で作ってしまったこと、自分の勤務先に、「アルバイト」と入力してしまったことなど、本当に若気の至りだったと思っています。

 中島木曽也さんからのOB名簿作成の発注をきちんと考えずに、作ってしまい、本当に若気の至りだったと内心思っています。

 中島木曽也さんには、3年くらい前の早稲田大学探検部OB会の際に、

 「上原、何故、戸山町に住んでいたんだ? 戸山町に実家があるのか?」

 と尋ねられ、

 「早稲田大学探検部の高野さんと桜井がが、早稲田界隈に住んでいたからです」
と答えました。

 実際は、浪人時代に中央区で住み込みで新聞配達をしていて、一人暮らしの方が、自分のペースで生活が出来て、自分の目標を達成するには良いからでした。

 文京区の実家に住んでいると、どうしても、両親の生活のペースに合わせて生活をしなければならないからでした。

 ただ、一人暮らしをするには経済的基盤が必要です。

 もう、僕は精神障害者手帳を支給されているので、一人暮らしは出来ないと思っています。

 両親も高齢で、一緒に生活している以上、両親が困ったときに、助けられるようにならないといけないと内心思っています。

 中島木曽也さんからの名簿作りの発注から、現在の僕の家の状況まで書いてみました。

 以上、「神田川生活の闖入者 その8 名簿作り、アルバイト」

 ブログに載せます。






















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