2017年4月28日金曜日

「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

 僕は早稲田大学在学中に早稲田大学探検部というサークルに所属して、日本各地の山や川、外国にも行きました。

 早稲田大学探検部での経験は本当に僕の中に残っていて、早稲田大学在学中だけ、それまで経験したことのないような大自然と出会うことが出来ました。

 早稲田大学を卒業して日本の会社で働いてみると、日本の会社とは、閉鎖的な会社が多くて、閉鎖的な会社の中で、ひたすら仕事をします。

 自分の上司に良からぬ感情を抱いていた社員も多くいたと思うし、内心では

「あんな上司、〇〇してやりたい」

と内心で思っていた方もいたと思います。

そのように内心で思わせてしまうのが、日本の会社です。

昨日の、精神保健福祉法ではありませんが、「精神障害者」とは、必ずしも、危険思想を持っている方だけではありません。

所謂、普通の日本の会社と言われる会社に勤務していて、過労で「精神障害者」になってしまった方もいるかと思います。

日本の会社で、いいようにこき使われて、潰された人たちも、「精神障害者」になるのだと思います。

僕のように、早稲田大学に通っていた人間は、会社に行くと、

「おまえ、早稲田か」

とか言われ続けて、いじめられ続けて、会社の人間に潰されることは良くあることだと思います。

早稲田大学探検部のTwitterを見ていると、新歓合宿を「クレイジーな合宿」とか謳っていますが、早稲田大学探検部の方々は、精神保健福祉のことについて何も知らないので、極めて、軽率なことをTwitterで呟いていると思いました。

「クレイジー」と「精神障害」は異なるものです。

「クレイジー」を直訳すると、「気狂い」になるのでしょうか?

早稲田大学に医学部がないことは早稲田大学にとって致命的なことだと思いますが、「精神障害」とは医学的に説明出来るもので、言葉の表現としての、「クレイジー」とは大きく異なります。

 早稲田大学探検部の方々の言葉の使い方は、さすがに早稲田大学の方だなと思わせるものですが、それ以上のものではありません。

 文学作品とか、映画、絵画、音楽の中で、自分の中の、クレイジーな要素(狂気かもしれません)を表現するのは、悪いことだとは思いませんが、クレイジーと「精神障害」とは一致するものではありません。

早稲田大学探検部の方々が、きちんと、精神保健福祉を学んで、精神保健福祉士の資格とかを取得すれば、分かることだと思いますが、クレイジーと「精神障害」は異なるものだと思います。。

先程もブログに書きましたが、早稲田大学に医学部がないことは致命的なことで、早稲田大学で「精神障害」になっても、治療する学部がありません。

きちんと、精神保健福祉について学んでいない、早稲田大学の学生さんが、「クレイジー」とか「早稲田精神」とか持ち出すことは良くあることだと思いますが、極めて非科学的な見解です。

 僕も早稲田大学に通っていましたが、「早稲田精神」などなかったし、そもそも「早稲田精神」とはなんぞやと思っていました。

 早稲田大学が文系の大学で、表現行為に強い大学であることは間違いないですが、「精神障害」に対しての認識は、非科学的だと思います。

 要は、早稲田大学の象徴とも思われる大隈講堂で「都の西北」を歌っている人間は、「精神障害」にならずに、「都の西北」なんて下らねーと内心で思っている人間は、早稲田大学からすると、「精神障害」に当たるという論理が、早稲田大学における、「精神障害」の論理だと思います。

 医学部がない早稲田大学らしい非科学的な論理だと思いますが、そのような論理では、「精神障害」を治療できないと思います。

きちんと、「精神障害」になってしまった患者さんの話をよく聞いて、患者さんの心の叫びに耳を傾けてみないと、「精神障害」は治療できないと思います。

とブログを書いている僕も、精神保健、精神保健福祉のことに関しては、何も知らない素人でした。

早稲田大学探検部のTwitterを見ていたら、「クレイジー」という言葉を使っていたので、早稲田大学探検部と精神保健福祉のことについて考えてみました。

以上、「早稲田大学探検部の関係者は精神保健福祉のことを知らない」

ブログに載せます。








 






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