2015年5月14日木曜日

「土曜の夜はこれを借りろ」⑬ (ボクサー)

「土曜の夜はこれを借りろ」⑬ (ボクサー)
フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章

 Twitterのフォローワーさんが1992人に到達したので、僕が1992年に書いていた文章を公開しています。

今回、紹介する映画コラムは、寺山修司監督作品の「ボクサー」を題材にした映画コラムです。

以下です。

 彼がまだ女を知らなかった頃の話である。そのボクサーはリングの上で「僕、ボクサー」と小さく呟いたという。これが事実かどうか分からないが、「私は、サッカー」と名乗ってしまう自分が何なのかよくわからない分裂症の作家とも、「おいらは、ドラマー」ととにかくがなりたてていればいいと思っている小粋なバンドマンとも、「俺、カフェオレ」とウエイトレスにのたまう顔の小さいエリートくんとも違っていた。もちろん「人は人でも三蔵法師」などといつも三蔵を慕っていて自分と他人を区別できない金魚の糞の沙悟浄となんか比較にならなかった。彼には自分しかなかった。自分にはボクシングしかなかった。三段論法で言えば、彼にはボクシングしかなかったということになる。
 ボクシングしかなかった彼の生きる場所は四角いリングだった。よく似合う場所だ。徳俵に足がかかってから回り込んで回り込んで、いつの間にか負けたはずの力士が突き落としで勝ってしまうような円い土俵じゃだめだった。守ってやりたい女にも逃げられ、頼れる身内を裏切り続けてきた彼には、コーナーに追い込まれたらもう逃げようのない四角いリングじゃなきゃだめだった。真っ赤なコーナーに追い詰められてようやく、彼はボクサーになることを許された。
 ボクサーになることを許された彼は、毎日ゴングの音だけを聞くことにした。もう彼は中学の体育教師の傲慢な笛の音も聞かなくてよかったし、町内会のおせっかいな火の用心の気の触れも聴かなくて済んだ。彼に聞こえるのは開始と終了のゴングの音だけだった。それさえ聞けば、下らん雑音に煩わされる事なく、後は自分次第でどうにでもなった。
 彼は試合に出るようになると、くれぐれもマイクには近づくなと寺山に注意されたという。海の向こうでは自らをマイクと名乗る男が婦女暴行で訴えられ大損したらしいが、そんなことは寺山は知らない。寺山が知っていたのは彼がマイクを向けられたら、「俺はボクサーだ」と、答えてしまうということだった。そして自分とボクサーが重ならくなったとき彼はリングの上で横になってテンカウントのゴングの音を聞くはめになるといことだった。
 この映画は、ソンなボクサー達に寺山が捧げるささやかなオマージュだ。

以上が、「an(デイリーアン=日刊アルバイトニュース)に掲載された僕の文章です。

何度も書きますが、当時の学生は、普通にアルバイトをしていました。
僕も良く、アルバイトをしていました。
アルバイトニュースには大変お世話になったので、アルバイトニュースに僕の文章が掲載されたことは嬉しかったです。

映画コラムの中では言葉遊びをしています。

当時、小説を読んでいたら、小説の中で主語が男でも「私」ということが良くあったので、小説を書くような男のことを皮肉って「私はサッカー」と書いています。

「分裂病」の作家というのは、偉大な文豪であった、夏目漱石に対する僕からの皮肉です。(夏目漱石も医学的には精神分裂病的な症状があったとされているようです)

コラムの中にある、「マイク」を持ち出したのは、僕が高校生の頃や大学生の頃、プロレスラーが、プロレスの試合中や、試合終了後、リングの上でテレビクルーのマイクを奪って
、リングの上で、良く、自分の言葉を喋っていたのが印象に残っていって、ボクシングをしているボクサーの方たちも、リングの上で、マイクを奪って喋ったら、どんな言葉を喋るかを自分の中で勝手に想像していました。

この、「ボクサー」という、ボクシングに情熱を傾ける男たちへのオマージュであるこの映画を紹介しようと思ったのは、この映画の監督が早稲田大学出身の寺山修司だったからです。

学生時代には寺山修司監督演出の映画はよく観ていました。

ただ、他の作品に関しては、僕の感受性に訴えかけてきませんでした。

この、「ボクサー」という映画は、歴代のボクシング日本チャンピオンたちが友情出演していて、僕が子供時代にテレビで観ていた具志堅用高さんなども出演していたので、とても親近感が湧きました。

上記のことから、この「ボクサー」という映画を紹介しました。

先日、You tubeを見ていたら、「ボクサー」がありました。

「ボクサー」のYou Tubeも載せておきます。

現代ではDVDを購入しなくてもYou Tubeで「ボクサー」を観ることが出来るようです。


      

以上、「土曜の夜はこれを借りろ」⑫ (ボクサー)

フォローワーさん1992人到達記念、1992年に書いていた文章







ボクサー

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